名簿/482937?
- 君は人を裁くために生まれてきたのだ
目の前の偉大な父は私にそう言った。私の身は生れ落ちた時から薄汚く汚れていた 私は生まれながらに行き場の無い罪を背負っているのだと父は言った だからこそ人を裁き、自らの罪を清められるのだと 私は裁き続けた、途中からそれがただの人殺しだと分かっても、私には他の道を見出すことはできなかった 冥府の鎖で縛られた体はそこから逃げられる事も許されず、ただ罪人を殺すたびにその身は余計に穢れていった なのに何故だ、何故今目の前に居る私自身はあんなにも綺麗で、幸せそうなのか……――― --
- …………ザァザァと雨が降る。激しく落下する雨粒は銃弾のように肌を打つ
体が重い、ある程度の傷であればすぐさま修復されるはずの体は傷だらけのまま硬い石の地面の上で横たわり、動かすことが出来ない 腐ったボロ布のような外套は雨に濡れ、不快な湿り気を帯びた匂いを周囲に放つ……横たわる自分を避けて通る通行人から見れば 今の自分は死にかけの乞食か、それとも腐りかけの死体が転がっているだけのようにも見えるだろう……あまりこのような姿を晒し続けるのは得策ではない 男はかろうじて動く四肢に力をいれズリズリと雨水に濡れた地面をはいずる その姿は人ですらない、巨大なナメクジ、それとも人ほどの虫ともいえるような姿だ。その姿を見て通行人たちはまるで汚物を見るような目で顔をしかめる 男は人目のつかない細く薄暗い道に身を隠す、なんとか上半身を持ち上げ壁に背を預ける 振り続ける雨は体をさらに濡らしていくか、寒さは感じない。それは意識が朦朧としているせいなのかは分からないが いったいなぜこうなったのか、ぼやける頭で思い出そうとしても霧がかかったように思い出せないその頭を軽く振り、とりあえず今は体の回復を待つ 地べたに座りうつむく男、気だるさとまどろみの中に意識を落としそうになったとき、不意にわき腹を走る衝撃に、男は体を倒され地べたを転がる --
- 不意に受ける衝撃、弱った回復力ではその痛みを防ぐ事は出来ず男はわき腹を押さえ激しく息を吐く
霞む視界でいったい何が起きたのかと先ほどまで座っていた場所を見れば三つの人影が自分を見下ろす、おそらくそのうちの誰かが自分のわき腹を蹴り飛ばしたのだろう 男にはこの3人の人影が何者かは分からなかったが、何をしにきたのかは分かる。いわゆる仲間を殺された復讐というやつだ 罪を持つ人間を始末していれば自然と犯罪組織の人間を手にかけることになる、そのときは出来るだけ外見を見た者は始末しているのだが 彼らの情報収集力というものは見上げたもので、自分の顔はすっかり割れていたようだ。3人の人影は何もしゃべらない その代わり倒れこむ男の襟首を掴み、細道の奥へと引きずっていく 道を横切る通行人の中にはこの光景を見た者も居るだろう。しかし男を助けるものは誰も居ない 動かない体、鈍い痛みが定期的に体中に響くのをなんとか押さえながら、男は奥へと引きずられていく --
- 「よくも仲間をやってくれたな」 「あいつはクズだったが俺の友人だった」
悪人というのはいつも同じセリフを吐く、男は路地の奥で3人の人影に木材で殴打され続けながら考える 彼らのような犯罪を生業にするような人間でさえ仲間だと、友だと復讐だと口にするのか。人影の一人が血のついた木材で男の頭をいっそう強く殴りつける 頭は割れ血が吹き出すものの、それぐらいでは男は死ねなかった。ただひたすら頭や体を打つ痛みを感じながら、いいかげんトドメを刺してくれないかと考える やがてひとしきり男を殴った人影は、息を荒くして血まみれになった男を見下ろす。もはや座る大勢すら維持出来ない男の体からは 血なまぐさい臭いに加え腐った肉の臭いすら漂っている。男たちは少し冷静になったのか、その臭いを嗅ぐと顔をしかめる あぁ、こんな人間にさえも、自分は疎まれる存在なのだ。男は血塗れた体をなんとか起こそうとするが、折れた腕で体を起こそうとすればバキバキと嫌な音を立て折れた骨が縦に裂かれる まだ生きているその様子を見てついに人影の一人が刃物を出す、それでいい。男は静かに目を閉じればおとなしく髪をつかまれ、頭を持ち上げられる 喉に冷たい刃物が通る感触がする、痛いのだろうか、むしろ冷たいぐらいのそれが喉仏を押しのけ肉を裂き、筋を一本一本切り離していく 切れ味の悪いナイフなのだろう、何度も何度も前後に動かせばがくがくと頭は揺れ、刺した部分からは血が吹き出る 殴られあれほど血が出たというのにまだ出るものなのだと、男は小さく笑う、笑った際にさらに血が吹き出る 刃物が首の動脈へとたどり着く、ひときわ太い血管に刃が触れるが、そのナイフで血管を切るのには苦労したようだ 頭を踏まれながら何度も何度も、刺すように血管を刺し貫こうとして、5度ほどナイフで血管を持ち上げられると、ようやくそれが切り離される さらに血が地面に広がる、腐ったような血の臭いは一際強く、人影のうちの一人が嘔吐する声が聞こえる。あぁこれがお前らの殺そうとしているものの正体だ 醜く薄汚れ、腐った血でその体を動かすそれがお前らの仲間を殺し、そしてお前らが今殺そうとしている存在だ 男はうなじ部分を切られながら小さく笑う。そしてしばらくすれば、完全に視界は黒く途切れる 男は首を完全に胴と切り離された瞬間に死んだ --
- …………これで死ぬのは何度目だろうか、男がしばらくしてからゆっくりと目を開けると自分は裁判所のような場所に立っていた
目の前には木槌を持った裁判官のような男が座る。目の前……といっても、その人物はとても高い場所に座っている 自分など彼にとっては認識されるだけでもありがたいと思わなければならない存在、彼は自分を生んだ存在、目の前に居るのは自分を作り出した偉大なる父にして冥界の主だ 彼の顔ははっきりとは見えないが、おそらくいい顔はしていないだろう。死んだことではっきりと今までの事が思い出せる、自分は罪を持った存在を取り逃がしたのだ しかもその原因が「たかが小娘二人による妨害」だ、偉大な父もさぞ落胆したことだろう 男は両手に鎖の手錠をかけられ、被告人が立つような場所に建たされていた。左右には壁のように立ちはだかった木製の台が立ち、その台を机として、また高いいすに座った存在が左右3人ずつ、男を見下ろす 左右から見下ろした存在たちは口々に嘆きや落胆、男に対する罵倒などを言い始める。あのような小娘ごときに、主に慈悲をもらいながらも情けない、これで死ぬのは何度目だ いつも通りのお叱りだが男は聞いていない、左右の存在達が何を言おうと最終的な決定は目の前に座る彼が決めることだ 彼は昔自分に言った、罪人を裁き続ければいずれ自分の体を縛る鎖は解けると。男はすでにそれが嘘であることを知っていた、おそらく彼もそれを知っている だがそれでも男がその役割を放棄しないのは、男がそれ以外の道を知ることが出来ないからだ。左右の罵詈雑言もストレス解消の一環でしかない 男は従順な飼い犬だからこそ、自分が何度死のうとも、死んだぐらいのことでは自分の存在が消されない事を理解していた 彼が手に持った木槌を振り上げ、強く台をたたく。それは男に判決が下される瞬間だった --
- 木槌が振り上げられたときに目を閉じ、次に目を開けた時に男は街の中にいた
