便利屋事務所

  • 【KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR 終】
    • ………。 -- スネイル
      • ………。 -- レィジー
      • ………。 -- カイセ
      • ………。 -- ウィレム
      • ……カイセ、かなぁ。 -- スネイル
      • ア"ア"ーッ! 三連続で逃したっ! 足まで折ったのにっ!
        オレ結構今回頑張ったから絶対褒めて貰えると思って昨日ウキウキして寝れなかったのにっ……!
        -- レィジー
      • 或いは、俺に単独でジャック・ザ・リッパーを圧倒出来る実力さえあれば……。
        クッ……歴史はいつも勝者が作ってきたということは知っていたのに、百の言葉を以ってもこの無念、後世に伝えたい程悔しい……!
        -- ウィレム
      • 正当に頑張った者が正当に評価される……こんなに喜ばしいことはない。
        さあ、褒めてほしい、撫でてほしい、よくやったと声を掛けてくれ、スネイルさん。愛してますよ。
        -- カイセ
      • レィジー、足が悪化する、飛び回るな。ウィレムも、そんな本気で泣く程自戒するな。
        ああ、まあ、依頼外とはいえ、頑張ったな、カイセ。賞金の振り込みは来週になるらしいが。
        -- スネイル
      • ……世界の、恵まれない子供に分けてあげてください。 -- カイセ

      • そん なに。とスネイルは撫でながら呟く。
        背景で、緩やかに自傷行為に走り始めたレィジーとウィレムを他所に、恍惚とした表情で頭を撫でられる我が事務所の策士。
        少年と少女の中間のような顔立ちと、何故か少しずつはだけていくスーツの首筋から覗く鎖骨が妙に生々しい。
        カイセの性別事情を知っているだけに、視線を逸らしながらひと通りの褒美を済ませ、小さく嘆息した。
      • ジャック・ザ・リッパーを名乗る者は今まで何人もいたが、ザック・ザリップスを名乗る酔狂な者がいるとは思わなかった。
        調べれば分かることとはいえ、そういう悪知恵が働く人間が近場にいたと思うと頭が痛い。
        聞けば、自前の名刺まで作っていたという。そんな物を持ち歩くような人間でないことくらい、知り合いならだれでも分かるというのに。
        世界が腐っているのは知っていたが、腐るならばそんな中途半端な腐り方ではなく、朽ち落ちる程まで徹底して欲しい。
        俺はため息を吐いて、今回の顛末を締めくくった。

      • そういえば、オレ知らなかったんだけど。
        この事務所、前の代にそのジャック・ザ・リッパーいたんだってな、スネイルさん。
        -- レィジー
      • お前、もう少し発言に気を使ったほうが、いらない敵を作らないと思うぞ。 -- スネイル
      • なんだよー、やっぱ知ってたじゃん、ずりーよオレだけ知らないとか。
        知ってたらもっとこう、楽しくなってたかもしれないのにさぁ!!
        -- レィジー
      • ボクも、ある程度は知っていましたけど、スネイルさんが話題に挙げないので遠慮してました。
        もし、可能なら事務所の風評対策や方針に活用出来そうなので、聞かせて貰いたいのですが。
        -- カイセ
      • 人物像は、ある程度ならヌマル組長から聞いている。ただ、それだけだ。
        興味が無いわけじゃないが、俺はそれ程聞きたいわけじゃないな。食指が動かない。
        -- ウィレム
      • ……いつかは話さないといけないとは思っていたが、結局今になって、だな。
        すまん、先に話していれば多少なりとも混乱は避けられたかもしれない。
        ただ……俺も、あいつのことはどう話していいのか、少し整理が付かないところがあったんでな。
        -- スネイル

      • その時、胸ポケットが震えた。
        話す意思があるとわかった途端、三人が前傾姿勢になってくるのを手で押しのけ、鳴り出した端末を開く。
        そこに踊っていた名前に嫌気を感じながら、通話ボタンを押す。

      • 『可愛いルゥちゃんだと思った? 残念!! イケメンでしたー!!
         おっとこの残念はイケメンに掛かっているわけじゃなくて残念なスネイルの気持ちを代弁した残念であることを注釈しとくよ。
         レィジーくんいるー!? キミの足を治療したデランデルお兄さん(イケメン)だよー!!』
        -- デランデル
      • わーい!! デランデルお兄さんだ!! 今すぐ死んで!! お願いします!! -- レィジー
      • 『――俺が死ぬとき、それはこの世から愛が潰える時。
         世界から愛(I)が消えたとしても、その前にはHがあるという。おいおいしかもその前にはGがあるって意味深じゃない?
         下ネタも嗜むイケメン、下イケ。流行るーっ!!』
        -- デランデル
      • うわー!! すげー!! 生理的に無理ーっ!! -- レィジー
      • おい、イケメン。あんまりうちの所員で遊ぶな。
        レィジーも、はしゃぎ過ぎだ。足悪化したらどうする。何の用だデランデル。ウィレムとレィジーの治療費は振り込んだだろう。
        -- スネイル
      • 『前の所員の時と違って、明朗会計で助かるよ。延滞も殆どないし。
         いやー、なんか昔を思い出すよね、その少年だらけの大所帯。その代わりスネイルが一気におっさん臭くなったけど。
         角が取れて丸くなっちゃったんじゃないの、昔はキレたナイフみたいだったのに』
        -- デランデル
      • ……他人の古傷を簡単に抉ってくれるな。お前こそもう少し歳相応に落ち着いたらどうだ。
        料金の催促でなければ何の用だ。おい、カイセ、暇だからって俺のサングラスを取るな。
        ウィレム、晩飯の前に携帯食料で腹を満たすな。これから作る。少し待て。
        -- スネイル
      • 『なんか今久しぶりに会った友達が昔みたいに遊ぼうと誘ったら家庭を理由に断ってきたみたいな寂しさを感じてる。なんだろうこの切なさ。
         あー、なんかキティ帰ってきたって聞いたけど、そっちにいるの?』
        -- デランデル

      • その発言に、嘆息する。少し騒がしくなってきた所内に、反対の耳を塞ぎながら言葉を返す。

      • ……今丁度、その話をしていたところだ。あの一件を片付けたのはうちの所員でな。
        偽物が出てくるまでになるとは、いなくなっても人騒がせな奴だと、俺も思うよ。
        -- スネイル
      • 『あー、れ? 偽物だったの?
         なんだよ、がっかりさせんなよー、生きてたのかと思ってイケメン喜んだのに。言ってやりたいこといっぱいあるのにさー。
         あれ? でもなんか俺ヌマル組長、じゃない、組織会長にサシで飲んだとか聞いたけど、それも偽物だってこと?』
        -- デランデル
      • ……? ヌマル組織会長と……?
        それは、いつの話だ? 偽物と会長が呑んだのか?
        -- スネイル
      • 『そりゃ、ついさっきだよ。だから通信してみたんだもん。帰ってきてるって分かったらそりゃそっちに通信掛けるって。
         なんか、帰ってきてすぐ会長に捕まったらしくて、しばらく呑んで、さっき開放したらそっち行くって言ってたって上機嫌で。
         今事務所どうなってるのかって聞いてきたからスネイルが使ってることバラしたら滅茶苦茶笑ってたけど目だけ笑ってなかったってさ』
        -- デランデル

      • 頬を、嫌な汗が伝う。
        何か、会話に決定的なズレを感じていた。
        それを整合してしまうと、どうにも嫌な結論が導き出されてしまう類の、何かが。
        俺の掛けていたサングラスを奪い合って殴り合いをし始めた三人に注意することすら出来ず、俺は固まったまま端末に尋ねる。

      • ……一つだけ聞かせてくれ。
        片手、義手だったかどうか、聞いたか……?
        -- スネイル
      • 『ああ、それそれ。
         何か自慢気に見せてくれたって言ってた。キティこそいくつになっても変わんないよな。メカ気取りかよ。
         本人も、いつも長ドス指してた方の、「利き手と反対の手」だから、まだ良かったって言ってたとか。そういう問題じゃないだろうに』
        -- デランデル

      • ――その、脳天気なデランデルの声の裏で。
        誰かが、階段を上がってくる音が聞こえた。
        ここの事務所は、安普請なので、誰かが階段を上がってくるときや降りる時は、必ず音が鳴る。
        いつもは、依頼者が来る時の心構えをする時間を与えてくれるその音が。
        何故かその時は死刑台に死刑囚が上がってくるのを上から見ているような、不吉な気持ちにしてくれた。

      • ……デランデル。後でかけ直す。
        来客があったみたいだ。
        -- スネイル

      • 強引に言い、端末の通信を切り、ポケットに仕舞う。
        俺は、息を整え、蛇腹剣とショットガンの位置を確かめる。
        その間にも、階段のぎしり、ぎしりという音は2Fへと徐々に登ってきている。

      • ――ウィレム。レィジー。カイセ。
        仕事を与える。これは、俺からの依頼だ。断ってもいい。
        -- スネイル

      • 俺が神妙な顔で言うと、三人は即座にソファに正座し、話を聞く姿勢になる。
        静かに、声を落として、所員に告げる。

      • 今から、この事務所に『敵』が来る。お前たち三人が束になって、漸く勝てるか勝てないかくらいの『強敵』だ。
        そいつは、俺たちの事務所を奪いに来る。平和で、善良で、穏やかな日々を壊しに来るんだ。
        だから、依頼をする。その強敵から、この事務所を守り、その相手を死なない程度に痛めつけろ。
        死ななければどうなってもいい。多少本気で掛かってもいい。それくらいの相手だからな。
        ……出来るか。
        -- スネイル

      • 俺が言うと、所員は三人とも同じタイミングで、無言で頷いた。
        三人の目が仕事人の目へと変わる。カイセは短剣を握り、ウィレムが銃を構え、レィジーが折れた足のギブスを叩き壊しながらステップを踏む。
        俺も、蛇腹剣を抜き、事務所のドアを向けて構えた。

        ――何年待ったと思ってる。
        ――何年、お前の代わりを務めてやったと思ってる。
        それに比べたら、安い歓迎だと思え。俺が思っているより甘い日常を送っていたなら、それを切符に地獄へ落ちろ。
        俺は、笑い出しそうな頬を抑えながら、この事務所の所長として、その数字をカウントする。

        何も知らない哀れな子猫は。
        ――その『天国への扉』をノックするために、一段一段、階段を登ってきている。

      • ――ミッションカウント。
        -- スネイル
      • 5。 -- スネイル
      • 4。 -- スネイル
      • 3。 -- スネイル
      • 2。 -- スネイル
      • 1。 -- スネイル

      • 【――0。】
  • 【KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR 6】
    • 分かった。任せろ。もう大丈夫だ。全部委ねて楽になれよ。
      諸条件さえ貰えれば、後はこっちでどうにかする。面倒事は全部引き受けよう。
      どんな厄介な事案でも、一つ残らず正しく納め、バラして解して並べ替え、見栄えのいい華を添えてやろうじゃないか。
      伊達で策士なんか名乗れるか、酔狂で脚本家なんて謡えるか、生半可で参謀なんか背負えるか。
      カイセ・ミツェーリという名前を冠している時点で、そんな甘えは許されない。笑って嗤って哂わせてやろうじゃないか。
      レィジーは足を折っていて近接戦闘が出来ない。ウィレムは指を折っていて精密射撃が出来ない。
      悪条件は出揃って、出揃ったところでこんな物だ。こんなものスパイスにもなりはしないのに、丁寧に配置してくれてどうもありがとうと言いたい。
      後はもういい、こっちで勝手に読む。待たせることもない、即興がボクの持ち味だ。
      適当に演奏してくれれば、それをセッションに仕立て上げてみせるさ。そうして共に流す汗が、皆の笑顔が、全てを愛するボクの喜びであり、悦びであるのだから。
      ――さあ、始めよう。誰もが望む結末を、策士たるボクが書き改めてあげるから。

      • ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

      • 男は、その部屋に入り、電灯のスイッチを押す。僅かに遅れた反応で、廃ビルの中に電灯が灯る。
        立ち並ぶ廃ビルの中で、唯一電気の通っていたその部屋を、男は根城にしていた。
        彼の生活には電気が欠かせない。少なくとも他の手段で満たす事が出来る水道よりも重要なライフラインだった。
        それがなければ彼という人間は維持出来ないと言っても過言ではない。
        いくつかの転がる家具を跨ぎながら、部屋の奥へと進む。
        妙な子供に絡まれたせいで、余計な時間を食ってしまった。
        懐から便利屋ザック・ザリップスという名前の印刷された名刺を名刺入れごとテーブルに置き、上着を脱ぐ。
      • ――ふと。
        そこで、置いた覚えのない物がテーブルの上に乗っていることに気づく。
        それを手に取ると、手にとった瞬間を狙ったかのように、それは音を奏で始める。
        男はその置いた覚えのない端末を耳に当て、通話のボタンを押す。

