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編集:MenuBar
『有限図書館』
――.FRAGMENT R to
「……小話を思いついたな」
男は本を読みながら独り言のように呟いた。
視線は変わらず本に落としたままの男は、退屈そうにその話を口にする。
「――ある所に、一人の鍛冶屋がいた。
その鍛冶屋は若い頃は剣術で身を立てており、
高名でも有名でもなかったが真剣を扱う剣術の使い手だった。
齢幾らかになり、自身の剣術の先にあるものが、それまで自分の剣術を支えていた刀にこそあると気づき,
そこより先の人生を鍛冶業で立てるべく修行に勤しんだ。
努力の結果であったのかその経緯からくるものなのか、彼の鍛冶屋としての腕はまあそこそこに立つ物となった。
その街で鍛冶が必要な者はその男に頼めば事足りる程度には名も売れ、第二の人生を謳歌していたわけだ」
「中々にどちらにせよ、達者な者だったわけだな」
「彼には美学があった。
修繕には簡単に携わるが、生産は0からでなければどんな物も作らなかった。
鍋の一つ、小刀の一欠程度でも喜んで鉄を足す癖に、いざ作成ともなれば鉄を選ぶところから行いたがる。
加えて彼は武器らしい武器を作ることはなかった。
彼は剣術を生業としていたこともあって、その刃が容易に人の肌に沈むことを知っていたからだ。
自分の銘の入った包丁や鍋なんかを作っては、それが何かの料理を生み出すのに使われるのを、商売の生きがいとしていた。
腕は良いのだから、実入りのいい刀の一本でも作って箔をつけろと助言をする者もいたが、頑なにそれだけは拒み続けた。
彼にとって剣術が己を高めるものであったのと同じように、鍛冶もまた人々の暮らしを豊かにしてくれるものだと信じていたからだ」
本のページが捲られる音がした。
男は話を続ける。
「彼には、贔屓にしている商売仲間がいた。
その商人は、鍛冶屋と同じように剣術を齧っていて、嗜みがあった。
そのため、鍛冶屋が作る刃物の質に他の誰よりも敏感であったし、その実力を誰よりも精確に見抜いていた。
鍛冶屋が作る包丁がいかに野菜を膾にするかを語らせたら右に出る者はおらず、その口上は沢山の鍛冶屋の刃物を市井に流通せしめた。
鍛冶屋は包丁を作り、それを高値で商人が捌く。
世の中は上手くできているものだと、少なくとも鍛冶屋は思っていた」
「……含みのある言い方だな」
「話だからな。
それと同時期、市井が少し乱れた。
鍛冶屋が包丁を売る前、剣術を生業としていた頃よりも、血の匂いを嗅ぐ機会が増えたと言っていい。
街で噂されるのは斬った斬られたの話であり、腰に刀を下げる人間が昔より多くなった。
鍛冶屋はそんな世の中を疎ましく思いながら、包丁を作り続けていた。
修繕の方は、いかにも今誰かを切ってきましたというようなものは断るようにしていた。
だから、気づくのが遅れたんだろうな。
ある日、やはりいつものように誰かを斬ってきましたという刃の修繕を依頼された。
血糊こそ着いていなかったものの、刃こぼれは人を斬ったその経験を如実に鍛冶屋に伝えてきていた。
これもいつもの通り、断ろうと手にとって、鍛冶屋は気づいた。
目を疑い、何度も見なおしてみたが、そのいかにも「他人を斬った刃」はは明らかに「自分の作った刃物」だった」
男は、情感を込めて、ため息を吐いた。
「正確に言えば、それは「自分の作った刃物を元に打ち直された刀」だった。
中身を暴いてみても、確かに自分の選定した芯鉄を使っているし、酷いものは紋も潰さずに残っていた。
怖くなって修繕の受付をした刃を並べて見てみれば、出るわ出るわ、類似の「作ったはずのない自分の刃」がどんどん出てくる。
出来は粗雑だが、芯が入っている。容易に折れたりしないから武器としては使えるが、何しろ表面が脆い。
それが逆に殺傷能力を雑に上げるというのだから、もうそれは殺人の武器として十分な「暴力」に仕上がっていた。
その暴力は、鍛冶屋の作った刃を、誰かが武器にしたモノだった。
鍛冶屋は愕然としたね。
何しろ、昨今市井の環境が悪化したのは、自分の刃が原因かもしれないのだからな。
堪ったもんじゃない」
「ひどい話をする奴がいたものだな」
「酷いのは話であって、俺じゃあないだろ。
――まあ本当にこの話の中で酷いやつはすぐに見当がついた。
彼の刃をそういう形で加工して、なお武器として使えることを見抜いている人間は、一人しかいなかったからだ。
問い詰めれば、そいつはすぐに犯行を自供した。
鍛冶屋にとっては非常に残念なことに、その刃を市井にばらまいていたのは、やはり彼の理解者であるはずの商人だった。
とはいえ、彼も悪気があって行っていたわけじゃない。
彼は誰よりも鍛冶屋の打つ刃の価値を知っていたがゆえ、その素晴らしさを世に知らしめたかったのだろう。
まあ、そこに少しの功名心もなかったとは言わない。
なにせ商人がその刃を加工して誰かに売りさばけば、商人は「そんな素晴らしい刃を良く手に入れられましたね」と市井の人間から感謝もされていたのだから。
だが、鍛冶屋は刃の危険性を知っていたが、商人は刃の危険性についてそこまで深く考えていたわけじゃなかった。
そして、市井の人間はといえば、危険性なんてものには小指の先ほどの理解もなかっただろうさ。
その不幸な階段が、市井の状況を、皮肉にも鍛冶屋が刃を振っていたときよりも悪くしてしまったわけだ」
男は、ページを捲った。
「鍛冶屋は商人に言った。
今すぐにその出来の悪い刃を市井に流すのをやめろと。
商人はすぐに自分の過ちを認めて、粗悪品を世に流さないことを誓った。
だが、その誓いは簡単に破られてしまう。
なにせ、鍛冶屋が相手をしていたのは商人一人であったが、商人が相手していたのは市井の何百という客であったから。
彼らは商人が鍛冶屋に求めるのよりももっと雑に、そして簡単に刃を卸してくれることを願った。
ここまで来ると商人は功名心でも、恐怖心でも逆らう事はできない。
望まれるまま、鍛冶屋の約束に怯えながら、何度もその粗悪品を世の中に流した。
商人はそうしなければ、自分が商人という名前で呼んでもらえなくなることを、良く知っていたからだ。
そして商人は商人であることを、今更辞めるなんてことが出来るほど、矜持を捨てられるわけでもなかった。
何度も何度もやめろと懇願しても、その快楽が信頼を上回ってしまう。
先生と、師匠と呼ばれるその名声が、商人という男をまた化物に仕立てあげてしまったのだ。
鍛冶屋は、市井を見ていた。
市井の状況は一向に良くならない。修繕の依頼の「粗悪の刃」の数は日に日に増していく。
それが、鍛冶屋が商人と約束した前に流通したものなのか、後に流通したものかまで、鍛冶屋には分からなかった。
だが、静観を決め込んで時間をおいても、市井は一向に良くならなかったから――鍛冶屋は決めることにした。
……もう、自分は刃を作るまいと。
仮に作ったとしても、商人を通じて市井に流すようなことはすまいと」
男は、深く嘆息をする。
「鍛冶屋は山に篭った。
己の作る刃をこそが、商人を以って他人を傷つける武器となるなら距離置こうと。
刃を作るという第二の生業から離れられない自分は、せめてそれが人を傷つけぬようにしようと。
彼は山中で一人鉄を掘り、それに細工を施し、精巧な刃を作って生計を立て始めた。
ある日の夕暮れ、唐突に降りだした豪雨の影響か、機が悪いことに彼が鉄を掘るそのタイミングで落盤事故が起きた。
鍛冶屋は洞窟の中に一人閉じ込められてしまった。
助けを求めても、人は来ない。
手探りで土を掘っても、手応えはない。
だがそこに孤独は感じられず、ただそこが自分の限界なのだと皮肉に笑うだけだった。
鍛冶屋が洞窟の壁にもたれかかっていると、洞窟の奥から声がした。
この洞窟は、自分が鉄を掘るそのたびに潜っていたが、他人などついぞ見なかった洞窟であるのにだ。
恐る恐る灯りを片手に洞窟の奥に向かうと、そこには一人の侍が居た。
聞けば、鍛冶屋と同じように、この落盤事故で閉じ込められたのだという」
男は、瞑目し、息を吸った。
「一人でどうにかならないものは、大抵二人でどうにかなるものでもない。
二人揃ったところで落盤によって隔離された人間が一人増えただけで、何一つ状況は改善しなかった。
さらに悪い事には、市井で刀を振る、その理由だけで今あまりこの出会いを歓迎出来ていなかった。
侍の方は気が安いのか、何かと鍛冶屋に質問や身の上を投げかけてくる。
やれこの大雨で雨宿りをしようとしたら閉じ込められただの、剣術で身を立てているだの、鍛冶屋にとって知りたくもない情報が土産となった。
話すことも尽きようかというとき。
その隙間を埋めるためだけに鍛冶屋は口を開いた。
けして誰かに理解されたかったわけでもないし、聞いて欲しかったわけでもなかったが、
心の何処かで、市井の荒れた原因を己とする自責が残っていたのだろう。
彼が刃を作り、それを商人が加工して野に流していたという一連の話を、
既にもうどうしようもない過去の傷と笑ってもらうために侍に話した」
男は、小さく本を持ったまま肩を竦める。
「鍛冶屋は一笑に付されると思っていたが、侍は神妙な顔でその話を聞き、一言鍛冶屋に告げた。
我々侍は、そのような粗悪品が出回らずとも、他人を斬る、と。
たかが鍛冶屋風情が何を憂いているのかと、市井の情況が悪化した一端を担うなど、片腹痛いと。
鍛冶屋は一瞬ムッとしたが、よくよく考えて見ればそうかもしれない。
何より、自分の考えが驕り高ぶりであったようにも思え、それを恥じる意味もあって侍にそれを認めた。
確かに、大海に墨汁を一滴垂らしたことを、大海を汚してしまったと嘆いていることに似てるかもしれん、と。
だが、その上で言わせてほしい。自分は大海が汚れる汚れぬを関係なく、墨汁をこそ垂らしたくはなかったのだ、と。
侍はその言葉を笑うことも否定することもなく、ただ聞いた。
鍛冶屋はその聞き上手に向かい、さらなる問いを投げる。
だが、今を以っても自分はどうすべきだったかがわからない。
市井にその墨の一滴を垂らさぬことを願うのならば、最初から市井に何かを送り出そうとなどすること自体が間違っていたのだろうか。
あるいは、商人に己の刃を流したことこそが過ちだったのか?
引いては、己の刃を作るという生業自体が、進むべき道ではなかったのだろうかと。
それとも、せめて己は墨汁の一滴を垂らさぬようにしようという心がけ自体が傲慢であったのだろうか、と。
どの一つをとっても全てに回答が出せず、またどれにだって簡単に否定の言葉を投げうる。
一体己は、どうすれば良かったのだろう、と」
男は、本のページを捲った。
「侍は、少しだけ顎を撫ぜた後に答えた。
どうとでもするがいい。どうすべきなどどいうことはない。
先も言ったが、お主の刃が市井に出回らなくとも、我らは刀で人を斬る。
刀がなければ棒で殴るだろう。棒がなければ拳で殺すだろう。
他人を害せしむのは本質的に武器の存在に依るところより、その武器を振らんとする人の心にこそある。
まあ、そうだな、その心を表出させる緒がまた武器である以上、不可分ではないがなと。
鍛冶屋は思った。
慰めであるのならば最後まで慰めろと。
ただ同時に、心が少しだけ軽くなった気もした。
心の何処かで、彼の愛した市井が、彼の刃によって荒れることに、心を痛めていたのだろう。
それは矮小な納得の仕方であったが、彼は元より刃そのものを否定したわけではなかった。
人が死ぬのは道理で、その死を齎すことに己が関係していることが許せないだけの、
ただの人間なのだと、ここに於いてようやく思いが至った。
鍛冶屋は侍に言った。
ありがとう、ただ刃で他人を斬るとき、その刃を作った者が心を痛めていることがあることを知り、
その上で他者を害せしめてほしいと。
そして出来ればその相手が、自分にそれほど関係のない場所で起こることを、ただ祈ると。
侍は笑って答えた。
説法臭い鍛冶屋だなと」
男もまた、話をしながら小さく笑った。
「その時、少しの揺れが鍛冶屋の座る地面を揺らした。
どうにも事実から先に言えば、さらなる雨が岩盤をまた揺らし、外に出られる道を作ったらしかった。
なんとも都合のいい話だが、閉じ込められていた物にとっては朗報以外の何物でもない。
鍛冶屋は僅かに挿した光明に向けて掘り進め、暫くの後漸く外に出ることが叶った。
夢中になって掘り進めていたが、生の実感が湧いてきた彼は振り返り、侍に礼を言おうとした。
……さて問題だ。
――問おう、老人。
何が起こったと思う?」
「急にお鉢が回ってきたな。
うーん。皆目見当もつかない。これかもしれないというものはあるが、先を聞きたい気持ちが勝ってしまう。
解答をくれぬか。出来れば想像より面白いものを」
男は。
独り言のように、言った。
「鍛冶屋が振り返ったとき。
そこには誰も居なかったんだ。
侍の影も形も、そこにはなかった
「それは最初から侍なんて居なかったという話か?」
「さあ、どうだろう。
ただ、鍛冶屋が後ろを振り返った時に、そこには言う通り……。
最初から誰も居なかったかのように、誰一人居なかった。
……以上で終わり。ご清聴ありがとうございました」
男は本を閉じ、机の上に置いた。
「おい、随分とまた急に終わったな。
あまり納得の出来ない話なんだが、この話のオチ的な部分は本当にそれで終わりなのか?」
「ああ、そうさ。正真正銘ここで終わり。
これ以上何一つ展開しないし、もう全部語りきった感じだよ」
「なんだそれは。
そんなもの――」
「話にならないじゃないか」
男は立ち上がり、膝を払った。
小さく腰を回す。骨の音が僅かに鳴った。
「そうだよ。……話にならなかっただけだよ。
まったく、時間をムダにさせてくれるな主は。
小話であったとしても、せめてオチくらいはあってしかるべきじゃないか?
そうかもしれないな。でも、こんなもんかもしれないぞ、話ってやつは。
男はそのまま机を離れ、玄関へと歩いて行く。
少しだけ空気が冷たい。
自分の語った物語の鍛冶屋も、もしかしたら。
玄関をくぐるようなそんな気分で外に出たのかもしれないと思うと、
男には少し滑稽に思えた」
男は玄関をくぐって外に出た。
後ろは振り返らなかった。
話にはならなかった。
――.FRAGMENT D
暖簾をくぐる。
店内から、飲み屋特有の薫りが女の鼻を擽る。
先に来ているはずの連れの姿を探すと、すぐ近くのテーブル席で手を振る男の姿があった。
手を上げながら女が近寄ると、男は席に座ったまま下から見上げるようにして笑う。
「遅かったな。VIPを待たせてたってことは、教授にでも絞られてたのかよ。
その歳でなんかやらかしたとか、ちょっと恥ずかしいんじゃないのか」 --
秋司
軽口も何処吹く風で、バッグを机の下に入れ、女はふふんと鼻を鳴らした。
「お生憎様、優秀なセンカちゃんなのでした。
ちょっとね、春からの新入生、うちの教室にどれだけ入れるかってウィッカ教授と話してて遅れたよ。
すいませんお二方も、先に始めて頂いて良かったんですけど」 --
センカ
センカが、秋司以外のそのテーブルにつく二人に断りを入れると、二人は無言で手を上げて許容を示した。
その代わりに秋司が付け加える。
「心配しなくても待つほどお人好しじゃねえし、先に適当に注文しておいた。
生で良かったよな。まだ研究室戻るのかこれから」 --
秋司
「おおっと大学の歴史上唯一の17階梯候補にしてくそ童貞の秋司くんは生がお好きですかー。
いやー初っ端から飛ばしてくるねー、シューくん!」 --
センカ
「飛ばしてんのはお前の脳みそだろくそ処女。17は届かなかったっつってんだろ。もう酒入れてきたんじゃねえだろうな。
っていうかお前誰が居ても下ネタ言うの辞めろよ、呼吸の次に大事なのか? 口にしてないと死ぬの?」 --
秋司
その二人のやりとりを聞いてセンカの目の前に座った女は、くすりと笑みを零した。
センカと秋司の二人より、外見的には少し上の印象を見る者に与えるその女は、呆れたように笑いながら言った。
「死ぬんじゃない? 付き合い長いけど、なんとなくそういう気がするわ。
……ご両親の反動かしらね、センカ」 --
ゼニス評議長
「んぐーっ! ゼニスさん下ネタの話してるときに両親の話出すの禁止で!
わたしもそこまでの耐性ないッス! 両親だけに良心が痛む!」 --
センカ
「おいもうお前来てから五分くらいしか経ってないのに死ねって思ったの二回目だぞ。二回死ねよ。
……ああ、ビール来たか。んじゃまあ、乾杯ってことで」 --
秋司
特に大きく場を盛り上げることなく、ジョッキ同士が鳴らされる。
この四人での呑み会自体は頻繁に行われているため、面倒な手順は飛ばして今の形に落ち着いていた。
ジョッキを傾け終わり、料理が続々と運ばれてくると、各々がそれをつつき始める。
と、ゼニスがくすっと笑って隣に座っている「VIP」に声をかける。
「余り、芳しくないようですか? 史楼少年」 --
ゼニス評議長
その名前を出すと、ゼニスの隣に座っていた「少女」といっても差し支えない程の小さな女性は、顔に青筋を浮かべて橋を止めた。
その場に居る誰よりも小さく、誰よりも幼く見えるその少女は、苦々しげに言葉を吐く。
「別に。芳しくも芳しくなくもないよ普段のアイツと何も変わんない、面白みの欠片もないクソ眼鏡だよ今日も。
日程表通りに進んでるし、そういう意味では芳しいって言えるんじゃないの。知らんけど」 --
クァロ
「……ふふ、何かあったんですね?」 --
ゼニス評議長
「だから何もないって言ってるだろボケカス。いつも通り私の指導が気に入らないあの性根ド腐れ眼鏡が私に言い返してきてそれに私が言い返してしてるだけだハゲ。
あのカス言葉だけはいっちょ前だし、自分が納得出来ないことには徹底的に言い返してきやがる馬鹿の癖に」 --
クァロ
「いやー、すげえな史楼少年。クァロさんに反論とか抗弁とか度胸座ってるってレベルじゃないな。
現役時代俺何回かこの人は俺の精神だけを絶対に殺すつもりなんだって思ったくらいだし」 --
秋司
「逆にお前はもう少し根性見せろクソ天パ。金玉付いてんのか確認してやろうかと思ったくらいだ。
まあ、それに比べたら眼鏡なりにかなり根性だけはあるんじゃないのか。根性だけならその辺の犬ですら持ってるだろうが」 --
クァロ
「あれ、でも日程通り進んでるってことは、クァロさんが用意したカリキュラムはこなしてるんですよね? 史楼くん」 --
センカ
センカの言葉に、クァロは嫌そうな無表情を見せる。
ジョッキを少しだけ傾けて喉の滑りを良くしてから言葉を吐く。
「こなしてるよ。アイツはこなした上で文句吐いてくんだよクソが。
ここはこうした方がいいんじゃないのかだの、こういう効率的な方法はどうだの、そのやり方は理論的に正しいのかだの眼鏡の癖にな。
んで懇切丁寧に説明してやってもさっぱり理解しないときがあって、しっつこく食い下がってくるから怒鳴り散らすしかなくなる。
怒鳴られてもあのボケ私のことナメてんのか自分が納得出来るまで怒鳴り返して来やがる。
お陰でな!今日二十二教室の連中に怒鳴り込まれたんだぞ!! 口撃でボッコボコにして追い返したけどな!!」 --
クァロ
「仲いいじゃないスか。二十二教室の人間の方が気の毒だそりゃ。
あー、んじゃ史楼、俺が自分でゼミ決める前に、急造で作った二十三教室に放り込んだの恨んでるかな。
なんだかんだでアイツ、俺に指導して貰えるもんと思ってただろうし」 --
秋司
大学唯一の17階梯候補。結局は達成とはいかなかったが、その審査まで行った現16階梯のユニーク魔術師は、ジョッキを傾けた。
史楼が大学に入学を決め、迎えに行ったまでは想定の範囲内だった。
だが、大学に入学直前に、史楼の才能を偶然居合わせたクァロが見込み、彼を自分の教室に引き取るという申し出を打診してきた。
それが、去年の三月の話だ。秋司は自分の権限をフルに使い、二十三教室という彼専用の教室を立ち上げ、クァロをそこの臨時教師とした。
昔一時期世話になったということで、彼にとってもクァロは一人の恩師であるがゆえに、便宜を図ったのだ。
結果、本来ならば5月にオリエンテーション、6月から開始となる入ゼミも全生徒の中で唯一前倒しとなる形となり、
なおかつ史楼の判断の権限なく二十三教室へと籍を置くこととなった。
「天才に秀才は育てらんないよ。自惚れんな天パ」 --
クァロ
「そりゃうちのゼミの生徒に失礼な話じゃねーですかね、クァロさん。
別にどいつもこいつも秀才だとは言わないですけど」 --
秋司
「手前が教師としてやっていくならその辺は意識しとけや17階梯候補。お前は存在してるだけで他人にとっちゃ毒なんだよ。
その辺、お前の師匠のシロマルと同じだタコ。優れているっていうのはそれだけで影響が出るんだハゲ。
特に、それを間近で見ることが出来る才能を持って生まれちまったような史楼みたいなカスは、お前の存在は猛毒になり得る。
お、どうしたセンカ、酒が進まないか?」 --
クァロ
「いやー、話の流れ的に絶対こっちフってくると思ったわちくしょう!