体の傷は無く、切られた首も繋がっている……いや、繋がっているという言い方は正しくない、この首自体最初から切られていない 一度死んだ後の自分がどうなったのか調べたことがあった、どうやら死ぬたびに新しい体を用意されているようで。一度前に死んだ自分の死体を見つけたときは ……いや思い出すのはやめておこう、男は人ごみの中を歩き出す、時間にして昼といったところだろうか。もはや今まで狙っていた影を仕留める事は不可能だと、彼に言われた ならまた新しい罪人を見つけ殺すしかない、殺すしかない……この言い方もまた男の中ではおかしいことだろう 男は自分が生まれた理由を知っている、自分が自分と分離されて作られた行き場の無い罪の塊であることを知っている だがそんなことを知ったところでどうだというのだろうか、自分が別の生活をすることが出来るのか? そもそもそうすることでなにがあるのか 頭の中で考えるそれに感情は持ち合わせていないが、ひとつ気になることがある。自分と分離される前の自分は、自分と同じように人を殺していたのだろうか 男は不意に立ち止まる。2年前、男は乞食の少年と出会った、彼は乞食にはあまり向いていなくいつも腹を空かせていた 別にその少年とは知り合いでも、友達といった存在でもなかったが、少し言葉を交わしたことがあった ある日男は少年が店から盗みを働いたところを見つける、男は少年に向かって腕を振り、後ろから少年の首を刎ねた またその1年後に男は一人の老婆と出会う、彼女はいつも笑顔で話しかけてきたが。最終的に彼女は乞食を身内に招き入れる犯罪組織のボスであった 男はまた、その招き入れられたもの共々老婆の首を刎ねた 男はたまに殺す相手と会話をする事がある、会話を一度でもしたことがある相手を殺すというのはいつもよりもなにか違和感を感じることがあった もしかしたら自分が切り離される前の自分もそんな思いをしたことがあるのだろうか? 男はそう思った瞬間、ドキリと心臓が跳ねる感覚を覚えた もしかしたら自分だからこそ自分に他の道を示してくれるのかもしれない、自分だからこそこの違和感を教えてくれるのかもしれない 男の立ち止まっていた足は徐々に速くなる、今まで殺す人間を探す以外に足を動かした事は無かった あてもない、手がかりも無い。しかしその姿を意識してみれば分かる気がする。男は初めて自分の考えで人を探し始める --
- 人ごみの中を掻き分けて男は歩く、見れば分かる……とは考えたものの、こう人が多くては相手を探しようが無い
もう一人の自分とは言えど似ているのは容姿だけであり、また今では罪を持たないもう一人は自分とは違いここまで汚くも無いだろう 男はそんなことを考えつつ歩いていると、いつの間にか人気の無い場所まで来ていた。位置にして街の端のほうだろうか 人影も少なく、あるのはいくつかの民家と店ぐらいだ 普段ならこんな寂れた場所など罪人を探すときぐらいにしか来ないだろう、と男は思ったが。それ以外の事をした記憶も無いので考えるのはやめた そこからしばらく歩く、もちろん自分が探す相手は見つからない。当たり前のことだ、いくら見れば分かるからといえこんな風に探しては見つかるわけも無い それ以前にこの街に居るという保証も無いのだ。男は初めて落胆という気分を味わいながらその場を後にしようとする するとその道すがら何か脅すような声が聞こえる、その声の元を辿る様に歩く男。その先には男が4人ほどそこに集まっていた どうやら4人のうち3人が1人の男を脅しているようだ、脅されている男の頬には殴られたあとがある 脅されている男の懐からいくらかの金が取り出される、少なくも無いが、特別多くも無い。しいて言うのなら人3人分の命ほどではないだろう そんなはした金で死んでしまうとはなんとも運の無いやつらだ、男は3人の首に狙いを定め腕を構える、鎖をうならせ相手の首をはねようとしたその瞬間 「待ちなさい!」 閑散とした場所にひとつ大きな声が響く、3人の男達はそれが自分たちに向けられた声だと気がつくと、あたりを見回し声の主を探す その大きな声に腕を振りかけた男もその声の主を探す、視界を少し動かしたところでそれは見つけられた 若い声だとは思ったが、まさか一人の少女が3人の男に強気な声を出すのは意外だ……と思ったのはその3人の男達だろう 思ったとおり3人は少女を見つけてからしばらくきょとんとしていたが、それがどうしたというのだ。その後は脅されていた男を突き飛ばせば下卑た顔で少女へと近づく 傍から見てももちろんその少女が3人の男性に勝てるとは思えない、しかし少女はそれでも逃げる様子は無い それどころか3人に向かって大声で説教を続けるばかりだ やがて3人は少女に近づき言葉を発する、なにを言っているのか聞こえないがあまりいいことでもないのだろう すぐさま首を刎ねてもいいのだが、それを見ていた男は不思議とその成り行きを見届けようという気分になった どうも生き返ってから自分にいつもより余計な思考がついてきている気がする、普段ならばこんなことは絶対に考えないことだ やがて3人のうちの一人が少女の胸倉を掴むと、少女は苦しそうに抵抗する あぁ、ここまでか。と男が再び両腕を構えたその瞬間であった、男はその時に走ってかけてきた男を見て目を見開く 茶色いコートに少し外跳ねした白い髪、右腕の無い体は、男の記憶の中にもその理由がしっかりと刻み込まれていた なるほど、今まで無い考えが今日に限ってあったのはこういうことか、男はかすかに口の端を吊り上げる ヒトツミ……いや今はその名を借りているに過ぎない元自分、唯一自分が昔から知る相手にして始めて自分の意思で探した存在 少女に駆け寄ってきた青年は3人の男性に少女を離してもらうよう頭を下げる、男はそれを見て疑問に思う、何故殺さない? その3人は謝って聞くような人間ではない、それなのに青年は頭を下げ続ける。案の定3人は引く様子を見せない それどころか少女を突き飛ばし青年の頬を強く殴る。さすがにあそこまでされて反撃をしないことは無いだろうと思えば、今度は殴られしりもちをついた男は地面の砂を一掴みすると、3人の目めがけてそれを投げつける なるほど目をつぶしてから殺すのか、男の考えとは裏腹に青年は3人が顔を覆っている隙に少女を小脇に抱え走って逃げ出す 何故? どうして? 男はその光景を理解できなかった、自分という罪を抱えた事のある青年なら、ここで殺すのではないのか 青年が自分であったときに罪人を裁いていたのならたとえ少女に見られていてもそうするのではないのか? 男は困惑する 走り去っていった青年を見届けると、男はますます青年のことが気になりだした 彼はもしかしたら自分である以前に自分とは違う存在だったのではないか、うまく言えないがそのような疑問が浮かび上がる 青年が居なくなった後男は3人の首を刎ねてから青年を見つからないよう追い始めた --
- 男は青年を尾行する、幸いに相手はそう言ったことに疎いようで最初想像していたほどの困難なものにはならなかった
少々拍子抜けしつつも青年をつけていると、とある大きめな建物へと少女と入っていく。宿の名前はリコール、ここが青年が滞在している場所だろうか 男はこのまま宿の中に入ろうか迷う。宿を調べるように周囲を回る、見たところ普通の宿だ。壁に手を付きながら回っていると不意に大きな窓を見つける 思わず身をかがめながら顔を覗かせるように中を見る、建物の内部というものには疎いが見たところ広間といったところだろうか 窓のすぐそばには固定型の長椅子が置かれ、その少し奥にはテーブルと椅子が四つ。床は木造で出来ており 壁は石材だろうか、綺麗に塗装されている。広間の最奥にはキッチンだろう、調理台が並んでいる 部屋の中を観察している先ほどの青年と少女、そしてもう一人女性が現れる。ずいぶんと親しげに離す三人を男性は窓の外から見つからないように眺める 3人は椅子に座れば液体を入れた入れ物を傾け、三つの小さな、取っ手の付いた入れ物に入れていく。男性は食事を取らない、それゆえにそれが何を意味する行為なのかは分からなかったが 3人はそのまま小さい入れ物を手に取り、一口飲む……なんとも不思議な光景だ、罪も何も無い清らかな光景 男にとって初めて見るもの……いや厳密には初めてではない。男はそのような時間を過ごしていた「記憶」だけはある それは自分が経験したことではないがそのときの記憶だけはしつこくこびりつく、それゆえに男の中にひとつの感情が芽生えはじめるのにはそう時間はかからない 3人は時折笑い、慌て、忙しく表情を変化させながら会話を行う 不意に男の中身がまるで宙を浮いているような気分になる、あれは本当に元の自分なのか? あんなに何かを楽しそうにしているのが? あんなに綺麗な存在が? まるで最初からなんの罪も犯していないような顔をしたあれが 男は分からなくなる、そしてそれと同時に嫉妬という気持ちが男の中に始めて成熟した感情として現れた それが形成された瞬間男の冷たい体の中を通る血管は限界まで膨張し、血液の流れを早くする。体を通った血液はその心臓により煮えたぎる湯のように沸騰し どろどろとしたマグマのような熱い血は頭へと強く駆け上っていく この熱はなんだ、と再び男は困惑する。今までになり理由、今まで感じたことの無い自分の体の変化 あの自分を見ているととてもおかしな気分になる。あのよどんだ空気をひとつもまとっていない自分を見れば自然と歯を食いしばる。記憶がある、全部青年の姿での記憶だ 自分の記憶の中には自分なんて物は欠片も出てこないのに、青年が出てくる、青年が笑う、青年が恥ずかしそうにしている、青年が悩み、青年が幸せそうにする 偉大な父は自分を作ったとき人を殺せば罪は消えるといった、男性は気づく、自分の記憶には青年が人を殺した描写が無い。青年は自分が青年の一部であるときでさえ人を殺したことは無かった 何故自分だけが人を殺さねばならない、何故自分が何度も殺されなければならない。本当にあの青年は自分なのか? あれが、今あそこで男には手の届かない場所に居るあれが …… ・ ・ ・ 男はしばらく見て宿を離れる、あれを見れば自分が何か別の道を見つけられると思った、もしかしたら会って話せば何かあると思った だがちがう、もはやあれは自分ではない、元の自分ですらない。あれは あれはヒトツミだ --