      • ――初めまして。
        カイセ・ミツェーリと言います。ザック・ザリップスさんの番号で間違いないでしょうか?
        -- カイセ
      • ……誰だお前。
        いつの間にこんなもん置いていった。
        -- ザック
      • それぞれに簡単に答えるなら、ボクは先ほどイジメられた二人の少年のお目付け役みたいな感じかな。
        普段実はボクらは三人一組、スリーマンセルで動いていてね。ボクが作戦指揮、金髪のレィジーが近接戦闘、赤毛のウィレムが遠距離狙撃と、それぞれの役割を担ってるんだ。
        なのでまあ、あいつらがケチョンケチョンにやられるっていうのも無理からぬ話だなと納得してもらえると嬉しい。何せ無策で突っ込んでいったようなものだしね。
        二つ目の質問にも簡単に答えると不在時かな。
        まあボクが透明人間でもない限り在宅時にそこに置くっていうのは流石のボクでも難しい話になってくるしね。
        -- カイセ
      • 質問を一個増やしてやる。
        重度の自殺願望とかあるのか?
        -- ザック
      • 特には。殺したいと思ったことはあっても死にたいと思ったことは余り無いね。
        呆れて切られる前に目的を先に伝えておこうと思う。
        今から三人で、貴方を殺しにいく。気をつけたほうがいいよ。
        何回も言うようだけど、ボクらはそれぞれ一人でもまあそこそこにはやれるけど、三人が同じ方向を向いたときが一番強いとボクは思ってるから。
        真正面から不意打ちで、正々堂々騙し打つから、そのつもりで。
        -- カイセ

      • ミシリ、と。
        端末が音を立ててヒビ割れる。
        つながったままの通話で、男はその声の主に問う。

      • お前、オレを舐めてるのか?
        -- ザック
      • 舐めてるよ。正直。
        お前じゃ、ボクには勝てない。ボクは今のこの条件下で、お前に勝てないと思わないから。


        ――偽名を使うような臆病な殺人鬼に、ボクが後れを取るとでも?
        -- カイセ

      • 無言。
        電話越しの相手が薄く嗤ったのが、見えるようだった。

      • ……反論もなしか。本当に面白くもなんともない男だな。
        ただ偶然強かっただけ、ただ偶然腕力に恵まれていただけ、ただ偶然レィジーやウィレム単体では勝てなかっただけ。
        本当に、全然全く面白くないよ。今回ばっかりはボクが脚本家で良かったな。
        その部屋の中に撒き散らされた死体。ああ、お前にとっては家具のつもりなのかもな、その作品の為にジャック・ザ・リッパーを騙ってるだけの変質者を、ボクが怖がるとでも?
        さっきも作りかけの家具を跨いでたみたいだけど、本当に愛着のある作品なら地面になんて置かずに机の上にでも置けばいいのに。そんなところに置くから、勘のいい誰かが気づくのさ。
        -- カイセ

      • ウィレムやレィジーから聞いたよ。条件としてはそれで充分だった。
        色々ダメ出ししてみてもいいかな、ついでだし。整合性が取れていないのは気持ちが悪いんだよ。
        初代ジャック・ザ・リッパーについて少しでも調べてみたかい?
        ボクが、お前の正体がジャック・ザ・リッパーかもしれないって情報をウィレムに教えて貰ってから今までの間でも調べられたことを、何で調べないんだ?
        なあ、ザック・ザリップスのつもりなんだろう、お前は。
        だったら、彼が光を反射しない烏色の髪の毛をしていることも知ってるだろう。昼下がりの太陽の光を反射するなんておかしいんだよ。染めた黒髪と生まれながらの黒髪の違いだな。
        それにな、ザック・ザリップスが元所員のシズとの戦闘で失った四指は左手の物なんだよ。何でお前は右手が義手なんだ?
        調べれば調べるほど破綻が見えてくるのは、お前が長い間根城をそこにするつもりがないからで、いざとなればトンズラしようとしてる何よりの証拠だ。
        ザックの名前を借りれば罪はその男に擦り付けられるし、そのネームバリューがあれば民間でお前を捕まえようとする者への牽制になる。
        ここから貧民街も近いから、お前の作品の素材、言うなれば餌も豊富にある。
        最初から逃げることを前提にしか考えていない、ただ強いだけのお前に、ボクらが負けるとでも?
        舐められないとでも思ったか。だったらそれは、間違った視点だよ。ザック・ザリップスですらない、何か。

      • ――言うが早いか、死の悲鳴が長く聞こえ、咄嗟に後ろに跳んだが逃げ遅れた手の中の端末が空中で弾け飛ぶ。
        違う、最初から精密な射撃で、手の中の端末だけを狙った一撃だった。
        狙撃手というだけはある、だが今ので弾道は読めた。
        そして潜伏位置も把握出来た。持久戦に持ち込むのならばそれもいい、いくら頭がキレるとはいえ、子供と大人では体力にも差がある。
        男はミシリと盛り上がる筋肉を抑えるように腕を鳴らし、大きく息を吐いた。
      • 相手もそのつもりはないだろう。何らかの策を以ってくるつもりだということは理解できる。
        その気になれば狙撃で一撃で終わらせる事もできたはずなのに、そうしなかったことには理由があるはずだ。
        例えば、端末に気を取られている状態でなければ標的に当てる事が出来ない程度には、狙撃手は傷めつけられていること。
        先ほどの交錯で指に対して行った蹴りはそれなりの手応えがあった。今の狙撃もヘッドショットを狙ったのだとしたら、狙撃手のダメージは大きい。
        今の一撃は最悪食らっていても即死の攻撃ではなかった。その精度では、金髪の少年が近接戦闘を仕掛けた合間には、自分だけを狙う事は出来ない。
        ましてそれが、足をへし折られている少年であるならば、味方への誤射を恐れて引き金など引けまい。
        少しずつ、状況が自分に有利な材料だらけであることに内心笑み、腕を鳴らす。遮蔽物で身を隠し、狙撃を避けている今、採ってくる策など、一つしかない。

      • ――暗闇が生まれた。
        電灯のスイッチを誰かが触り、暗闇に乗じて影が踊り出る。
        読めている。男は姿勢を低くしてその小さな影が繰り出してきた攻撃を避け、カウンターを放つ。
        狙うは軸足。片足を折っているなら、そちらの足で跳ぶ事は出来ないし、その足で防御など出来ないだろう。
        だが、その小さな影は、僅かな動作で浮き、手に持ったナイフで正確に頸動脈を狙ってくる。

      • ……ッ、てめえ……ッ!!
        -- ザック
      • ―――ッ。 -- ウィレム

      • 浅く、ナイフが侵入してくる感触があった。首筋の血管を皮一枚剥ぎ取るその一撃に、首元から血が溢れる。
        片手でそれを押さえ、トドメを刺そうとしてくる赤毛に向かって力まかせに蹴りを見舞うと、それを見越していたかのように赤毛の少年は後ろへ跳ぶ。
        ――男の肩口に衝撃が走った。
        馬鹿な。狙撃手はここにいる。誰が狙撃をしているんだ。
        痛みで吠えながら地面に落ちた作品を力任せにウィレムに向かって投げ、廃ビルの一室が揺れる。ウィレムは怯まず、ナイフを構えて飛びかかる。

      • ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

      • ……だからさ。
        舐めるのはこっちだって、言っただろう?
        充分、忠告したつもりだったんだけどな。
        -- カイセ

      • ザックとウィレムが争うビルより彼方、狙撃銃に次弾を装填しながら、カイセは鼻歌混じりに独り言を呟いた。
        スコープ越しに見る世界は、普段見ている世界より狭く、中々に興味深い。

      • 確かにさ。ウィレムはうちの優秀な優秀な、ボクの愛する狙撃手だよ。
        でも、狙撃手が一人いるからって、他の人間が狙撃出来ないと思うのは、かなり浅はかだと言う他ない。
        それに、狙撃手が近接戦闘を出来ないと思うのもそうだし、近接戦闘が出来る奴が指揮を出来ないと思うのもそうだよね。
        ボクが作戦指揮、近接戦闘、遠距離狙撃っていうのを強調したからって、その通り、セオリー通りに行くわけないだろう。
        そういうのを、奇策って言うんだよ、もう機会はないかもしれないけど、覚えておくといい。
        -- カイセ

      • カイセはスコープ越しに二人の戦闘を眺め、小さく呟く。
        耳にしている小型のレシーバーからは、レィジーからの詳しい状況と射撃指示が送られてきている。
        全く、何をやらせてもそこそこにこなす所が、あいつの忌々しいところだ。本気で愛しているし、本気で死ねばいいと思う。カイセは笑顔のまま内心で毒づく。

      • ボクらみたいな人間はね、他人を必要とするときは、その他人がいるとプラスになるときだけなんだ。
        ボクらみたいな生き方をする者が、他者がいなければ存在も出来ないとでも思ったのかなぁ。
        そう思われてたら、心外だ。ボクは、他人と同じ時間と同じ楽しみを共有するために、他人を愛しているだけで、その誰かがいなければ存在できないなんて、一言も言っていないのにな。
        お前みたいな、他者を食い物にして自分のやりたい事だけを家具だのなんだの言って創りあげようとする人間には、一生理解出来ないだろうけどね。
        ……ボクは、そういう意味では、他の二人を信頼しているんだよ。他に信頼していることなんて、もう一つしかないけどね。
        -- カイセ

      • その笑顔は、どんな言葉を口にしても崩れることはない。
        ただ、冷酷に、冷徹に世界を見極め、策と柵の中に納めようとする、変質的な彼の、彼女の妄執だけがそこにあった。

        ――その時、どこか別のビルの上から指示を出しているレィジーが「マズイマズイ」と騒ぎ立てる声がレシーバーから聞こえてくる。
        策士が慌てた声を出すなよ、と思いながら、スコープでウィレムたちの姿を見る。

      • ……まあ、そうだな。
        奇策っていうのは、奇襲には向いてて、意表は突けるけど、地力で負けてると中々思い通りには行かないものだからな。
        -- カイセ

      • ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

      • ウィレムという少年が行うCQBは、訓練を重ねた大人と比肩して遜色ない練達の技術と認めて良かった。
        だが、そこ止まりだ。如何にプロの技術を持っていようが、膂力と体力で負けていては、話にならない。
        基礎的な能力では先に手を合わせたレィジーの方がまだ手こずらせてくれた。
        あちこちから出血はしているものの、男はウィレムが息を荒らげているのを見て、潮時を見極めていた。
        狙撃は遮蔽物を以ってすればどうとでもなるし、ウィレムの近接はそれを専門にする者よりも劣る。
        意表は築かれたが、それだけだ。
        そもそもが、意表を突く作戦で来たのならば、最初の狙撃でトドメを刺すべきだった。
        だが、今の狙撃手にはその技術がない。
        先ほど肩口に食らった狙撃も、本当ならばヘッドショットを狙ったそれであったのだと断言できる。

      • ……無能な指揮官の下、色々させられるのはご苦労だな。
        -- ザック
      • ……それは、同意する。 -- ウィレム
      • 『おい』 -- カイセ
      • 成る程な……その耳のやつで通信取り合ってるのか。
        どこかで眼の役割をした策士が状況を伝えているから、正確な狙撃ができる、か。中々いいチームだな。
        残念ながら、練度が全然足りない上、負傷者二名を抱えた状態で、オレを殺すことは出来なそうだが。
        -- ザック
      • 『そう言ってくれるなよ、信頼に値する、愛するボクの仲間なんだ』 -- カイセ
      • 勝手に外と会話出来る音量に切り替えるなよ。耳が痛い。 -- ウィレム
      • 万全の時なら、どうなってたか分かんないが、悪いな、お互いの人生が掛かってるんだ。
        そろそろ潮時だと思うことにする。挑発すれば正面から向かってくると思ったなら悪いな。
        ――大人は、有利な状況でも、平気で逃げるんだよ。
        -- ザック

      • 言いながら。
        男は、ウィレム達を追いかけていたときと同じように、廃ビルの壁を蹴破った
        戦いの中、蹴破れる大きさの壁が背中になるように、誘導していたことには気付かなかったらしい。
        土煙をまき散らしながら、男は壁の向こうへと跳ぶ。

      • カイセは、狙撃のスコープを覗いたまま、言う。

      • 『まあ、どれだけ愛していようが、二点だけだけれどね、信頼出来る事は』
        『一人で大抵、何でも出来る事と』
        『絶対に、思い通りに動かす事は出来ない事、だよ。
        思い通りに動かないことすら、策に含めれば良い話だけどな』
        -- カイセ

      • ウィレムは、ナイフを仕舞い、フードを取りながら、言う。

      • 与えられた役割を、全うするだけだ。
        それが、面白いことが前提だがな。
        俺も。――あいつも。
        -- ウィレム

      • レィジーが。
        壁をぶち破ってくることを見越して、カイセの指示を裏切って、作戦指揮の役割を放棄し
        ただ、そうした方が面白そうだという単純な理由だけで、屋上に待ち構えていたレィジーが。