身につまされる話だなーって、その辺の雑草のつもりで気配消して話聞いてたのに普通にフってくるしね! 何なんです!?
でもまあ、わたしはシューくんよりは理解出来るよ。もう少し若かったらおねショタ狙ってたくらいには」 --
センカ
「おねって歳かよ。捨虫の法のせいで実年齢ぐちゃぐちゃの癖に」 --
秋司
「お互い様じゃよな!! ていうかシューくんより外見年上なんだからお前もおねショタしてやろうか!!」 --
センカ
「同時に会得始めたはずなのに、捨虫の法会得までに三年も差が開いたせいで、
見事に妙齢でしか外見止められなかったセンカお姉さまの話して笑っていい流れ?」 --
秋司
「わたしは最初からこの年齢で人間辞めようと思ってましたが何か問題でも?
この溢れ出る色気に理解がないから、いつまで経っても童貞だし、初恋が忘れられないんじゃなくて? ホホホ」 --
センカ
いい大人同士が、おしぼりで互いをしばき合うのを見ながら、ゼニスはいつの間にか注文した清酒を傾けた。
「史楼くんですが……彼は、クァロさんから見ていかがですか……?
現在の、というより将来の展望ですが。大学に名を残してくれるような魔術師になっていただけるでしょうか」 --
ゼニス評議長
「さぁな。良くも悪しくもアホの本人次第だろ。
まぁ、本人次第って言える程度には、やっぱりあのカスはカスなりに見込みあるし、成長も早いよ。
なんか捻くれ曲がり切った魔術理論が根底にあるせいで矯正に時間かかりそうだけどな。
アイツにもアイツなりの馬鹿みたいな拘りがあるみたいだしな」 --
クァロ
「色々あったようですしね。直接お話ししても、あまり要領を得ませんでした。
知らない土地に一人というのも、初めてのようでしたし」 --
ゼニス評議長
ゼニスのその言葉に「あーーーーー……」とクァロは長いため息混じりの声を出す。
その声を喉奥に突っ込むように腸詰めを手で掴んで口に放り込み、言葉を返す。
「なんかな、単にあのクソ眼鏡が女慣れしてないっていうのもあると思うぞ。
実際、私に対してギャーギャー反論出来るのは、私が年下の女の外見してるからっていうのもあるだろうし。
クソめ。お前が金玉の中に居た頃から魔術師やってんだよこっちは。
まあ、そういうわけで、うちも新入生取ることに決めてる。雌豚四匹程」 --
クァロ
その言葉に、鼻の穴にポテトフライを挿されたまま、秋司が反応する。
「え、マジですか。二十三教室新入生取るんですか……?
というか、一応前倒しの形でゼミ生取ったゼミが、再度募集掛けるって出来るんですか、評議長」 --
秋司
ゼニスに向かって尋ねた秋司の言葉を、クァロが引っ掴む。
「無理だろうな。だから特例でどうにかしてくれ。
評議長権限でどうにかねじ込めるだろ、ゼニス」 --
クァロ
「史楼くんを特待生扱いにすれば、出来ないことはないですね?
ただとっても手間ですけれど。とっても」 --
ゼニス評議長
「ここの払いは持つ。なんならこれから一年、ずっと持ってやってもいい」 --
クァロ
その言葉に、秋司とセンカが先ほどの喧嘩もどこに行ったのか、両手を打合せて喜ぶ。
ゼニスは一人、そのクァロの言葉に少しだけ驚いていた。
てっきり、いつものようにゴリ押しで可能を実行に移そうとしてくるかと思ったが、対価を提示するとは、と。
あるいは、それだけクァロという魔術師は、史楼少年という魔術師を見込んでいるのかと、目に見えない信頼のようなものを感じて微笑む。
と、同時に厄介な相手に惚れ込まれたものだと、史楼少年にも同情した。
「女性ばかり取るとなれば、クァロさんが現役だった頃の第八教室のようになりますね?」 --
ゼニス評議長
「ああ、そうだな。腐れケツ穴シークエンスがそんな感じだったな。
あれを考えたらもうちょい雌豚とか雌犬とか数増やすか。生ぬるいなそれじゃ。
シークエンスの場合雌豚が10人越えてても、最後までクソ童貞だったしな」 --
クァロ
藪蛇を突いた、とゼニスは舌を出す。心の中で史楼少年に対しても謝る。
ふと目の前を見ると、自分の父親が童貞扱いされていることにどんな顔をしていいのかわからないセンカの姿があり、それが少し面白くてゼニスはまた笑う。
親友の実の娘である彼女とは、昔から懇意にしているが、母とはまた違う見応えがあって面白い娘だと、ゼニスは思っていた。
「お前もお前だぞゼニス。いつまでも独り身で居るなよ、風紀が乱れる。
コイツらみたいに人間辞めてるんじゃないんだからそろそろ身の一つも固めろよ。色々やり辛い」 --
クァロ
「突付いたヤブから私にまで矛先が回ってきましたね?
もうこの歳ですからね、伴侶としようとしてくれる方にも、この肩書も重いでしょう。
センカの母のせつなくらいの度胸のある殿方は、中々出会う機会がありませんから」 --
ゼニス評議長
「不老ってだけで花の乙女が棚上げされたましたが……魔術師が恋をしたらいけませんか?」 --
センカ
「一番近くにいる独り身の男女で何にも起こらないような馬鹿共が、赤の他人とどうにかなると思えないよアホが。
なんでお前らそんなに昔から一緒に居るのに色っぽい話が一つも出てこないんだよ。不能か?」 --
クァロ
その言葉に、きょとんとしてセンカと秋司はお互いの顔を見合わせる。
そして、すぐさま同時に堪え切れなかったとばかりに爆笑をした。
酒精も手伝ってか、その馬鹿騒ぎはクァロの青筋を一本増やすには十分くらい五月蝿くあった。
「絶対ないわー」と口々に言って互いを蹴り合うその様子を見て、ゼニスは運ばれてきた焼き鳥を一本口に咥えた。
幼なじみとは、そういうものかもしれないという余りにも実感の篭った言葉を。
評議長をしても、口にしたくはなかったからである。
――.FRAGMENT N to
――男は何もない道を歩いている。
その世界は道どころか、男以外に何も存在しない真っ白な世界だった。
そこに、ただ黒いシルエットの男が異物のように居るだけだ。
歩みからは、進もうという意思も、立ち止まりたいというような怠惰も、引き返すべきかもしれないという理性も感じられない。
ただ、歩くことが決まっているから歩いている。そんな様子に見えた。
何もないのだから、そこは道とは言えないかもしれない。
ただ、男が迷わず進むものだから、恐らくそれを見た者は皆、道を歩いていると評するだろう。
どれだけ歩いたのか、男自身も覚えていなかった。
そんなことは、男にとっては些細なことであり、気に留める必要もないことだったから。
そして同時に、ここから先がどれくらい永いのかどうかも、また気にしている様子はない。
今まで何度も通った道を、ただ漫然と進むように、軽快に歩みを進めていく。
男の赤い瞳が、その何もない世界で何かを捉え、初めてその歩みが止まる。
男は小さく嘆息して、初めて感情らしい感情を見せた。
永い徒歩の旅を続けてきたにも関わらず、鼻歌の一つすら歌わなかったのに、だ。
「いやあ。
俺も生前はさ、こういう死んだ後の蛇足みたいなの死ぬほどキライで忌避してたんだけど、
やっぱり自分がこういう立場になってみたら予想を一切越えずに凄い退屈でさ。
しかも真っ白な世界に俺だけが居るなんて古典的な表現で『あの世までの道のり』を表現するとか、
ありきたりすぎて本当ツマンナイと思うんだよね。独創性の欠片もないじゃない。
大体にして俺の想像力を越えられない現実っていうのが、もう退屈で退屈で仕方が無い。
だからさ、こうやってその途中で誰かに会えるなんて、想定外の出来事が起こると、柄にもなく嬉しくなっちゃうよね。
ご覧のとおり、饒舌にもなるしさ」 --
リジェン
男はべらべらと、今まで黙っていたのが嘘のように言葉を重ねる。
その様子に動じることもなく、そこでただ立っていただけの少女は、にこりと笑みを返した。
だが、少女――ノーリ・アーロンデルクは笑みを返したものの、視線は返さずに、真っ直ぐに前を向いたままだった。
男――リジェン・アーロゲントの方を、ちらりとも見もしない。
リジェンはそんなノーリの様子に苛立ちもせずに、肩を竦めて立ち止まったまま振り返る。
少女の目線の先には、今までリジェンが歩んできた道のりがある。
いや、道のりすらない。この世界は、全てが真っ白であり、二人以外何ものも存在していないのだから。
「人待ちかい?」 --
リジェン
「はい」 --
ノーリ
ノーリの返事は短かったが、答えが返ってきて、そしてそれが自分の分かる言語であったことを、リジェンは喜んだ。
上機嫌にリジェンは嘆息して、ノーリの隣に立ち、その視線の先を改めて見た。
やはり、そこに人は居ない。誰かが来る様子もない。
リジェンはますます楽しくなって、少女に尋ねる。
「来そうもないね?」 --
リジェン
「そうですね」 --
ノーリ
「どのくらいここで待ってるんだい?
君は女の子なんだから、誰かが椅子くらい用意してくれればいいのにね?」 --
リジェン
「どのくらいでしょう。椅子も時計もない不便な場所ですので。
ただ、どれだけ待とうとも、疲れも感じませんので贅沢は言えないのでしょうね?」 --
ノーリ
「でも、退屈くらいはするだろう。俺は退屈で退屈で仕方がなかったよ。
だって何もないんだぞ、ここ。昔知り合いが紙とペンさえあれば一生暇が潰せるって言ってたけど、それすらもなけりゃ死ねってことかって思うよな。
まあ――残念ながら死んでるんだろうけどさ、俺も――君も」 --
リジェン
言葉の矛先を、軽くノーリに向ける。
それは、リジェンにとっては退屈を紛らわすだけの行為であったのだが、その暇つぶしにもノーリは反応しない。
それはノーリが自分の死を認識している証左であったし、であるならリジェンも話が早いと思った。
リジェン・アーロゲントは日々を退屈している。
それは、生前ですらそうであったのだから、死後ですら同様だろう。
そして、彼にとって全ての他人は、彼の暇つぶしのために幸福の檻の中で浪費されるためにあると思っていた。
「ちょっと、俺の話をしていいかな。
君の退屈くらいは少し紛らわせられるくらいの話にはするつもりだし。
これでもまあ、俺お話、作るのもするの大好きでさ。きっと誰よりもね」 --
リジェン
「ええ。……どうぞご自由になさってください。
特に退屈をしているわけでもないけれど、私も誰かのお話を聞くのは大好きでした。
夢物語は、いつだって耳に優しいものですから……」 --
ノーリ
微笑み、ノーリは道の先を見る。未だ誰も来ないその道の先を見据える少女に、リジェンは小さく笑った。
久しぶりに味わう、自分に何の興味も持たないが話を聞いてくれる人間に会い、やはり彼は上機嫌だった。
鼻歌の一つでも出そうなくらいに簡単に良くなった機嫌のまま、リジェンはその場で手を広げて語り始める。
「手に入れたら願いが叶う。そういうモノって物語じゃありきたりだけど、現実にあったら凄いことになるよね。
何せ願いが叶うんだよ。ワイルドカードもいいところだと思う。バランスブレイカーすぎるよね。
物凄く強い要素であるのに、割りとアバウトに設定されたそれって、やっぱ悪用しようと思えばいくらでも出来るわけじゃない。
例えば単一の願いを複数に増やすとか、定石だよね。大体そういう『願いが叶うモノ』は願い自体を増やすことを禁止にしてるんだけど、だったら俺は思うんだ。
最初からどんな願いでも叶うなんて謳うなよって。どんな願いだって叶えられてないじゃない。何でそこだけ制限掛かってるの? ってね。
そんなの、あんまりにもご都合主義じゃないって思うよね」 --
リジェン
リジェンは軽薄に笑いながら続ける。
かつて、己が聖杯という願いを叶える御座を求めた話の枕として。
「俺の願いを叶えないでくれって願った場合はどうなるんだろうな?
数法の0で除算するときにそれのみを例外で不可能としたときと同じように、それもまたダメって言われちゃうのかな?
ってなったら、もう『願いを叶える』っていう行為自体が人間が創りだした一定のルール内での物になってしまうよね。数法もそうなんだから。
じゃあそれを『設定』したのって誰なの? って話になるし、そうなったら『願いを叶えるモノ』自体の万能性も懐疑的に思えてしまう。
だからさ、俺は昔からそういうモノが出てくるお話を、あんまり信用してなかったんだよね。
でも面白い話でさ、俺が生きてきた数年の中でも、そういうものを物語の中枢に据えた話っていうのはどんどん溢れてきてね。
しかもそういうところを棚上げした上で十二分に読み物として面白いんだよ。まあそんな厳密にそこは考えなくていいじゃないっていうなあなあ感もあるのにだよ?
そう言う意味で、やっぱ人間って心の何処かで『願いを叶えてくれるモノ』なんて現実に存在するにはオーバースペックな存在を、皆求めてるのかなって思うよ」 --
リジェン
だからこそ多分、現実世界にそういうものが産み落とされたとき、
それはそれを知り得た人ならざる力を持った個の間で、奪い合われるのだろうと思う。
それが、真か偽かは問題でなく、そんなもの、手に入れてから判断すればいいとばかりに。
「人間ってさ、本質は愚かで強欲な物だからさ。
自分の願いが叶うことで、誰かの願いが叶わないかもしれないなんてこと、微塵も考えないんだよ。
そんなに簡単に命を掛けるくらいのことで『なんでも願いを叶えるモノ』が手に入ったら、
それを命を掛けても手に入らなかった努力をしてきた人を踏みにじっていることは結構簡単に棚上げ出来るんだ。
だから、大したことのない願いで、それを求める事が出来る。
自分勝手な都合と、自分の願いの高尚さにべろんべろんに酔った状態でさ。
そうするしかない。なんていう言葉は本当にそうするしかない人間しか使っちゃいけないのに、他にも方法があるのに安易な方法に縋るんだよ。
面白いよね。正直言って醜悪すぎて笑いが出てくる。己の正義の名の下に振り下ろせば刃では血が出ないと思ってるんだよ、誰もが」 --
リジェン
リジェンは上機嫌に笑う。やはり、他人と話すのは楽しい。
恐らく、相手は自分の言葉の全てを理解しているわけではないだろう、でも、耳を傾けていてくれているという事実が嬉しかった。
「でもさ、俺別にそんなことは前々から知ってたし、その程度の物なんだって思っていたよ。
もっと言うならべろんべろんに酔っ払っていてくれるんなら、それはそれで『必死にソレを求めてくれる』って証明になるしさ。
自分の正義への酔いを正当化するために必死になって願いを叶えてくれる何かを求めてくれるなら、それはそれで有りだと思うんだ。
だからこそ、俺はその『聖杯戦争』っていう争奪戦に名乗りを上げたわけだしね。
――叶えたい願いもないまま、さ」 --
リジェン
経緯を思い出したのか、リジェンは少しだけ腰を折って笑う。
「そんなに俺としては長い間その戦争に興じてたわけじゃないんだけどさ、指折り数えてみたら三回も『悪魔だ』って呼ばれてんの。
……正直今思い出しても最高にウケるわ、これ。
叶えたい願いもないまま、デウス・エクス・マキナを気取って、絶対に死なないという確信を持って他人の心や他人自身を嘲弄する。
――だから、お前は悪魔なんだってさ。この理論、俺は本当に笑えるんだ。
俺という人間を、そんな簡単なレッテルの中に抑えこんで定義して、勝手に悪魔なんて呼んでくれて見当違いもいいとこだってさ。
自分が死なないって確信ってどうやったら手に入るの? そんなもの持ってなかったし、正直それが必要だとも思ってなかったよ。
むしろ、俺の目的を達成するには一番不要な物だと思ってたくらいだ。何を見て俺をそんな物に仕立てあげたのか、今を以ってしても全くわからないんだ。
だから俺はそれを思い出すと、今でもだいぶ面白いよ。――願いがないことが不誠実だっていう、その方程式自体が間違ってるのにな」 --
リジェン
「俺はさ、聖杯戦争にしっかりと命を掛けてたんだよ。
しかも、きっとその辺の適当な願いを以って挑んできた人間よりも、誠実に向き合ってたと思うぜ?