- 男はその日から人を殺すことをやめた、罪人を見つけてもそのまま見逃した
人を殺すのをやめれば何かが変わると思った、否定しつつも自分もあのようになれるのではないかと思った。しかし過去すでに何人もの人を殺した事実は消えなかった こちらからもう手は出さずとも向こうからは報復として出してくる。男はその度に逃げた、時折逃げ損ね何度か死んだ 時には頭を砕かれ、時には生きたまま手足を切り取られ、時には魔法でじわじわと三日ほどかけて殺された 男はすでに世間の敵になっていた、男は普通の人間からも普通じゃない人間からも疎まれる存在になっていた。男はただ罪を犯した者を殺しただけだった それしかやり方を知らなければそれしかいわれることは無かった、死ぬたびに父の自分を見る目は冷ややかになっていく。このままではいずれ自分は冥界の土に溶けて消されるだろう 男はその後下水道に住み着き人目を逃れ、3ヶ月をかけて表情を変える事を覚えた、そこから2ヶ月かけて普通の人を観察し、それを真似た 自分が幸せになれるとはもう思っていない、自分が綺麗になれるとはもう思っていない、自分が自分に戻れる事はもう思っていない だがそうしているうちに男はひとつ人間らしいものを自分の中ではっきりと感じられるようになった 嫉妬だ、男はあれ以来ヒトツミに嫉妬していた。自分でありながらも、自分を生み出しながらも今もなおのうのうとしているその存在に、ひどく嫉妬していた 男はこれから人ではないものを殺そうとする、それは男にとって初めての自分で作り出す明確な罪だ 男はこれから罪を持たない相手を殺す --
- …………黄金暦245年 9月 この宿に住み始めてからもう大分時間が経った、相変わらず少女はここへ遊びに来るし、医者の男性もたまに来る
相変わらずお客は少ないのだが、あの時本を作ってから今まで少し驚く事が起きた なんの間違いかあの本は出版されつつましくも書店に並んだ そしてさらに驚くべきはその本がそこそこの売り上げを出し、さらにその本の話を信じた人が何人か宿へ来たことだ。まさか本当にくるとは思わなかった僕は本を読んで来たという客を見るたびまだドキドキとしてしまう 初めて来た人と話したときは何度も噛んでしまってひどい物だった、その度に少女にフォローされていたのがなんとも情けない話だ それ以外は特に変わったことは無い。もうコートに黒い影が走ることもないし、誰か特別な人と会うことも無かった 時々昔を思い出して少し寂しいときもあるが、それでも今ここに居れる事を僕自身は感謝している そうだ、このシーズンには珍しいけど宿に長期の宿泊客が来たらしいと大家さんから聞いた(大家さんは宿の主人の事だけど、家賃を払って住まわせてもらっているので今では大家さんと呼んでいる) 大家さんの話を聞くとどうも雰囲気が少し僕と似ているらしい、どういったふうに? と聞くと上手くは言えないと返されたが とにかく変わっていることには間違いない、と笑われた --
- 男が下水から上がってから一番苦労したのは臭いを消すことだ。いくら川で洗おうと何をしようと、すれ違った相手に嫌な顔をされない程度にすらならなかった
仕方ないので崖から身を投げて一度死んだ後、新しい体になってから宿へ行くというずいぶんと遠回りなことになる。男はまず宿へ付くと受付で長期滞在の手続きを行った、金は前金ですべて払う。男は時折殺しの方法として殺し屋を装う時があった その方が大きめの組織を潰す時に何かと便利だからだ、男はけして弱くは無いが、さすがに一人では限界があった。金はその時に報酬として得たものを特定の場所に埋めていた 手続きをした日にはあのヒトツミは居なかった、宿の主人にヒトツミは居ないのかと聞くと、少しきょとんとしたあと「あぁあなたも本を読んだんですね」と言ってくる 本が何のことかはわからないが、話をあわせるためにそういうことにする。どうやら冒険家業で今日一日は帰らないらしい 男は部屋へ案内されると……そこからどうして良いか分からなかった、男は生きている間は四六時中街を歩いては人を殺していた。それは昼も夜も朝も休むことなく殺していた 体力は体の性質上ひどいダメージを受けない限りつかれることは無い、受けた傷もまた大きなものでなければすぐにふさがる 男は人を探して、殺す以外のすごし方を知らない。とりあえず普通の人の真似を始める、まずベッドに座り、荷物を整理する 男は荷物は持っていない、なので変わりに袋に詰めた石を部屋にあったテーブルに並べていく それが終わると椅子に座り窓の外を見た、特に何も無い、人が歩いているだけだ 男はすぐにやることがなくなると、部屋を出て下に下りる。受付では宿の主人と目が会い会釈をする、会釈にどんな意味があるのだろう、男は考える そうしていると横目に窓から見た広間が目に映る、入ろうかどうか迷っていると、主人が「ご自由にどうぞ」と言ってきたので言われるがままに入った 部屋の敷居を越える際隠していた袖から伸びる鎖の一本が落ちる カシャンと高い音を立てて落ちたそれをゆっくりと袖の中に戻すと、主人はものめずらしげにそれを見る 男は鎖を隠し終えると広間の椅子に座った、しかしそれ以外何かすることは無い。ひたすらに椅子に座る、何分も何時間も じっと、何もせず。そうすると少し日が傾き始め、太陽が赤みを帯びたころになる、そこへ宿のドアが開く音がした 男はヒトツミが早めに帰ってきたのだろうか? と思い身を少し乗り出してみたのだが、どうやらあの時見た少女が来ただけのようだ 少女もまた主人と挨拶を交わした後ヒトツミが居るかと聞く、主人は男に言ったことと同じ事を言うと、少女はそれに返事をして広間を覗く 少女の視界に男が映ると、少女はあっと声を上げてから、見間違いに気がつく 男はそれに少し違和感を感じたが、そうか自分の元はヒトツミであるため少し見た目が似ていても仕方が無いか、と忌々しく思った 少女はヒトツミが居ないのなら帰ろうか、それとも広間で休憩していこうか迷っているようだ。だがそれは男には関係ない、男は立ち上がると少女の横を抜け部屋に戻る 食事はとらない、この宿についてから一番ありがたいのは、何も言わなければ食事に関して何も聞かれない事だった 何をしていいか分からない男は、部屋に戻ってからその日はずっと、部屋の真ん中で動かず立っているばかりだった --
- あれから一日が経った、結局何をするでもなく立ち尽くし気がつけば朝日が昇る。宿に止まる少ない客はまだ起きていない
