黄 金 暦 | 主 な 出 来 事 | 西 暦 換 算 |
黄金暦 227年 1月 ~ 2月 |
《 皇 帝 崩 御 》
帝国本国よりさらに5万の増援が届き、帝国軍が完全に前線を掌握。 ついに王都の城壁が崩れ、陥落間近となったが……本国でついに天壌帝が崩御。 後詰めの帝国軍本隊は混乱し、撤退。 中央の権力闘争に遅れをとるまいと、有力皇族は悉く本土にまで退却してしまう。 突出した前線部隊だけ取り残される形となり、 残された帝国軍残党は完全に連合軍に包囲される形となってしまう。 前線部隊は必死の交戦で包囲網からの脱出を図ったが、半数以上はあえなく戦死。 こうして王都決戦は統一連合軍の完全勝利で幕を閉じた。
| 9/1 ( 土 ) ~ 9/2 ( 日 ) |
同年 3月 ~ 5月 |
《 帝 国 残 党 掃 討 戦 》
前線に取り残された帝国軍残党はゾドにまで後退。 即脱出を試みるが、連合軍の追撃部隊を振り切る事は叶わず、 殿が本隊の撤退支援の為、ゾド要塞にて連合軍を迎え撃つこととなった。 かくして黄金暦227年3月5日。 統一連合軍追撃隊5万対帝国軍残党1万5千……ゾド要塞前にて開戦。 最後まで最前線に残された帝国兵は皆歴戦の勇士であり、熟練の古強者たちであった。 帝国軍の統治は現地民には好評を得ていたため、 彼らは現地の人間の協力も受けて最後までゾド要塞にて篭城を続け、 善戦したが、終始連合の有利は微塵も動かず、敗北。 最終的に元東ローディア商人連合に裏切られ、 地下の補給ルートを連合軍に押さえられたことで帝国軍は完全に沈黙。降伏した。 しかし、連合側は降伏を拒否。 要塞内の帝国兵は1人として捕虜にされず、無惨に虐殺、拷問、リンチされ、 ひどいものは神国の邪悪な魔術の生贄に捧げられた。
| 9/3 ( 月 ) ~ 9/5 ( 水 ) |
同年 6月 ~ 9月 |
《 統 一 連 合 勝 利 宣 言 》
ゾド要塞を奪取し、元東ローディアの地をとりかえした統一連合は西爛戦争の終結と共に自らの勝利を宣言。 未だ各地に潜伏する帝国軍残党を狩り出すべく、各地に大軍を派遣。 今まで帝国軍に散々煮え湯を飲まされてきた連合兵の士気は非常に高く、 驚異的な執念と嗅覚で各地に潜伏する帝国軍残党を発見し、各個撃破していった。 多くの帝国兵の血が流され、また、帝国兵に協力する村々や都市国家なども悉く粛清された。 各地で快勝を重ねた連合は対帝国戦のノウハウを身につけ、一部の過激派と決戦主義者が増長。 帝国に戦争借款の賠償を求めるべく、大規模東侵の必要性を訴え、強行する。 半ば強引に総勢5万の先発隊の出兵が決定された。
| 9/6 ( 木 ) ~ 9/9 ( 日 ) |
同年 10月 ~ 12月 |
《 帝 国 国 境 攻 防 戦 》
統一連合軍は帝国が通った街道をそのまま通り、東侵したが、 東側の各都市国家はここ数年に渡る帝国軍の統治によって親帝国に傾いていたため、連合への協力を拒否。 それらの都市国家を悉く併呑しつつ行軍したため、行軍が遅れ、 帝国国境にたどり着くころには既に季節は冬になっていた。 ここに来て西と東の微妙な気候の違いと冬将軍の猛攻によって 連合兵士は体力を奪われ、軍内で奇病が流行り始める。 それは所謂風土病というものであり、それ自体は実際はたいしたものではなかったのだが、 薬学の知識に乏しい西側各国ではこれらに有効に対処する事ができず、 また、帝国の呪術師による攻撃であるという噂話が流布され、著しく士気が低下。 帝国国境沿いの国境要塞にたどり着く頃にはすでに全体の3割前後が落伍しており、 その後は戦闘らしい戦闘にもならず、帝国軍の反撃によって撤退した。 帝国も帝国で皇位争いによる内乱の真っ最中であったため、 追撃はせず、この戦闘の結果は有耶無耶となった。 なお、この帝国国境攻防戦という名称も、連合軍の武将の1人が勝手につけただけの名称であり、 東側ではそもそも戦闘の記録として残されていない。
| 9/10 ( 月 ) ~ 9/12 ( 水 ) |
《 Epilogue 》
かくして西爛戦争に纏わる戦役についての記録はここで途切れる。
この後、帝国は皇位を争い、有力皇族があいくらい合う地獄の内紛の時代へと突入し、
連合側は取り戻したことで宙ぶらりんになった元東ローディアの領土分配問題で王国と神国が揉め出す有様となる。
動乱の時代は終わりをつげたが、次の戦乱の熱は未だ燻り続けていた。
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