なにせしっかりと命を掛けて、絶対に勝たなければならないと思って参加を決めたんだ。
叶えたい願いを持たないから、ってそれを不誠実だと思う気がしれない。
俺は、自分の命をかけて、この人々が求心する『願望機への渇望』を一つの物語にしようとしてたんだ。
自分すらも登場人物にして、途中で殺されかねない危険すら犯して。
その願望機という誘蛾灯に寄せられた全ての酔っぱらいに一つずつ配役を与えて、それぞれの悲嘆と達成を一冊の本にしようとしていた。
それが、俺があの聖杯戦争に参加していた理由の全てさ。
だから俺は、願いを叶えてもらうわけにはいかないし、叶えたいと思う願いもなかったんだよ。
――面白い話っていうのは、結局自分で書かないと意味がないものだからな」 --
リジェン
かつて、聖杯参加者の刻印。令呪が描かれていた胸を押さえる。
そこには、もうすでに何も存在しない。キャスターとして召喚した己のサーヴァントも、もう今は何処にも居ない。
「俺は正しく戦争をしようとした。己の持てる全てを使い、全てを利用した。
誠実に現実に向き合い、行うべきことをすべて行い、万全を以って挑んだ。
嘘も真も全て使い分け、時に場の緊張感として言葉を利用し、俺の願いを叶えようとした。
……その気持ちが、俺は例えば世界を救いたいなんていう勇者の願いに、負けるとは思えないんだ。
俺は、例えば世界が滅ぶとしても、自分が納得できる一作が書けたなら、それでいいと思ってる。
それは、きっと狂人だって指差されるか、冗談だって笑われるかされるかもしれないな。
でもさ、俺の中ではしっかりとした本物の願いなんだよ。悪魔でも、化物でもなく、一人の人間としてのさ」 --
リジェン
瞳の中に、赤い炎を燃やした男は、どこか愛おしげにその胸をなでたが、すぐに破顔する。
「思いっきり、クッソ負けたけどな。……完敗もいいとこだったよ。正直笑いも出ないし、笑えも出来ないね。
いやあ、あそこまでコテンパンだと逆に気持ちが良いんじゃないかってくらい大敗北だったよ。
何一つ思い通りに行ってなかったって言えば大げさだけど、少なくとももう少し上手くやれると思ってたのに全然だったな。
まあでも、そんなものなのかもしれないと今は思ってるよ。
きっとな、創作の神様ってやつは、俺になんて興味もないとてもいい女なんだと思うし。
そういういい女に惚れてしまったやつの末路が、今こうやって何一つ出来ずにここに居る俺の姿だっていうなら。
俺は多分何回だって手を伸ばしていただろうな……片思いって楽しいもんだからね」 --
リジェン
少しだけ寂しげに、男は呟く。
「それももう、ここで終わりらしいけどな。
全てを吐き出して、全てを尽くしても尚届かなかったっていうことは実力不足であったということの証拠みたいなものだし、
それを部分だけ抜き出してこうすればよかったああすればよかったなんて思いもしない。
それにな。俺が死に際に得た天啓から導いた、最高に面白い聖杯戦争の結末は、このまま無に帰っていく俺の胸の中に仕舞っておけるんだ。
それって、もしかしたら本物の悪魔の所業なんじゃないかって思えるし、それが皆が俺に期待したことだっていうなら、最後くらい期待に答えてもいいんじゃないかって思える。
絶対に、確実に、誰もが、一人残らず、きっとこの結末の方が楽しかったと言ってくれる自信があるこれは、笑いながら俺がゴミ箱に捨てるよ。
さあ、問題です。これは、悪魔の嘘(ハッタリ)でしょうか、人間の本当(真実)でしょうか? なんてな。
……退屈だった?」 --
リジェン
「いえ、とても面白かったです。
……失敗談、ということでしたら、それを甘く語る人のお話は、いつだって面白いですから」 --
ノーリ
一般論化されちゃったか、とリジェンは舌を巻いて肩を竦めた。それはきっと、退屈させたことの証左であるだろうから。
未練がないなんて言わない。自分だって人間であるのだから、もっとたくさんのものを描けたかもしれないという思いはある。
それでも、きっとこうやって淘汰されていくことがより面白い物語を作ることなのだとしたら、自分は流血の痛みを堪えながら自らの身体を針の筵の上に投げようと思う。
リジェンは小さく笑って、今まで歩いてきた道を再度見た。
「来ないね。
まあ、俺としては話を途中で中断されなかったからありがたかったんだけどさ。
キミみたいな子を待たせるって罪深い人だよそいつ」 --
リジェン
「……どうでしょう。
本当に罪深いのは、こうして待たされている私の方かもしれませんよ……?」 --
ノーリ
ノーリは自分の冗談にふふ、と小さく笑った。
釣られたわけではないが、その可憐な笑顔に付き合うようにリジェンも口の端で笑う。
「実はキミ、生前悪い子だった?
キミみたいな子が道の行く先で待っていたからさ、ここもしかして天国に続いてるんじゃないかって期待してたんだけど。
ま、天国であろうが地獄であろうが創作なんて出来ないだろうし、同じかなって思うけどさ」 --
リジェン
「いえ、多分ですが……この先には天国も地獄もないと思います……。
何人か、貴方のようにここを通った人を見かけましたけれど……私よりすぐ後ろが境界になっていて、
そこを超えると多分最初から何もなかったかのように消滅するんじゃないかと思います」 --
ノーリ
「へえ。んじゃここで終わりか。
案外近いところにあるんだな、死って」 --
リジェン
平然とノーリが言い放ち、平然とリジェンはそれを受け止めた。
覚悟が決まっているわけではなく、そうであるのだとしたら今更自分たちが足掻いても仕方がないという諦観がそこにあった。
リジェンは少しだけ考えた後、意味のないことをノーリに尋ねた。
「待ってるのって、恋人か何かかな」 --
リジェン
「ふふっ……そうであれば、貴方にステキな物語に仕立てて貰えたかもしれませんが、
そんなステキな待ち合わせではありませんよ、私のは……。
ただ、私が勝手に待っているだけです」 --
ノーリ
へえ、じゃあ片思いか、と心のなかでリジェンは呟いた。
声にしてしまえばそれも否定されそうな何かが、ノーリの視線にはあった。
なにせ、リジェンとこれだけの時間一緒に居るにも関わらず、彼女は一度もリジェンの方を向いていない。
――と、リジェンが口を開きかけた瞬間、ノーリの言葉が割って入った。
「もしかしたら、来ないかもしれません。
約束をしたわけではありませんから……。
でも、来るかもしれないんです。
だから、ここで待っているんです、ずっと」 --
ノーリ
「……ただ待ってるのって、例え疲れなくても辛くない?
俺は無理だな、こんなとこだと、退屈してしまうよ」 --
リジェン
「辛いです。苦しいですね。退屈ですし。
……でも、そういうのって、いつでも私と共にあったので、特には気になりませんの。
それに、退屈を紛らわせる程に、来てくれたら嬉しいと思う気持ちがあるんです。
もし、その人がここに来て、私の顔を見たときどんな顔をするかを想像したり――。
あるいは、ずっと待たせていたことへの答えを私に与えてくれるんじゃないかと思うと、胸がいっぱいになるんです」 --
ノーリ
少しだけ頬を染めるノーリの表情は、リジェンからみても恋をしている少女のそれだった。
リジェンは小さく肩を竦めて、尋ねる。
「その答えを、待ってるんだ。
その誰かが持ってきたその答えを」 --
リジェン
「ええ。生きている間には貰えませんでしたけれど、ここで待っていたらもらえるかもしれないんです。
それが、もしかしたら生きている間にずっと考えていたことであったり、
悩んで悩んでなんとかひねり出した答えであったりするのを想像すると……。
今こうして待っていることも、耐えられちゃうんです」 --
ノーリ
「……答えなんて、持ってこないかもしれないよ。
キミのことなんか、忘れちゃっているかもしれない」 --
リジェン
「その時は、その時ですね。
でも同じように、持ってくるかもしれない。
ずっと、私のことを忘れられなかったかもしれないと思うと、待っていてもいいかなって思えるじゃないですか?」 --
ノーリ
極論には極論で答えが返ってくる。彼女の覚悟は本物だ。
リジェンは、軽々しい理論ではその覚悟が突き崩せない事を感じた。
でなければ、こんなにも長い間、ずっと誰かを待ち続けることなんて出来ないのだろう。
その盲信は、もはや人間の領域を超えているとリジェンをしても思っていたが。
そんなリジェンの様子を気にせず、ノーリは続ける。
「ずっと、私のことを考えて、忘れずに居てくれて、
私のことだけを思って生きて、そして考えて考えて出してくれた回答を持ってきてくれたとしたら。
私がここで待っていることなんて、私が今まで感じてきた苦しみなんて、全てどうでもいいと思えるんです。
それくらい、私が待つ人が持ってきてくれる答えは、私が求めている答えなんです。
きっと、不器用な人ですから、自分の中で納得が出来る物を、本当に不器用に一生懸命組み立てて、答えとして私の前に持ってくると思います。
私は、それを受け取るその瞬間、ようやく本当の幸せを得る事が出来るんです。
私は、受け取ったそれを――」 --
ノーリ
「――彼の目の前で思い切り地面に叩きつけて、足で踏み躙ってやりたいんです。
散々待たせておいて、散々考えておいて、こんなものしか持ってこれなかったんですねって、笑顔で。
最初から、今こうやって持ってくること自体が間違いであることにも気づかず、今頃回答を持ってきて採点をしてもらおうなんて、虫がいい話じゃないですか。
だから、私はその内容すら吟味せずに、地面に叩きつけて踏んでやりたいんです。
あの日、あの時、あの瞬間に、その挟持すら手放して阿り、回答を拒否した彼に。
時間切れですよ。っていう事実を叩きつけてやりたいから、ずっとここで待っているんです」 --
ノーリ
ノーリは、心から楽しそうに、言う。
「その時の彼が、彼なりに考えていれば考えている分、悩んでいれば悩んでいる分、きっと私はそれだけで胸がいっぱいになるでしょう。
もし、私のことを忘れ、のうのうと私が死んだ後も持論を以って事に挑み、一端の人間として成立しようとしていたのだとしたら、
それすらもきっと甘美な香りを漂わせると思います。
私を見捨てておいて、何と名乗ってどのような人生を描いているのか、矜持を持って誰と向き合ったのか。
それも詳らかに全て聞いてあげようと思います。
聞いた上で、全てを地面に投げ捨てて、壊してしまいたいんです。
よく頑張りましたね、でもダメです、もう一度、リテイクです、って。
もし、何度も来るようでしたら、その度に壊すと思います。そしてその度に甘い疼きが私を少しだけ慰めると思います。
最初から最後まで、何一つ思い通りに行かなかった私の人生の、これが最後のわがままなんです。
……ね、私、悪い女でしょう?」
リジェンはその言葉に、小さく笑うしかなかった。
生きていれば、きっと彼女にも興味を持てたかもしれない。だが、今手にペンがない状態でノーリと向き合うことに、恐怖すら感じていた。
その首は、リジェンの非力な手ですら簡単にへし折れてしまいそうなほど細いのに。
「正直……その誰かに同情するよ。
読まずに物語を捨てられるっていうのはさ、俺達みたいな人間には結構堪えるからさ……」 --
リジェン
「本当ですか……? だとしたら、とても嬉しいです……。
私が、ここで彼を待っている価値があるっていうことですから……。
ずっと、待ってるんです。
貴方がどういうつもりか知らないけれど、貴方はもうあのとき、死んでいるんですって。
あのとき選べなかった時点で、自分の誇りと共に、私を火にくべて殺したんだって。
もう、それは絶対に取り返しがつかないことで、もうどうしようもないことなんだって……そう、伝えてあげたいんです。
だから、私はここで待っているんです……ずっと。彼が、答えを持ってきてくれることを」 --
ノーリ
遙かなる道の先、ノーリの視界には誰も映っていない。
或いは、そこを歩いてくるその誰かを夢想しながら、彼女はずっとここでその誰かを待ち続けるのかもしれないと、リジェンはそう思った。
物語としては、何の面白さも感じない、ただただ残酷な人生でしかなかったが。
「もう、ここを超えたら祈ることすら出来なくなりそうだけど。
それでも、俺も願っておくよ。……その誰かが、ここに来るのをさ。
他人ごとだから、尚更ね」 --
リジェン
ありがとうございます、とノーリは心の底から礼を言った。
恐らく、その誰かが持ってきた物語は、少なからず彼女自身を幸せにするだろう。
その悩みは、思考は、きっと普通の人間にとっては自分のための懊悩となって、少しは救いになるのだから。
でも、彼女はそれすらも拒んだ。
安易な結末と、救いを拒否して、ただ悪意の権化として、そこにいる。
自らが苦しみ、痛み、悶えようとも、必ず報いを受けさせるという、悪しき執着の塊として。
リジェンは静かに思う。
出来ることなら、そんな彼女の救いになるような答えを、その誰かが持ってきてくれることを。
だがきっと、それがどれくらい優れていても、きっとノーリは地面に叩きつけて踏みにじるのだろうという確信を、その横に添えながら。
別れの挨拶は要るまい。
最初から、自分はノーリの世界にすら存在出来ていなかった。
彼女の中には、そのときを待つ歪な心しか存在していなかった。
だったら、自分は跡を濁さず去ろう。
リジェンは、一歩を踏み出した。
「――良い創作だったな」
彼は、自画自賛した。
――.FRAGMENT or R
――古びた箱があった。
それは、便利屋の事務所の中にある、自分のデスクの中にいつの間にか放り投げられている。
割り当てられてから一度も開いたことがないその机の引き出しを、レィジー・ヒルベルトが開いたのは
余りにも暇に飽かしただけであり、ただの偶然である。
それぞれのデスクの中身には基本不干渉だ。
故に、それはきっと恐らく、自分の持ち物であるのだろうとレィジーは思った。
デスクの引き出しからそれを取り出してみたが、どう考えても古びた箱以外に説明しようがない。
手に取り振ってみると、中で何かが動く音がした。
爪先でこじ開けると、中から何かが転がり出てくる。
埃の積もった自分のデスクの上に落ちたそれを指先で拾い上げ、手のひらの上に載せる。
イヤリング、だろう。
箱と同じで見覚えはない。
既成品ではないようで、子供が細工で作ったような不格好な造形をしている。
人の手で金属を少しずつ曲げて、それに鈴を付けた、センスの欠片もないシンプルな作りに見える。
少なくとも、アクセサリを着ける習慣のないレィジーには、自分のデスクの中になぜこんなものが入っているのか、理解出来なかった。
「……カイセのか? もしかして」 --
レィジー
まさかな、と自分でも信じていない自分の言葉に笑いが出た。
この事務所で、誰よりもアクセサリなんて物に興味がない人間があいつだ。
小奇麗にしているが女でもあるまいし、こんなものを身に付ければ自分やウィレムにホモ野郎呼ばわりされるに決まっている。
だが、これがウィレムの物だとも思えない。
何より狭量なあいつが、自分の持ち物を他人のデスクに入れるような不用心をするはずがない。
レィジーは別の依頼に出ている二人の顔を順番に思い浮かべて口の端を持ち上げて嘲笑った。
「――し。これを持っていれば、いつどこで――」
--
???
声が聞こえた。
レィジーは振り返り、事務所内を見る。誰もいない。当然だ。
だが、声は確かに聞こえた。幻聴だろうか。レィジーは少しだけ鼻白む。
全てをコントロール出来るはずの自分の身体が、幻聴を聞くというのは珍しい体験だ。
再び視線をイヤリングに戻す。
「いい案だろ。ここから先、どこで別々になっても分かるようにってさ」
--
少年
「ここから自由になったら、きっと顔とかも変えないといけないだろうしね。気が利いてるじゃん!」
--
少女
「離れていても、共にあるというのは、悪くない案だ。……そうだろ、レィジー」
--
男
声が、聞こえる。
聞き覚えのない声だ。
少年と、少女と、男の声。
同じイヤリングを手に向き合い、お互いの目を見つめて、約束を誓い合う。
覚えがない。その声にも姿にも。
レィジーは眉根を寄せて、そのイヤリングを手の中に握りしめた。
----------
髭面が崖の下を覗き込む。
目深に被った帽子のつばを飛ばされないように片手で押さえながら見れば、
遥か崖下の地面に真っ赤な花が三つ咲いていた。
男は御年50を迎えなお衰えぬ自分の視力を初めて恨めしく思った。
遠目ではあったが、しっかりとそれは見えてしまった。
人が死んでいる。三人。
正確には、人の形をしていたであろう物が、散らばっていた。
人間の身体は、ある程度の高さから落下すると着地の衝撃に耐え切れず四方へ千切れ飛ぶ。
その千切れ飛んだ肉片を緩慢な動きで拾い集めている人影の中、いくつかのパーツが崖壁にへばりついているのが見えてしまった。
晩飯に肉料理が出ないことを祈りながら、男は苦み走る口の中を誤魔化すように煙草に火を着けた。
「――報告よろしいでしょうか、統括」 --
研究員
統括と呼ばれた男は、その声に振り返る。
そこには、白スーツの上に白衣を羽織る、恐らく研究員の一人であろう青年が報告の為に崖上に登ってきていた。
お仲間が死体さらいをしている間に、いち早く報告に馳せ参じたのだろう。
なるべく早く、落ち度が最小限になるような上申を、自分に考えさせるために。統括は小さく口の端で笑って無言で先を促した。
「崖下で発見された死体は、検体01〜03でした。
恐らく、彼らの全てのパーツは崖下から回収出来るでしょう。落下の際に多少損傷はありますが、全重量ありそうです。
検体04については発見出来ませんでした。引き続き許される限り捜査を続けます」 --
研究員
まるで刑事ドラマの報告だな、と笑いそうになる肩を抑えて統括は誤魔化すように首を捻った。
全重量あったところで、どうだと言うのだ。文句が出そうになったので質問に変える。
「――死因は。落下の衝撃か」 --
統括
「はい。彼らも、人間と体組成の構造は何も変わりませんから。
流石にこの高さからの落下では、即死だったと思われます。
詳しくは、解剖してみないと分かりませんが」 --
研究員
分かりませんが。
分かったところで、分かったときにはもう遅い。
その時には責任を取って俺たちもその検体の横で解剖されているかもしれないなと皮肉が口を突きそうになる。
研究員もそれを理解しているのか、そこから先はあえて濁したのだろう。
なんとか、自分が上と自分たちの間を取りなしてくれることを少なからず期待しているのだろう。
統括は煙草の灰を指で落としながら渋い顔をする。
ただ、施設からの検体の逃亡という失態を行ってなお、こうやって五体満足でいられていることが、
何よりこの問題を上がそれほど重大な過失と思っていない証左であると、統括は思っていた。
普通の組織であれば即座にクビが飛ぶレベルの失態ではあるが、今だ自分の胴は首から上と仲良くやっている。
何より、こうして検体の回収などという門外の作業を担当させられていることが、
この失敗を糧として更なる利を齎せと言われているようで、男の胃は収縮の音を奏でた。
「まあ、即死だろうな。この高さからの落下じゃ。
どれだけ身体を上手く動かせようが、人間が落下して無事で居られる高さじゃない。
元々、検体や内部の者を逃さない、そういう意図で作られた堀だからな。面目躍如だろうよ」 --
統括
「それは……私達も同じ、ですかね」 --
研究員
「当たり前だろ。その頭の中にこの堀の内側で得た知識が詰まっているということが、
この閉じられた世界の中に閉じ込められるには十分な理由になる。
物理的に『出るな』という意思を無言で伝えてくるこの堀は、俺達常人にこそ効果を発揮するものだろ。
覗きこんだだけで、俺なんか目が眩みそうだ」 --
統括
もしかすればこうやって自分たちで崖下に落下した検体を回収させることそれ自体が、
上が効果を期待している目的そのものであるという考えが浮かんで、統括は肩を竦めた。
遥か遠くに見える崖下は、十二分に自分たちに死を連想させる高さを持っている。
余り正面から覗き込みたくはないと思い、小さく嘆息してから煙草の火を崖側に背を向けて地面に投げ、足で踏み消した。
「04。レィジーか。まだ見つかってないのは」 --
統括
「はい。ですがこの崖を超えたとは考えにくいので、この辺りで息を潜めていると思われます。
引き続き、捜索を続けようと思うのですが、よろしいですか?」 --
研究員
問われ、統括と呼ばれる男は少しだけ考える。
煙草を入れたことで幾分クリアになった頭で思考を巡らせ、それ以上に鋭くなった嗅覚で真実に鼻を向ける。
なんとなく。そう、なんとなくではあるが、男にはレィジーと呼ばれた検体が見つかることはないだろうと思った。