男は部屋を出て階段を静かに下りると、受付に誰も居ないのを見ると外に出る。さすがにこの時間にあのヒトツミが帰ってくる事は無いだろう 男は初めて目的も無く歩き出す、早朝、時折鳥の鳴き声が聞こえる中を歩くと冷たく引き締まった風が吹く しかし男はその冷たさを感じることは無い。大きな怪我をして身体機能が低下でもしていない限り何かを感じる事は無い 男は今までのことを思い返す、ヒトツミ会う前はただそれが嘘だと知っていても機械的に人を殺し、身を汚す それは意味のあることだったのだろうか、男は今までにそんなことを考えたことも無かった そしてそれをいくら考えたところで答えは出ないし、誰も教えてはくれない。何故生まれてきたのが自分なのだろう、この腐った空気と目のような、醜い存在を作ったのだろう 何故罪の塊であるものが意思を持ち、それがのが自分なのだろう 男はヒトツミを見て以来今まで考えないことを多く考えた、考えて、そして答えは出なかった。自分は今嫉妬で動いている、嫉妬で動きヒトツミを殺そうとしている 何故ヒトツミを殺すのか? 自分は殺すことしか知らないからだ、殺すことでしか答えや理由を見出せないからだ。だけどすぐには殺しはしないと決めている 宿を長期的に借りるのもこのためだ、男は少しヒトツミを近くで観察してみようと思った、自分でありながら自分でない存在、汚い部分だけを綺麗さっぱり切り取ったような自分を見て自分はどうなっていくのだろう あの時あれは自分ではない、そう思ったはずなのに気がつけばまたあれを自分だと考えていた。断ち切れない考えに体の中が重くなる おかしい、おかしい、おかしい。男は頭の中で同じ言葉を繰り返す。この断ち切れない考えは、考えれば考えるほど苦しくなるそれはなんだ 殺してしまえば治るのか、壊してしまえば収まるのか。あるいは自分が死んでしまえば終わりなのか 道を歩きながら何度も何度も何度も考える、もちろん答えは出ない。やがて男は適当な段差を見つけてそこに腰を下ろす 昼ごろに戻ればヒトツミが帰ってきている頃だろうか……男はもう何も考えたくなかった、ヒトツミを殺すまでは……と押さえていたいつもの行動 それが唯一男の頭に霧をかけてくれるものだ、我慢が出来なかった。すぐさま立ち上がり薄暗い道を見る 我慢が出来ない、できない、デキナイ……男は両腕の袖から鎖をたらすと、飛ぶようにその薄暗い道へと消えていった --
- あれからどれほど時間が経っただろう。押さえていた分だけの欲求と迷いが爆発したように男は鎖を振るった
自分にもこのような一面があるのか、と男は内心驚く。返り血は外套にべったりと飛び散るが、男の着ていた外套はそれを吸うように、付いた血を消していく 足元には12人ほどの首の無い死体が転がる、いつもは首を刎ねるだけで済ますのだが今回は腕や足が潰れている死体もある。彼らが男の前で何か罪を犯したわけではない だがそれに関して男はどうでもよかった、どうせこんなところに居るのだから何かやらかしているだろう、そう思うことにした。これは罪人を裁く行為ではなく欲求の解消だ 男は自分にもこういう面に対し驚きもしたが、そのあと少しうれしかった。自分が人間になれた気がした いや、人間になりたかったわけではないが……袖で顔の血をぬぐい道から出てくる、すっかり日は傾き、これならヒトツミも帰っているだろう あぁ……あぁ……人を殺しておいてよかった、もしあのまま我慢していれば。周りの罪無き人間と共に、視界に入った瞬間殺していたかもしれない 男は少しおかしく思えた、目の前が明るく見えた。頭の中に初めてアドレナリンが流れ始めた --
- 宿に着いたころにはすっかり日も沈みきっていた、男が宿の扉を開ければ主人が受付にランタンを置いて本を読んでいる
「あぁ…ヒ……っ、おかえりなさい」主人が自分を見てとっさに出た言葉を途中で止め、本来は客に言うであろう言葉を放つ。誰かと見間違いをしたのだろう、それが誰であるかは予想が付く 男は主人にヒトツミが帰っているかを聞く、主人は今は部屋に居ると返すと、男は礼も言わず階段を上る 男の風貌や雰囲気は人から見ればまともとは言いがたい、主人は階段を上る男を心配そうに見る、もちろんそれはこの男が何かやらかさないかに対してだ しかしそんなことを気にかけず男はヒトツミの部屋へと足を運ぶ、会って何かしたいことがあるわけではない、だがヒトツミは自分を見て気がつくだろうか 切り離した自分である事を、それが自分の罪であることを。男はそれらしい雰囲気のする部屋のドアの前に立つ、中に人の気配がするのを確認し、ドアノブに手をかける --
- 「はぁ……今日は一段と疲れたな」
荷物をベットに投げながら疲れた声を出す。今回はいつもより仕事場が遠かったため少し部屋を空けることになり、今ようやく一息つけたところだ 予定では昼には帰っていたのだが、街についてからの報告と手続きが少しややこしく時間がかかり、変える頃にはすっかり夜になっていた 宿に帰ると大家さんが相変わらず受付で本を読んでいるのを見たときは元気なものだと思ったけど、自分もまだまだあれぐらいの元気は持っていないとだめだろう、と思う しかし時間をかけるにとる収入は得たため家賃に関してはしばらく問題は無いだろう、椅子に座り一度疲れた肺を伸ばすため深呼吸をする そういえば自分に似ていると言う客はまだ帰っていないらしい、少し気になるので顔をあわせて見たいのだがまぁこんな夜だ、帰るのはもっと夜が更けてからか、朝だろう とにかく明日は何も予定が無いためゆっくり眠れる、僕は投げた荷物を再び手に取り椅子にかける(二度手間だ)とベッドに横になろうとする するとドアノブがカチャリ、と小さく音を立てた。誰か着来たのだろうか? としばらくドアのほうを見ていたのだが それ以降なんの動きも無い……聞き間違いか? そう思っていたが何かただならぬ気配を感じる気がする それは直感とか、そんな気がする、とか根拠の無いものだけど、こういうのは時々あたる。冒険者のカンというのもあるかもしれない ドアの前に誰かが居たら怖い、そう思いながらいつまでも動きが無いドアの前に立ち、思い切ってドアノブに手をかけ 一気にその扉を開ける……目の前にあるのは誰も居ない、明かりの消えた廊下。やはり気のせいだろうか、そこには人の気配も無い 聞き間違いか、だれかが部屋を間違えたか……とにかく僕は開けたドアをもう一度閉め改めてベッドに横になる ……なんだか少し嫌な予感がする、これもさっきみたいに気のせいであれば良いけど。そう思いながら目を閉じれば、昔とは考えられならないぐらい素直に眠りに付いた --
- 朝、男がドアノブに手をかけてまでもヒトツミと会えなかったのは何故だろうか。それは男自身にも分からない
ただなんとなく、ヒトツミという人物を知る前に直接接触するのはあまり好ましくないと思ったからだ。元は自分なのに人物を知るもなにもないだろう そう考えるのだが今となっては内面的に言ってしまえばヒトツミと自分は大分違う存在となっている、まったく同じと言えば過去に持った記憶ぐらいだろう 男は部屋に戻ってから朝を待った、睡眠をとる必要もとり方も分からないので部屋の真ん中に立ち尽くす そうして朝を迎えればまた階段を下りる。今度はそこまで早くは無い、一般的な朝だ その証拠に階段を降りれば広間に一人の人間が椅子に座っているのが見える ヒトツミ……その人物が何者かであるかを確認すれば男もまた、その広間へと入っていく 広間と言うには少々広さの足りないその部屋に入ればヒトツミもこちらの存在に気がついたのかこちらに目を向ける、その時男には相手が自分を見てどう思ったのかは分からない 分かったところで男には何か特別なことが出来るわけでもない、ヒトツミと男性は互いを見て数秒の時が経つ。その後相手もまた、なにをするでもなく会釈をしたので 男はそれに対し返事もせずに窓際の長椅子へと座った さぞ無愛想な人間だと思っただろう、おそらく自分が座っているヒトツミを見ていた時の目はいっそうよどんでいたことだろう 近くで見て改めて分かるのはそれだけで男にとってヒトツミは胸糞の悪い相手になってきていると言うことだ。そんな男の視線を背に受けながらもヒトツミはテーブルに置かれた本のページをめくる 分厚い表紙と大量の紙束で構成されたそれをめくり、大量に陳列された文字を読む 時折本の隣に置かれた、湯気を立ち上らせるマグカップを持ち上げその中に満たされた液体を口に含む 男にとってヒトツミという人間は自分がしないことをごくごく当たり前のように行う、さぞ汚い部分を切り離した生活は清々しい事だろう 男は長椅子に座りつつ、やはり今すぐにでも殺そうか……そう考え袖の鎖を一本手に取る しかしその直後宿の出入り口の扉が開く、それを知らせるベルの音が宿の中になり響き、そこから以前の少女が出てくる 少女は今度こそヒトツミを見つければそれに駆け寄り、すぐさま隣の席へと座ると、ヒトツミに話しかけ、ヒトツミもまたそれに応える 話の内容は他愛も無いことだ、おとこは目立たないよう静かに長椅子の隅へと身を移動させる 自分は何をしているんだろう……とは考えない、ただその会話からヒトツミの周囲の人間関係が分かってくる。そこで男は改めて確信を得る、やはり目の前に居る存在は自分ではなくなった自分だと ただ殺すだけではつまらない、男はヒトツミが切り離した自分と言う存在をしっかりと認識してから死んでもらおうと考えた それは彼の環境に対する妬みでもあり、またこれから殺す相手にかける初めての慈悲であった。男は途中すれ違った宿の主人とにこやかに挨拶を交わしつつ宿の外へと出る。後はどのように言葉を交わそうか 出来るだけ、ヒトツミとは二人きりがいい。男はそう思いながら、その朝は裏路地へと消えていった --
