•     高次元干渉、または概念操作といった技術を見聞きした事は?     -- ネルバトゥーラ

    • 長い沈黙を先ず破ったのは女だった。
      篝火を眺めていた青年は、余りにも普通のトーンで発された質問を即座には掴みかね、
      一拍おいてその意味する所を記憶の及ぶ限りに倦ねてみたが、結局は観念して肩を竦めて見せた。
      • 今の貴女の言葉から推測が及ぶ以上の事は、何も -- イーナ

      •     狙う土地の事は念入りに調べた方がいい     -- ネルバトゥーラ

      • 笑っている。
        いや、佇む魔王の表情は硬く保たれたままだ。
        だが初対面の会談と今回の旅程の間で、イーナはこの女の機微が多少なり読み取れるようになっていた。
        平素は恐ろしく波が無いが、かと思えば突然と饒舌が回る事もある。
        自分から切り出したと言う事は彼女の興味───例えば照り返しに浮かぶイーナの間抜け面───が、そのスイッチに触れたのかもしれない。
        愉快にはなりそうもない憶測を止め、逡巡が声色に浮かばぬよう努めながら聞き返す。
      • その、高次への干渉や概念……と言いましたか、成る程仰々しい響きではあります。
        ですがそれは具体的に何を行うというのです? あの冒険者どもの街にはその考え及ばぬ何かを可能にする者がいるとでも?
        -- イーナ

      •     例えば物理干渉の及ばない次元の壁を砕き、その先を踏破したと語る者。     -- ネルバトゥーラ
      • 怪訝そうなイーナを他所に、魔王の声が抑揚無く続けた。

      •     例えば時間を思う侭に行き来し、事象を改竄できると謳う者。    
            例えば無から命を創り出したと誇る者。    
            例えば夜天に浮かぶ星々を組み替え笑う者。    
            例えば別空間の高位の存在と語らう者。または創造主自身を名乗る者。    
            そういった存在が少なからず犇めく街……お前がグラオーのデモンストレーションに狙うと言った土地は、云わばそういう場所です。     -- ネルバトゥーラ

      • 先程よりさらに抜けた顔になっていたと気付いたイーナが慌てて表情を引き締める。
      • ……あり得ません、それらは異常者の群れと見るのが妥当でしょう。
        人為らざる存在や魔王の如き者が群れるような、そのような場が地上でのうのうと成立し得る筈が無い。
        -- イーナ

      • 篝火の色彩に染まった魔王の眼、それが僅かな愉悦を含んでイーナを射る。
      •     ……その通りです、数百年も前の戦争で一大革新を遂げたヒルベルトが、多くの可能性を秘めながらその成果を振るえなかった様に    
            災害すら児戯に等しいと思える程の力、万能に聞こえるそれらの能力にも種や仕掛け、そしてまた制約さえ存在します    
            ひとつ物を教えましょう、魔法使い(マジシャン)が最も多く使う術は、表層を見せてそれが全てであると錯覚させるまやかしです     -- ネルバトゥーラ

      • やはりそれらは全てペテンの類だと? -- イーナ

      •     半分はそうとも言えますが、解としては不完全です    
            彼らの中には、貴方達ヒルベルトの民と同じように魔法の心得や素養の無い者もいますから、そうですね、喩えば ───    
            『次元という隔世の扉を開き神々と対面する事』と『隣家を訪ね住人と挨拶を交わす事』 ───そこに差異など無いのです     -- ネルバトゥーラ

      • 大違いではないか、と反射的に出かけた言葉を一旦呑み込み、例題をパラダイムとして俯瞰してみる。
      • ……主観……いや違う、ロケーションの違いは看過できん、もっと大元のものだ…… -- イーナ

      • まあいい、と魔王が引き継ぐ。
      •     嘗て貴方たち……いえ、少なくともクロネッカーという男はその解に至る指標を作りました     -- ネルバトゥーラ

      • クロネッカー博士? 人魔大戦期の我が国が生んだ狂人が……? -- イーナ

      •     そうです、あの男が提唱した魔素という概念は、戦乱期はもとより今に至るまで例の無い最高の発明です    
            狂人どころか……いや寧ろそれが故に、そして魔力の恩恵から最も遠いヒルベルトの民だからこそ辿り着けた発想と言って良いでしょう     -- ネルバトゥーラ