崖下に落下した三つの検体の死体。そして、施設にいた頃のレィジーの姿を思い出すと、そう思わずには居られなかった。
「……一応、日没まで続けろ。
それを過ぎたら、もう諦めろ。恐らく、あれは上手く外側に逃げただろうからな」 --
統括
「真逆。……この崖をどうやって超えたんです。
私は、それだけは不可能だと思うのですが」 --
研究員
「物理的に遮られているわけじゃないんだ。
もしかしたら崖くらい、難しく考えず、ジャンプで飛び越えられるかもしれない」 --
統括
「不可能です。検体がいくら自分の身体を上手く操ろうとも、彼の身体のスペックではこの崖の距離を跳ぶには筋力が絶対に足りません。
毎日測定していた私達が言うのですから、これだけは間違いないはずです」 --
研究員
その青年も、施設で検体について研究する研究員の一人だ。
己の研究内容には並々ならぬ誇りに満ちているというわけか、統括の言葉にも怯まず言い返す。
何もそれを否定しようというわけじゃないと統括は息を吐き、別の言葉を探す。
横目で崖下を見ながら、ぽつりと呟いた。
「……毎日、彼らを見ていたのなら、何故検体01から03は、崖下に落下したと思う。
彼らには、自殺願望でも? あるいは、それだけの苦痛を与えるような訓練でもしていたか」 --
統括
「いえ。主観的な判断ではありますが、そういった兆候は見られませんでした。
リィチ、ラニ、ルースについて、人間と同等の教育を施してあったために、精神面での成熟も問題なかったように思えます。
何より、彼らがこの施設を脱走しようとしたその目的の是非は問いませんが、少なくとも自死の為にここまで足を運ぶとは思いかねます」 --
研究員
「だったら……なんで彼らは崖下に落ちたと思う」 --
統括
施設内で研究の対象となっていた三人の少年少女。名前までは覚えていなかったが、統括はそれぞれの顔くらいは思い出せていた。
いずれも人間的に成熟しており、己の価値観というものの芽生えすらあった。
自身が優れた存在であることの自負をなるべく殺す形で飼い殺してはいたものの、
自死を選ぶ程抑圧されていたとは、統括にも思えなかった。
だが、彼らは落ちて、死んだ。
しかも三体まとめて、だ。
それが、統括には少しだけ引っかかっていた。
「……それは、04、レィジーが発見されないことと、関係があると思われているのですか?」 --
研究員
「逆に聞かせて欲しいところだ。
彼らが崖下で死んでいたことと、レィジーがこの崖の先に逃げられたことを繋げるとしたら、キミならどう繋ぐ」 --
統括
真面目、なのだろう。
若い研究員は、統括のその言葉に目を伏せて思考を巡らせる。
やがて、考えに至ったのか、自分の見解を言葉に乗せる。
「もし。
……もし、ですが、他の三人が検体04……レィジーだけを外に逃がそうとした場合。
そして、彼らが自分の命を投げ出してでも、一人を外側に逃がそうとしたときだけ。
あるいはレィジーが外に逃げることは可能じゃないかとは、思います」 --
研究員
三体の検体が、己の命を犠牲にすれば。
一体だけを外に逃がそうと結託すれば。
三人が崖下へ落下死するという結果を、文字通りの踏み台にして外側に逃げることは出来るかもしれない。
研究員はそう結論づけて、統括の顔を見た。
統括は少しだけ苦々しい顔で、その回答に到達した研究員を見て、嘆息する。
「あるいは、そうかもな」 --
統括
「ですが……それは余りにも非合理だとも、思います。
そうして施設の外側に一体を逃がす程に、彼らにとってレィジーという存在は特別なものであったとは思えません。
確かに施設の中では『恍惚の毒』と呼ばれ、一定のカリスマは持ち合わせていましたが、
それはあくまで集団生活に於いてのリーダーシップのようなもので、命を捧げるほどの狂信を生み出すようなものではなかったはずです。
……自分の命を捧げる程の不合理を、三体が同時に抱くなんてことは、ありえないと、思います」 --
研究員
『恍惚の毒』。誰が呼び始めたかしらないが、施設内でレィジーはそう揶揄されていた。
破天荒で掴みどころがない割に、人を惹きつけるその才覚は、ある種の毒のようにも見えたかもしれない。
だが、それ以上に。
長い間人間というものと向き合ってきた統括には、その毒の違う面が見えていた。
胸元に手を伸ばす。
煙草は既に箱だけになっていた。
その空の箱を、弔いではないが、崖の下の死んでいった三つの命に向けて放った。
「その意見も、そうだと思う。
俺も、彼らが自分の命を投げ出して、レィジーを外に逃したとは思っていない」 --
統括
その言葉に訝しむ研究員に統括は、背中を向ける。
引き続き、捜索を続けろという言葉で予めこの話は終わりだと告げた上で、言葉を投げた。
「……むしろ、逆だろうな。
彼らは、ただ『飛べなかった』んだろうさ」 --
統括
統括は白衣の襟を立て、その場を後にする。
身体に感じた寒気は、体温の低下が理由ではなく、その言葉の空寒さに起因していただろう。
煙草が切れた苛立ちに重ねて、レィジーという少年が持っていた毒性に一人溜息を吐きながら施設へと戻っていく。
そう。
彼らは、落下したわけじゃない。
飛べなかっただけだ。
余りにも、それが軽々崖を越えるものだから。
そしてあるいは、崖を跳ぶその姿が、余りにも羨ましいと思えてしまったから。
自分も、同じように崖を跳ぶことが出来ると勘違いして。
そして――落ちて死んだのだ。
だから、崖下には死体が三つしかなかった。
飛べない鳥が、飛べる鳥に夢を見せられてしまった。
それが、恐らく真相だろう。
何の救いもない、舌先に苦いものだけが残る、真実だろう。
「……だからあいつは『恍惚の毒』なんだよ」 --
統括
どんな毒だって、舌先には甘いもんだ。
心の中で毒づき、男は検体を逃した言い訳を考えながら、施設に歩いて行った。
----------
「ここを越えたら、オレ達は自由だ。
自分のやりたいことを、好きなことをやって、生きて行けるんだぜ、自分の生きたいように。
楽しみだよ。お前らもそうだろ? そうに決まってる。オレは分かるんだそういうの。
じゃあ、先に行くぜ、もしかして外でもう一回会えたら、そん時ゃよろしくな。皆」 --
レィジー
----------
――握りこんだ手の中。
確かに、そのイヤリングは息づいていた。
握りしめたその手のひらの中でぼんやりと暖かく。
それは、レィジーの記憶を少しずつ刺激して、何か大切なことを思い出させようとしていた。
レィジーは小さく笑う。
自分の胸に去来する郷愁にも似た感情が、どうしても懐かしく。
今まで誰にも見せたことがないような微笑みを零した。
「――要らね」 --
レィジー
記憶が形になる前に。
レィジーはそれを手のひらの中で砕き。
近くにあったゴミ箱の中に捨てた。
それは、彼にとって、必要がなかったからだ。
――.FRAGMENT K
>私は専門家じゃない■
>お前の方で要約して欲しい■
>はい、と自信満々に答えられれば良かったのですが
生憎こちらもこういった事態は想定していなかったので、
解釈としては全てボクの予想でしかないことはご了承ください
ロティア先生■
>了解■
>鏡面世界については、既にご存知のことと思います■
>ペルソナと呼ばれる自身の理想の姿が生まれいづるもう一つの世界
かつて加賀峰有栖が研究し、そして死後に取り込まれた場所です
その節はお世話になりました。改めてこちらで言うことではないですが■
>気にするな■
>そのときの騒動ですが
そうして生まれた鏡面世界に加賀峰有栖の鏡面存在である白斗鏡君が生まれたところから全てが始まりました■
>加賀峰有栖が理想とした姿として、性別の反転した白斗鏡が生まれます
それは恐らく、鏡面の中に生まれた最初のシャドウだったんでしょう■
>後から聞いた話では、不完全ではありますが、他の特別教科のメンバーのシャドウも
鏡の中にいたと聞いています
なので今回の事件は、その延長線上にあるのではないでしょうか■
>そのときと同じことが、今回も起こっているっていうことか■
>でも、何故だ■
>加賀峰有栖のシャドウである白斗鏡が人間に成ったことで
全ては解決したんじゃないのか■
>これはボクにとっても古傷なのですが
元々の計画というものは、その加賀峰有栖のシャドウである白斗鏡を更に鏡に映すことによって
オリジナルである加賀峰有栖の複製を作ることがボクの目的でした■
>つまり鏡面に鏡面を映そうとしていた■
>鏡面を並べたのはボクではありません
ボクはただ、並んで向き合っていた鏡面を利用しただけにすぎない
恐らくそれは白斗君自身が無意識に行ったか、あるいは白斗君のシャドウが形を持つ前に行ったことじゃないかと思います■
>■
>そしてその正面を向いて並んだ鏡面は
白斗君が人間として成立した後も、鏡面世界に残り続けていた■
>鏡面が向き合ったとき、その複製は一回に留まらない
無限鏡というのですか、光が届く限り、永遠に本体の複製を創り続ける■
>今起こっていることは、そういうことじゃないかと、ボクは思っています■
>厄介だな■
>すみません■
----------
――夜の校舎。
何人かの少年少女が、声も抑えずに会話をしている。
その一人ずつはそれぞれの得物を手に携えており、ただの学生ではないことを示していた。
良く見れば彼らが立っているその地面は、本来天井として存在しているべき面であり、
周囲の全てが鏡面に映したように上下が反転していることが分かる。
『鏡面世界』。彼らがそう呼ぶ、彼らが攻略すべき迷宮がそこにあった。
「で、どうすんの、リーダー。
一応非常事態だけど、ここで引き返す? それとも、誰かここに置いて先に進んじゃう?」 --
諏訪里
「バァカ。引き返すに決まってるだろ。
今ロティア先生に、鹿場経由で確認取ってるところだ」 --
姫宮
「はいはぁい。頼りになるリーダーが持てて幸せだわ。
まあそろそろ疲れて来てるし、丁度良かったかな。あんまり遅くなると身の危険を感じるし」 --
諏訪里
一人の少年が、『それ』の側で屈みこむ。
『それ』はぐったりと、上下が逆になった学校の廊下で倒れていた。
外傷はない。よく見れば、その胸が呼吸で上下しているのが分かる。
本来人が存在出来る場所でないはずのこの鏡面世界に、
迷いこんできたような『それ』――『その少女』を見て、少年は小さく笑う。
「可愛いからって連れて帰りがてらイタズラしないでやれよ、ハイパー鳴子様」 --
諏訪里
「そういうのするように見える? 諏訪っち」 --
鳴子
「するように見えるって言うかさ、散々そういうセクハラの対象にされてた身としては、思うところあるだけよ。
それに、もしかしたら彼女ペルソナ使いかもしれないじゃん。仲良くやっていきたい所にそういう蟠り出来るとなんかなって」 --
諏訪里
「あれあれ? 諏訪っち、それって嫉妬かな?
安心しなよ。寝てる子にはあんまり興味ないんだよね。
やっぱこういうのって起きてて嫌がって貰わないと楽しくないのよ、やる方としてもにゃー」 --
鳴子
「やめとけよ、たち悪い。
ああ、鹿場くん、ごめん。緊急事態だ。ロティア先生と変わって貰っていいか。
……ああ、姫宮です。遭難者って言えばいいんでしょうか、鏡面世界で倒れてる女生徒を発見しました。
いえ、シャドウにやられてる感じはないですね。はい。女生徒です。え?
ああ、そうですね……うちの制服着てます。多分ですけど……そうですね」 --
姫宮
教師と連絡を取る姫宮の横で、一人の男子生徒が鳴子に並んで腰を下ろす。
長い指先で倒れた眠り姫の頬に触ると、何処か慈しむような目でその顔を見た。
「受け入れられれば、いいね。
彼女がボクらと同じなら……きっと、過酷な運命を少しだけ呪うかもしれないし」 --
妹野
「まあ、なるようにしかなんねッスよ、妹野先輩。
――乗り越えられるかは、こいつ次第だ。少なくとも、乗り越えた俺らが居る分、幸運かもしれんしな。
な、諏訪っち。良かったじゃん、『女の子』二人目でさ」 --
鳴子
「それを本当に良かったと思ってるのってアンタだろ。
……でも、まあそうね、少し肩身が狭かったから、仲良くしてあげられればなとは思うわ。
色々、魔の手から守ってあげられたりすれば最良だしね、ほら、狼達散った散った」 --
諏訪里
「ええ、ボクも狼に入ってるのかい、諏訪里君。ひどいなぁ……」 --
妹野
「――残念ながらね、男は皆狼なのよ。
……ああ、姫宮、どうだった? 先生なんて?」 --
諏訪里
『少女』の問いかけに、『少年』は通信機を畳んで答える。
「彼女を連れて帰還する。今日の特別教科の活動はここまでだ。
妹野先輩、彼女を背負って貰っていいですか。もし疲れたら俺が変わりますんで」 --
姫宮
「最初からオレが頭数に入ってないっていう、ハイパー鳴子様への凄い信頼を感じる」 --
鳴子
「……日頃の行いってやつだと思うわ」 --
諏訪里
「……姫宮君。その必要、少しだけなくなるかもしれない」 --
妹野
妹野の言葉に、全員が少女を見る。
少女は、まるで魔女の呪いが解けたかのように目をこすりながら目を覚ます。
そして、その場に見知らぬ数人の生徒が居ることに驚き、少しだけ身を竦ませた。
『特別教科』に所属する、四人の男女は目を見合わせた。
そしてその内の一人が、彼女に言葉を投げる。
「……ようこそ。特別教科へ」
----------
>どうすればいいと思う■
>当面はこのまま特別教科の活動を続けてください
そしてタイミングを見計らった上で、彼女にも他の教科生と同じように
説明をして貰えればありがたいです■
>この辺りのタイミングはお任せします
機を伺うのは、ボクよりもロティア先生の方がお上手でしょうから■
>分かった■
>特別なことは出来ないぞ■
>ボクもボクの方で有栖の文献などを読み込んでそちらの方向から当たってみます■
>鏡面世界について紐解くことで、何か糸口が掴めるかもしれない■
>すみません、今回も巻き込んでしまって■
>構わない■
>お前のためじゃない■
>彼らが生徒であるなら、その問題を解決してやるのが教師だ
出自は関係なくな■
>言葉と好意に甘えます■
>ボクも、ペルソナ使いとして待機はしておくので
もし探索のメンツに困ったときは仰ってください■
>もちろん、まだ教えられることがあるなら、いつでも相談には乗れますので■
>分かった■
>これの使い方についても、慣れては来ている■
>そちらはそちらの問題を全力で解決してくれ
あくまで私は手伝いしか出来ない■
>分かりました■
>これは恐らく、白斗君の問題について全力で解決に当たれなかったボクにとっての
罰であり、そして罪滅ぼしの機会であるとも思っています■
>こんなことを言えば、きっとまたロティア先生には怒られてしまうでしょうけど■
>ああ■
>怒る■
>これは解決しなかった問題の再履修なんかじゃない
浮かび上がってきた新しい問題の、最初の履修だと思え■
>ただ、その中で、私と詩潟だけは一度経験している問題でもある
だからより彼らの力になれると思って自信を以って当たって欲しい■
>分かりました■
>さあ↓
----------
――と。
チャットの続きを打ち、エンターで送信をしようとしたところで、ロティアの研究室のドアが鳴った。
前もって約束は取り付けておいたのだが、もうそんな時間になっていたかと彼女は時計を見る。
中に入ることを無言で促すと、訪れた誰かは「失礼します」と控えめに言い、研究室へと入ってくる。
「あの……その。
来ました、けど……先生」 --
少女
おずおずと言う少女に、ロティアは見覚えがあった。
それは、かつて彼女が一時的に特別教科を受け持つことになったとき、
そこに所属していた少女の姿そのままだった。
話には聞いていたが、見た目としては全く違いがわからない。
だが、相手は既知であるはずのこちらに対してオドオドと、まるで知らないような素振りで落ち着かず言葉を待っている。
事前に、姫宮から話は聞いていた。
彼女は『鏡面世界』で倒れていて、それを特別教科の生徒が助けたのだという。
自分で意識を取り戻したが、何故その場所にいたかは覚えておらず、
また彼女自身、そこで倒れていた以前の記憶のすべてを失ってしまっていたという。
これは、以前の白斗鏡と同じ状態であるのだろうなとロティアは一人思った。
「ロティア、先生、です、よね……。その」 --
少女
「ああ、悪い、楽にしていい。
知り合いに似てたのでちょっと言葉を失ってた。
……姫宮から話は聞いてる。災難だったな」 --
ロティア
知らない相手から知っている名前が出てきて、少女は初めて安堵のような表情を見せる。
だが同時に、自分が置かれている状況にも意識がいってしまったのか、すぐに消沈した顔になる。
ロティアには、それが演技であるようにも、嘘を吐いているようにも見えなかった。
……つまりは、彼女は本当に記憶を失っているのだろうと結論付ける。
「追々、ゆっくりと思い出していけばいい。
恐らくは一時的な記憶障害だろう。
……とは言うが、私も、自分の名前も思い出せない不安さは本当の意味では分かってやれないが」 --
ロティア
「その……先生。
それが……名前だけ。
私は、名前だけは……覚えていたんです。
それも、お伝え、しておかなきゃって、思って……」 --
少女
ロティアはその言葉に、小さく眉を上げる。
それが、どういう意味を持つのかは図りかねていた。
だが、どの道先を促さざるを得ないだろうと思い、少女に無言で先を促した。
「私……私の名前は――」 --
少女
「霞華美……深月霞華美と、いいます。
それしか……覚えて、ないんです、けど」 --
霞華美
霞華美はそう名乗り、ロティアは目を瞑った。
白斗の事件の際、その白斗のシャドウとして存在していたのが彼女だった。
つまりは、この一連の合わせ鏡の事件の最初の一人。
最初に、二重複製され、消滅したはずの彼女がそこに居た。
霞華美の名乗りに、ロティアは咥えていた飴を手に持ち、応える。
「ロティア・グレイフィンだ。
特別教科の――副顧問をしている。
恐らく、少しだけ長い付き合いになるだろうな」 --
ロティア
ロティアも名乗り、そして舞台の幕は開ける。
一度終わり、終息したはずのその空中に浮いた世界に生まれたもう一つの世界。
鏡面世界に於いて、無尽蔵にシャドウが人間として表出する怪事件。
オリジナルを必要とせず、ただその複製だけが個の人間として形を持つそのもう一つのペルソナの怪異譚。
自己が自己に本当に向き合うときに必要なものが何かを再確認するためのエピローグが、静かに始まりを告げた。
――ロティアは、振り返らず。
つけっぱなしになっているパソコンの、エンターを押した。
----------
>さあ。
――二周目を始めるぞ■
◆
◇
◆
――.FRAGMENT V (2/2)
――電磁加速をつけた理論上人体が出せる最速の蹴りが緻密な計算の上で紫電として走る。
人間の脳のシナプス伝達が電速を超えられない以上、視覚や聴覚でそれを避けることは不可能とされている。
巻き起こる衝撃波の一筋一筋に数式で誤魔化しを掛けながら撃ちだされた秋司の蹴りはこれ以上ないくらいのインパクトを以って、
ビルの隙間を蹴りながら飛びかかってきたレィジーの胸に突き刺さる。
指先から、靴先から相手の胸骨が折れる感触すら伝わってくる。
筋肉が骨から乖離して剥がれる感覚すら、敏感になった五感で感じることが出来た。
防ぐこともかわすことも出来ないその一撃は、確実に相手の致命打となり得たはずなのに。
秋司は目を見開き、姿勢を落とす。
胸に自分のつま先が突き刺さっていながらも、『前に進み』『そして攻撃をしてきた』。
結果的にその拳での一撃は秋司の髪の一房にすら触れることができずに空中を切り裂いたが、
反撃が来るということ自体が完全に予想外であったために、魔術師は舌を鳴らして地面を片手で叩く。
突き刺さったつま先の反対の足で、相手の肩を横蹴りし、今度は弾き飛ばすことを目的として空中で身体を捻った。
――人知を超えた速度で放たれた蹴りはレィジーの身体を砲台のように弾き飛ばし、
ビルの壁を滅茶苦茶に壊しながら土煙の中に消し飛ばす。
基本大振りであるレィジーの攻撃自体は何の脅威でもなかったが、それでも相手のこの丈夫さは何だ。
得体のしれないもの、理解の出来ないものへの恐怖は、魔術師の足場をぬかるみに変えていた。
「……だっさ」 --
カイセ
ビルの高みから見下ろし、完全に期待はずれだとばかりに唾棄するカイセ。
それしか出来ない癖にそれも出来ないのかとバカにしきった口調と顔で、砂煙を見下ろす。
かなりの距離があり、更には小声のその言葉が聞こえたのか砂煙が一瞬で払われる。
中から、腕を振り回して血まみれで出てくるレィジーの姿があった。
蹴り飛ばされた痛みを感じていないのか、ゲラゲラと笑いながら大声で叫ぶ。
「言うね言うね!! 高いところから見下ろして、自分では何にもしてないくせに言うね!!