- 普段ヒトツミという人間は何をしているのだろうか、もちろんそれは自分のような罪を背負ったヒトツミのことではなく、自分がヒトツミと定めた相手のことだ
男はヒトツミの部屋が覗ける場所を探し、その場所から見張ってみる事にする 朝食を終えたヒトツミは部屋に戻り荷物の点検を始める。それは刃物の手入れであったり食料の残りを見たり、またそれがいつまでもつのか そのようなことを1時間ほどかけて行い、それが終われば改めて荷物をまとめる。男は出来るだけ見つからない場所から部屋の中を見ていると、不意にヒトツミは部屋を出て行き、それから階段を降りるような音が聞こえる 防音性はあまりよくないようだ、もともと建物内の足音を感知できるほどの耳を持つ男でもそう思ってしまうほどその足音はよく聞き取れた ヒトツミはそこで主人と軽く会話をする、おそらくそれも日課だろう。内容は今日の予定や次の仕事の日 これもまた朝のように日常的なものだ、どうやらヒトツミはこの後先ほどの少女との予定があるらしい 男はここで少女の誘拐を考えた、あれをさらいヒトツミをおびき出せば人目に付かないところで会話をした後に、奴を心置きなく殺せるのではないだろうか だがその考えはすぐさま振り払われる、それだとあの少女がうるさい、何より罪の無い人間に手を出すのは即座に自分のみが消滅する危険性もある 男は罪の塊であるがそれゆえにヒトツミでもあり、冥界に飼われているという立場から多少の無茶は効くとしても、原則として罪を犯していない人間に危害を加える事はさすがに出来ない ヒトツミが宿から出るのを確認するとまた男も尾行を開始する、相変わらず後をつけられているのにはまったく気がついていない様子で ずいぶんと腑抜けた奴だ、とそれを見た男はそう思った --
- しばらくヒトツミの後をつけていると、やがて少女を見つけたのか、ヒトツミは手を振ってかけよる
少女もそれに気がついたのかそれに対し同じように手を振って応えた。それからいくつか言葉を交わした後、男にとって予想外の事が起こる ヒトツミの尾行があまりにも簡単すぎて気が緩んでいたのだろうか、不意に少女の視線が男を捕らえこちらに気がつく そして事もあろうにこちらに声をかけてくるのだ、そのおかげでヒトツミもまたこちらに気がつく。やはりヒトツミに会ってからの自分はどうもおかしい 今まで見つかった事の無い尾行に初めての黒星が刻まれつつ、男は即座に表情を作り「普通の人」を演じる 少女に声をかけられると男は軽い挨拶をしながら傍へと歩いていく、もちろん朝のような雰囲気は出来るだけ隠し、少女が近くに居るためヒトツミにも同様な少し愛想の良い態度をとった ヒトツミのほうも朝の事は気にしていないのだろう、男に対し挨拶を返すと、少女は男に対し今は暇なのかと聞いてくる その問いかけにヒトツミが横からあまり無闇に巻き込むんじゃない、と注意するが、少女はそんな事お構いなしと言った様子だ 巻き込む……と言うのはどういうことだろうか。男はその問いに暇だと返すと、少女はこれからヒトツミと共にある廃墟へと行く途中だったと言う どうやら最近そこには怪人が出るという噂があり、二人でそれを調べようといったところだ。男は怪人と言うのがなんなのかは分からなかったが どうもそれから察するにあまり友好的な存在ではないと考えた、男はその後更に考えをめぐらせる 経験から考えれば廃墟に居るのは大抵浮浪者か見られればこちらへ危害を加えてくるものが多い 怪人と言うのもそういった類のものだろう、この二人がそんなところへ行く理由はなんだ? 男が考えていると少女は暇なら一緒に行こうと提案する、ヒトツミは男を巻き込む事にあまり乗り気ではなく、てきとうに流してくれていいと言った しかし男は何故その行為をするのかが気になった、もしかしたらこの少女はこうして人を廃墟に誘いヒトツミと結託し人を襲っているのかもしれない そうすれば少女は罪人だ、男が少女を誘拐しおびき出し、この二人を殺す事も可能になる それともこの二人で罪人を駆除しているのだろうか、そうすればヒトツミはやはり自分と似た存在なのだと納得できる(それでも殺すが) 男は承諾し二人についていく事を選んだ、それを聞いた少女は「じゃあ」といって歩き出す、少女とヒトツミの後ろを立ち位置にして男はその二人についていった --
- 廃墟、石材で作られた壁は劣化し所々虫食いのように穴が開き、今もなお崩れている途中なのか時折なにか硬いものが落ちる音が聞こえる
そんなボロの壁で覆われた建物の要所要所からは赤く錆びた金属のようなものが体を突き破るようにうねりながら突き出している 中は日がささず暗い、それどころか入り口から離れた場所からでさえも湿った重苦しい空気がこちらを撫でるような感覚に襲われた 公共施設だったのだろうか、大きさ的には民家など比べるにもおこがましいほどに、その建物は大きかった 建物に近づくにつれ周囲には人気が無くなり、またついさっきまで鳴いていた鳥の鳴き声さえも今はすっかり消えた その異様な雰囲気を前の二人も感じているのだろう、少女はヒトツミの袖を掴みながらも気丈に振舞うが、ヒトツミのほうは明らかに帰りたそうな顔をしている 男は特になにも思わず、先ほどから立ったままの二人に「入らないのか」と声をかける その声に驚いた二人が大きく身を跳ね上げると、こちらを振り向いて言い訳を始めた。男は此処で初めて呆れる、と言う感情を表に出す ため息をつきながら男は少女に怪人といっても、どんなものを探しているのかを尋ねる、できるだけフレンドリーを心がけた 少女は実際の見た目はあまりよく知らない事を最初に言ってから、一つの話を話し始める
昔から誰が建てたのか、そしてどうして廃墟になってしまったのか誰も知らない廃墟。街から少し離れたところにあるその建物は その広さから時折若者の溜まり場や浮浪者の住処として使われていた 誰も居ないそこはやがて透き放題騒げる人気スポットとして、あまり祖業の良くない人間に広く伝わったのだが。いつしかそこに奇妙なものが現れるようになった それが現れる時は遠くの方からカーン……カーン……と金属を叩くような高い音を響かせる、その音の意味を知っている人間はそこですぐに逃げるが この話が伝え始められた時や、知っていても向こう見ずな若者はその音の正体を探り始めるか、または無視をする やがてその金属音は次第に大きくなり、その建物の中に居る人間の方へ近づいてくる カーン……カーン……カーン……カーン……音が次第に大きくなる やがてある一定の場所、感覚で言うなら目を凝らしてもギリギリ闇に視界がさえぎられるところで音は止まるらしい それは音が鳴っている時にその方向へ近づいても、複数人でそれぞれ違う距離をとっても、その人が居る距離によってそれぞれ音が止まる近さが変わるので音の正体を見ることは出来ない 音が鳴り終わったときが最後の逃げるチャンス、そこでもその場から逃げなければ、やがて建物内に存在するありとあらゆる光源が同時に消され、再び明かりつくことは無くなる ある日そこで行方不明者が続出する事から、自警団が大勢で捜索に踏み出した。そうして見つけたのは 首だけを出して建物の床に埋まった行方不明者たちだという、行方不明者は眠ったような顔で頭だけを出して埋まっている 自警団がそのうちの一人を掘り返すと、頭だけを残して首から下は人間の一部だとは思えないほど、干からびて小さくなっていたという