        屋上から、折れた方の足を突き出して、男の延髄に向けて飛び降りながら――言う。

      • ヒルベルト流暗殺術ッッッ!!
        ロケットパーーーーンチィッ!!!
        -- レィジー

      • 狙い通り。
        延髄は踏み抜かれ、加速度を一箇所に受けた男は脛骨を粉砕され、一瞬で絶命し。
        壁が崩れる土煙の中に、それはそれはいい笑顔のしろスーツの少年と共に、消えていった。
        地面に大きな肉が叩きつけられる嫌な音が響いたが、ウィレムは聞こえない振りをした。

      • 『……やっぱり、つまらないよなぁ。2点。』
        -- カイセ
      • 採点が甘い。1点だ。 -- ウィレム
      • 『前回より1点増えてるけど、評価できる点って何よ』 -- カイセ
      • 簡単だ。……必殺技は、技名を叫ぶ。
        常識だろ。
        -- ウィレム
      • 『納得した』 -- カイセ
      • ……スネイルさんになんて言い訳しよう。
        まさに1Gにもならない仕事だった。……レィジーが死んでるかどうかで賭けるか。
        死んでるに1G。
        -- ウィレム
      • 『適当に言い訳しとくよ。
        じゃあこっちは、死んで欲しいに1G』
        -- カイセ

      • 軽口を叩きながら、階段を降りていく。
        どんなに願っても、どんなに期待しても、いざというときだけは期待を裏切る少年は、きっと生きているだろうといううんざりした気持ちを抱えて。

      • 【つづく】
  • 【KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR 5】
    • ウィレムとヌマルの酒宴は二時間ほど続いた。後半はエールを回していただけで、少なくともウィレムは酔いを感じることもなく、解散となった。
      戦術論、組織論、酒の席に載せるには余りにも重い話題の半分以上を地面に吐き捨てながら交わした酒は、それなりに面白かったと言える。

      酒場からの帰路の途中、背後から一定間隔を保って追ってくる誰かの存在に気づく。
      その相手は自らの存在を特に隠すことなく、尾行していることが相手にバレていることを知りながら跡を着いてくる。
      ヌマルの刺客、長崎剣友会の者かと訝しんだが、ここに於いてヌマルがそんな刺客を自分に差し向ける理由が思い当たらない。
      しばらく泳がせるように路地裏をいくつか右折左折と繰り返したが、やはりその気配は着いてくる。
      厄介な事になりそうだと、フードを被りながらウィレムは小さく嘆息した。
      • ウィレムが腕を振ると、袖の内側に縫い付けられた小型の銃が二丁手の中に収まる。
        互いの距離は10mもない。基本的に銃という武器は先手必勝の武器だ。
        対処を取られる前に一瞬で決めるか、距離の制圧力で相手の武力を抑えこまなければ逆にそのレンジが不利となる。
        祈るように心臓に一発、眉間に一発、確実な死を以って追跡に応えようと振り返ったところで、誰かが振り回す脚が思わず屈んだ頭の上を通過して、流石の少年も焦りを感じた。
        背後から蹴りを加えてきた少年もまた、自分の攻撃した相手が「顔見知り」だったことに驚いた様子で蹈鞴を踏み、顔面から地面に倒れこんでひっくり返る。

      • 何ッでっ、ウィレムだよっ!
        -- レィジー
      • こっちのセリフ以外の何物でもないだろ。 -- ウィレム
      • 違っ、聞け、お前着けられ――。 -- レィジー

      • 何事かを弁明しようと両手を広げたところで、その言葉が途切れる。
        同時に、地面が破砕する破壊音が響き、ウィレムの視界に大きな影が入り込んでくる。上から下まで黒尽くめの男が、あろうことか斜め上からレィジーの背中に着地したことが理解できた。
        背骨ごと地面を踏み抜かれ、馬車に潰された蟇のようになったレィジーの姿は無視して、ウィレムはその黒い影を見る。

      • ――ああ。
        相変わらず物騒だな。ここ。
        流石に、いきなり蹴り入れてくる餓鬼がいるとは思わなかった。
        -- ???

      • 黒い影がフードを取る。昼下がりの太陽の光を反射して、汚らしく纏められた長髪が零れる。
        無精髭も汚らしく、ウィレムが良く見ればその黒い影は何の変哲もないガタイのいいおっさんで、眠たげな目をこちらに向けてきていた。
        ウィレムは眉根を寄せて、その男を睨みつけていると、黒尽くめの男はそれに気づいたように口元だけで嗤った。

      • 悪いな。囮に丁度良かったから、利用させてもらった。
        ずっとこの金髪がオレの後着けて来てな。どうにかしてやろうと思ったんだが、まあ助かった。
        この街じゃ礼を言う方が足元を掬われるってのは良く知ってるが、一応礼を言っとく。
        -- ???
      • 15:20:23。 -- ウィレム

      • 男の言葉に返事をせず、ウィレムは唐突にそんな言葉を口にした。
        はぁ? と問い返す男の足の下で、潰れた蟇のような声が笑声と共にその言葉に応える。

      • 15:22:44。
        -- レィジー

      • ――瞬間。いくつかの交錯があった。
        躊躇わず撃ち出したウィレムのデリンジャーは黒尽くめの男の眉間と心臓に向かって放たれた。
        まるでそれを分かっていたかのように両腕でその弾を受け止めると鮮血の尾を引きながらウィレムに向かって男は身体を倒した。
        それに合わせて足の下にいたレィジーが吠え、大声で叫びながら両手で軸足を払った。
        体勢を崩した男はレィジーの顔面を踏みつけようとしたが、驚異的なバネで起き上がったレィジーは一気に男の顔の位置まで飛び上がって、顔面を蹴りつけようと足を振り回す。
        全く同じタイミングでウィレムがデリンジャーを捨てて脇差しのハンドガンに手を伸ばしたところで、何かが物凄い速度で飛んでくるのを、今度はかわしきれずに正面から受け止めてしまい、もんどり打って倒れる。
        自分の身体の上に覆いかぶさってくるそれが、蹴り足を掴まれて投げられたレィジーという名前の役立たずであったので、
        拳銃を向ける先をそいつの頭にしてやろうかと思ったが耐えて、正面に向ける。
        男はいない。声は上から響いてきた。

      • ああ。成る程な。
        尾行に気づいた時間と、尾行を始めた時間か。
        オレが金髪の尾行を巻くために赤毛を尾行してたんなら、その時間が前後するのはそりゃ不味いわな。
        ……咄嗟に思いついた嘘にしては上出来だったと思ったんだが、何なんだお前ら? ただの餓鬼じゃないのか?
        いきなり撃ってきやがって。この義手、どんだけ金掛かってると思ってるんだ。
        -- ???

      • 路地裏に、カラン、カランとデリンジャーの弾が落ちてくる。片方は血に塗れ、片方はへしゃげている。
        貫通力の少ない弾丸とはいえ、正面から食らって平然としている男の正体が掴めない。
        ウィレムは周囲を伺いながらレィジーの身体を押しのけ、純粋に苛立ちで一発鳩尾につま先を叩き込んでから再び周囲を見回す。

      • 目的は何だ。俺に何か用か。
        -- ウィレム
      • 別にお前みたいな餓鬼に用事もクソもないんだよ。オレは単に道とかこの街とか、今どうなってんのか聞こうとしただけだ。
        そしたら等間隔開けて足早に逃げやがるからなんか面白くなって追いかけてたらいつの間にか金髪が尾行してきやがって。
        ムカついたから蹴り加えて去ろうと思ったらお前が銃ぶっ放してきたんだろうが、なんか腹立ってきたぞ、この野郎が。
        -- ???
      • どっちがガキだよ。もう少し感情のコントロール出来るようになってから大人名乗れよ、バーカ!!死ね!! -- レィジー

      • いつの間にか復活していたレィジーが隣で叫ぶので、ウィレムは片耳を塞ぐ。

      • アァ!? ガキにガキとか言われたくないんだが、何様だこのクソ白スーツ坊主が!!似合ってねえんだよハゲ!!
        いきなり顔面蹴りつけてこようとするのは大人とか子供以前に人間のクズだろうが!!
        言っとくけどな――オレは争い事が、大嫌いなんだよ!!
        -- ???
      • いきなり他人の背中踏みつけといて争い事が嫌いとか訳わかんねーこと言ってんじゃねーぞ!! 『減塩しお』くらい意味わかんねーわ!!
        いってえ背骨折れるかと思っただろ、ていうか二、三本折れたわ背骨!! 弁償しろよ!!
        -- レィジー
      • 誰がするかよ!! ちなみにいくらだ!! -- ???
      • 額に拠るのかよ。 -- ウィレム
      • 50Gは貰わないと気が済まない!! だって二、三本折れたんだぞ! -- レィジー
      • 本で数えるなら人間の背骨は誰もが一本だが。 -- ウィレム
      • ねえよ!! そんな金!! -- ???
      • 額に拠ったよ。 -- ウィレム

      • 呆れて言葉をこぼしながら、ウィレムはハンドガンを構え直す。
        恐らく、男はどこかの廃ビルの中に潜んで、こちらの動向を伺っているのだろう。
        さっきのレィジーに浴びせた急降下もどこかの窓から飛び降りることで実現した物だと踏んだ。
        一瞬でそこまで飛び上がる脚力は超人のそれと言ってもいいが、その程度ならコツを掴んだレィジーでも可能だ。
        レィジーでも可能だということは、自分の銃でも充分に殺す事が出来るということだ。

      • しかし、まあ。
        ――借りは返すのが主義だからな。
        -- ???

      • その言葉を引き金にして、周囲に掘削音のような物が響く。
        音の出処を探り、振り返った時に気づく。男はビルのどこかに逃げ込んだわけではなかった。
        男は、その脅威的な脚力で壁に穴を開けながら壁を走っていた。重力の加速も手伝って、破壊と言っていい程の速度でビルの側面を荒らしながら、ウィレムへと向かってくる。
        咄嗟に銃を上げようとしたのが不味かった。
        掲げた腕お思い切り蹴られ、それに引っ張られるようにして身体が回転し、肩が嫌な音を立てて外れる。
        反対の腕で懐から銃を取り出そうとしたところで、顔面を何か温かい物が覆い、地面に叩きつけられた。
        顔を掴まれ、地面に叩きつけられたと気づいた時には、既に視界を横切るようにしてレィジーが躍りかかっていくところで、舌打ちをしながら距離を取る。
        男は、岩をも砕くレィジーのコツを飲み込んだ打撃を、鼻歌混じりに捌いている。
        その異常な光景に、脳裏に閃く物があった。
      • 酒の勢いで、ヌマルが口にした言葉があった。
        何でも、この街ではジャック・ザ・リッパーという殺人鬼が今も生息していて、人を殺して回っているのだという。
        その正体は未だ流言飛語飛び交っているがこれといった確証なく、ヌマル組織会長の古い友人も疑われたことがあるのだと。
        そして、そのジャック・ザ・リッパーが、最近また活動を活発にしてきていると。

        他者を尾行し、人気のないところに誘い出し、有無を言わせぬ力で狩り取る。
        久しぶりに戻ってきたという、黒尽くめの男の言葉から推測して、その男の正体は。
        ウィレムは銃を向け、その男に向かって銃弾より先に言葉を放つ。

      • お前は。
        ――昔この街にいた、ジャック・ザ・リッパーか。
        -- ウィレム

      • ――その言葉に。
        男の動きが止まり、動きが止まったから、レィジーの放った蹴りが顔面に突き刺さった。
        男はゆっくりとその足を掴み、ウィレムにその目を向けた。

      • ……ア?
        -- ???

      • ――野生の獣が。獲物を標的と見定めた時のような、そんな眼だった。
        思わず銃を構え、先ほど蹴られた指の痛みに一瞬だけ気を取られた瞬間、男は一歩で間合いを詰めてきた。
        引き金から指を離して回避行動を取る。男は、レィジーの足を掴んだままその身体を叩きつける事で攻撃をしてくる。
        レィジーの体重などものともしない膂力で、少年の身体は大型の槌のように振り回される。
        地面に二度三度叩きつけられるそれをギリギリでかわすと、そこで漸く拘束から逃れたようでレィジーが顎を蹴りつけてウィレムの方へと跳ぶ。
        男は蹴られた顎を押さえながら、ゆらりと身体を揺らした。

      • お前。
        今なんつったよ。そっちの赤毛。
        ……オレが、何だって? -- ???