      • 困惑するイーナを前に講釈は続く。

      •     水や空気と同じように、扱える者はそれが当然であるがゆえに魔力そのものへの考察は疎かになります    
            不定の力に形を与え、物理法則に囚われない現象として行使する魔術は、その媒体としての魔力を云わば目分量で消費している様なもの    
            魔導士連中は現象という枝に咲かせる花の出来栄えを競う事に腐心し、対極の土に覆われた根には目を向ける事さえしませんでした    
            諸国に名だたる魔導先進国であるベルチアですら、属性を持ち遍在する不定形の力の流れとしか定義していません    
            魔力に一定の単位を持ち込み、それを元に物理式で解析しようとした者などクロネッカーをおいて他にいないのです    
            ……最も、狂人と貶め研究成果に長年蓋をしてきたお前達もまた、その重要性に気付いていなかったようですが     -- ネルバトゥーラ

      • た……確かに魔素は我が国独自の古い魔力単位ではあるが、あれが重要だと? -- イーナ

      •     当然です、正確な測量の原器が定義されるという事がどれほどの利便を促すか知らぬ訳ではないでしょう、それは魔力も同じこと    
            ……とはいえ、長く魔法に求められてきたのはマクロな結果であり、故に人の認識はこれまでそこに縛られてきたと言えます     -- ネルバトゥーラ

      • なるほど、数値化ができれば正確な極小単位の認識もまた可能となる。
        そしてミクロにこそ真価があったとしても、マクロな成果が否定されるわけではないと……
        -- イーナ

      • 察しがいい……と魔王が続けようとした時、山腹を覆う闇から金属質の重苦しい足音が近付いて来た。
        照り返しを受けて浮かび上がった甲冑姿は2人の脇で片膝をつくと、憚る様な声色で何事かをイーナへと告げる。
        「ご苦労」と伝令を下がらせれば、灯の環の中には再び黒衣の二人だけが残された。

        この切り立った中腹から見下ろせば、遥か眼下、山裾を覆う闇の中に浮かぶ幾つかの光の粒が、
        メギッドという彼の地にまだ人の営みがあった事をささやかに示していた。

      • ……お待たせしました、確保は済んだようです -- イーナ

      • 話を遮った事に恐縮しつつイーナが告げるも、魔王は意に介した風も無く楚と右掌を広げて見せた。
        その上にじわりと小さな黒点が浮く。
        本当に小さい、黒点の周囲に放射されている青白いもやが無ければ目視すら難しい、宛ら空間に穿った一粒の孔。
      •     これが定義化された魔素です、基底状態にありますが本来の原子自体はそれこそナノメートルと目視できるサイズではありません    
            物質が全て原子によって構成されているように、魔法とその産物全ては魔素原子とも呼べるこのひとくれによって形作られています    
            形持つ幻想の核にして理不尽を具現化する素、操る者を神とも誤認させる正体、それを定義した物がすなわち魔素です     -- ネルバトゥーラ

      • つまり先程の、次元や概念にすら及ぶ業に課せられた制約と言うのは…… -- イーナ

      •     言った筈です、自覚の有無に関らず魔道に通じた者は錯視演出を好むと    
            そして魔素が原子核と似た性質を持つならば……     -- ネルバトゥーラ
      • 宙に漂う黒点を挟み込むように左掌がその上に重ねられる。
        対となった掌の間に一瞬薄い放電が奔り、只中に浮く魔素原子が小刻みに身を震わせ始めた。
      •     麗しい花弁も甘い果実も必要とせず、ただ「咲いた」と言う現象のみを求めるのであれば、マクロへと至る必要さえ無いのです    
            電磁気による斥力で核の安定をほんの少し欠いてやるだけで、ミクロな世界で始まる分裂の連鎖はやがて臨界に達します     -- ネルバトゥーラ
      • 両掌の間を縫う細い落雷の本数が増え電荷が増して行く、そして ───

        一種金属的にも思えるカン高い炸裂音を響かせ、黒点は手の隙間から消えた。
        ……いや、闇に一筋、稲妻が奔った直後のような残光が見て取れる、どうやらメギッド上空目掛け撃ち出されたようだった。

      • …………お言葉ですが -- イーナ
      • 見えない黒点を追う様に、遥か宵闇に沈む聖地へと視線を投げていたイーナが嘆息して魔王へと向き直る。

      • 連鎖するとは言っても放たれた魔力は極小単位ではありませんか、
        何より魔に類するエネルギーでは、素材のほぼ全てがガラチア鉱であるグラオーの動力には使えません、
        お忘れですか? 此度の遠征の目的はグラオーを動かし得ると貴女が豪語した、新動力の披露目にあると
        -- イーナ

      •     見ていればわかります    
           ……いえ、インパクトの瞬間は見ない方がいいかも知れません、ほら、すぐですよ     -- ネルバトゥーラ