……少女が話し終えると壁の大きめな一部が崩れ落ち、飛び出る金属部に当たったのだろう。カーン! と大きな音がした瞬間、ヒトツミは少女に、少女はヒトツミに飛びつく 男はまた呆れる、こいつは元は自分のくせに、なぜ此処まで見ていて情けないのか おまけにその姿を見たものが居ないのなら、それが怪人と属するものじゃないのではないかと男は考えた いつまでも震えている二人を見て落胆する、どうやらこの少女が悪人と言う事も、別に罪人を罰しているわけでも無さそうだ 酷い落胆と共に男は二人の横を通り過ぎて建物へと入ってく、制止する二人の声を無視しする男 習性という奴なのだろう、それが人である保障は無いが、もしそれが人を殺した人間であるのならそれは罪人だ。男は罪人の可能性をもったものを自然と調べずには居られない そんな建物に入っていく男の後を、二人は間をおいて互いを見てから、急ぎ足で追った --
- 廃墟の中は外から見た印象そのもので、薄暗くじめじめとしたものだった。男はそれに構わず進み続ける
外は昼だというのに何故こうも暗いのだろう、壁にあいた穴を観察していると後ろから二人が付いてくる 男はそれもまた気にする様子もなく壁の穴に手を入れると、手がずぶずぶと壁の穴にある闇に飲まれていく どういうことだろうか、見た感じ壁は腕の長さよりは厚くない。これはまるで穴に闇を詰めているような感じだ 後ろを振り向けばヒトツミは少女の後ろに隠れながら周囲を警戒する、この二人が慣れるまで少し時間がかかりそうだ 廃墟に入ってから15分の時が経つ、なんとかその場の雰囲気に慣れた二人は、このあとどうやってその怪人とやらをおびき出すかを考える 話のとおりならばこの廃墟の中であればその場に居るだけで音が聞こえてくるらしい しかしその音がするまでいつまで待てばいいのかまでは分からない、とりあえずこの廃墟の中を散策しようということになると 少女はコートの内側から長い木材で出来た棒状のものを取り出す 松明だ、この薄暗い中では役に立つものだろうが、何故わざわざ懐からそれを出すのだろうか 相談の結果散策は男が一人で、少女とヒトツミがペアを組んで行う事になる。取り決めの際二人から大丈夫なのかと聞かれたが、男は慣れている為平気だと答える 散策を始める。二人は2階、男は1階を調べることになる、少女とヒトツミにしばしの別れを告げれば先ほどまで平均的に表情を変えていた男の顔は一気に無表情へと変わる 表情を変えるのに疲れたといった様子で男は息を吐きながら歩き出す、光の差さない壁の穴 男がそれが少し気になった、まるで光を入れるのを拒むような現象だ、それが自然にそうなっているものとは少し考えにくい そうすればやはり誰かがそうすることで、話のとおりに此処へ来た人間を殺しているのか……? 男は考えながら歩いていると、つま先になにかが当たる 壁の一部か? と男がかがんでそれを見るとどうも違う、白くて棒状の……骨だ、だがそれは酷く捻じ曲がっている とても人や動物のものとは思えないそれを男は拾うと、様々な角度から眺める 壁に詰められた暗闇とこの骨はなにか関連があるのだろうか 男がそうしていると、どこからか高い金属音を叩く男が聞こえる --
- カーン……カーン……金属同士を叩く音が聞こえる、男はその音がどこからしているのかそれを探るために走り出す
しかしその音の正体は一定の距離を保ったまま姿を現さない、走る途中で男は気づき足を止める あの二人が危ない、少女の方はともかくヒトツミを殺すのは自分だ、こんなところで殺されるような奴だとは思いたくないが、今までのを思い出すとその可能性も否定しきれない 男は急いで階段へと向かおうとするがあたりは先ほどよりも暗くなっている気がする、おかしい……先ほど走ってきた道が分からないのだ まるで暗いだけではなく方向感覚まで狂わされている感じ、なるほどこれでは音がした時点で逃げることは出来ない、男は二人が2階へ行ったのを思い出すとふと上を見上げる そこに二人が居ないこと、そして空間があること、更に床が一気に崩れないことを祈って両袖の鎖を何本か垂らせば 一気に天井へと向かいそれを飛ばす。轟音が鳴り響いた、鎖の刃が石材の天井を突き破り人が一人通れるほどの穴が開く 幸い上心配していたことも起こらず男はそのまま2階へ移動すると、目を閉じて感覚を研ぎ澄ます 男は殺しに特化した体を構築されているため、視界に頼らずともある程度人の気配を感知することが出来た、更に鎖を地面に垂らすことによって その地面を伝わる振動が感知できる。目を閉じて集中する 探すのは二つで固まっている気配、二つの足音……男が目を開ける、見つけた 道を探している時間は無い、男は壁を突き破りながら二人の下へと行く、そうしている間にも音がどんどんと近くなる カーン……カーン……カーン…カーン…カン カン カンカンカンカンカン 金属の音が早くなる、男が壁を一つ突き破ると、少し遠くに明かりが見えた、松明の明かり……あの少女のものか 既にすぐ傍まで来ているような音、真っ暗な周囲ではあるが、その暗さは男にとってあまりもんだいではなかった ある程度近づけば二人固まっている少女とヒトツミが薄く見える。音が急に途切れる……あと少し 男が二人にたどりつこうとした瞬間、明かりは消え、少女の近くに手が伸びるのが見えた させるか! そう呟くと右腕を前に振りぬき鎖を手が伸びた場所へと向かって鎖を飛ばす ドゴン ドガンガゴン 金属音とは異なり重たいものが石壁に突き刺さる音が聞こえる、その次になにかの叫び声。するとそれが聞こえた直後、少女の松明に明かりが戻る キョトンとした二人の前に男が立ちはだかり周囲を警戒する。どこかへ逃げたのか……手ごたえがあったのは確かだと床を見れば血痕が床へと散っていた --
- 気配は既に無くなった、気がつけば壁の穴から光が差し込んでいる。それが死んだのか、逃げただけなのかは分からないが
とにかく今はその怪人とやらの力が弱くなった、と考えてもいいのだろう、男は鎖をしまうと二人の方を見る 少女とヒトツミはしばらく立ち尽くすと、力が抜けたように膝を折る少女をヒトツミが慌てて支える。流石に此処で気を失うほどではなかったか 立っているヒトツミを見て男は安堵すると、とにかくここから出よう、と言うことになった それから宿へと戻り、埃だらけの3人を見た主人は訳を聞くと、自分を巻き込んだ上に危ないことをしたという理由でヒトツミと少女を叱った --
- それからはなにも無く、しばらくの時間が経った。男もその間はヒトツミを殺そうとはせず、ただ一定の距離で普通の人間を演じて生活した
朝起きれば普通の人間のように挨拶をし、普通の人間……よりは口数が少なかったが、会話を交わし そして夜は普通の人のように寝る練習をしてみた、いつしか男はなじんでいた。その宿に、というのももちろんだが その地域にといっても過言ではないぐらいに、男は一人の人間として周りからみられていた あの頃のように通行人が嫌な顔をしてこちらを見ることは無くなった、いつからか体の臭いが消えていた 男は最近人を殺していない、そのせいで冥界からなにか罰でも受けるかと思ったが、それもない 男は羨むものはなんだろうと考えた、あの時窓の外から見て感じた気持ちはなんだったのだろう、と考えた 今ではその気になれば窓の中から外を見る位置に居ることも出来た。それは一人ではなく、二人か、三人でも 無駄だったのだろうか、自分が人を殺すのは。それが自分の罪を余計に重くし、体を穢していくのは分かっていたつもりだ だが男はたまにそれが自分以外の役に立っているかどうかを考えた事がある、しかし冥界からなにも言ってこないというのは、きっとそれもあまり重要なことではなかったのだろう 今男は一人借りた部屋に居る、その狭い宿は部屋の数が多いとはいえないが、それでも自分の隣がヒトツミの部屋だというのには 少し意地悪な配置だな……と思った --
- 街の隅辺りに置かれた区画、そこの建物の周りに野次馬と自警団が人の群れを作っている。建物の2階には大きな穴が開き、その周囲には大量の血痕が残っていた