口出せば、下に見れば、自分のほうが上に居るとでも思ってんの? ばっかじゃねえのお前!!
自分で拳も振るえない奴が、偉そうに他人にだせえとか言うお前のその態度がいっちばんだっせえよ!! ゲラゲラゲラ!!」 --
レィジー
「言葉で煽られたから言葉で返すのかい、レィジー。目の前の敵じゃなく僕に対して?
散々偉そうなこと言っておいて、他の場所から罵声が飛んできたらそっちに注視して言い返すのかな。
そんな余裕もないくせに、散々やられてるお前の姿で凄んでみても、誰が怖がってくれるんだよ。
レィジー、お前のあり方っていうのは、お前が何人たりとも反論を許さない純粋な化物であって初めて許容される生き方だろう?
言葉に言葉で返す、お前のその幼稚さが、僕は最もださいと思うよ」 --
カイセ
「ああそうかよ、んじゃ最後まで見てろよ、途中で席立つつもりか? 違うよな。
安っぽい挑発ありがとよ、そうでもしないと暖炉の火が消えそうだったか?
期待してくれんのは嬉しいけど、お前ごときに心配されるほどヤワに出来てるつもりもねーんだよカイセぇ。
確かにあいつ、化物クラスに強いし、今まで一発も当てられてないし蹴られて折られ放題だけどな。
大丈夫だよ。コツもわかってきた。
――もう
慣れて
(
あきて
)
きたからさ」 --
レィジー
秋司が瞬きをし、
――再び目を開いたとき、既に白いスーツが目の前で拳を振りかぶっていた。
速度が上がっている。散々蹴られ、あちこち折られているはずなのに、視覚で捉えることが出来なかった。
だが、秋司の手もまた、相手の懐に向けて振られていた。
それは今まで潜ってきた修羅場の数だけ自らの安全を守るための防衛機構。
身体が自然に状況に対して反応する、自動防御システムだった。
相手の胸倉に突き刺さる右手が、肉をかき分け、血管を切り裂きながら、赤い飛沫を撒き散らす。
飛沫の向こう側でレィジーが笑う。
少し位置が違えば心臓を貫かれていたはずの攻撃にも関わらず、やはりレィジーは裂傷を気にせずに相手に踏み込む。
振られた拳は、今度は秋司の顔を掠る。
初の接触に覚えた苛立ちのまま、拳を相手の傷口の中で握りしめ、肉と骨を直接掴んで地面に叩きつける。
そのまま、顎を踏み砕く勢いで踵を振り下ろしたが、地面にそれが炸裂するころには、上半身だけを使ってレィジーは横に飛んでおり、
秋司の足を中心に蜘蛛の巣のようなひび割れが出来るに留まる。
致命的な打撃を何度も受けていながら俊敏に動く相手を見て、秋司は自らの手を開閉する。
「……成る程。
お前、『その場で治してる』のか。殴られながら。
一瞬、不死身なのかと思ったぞ」 --
秋司
「へえ!! 分かった!? すげーじゃん!!
あっ、傷口に触れられてる状態で治そうとしたせいか!!」 --
レィジー
「痛みを感じず、常に再生を続けるシェイプシフターか、
或いは不定形の化物が定形を取っているスライムみたいな存在かと思ったけど、違うみたいだったからな。
確かめて見るために拳を突き刺してみたら、案の定気持ち悪い動きしてたよ。
お前……随意筋だけじゃなくて不随意筋も動かせる特異体質だな」 --
秋司
ニィ、と白スーツの男は笑う。
指先の皮膚を意識的に動かして、壁を歩きながら両手を広げる。
まさにそれが正解だと言わんばかりに、見ぬかれたそれ自体をとても嬉しそうに。
「随意筋とか不随意筋とか良く分かんないけど。
単に、オレはオレの身体ならどこだろうが動かせるし、どこにだって意識を向けられるってだけなんだよ。
傷口を自分で塞ぐこともできるし、折れた骨を動かして集めて一つにして治すことも出来る。
逆に言えばそんなことも出来ないのにキミ達どうやって生きてんのって思うけどな。
自分の身体の動かし方も分からないくせに、良く歩けるね?」 --
レィジー
「……不随意筋だけでなく、体組織、体細胞全てを個々別々に動かせるのか。
それは、流石に特異体質を超えてるな……自動修復なんてレベルじゃない。完全な手動修復ってところか。
体全体に意識を飛ばすとか、ちょっと忙しすぎないか?
辛いだろ、そんなの、利点より難点の方が多い。異常体質だ」 --
秋司
ベキベキ、と身体の中でレィジーの異常が治っていく。
骨を繋ぎ、肉を縫い合わせ、皮を張り替え、血を生み出す。
全ての人間が時間の経過によって解決していることを、手動で、意識的に、効率的に行う。
呼吸の仕方を知らない人間が生まれた時から呼吸が出来るように、それは意識的に出なくとも行えることであるはずなのに。
それを整然と分解して、意識的に行っている白スーツの男は、血に塗れたスーツの胸元を引っ張りながら笑う。
「皆、そう言うよね。オレが異常だって、オレがおかしいんだって。
オレが異端で、オレみたいに生きる必要なんてないってさ。
でもさ、なんでそんなことオレに言うわけ?
オレが出来て、他の人が出来ないのに、なんで出来ない連中がオレに対して異端だ例外だって偉そうに言えるわけ?
当たり前であるのってそんなに大事か? 普通である方が、たくさん居る方が偉いの?
なんで出来ない連中が出来るオレに対してそんなに上から目線で講釈垂れるの? あれは別だ、例外だって外側に追いだそうとすんの?
キミらがオレの気持ちが分かんないのと同じように、オレだってキミらの気持ちなんか分かんないよ。
自分が当たり前に出来ていることが、出来ない人間の気持ちなんて、ぜーーーーーーーんぜんわっかんねえよ!!!
ゲラゲラゲラ!! だからさぁ!! お前らがそうやってオレを化物扱いするっていうんなら、オレは化物にだって何にだってなってやるよ!!
どうせテメエらバカだからそれくらいしかオレに対して期待も想像も出来ねえんだろ!!
ハハハ!!! カイセ!! ウィレム!! 使えるもんなら使ってみろよ!! この化物様をよぉぉ!!!」 --
レィジー
速度は、神速を超える。
自分の身体の裂傷をリアルタイムで修復しながら、人間は人間の限界の速度を超越する。
自壊をすることは本能で歯止めが掛かっているだろうが、それを意識の外に追いやっての加速は、紫電どころか線炎を生み出し、
生み出された衝撃波が破壊力となってビルを薙ぎ払っていく。
視覚で対象物を見ず、嗅覚で対象物を嗅がず、聴覚で対象物を聞かず、ただ目の前の物を無差別に破壊していく、
人間性を捨てた破壊の権化が、赤い血線を引きながら戦場を蹂躙する。
その様子を上から眺め、口の端に昏い笑みを零しながら、カイセは冷たい目を秋司に向けた。
秋司が緩慢な動作で腕を持ち上げる。
人間の知覚では絶対に捉えることが出来ない速度で大地を舐めまわすレィジーに向けて、呟く。
「……そういう風に聞こえたなら、悪かったよ。
良かれと思って助言するのも、冷静に公平に批評をするのも、職業柄でな。
俺はお前のことを異端である、化物であるなんて言うつもりはない。
そういうのは、人間の仕事だからな。
生憎、人間は30年以上前に辞めて、今はただの魔術師なんだよ」 --
秋司
――交錯があった。
交錯と呼ぶことも出来ないような、刹那の交錯があった。
初撃のレィジーの腕による薙ぎ払いはスウェーでかわされ、秋司のカウンターの膝がレィジーに突き刺さった。
突き刺さった膝は背骨までを砕いたが、構わずレィジーの蹂躙は続き、
打撃のヒットから逆算した相手の位置へと蹴りを入れ、それは秋司の肩を抉り飛ばした。
勢いを載せた足撃にもつれるようにして倒れこんできたレィジーの胸に、全力で拳を叩き込む。
次いで、魔力を込めた。『極性シロマルエフェクト』によって限界近くまで高められた筋力と魔力で叩きつけられた拳は、レィジーの胸板を貫く。
貫かれた秋司の手には、レィジーの心臓が握られていた。
『成長』という属性により五感から筋力に至るまで、人間の限界を超越した魔術師の一撃は、化物の心臓を握りつぶす。
千切り取られた心臓が握力で破壊され、派手な血しぶきを撒き散らす。
同時にレィジーの臓物が地面にぶちまけられ、汚い花火を咲かせた。
レィジーが嗤う。秋司は眉根を寄せた。
一瞬、魔術師は、相手がそこで嗤う理由を考えてしまった。
必殺の一撃を食らってなお、そうやって笑える理由はなんだろうと。
化物は考えなかった。
最初から迷わず秋司の命だけを奪うことしか考えていなかったレィジーは、その場で体をひねる。
貫いた相手の腕を巻き込むように体重を掛けると、秋司の腕が捻り上げられ、肘の当たりからボキリと鈍い音がした。
同時に息を吸い込み、踏み込んだレィジーの肘が相手の胸倉に突き刺さり、今度は秋司がビルの側壁に叩きつけられる。
胸腔から絞り出したような苦悶の声が響き、空中に血を撒き散らす。
叩きつけた勢いで抜けた胸の穴からのおびただしい出血を押さえながら、化物は嗤う。
ゲラゲラゲラと、心の底から楽しそうに。秋司はそれを見ながら、口の端を持ち上げた。
「……なる、ほどな。各臓器が意識的に命令に従うなら、
それぞれの臓器がそれぞれの役割を担う必要はないのか……ふざけた構造してるな……ッ!
胃を切除した結果、食道が胃の代替となる機能を備えることもあるなら、
血管そのものを意識的に収縮させて、心臓の役割を果たすことも出来るってことかよ……!」 --
秋司
「……げぼ……それでも、こんなもん、ずっと続けて、らんねえけどな。ゲラゲラ。
あー、だっりぃ、早めに終わらすしかねぇよなこれ。外的な理由で巻きが入るってオレ大嫌いなんだけど。
オレをしっかり殺してくれちゃってさ、オレを殺すだけの理由って何だよ?
オレはどんな理由でお前に殺されればいい? 納得できねえなあ、これ。
だから、オレは死なないの。絶対に。そんな納得いかない殺され方、誰も喜んでくれないじゃん?」 --
レィジー
レィジーが、秋司にトドメを刺そうと跳躍する。
――銃声が、鳴った。
その瞬間、状況が大きく錯綜した。
結果を述べるなら、レィジーの身体が吹き飛ばされ。
その身体を吹き飛ばした『ヴィル』も、同時に何かの力で吹き飛ばされた.
空中に血しぶきが乱れ飛び、秋司は何が起こったのか分からない顔で空中を見た。
地面に倒れ込んだヴィルが歯ぎしりをしながら胸を押さえる。
「……っだ、これ……ッ!!
銃、撃、か……!? ッザケやがって……!!」 --
ヴィル
レィジーが秋司にトドメを刺すその瞬間に、ヴィルはレィジーに向けて奇襲を仕掛けようとしていた。
相手の跳躍に合わせて跳び、真横からレィジーの脇腹に向けて蹴りを加えようとした。
レィジーが吹き飛んだのはヴィルのその渾身の蹴りが突き刺さったからで、レィジー自身はヴィルに何かを出来るタイミングはなかったはずだ。
だが、自分の胸から流れ落ちる、明らかなる銃撃の痕跡に、そしてその衝撃が狙撃にしては余りにも小さいことに、沢山の疑問符がヴィルの頭に浮かんでいた。
その銃撃の正体を知るカイセは、その銃撃を加えた相手に問いかける。
「――ウィレム。外したのか」 --
カイセ
通信機から、けだるい声が返ってくる。
何かを片付けるようなカチャカチャという音をバックグラウンドにして。
『バカを言え。外すはずがないだろう。
俺は狙い通り撃った。そして何事も無ければ狙い通りに獲物を仕留めていたはずだ。
それを、そこに居るバカが――』 --
ウィレム
「――ざっまぁみろヴァアアアアアアアカ!!!」 --
レィジー
何らかの力で弾き飛ばされ、壁にぶち当てられていたレィジーが、土埃の中から立ち上がる。
胸腔に秋司の拳による大穴が空けられ――そして右手の肘から先が消滅していた。
満身創痍の様相にも関わらず、カイセの通信機ごしに狙撃手であるウィレムに向けて聞こえるように罵倒を叫ぶ。
「――おっまえなんかの思い通りに行くことなんて何にもねえんだよ!!
一生外側の安全な場所から知ったような口聞いてろバァカ!!
お前の銃弾なんか、オレが指先ちょっと動かしただけで当たんなくなるようなへなちょこ弾なんだよ芋スナァ!!」 --
レィジー
『――聞いた通りだ。
何も無ければ、そこの魔術師に当たっていた。
射線を覆い隠すのならば、その身体を射線にしてぶち当ててやろうと思った。
レィジーの身体の構造、右肘の骨で跳弾させて対象に射抜くコースを鷹の目で見た。
……だが、そこの白スーツの死にぞこないが、『ギリギリで弾道を捻じ曲げやがったんだよ』……』 --
ウィレム
カイセは納得し、小さく嘆息する。
味方の腕を跳弾の的にすることはまだ策にとって有意義ではあるが、それを腕を失ってまで逸らす意義は全くない。
味方が味方の足を引っ張ることによって自分の芸術的な策が粉々になることを感じた。
最初から思い通りに行くとは思っていなかったら、膝の一つも折れていたかもしれない。
『……悪いが、俺は降りるぞ。
最初から、一発だけ策に組み込むという契約だったからな。
味方が足を引っ張る以上、これ以上の投資は無意味だ。
レィジー、責任を以ってお前が片付けろ』 --
ウィレム
「やらない言い訳だけは上手いなぁウィレム。
味方に邪魔されながらじゃ対象に当てられませんって素直に負けを認めて尻尾巻いて帰れよ」 --
レィジー
『悪いが俺の舌にはお前の悪趣味は合わん。
それに、既に終わっていることも気づけないやつに言われて、痛む懐もない。
――報酬は、お前らで分けろ。じゃあな』 --
ウィレム
通信が一方的に切られて、ウィレムはその場を離脱した。
カイセは嘆息し、レィジーは口笛を吹いて囃し立てた。
「いやあ、素敵な仲間たちだと思うよ、常々。愛しすぎて殺しそうだよ」 --
カイセ
「それしか出来ない癖にまともに的にも当てられない狙撃手って生きてる価値あるの?