      • どういう事か? とイーナが口を開きかけた刹那───







      • ───目の前にいた魔王が、いや、視界全てが白に染まった。

      • 反射的に瞼を強く閉じ、蹲ってクロークの内に身を屈めた後でそれが強烈な閃光なのだと気付く。
        陽光を遮るはずの厚手の生地すら容易く射抜いた白い世界は、数秒の後緩やかに収束を始めた。
        息を整え外の様子を窺おうとしたイーナを、今度は喩え様も無い轟音が衝撃波となって襲う。

      • 混乱する意識の中で先ず認識したのは己が体の震え。
        そして最初の衝撃ほどではないものの、鳴り止まぬ地鳴りと黄昏色に染まりゆく世界だった。

      • 恐る恐る身を起こし、視界に収めた光景を信じられぬと言った表情で眺める。

      • メギッド消滅

      • 聖地があった筈の場所で神殿が、住居が、のみならず大地や空に至るまで、そこでは一切合財全てが燃えていた。

      • イーナは国防上の立場から、国攻めに用いられ得る大魔法の数々に関して一通りの知識は得ているつもりでいた。
        だが、この太陽が墜落したかの様な大火球はどうだ、それらと比べても桁違いの破壊規模であろう事は疑うべくも無い。
        言葉も無く只それを眺めている自分の表情の抜け加減は、恐らく先程魔王に話しかけられた時の比ではないだろう。

      •     連鎖崩壊の範囲を絞ったとは言え、確かに魔素の核を反応させるこの方法ではグラオーの動力として不十分でしょう    
            耐魔炉の抵抗の中でさらに大きな反応エネルギーを十二分に発生させ続けるには、少々の工夫が必要となります     -- ネルバトゥーラ

      • 閃光と衝撃の中、変わらず傍らに立っていた魔王が、真紅の照り返しを受けながら訥々と語り出す。
        見れば、再び右掌の上に浮かび上がるはあの忌まわしい黒点。

      •     ……云わば此方もクロネッカーの別の理論を応用したものではありますが……     -- ネルバトゥーラ
      • ……と、今度は左掌を翳してその黒点を握り潰す。
        拳の内側から亡者の悲鳴の様な耳障りな音と共に、無数の青白い閃光が拳を貫いて放射され、直ぐに消えた。
        掌の中でまたしても何らかのエネルギーが発生したのは間違いなかった、それもあの大火球とは明らかに別種の。
        呆とそれを見ていたイーナの瞳が、疑問から次第に驚愕へと変わってゆく。

      • クロネッカーの別の理論だと……では今魔素を握り潰したその力はもしや…… -- イーナ

      • 必要な話は済んだとばかりにローブを羽織り直すと、よろけながら立ち上がるイーナに魔王は絡め取るような視線を向けた。
        国主の最後の問い掛けに喜悦を含んだ声が答える。

      •     あぁ、お前達はそれも知らなかったのか……そうとも、奴は私の手にかかる直前に最後の研究を完成させていた    
            察しの通り、人魔大戦の負の産物、ヒルベルトプログラムの成果は今やひとつ残らず私の元に揃っています     -- ネルバトゥーラ







      • ───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────

      • 聖地メギッド 黄金暦181年 2月 某日 滅亡

        この日、西方諸国北東部山岳地帯に存在したグリームリリー教団の聖地メギッドは、
        その土地、2万人に及ぶ国民信徒、教会建築物を含む文化財共々、文字通りこの地上から消滅した。

        国土全域は異常な熱量を持って焼き払われており、劫火は山間の都市跡を七日に渡って紅く染め上げた。
        一帯にも未だ高濃度の瘴気が残留していると見られ、その影響から近郊のモンスターも活性傾向にあるため、
        現在メギッド跡へと続く山道はヒルベルト側から全面封鎖されている。
        その異常極まる状態から、何らかの高位魔法による破壊を受けたものと見られているが、
        しかし小なりとは言え一国規模を瞬時に焼き尽くす魔法など過去を遡っても例は無く、
        現在ベルチアのR5機関等へも協力を仰ぎ照会中であるとの事。

        本国の最高戦力である熱波の騎士団が手を下したとしても、相当量の弾薬を用いた上、
        徹底した波状爆撃を長期に渡って繰り返さなければこれほど広範囲の地形を変える惨状を作り出す事は困難と見られ、
        メギッド独立の経緯から長年「政情不安を煽るカルト組織」として敵視してきた封臣議会も今回の件への関与は否定している。
        イーナ・ブライトクロイツ議長はこの事件に関し
        『都市規模を壊滅せしめる脅威から国民を守るためにも、一層の防衛強化は急務である』と宣言。
        現在国を挙げて進めている軍備増強の更なる推進に新たな決意を見せた。





Last-modified: 2011-03-07 Mon 03:56:12 JST (4798d)