穴の開いた建物の名前は宿屋「リコール」自警団が宿の一階で主人に話を聞く 突然大きな音がした、それ以外にこれに関して宿の主人が知る事は無い。2階には血が飛び散った部屋を前に 少女がなにが起こったのかわからない、と言った顔でただただ立ち尽くす。少女の後ろに居た眼鏡をかけた男性はそれに心配そうな様子で、少女の肩に手を置いた 2階に開いた穴はまるで血痕の付いた部屋を貫くようにして開いている。いったいなにが起きたのか、それは恐らく その貫かれた部屋の主であるヒトツミと、そしてその部屋の隣を借りていた男にしか分からないだろう --
- 男は建物の屋根を走る、屋根から屋根へと飛び移りながら何かを探すように首を動かし
時折背の高い建物の間にある細い路地を見つけてはそこへと降りる。その路地をくまなく探し、なにも見つからなければクナイの付いた鎖を壁へと突き刺し、また天井へ あの時しっかりと狙いを定め鎖を打ち込んでいれば、ここまで大事にはならなかっただろう、男は舌打ちをしながらそれを探し続ける
宿から少し離れた場所、ヒトツミは左胸を押さえながら壁へと寄りかかる。部屋の壁が爆音を建てて破られたかと思えば。その瞬間にはもう誰かに胸を刺されていた ヒトツミは相手を丁度手元に置いていたサーベルで振り払い、部屋を出て逃げようとはしたが、自分が狙われているのなら今1階に逃げるのはまずい 大きな血管でも傷つけられたか、先ほど刺された左胸からは大量に血があふれ出し部屋を汚す 血が少なくなれば逃げることも叶わないだろうと、宿には自分より強い客が居ることを思い出しながらもとにかくヒトツミは部屋に開いた外へと通じる穴へ、自分を襲った存在を確認しないまま飛び降りる エネルギー体であるヒトツミの体は少しぐらいのダメージは瞬時に治ってしまう……というのは少し前までの事で。最近その体は人と同じようなものになっていた、そのせいか傷の治りも前ほど早くない 2階から飛び降りなんとか受身を受身を取る、幸いに足の骨がどうこうなることはなく、ヒトツミは出来るだけ遠くに逃げる そんな今までの経由を思い出しヒトツミは壁に寄りかかりながら考える。逃げたはいいものの宿のある場所は正直あまり人が多い場所とは言えない、おかげで考え無しに移動してしまった今はまったく人の居ない、閑散とした場所へときてしまった 抑えていた胸を見る、開いた穴からは絶え間なく血が流れ続ける。昔は体が傷ついても血が流れることさえなかったのに、これは存在意義を得た証明なのだろうか ヒトツミはそう思いながら、ついには壁を背に座り込んでしまう。だが体が人に近づいたことが回復力を大幅に下げている理由ではないのはヒトツミにはどことなく理解できていた 彼の体はかすかではあるが未だ冥界とのつながりを持っている、それがどんな理由でかは分からないが、傷を受ければそこからヒトツミであった時のように治癒力を吸い上げればいいだけだ だがそれはもう出来ない、なぜならヒトツミの背中にはとある人物と契約した印が残っているからだ。もちろんヒトツミはこれを一生消すつもりは無い ぼやける視界……そんな時だ、上から目の前に、落ちるように視界に人影が視界に入ってくる。茶色い街頭を羽織り、自分に似た、だけど自分より長い白髪を揺らすそれは こちらを認識すれば近くまでより、足を上げて狙いを定める。あぁ、これは止めと言うやつだろうか ヒトツミがそれは見て持っていたサーベルを持ち上げようとするが、腕に力が入らないのを感じると、残念そうに目を閉じた --
- ヒトツミは自分が次に目覚めるのはまたあの冥界だろうか、それともそのまま消え去るのだろうか
そう死の間際考えていると、以外にも次に目を開けるのは自分が座り込んだ場所であった。蹴られた左胸には激痛が走り、ヒトツミは目の玉が飛び出んばかりに目を見開く 「この馬鹿が! 人に襲われてなんで人気の無いところに行くんだ!」 怒鳴るようにしてヒトツミを蹴った相手、ヒトツミに似ていると言われていた宿の客だった 男は不機嫌そうに一つ身が目を開けたのを見ると、踵を返し後ろを見る。ヒトツミの視線も自然とその方向へと誘導されれば いつの間にか魔術師のような格好をした人間が一人立っていた。痩せこけた頬に眼鏡の下にある目は生気を感じさせない 体全体はローブで覆われており正に不気味という言葉が二足歩行で歩いているような風貌だ。魔術師は目の前の二人を見て 「一人のはずだったが……」 と小声で呟いた。いったいどういう事なのか、目が覚めたばかりで困惑しているヒトツミに男はさっさと立て! と怒鳴りつける 立てといわれても、血を流しすぎてそれどころではない自分には……とヒトツミはそこまで考えてから、足が簡単に動くのを感じて驚く 足が動くどころではない、まるで怪我など無かったかのように安々と立ち上がれる、気づけば先ほど蹴られた左胸には穴が無かった いったいどういうことかと男に聞きかけたが。既にそれどころではない様子で、自分に背を向ける男も。こちらを見る魔術師も もはや一触即発の雰囲気に、その場に居る全員が同時に。自分の武器に手をかけた どうやら話している暇は無さそうだ、そんなセリフが似合う場面だと、ヒトツミは思った --
- 数分後、そこには首の無い魔術師の体が転がっていた。男の鎖が血糊でべったりと赤くなる
どこぞの雇われ殺し屋か、狙われていたのはヒトツミではなく男の方だ。男は手間をかけさせられた魔術師の死体を一度蹴る 普段死体にこのようなことはしないのだが、自分が行動を起こそうとしていた瞬間、そして考え事をしていた時を同時に邪魔された事に非常に腹が立った そんな死体を蹴る男を見てヒトツミはその辺にした方がいいのではないか、と口を挟む。別にそこまで執着があるわけではない 男はすぐに蹴るのをやめれば、深く息を吐く……今ではもう、ヒトツミを見ても最初のような怒りも嫉妬心も感じない サーベルを鞘にしまいながらヒトツミは何かを思い出したように男を見る、蹴られた左胸の穴が塞がっていたことだ あぁ……この魔術師には邪魔をされたが、結果的に場を作ってもらったことになる、男はそれを聞かれた瞬間心の中で小さく魔術師に感謝した そしてヒトツミに対し向き直ると、とても嬉しそうな顔で話し出す。自分がヒトツミから切り離された、本当のヒトツミだと言うことを --
- 男が全てを話し終える、少しの間静かな時間が二人を取り囲む
ヒトツミは自分から生前の罪がなくなったのを知っていた、しかしそれは本当に消えたか、また別の形で昇華されたものだと思っていた しかし確かにそれなら、自分から切り離された者なら似ているのもおかしくは無いとヒトツミは納得した ヒトツミは自分の中で納得してから、男に問いかける。どうして今それを話したのか、その話をするのが目的なら、自分を見つけたときにすぐすればいいはずだと 男はヒトツミに、元の自分がどういったものかを知りたかったからだといった。別の道が見えるかもしれないという考えは最後まで隠す それで、見て話した後どうするかは決めたのかい、ヒトツミはまた問いかける。決めた、男は応えて袖から垂らす鎖を増やす ヒトツミはそれを見た、一度助けたのに殺すのかい。男はうなずく 殺す理由を聞かれた、男は少し笑ってその最後の質問に答えた
初めて自分でやろうと思ったからだ
ヒトツミが一度しまったサーベルを一気に引き抜く、と同時に男は両腕を大きく振り回す 鎖が大きく響きあい巨大な束となってヒトツミに襲い掛かる。流石にそれをサーベルで弾くのは難しい、ヒトツミは横薙ぎに来るそれを飛び上がって回避する 今までの動きからは考えられない飛躍力。今までは猫を被っていたかのようなその動きで鎖の束をよければ コートの裏にしまっていた投擲用ナイフを三本ほど指の間に挟み、それを開いてめがけて投げる 男はそれを目で確認してから避けられた鎖をすぐさまばら消させるよう、少し力を抜いて引き寄せる ジャラジャラと激しい音を鳴らして鎖は一本一本束から分離し、まるで男の前に結界を張るようにして戻っていく そうすれば当然のように投げられたナイフは弾かれ地面へと落ちる、だがヒトツミもそんな事は想定内だ 左手に握ったサーベルを構えすぐさま男の側面へと回ると、相手に切っ先を向け地面を蹴れば、先ほど投げたナイフのような速さで相手へと向かっていく --
- 閑散とした誰も居ない場所に大きな金属音が響き、その後火花が散る