      • 事情は分からない。
        ただそれが、相手の逆鱗だということは理解できたし、自分がそれに触れてしまったことも理解できた。
        指先の痛みに意識を向けなければ飲んだ酒すら吐き戻してしまいそうな圧迫感に、喉が大きく鳴った。
        血だらけのレィジーが額を拭いながら、同じ心境でその男を見ている。
        男は大きく息を吸うと、小さく嗤って、義手であるのだろう、銀色をした右手の指の隙間からこちらを見、呟いた。

      • オレをジャック・ザ・リッパーと呼んだか……?
        ――正解だよ。糞ガキども。
        -- ザック

      • ――弾かれるように、ウィレムは後方へと跳ぶ。同時に跳躍したレィジーが彼の腕を掴み、ビルの壁を登る。
        策などではない。ただ単純に、その圧力に押し出されるように『逃げる』ことを選択した。
        そうするべきだと本能が訴えかけて来るのを、無視し続ける事が出来なかった。
        少なくとも、俺達以上に修羅場を潜って来ているであろうあの男、ジャック・ザ・リッパーを相手にして、満身創痍の二人では分が悪い。
        元より、スネイルからは1Gにもならない揉め事は起こすなと言われていたが、そんなレベルの話ではなかった。
        ただ単純に、真正面からやりあった時にただじゃ済まないことが理解出来たからこそ、何の合図もなしに二人共逃走を選択できただけの話だ。
        窓からビルの2Fに逃げ込み、窓から窓へと飛び移るようにして逃げるが、足元を揺るがすような破壊音が追いかけてくる。

      • おいマジで洒落にならん、あいつ直線で向かって来てやがる。
        壁を蹴り飛ばして破壊しながらまっすぐここに来ようとしてるぞ!? 馬鹿も極まるとすげぇな!?
        -- レィジー
      • お前も大概だと思うがっ……規格外だ、あいつは異常過ぎる……っ!
        あんなのと戦りあうくらいなら地雷原でタップダンス踊ったほうがマシだ……っ。
        -- ウィレム
      • 裏掻くぞ、一か八かだ。進行方向を誤魔化すっ!
        一二の三であいつが来る方向に向かって走り抜けるぞ、ウィレム!! カウント頼む!!
        -- レィジー
      • お前にしては気が利いてるな、いくぞっ、一、ニの、三ッ……! -- ウィレム

      • ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


      • 破壊音。
        2Fと1Fの間にあった床が天井にまで吹き飛び、粉々に砕ける。
        2Fの床に空いた穴から身体を覗かせ、腕の力だけで登ると、そこには誰もいない。
        男は顎鬚を撫でると、感心したようにほう、と呟いた。

      • ……ダミーの掛け声か。
        足音が聞こえるくらい反射音の凄い路地裏でやたら大きく叫ぶと思えば……中々咄嗟の判断にしちゃあ面白いな。
        逃げ足だけは一人前以上だ、一度ブラフに騙されてから追いかけることは不可能だろうな。
        ……久しぶりだな、この獲物を逃す感触。まあ、人生そんなもんかもしれないけどな。
        -- ザック

      • ガラガラと落ちてくる瓦礫の破片を手で払い、服についた砂を軽く払うと、男は大きくあくびを零した。
        肩を回し、ゴキゴキと骨を鳴らしてから大きく伸びをする。数日、ここを根城にしているがやはりそれほど寝心地は良くない。
        それでも、男にはここを拠点としなくてはならない理由があった。
        廃ビルの立ち並ぶそこは、貧民街にも近く、何かと食事に不便をしないのだ。
        やむを得ないとはいえ、余り表に顔を晒すことが出来ない自分は、そうやって生きていくしかない。
        たまに迷い込んださっきの子供のような相手を誂うのが唯一の楽しみといえば楽しみだ。
        男はその行為が、子猫が毛玉にじゃれつくような物であると理解しているし、結果、毛玉が使い物にならなくなることも知っていた。
        それでも、自分の性質を理解してさえいれば、その性質と上手く折り合いをつけて生きていくことは出来ると思っている。
        男はどこか上機嫌に廃ビルの中を歩いて行き、次の遊び相手が迷いこんでくるのを待った。

      • ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


      • ――上の階から音もなくレィジーが降りてくるのを見て、ウィレムは静かに息を吐いた。男の追撃に備え、ひと通り使えそうな武装を改め終えている。
        金髪の少年は首を振り、今のところ追走はしてきていないことを示すが、表情は苦々しい物になっている。
        少しばかり体重の移動がおかしいのがウィレムにも見て取れた。掴まれ、振り回された右足を捻っているか、もしくは最悪骨が折れている。
        なるべく負担がかからないような歩法で歩いているが、すぐに実戦となると流石のレィジーでも難しいだろうと冷静に読む。
        それは、レィジー自身も思っていることであるのか、どんな敗北の後でもいつもならリベンジと息巻くはずの少年の表情は硬い。
      • 白スーツの少年は迷彩服の少年の隣に座る。対照的な二人は片方が天井を見上げ、片方は床を眺めている。
        語るべきことはいくらでもあるはずなのに、言葉が出てこない。上手く感情を表現する言葉が見つからないのか、不自然な沈黙が横たわる。
        空気に耐えかね、レィジーが口を開く。

      • ……指は。
        -- レィジー
      • 中で折れてるだろうな。
        安心しろ、射撃は中指や反対の手でも出来る。
        -- ウィレム
      • ウィレムが後ろにいる、っていう前提を崩さない程度に100発100中に、か?
        こんなところで意地張り合ってもしかたないし、言うけど、オレ足首折れてる。
        無理やり歩いてるけど近接戦闘無理だぞ。次アレに遭遇したらどうなるかわかんね。
        -- レィジー
      • ……撤退するか。久々に負けたな。 -- ウィレム
      • だな。それが無難だ。何の得にもならない、面白みもないことやる必要なんかないしな。 -- レィジー

      • 再び沈黙が横たわる。
        レィジーがため息を吐き、ウィレムに問う。

      • あれが何か、知ってるのか?
        ジャック・ザ・リッパーとか言ってたけど、例の噂になってる?
        -- レィジー
      • その噂、元をたどれば一人の男が発端らしい。恩師を殺して、他にも何人か殺したとかなんとか。
        馬鹿みたいな腕力持ちで、最悪なことに俺たちが来る前の便利屋事務所の所員だったってな。
        酒の席で丁度ヌマル組長が言ってた。
        -- ウィレム
      • 組長って呼んだら餃子巻きにするぞって言われてるだろ。……前所員か、なんでスネイルさん言ってくれなかったんだろ。
        あー……なんなんだあいつ、コツ掴んでから近接戦闘で負けたのって初めてだぞ。
        -- レィジー
      • 相当な修羅場潜って来てるんだろう。銃弾を素手で掴むやつ初めて見た。義手とか言ってたな。
        良く分からないが、あれが噂通りのジャック・ザ・リッパーなんだったら、俺はもしかしたらその標的に選ばれたのかもしれないな。
        始末着けておくべきかもしれないが、公権力に任せよう。
        -- ウィレム

      • 言いながら端末を取り出し、自警団の番号を押す。
        ついでに二重賞金を掛けてもいいかもしれないと思いながら、コールを待つ。
        と、その後ろから、コール音を邪魔するようにレィジーが独り言を投げてくる。

      • ……きっとあいつ、自分が絶対に勝てると思ってるんだろうな。
        噂通りなら殺人鬼だし、しかもあの強さだからな。
        絶対に死ぬことはないと思ってるし、もしかしたら負けるとも思ってないんだろうなぁ。
        -- レィジー
      • ………。 -- ウィレム
      • 今が一番楽しくてさ、自分の好きなことやって生きてる実感があってさ、毎日充実してるんだろうな。
        それが、他人の迷惑の上に成り立ってるとか全然考えてもないんだ。
        生皮剥ぐ楽しさとか、骨から肉をそぎ落とす楽しさとか、悲鳴とか断末魔を聞く楽しさとか、そういう物しか頭になくて。
        加害者って気持ちいいもんな。ド級のマゾでもない限り、殴られるより殴るほうが楽しいに決まってるし。
        ああー、そんな奴の命乞い、聞きたいなぁー……。
        -- レィジー
      • ………。 -- ウィレム
      • 今この瞬間、絶対にオレたちには殺されないって思ってるだろうから、そんな相手から殺されかけたとき、あいつどんな顔するんだろうなー。
        言ってやりたいなぁ……お前に対して命乞いをしてきた被害者の声に、お前は一回でも耳を傾けたか?って。
        言ってやって、悔しがらせて、少しだけ救いみたいなものをちらつかせた後、世の中がゴミだらけだっていうこと、こんなガキたちに説教された時の顔、見たいなぁ……。
        ああ、いいや。見よう。
        -- レィジー

      • 金髪の少年は足を引きずりながら立ち上がる。
        窓際に歩いて行き、振り返って赤毛の少年を見た。

      • 見たい?
        -- レィジー
      • 見たい。 -- ウィレム

      • ウィレムはパチンと端末を畳み、懐に仕舞い直す。
        ――利害の一致がそこにあった。
        何かを成す為に同じ方向を向くのではなく、同じ方向を向いていたから並んで歩く有り様が、そこにある。
        悪童に唆された悪鬼が笑みを零し、悪鬼の悦ぶ顔で歓ぶ悪童が笑みを零した。
        深い理由など要らない。
        ただ、面白いと思ったことを喰らい尽くし、蹂躙し尽くす。
        やりたいからやる、以上の理由を必要としない無邪気が深い深い笑みを滴らせた。

      • 面白そうなことになってるな。
        ――混ぜろよ。
        -- カイセ

      • 二人の背後、笑みを零す二人と同じくらい暗い笑みを顔面に張り付かせた、黒スーツの少年が窓枠に立っている。
        元より、二人の位置を完璧な俯瞰視で確認しているカイセという少年にとって、イレギュラーな場所など存在しない。
        その言葉すら、嘆願どころか確認の物ですらなく、ただ混ざりたいと思うから混ざってきただけの、自分本位のそれだ。
        金髪の少年と、赤毛の少年は、そこにカイセがいることに驚きもせず、振り返ることすらせずに、嗤いながら言う。

      • ――勝手にしろ。 -- レィジー
      • ――勝手にしろ。 -- ウィレム

      • 着いてこられるならな。

        最初から三人ともが「そのつもり」であり。
        誰に対しても「そのつもり」だった。

      • 【つづく】
  • 【KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR 4】
    • ウィレム・サクマがそのBARに現れた時、カウンターの近くに座っていた人間が小さくどよめいた。
      明らかに未成年、明らかに酒を飲んでいい年齢には見えないその赤毛の少年が、誰の視線も気にせずわが物顔で現れた事に驚いたからだ。
      この町では嗜めようとする常識ぶった者や良識ぶった者はおらず、善意は常に売り切れ状態である。
      取り分け酒精の混じるこの酒場という場所でそんなものを首にぶら下げたまま酒杯を煽る者などいるわけがない。
      何人かの酔客が彼に絡もうと笑いながら立ち上がるが、それに先んずるようにカウンターに座っていた男が声を上げた。

      • 悪いな、先にやらせてもらっているぞ、狙撃手。
        -- ヌマル

      • その声が齎した効果は絶大だった。
        からかおうと思った者も、追い出そうと思った者も、小金をせしめようと思った者も、全てがその意をへし折られた。
        酔いすら醒めて青い顔をした元酔客の間を通り抜けるようにして赤毛の少年が男に頷いて挨拶をする。
        カウンターに先に座っていた傷顔の壮年男は、頬に新しく出来た傷を撫ぜながら低く笑った。
        笑声に、首元の代紋が揺れる。この街に住む者でその代紋を見た事がない者はほぼいないと言って良い。
        酔客の酔いすら一瞬で醒まさせるだけの力が、その代紋を背負う組織にはあった。
        長崎剣友会。その組織のトップに君臨する男は、酒に赤くなった顔で自分の隣にそのウィレムを招き入れる。

      • ……そうぶすくれるな、乾杯は何杯目でも出来る。
        -- ヌマル
      • ぶすくれていません。元からこういう顔です。
        愛想がないのは謝ります。酒の席には似つかわしくないことを自覚していますから。
        -- スネイル
      • 可愛げのある狙撃手っていうのは見た事がないが、どうやら手前も多分に漏れちゃいないようだ。
        イケるのか、未成年。
        -- ヌマル

      • ヌマルのその酒席への誘いに、カウンターにいたバーテンの片眉が上がる。
        だが、上がっただけで取り立てて注意などはしないらしく、再びグラスを拭く作業へと戻る。
        ウィレムは少し考えて、

      • 大豆焼酎を、水割りで。 -- ウィレム
      • ……酔狂な物頼むな。そんな物があるのか。
        流石にこれだけ歳が離れればジェネレーションギャップを感じるな。……二回りと言わず違うだろうしな。
        -- ヌマル
      • ……同じ物、呑まれますか? -- ウィレム
      • 気ぃ使うな。こそばゆい。呑みたい酒だけを呑め。
        あれだけ何度も見事な射撃を見せられちゃあ、認めざるを得んだろう。お前は今にして優秀な殺し屋だよ。
        -- ヌマル

