『有限図書館』
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有限図書館
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――.FRAGMENT R to
「……小話を思いついたな」
男は本を読みながら独り言のように呟いた。
視線は変わらず本に落としたままの男は、退屈そうにその話を口にする。
「――ある所に、一人の鍛冶屋がいた。
その鍛冶屋は若い頃は剣術で身を立てており、
高名でも有名でもなかったが真剣を扱う剣術の使い手だった。
齢幾らかになり、自身の剣術の先にあるものが、それまで自分の剣術を支えていた刀にこそあると気づき,
そこより先の人生を鍛冶業で立てるべく修行に勤しんだ。
努力の結果であったのかその経緯からくるものなのか、彼の鍛冶屋としての腕はまあそこそこに立つ物となった。
その街で鍛冶が必要な者はその男に頼めば事足りる程度には名も売れ、第二の人生を謳歌していたわけだ」
「中々にどちらにせよ、達者な者だったわけだな」
「彼には美学があった。
修繕には簡単に携わるが、生産は0からでなければどんな物も作らなかった。
鍋の一つ、小刀の一欠程度でも喜んで鉄を足す癖に、いざ作成ともなれば鉄を選ぶところから行いたがる。
加えて彼は武器らしい武器を作ることはなかった。
彼は剣術を生業としていたこともあって、その刃が容易に人の肌に沈むことを知っていたからだ。
自分の銘の入った包丁や鍋なんかを作っては、それが何かの料理を生み出すのに使われるのを、商売の生きがいとしていた。
腕は良いのだから、実入りのいい刀の一本でも作って箔をつけろと助言をする者もいたが、頑なにそれだけは拒み続けた。
彼にとって剣術が己を高めるものであったのと同じように、鍛冶もまた人々の暮らしを豊かにしてくれるものだと信じていたからだ」
本のページが捲られる音がした。
男は話を続ける。
「彼には、贔屓にしている商売仲間がいた。
その商人は、鍛冶屋と同じように剣術を齧っていて、嗜みがあった。
そのため、鍛冶屋が作る刃物の質に他の誰よりも敏感であったし、その実力を誰よりも精確に見抜いていた。
鍛冶屋が作る包丁がいかに野菜を膾にするかを語らせたら右に出る者はおらず、その口上は沢山の鍛冶屋の刃物を市井に流通せしめた。
鍛冶屋は包丁を作り、それを高値で商人が捌く。
世の中は上手くできているものだと、少なくとも鍛冶屋は思っていた」
「……含みのある言い方だな」
「話だからな。
それと同時期、市井が少し乱れた。
鍛冶屋が包丁を売る前、剣術を生業としていた頃よりも、血の匂いを嗅ぐ機会が増えたと言っていい。
街で噂されるのは斬った斬られたの話であり、腰に刀を下げる人間が昔より多くなった。
鍛冶屋はそんな世の中を疎ましく思いながら、包丁を作り続けていた。
修繕の方は、いかにも今誰かを切ってきましたというようなものは断るようにしていた。
だから、気づくのが遅れたんだろうな。
ある日、やはりいつものように誰かを斬ってきましたという刃の修繕を依頼された。
血糊こそ着いていなかったものの、刃こぼれは人を斬ったその経験を如実に鍛冶屋に伝えてきていた。
これもいつもの通り、断ろうと手にとって、鍛冶屋は気づいた。
目を疑い、何度も見なおしてみたが、そのいかにも「他人を斬った刃」はは明らかに「自分の作った刃物」だった」
男は、情感を込めて、ため息を吐いた。
「正確に言えば、それは「自分の作った刃物を元に打ち直された刀」だった。
中身を暴いてみても、確かに自分の選定した芯鉄を使っているし、酷いものは紋も潰さずに残っていた。
怖くなって修繕の受付をした刃を並べて見てみれば、出るわ出るわ、類似の「作ったはずのない自分の刃」がどんどん出てくる。
出来は粗雑だが、芯が入っている。容易に折れたりしないから武器としては使えるが、何しろ表面が脆い。
それが逆に殺傷能力を雑に上げるというのだから、もうそれは殺人の武器として十分な「暴力」に仕上がっていた。
その暴力は、鍛冶屋の作った刃を、誰かが武器にしたモノだった。
鍛冶屋は愕然としたね。
何しろ、昨今市井の環境が悪化したのは、自分の刃が原因かもしれないのだからな。
堪ったもんじゃない」
「ひどい話をする奴がいたものだな」
「酷いのは話であって、俺じゃあないだろ。
――まあ本当にこの話の中で酷いやつはすぐに見当がついた。
彼の刃をそういう形で加工して、なお武器として使えることを見抜いている人間は、一人しかいなかったからだ。
問い詰めれば、そいつはすぐに犯行を自供した。
鍛冶屋にとっては非常に残念なことに、その刃を市井にばらまいていたのは、やはり彼の理解者であるはずの商人だった。
とはいえ、彼も悪気があって行っていたわけじゃない。
彼は誰よりも鍛冶屋の打つ刃の価値を知っていたがゆえ、その素晴らしさを世に知らしめたかったのだろう。
まあ、そこに少しの功名心もなかったとは言わない。
なにせ商人がその刃を加工して誰かに売りさばけば、商人は「そんな素晴らしい刃を良く手に入れられましたね」と市井の人間から感謝もされていたのだから。