側面から突っ込んでくるヒトツミを払うように左腕を外側へと振ると、幾本もの鎖がまるで生きてるかのようにヒトツミへと絡み付こうと襲い掛かる ヒトツミはもう少しで剣先が相手のわき腹を捕らえようとした辺りで足を前に出し急ブレーキをかけながらその鎖を一瞬にしてすべて弾き返す 無理な急停止によってみしみしとしなる足に対し、更に無理をさせ、そのまま2歩分飛びのくと 男はそれに対し容赦なく身を反転させ相手を正面に捕らえつつ右腕を振り払う 左腕一本にサーベル一本のヒトツミに対し、男は両方の袖から十本ずつの鎖を出し、また両腕まで完備している 射程、手数の上でヒトツミは非常に不利だ、おまけに相手がヒトツミの頃の自分であれば腹を切り裂いた、ぐらいではたいしたダメージにはならないだろう 再び襲い掛かる10本の鎖をサーベルでいなすが、それが左腕分も加わり20本になると流石にさばききれない 20本のうち3本の鎖がヒトツミの横腹へめり込むと、ヒトツミの体はそのまま吹き飛ばされ、ゴムまりのように地面を跳ねた --
- 男はその手ごたえを感じ、地面に横たわるヒトツミの様子を見る。先ほどの攻撃をまともに受けたのなら骨どころか内臓も無事では済んでいないだろう
ましてや人間の体に近づいたヒトツミの体ならそのダメージは致命的だ、だが男はそこまで考えてもヒトツミには近づこうとしない もしそう考えて近づいたところで生きていたら反撃の一撃を貰うのは自分だろう。至近距離には向かない自分の鎖を短く手繰り寄せると 男はしばらくその距離を保つ……やがてヒトツミがピクリと腕を動かしたかと思うと、案の定立ち上がる 血を少し吐き苦しそうではあるが、もう死ぬ寸前、とはとても見えない。なにか仕込んでいたな? 男はヒトツミにそう大声で聞くと ヒトツミはにんまりといったような顔でコートを広げると、内側には鎖帷子が貼り付けられていた あんなものを着ていてよくすばやく動けるものだ、男は思わず笑ってしまう もはや今目の前に居るヒトツミが憎いわけではない、それどころか普通の人間を装い暮らしていくうちにそういった普通が自分にも出来るのだとわかったほどだ だがその普通と言うものを知ってしまったからこそ、自分が普通にはもう戻れないことが分かる、自分は人を殺しすぎた。普通をしていてもいつか普通でないものが付きまとい そして自分だけでなく周りの普通も壊すだろう、男は笑うのをやめてから、再び鎖を握りなおす 本当は目の前の自分を殺すことに理由なんてものはない、ただそうと決めたからやるだけだ 戦闘において持つもの、武器の射程から普通にやればどちらが勝つかは明らかだ。男もヒトツミもそれは分かっていた 男が両手に鎖のクナイの部分だけを持つと一気に距離を縮めにかかる。しかしそれに対しヒトツミは動く様子を見せない 男はそれを見て諦めか? と思ったが、それが余裕であることに気がつくのはすぐだった 男がヒトツミより1メートルほどの距離に来た頃、それは起きた。男が急に倒れるように膝を付き、その動きを止める いったいなにが、男が足元を見れば、それは自分の体を侵食しようと地から滲み出る影だった。しまった、男は忘れていた ヒトツミが守らなければいけない原則の一つ、ヒトツミは罪を持たないものを傷つけてはいけないという事を。いや忘れていたわけではない たとえ自分が消えることになろうとこのヒトツミを殺せればそれでいいと、だが相手を殺す前にそれが始まるのは流石に考えては居なかった ヒトツミも恐らくそれを狙っていたのだろう、倒れた時もきっと時間をかけてから起き上がったに違いない。なんともマヌケだ、すっかり傷つけても殺すまでは影は出てこないと思い込んでいた 男は膝を付きながらヒトツミを見上げる、またヒトツミも男をじっと見下ろす 足元から無くなっていく感覚、終わりとはあっけないものだ。男はそう考えてからヒトツミにそのサーベルで自分を殺すように言った だがヒトツミはそんな後味の悪いこと出来るか、と言ってから。それに君も分かってるだろ、このサーベル人は切れないんだぞと付け足す 男はそれを聞いてたしかにそうだ、と言ってから、だけど、と同じように付け足して。悪に染まった魂は切れるんだろ? と笑って言った 自分が自分であった頃、その時の記憶は二人に受け継がれている。だからこそそのサーベルがどんなものかを知っている ヒトツミはそれを聞いて諦めたように、わかったよ……と目を閉じてサーベルを振り上げる そして目を開くと、手を付いてこちらを見る男の右肩に瞬時に狙いを定め、それを一気に振り下ろした --
- ………
…… … サーベルを振り下ろす、刃は男の右肩から左胸をすり抜けるだけで、その後は男の体からはマナが噴出すことも、ましてや血が出ることも無かった しばらくの静寂、やがて二人のうちどちらかが噴出すと、やがて二人とも声を上げて笑い出した。そう知っていた、知っていたのだ 二人ともこのサーベルがどういったものなのか、これは物体を切ることはもちろん出来ない。そして悪の魂を切るなんて大それたことももちろん出来るわけがない これはヒトツミが罪を持ち、ヒトツミになってこの街に戻ってきた最初の頃、生前の知り合いの居なくなった街で一人寂しくないようマナで作った玩具のサーベルだからだ 物体を切れないこれに悪の魂を切って正す、そして自分の罪を軽くするという。いつ自分が持つ罪に食われるか分からない恐怖に潰されないために作った、自分のための剣だからだ 二人はひとしきり笑うとまったく子供でもないのに幼稚なものを作る、と男は笑い涙を拭いながら言った それでも十分心の支えにはなった、とヒトツミが言うと。お前にはもっといい支えが出来てただろ、あのツインテールの、と男は茶化す ヒトツミが慌てて赤くなりつつお前が思っているような関係にはなっていないと訂正する。まったく……男が静かに言う やはり目の前の人間、ヒトツミは昔の自分だ。こいつの傍に居ると自然と感情というものが出てくるのも、きっと自分だという証拠だったのだろう 男はやがて腕だけでは体を支えきれなくなり、その身を地面に横たわらせる ヒトツミが影に食われるとどうなるんだろうな、男が言うと、ヒトツミは分からない、と答える 男は消えるのが少し怖かった、アレだけ透き放題やっておきながら自分勝手だなと自分を蔑みながら、罪を最初から持っていたという理由でこうなってしまった事に後悔した 元の自分と言う存在すら居ない状況で、自分と同じ罪を背負わされてもなお自分のようにならなかった奴が目の前に居るとなおさらだ やがて両手足、胸の下まですべて影に食い尽くされると、男はポツリと 俺の鎖も……お前のサーベルみたいだったら良かったな……そう呟いた。それがヒトツミの耳に届いたのかは分からない だがヒトツミはそれに「そうだな」とだけを言うと。男はそのまま影に食われ、消えた --
- …………ザァザァと雨が降る、ヒトツミは男が消えたのを見届ければ立ち上がる
男があの後本当に消滅するのか、また別の形になるのかは分からない。だがそれは恐らく自分が気にしてもどうしようもない、なにも出来ない事だ やがてふりはじめた雨が銃弾のように肌を打つのを感じながら、ダメージを受けたわき腹の痛みを思い出し思わず前のめりになる まったく、帰ったらこれはまた説教だ。壊された壁どうするんだろう、そう思いながら、左手に持っていたサーベルを鞘に静かに仕舞った
「やはり罪に人格を持たせるのは間違いだったか」 「まさか罪の無くなった自分を攻撃するとは」 冥界、法廷のような場所で左右に座る黒い物体が口々に疑問や怒りの声を上げて言葉を投げあう。そんななか中央に座り、木槌を持った一つの影だけがなにも言わず ただじっと目の前にある木製の柵に囲まれた場所を見ていた。何故目の前に居る私自身はあんなにも綺麗で幸せそうなのか……影はいつか此処最近で一度だけ戻ってきた男の問いかけを思い出す その場では男に対し何も答えなかったが、人格を持たせたものとしてはやはりあの時なにかを言ってやればよかっただろうか。偽りとしても自分を父と呼ぶあの男に 影はゆっくりと木槌を上げそれを打ち鳴らす。法廷はその音と共に静かになり、そこに居た幾多の影たちは自分達の場所へと帰っていく やがて木槌を持った影だけがその場に残り、またその影も手に持ったそれを置けば、最後に一度だけ柵に囲われたそこを見てから、どこへともなく消えていく こうして3人目は消え、テルチェをはじめとするヒトツミの話は終わる --
|