あいつ知る限りこれで対象狙撃出来ないの何度目だよ。言い訳ばっかり上手くなってんじゃん。
他人を撃つ癖に打たれ弱いってどうなの? なんであいつを作戦に組み込むんだよ、オレが居るのにさ。
素敵な作戦には素敵な人員しか集まって来ないのな。それについてはお前の自業自得だよカイセ。
あんな奴に自分のサクを分け与えるから、望みの結果が得られずに失望するんだよバァカ」 --
レィジー
「頭の悪いレィジーくんに僕は優しくも教えてあげよう。
結局、僕のサクには僕が居るから大丈夫だと思ってるからで、
お前たちは目立つだけなら他の誰よりも優秀だからだよ」 --
カイセ
場の雰囲気に飲み込まれていた秋司とヴィルが同時に眉根を寄せる。
片方は失策を、片方は疑問で曲げられた眉の下、四つの瞳がカイセ少年に注がれる。
レィジーも退屈を噛み殺すようなあくびをして、その様子を見る。ウィレムが既に終わったと言った理由がそこにあった。
先ほどの交錯の中。
カイセは、一人の男の首元にナイフを突きつけていた。
音もなく、場に影響されることもなく、ただ目的を達成するために。
突きつけられたナイフの先、一人の男が両手を上げて降参を表現していた。
「……風越、テメエ……」 --
ヴィル
「……これって俺が悪い流れなの?」 --
優理
必要もないのにレィジーに一発くれてやろうという提案をしたのはヴィルで、
ヴィルは単独で行動をしてもチンピラ程度の実力しかないゆえに同行していたのだが、と納得行かない顔で優理は両手を上げたまま首を傾げる。
カイセはその喉元にナイフを突きつけたまま、そっと女性のような声で囁く。
「大人しくしてくださいね。僕は争いごとがあまり得意じゃない。
下手に動かれると手元が狂って刺してしまうかもしれない。
貴方がたが近づいてきていたのは、レィジーも僕も気づいていたんですよ。
その上で、レィジーに気づかない振りをさせて、目的を達成しようと思っていました。
まあ、レィジーにとっては多分退屈な策にしか思えなかっただろうけど。
――無駄がない策だと思っているんですが、どうでしょう」 --
カイセ
「意趣返しが出来たことくらいしか面白いと思える要素はない。
お前、我慢出来るのと痛くないのは違うんだぞ? 脳内麻薬と鎮痛成分でどうにかしてるけど」 --
レィジー
「正直言えば、どちらかといえばこちらの失点かなとは思う。
ちゃんと狂犬を飼いならしておけなかった俺が悪いのかな、これ」 --
優理
「テメエ……この非常時に狂犬なんて飼ってやがったのか……。
そんな訳のわかんねェ奴保健所に引き渡して処分してこいよ……!!」 --
ヴィル
「ここでの結果如何では考えておく」 --
優理
マイペースに言葉を返し、優理は自分の喉にナイフを突きつけている少年を見下ろす。
隙の一つでもあればどうにかしてやろうという気も起きたが、どうにもそんな付け入る隙は見当たりそうもなかった。
大人しく、無駄な抵抗をやめて懐に手を忍ばせる。
相手の手が滑りませんようにと祈りを捧げながら魔導書を取り出した。
「――まあ、命を投げ出す程大事ってわけでもないから、こっちを捨てるよ。
降参だよ、キミの勝ちだと思う」 --
優理
言いながら、魔導書を目の前の地面に投げる。
その魔導書が地面に落ちる直前。
何者かの手が、それをしっかりとキャッチする。
誰もその場で動いていなかったはずが、先ほどのレィジー並みの速度で動いたその誰かは。
キャッチして止まったその瞬間だけ、カイセと目が合った。
「……っっ!!」 --
夕真
「――レィジーっ!!」 --
カイセ
咄嗟に放ったその叫びだけでは、レィジーに目的が伝わらず。
また、レィジー自身も手負いの状態であったために即座の対応が出来なかった。
熱量操作によって生じた大量の熱量を消費しながら動く夕真は、常人の視覚では捉え難く。
カイセが振り向いた時には、既に地面に腰を下ろしていた秋司ごと、その魔術師の姿は跡形もなく消え去っていた。
唯一無事だった夕真が、抱えて逃げたのだろう。
カイセは、静かにナイフを下ろした。
「動いて大丈夫……?」 --
優理
しれっと言い放つ優理に、良くも吹けるなとカイセは小さく笑った。
投げ出す、捨てるという言葉で恐らくは夕真の行動を誘い、魔導書だけを外側に確保しようとしたのだろう。
自分が策を使うのと同じように、相手も策を使ってくるとは思っていなかった。
恐らく、自分もそれほど気乗りがしていなかったのであろう、その不興を突きつけられているようで、少しだけカイセは笑えた。
「あいつ追いかけるか?」と同じようにやる気なさげに聞いてくるレィジーを見て、小さく肩を竦めた。
「これ以上の深追いはやめておこう。
……余り面白い話ではなかったな。退き時を誤ったのは認める」 --
カイセ
「オィィ、ここまでやってタダ働きかよぉ……。
お前こんなんデランデルのオッサンが治療費設けただけじゃんコレ。
あーあ、やってらんねえよ!!」 --
レィジー
その場で大の字、腕が欠けているので中途半端な大の字になって寝転がるレィジー。
その様子を、珍しい人間もいるもんだなと眺めていた優理が視線に気づき振り返る。
カイセが微笑を湛えながら問うてきた。
「……あれ。追わないんですか。
彼らを追うとしたら、貴方達かなと思ったんですが。
あの魔導書を運搬するのが貴方達の仕事だったのでは」 --
カイセ
「よく分かんないけどさ。
なんかあれ、運搬の依頼者側の人間みたいなんだよね。
だから結局、俺達もタダ働きだけど目的は達成したってことで始末書書かなくていいならいいかなと。
多少物騒だけど観光も出来たし」 --
優理
「……アア、んじゃ追わなくていいんだな、風越。
くっだんねぇ……リリィの持ってくる依頼ってこんなのばっかだな、クソが……。
おい、片腕、元気あんならちょっと遊ばねえか」 --
ヴィル
「やだよめんどくせえ。誰とでも遊ぶと思うなおっさん」 --
レィジー
ヴィルが寝転ぶレィジーにちょっかいを掛ける様子を見て風越は嘆息し、
改めてカイセの方を振り返った。少しだけ眉根を上げて、逆に尋ねる。
「逆に聞くけど。
俺達を見逃してくれるっていうことでいいのかな。
勿論、その方が俺達にとってもありがたいんだけど」 --
優理
「いいんじゃないですか。利のない争いをするほど血の気があるわけでもないですし。
得られる物もないのに命を懸けられるバカばかりじゃないんですよ、この街も。
元々、仕事が無いところに舞い込んできた依頼なんだ、ダメでしたでこっちも報告しますし、
それに、一度裏をかかれたからってここで策で潰してしまえば、それこそ大人げないでしょう」 --
カイセ
大人げなさとかそういう次元の問題かなと優理は思ったが、言わないでおいた。
無言の優理に対して、カイセは三本指を立てる。
その内の一本を折って続けた。
「更には、ここで貴方を……『貪欲のブランクノーツ』を所持する『風越優理』を相手にするなら、
僕らもそれなりのリターンが欲しいところですし。
焚書十篇の内、三冊を所持するような魔法使いとくれば、もしかすれば秋司クロスラインよりも備えるべき強敵であるかもしれないですからね」 --
カイセ
「知ってくれてるところ悪いけれど、今五冊所持してるから。
……ああ、そういう作戦? もしかして。
キミは面白い性格してるな」 --
優理
自分の口から真実を訂正させるという確認方法で相手の実力を正確に測ったのだろう。
流石に本職は違うなと素直に感心して、優理は指を折るカイセを見る。
最後の一本はどんな理由で折られるのだろうと、少しだけ期待しながら先を促す。
「最後の理由ですが。
これはまあ、好みの問題ですかね。
……僕はあんまり、同属で殺し合うとか、そういう泥仕合が好きではないんで」 --
カイセ
同属って何? 生き別れの妹とか居たっけ。
と軽口を叩きかけたところで、優理は、カイセの目が自分の瞳を射抜くのを感じた。
「………。
成る程、そういうものを、借りちゃうか。
……他人のこと言えないけどさ」 --
優理
優理は少しだけ微笑み。
かつて一度だけ助力を仰いだ存在の姿を、その小さな少年の背後に見た。
何故そうなっているのか、どういった経緯でそうあるのかは知らない。
ただ、彼がそれを背負うだけの何かを求めたのだと思うと、魔法使いは何も知らないままに小さく笑った。
「貴方が、五冊もの焚書十篇を所持していながら。
人を辞めていない理由と同じではないかと、勝手に思っていますよ」 --
カイセ
「……そうかな。程度の差こそあれ、魔法使いなんて皆人間を辞めてるし。
何より、そんな力を借りていてなお、人間のつもりもあんまりないかな。
逆に、聞いていいかな。また逆にになってしまうけど。
……そんな力を借りないといけないくらい、何かを得たかったのかい」 --
優理
その問いに、カイセは視線を逸らした。
何故か小突き合いが殴り合いに発展したレィジーとヴィルの姿を後ろ姿で眺める。
その二人はカイセの方を向いていないので、カイセが今どんな顔をしているのか分かる人間は、誰もいない。
黒スーツの、少女のような背中の少年は小さく呟く。
「――そうでもしなければ。
自分と、何かの二つの力がなければ。
ついていけない物がある気持ちは、分かりませんよ、きっと」 --
カイセ
それは、誰に向けて呟かれた言葉だろうか。
優理はそれ以上追求せずに、殴り合いが殺し合いに発展仕掛けているヴィルたちを止めに入った。
まあ、どの道飼い犬に困っている飼い主同士、少しは慣れ合ってもいいかなと思いつつ。
----------
スラム街の外。
恩師となる人間を抱えたまま、徐々に身体が縮んでいく夕真がいた。
やがて秋司の身体も支えきれない程消耗した後は、ぜえぜえと息を吐いて立ち止まった。
秋司は自分で歩き始め、今度は頑張ってくれた生徒のためにその体を持ち上げて歩くことにした。
「も、もう、もう二度と、こんなこと、ごめんだ……!!」 --
夕真
相当の修羅場を潜ってきただろうに、新鮮な反応を見せる夕真に秋司は微笑ましさを感じて笑った。
その体を片手で担ぎ、反対の手に魔導書を持って走りながら、感謝の言葉を投げる。
「良くやった夕真くん。
大学に無事入学したら、俺から直々に2単位あげよう」 --
秋司
「――こんなに頑張って2単位かよ!!」 --
夕真
その渾身の夕真の叫びは、秋司には理解出来ず。
まあその辺りの齟齬はおいおい埋めていけばいいかと楽観的に考えながら、その街を後にした。
◆
◇
◆
――.FRAGMENT V (1/2)
スラムの街中を、二つの影が疾駆していく。
貧困の象徴を、腐敗の種を、混沌の残り火を蹴散らしながら、何者かから逃げるように、必死に。
縦横無尽に逃げまわるその二つの影は、何かに怯えるように姿勢を低くしたまま地面を蹴り進む。
空気ごと薄暗いその場所で、更に目立たないように音を殺しながら突き進む。
――ビルの隙間から僅かに太陽が覗く。
逃げ惑っていた二つの人影に僅かな光が指し、すぐにその光を何かの影が覆う。
人型に見える影が自分たちの遥か上空に現れたことに気づき、二つの人影は逃走を諦めて振り返る。
ビルの『壁』に、男が立っている。
まるで重力など感じさせないように、『真横に』立っていた。
「――例えばさぁ。
こういうのってどうだろう。
実はさ、オレってこのスラム街の主でさあ。
スラムに現れた外敵はなんであろうと殺さないと行けないんだよ。
小さい頃からそれだけをルールに、そしてそれだけを糧に生きてきた存在であるところのオレは。
そういった形でしかこの世と接点を持てないんだ。
だから、アンタ達が誰であれ、何であろうが、身ぐるみを剥いでこのスラムから外に放り出さないといけないんだ。
実に可愛そうだろう? 本当は表の世界は闘争と略奪だけで出来ているわけじゃないって教えたいだろう?
この路線で行っていいならさ、オレ、そうしたいって心から思ってるんだよ。
いいキャラ付けだと思うし、このスラム街っていうフィールドでは唯一無二の立ち位置なわけじゃん?」 --
白スーツの青年
純白の、一切の汚れもない白スーツを着た青年は、まるで演説のように声を張りながら壁を歩いて近づいてくる。
足を一歩、一歩踏み出す度に壁が異質にめくれ上がるその様は、異様と言って差支えがない。
見れば、踏み出す度に壁に足を突き刺すといった原始的な歩法で壁を歩いているのだ。
まるでお菓子の家の壁を蹴り抜くかの如く、ただ歩いてくるような速度でサクサクと壁を踏みしめながら二人に近づいてくる。
「――でもさあ。これには一個だけ、たった一個だけ欠点があってさあ。
こういうシナリオを成立させるためには、異質はオレでなければならいんだよね。
そうあることで、普通であるアンタ達と異質な世界の住人であるオレとの対比になるわけだし、
だからこそ、オレがそっちの世界に踏み出すことへの感動っていうのが生まれるわけじゃない?
でもさあ、そのためにはアンタ達は少なくともオレが踏み込もうとしたら受け入れるくらいの度量がないと行けないんだよ。
それがこのシナリオの十分条件であり必要条件なんだよ、分かる? 分かるかなあ」 --
白スーツの青年
白スーツの青年は、クツクツと笑いながら二つの人影に向けて言葉を投げる。
両手を広げてまるで訴えかけるかのように叫んだ後、唐突にその場に真横に静止する。
指先を自らの眼窩に突っ込むと、指先で眼球をなぞりながらケタケタと笑い始める。
あまりに異様な光景に、二つの人影は退くことも迎え撃つことも出来ずに硬直していた。
「――なんで攻撃するんだよ。なんで攻撃してくるんだよ。
アンタたちが先に攻撃したらダメだろう? オレに襲われたからって、オレより先に攻撃してきたらダメじゃあないか。
そんなの成立しないんだよ、そこは我慢するべきところじゃなかったのかな?
例えオレが本当はアンタ達が持ってる物を奪ってくることを依頼された便利屋であったとしても、
そういうシナリオの可能性があるんだったら、そこは我慢してまずオレにぶん殴られるべきなんじゃないのか!?
っていうかありえないだろ!? 頭おかしいんじゃないの!? どんな頭してたら先に攻撃してこようと思えるんだ!!
アンタらにとってシナリオを丸く収めるっていう気ってないのか!? それにオレのこと殺そうとしたろ!? 死んでもいいって思ったろ!!
だからあんな死んじゃいそうな攻撃して、そして平気な顔で逃げていくんだ!! 絶対におかしいってアンタら!!
絶対に許さないからな……オレのシナリオをグチャグチャにしやがって……!!
でもいいよ!! 許す!! だってオレを殺そうとする奴らは、皆殺していいんだもんなあ!!
殺して殺して殺して殺していいんなら、オレはアンタ達がシナリオをグチャグチャにした張本人でも、許してやるよ!! 優しいだろ!!」 --
白スーツの青年
壁に両足を張り付かせたまま、白スーツの男は何がおかしいのかゲラゲラと笑い始める。
まるで狂ったかのように仰け反り笑いながら、喜悦を隠さずに笑声を放ち、
それはビルの合間で反響して悪魔の笑い声のように聞こえた。
「ヒッ、ヒヒ……殺してやるよ!! ぶっ殺してやる!!
グチャグチャバランバランにして見るも無残な華やかな死体にしてやるよ!!
ムカつくなあ、オレのシナリオにそんなグロい登場の仕方してくれて、ムカつくなあ!!
きっと読み返すときはそこしか読み返さないんだぜ!? グロいその場面ばっかり評価されるんだぜ!!
でもいいや!! 殺したい気持ちを抑えて我慢することなんて出来ないもんな!! オレ、もう我慢すんの辞めたんだ!!
――だから」 --
白スーツの青年
――ビルの壁が弾ける。
一瞬で壁を蹴って跳躍し、白スーツの男が見えない弾丸と化す――。
「――出来るだけ無残に見栄え良く、オレにブチ殺されろぉッ!!」 --
レィジー
――その一瞬で五度以上壁を跳ねて、レィジーは二つの人影の間近にまで迫っていた。
振り返った瞬間には、もう遅い。
男達の反撃の姿勢も間に合わず、全力で振りぬかれた拳が二つの人影を蹂躙する。
殴り飛ばされた影の一つはビルの壁に全力でぶち当たり、壁に大きな赤い花を咲かせる。
懐から落ちた何かの包みが地面に落ちる頃には、影は既に物言わぬ肉塊になっていた。
レィジーは地面に片足で降り立ち、自分の殴打の感触を反芻するように拳に頬ずりをする。
目を閉じていたためにもう一人の男がその隙に逃げ出していることに気づかないまま、にやりと頬を持ち上げた。
「――いい感触だわ。最高にいい感触だ。やっぱこうじゃないとな。
オレ今生きてるって感じするよ、最高に気持ちが良くて射精してしまいそうだ。
人を殴るのって最高に気持ちがいいよ、心からそう思う。
なあ、お前もそう思うだろ。なあ、なあなあ。
……あれ? 仲間置いて逃げちゃった? なんだよ、つまんねえ……つっまんねえ、クソみたいな展開だなあ」 --
レィジー
悪態をつきながら、レィジーは事切れた死体の懐から落ちた包みを拾い上げる。
それを指先で軽々と破いて、中に入っている物を手に笑った。
これで、確実に今日褒めて貰えるのは自分だと、再びゲラゲラと笑い出す。
「――おい、ウィレム、聞いてるかウィレム、ゲットだよ、目的のもんゲットだよ。
依頼達成、つまりはミッションコンプリート。
カイセにも繋がってんだろ、何やってたのお前ら、役立たず過ぎない?
それとも自分だったらもっと上手く出来るとかなんとか言いながら、高みの見物?
あれ? 無視? ねえ、無視? 話す価値もないとか今はその時じゃないとか言い訳したりするの? 後で。
なっさけねえなあ、お前らマジ今からでもぶっ殺しに行ってやろうか?
お前ら、今からこの本奪ってみろよ。目的のもんがこれなら、オレ相手でも必死になれるか?
どうした、奪い取ってみろよクソ雑魚――」 --
レィジー
「――そう言うなら遠慮なくやらせてもらう」 --
ローブの男
真横から。
唐突に、蹴りの衝撃が来た。
まるで大型の獣がぶつかってきたときのような衝撃を受けて、レィジーの身体がビルの側面に向けて吹き飛ぶ。
白スーツの腰を蹴りつけたその足をゆっくりと降ろしながら、男はローブを脱ぐ。
蹴り飛ばした相手であるレィジーが、吹き飛ばされた先でビルの側面に指を突き立てて衝撃を殺したのを見て、嘆息する。
レィジーは、その自分を蹴りつけた相手がウィレム・サクマか、或いはカイセ・ミツェーリのどちらかであると思っていた。
だが、そのローブを脱いだところから出てきたのは緑色の髪であり、その顔も見たことのない顔だった。
受けた蹴りの一撃は、確実に肋骨を何本か折り砕いており、その相手が只者ではないことを語っていた。
レィジーは壁に指を突き立てたまま、相手に向けて舌を出す。
「――お前、さっき逃げていった片割れでもないな。
なんだよ、新キャラ登場か? テコ入れかなぁ?」 --
レィジー
「そんな大層なものじゃない。ただ、『それ』を返してもらう正当な理由を持ち合わせているモンだよ。
少なくとも、お前みたいな狂人には理解出来ない代物だからな。
返してもらおうか、その魔導書。――うちの大学の備品なんでね」 --
緑髪の男
「はぁ? 意味分からん。先に蹴り加えておいて返せって口で言って返して貰えるとでも?
ていうかお前もなんにも分かってないな。この状況で登場する意味が全然分かってない。
ま、死体が一個増えるだけかな、いいよな、カイセ。殺して」 --
レィジー
レィジーが壁で懸垂をしながら尋ねると、ビルの中で闇よりなお暗い髪色の少年が、更に暗い笑いを零す。
ビルの高みから秋司の姿を見下ろすと、口の端を持ち上げてレィジーをバカにしきった口調で言葉を投げる。
まるで男でも女でもないような中性的な声が遠くにいるはずの秋司の耳にも届いた。
「レィジー、お前はいつからボクに殺人の許可を得なければ誰も殺せない腑抜けに成り下がったんだ?
ああ、これは勿論お前の冗談の質の悪さに対する叱咤みたいなもんだから別に返答する必要はないよ。
お前が今の状況でボクに殺していいかと尋ねるのは、未知の存在である相手から、ボク自身を認識させる、
つまりボクの策の足を引っ張る目的の発言だっていうことは、明らかすぎるほど明らかだし、お前らしい愚かな策だと心から同情している。
別にそんなことでボクの策が揺らぐことは絶対にないから安心してただの駒に成り下がってくれレィジー。出来るだけ手早く消費してあげるからさ」 --
カイセ
「高みの見物をしてる腰抜けに言われたくないね。お前がいつまで経っても戦場に降りてこないから気を利かせてやったのさ。
ああちなみに、もう一人狙撃手のウィレムってやつがいるから注意しておいた方がいいよ! 誰かさん!
オレが射界に入ってさっきから全力で邪魔してやってるけど、そろそろブチ切れて無理やり跳弾とかで当てに来るはずだから!」 --
レィジー
朗らかに身内の情報を漏らすレィジーに、秋司は眉根を寄せた。
本物の狂人の思考は理解出来ない。魔術師とはまた別の思考回路を持っているように見える。
秋司はカイセの存在は知っていたが、ウィレムという名前の狙撃手の存在は知らなかった。
どこまでそれが本当なのかは分からないが、警戒をするに越したことはないと判断した。
先ほど、魔力の加速を行って放った蹴撃は、確実にレィジーの脇腹を抉る威力を持っていたはずだ。
だが、白スーツの男はピンピンとした様子で新しく現れた黒スーツと物騒な言い合いをしている。
何かあるはずだと構えを固くした。
「カイセといったか。その白スーツの男が持つ魔導書は、うちの大学の物だ。
俺は第一魔導大学舎で教授をしている『秋司・クロスライン』という。
こちらの大陸ではどこまでその肩書が通用するかは知らないが、16階梯のユニーク認定も受けている魔術師だ。
出来るだけこちらも穏便に済ませたい。素直に返してはくれないかな」 --
秋司
「ええ、存じていますよ、秋司・クロスラインさん。エストナ式魔術階梯で16階梯の魔術師でしょう。
第一魔導大学舎では唯一、17階梯に指が掛かった天才、根源属性を『成長』に持つ『ユニーク』だ。
かつてその大陸では『シロマルエフェクト』として名を馳せた天才であるシロマル・ルーデンス・グレナデン教授が残した最後の生徒。
自らの魔術の根源である成長を成長させるという『ダブルエフェクト』の第一人者として、純粋天才なんて呼ばれていましたっけ。
今では大学の一教授に収まっているようですが、今回は隣国への用事で偶然立ち寄ったと聞いていますが。
そちらこそ、魔導書を目的としてこの街に来たのではないと思いますが、見ないふりをしていただくことは出来ませんかね?」 --
カイセ
相手の口から流暢に流れ出す自分の情報に秋司は鼻白む。
もちろん自分は黒スーツの少年、カイセなどという個人を知ってはいない。
その少年もまた白スーツの少年と同じように異様な存在感を持っていることだけがわかった。
「わざわざ調べたのか? それとも、思ったより有名になってるって自惚れていい場面かよ。
ただ、あんまりそうやってベラベラ自分のこと話されるのは好きじゃないんで辞めてもらっていいか、カイセ君」 --
秋司
「調べた? とんでもない。ただ情報として入ってきただけですよ。
この世に一度でも公表されて風聞に乗った情報は、遍くボクにとっては既知の情報だ。
敵を知り、己を知ればと言うじゃないですか、ボクは臆病なので一度得た情報は全て記憶しているだけのことです。
まあボクも人間なので、引き出すまでに多少時間は掛かりますけどね。
そして魔導書について造詣がないように言われるのは心外なのでお答えはしておきますが、
今貴方の後ろに無音で回ろうとしているレィジーと違って、ボクはちゃんとこの魔導書についての価値を理解していますのであしからず」 --
カイセ
秋司の背後から、レィジーが飛びかかる。
瞬きも許されないような速度で跳ねたその攻撃を、秋司は軽く身を捻ってかわす。
秋司としても目の前の敵から意識を離す程相手を甘く見ているわけではない。
それ以前にレィジー自身が後ろに回っているにも関わらず、攻撃の際に「おるぁ!!」といった掛け声を放ってきたのが理解は出来なかったが。
秋司に避けられて、レィジーが再び壁に着地して口を尖らせる。
「言いやがったなお前!! しかもお前いつの間にオレの魔導書取った!!