      • ヌマルは言いながら、袖の下から封筒を出す。
        中には電子通貨、ウィレムが個人的に請け負っていた仕事の報酬となる。
        依頼内容は単純明快、組織が生死不問とした組織の裏切り者に、死を与えた状態でギルドに引き渡すこと。
        ウィレムは一発の弾丸でそれを達成せしめ、ヌマルからの個人的な依頼をこれで三つ遂行したことになる。
        赤毛の少年はそれを受け取り、折りたたんで胸に収めた。
        カウンターに置かれた焼酎と同時に、ヌマルが頼んだ酒が運ばれてきて、二人は乾杯を交わした。

        どこか上機嫌に、ヌマルは寡黙なウィレムに向かって話しかける。

      • どこを撃った。
        -- ヌマル
      • HS。 -- ウィレム
      • そこが、手前から見て、一番苦しまない箇所か。 -- ヌマル
      • 恐らく。本当のことを言えば分からないというのが正しいです。
        意識を分断するには小脳の破壊が効率的だと思ったので。
        -- ウィレム
      • そうか。……じゃあ、生者の感傷として、痛みなく逝ったことを願おう。
        あいつは、バカな割に頭が回るやつだったからな……俺からの最後の手向けだ。
        何も、必ず死ぬ奴が苦しめられる必要はねえだろうと思ったんでな。
        -- ヌマル

      • ヌマルという男は、何か肚の内を吐かせるための拷問は得意としていたが、単純に相手に苦痛を与えるための拷問は苦手だった。
        効率よく痛みを与える拷問は、相手の精神の限界を肉体の限界より先に訪れさせるための物であり、けして相手に苦痛を与え、損壊せしめるための技術ではないというのが持論だ。
        それでも、たまに匙加減を間違えてしまうのだから、面白半分に拷問を加える剣友会の人間に預けるのは、己の仁義が許さなかったというのが男の言い分だ。
        ウィレムは、その言葉の意味の半分も理解出来なかったが、自分の能力でなら達成出来ることが評価されるのならと、彼からの依頼を受けた。
        結果として、この酒席が開かれ、ウィレムはヌマル組織会長の隣で僅かにグラスを傾けている。

      • なあ、狙撃手。
        この先も、あのスネイルの後をついて、便利屋の仕事を続けていく気か?
        -- ヌマル
      • スネイルが許すなら。 -- ウィレム
      • 拒みはするまいよ。奴も時代の流れに置いて行かれつつある内の一人だからな。
        研がない刀が風で錆びることを誰よりも知っていてなお、自ら錆びることを選んだんだ。
        切れ味の鋭い刃の手前らを重宝こそすれ、何を疎む事がある。
        -- ヌマル
      • そういう、利害だけで繋がっている関係だとは、思いたくないですが。
        ただ、全てを利害に変換するとすれば、スネイルと俺らはまさしく利害が一致しているんでしょうね。
        一致してる以上、俺は特に何を動かそうとも思いません。動かす必要がないときには、動かないことが最善手だろうから。
        -- ウィレム
      • その歳で、俺から誘われてるのが分かるのか。
        ――大したもんだ。
        -- ヌマル

      • ウィレムは感情の篭もらない視線で焼酎のコップに視線を落とし、小さく嘆息する。
        酒精すら彼に何の興奮も齎さないのか、いつもと変わらぬ表情で、淡々と、だが力を込めて呟く。

      • 最初から、分かっていましたから。
        どう考えても、剣友会の脱走者の射殺なんて、俺どころか、レィジーやカイセまで引っ張りだす程の案件じゃない。
        埠頭で逃げ出せると気を抜いたところで、素人の銃弾一つで片が着く話です。
        それに、逃したところで組織にとっては大した損失じゃない。それより何より、こんな所に組織の長が現れ、酒を呑む今の状況こそが異常かつリスクを伴っている。
        何より、今や情報が光の速度で知れ渡るこの界隈で剣友会の長がいかに狙撃の技術に優れているからといって子供に自分の尻拭きを依頼していた、なんて噂が流布することの方が、よっぽど損失です。
        そう考えると、この依頼や、これの前の依頼も全て解決出来ることが前提で振ってきた依頼だということが、レィジーくらい頭が悪くても理解出来る。
        別に目的があるとすれば、俺自身か、あるいはレィジーの体質、カイセの頭脳のどれかが目的としか考えられない。
        -- ウィレム
      • ほう。それじゃあ、目的が三人の中で己だと思った根拠はあるのか?
        まさか自尊心や当て推量とは言うまい。手前のその口で。
        -- ヌマル
      • ――俺が狙撃手だから。
        狙撃手は恨まれる。軍隊で、戦争で人を殺す時、殺人に意志が乗る。明確な殺意の下合理的に事を進めるのは狙撃手だけだ。
        だから、アンタは俺を狙撃手と、殺し屋と呼んだんだ。
        わざと、店内に聞こえるように。他人の殺意を煽るように
        そうして、俺の形を狙撃手という型に無理やり押し込んで、逃げ場をなくした。この少年は他人を殺せると吹聴することで。
        現に俺がこのBARに入ってきた時、俺の姿を見て驚きもしなかった人間が何人かいた。
        きっとそれが剣友会の人間なんだろう、ヌマルさん。
        その厳戒態勢と敷かれた嘘が鞭、今から与えられる救済が飴。バランスは取れてる。
        どこか大きな組織の傘下に入っていなければ、自身の身の安全は保証しない、とでも続けるつもりだろう。
        -- ウィレム

      • 店の中の空気に、変化はない。
        ただ、肌を刺すような不可視の緊張感だけが、空気の下に丁寧に織り込まれている。
        ヌマルは酒精を口にする。上等な肴は一層酒を旨くする。
        傷顔の男は横目でウィレムを見て、シニカルに小さく笑い、言葉を紡ぐ。

      • 手前の言葉が全て真実だとして、いや……手前がそれを真実だと思っていてなお。
        手前が俺にそれを伝える理由は何だ。砕いて言おう。その状況の何処に勝算を見出してる。
        -- ヌマル
      • 慣れない敬語は辛いので、後からの許可になるけれど、普通に喋らせてもらう。
        けして敬ってないわけじゃない、一人の人間として尊敬していることも確かだから、不快を感じたら言って欲しい。
        勝算一つ目、それが演技であれなんであれ、人を救うために殺す、なんて甘い言葉が出る人間は、完全に打算だけでは生きられない。
        ロジックで物を考えるタイプじゃないと思ったから、余程の害を成さない限り殺されないと踏んでる。
        勝算二つ目、そういうヌマルさんの性格を感じ取った上で、こういう明確で進みやすい状況に上手く誘導すれば、興を感じてもらって許されるかもしれないと思った。
        事実、こうして会話を先へと進めていく様を見て思ったんだ、この人は自分と会話が通じるタイプの人間だと。
        勝算三つ目。こちらから提案する折衷案がある。
        それは、天秤のそちら側に俺自身の身の保証を載せても、充分に釣り合う条件だと思っているから、それを早めに提示したい。
        -- ウィレム
      • 確かに興を感じた。謳え狙撃手。 -- ヌマル

      • 心底面白い物を見つけたという少年のような瞳で、皺と傷だらけの顔を歪ませ、男は嗤う。
        正面から見れば赤子なら気を失いかねない形相を真っ向から見返し、少年は応える。

      • 俺は、スネイル便利屋事務所を出るつもりはない。
        だから、長崎剣友会に所属することも出来ないし、剣友会が敵対する組織に所属することも絶対にない。
        それが、こちらが出せる唯一の手札にして、最後の手札だ。ヌマルさん。
        -- ウィレム
      • 弱いな。……どこかで若さが出るとは思ったが、それは裏の社会で取引をする材料にしては、弱い。
        完全に天秤の上に載せられないわけでもないが、身の安全と引き換えに提示するには40点だ。
        ……簡単に己の命を相手の天秤に載せるものじゃない。そんなものと引き換えに失う物の大きさを、手前はまだ分かってない。
        老人臭い説教になるがな……人の命っていうのは所有権が自分にあるときはクソ程の価値もないが、誰かの手に渡った時は黄金のように輝くモンなんだ。
        お前の言う交換条件とやらを飲まなくても、俺がもし剣友会のためを思い、他の組織にお前という狙撃手を渡したくないと本気で思っているなら。
        もう少し簡単な方法でことを終わらせる事が出来る。物事を単純化するのは結構だが、もう少し世界は複雑なもんだ。
        -- ヌマル
      • ……そういうものか。勉強になる。 -- ウィレム
      • 狸め、今更未来に夢想をする少年の振りで同情を誘うな。手前のような頭のキレる餓鬼が何処に居る。
        しかしまあ、スネイルも大型の爆弾を抱えたもんだ。ザックといい、ウィレムといい、どうして奴にはこう災厄の塊みたいな人間が集まるんだろうな。
        ……殺しゃしないさ。今はまだな。
        -- ヌマル
      • 40点なのにか。 -- ウィレム
      • 奢りだよ。
        俺は、昔から若い衆には「驕る」ようにしてるんだ。そうした方が、何かと得が多い。
        手前にも何時か分かる日が来る。掛けた情けの多い分だけ、男っていうのは大きく見えるもんだ。それが任侠者なら尚更な。
        -- ヌマル

      • 可笑しそうに笑いと共に酒を口に含み、甘みと刺激を楽しむ。傷顔がニヒルに歪み、喉奥で男はクツクツと嗤った。
        その横で、ウィレムは何か釈然としない顔で酒を口に含み、同じように口内の刺激を味わう。
        その様子を眺めながら、ヌマルは、かつてこうやって酒を酌み交わしたザックという少年を思い出していた。
        昔話をするほど、自分は老けこんではいない。それも、歳が倍ほども違う子供相手とあれば、情けなさで涙も出る話になる。
        出かけた任侠に似つかわしくない懐郷感情を酒精と共に喉に流し、珍しく何処か浮かれた調子でウィレムに問う。

      • ……補修だ、ウィレム。
        ここに銃が一丁ある。
        弾は何発込めたか俺は覚えていない。
        手前の頭に向けて引き金を引けば、40点のお前でも逃してやるとしたら、
        お前はそれを受けるか?
        -- ヌマル
      • 受ける。
        銃を受け取って、すぐさまアンタを撃つ。
        -- ウィレム
      • ……本当に手前は。
        可愛げの欠片もないな。
        -- ヌマル

      • ――即答で正解する奴があるか。
        頬杖をついて、ヌマルは小さく嘆息した。

      • 【つづく】
  • 【KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR 3】
    • 脱衣室に入ってすぐ。狭い部屋の中を殴打音が響いた。
      掛け値なしの全力で振るった拳は何の誤魔化しもなく飛び、金髪の少年の顎に突き刺さり、部屋の端まで吹き飛ばした。
      殴った側の黒髪の少年は痛そうに拳を振りながら、薄く笑みを零す。
      カイセのその嗜虐性を含んだ視線を口元から血を零しながら、壁に背中を預けたまま見上げ、レィジーは同じように笑った。

      • 良かったな。ボクが優しくて。
        -- カイセ
      • そっちこそ良かったな。オレがマゾで。 -- レィジー
      • なんで殴られたか分かる? -- カイセ
      • 他人を殴るのに理由が必要かどうかを先に議論したいなぁ。 -- レィジー
      • ……自分勝手な行動をするときは、ボクの策の上以外でやってくれって言ってるだろう?
        何回も何回も何回も何回も、路地裏にいた時も、孤児院にいた頃も、事務所に来た後も。
        いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも。
        -- カイセ

      • 淡々と、悪意も害意もなく、殺意などほど遠く。
        黒髪の少年はいつも、いつもと繰り返しながら、繰り返しただけその足で金髪の少年の顔を蹴る。
        その蹴りには躊躇いがない。例えるならば残り火が燻る炭の束を踏み消す作業のような感慨ない表情でしばらく蹴り続ける。
        やがて足をレィジーの顔に載せたまま、動きを止めた。鼻の奥が裂けたのか、踵を伝って床に鮮血がしたたり落ちる。

      • どうして期待通り動かない? どうして大人しく従わないんだ?
        ボクの作戦が不服ならそれはそれでいいんだ。でも、お前は違うよね、レィジー。
        お前にボクが強いたボクの作戦が、最適な物であり最高の結果を齎すことを知っていて、邪魔をしてるんだ。
        合理性をかなぐり捨てて、法則性に唾を吐いて。そうすればお前だって最高に愉しめることを知っていながら、そうしないんだ。
        時には自分の命すら投げ出して、ボクに逆らう理由って何なの? そういう病気?
        -- カイセ