だが、鍛冶屋は刃の危険性を知っていたが、商人は刃の危険性についてそこまで深く考えていたわけじゃなかった。
そして、市井の人間はといえば、危険性なんてものには小指の先ほどの理解もなかっただろうさ。
その不幸な階段が、市井の状況を、皮肉にも鍛冶屋が刃を振っていたときよりも悪くしてしまったわけだ」
男は、ページを捲った。
「鍛冶屋は商人に言った。
今すぐにその出来の悪い刃を市井に流すのをやめろと。
商人はすぐに自分の過ちを認めて、粗悪品を世に流さないことを誓った。
だが、その誓いは簡単に破られてしまう。
なにせ、鍛冶屋が相手をしていたのは商人一人であったが、商人が相手していたのは市井の何百という客であったから。
彼らは商人が鍛冶屋に求めるのよりももっと雑に、そして簡単に刃を卸してくれることを願った。
ここまで来ると商人は功名心でも、恐怖心でも逆らう事はできない。
望まれるまま、鍛冶屋の約束に怯えながら、何度もその粗悪品を世の中に流した。
商人はそうしなければ、自分が商人という名前で呼んでもらえなくなることを、良く知っていたからだ。
そして商人は商人であることを、今更辞めるなんてことが出来るほど、矜持を捨てられるわけでもなかった。
何度も何度もやめろと懇願しても、その快楽が信頼を上回ってしまう。
先生と、師匠と呼ばれるその名声が、商人という男をまた化物に仕立てあげてしまったのだ。
鍛冶屋は、市井を見ていた。
市井の状況は一向に良くならない。修繕の依頼の「粗悪の刃」の数は日に日に増していく。
それが、鍛冶屋が商人と約束した前に流通したものなのか、後に流通したものかまで、鍛冶屋には分からなかった。
だが、静観を決め込んで時間をおいても、市井は一向に良くならなかったから――鍛冶屋は決めることにした。
……もう、自分は刃を作るまいと。
仮に作ったとしても、商人を通じて市井に流すようなことはすまいと」
男は、深く嘆息をする。
「鍛冶屋は山に篭った。
己の作る刃をこそが、商人を以って他人を傷つける武器となるなら距離置こうと。
刃を作るという第二の生業から離れられない自分は、せめてそれが人を傷つけぬようにしようと。
彼は山中で一人鉄を掘り、それに細工を施し、精巧な刃を作って生計を立て始めた。
ある日の夕暮れ、唐突に降りだした豪雨の影響か、機が悪いことに彼が鉄を掘るそのタイミングで落盤事故が起きた。
鍛冶屋は洞窟の中に一人閉じ込められてしまった。
助けを求めても、人は来ない。
手探りで土を掘っても、手応えはない。
だがそこに孤独は感じられず、ただそこが自分の限界なのだと皮肉に笑うだけだった。
鍛冶屋が洞窟の壁にもたれかかっていると、洞窟の奥から声がした。
この洞窟は、自分が鉄を掘るそのたびに潜っていたが、他人などついぞ見なかった洞窟であるのにだ。
恐る恐る灯りを片手に洞窟の奥に向かうと、そこには一人の侍が居た。
聞けば、鍛冶屋と同じように、この落盤事故で閉じ込められたのだという」
男は、瞑目し、息を吸った。
「一人でどうにかならないものは、大抵二人でどうにかなるものでもない。
二人揃ったところで落盤によって隔離された人間が一人増えただけで、何一つ状況は改善しなかった。
さらに悪い事には、市井で刀を振る、その理由だけで今あまりこの出会いを歓迎出来ていなかった。
侍の方は気が安いのか、何かと鍛冶屋に質問や身の上を投げかけてくる。
やれこの大雨で雨宿りをしようとしたら閉じ込められただの、剣術で身を立てているだの、鍛冶屋にとって知りたくもない情報が土産となった。
話すことも尽きようかというとき。
その隙間を埋めるためだけに鍛冶屋は口を開いた。
けして誰かに理解されたかったわけでもないし、聞いて欲しかったわけでもなかったが、
心の何処かで、市井の荒れた原因を己とする自責が残っていたのだろう。
彼が刃を作り、それを商人が加工して野に流していたという一連の話を、
既にもうどうしようもない過去の傷と笑ってもらうために侍に話した」
男は、小さく本を持ったまま肩を竦める。
「鍛冶屋は一笑に付されると思っていたが、侍は神妙な顔でその話を聞き、一言鍛冶屋に告げた。
我々侍は、そのような粗悪品が出回らずとも、他人を斬る、と。
たかが鍛冶屋風情が何を憂いているのかと、市井の情況が悪化した一端を担うなど、片腹痛いと。
鍛冶屋は一瞬ムッとしたが、よくよく考えて見ればそうかもしれない。
何より、自分の考えが驕り高ぶりであったようにも思え、それを恥じる意味もあって侍にそれを認めた。
確かに、大海に墨汁を一滴垂らしたことを、大海を汚してしまったと嘆いていることに似てるかもしれん、と。
だが、その上で言わせてほしい。自分は大海が汚れる汚れぬを関係なく、墨汁をこそ垂らしたくはなかったのだ、と。
侍はその言葉を笑うことも否定することもなく、ただ聞いた。
鍛冶屋はその聞き上手に向かい、さらなる問いを投げる。
だが、今を以っても自分はどうすべきだったかがわからない。
市井にその墨の一滴を垂らさぬことを願うのならば、最初から市井に何かを送り出そうとなどすること自体が間違っていたのだろうか。
あるいは、商人に己の刃を流したことこそが過ちだったのか?