言っとくけどな!! オレが取ったんだからオレの手柄だからな!!
嘘の報告はズルいから絶対にしたらダメなんだぞ、分かってんだろうな!!」 --
レィジー
「お前がバカ面引っさげて、既にバレてる相手の後ろに回り込もうと音を殺して移動始めた瞬間だよ。定石だろう、そんなこと。
それにね、レィジー、残念ながらお前は本気で役立たずだ。
この魔導書はね、偽物だよ。これはボクは断言できる。一度見た物は絶対に間違えたりしないからね」 --
カイセ
「ア”?」というレィジーの疑問の声も無視して、カイセはその手の中の本に火を着ける。
光を一切反射しない真っ黒な炎は、カイセの手の中ですぐに本を灰へと帰す。
秋司はその様子を、不快そうにただ見ていた。
あれが本物であるかどうかは判断出来なかったが、少なくとも相手にあの魔導書の価値が分かっているのならば燃やすことはないだろう。
そういった相手の能力を信頼した上での判断をしなければならない不自由さに歯噛みする。
「これが本物の「
(
くうらんりくじ
)
」であることは絶対にない。
失われた禁書が一つは、こんな若い装丁をされているわけがないんだ。恐らくは急造の写本か何かだろう。
つまりはレィジー、お前はあの運び屋に一杯食わされたってわけさ」 --
カイセ
そんなわけないだろ、と視線を自分が殴り飛ばしてビルに練りつけたはずの肉塊へと移す。
そこには、血の跡はあるが、死体らしきものはない。最初から擬態として、死んだふりをしていたのだろう。
レィジーは自分の頭に、血が上るのを感じながら、その怒りを笑いに変えてへらへらと笑った。
「ああ。
マジかよ。オレ本気でぶっ殺そうと思ったのに。
そんなことしてる暇がある連中だったってわけかあ。そっかあ。
ああ、久しぶりにブチ切れそうだよこれ……あいつら、本気でオレを舐めてたってことだろ? いやあ愉しいなあ……。
こんなに楽しいのは久しぶりかもしれないわ……あいつら、絶対ぶっ殺してやるからな♪」 --
レィジー
「勝手にテンション上がっているのはいいけれど、それより目の前の敵を先に片付けろよ?
それとも、後ろから攻撃出来ないと不安になるくらい、レィジー、お前は駒としても使えない最悪の存在なのかな。
それにさっきの攻撃、避けられて恥ずかしいっていう気持ちはないのか?
ボクだったら恥ずかしくて自死を選んでるよ。なんでお前まだ生きてんの? 死ねば?」 --
カイセ
「おっけーおっけー、そんな挑発入れないと勝てないように思われてるんだったら、尚更一瞬で瞬殺してやるよ。
見てろよ、そして一生羨んでろ、カイセ。
これが、お前が欲しくて欲しくて仕方がなかったのに一切得られなかったオレの力だって魅せつけてやるから。
秋司さんだっけ。ごめん、出来るだけ粘ってブチ殺されてね」 --
レィジー
舌なめずりをする二匹の化物を前に、秋司は両手を構える。
身体の中の魔力回路をすぐにでも使用出来るように温め終わっていた。
目の前の白と黒は化物だ。だが、化物の相手は慣れている。
そういう化物のような存在を相手にすることが、魔術師の本懐だとするのなら、これは魔術師のフィールドだ。
それに、自分が本気を出せば、例えあの白と黒が本気で自分を殺そうとしても、軽くいなせる自信もある。
今まで自分が積み重ねてきた、純粋な天才としての才覚が、けして折れない心を培ってきていた。
「障害になるなら、排除するぞ。悪いけど、俺はあんまり優しい教師じゃないし、魔術師でもない。
本来なら待ちぶせは魔術師の特権だが、だからこそ侵略戦にも応用できることを教えてやる。
しっかりと――見て覚えろ。これが魔術師の戦い方だと」 --
秋司
カイセは、そんな秋司の脅し文句に肩を竦めて笑い。
黒く、昏い笑みを込めて言う。
「そうですね。
きっと、天国に居るお姉さんも、見ていてくれますから」 --
カイセ
秋司の身体が、本気の殺意に満ちる。
レィジーのそれとは違い、上手く形に収めて、その殺意すらも飲み込み咀嚼する圧倒的な魔力が。
――周囲に余波として炸裂する。
人間を超越し、人間を辞めた魔術師という名前の存在が、そこに顕現する。
――その魔術師の横、レィジーたちから見えない陰で、秋司が今回大陸を迂回してこんなスラム街を通っていた理由が、頭を抱えていた。
魔術師だから理解出来る、秋司・クロスラインというケタ違いの魔術師から生じる、地獄のような魔力に打ち震えていた。
理解出来ない。
何故こんなことになった。
迎えに来て貰って、すぐ大学に着くはずだったのに、何故こんなことに巻き込まれている。
「か……帰りたい……!!」 --
夕真
――大学編入の手続きなど放ったらかして、あの街へと帰りたい。
そんな内側から湧き出てきた気持ちが言葉となって表出し。
ついでだからとこの街に寄ろうと言った恩師を、夕真は心の底から恨んだのだった。
----------
――遠くに、何か大きな力の奔流のようなものが見える。
男はスコープ越しにそれを見ながら、感慨なくポジションを維持した。
戦場から遥か遠くはなれた場所にあるビルの屋上に男はいた。
『――大抵は想定通りだ。
ウィレム、もちろん用意はできているよね』 --
カイセ
恐らく、その何らかの渦中に居るはずの男から、無線で連絡が入る。
愚問だったために返事をせずに、無言を返事とする。
答える価値のない質問というのは、この世に存在するものだ。
その男はスコープから目線を外し、目視で相手の姿を確認した。
――男はその距離を肉眼で確認し、一人その場で暗く笑った。
先ほどからレィジーとカイセのやりとりは、すべて無線で入ってきている。
つくづく運のない連中だと愉悦の感情が湧いてくる。
『左目』を使うまでもない、この距離ならば外せという方が難しい。
「弾の無駄撃ちは好きじゃない。
策通り、今回は一発しか撃たない。
……それで、どうにかしてみせるんだな『策士』」 --
ウィレム
『まだ居てくれたか。気が長いね。
もちろん、期待しているよ。ボクの愛する『狙撃手』さん』 --
カイセ
無駄話はもっと嫌いだ。
ビッグマムが一枚噛んでいなければ、一発の銃弾も気が乗る依頼じゃない。
ただ与えられた役割はこなしてやろうと言うだけだ。クソのような策士の策に乗ってな。
ウィレムは再びスコープを覗き、狙いをつける。
策士が撃てと言ったものを、たった一発だけ撃つ覚悟だけを持ちあわせて、
物言わぬ、号令を待つ鉄塊として、鷹は獲物を見つめ続けていた。
----------
スラム街。
秋司やカイセ達からだいぶ離れた場所に、二つの影が踊る。
十分に距離を稼げたことを確認して、片方の影が被っていたフードを越しにもう一人の男に話しかける。
「上手く撒けたか。
それか……何らかの邪魔が入ったかどっちかだな」 --
男
その声に、もう一人の男が振り返り、大きく嘆息する。
先に立ち止まった男よりは険のある声で唾棄するように言葉を吐き出す。
「一発殴られてやったんだから、ンなの当たり前だろうがボケ。
っつーか、そんなんで誤魔化せるような相手だったら、大したことなかったんじゃねえの」 --
もう一人の男
「大したことあろうがなかろうが、今回の依頼は本の輸送だ。
中身が何の本かも分からない裏本を大事に抱えて家まで帰る。
男なら誰もが一回はやったことがあるミッションだろ」 --
男
「ねーよ。そんなもんにロマンなんざ感じねえ。
さっさと帰って何喰うかだけがさっきまでのオレの楽しみだよ」 --
もう一人の男
その言葉に、背の高い方の男はフードの下で眉根を寄せた。
さっきまで、ということは今は違うということだ。
付き合いが長いので、わざわざそういう言い回しをしたことにはそういう意味があることが理解出来てしまう。
男は、面倒なことになりそうだなと思いながら、魔導書を片手にフードを取った。
「……じゃあ、今の楽しみって何だ?」 --
優理
――その問いかけに、それこそ愚問だとばかりにもう一人の男もフードを取った。
その下から、喜悦満面といった顔が出てくる。
「……言わなくても分かってんだろ? 風越ィ……」 --
ヴィル
「……なんとなく、お前にその役割を担わせざるを得なくなった時点で。
そうなりそうな気はしていたけどな」 --
優理
「……話が分かるじゃねェか……オレは、ああいう自分が強ぇと思ってるクソ相手にするのが大好きでなあ。
たまにあのクソ雑務がいねェ今くらいは、大暴れしたっていいだろうが? なぁ?」 --
ヴィル
言いながら、既に来た道を、自分が行った作戦など完全に無視して戻ろうとしているヴィルを見て後ろで風越は少しだけ悩む。
だが、この間読んだペットの上手い飼い方にも、たまにはドッグランのような場所で自由に遊ばせてやるのが、
犬の長生きの秘訣だという項目を思い出し、無言でその背中を追うのだった。
――役者は揃った。
全くの偶然、全くの知らない土地で、皮肉にも。
◆
◇
◆
――.FRAGMENT F
「……。ふぉーりん。
お前はどうしてこういう物を俺の前に持ってくるの? バカなの? 死ぬの?」 --
アディック
「アディさん……すいません。
他に……頼る先がなかったんス……。
何も言わず、引き取ってくれませんか……」 --
布織
アディックは膝を立てて大声で怒鳴る。
至極真っ当な怒りに打ち震えながら、急な訪問をしてきた後輩に指を突きつけた。
「お・ま・え・は・バカかぁぁぁっ!!
何一つ理解出来ないんだが!? ふおりん何考えてるの? 俺のこと嫌いなの?
っていうかなんでこんなモン持ってくる!? 頭おかしいんじゃねーの!? お前ッ!!!」 --
アディック
「もう俺にはアディさんしか頼る先がねーんス!! すいません、俺だってこんなモン持ってきたくなかった!!
でも、これを処分してくれるのは、尊敬する先輩しかいねーって、俺は思って……!!」 --
布織
「――尊敬する先輩の家にオナホール持ってくる後輩がいるかぁッ!!!」 --
アディック
ちゃぶ台がひっくり返される。
冒険者の腕力でひっくり返されたちゃぶ台が空を舞った。テンガも舞った。
その一撃を避けながら、布織は頭を抱えて床に突っ伏する。
「すいません……!! すいませんアディさん……!!
引き取ってくれるだけでいいんで……!! 預かっててくれればそれでいいんで……!! 二度と取りに来ませんけど!!
あ、もちろん使いたい場合は使ってもらっても構わないんで!!」 --
布織
「どんな方向に気使ってんの!? 使わねーし預からないからな!?
っていうか、お前もしかしてこれ使用済みじゃないだろうな!? 穴兄弟志望なの!?
お前は可愛い後輩だったけどそういう意味で可愛いと思ってたわけじゃねーから!!
帰れ!! そして持って行け!! 俺の家に争いの火種を持ってくるな!!
っていうか処分したいならその辺に捨てればいいじゃねーか!!」 --
アディック
「それだけは出来ねーんス!! それが出来たら俺もアディさんのところに持ってきてないんで!!
……くっ……事情が、あるんです……。
これを……これを、俺の家に置いていった奴は……。
俺の後輩なんです……!! だから、俺はこれを捨てられなくて……!!」 --
布織
心底悔しそうに布織は床を叩く。
嗚咽すら発しそうな勢いで歯を食いしばって何かに耐えるように言葉を吐露する。
「その後輩は、俺にこれを「あげます」って言ってくれたんです……!
「使いたかったら使ってもいいですよ」とも言ってた……!!
使い方が分からない風だったけれど、それでもきっと良かれと思って俺にくれたんだ……!!
兄の部屋から出てきたって言ってたから……きっと布織先輩なら喜んでくれると思って俺のところに持ってきてくれた……。
だから……俺は、これを捨てることは出来ない……!!」 --
布織
「完全にお前の都合だよねそれ!! 俺完全なるとばっちりだよね!?
そこまで思い悩んでるならお前が使えやふぉーりん!!」 --
アディック
「でも、俺のイメージっていうものが……。
ほら……俺がこういうの持ってると、うわ、って思われると思うんスけど、
なんとなくアディさんなら、ああ、ってなる気がしません?」 --
布織
「しねーよ!! ふぉーりんの中で俺どんなキャラなの!?
お前後輩に使う気の半分でいいから先輩に使えよ!! 尿道爆発野郎に今更どんな清純イメージあるっつーんだよ!!」 --
アディック
「尿道爆発野郎の第一人者はキルシュ先輩だし、広めたのはアディさんでしょう!?
あれに関しちゃ俺も被害者なんスから!!
すいません……ダメな後輩で……。
後輩の後輩ということで、後輩を思って、何も言わずに預かってくれませんか……。
そしてあわよくば使用して、その後輩の後輩に感想の一つでも言っちゃくれませんか……」 --
布織
「お前は本当にダメな後輩だよ。あわよすぎるにも程がある。
……というか、俺なんとなくその後輩が誰か理解ってきた。
お前、その後輩って名前の最初の文字、『テ』だろ」 --
アディック
「……そうスね……。
そして、最後が『ア』で、間に『ロ』が挟まるス……」 --
布織
全部言ってるじゃねーかと、アディックは思ったが、なんとなく納得した。
そして、布織がそこまで切羽詰まって頼みに来る理由も理解できた。
後輩思いなのはいいことだが、それにしても度が過ぎるとは思うし、
何よりその後輩の顔が脳裏に浮かび、きっとこういう状況をあいつは楽しんでるんだろうなと予想も出来た。
イラッとして、アディックは笑う。
……おい、布織、多分お前遊ばれてるぞ、とは言えなかった。認めてしまえば救いようがない。
赤い悪魔の前で頭を下げている後輩に小さく嘆息して別の言葉を投げる。
「……おい、ふぉーりん。
いいから持って帰れ。少なくともこんなもん、俺の家において置けるか!!
たまにチョコちゃんも来るんだぞ!! 経緯を説明するのが面倒すぎる!!」 --
アディック
「そうだ……チョコ先輩のためにも!!
チョコ先輩と一緒にいて、ムラムラっとしたときに、これが側にあれば緊急回避することも出来るでしょう!!
名案じゃないスかねこれ!! チョコ先輩は裂けたら困りますけど、これなら裂けても捨てりゃいいんで!!」 --
布織
「ムラムラっとした状態でいきなりチョコちゃんの隣でオナホール持ちだしたら、
そっちの方がチョコちゃんのショックでかいわ!!
それに裂けませんー。なんか色々上手くやるんで裂けたりしませんー。
お前こそムラムラとしたときにこそ使えよ。
ほら、名前付けてやるから。ソーニャとかいいんじゃないのか。どことなくフォルム似てるしよ」 --
アディック
「ソーニャさんに赤要素ねースよ!! 本人に聞かれたらぶっ殺されますよそれ!!
どこで聞いてるかわかんねーのに!!
それに、テロアから貰ったこれにソーニャって名前付けて使うとか……これは浮気になるんじゃねーかなって」 --
布織
「その問題に言及し始めると、俺が使ったらNTRになるからやめよう。
……何にせよいらねーよ!! 帰れ帰れ!!
それかテロアに送り返せよ!! 使い方分かんなかったって!!」 --
アディック
「後輩に、オナホールの使い方も分からない先輩だと思われるのは、ごめんです!!」 --
布織
「めんどくせ!! 布織めんどくせ!!」 --
アディック
と。
布織は土下座の状態から赤い悪魔を掴み、立ち上がる。
据わった目でアディックを見て、鼻から興奮したように息を吐きだす。
ああ、こいつ、人を殺せる目だ、と思い、アディックは苦笑いで一歩引く。
布織がTENGA片手に一歩を踏み出してくる。
「こうなったら……すいません、アディさん……!!
実力でねじ伏せてでも、これをここに置いていきます……!!
世話になった恩を、仇で返すようですけど……俺にはもうここしかないんで……!!」 --
布織
「おいバカ!! 尿道バカ!!
ちょっと冷静になれよ!! 言ってることおかしくなってきてるからな!?
なんでそんな思いつめた顔してるのふぉーりん、頭がおかしくなったの!?」 --
アディック
「もう、俺にはアディさんしかいねーんだ……!!
すいません、アディさん……犬に噛まれたと思って……!!
天井のシミ数えている間に終わらせますから……!!」 --
布織
「天井のシミ数えている間に俺の尊厳が終わるわ!!
今俺初めて後輩に本気で死ねって思ってる!! 布織尿道爆発して死ね!! 尿道爆発炎殺黒竜波!!