      • カイセの足の裏から、低い笑声が響き、やがてそれは高い嘲笑へと変わる。

      • ヒッヒヒ……ハ、ハハハハハッヒヒ。
        何言ってんだよ、そういうのが好きな癖に。そういうのがないと堪んない癖に。
        お前こそなんでそんなサディストの振りしてオレが思い通りにいかないことを罵ってるんだ?
        オレが思い通りに動かないことこそ、期待通りに動かないことこそお前は望んでいる癖に、何の振りしてるんだ?
        その重厚な仮面を一皮剥けばお前も、ウィレムも、誰もが化け物って呼ばれるのにふさわしいはずなのに、手を繋いで仮面舞踏会だ。
        謳えよクソ化け物。お行儀いい事で褒められると思ったら大間違いだぞ?
      • 一緒にするなよ、ハンパ者。狂気を謳えば正気で定義しなくて済むもんな。
        何でもかんでも出来る癖に何も出来ないお前は大人しく、ボクに食われてればいいんだよ。理解しやすく策と柵で咀嚼してやるからさ。
        どれだけ踊ろうがその場を敷いたのはボクだ。この集団で行動する限り、世界はボクが作る。
        -- カイセ
      • 出来るのか性善説者(ペシミスト)。
        どんな策でもオレは壊すぞ。台無しにしてやる。内側から破壊して世界の広さを作ってやる。
        -- レィジー
      • お前には無理だよ性悪説者(オプティミスト)。
        どんなに策を壊したところで、お前が壊したのは内側の策だ。
        -- カイセ
      • ああ。いいな、百の言葉で愛を囁かれるよりも、よっぽど愛されてるって感じがするな。
        オレのことを殺したいとも思えないやつとは愛し合えないから、オレを愛したいならまず殺してからだろ。
        ……とりあえず愛してるなら足どけて。鼻痛い。
        -- レィジー

      • レィジーが両手を上げて降参の意を示すと、しぶしぶといった感じでカイセが足を退ける。
        足裏にべったりとこびり付いた鼻血をハンカチでふき取り、スーツの上を脱ぐ。
        レィジーも先ほどの喧騒はすでに記憶にもないような顔で着替えに入ると、衣擦れの音がしばらく響いた。
        黒いスーツを脱ぎ、シャツを脱いだところでカイセがそれらをレィジーに渡す。
        レィジーはそれを受け取ると、鼻血を拭く細やかな嫌がらせの後でそれを洗濯籠に入れた。
        振り返ると、下着まで換えるつもりなのか、カイセが足の指先から下着を抜くところだった。

      • オレばっかり傷ついて、やっぱり不公平だ、お前の策は。
        -- レィジー

      • カイセの傷一つない裸を見て、レィジーが皮肉として呟く。それに応えるように黒髪の少年は嘲りの笑みを浮かべた。
        白磁のように白い肌には、一切の傷がない。穢れを知らない無垢な少女のような肌は、顔からそのまま曲線を描き、肩口へと続く。
        触れれば折れそうなその身体は、普段スーツに包まれているから誰も違和感を覚えない。
        その身体には、本来少年を少年たらしめている物が備わっていない。それどころか、体は全体的に丸みを帯び、胸すら僅かに膨らんでいる。
        レィジーは知っている。だから驚かない。
        ウィレムも知っている。だから驚かない。
        スネイルも知っている。初めて知った時、驚きはしたが。
        カイセはレィジーたちが知っていることを知っている。だから驚かない。
        その身体が、完全に少女の特徴を備えていることを、この空間にいる誰もが驚かなかった。

      • いつからその歪が備わっていたかは分からない。少女は男の人格を宿していた。
        気付いた時には路地裏にいたので、どういう経緯でそうなったかを、カイセという少年自身も知らなかった。
        ただそれは、共にその掃き溜めで育った者同士の中では、さほど問題にならなかった。
        レィジーはカイセをカイセとしか思わず、ウィレムの世界にはそもそもカイセは深く存在しなかったから。
        その関係は女性的な特徴が中性的であるという理由でギリギリ隠しきれる今に至っても続いているし、何らかの切っ掛けでもなければ崩れることはないだろう。

        何も驚くことはなかったので、カイセは平然と下着を着け、シャツに袖を通す。新しいスーツに身を包めば、そこにはもうカイセ・ミツェーリという少年しかいない。
        心底馬鹿にした顔でレィジーの方を見ると、鼻で笑い、応える。

      • 他人の着替えをじろじろ見て、お前ゲイなんじゃないのか?
        -- カイセ
      • お前にだけは言われたくないわ、クソゲイ。死ね。 -- レィジー

      • レィジーもそれに僅かに遅れ、卸したての白いスーツに袖を通す。
        すぐに返り血で汚れる為に洋服代も馬鹿にならないが、彼は一度仕事で汚れたスーツをもう一度着ることはない。
        任務のたびに全く新しい服を選ぶある種の偏屈な潔癖さが、彼をそうせしめていた。
        先んじてカイセが脱衣室を出ると、スネイルはデスクの椅子にもたれ掛り、仮眠を取っていた。
        カイセは起こさないように足音を潜めて玄関まで行き、静かにドアを開ける。

      • スネイル寝てんのか。
        -- レィジー
      • 声の音量落とせよ阿呆。昨日の夜から連勤だったみたいなんだから寝せておいてあげろよ。
        少し出る。そのまま事務所にいるなら騒ぐなよ。レィジー。
        -- カイセ
      • ……なあ、カイセ。
        面白くなかったか、さっきのオレ。
        -- レィジー

      • その声はレィジーの物にしては抑揚が少なく、水道の蛇口からコップに水を汲もうとしていたためにカイセから背中を向ける形になり、くぐもったような声に聞こえた。
        自分用のコップに水道から水を汲んで飲み干し、もう一度コップに水を注ぐその背中を見て、カイセは答える。

      • さっきって、どれのことだ。
        -- カイセ
      • もういい。 -- レィジー
      • ……それで良く、ウィレムにマイペースとか言えるな。
        沸点とか琴線がどこにあるか分かりにくいのはお前の厄介なところだと思ってるよ。
        面白くなかったかって聞くなら、答えるよ。お前の考えることくらい、ボクも思いつく。
        思いつくようなことが楽しいかって聞かれたら、分かるだろう。
        -- カイセ

      • 大きな毒を含めて、その背中に向かって言う。

      • お行儀悪ければ嗜めて貰えると思ったら大間違いだぞ。クソ化け物。
        -- カイセ

      • その言葉を呪いのように残し、カイセは階段を降りていく。
        レィジーはその与えられた最大の毒にも何の反応も見せずに、ただ水道を見つめていた。
        喉が渇く。運動をした後は水分を補給しないといけない。水道で三杯目の水を飲もうと手を伸ばした自身の手が、捻り口ではなく蛇口を掴む。
        自分の意思と裏腹に動く己の手を訝しがりながら、レィジーはその手で蛇口を握ったまま小さく呟く。

      • だよな。退屈させたよなあ。
        でなきゃ、お前がオレに何かしてくるなんてありえないもんな。
        ホントのホントに何もかも台無しにして、上書きされたいくらいのお前が、オレに囁きかけてくるなんてありえないもんな。
        面白くないってさ。退屈だってよ。オレが何をやっても興味ないんだってな。
        ヒッヒヒ……カイセ、カイセカイセカイセカイセカイセカイセ。殺す。自死で殺す。忸怩で殺す。二度と何も策なんて練れないくらい。
        ハ、ハハハハハハハハ、愉しいなあ。なんで死なないんだろうあいつ。どうやったら死ぬんだろう。
        ねえ、水道さん。蛇口から水が出せなくなったら、あんた、なんて名前になるんだよ。

        ――なあ。
        -- レィジー

      • ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

      • ふと、目を覚ます。自分がどこにいるのかを確認する。
        事務所の自分のデスク。どうやら自分はいつの間にか眠りに落ちていたようだとスネイルは頭を振った。
        寝るつもりがないときの仮眠は、どうしてこう罪悪感があるのか。無茶な姿勢での就寝で軋む身体に鞭打ってデスクの椅子から立ち上がる。
        脱衣室をちらりと見ると、どうやらカイセもレィジーも今日は家に帰ったらしい。
        時間を見るとそれほど長い時間うとうとしていたわけではないことを知り、少しほっとした。
      • たった一徹でこの体たらくだ。まだ若いつもりではあったが、どうやら思ったより年月が経っていたらしい。
        自分が主が返らなくなった部屋で待つ忠犬のように思えて、反吐と共にその思考を吐き出す。
        中途半端な就寝で口の中が気持ちが悪い。濯ごうとして台所に立ち、乾いた笑いが出た。

      • 俺も、歳を取るはずだ。
        ――俺らの代は、感謝すらしていたのにな。
        -- スネイル

      • 無残にも。
        何か強い力で捻り曲げられたようなオブジェとなった水道さんが、そこにあった。
        もう、蛇口を捻ろうが元から換えない限り水道としては機能しないだろう。
        水道としての尊厳を穢され、犯され、辱められた無残な姿を俺に晒している。

        追悼は短く。
        俺は大人しく水分を求める為に、昼下がりの町へと出ることにした。

      • 【つづく】
  • 【KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR 2】
    • ――頭が痛い。
      もちろん物理的な物ではなく、比喩的な表現として、だ。
      事務所のソファに座ったまま中指でサングラスを持ち上げ、対面に座る三人の少年を順番に見やる。
      実年齢はどうだか分からないが、少なくとも自分の年齢の半分以上を生きてはいないだろう。
      三者三様、バラバラな出で立ちと顔つきでこちらを見てくる三人の前には今回の捕り物劇の依頼書が置かれていた。
      無事「死体」の引渡しを終えたことで指名手配されていた犯人は捕まり、完了の印を押されたそれには何の問題もない。
      元より生死不問の指名手配であったし、何より長崎剣友会が触れを出した指名手配なのだ、行きつく先は遅かれ早かれ死だ。
      最近は海の上まで勢力を伸ばし始めた剣友会に、目下の敵はいない。
      ただ、組織再編された後の剣友会の下っ端は、下っ端であってもそれなりに腕が立つはずだ。
      それを、年端もいかない少年三人で、「ほぼ」完璧に遂行しえたというのは、
      この事務所を取り仕切る立場としてではなく、一人の大人として歯止めを掛けなくてはならないところではないだろうか。

      頭が痛い。
      そんな俺を余所に、三人の少年が順番に手を挙げ、自己の主張を掲げる。

      • 今回オレは、カイセの立てた作戦通り、目標を裏路地で連れまわして、ウィレムの狙撃の手助けをしました。
        実質動き回って走り回ったのはオレだし、オレの追跡がなければこの作戦は成立してないと思う。
        ウィレムは引き金を二回引いただけだし、その一発はオレに向かって飛んでくるっていうヘマやらかしたし、
        カイセはそんな無茶な作戦をオレに振ってきたし、結局オレだけ無傷じゃないのでオレが一番頑張ったと思う。
        -- レィジー

      • 小学生の感想文ばりの文章力のなさで最初に主張してきたのはレィジー・ヒルベルト。
        150cmにギリギリ届かない程度の背丈と外側に跳ねたくすんだ金髪が目立ち、それ以上に深淵を覗いたような寒気を齎す両目の虹彩が特徴的な少年だ。
        真っ白なスーツは依頼ごとに着替え、返り血や自分が流した血で染まったそれは彼の自宅のクローゼットの中に並べられているとか、かと思えば頻繁に捨てられているとか。
        精神性の異常さで言えば三人の中でも飛びぬけて頭がおかしく、独自の価値観によって動く様はしばしば無軌道な進行経路を生み出す。
        作戦の中では実働を担当することが多い。カイセ曰く、一番「汎用性が利く癖に汎用で使えない」のがレィジーらしく、
        「前線にも置ける上に前線にしか置けない」という訳の分からない評価を得ている。
        社会性を無視して考えれば全般的に何でも器用に物事をこなすが、本人曰くそれは「コツが分かるから」らしい。
        ただ、その程度と範囲が一般のそれとは大きく異なるだけの話らしい。コツで何でもこなせたら苦労はしない。

      • 元々レィジーはボクの作戦にとっては完全なるイレギュラーで、頭数にも入れてませんでした。
        追い詰めるだけなら外注しても良かったし、むしろ役割を与えたのは作戦遂行に邪魔になるからであって、働きに期待なんかしてなかったです。
        ウィレムを有効に使えたのはボクの配置があったからだし、その上でやっぱりレィジーが邪魔をしてきた問題を乗り越えて依頼を全う出来たのは、
        一重にボクの作戦があったからと言っていいと思うのですが、どうでしょう。
        -- カイセ

      • バカバカしいとばかりにレィジーの主張を一蹴して、その隣に座る黒スーツの少年が典雅に主張を重ねる。
        カイセ・ミツェーリという名前の少年は足を組み替え、肩を竦めてからテーブルの上のカップに手を伸ばした。
        テーブルの上の紅茶を一口含むその動作にすら同性をしてなお視線を奪う色気がある。短く切りそろえられた黒髪は鴉の濡羽を思わせる。
        一切の光を反射しない暗黒の瞳で伺うようにこちらを見られると、心の内を覗かれているような奇妙な感覚を覚える。
        彼が自分の最も優れているところと自負する彼の眼は俯瞰で、主観で、時には客観ですら相手を捉え続ける。
        敵を知り、場を知り、他人の目すら盗む彼はまるで状況や境遇すら理解し、把握し、策に組み込む。
        限られた兵を最大限に利用することで最大の結果を生むことは彼にとって当り前のことであるという。
        自らを脚本家と謳い、決められた配役に合わせて即興で描かれるシナリオは、誰もがシナリオに組み込まれていることすら気づけない。