引いては、己の刃を作るという生業自体が、進むべき道ではなかったのだろうかと。
それとも、せめて己は墨汁の一滴を垂らさぬようにしようという心がけ自体が傲慢であったのだろうか、と。
どの一つをとっても全てに回答が出せず、またどれにだって簡単に否定の言葉を投げうる。
一体己は、どうすれば良かったのだろう、と」
男は、本のページを捲った。
「侍は、少しだけ顎を撫ぜた後に答えた。
どうとでもするがいい。どうすべきなどどいうことはない。
先も言ったが、お主の刃が市井に出回らなくとも、我らは刀で人を斬る。
刀がなければ棒で殴るだろう。棒がなければ拳で殺すだろう。
他人を害せしむのは本質的に武器の存在に依るところより、その武器を振らんとする人の心にこそある。
まあ、そうだな、その心を表出させる緒がまた武器である以上、不可分ではないがなと。
鍛冶屋は思った。
慰めであるのならば最後まで慰めろと。
ただ同時に、心が少しだけ軽くなった気もした。
心の何処かで、彼の愛した市井が、彼の刃によって荒れることに、心を痛めていたのだろう。
それは矮小な納得の仕方であったが、彼は元より刃そのものを否定したわけではなかった。
人が死ぬのは道理で、その死を齎すことに己が関係していることが許せないだけの、
ただの人間なのだと、ここに於いてようやく思いが至った。
鍛冶屋は侍に言った。
ありがとう、ただ刃で他人を斬るとき、その刃を作った者が心を痛めていることがあることを知り、
その上で他者を害せしめてほしいと。
そして出来ればその相手が、自分にそれほど関係のない場所で起こることを、ただ祈ると。
侍は笑って答えた。
説法臭い鍛冶屋だなと」
男もまた、話をしながら小さく笑った。
「その時、少しの揺れが鍛冶屋の座る地面を揺らした。
どうにも事実から先に言えば、さらなる雨が岩盤をまた揺らし、外に出られる道を作ったらしかった。
なんとも都合のいい話だが、閉じ込められていた物にとっては朗報以外の何物でもない。
鍛冶屋は僅かに挿した光明に向けて掘り進め、暫くの後漸く外に出ることが叶った。
夢中になって掘り進めていたが、生の実感が湧いてきた彼は振り返り、侍に礼を言おうとした。
……さて問題だ。
――問おう、老人。
何が起こったと思う?」
「急にお鉢が回ってきたな。
うーん。皆目見当もつかない。これかもしれないというものはあるが、先を聞きたい気持ちが勝ってしまう。
解答をくれぬか。出来れば想像より面白いものを」
男は。
独り言のように、言った。
「鍛冶屋が振り返ったとき。
そこには誰も居なかったんだ。
侍の影も形も、そこにはなかった
「それは最初から侍なんて居なかったという話か?」
「さあ、どうだろう。
ただ、鍛冶屋が後ろを振り返った時に、そこには言う通り……。
最初から誰も居なかったかのように、誰一人居なかった。
……以上で終わり。ご清聴ありがとうございました」
男は本を閉じ、机の上に置いた。
「おい、随分とまた急に終わったな。
あまり納得の出来ない話なんだが、この話のオチ的な部分は本当にそれで終わりなのか?」
「ああ、そうさ。正真正銘ここで終わり。
これ以上何一つ展開しないし、もう全部語りきった感じだよ」
「なんだそれは。
そんなもの――」
「話にならないじゃないか」
男は立ち上がり、膝を払った。
小さく腰を回す。骨の音が僅かに鳴った。
「そうだよ。……話にならなかっただけだよ。
まったく、時間をムダにさせてくれるな主は。
小話であったとしても、せめてオチくらいはあってしかるべきじゃないか?
そうかもしれないな。でも、こんなもんかもしれないぞ、話ってやつは。
男はそのまま机を離れ、玄関へと歩いて行く。
少しだけ空気が冷たい。
自分の語った物語の鍛冶屋も、もしかしたら。
玄関をくぐるようなそんな気分で外に出たのかもしれないと思うと、
男には少し滑稽に思えた」
男は玄関をくぐって外に出た。
後ろは振り返らなかった。
話にはならなかった。
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Last-modified: 2015-04-16 Thu 01:54:05 JST (3270d)