      • カイセの作戦に従った。
        撃てと言われて撃って、邪魔があっても当てた。以上だ。
        -- ウィレム

      • それ以上、語るべきことはないとばかりに口を閉ざし、自分の行動の可否を問うてくる赤毛の少年、ウィレム・サクマが最後に主張した。
        迷彩服に身を包み、左目に眼帯をしている。外界をスコープから覗くときだけ、左目の眼帯を外すらしい。
        左右で余りに視力が違いすぎるために両目を同時に開くと平衡感覚を失うため、常に視界を制限しているとのことだ。死ぬまで狙撃手という立場を手放すことはないとこの若さで公言している。
        基本的にポーカーフェイスだが表情に乏しい訳ではない。ただ単に興味を引くことや機会が少ないだけで、興味を向けるときはレィジーよりも爛々と目を輝かせる。
        仕事とプライベートを完全に分けており、かつて路地裏で何処かの阿呆のように他の二人と共に徒党を組んでいたのも、利害の一致がそこにあったからという単純な理由であるらしかった。

        羅列してみて思う。
        改めて、規格外の子供たちだ。
        現状を整理しようと思ったら頭痛が酷くなっただけだった。
        とある事件に共に巻き込まれて以来、親代わりを務めている俺のこめかみがしくしくと痛む。
        何がこんなに頭を悩ませているかと言えば、こんな規格外の子供たちが――。

      • オレだよなっ! 今回一番活躍したのっ!
        -- レィジー
      • 公平にジャッジをしてもらえれば誰も文句は言わない。 -- ウィレム
      • 判断お願いします。スネイルさん。――誰が、今回のMVPか。 -- カイセ
      • ……………。
        ………。
        ……ああ、ええと。
        -- スネイル
      • ………。 -- レィジー
      • ………。 -- ウィレム
      • ………。 -- カイセ

      • ――俺を……スネイル・セルフランセを便利屋の長として心の底から慕っているということだった。
        期待に満ちた視線が、三組計六つ向けられている。
        歪に育った割にはまっすぐな愛情に飢えていた三匹のケモノが、自らの功績を褒めてもらおうと膝に手を置き、俺の言葉を待っている。
      • 何かを決めるのは得意じゃない。行う事の理由を見つけるのは苦手だが、行わない事の理由を見つけるのは昔から得意だった。
        ただこれだけは俺の手で決着をつけなくてはならないことかと諦め、ソファから中腰に立ち上がり、じゃあ、と呟きながら手を伸ばす。
        その手を、ウィレムの頭の上に置いた。並んだ三つの顔のうち二つの表情が崩れ、同時に絶望を示す。

      • ああああああああああああッ……! マジかぁー……そっかー、もうちょい頑張ればよかったなぁ……。
        ていうかもうちょっと我慢できてりゃ絶対オレがMVPだったのに、なんで我慢できないかなーオレ……。
        -- レィジー
      • フッ……成る程。予想はついていましたが、こういう結果に収まりましたか。
        ……分かっていたことですが、目の前で撫でられ褒められる人間を見ると、自身の不甲斐なさが砂のような味で口内に広がるものですね。
        -- カイセ
      • お前はまだいいだろッ!! 前回MVPだったんだから、オレなんかこれで三連続で逃してんだぞッ!!
        ああ、畜生、あんなに褒めてもらってる……なんかズルくねーか今日撫でるの長いぞッ!!
        -- レィジー
      • 黙って耐えろ。それが不甲斐ない己と自らの節度のなさを顧みるためのいい機会になる。馬鹿につける薬があるとしたらこの光景がそうだ。
        次こそ、必ずボクが獲る。――必ず、だ。
        -- カイセ
      • …………このひと時のためなら、俺は神の眉間すら撃ち抜こう。 -- ウィレム

      • 二人の苦悶の表情を背景に、頭に手を置いているだけなのだが、どこか満足げにウィレムが呟く。
        依頼のたびに繰り返されるそれは、既にこの事務所では伝統行事となっている。
        たったこれだけのことで余りに悲嘆にくれるからと公平に三人とも褒めようとしたところ、それは受けることが出来ないと突っぱねられた。
        レィジー曰く。「そりゃ、褒めては欲しいけど、そういうのは、なんか違うんだ、いよいよ真面目にやらなくなるだろうし」
        誘惑に耐えるように手が握りこぶしを作っていた。
        カイセ曰く。「魅力的な案ですが、勝負は公平でないといけない。すみません、辛い立場を背負わせてしまって」
        誘惑に耐えるように自分の太ももを抓っていた。
        ウィレム曰く。「力のない者が野垂れ死ぬのが世の中の道理だ。情けは必要ない。褒めるべきときのみ褒めてさえくれれば」
        誘惑に耐えるように歯を食いしばっていた。
        そういう経緯もあって、三人で依頼を受けてきた時は、俺がこの『二代目便利屋』の長として、依頼ごとにMVPを決めざるを得ない状況になっている。
        一度、公平にと思い乱数でローテーションを組んで順番に褒めてやろうかと思ったら、七回目で法則性をカイセに見抜かれ、以降は己の感性に従って決定している。
        あくまで公平、公正な場で戦いたいらしい。その割に、依頼の中で遊びの部分が多すぎるとは思うが。

      • ……他の二人も頑張ったが、一番任務に忠実で、なおかつ一番難解な課題をクリアしたウィレム、ということで。
        レィジー。額の傷は大丈夫か。報告にもあったが、至近距離を狙撃の弾が掠めたなら中身にもダメージがあるかもしれない。
        吐き気や頭痛なんかはないか。
        -- スネイル
      • ねーよ? 撃たれる瞬間頭蓋骨で上に逸らしたし。
        まあ多分出来るだろうと思ったけど、コツさえ掴めばどうってことないな、狙撃なんて。逃げられない角度から撃ち込んでこなかったせいもあるけどな。
        -- レィジー
      • 死ねば面白かったのにな。 -- ウィレム
      • 撃ったお前が死んだ方がサプライズあって面白いだろ。同じ場面があったときの為になんか考えとく、撃った方が死ぬ防御方法。
        全然関係ないカイセが全然関係なく死んでても面白かったと思うよ、オレ。なんで死んでないの?
        -- レィジー
      • その程度の面白さ、誰でも思いつくからだろうね。別にボクはお前に合わせて死んでやってもいいんだけど、それでいいのか? -- カイセ
      • カイセ、死ぬなら殺させろ。弾一発分の金貨で請け負うぞ。 -- ウィレム
      • ダメだろその死に方。こいつ悦ぶぞ、変態だし。 -- レィジー
      • お前にだけは言われたくない。愛してやるから死ね。 -- カイセ
      • 俺は愛してないけど死ね、レィジー。 -- ウィレム

      • ――頭が痛い。
        この痛みの正体は、きっと知恵熱だと思う。
        理解のできないことを理解しようとするがために生じている疼痛なのではないか。
        こいつらが一番理解出来ないのは、これだけ罵詈雑言が飛び交う間柄でありながら、三人が三人口をそろえて「仲が悪いわけじゃない」と言うところだ。
        殺意が本物でないわけでもなく、依頼によっては度々互いの命を危険に晒したりもしているにも関わらず、常に行動を共にする。
        かつての俺やデランデル――そしてもう一人のように、じゃれ合いが殺し合いに発展するのではなく、殺し合いでじゃれ合うその性質は、俺にはけして理解できない。

      • ……ああ。そういえば。
        -- ウィレム

      • 唐突にウィレムが何かを思い出したような表情をしてから俺たちを見て呟き、言葉の後を続けないままソファの横に立てかけておいた狙撃銃を担いで、事務所の玄関まで進む。
        三人ともがその背中を視線で追い、ウィレムはそのまま玄関の扉を開けて出ていく。
        安普請のため事務所は階段を上り下りする音すら響く。そのため音でウィレムが2Fの事務所から降りていったのが分かり、三人は顔を見合わせた。

      • そういえば――何なんだよ。あいつマイペース甚だしいな。 -- レィジー
      • お前が言うな。 -- カイセ
      • ……多分あれは、何かを思い出したが、俺たちに伝える必要はないと思ったので途中で止めたんだな。
        依頼も終わったんだ、お前らも羽を伸ばして来たらどうだ。
        予定があるなら別だが。
        -- スネイル
      • 遅い昼食を取ろうかと。一度着替えてから出よう。
        手際の悪い所員のせいで、汗をかいてしまった。
        -- カイセ
      • そんなに自分を責めるなよカイセ。 -- レィジー
      • 死ね。 -- カイセ
      • お前が死ね。 -- レィジー
      • お前らのあり方には今更口を出す気はないし、心配すら杞憂だってことは分かるが。
        それでも育ての親代わりとしては忠告させろ。……何かと物騒な噂が立ってる。
        曰く、『掃き溜めの中の殺人鬼』だの『ジャック・ザ・リッパーの再来』だの、何度目だって言う名前の事件がまた流言飛語飛び交ってる。
        何か事件があればすべてジャック・ザ・リッパーのせいになるこの町では、また何処かの勘違いした奴がその名に乗じて功名しようとしているのかは知らないが、
        面倒事に巻き込まれるなよ。1Gにもならないことに首を突っ込むことを、この事務所では禁ずる。
        -- スネイル
      • 了解です。 -- カイセ
      • うい。 -- レィジー

      • 脱衣室に入っていく二人から短く帰ってきた返事に危機感はない。無理もない、俺にだってないのだから。
        この町にジャック・ザ・リッパーが訪れるのは、これで10回を軽く超す。
        蓋を捲ればいつだって死や死体と隣り合わせなくせに、いざ人が死ねばそれはこの町では猟奇殺人としてあげつらわれる。
        カストリ上がりがジャーナリストを気取って立ち上げたこの街の報道機関は他人の焦燥を煽ることでしか発行部数を増やせない無能集団だ。
        だから今回も恐らく模倣犯か愉快犯、もしくはそれにすら満たない便乗犯か何かなのだろう。
        猟奇性の中になら計画性を隠せるとでも思った小悪党が名乗るには、大した名前だと思う。
        最初にそれを背負い、購おうとした者や、者たちは……もう誰一人いないというのに。

        俺は立ち上がり、自分のデスクへと歩く。椅子を引き、静かにそれに腰を下ろすと、他人顔の椅子が申し訳程度に俺の腰を支えてくれた。
        何やら脱衣室から音が聞こえるが、聞き耳を立てて楽しい物でもないし、いつものことだ。
        ほぼ無音の空間で、デスクの端に追いやられた灰皿に目が行く。

        元のこのデスクの主は、ある日忽然と姿を消した。
        埠頭で目にしたという目撃談はあるが、それだって数年経った今では信憑性のかけらもない。
        ただ事実として、ザックという男は消え、そして帰ってこなかった。ただそれだけだ。

      • ………。
        -- スネイル

      • 懐かしく、そして忌まわしい名前が出たからだろうか。余計な物まで思い出してしまった。
        机の上、この事務所に立ち寄った時に無造作に捨てられていた吸われていない新品の煙草が、灰皿の上に載っている。
        当時の俺が何の感傷に揺り動かされたのかは知らないが、わざわざ拾い上げたその『Piece maker』(破片拾い)という名前の煙草は、今もそこで主を待っているようだった。

        俺は立ち上がると、その煙草を、ジャック・ザ・リッパーは死んではいなかった!?という下品な惹句が踊る雑誌の中に包むようにして改めて握り潰した。
        何でも今回のジャック・ザ・リッパーは、『片手が義手』らしい。よくも毎回思いつくものだ。
        俺はそのまとめたゴミ屑を当時の自分の感傷を、共に投げ捨てるように、ゴミ箱の中へと捨てた。

      • 【つづく】 -- 2013-11-15 (金) 19:38:36
  • 【KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR 1】
    • ――ありえない。
      • ――ありえない。ありえない。ありえない。
      • ――どう考えても可笑しい。道理に合わない。常識外れも甚だしい。
        そんなことがあってはならない。男は繰り返しながら路地裏を右へ左へ抜けていく。
        逃げ去ろうとした鼠を踏み潰し、昼間から客を引く売女を押しのけ、
        純度の低い精製麻薬でトリップして地面に涎を垂らす薬物中毒者を蹴り飛ばしながら、ぜえぜえと息を弾ませて死にもの狂いの形相で何かから逃げている。
      • 曲がり角に偶然置かれていたゴミ箱に躓き、その中身をぶちまける。
        据えた匂いの生ごみの中に赤ん坊の手のようなものが見えたが、ここでは私生児の死骸なんて見慣れた物だ.
        要は生まれながらにして不幸な人間か、後天的に不幸になる人間の二種類しかこの界隈には生息していない。
        だから、逃げなくてはならない。
        ――あそこまで上手くやったのに、あんな「ガキ」どもにいいようにやられてたまるかッ!
        心の中で毒づきながら縺れる足を前へと運び、歯を食いしばりながら後ろを見た。
        ――あんな「巫山戯た奴」が、この俺の不幸であっていいはずがないッ!

      • 男の十数歩後ろ、一定の距離を保ちながら男より幾分小さい影が男を追跡してきていた。
        背筋に冷たい物を感じて、男は歯噛みする。もう何十分こうやって追走劇をしてきたか。
        掛け値なしの全力で逃げているにも関わらず、男とその小さな影の距離は一向に開くことなく、また縮まることもなかった。
        まるで男が疲れるのを待つか、あるいはこの追走を愉しんでいるかのように、その小さな影は微笑を浮かべながら追いかけてくるのだ。
        ――否。微笑などではない。
        荒い息を零しながら歯噛みした歯を大きく鳴らした。
        ――あの笑い方を、俺は、俺たちは、嘲笑と呼ぶ。
      • ゲラ。
        ゲラゲラ
        ゲラゲラゲラとそれは笑う。
        真っ赤な口に鋭い八重歯を肉食獣のように光らせながら、その小さい獣が大声で笑っている。
        路地裏をどれだけ逃げようが、何の遮蔽物で隠そうが、どんな曇天でも太陽は天にあるように、その「少年」の笑声が耳に届く。
        心底楽しそうで、心底愉快そうなその声は、自分の存在を誇示しているかのように昼下がりのダウンタウンに響く。
      • 幾つ目かの角を折れ曲がったところで、俺の視界に陰が指す。
        視線を下にやる間もなく、それが自分を飛び越える少年の影だと気づいた時には、すでにその少年は俺の目の前にいて、俺は慌てて足を止めた。
        荒い呼吸と心拍を押さえながら、俺はその「少年」を睨みつける。
        白いスーツ。
        濁った金色の髪。
        狂った瞳だけが爛々と輝いている。
        少年は息一つ切らさずに、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。まるで、狩りを楽しむように。

      • ――例えばさぁ。
        こういうのってどうだろう、おっさん。
        実はさ、オレっておっさんが所属してた長崎剣友会が運んでた『戦闘用ホムンクルス』でさ。
        おっさんを追いかけてたのっておっさんのことを刷り込みで本当の親父だと思ってるんだよ。
        でさ、まあそこからはおっさんは戦々恐々としながらオレを自分の足抜けのために利用して、オレはその代わりにアンタという親父を得るんだ。
        最初、ただの小気味の悪いガキか、精々利用価値のある武器にしか思えないんだけど、いつからか父性に似たような感情に芽生えるんだよ。
        自分の方が全然弱っちい癖にオレを狙って撃ってきた弾丸から庇ったりしてな。
        実はおっさんの過去に、オレと同じような年齢の子供と死に別れてて、全然似てないのにオレと重ねたりするんだよ。
        最後は自分の名字なんかつけちゃって、本当の子どもとして、もうお前は誰かの刃になる必要なんてないんだよ、とか言っちゃってさぁ。
        どう思う? ちょっと感想聞きたいんだけど。この路線でいっていいなら、オレ、そうしたいんだよね?
        -- レィジー

      • ――狂っている。
        何もかもが理解できない。
        正しい部分が、俺が長崎剣友会を足抜けしようとしている下っ端であることしかない。
        その言葉の何一つが理解できず、俺は言葉を返せないまま一歩下がる。俺の方を全く見ずに、自分だけで完結しているかのように少年は首を傾げて俯く。

      • ――こういうのもあるな。
        例えば、オレこう見えて剣友会と対立してる組織の幹部かお偉いさんか何かそんなのでさ。
        逃げ惑うおっさんを追い詰めて、いきなりこんなこと言うんだよ。
        「安心しなよ。長崎剣友会の追手なら、もう排除した。オレはおっさんを正義の味方に勧誘しに来ただけだ」って。
        冗談かと思うような誘いは翌日のニュースで本当に剣友会の構成員が何者かに「成敗」されてるので現実味が出てくるの。
        オレ笑って言うからさ、「な。本当だっただろ?」って。
        それで、オレ達が何してるかって言ったら、この裏社会をぶっ壊そうとしてるレジスタンスなのよ。
        実はおっさんが知らないだけで長崎剣友会とかエイナス育英会とか目じゃないほどの巨大組織が裏社会を牛耳っててさ。
        それをいち早く嗅ぎつけたオレや、まだ覚醒してないけど「適合者」なおっさんで、その巨悪をぶっ潰すんだよ。
        いいだろ、勧善懲悪。オレ大好きでさ。正義が必ず勝つ物語。
        -- レィジー

      • ――何もかもがおかしい。
        長崎剣友会は数年前の内紛で粛清と称して処断された無能な上層部を失ってより強固な組織となった。
        その影で利権を得た裏社会の他の二組織も形態を盤石なモノとして、今や裏社会は三国志とも呼べる群雄割拠の時代が訪れている。
        巨大な組織なんか存在しないし、この街に勧善懲悪なんて物は存在出来ない。

      • ――こういうのはどうだ。
        オレはさ、実は長崎剣友会の今の組織会長と知り合いでさ。
        個人的な依頼とかも回して貰ってるんだよ。血腥いこととか、血みどろな奴とかを選んでさ。
        なんでかって、そりゃ妄想のし甲斐があるからかなあっていうのと、やっぱりタダ飯喰らうのって趣味じゃないからっていうのと、
        そういう楽しげな事に首を突っ込んでると、必ずカイセやウィレムがオレの方を見てくれるじゃん。ノッてきてくれるじゃん。
        そうなったらさあ、やっぱりオレって踊らなくちゃ気が済まないんだよね。楽しく愉しく樂しくなってきちゃうんだもん。
        でさあ。オレの役目はこうやっておっさんを追い回して、「アレ」の策略通り、「アイツ」が仕事をしやすくすることなんだよ。
        だから、おっさんはここで終わりなんだ。ごめんな。きっと面白い話にするから。

        ああ。
        でもなあ。
        それって『ツマンナイ』よなあ……。
        だって、今話したどの話も、もうオチ分かってるじゃん。
        何のサプライズもなくて、ただ誰かがくれた何かを巧く組み合わせただけで、オレ自身が楽しめないよ。
        本当……驚きのない話なんて、見てられないと思うんだよ。
        ――『カイセ』。
        -- レィジー

      • 少年は、薄く嗤いながら一歩を踏み出し。
        ――その姿が大きくブレる。
        まるで何か大きな見えない鉄槌によって殴り飛ばされたかの如く少年の細身の身体は地面を転がり、
        路地裏に積み重なっていたゴミ溜めにぶつかり、汚物に塗れたままぐったりと動かなくなった。
        ゆるゆるとその頭部から赤い染みが地面に広がっていき、少年の指がぴくりと動いた。
        俺は、その様子を何も出来ないまま唖然として見ていたが、地獄から湧いてくるような音で我に返った。
        それは、根源的な恐怖を呼び起こす。頭から血を流し、ゴミ溜めに這いずる少年の喉から漏れる笑声だと理解した瞬間、俺の喉から声にならない悲鳴が漏れる。
        ゲラ。と。
        ゲラゲラ。と。
        ゲラゲラゲラゲラ。と。嗤っている。

        ――狂っている。
        ――こいつがいる世界は、狂っているッ!

      • ヒッ、ヒヒ……だよ、なあ。
        まさか「外す」わけないもんなあ。オレ生きてんじゃん。
        オレ今、射線上に入ったのにさあ。致命傷貰うつもりだったのにさあ。その上でどうなるか見てみたかったのに、オレ生きてるってどういうことよ?
        「外す」訳のない、「外し」たら前提から破綻する奴が、「外した」なんて、ありえないもんなあ。
        つまり、これって「当てた」んだよなぁ、ウィレムが。あの赤毛が。
        オレが一歩動くことを理解して、読んで、把握して、何の驚きもなく、感動もなく、あっさりあしらうみたいに。
        カイセの指示で、そうするべきだと思ったウィレムが。
        ムカつくなあ。ムカつくなあムカつくなあムカつくなあ。ひ、ヒヒヒヒ。ハハハハハハハハッッ!!
        ムカつくなぁ!! そうかぁ、愉しくなかったか、これ。だよなあ! オレも薄々そう思ってた!! そう思っちゃったらダメだって知ってたのにさぁ!
        悪いおっさん!! オレはおっさんをどうにもできなかったわ!! 現実なんてクソみたいなもんだったよ! ごめんな、アンタここで死――。
        -- レィジー

      • 少年の嘲笑に混じり。
        何か、空気を裂くような音がして。

        ――俺の世界は永遠に闇に閉ざされた。
        何の山場もなく――何の救いもなく。

      • ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

      • ビルの上。己が撃った弾の着弾も見ずに、少年が銃を畳み始める。
        その表情は何の感慨もなく、ただ事が一つ終えただけとでも言いたげに眠そうだった。
        実際、この作戦をカイセという彼の仲間が思いついてから18時間、彼は文句の一つも言わずただこの場所でスコープを覗き続けていた。
        その作戦を思いついたカイセは隣で満足気に手のひらサイズの望遠鏡を片手に作戦の終了を確認し、それをポケットに仕舞った。

      • つまらないよなぁ。2点。
        -- カイセ
      • ……採点が甘い。0点だ。 -- ウィレム

      • スナイパーライフルを畳み、終い終えた赤毛の迷彩服の少年が、黒スーツ黒髪の少年に無表情のまま呟く。
        それを肩から担ぐと、仕事は終わったとばかりにそのビルの屋上から去ろうと立ち上がる。
        迷彩服の少年に向かって、薄く笑みを浮かべた黒スーツの少年が言葉を投げる。

      • ボクは撃ち殺していいって言ったんだけど。
        まさか、外した訳じゃないよね、ウィレム。
        -- カイセ

      • 赤毛の少年は、心底馬鹿にした嘲笑で頬を釣り上げる。
        投げられた言葉を鼻で嗤い、肩をすくめて心から下らない冗談を聞いたとばかりに言葉を返す。

      • 真逆(まさか)。
        勝手にやってる阿呆には、撃ち込む弾の持ち合わせが無い。
        -- ウィレム
      • だろうね。ウィレムならそう言うと思った。
        適度に痛いシツケをありがとうな、あれで懲りるとはボクも全然思わないけど。
        -- カイセ
      • 俺が『そう』言うと思ったにしては、心の篭った殺せだったな。いや、殺していい、だったか?
        いい演技を褒めるべきか? 演技も出来ないと脚本は書けないんだなと納得して。
        -- ウィレム
      • 同時に、仲間思いのウィレムを信頼して言ったのさ。
        愛してるよ、お前も。
        -- カイセ

      • ウィレムと呼ばれた赤毛の少年は、この上なく時間を無駄にしたと嘆息し、その中身のないやり取りを終えて階段を降りていった。

        黒スーツの少年はその様子をすら満足気に笑って見送ってから、ターゲットの男の死体の方に視線をやる。
        その姿は、いくつものビルに阻まれていて、見えない。自分はそれを、『俯瞰眼』と呼ばれる反射物を利用した視界で捉えていたが、ウィレムはそうではなかったはずだ。
        ウィレムは相手の姿が見えていない。にも関わらず、自分の指示と視界によって相手を捉え、跳弾によって曲線の長距離射撃を達成していた。
        事実、ターゲットの男に着弾するまで、弾は四回もビルの側壁を跳ねている。
        その誤差すら乗り越えて行われた射撃が、確実に男の頭部を撃ち抜き、絶命せしめたのだ。
        カイセという名の黒スーツの少年が想定した「ウィレムの上限」が、また今日も一つ上書きされた。
        演者の限界を知らなければ、満足な脚本は書けない。しくじれば自らの命も危険に晒される依頼に於いてでも、少年はそれを見極める為にコインをテーブルの上に置いた、ただそれだけにすぎない。
        カイセは視線の先に笑いながら横たわっているレィジーという少年を思いながら自分も笑った。

      • ……どうやったら死ぬのかなあ、あのレィジーとかいうの。
        これで死んでたら意外性あって面白いんだけど、
        きっとあいつは、ボクのそういう期待には一切応えてくれないんだろうなあ。そういうところも愛してるんだけどな。……早く死なないかな。
        -- カイセ

      • カイセという少年は微笑を絶やさないままポケットから端末を出して、依頼の終了を依頼主に告げる。
        端末を閉じてポケットに仕舞うと、ウィレムが降りていったタラップを、少し上機嫌にスキップで降りていった。

      • 【つづく】

Last-modified: 2013-11-17 Sun 01:19:47 JST (3785d)