できれば俺の関係ないところで死ねぇ!!」 --
アディック
二人の男が片やオナホールを構えて、片や股間を押さえて掴み合う、地獄絵図がそこにあった。
冒険者同士の腕力が拮抗して、見るに耐えない愁嘆場が繰り広げられる。
平穏だったはずの家の中を少しずつかき乱しながら争う二人の背後で、
――どさりと何かが落ちる音がして、二人が振り返る。
「………」 --
チョコ
「……チョコ、先輩……」 --
布織
「……わぁ。最悪の表情」 --
アディック
「……まさか、わたしのいないところでそんなことになってたとは……。
そっか……お婆ちゃんまた勘違いしてたのかぁ。まさかふおりくんとは……」 --
チョコ
「待って!! なんとなくそんなオチな予感してたけど、期待に答えなくていいからチョコちゃん!!」 --
アディック
「そっかそっかぁ、可愛い可愛いと簡単に言う後輩だとは思っていたが、
まさかわたしじゃなくアディッくん狙いだったとは……おのれビッチ……!」 --
チョコ
「聞き捨てならねえ……!! チョコ先輩の中での俺どんなんなってんの。
……ああ、まあ帰りますわ。これは出来たらテロアに返しとくんで」 --
布織
「せめて誤解解いていくとかしないの!? やりっぱなしなのお前!?」 --
アディック
「布織くんは去った。
だが第二第三のビッチがアディックの貞操を狙うだろう……。
邪魔して悪かったの。また遊びにおいで」 --
チョコ
「ええ、まあ暇つぶしくらいにはなりましたわ。
いやぁ、やっぱ先輩達揃ってると切れ味いいでスよね、なんか、懐かしくて。
んじゃあ、両先輩がた、また!」 --
布織
後ろで帰れ帰れと笑顔で囃し立てるアディックの声を背に、布織とチョコは拳をぶつけあう。
そのままテンガ片手に、布織は肩を竦めて家に帰っていった。
なんとなく、先輩達が揃って教室にいたころを思い出して、面映ゆくなりながら。
----------
魔導国教育宮長官執務室。
長ったらしい名前の書かれたその重厚な扉を、二度程男はノックした。
返事がないことは理解していたが、一応礼儀として打扉した後に入室する。
割りと小広いその部屋で、セータ・シークエンスはネクタイを少し緩めた。
一度、大学卒業時に先輩の推薦で宮上がりになりかけたことがあった。
結局その話はセータの都合で流れたのだが、もしかしてその話を受けていた場合こんな部屋で施政を行う未来もあったのかもしれないと思う。
どの道、この手続が終われば、国営立魔道大学舎の評議長として、似たような立場には収まる。
どう足掻いてもこういった形の仕事に収まるのが、自分の運命かもしれないと思った。
分厚い書類を「椛島布織」と書かれたプレートの掛かる執務机に起き、
机の上にある黒塗りの電話に手を掛ける。
近くにあった電話番号一覧で内線の「0」に掛けると、
コール音もそこそこに、電話が取られる。
「到着した。書類も持参した。
ああ、既に執務室に入って待っている。今日は滞在を予定しているので急ぐ必要はない。
会議中に悪いな。しばらくここで待たせてもらう」 --
セータ
すぐに片付ける、との声がして、通話が切れる。
教育宮長官ともなればこの時間でも忙しいらしい。
セータは書類を机の上に置いたまま、その部屋で布織を待つことにした。
その長官の部屋には、数々の賞状が掛けられ、トロフィーが並べられている。
見れば、布織のみならず、歴代の長官が受賞、叙勲してきた褒章が並べられているようだった。
立場ある人間が仕事を行えば、名声は後からついてくるものだなと、自分の人生と対比して皮肉に笑った。
こういった賞には興味がなさそうな布織の名前もいくつか見受けられて、少し意外に感じた。
まだ付き合いが浅いので読みかねているが、もしかしたら自分が思うよりはかっちりとした男なのかもしれないと、セータは思った。
だが、セータの顔が歪んだ。
……そのトロフィーが立てられている中に、一つ異質な物を発見したからだ。
それは、布織の昔の写真だろうか。
どこかの教室のような場所で撮られた四人ほどの生徒の写真が入った写真立ての横に。
圧倒的な存在感を以って屹立していた。
「……布織、あいつ。
何を考えて、こんなもんを、こんなとこに置いてんだ」 --
セータ
◆
◇
◆
――.FRAGMENT B
男は、倒れていた。
――まるで死んでいるかのように動かない。
僅かに胸板が上下しているので、かろうじて生命がそこに宿っていることは分かる。
呼吸音も少なく、辺りには静寂が横たわっている。
僅かな身じろぎもなく、指先すら動く気配はない。
彼自身も今は自分の体を動かすことが出来ないように、ただ無言で倒れている。
僅かに砂利を踏む音があった。
その音はジェラードの耳にも入っていたが、それでも彼は動かない。
現れた誰かが、つい、と指を動かすと、ジェラードの顔を覆っていた帽子が宙へと浮かぶ。
ジェラードは倒れたまま、何かの力で浮かび上がる自分の帽子を眺めた後、視線だけを動かして現れた人物を見た。
「……大した番狂わせも面白みもなくてすまん。
見ての通りである」 --
ジェラード
その言葉を聞き、ジェラードの顔を見て現れた少女は感慨なく呟く。
「うん。知ってた」 --
コスモス
「……知っていたつもりだったがな。俺も。
知っていた上で、知らぬ振りで勝負を挑んでみれば、何か見えることもあると思っていた。
分かったことは……相手が化物だったということだけだ」 --
ジェラード
周囲には、たくさんの刀傷や破壊跡。
のみならず、焼け焦げた跡や、大きく抉り取られ地形の変わった惨状が広がっていた。
誰かと誰かが本気で争ったようなそこに、ジェラードは一人仰向けに倒れている。
その全身は血に塗れ、傷だらけで、土と汗で薄汚れている。
コスモスが現れた後も倒れたままでいるのは、本人の意思ではなく、今は指先の一つも動かせない程に消耗しているからだった。
「……ただの天才だと思っていたよ。
俺より先に生まれて俺より優れているだけの、兄という名のただの完璧だと思っていた。
だからそれに少しでも追いつこうと、自分なりに工夫や小細工を駆使して形にしたつもりだったんだが。
見誤ったと言う他ない。……あれは、桁が違うどころではなく、別の何かだとわかった」 --
ジェラード
「歴代のブラックタンの中でも寵児って呼ばれてるくらいだからね。
誇っていいことだと思うよ、そんな人の弟に産まれてきたっていうのは」 --
コスモス
「もちろん誇りだとは思っている。
ただ、それを飲み込むには、少しばかり距離が近すぎたと思うよ。
比べられることすら烏滸がましいと思えるほどに、兄は余りにも理想を体現しすぎていた。
届かない、遠い、なんて言葉で飲み込もうとしていたから、別の尺、違う、なんていう事実が喉に引っかかっていた。
……実際、手合わせをしてみて分かった。
香炉を使い、召喚術を駆使して、剣技と斧技、アサメイまで使っても。
一太刀も浴びせることが出来なかったのは、そういうことなんだと思う」 --
ジェラード
動かない身体で、ジェラードは虚空を見たまま呟く。
すでに、長い間ここでこうしていたために、事実は咀嚼してしまえていた。
認めてしまえれば、それは喉にも引っかからずすんなり飲み込めることだった。
コスモスはその様子を見て、小さく笑う。
「……それで、ずっと悩んでたことはすっきりした?」 --
コスモス
「どうだろうな。そんなに簡単な問題ではなかったと思う。
問題自体は飲み込み、答えにはなったものの、その答えが何を意味しているのかが分からないといったところだ。
俺では絶対に届かないということが分かったが、それはただの事実であるし、
じゃあどうすればいいというところまで、頭が回らない。
俺はこの事実をどうやって抱えて、どこに仕舞って生きていけばいいんだろうということを考えている。
皮肉なもので、そうやって負けた後でも、自分の人生は続いていくようだからな。
……殆ど、実生活に支障がない程度の傷しか受けていないことも、また堪えるものがある」 --
ジェラード
「優しいからね、ジェラードのお兄さんは。
そしてブラックタンの天才は」 --
コスモス
「それもまた、正直に言えば腹立たしくもある。
……最初から最後まで、徹頭徹尾、俺にないもので構成されているんだなと理解できるからな」 --
ジェラード
恐らく、相手は手加減をしていた。
こちらが、掛け値なしの本気であったにも関わらず、兄の自分を見る目は弟を慈しむ目だった。
そして、何より自分の成長を喜んでいるような、歓喜の抑えられない表情であった。
ジェラードは、そんな目で百の攻撃を、千の攻撃をいなしながら、永遠とも言える剣撃の中で微笑む兄を。
最後は直視することが出来なかった。
羨ましさで。そして、何より苛烈すぎる攻撃の中では。
大きく息を吸い、吐いた。
色の薄い絶望を含んだ溜息が、口の端の血泡と共に大気に紛れる。
「ただ。
一つだけ、知れて良かったことは、あった」--
ジェラード
指先を動かす。
次いで、肘を、肩を動かす。
まるで軋むような音がして、ジェラードの身体が少しずつ連結していく。
痛む全身を圧して起き上がると、自分の帽子を手に取る。
それを被りながら、膝に手を置いて立ち上がる。
「嵐のような攻撃を受けながら。それを必死にいなしながら。
情けないことに……『帰りたい』と思った。
多分、それが、唯一の収穫だと思う」 --
ジェラード
ジェラードは、不器用に苦笑をしてみせた。
その苦味の成分の多い笑顔を見て、コスモスはそれに合わせて笑った。
「……帰省して。
実家に帰って来ているのにな」 --
ジェラード
「うん。そのくらいでいいんじゃないかなってお姉ちゃんは思いました。
せっかくなんだし、ゆっくりしていけばいいと思ったけど。引き止めたりするのもやめようと思った。
……アステルによろしくね。ジェラード。
いつでも帰ってきていいから」 --
コスモス
「ああ。また帰ってくるよ。
帰るべき場所が二つもある贅沢は……多分勝利とも才能とも引き換えにはしたくない物だ」 --
ジェラード
呟き、姉の頭を撫でて、ジェラードは帰っていく。
その姿が見えなくなるまで、コスモスはその後姿を満足気に見ていた。
◆
◇
◆
――.FRAGMENT A
「………ふむ」 --
アスタリスク
「……おー」 --
ちま
「………」 --
パルス
「……。小緑後輩。ちま殿。
拙者結構たくさん質問が御座るがよろしい?」 --
パルス
「……動かなかったらいいよ」 --
アスタリスク
「……もうこっち側から見ると、抜けるところなーような気がするですよー」 --
ちま
「……動かぬと言うか動けぬで御座るが。
なにゆえ拙者の頭上でジェンガがプレイされているで御座る?
結構長いこと学園生活送ってるで御座るが、そんな質問するとは思わなかったで御座るわ」 --
パルス
「それはこのジェンガが『パルスジェンガ』だからだよ。パルスさん。
……この辺とかまだそこそこ抜けそうなんだけどなー」 --
アスタリスク
「そーですよー。『パルスジェンガ』なのでパルスさんが絶対必要なのです。
動いたらめーですよー。『パルスジェンガ』で負けた方が、勝った方にお昼を奢ることになってるます」 --
ちま
「それ拙者じゃなくて良くない?
それ拙者じゃなくて良くない?
……それ拙者じゃなくて良くない? ねえ」 --
パルス
「なんで? パルスさんが居ないとパルスジェンガじゃないんだから、パルスさんじゃないとダメだよ。
んむう……結構今回は接戦だよね、ちまちゃん」 --
アスタリスク
「ですねー。あすたりすくさん腕を上げたんじゃないでしょーか。
前回の机に置いてやったジェンガより白熱してる気がするます」 --
ちま
「前回机に置いてやったって言っちゃったで御座るが、ちま殿。
今回も普通のジェンガで勝負を決めてパルスジェンガにする必要なかったんではないかと思ってしまうで御座るが」 --
パルス
「こらーっ! 動いたらダメだって! 揺れてる揺れてる!
頑張って!! 負けた人とパルスさんが勝った人にお昼ご飯奢るんだから!!」 --
アスタリスク
「進行のルールではなく結果のルールに組み込まれて御座るが!? 違う!! そこじゃない!!
ある意味仲間に入れて貰えたのは嬉しいで御座るが、拙者一人大損してない!?
『パルスジェンガ』不公平じゃない!?」 --
パルス
「わぁ、揺れてるます。リニュさんのおっぱいみたいな。
おー。耐えたですねー。ばんざーい。パルスさんの頑張りで勝負が盛り上がってるですよー」 --
ちま
なんとか姿勢を立て直したところで、教室のドアが横に滑り、パルスだけがそれを横目で見る。
『パルスジェンガ』に集中している女子二人はジェンガを見つめて長考したままだ。
なのでそこから現れた人間を見て表情を変えたのはパルスだけだった。
パルスはこのタイミングで一番現れて欲しくない人間が現れたときの顔をして、
このタイミングで一番現れて欲しくない人間はその様子を見て手に書類を持ったまま無表情で固まる。
「………。
プレイ中?」 --
アリィ
「うん」 --
アスタリスク
意味が違うで御座るが。
喉までツッコミが出かけたが、結果的にボールがミットに収まったのでパルスは何も言わずに正座を続ける。
まるでゴミを見るような目でアリィはパルスを見た後、手に持った書類を近くの机に置く。
「イルシスにこれ渡してくれって頼まれて持ってきたんだけど、
何やってんのアッちゃん。そして何やられてるの忍者。
本当にプレイ中なんだったらお邪魔しました」 --
アリィ
「冷静に分析されて問われると酷く辛く悲しくなってくるで御座るな。
拙者も参加させられているにも関わらず今何を行っているのか説明出来ぬ悲しさ」 --
パルス
「『パルスジェンガ』ですよー。お昼賭けてるます。
アリィさんもやりますですか?」 --
ちま
「何よ『パルスジェンガ』って……」 --
アリィ
よし、常識人枠。言ってやれ、とパルスは思う。
「一本抜いて、目に差し込めばいいの?」 --
アリィ
枠などなかった。
「アリィさんそれだとプレイ人数が二人になっちゃうよ。
プレイヤー三人に増えるのに」 --
アスタリスク
「問題の源泉そこ? もっと根本的なところに問題がない? プレイヤー全員が楽しめてるとは言いがたくない?
というかどっちが勝ってもいいで御座るが早く終わらせて欲しいとすら思い始めて来たで御座るわ」 --
パルス
「ちまは楽しいと思うます。パルスさんと遊ぶのは楽しーですよー」 --
ちま
「でござるかー。何でも許したくなるので今はその満面の笑みやめて欲しいで御座るなあ! ちま殿!
目に入れても痛くない可愛さで御座るがきっと物理的に目に入られると痛いで御座ると思うなあ拙者!
さっきまでシュールなだけであったのに、何故急に場がバイオレンスな方向に?」 --
パルス
「……まあなんでもいいけどさ。イルシス曰く至急って話だったんだけどこれ。
目ぇ通さなくて大丈夫? なんか重要っぽいこと書いてあるけど」 --
アリィ
アリィがぽんぽん、と机に置いた書類を叩く。
何かにピンときたような顔でアスタリスクが振り返り、その書類に目を通す。
それが目的の書類であったことを知り、両手を顔の前で合わせる。
そのまま生徒会室へと走っていこうとするが、その途中振り返ってパルスに向かって言う。
振り返りに追いつかないツインテールが、本当の動物の尻尾みたいだなとパルスは思った。
「にっひっひ、ちょっとタイム!! 休み時間中には帰ってくるから!!
パルスさん、絶対そのままでいてね!! ちょっと用事出来たのでタイムね!」 --
アスタリスク
「殺生ここに極まれりで御座るが」 --
パルス
「殺生なのに生殺しとは贅沢な」 --
アリィ
「あーい。了解ですよー。お早めにおー戻りくださーい。
勝った人がぱるすさんに奢って貰えるのでちまものんびり待つますよー」 --
ちま
「ついに拙者完璧にルールの中に食い込んだで御座るが。
このゲーム拙者だけめっちゃ楽しくないで御座るな」 --
パルス
「パルスさん! そのままでいてね! 居なくなっちゃダメだよ!!
パルスさんが居てくれないと、わたし楽しくないから!! んじゃ、また後で!!」 --
アスタリスク
時々。アスタリスクはそういう物言いをする。
普通の人間であれば口にすることに少し躊躇いを覚えるような言葉を平気で言う。
パルスもそれにはある程度慣れていたが、それでも頭にジェンガを載せたまま思う。
まるでそれでは、アスタリスクが自分に言わなければ自分が居なくなるようではないかと。
忍者は色々と諦め、嘆息して、甘んじて戻ってくるのを待つことにした。
「………。
居なくなるの?」 --
アリィ
底意地悪く、甘んじている自分を揶揄するように言ってくる旧友にも反応しない。
目を閉じ、恐らく浮かべているであろう薄笑いも見ずに、言葉も返さない。
自分は待っていろと言われた。ならば待っていて何が悪い。
無言の中に明確なその言葉が乗っているのを見て、アリィは静かに一人笑った。
----------
――そんなことが。
そんな、些細でバカバカしいことが思い出されて。
パルスは、笑うことも出来なかった。
流れるなら走馬灯であり。
思い出されるのは幸福な思い出であるべきだ。
にも関わらず、この状況で思い出されたのは。
そんなどうでもいい、バカバカしい思い出だった。
この状況で、そんなことを思い出している暇も余裕も。
そして、執着もなかったはずなのに。
パルスは笑わず、マスクの下で唇を噛んだ。
「――世話の、焼ける……ッ」 --
パルス
◆
◇
◆
――.FRAGMENT H
機嫌が悪いことを隠さずに、木造のドアを女は開き、閉じた。
部屋から出るとすぐに胸ポケットを漁り、シガレットケースを取り出し、タバコに火を着ける。
眉間に寄ったシワを指で押さえながら大きく息を吸い、吐く。
紫煙が文句を内包しながら、ふわりと女の顔を巻いた。
――大爛帝国領。
その南端。北に六稜を望む国境線の僅かに外側。
南西には華桌(カタク)を含有する山脈にぐるりと取り囲まれた場所に生じた新しい集落。
大爛帝国曰く、『周蛮国』と名付けられたここを訪れたとき、紫煙を巻く彼女は心を躍らせた。
いかにも『自分好み』である要素がそこかしこに見られる、好ましい場所だと思ったからだ。
だが、それも今に至っては期待はずれの落胆を深いものにするエッセンスでしかない。
やはり溜息は深く、そして長くなる。
女は片目を閉じてこの先どうするかに思いを巡らせた。
この地は、正確には大爛帝国ではない。
二日と同じ国境なしと言われる大爛帝国に於いて、南方、そして北方の国境はなきに等しい。
帝国自身が周囲の少数民族を食い荒らして領土を広げてきた背景から、正確な国境線というものは今日に於いても存在していない。
故に、今キリスが居るこの場所もまた帝国の領地とは言い切れない。
華桌以南が山に囲まれているような明確な土地的な線引きがあれば話は別であったろうが、この地にはそれがなかった。
だが、巨大な生き物と揶揄される大爛帝国において、南端の国境など中央から遠く離れた末端であり、
正確な線が引かれていようがいまいが誰も気に留めない部分であった。
――そんな状況下、南方に存在していた蛮族が、その末端に於いて良からぬ企みを行い始める。
巨大な生物が自分の身体を顧みないことをいいことに、その指先から旨味を掠め取ろうとする勢力として形を持ち始めていた。
周辺の蛮国、などという名前がつけられたその集落や集団は、名前から分かる通り大爛帝国からそれほど危険視されているわけではなかったが、
西方の東ローディアとの国境に侵攻が触れるまではまだ今しばらくの時間を要していたために、
現状、内乱以外で戦争の火種になりそうな場所はこの蛮族の集まりしかないとも言えた。
故に、キリスはここを訪れ、そして自分の商品を売りつけようとしたのだ。
彼女は戦争を取引する。フォックステイルの中では『戦争屋』と呼ばれていた。
取引は、行われなかったわけではない。彼女の希望の金額は懐に入ってきていたし、順調そのものと言ってもいい。
明日には取引の材料となる人員や武器を運び入れる手はずになっているし、帰ってその段取りをつければ仕事としては完了だ。
だが、彼女は面白くない顔で集落の外に向けて歩いている。
文句ありげに紫煙をくゆらせながら歩いていると、前方から集落の人間と思われる仮面の男が歩いてくる。
見るからに余所者の格好をしているキリスを少しだけ訝しむように見ていたが、すぐに視線を逸らして先へと進んでいく。
すれ違う際、キリスの鼻が鳴った。
「……へえ。
成る程。ちょっと面白い話をしないか、キミ」 --
キリス
数秒前の機嫌の悪さも嘘のように、喜色満面女は振り返り、仮面の男を呼び止める。
仮面の男も自分が呼ばれていることに気づき、足を止めた。
その仮面の男に向けて、問う。
「周蛮国。つまりこの地の戦闘要員の装束だね、それ。
つまりキミはここの戦士ということになる。だが、キミの匂いは少しだけ鼻に突く。
何度か水浴びをして香りを落としているけれど、それでもキミの身体からは椿油の匂いがするのさ。
戦闘要員にも関わらず、椿油の匂いを撒き散らすキミは、さて一体何者なのかな?」 --
キリス
男の立ち姿勢が変わる。
警戒を示すように一歩だけ後ろ足を引き、身体をキリスの正面に向ける。
キリスは構わず言葉を続けた。
「それは、ある程度位の高い者にしか許されていない嗜好品の匂いだ。だからワタシは疑問に思った。
今の間に色々考えてみたのだけれど、いくつか思いつく中で一番しっくりくる意見はこれだ。
周蛮国が大爛帝国の火種となりえるこの状況下で、位の高い者が戦闘要員の装束を着ているのは、ここに潜――」 --
キリス
――踏み出された、一歩があった。
男は言葉を待たずに一歩を踏み出し、腰に携えていた剣を抜き放とうとした。
だが、それに先んじて、踏み出された一歩があった。
面を被る男の顎に、いつの間にかキリスの後ろに立っていた女の槍の先が突きつけられていた。
少しでも動けば喉奥に突き刺される角度のそれに、男も、そして突きつけた女もその場に静止する。
沈黙を破ったのはやはりキリスだった。
「剣というものは、抜き時と方向というものがある。
それではツマランよ、キミ。ワタシなどに向けるために、剣を携えているわけでもなかろうし、
もっと言うのならワタシが部外者であることはキミも理解しているだろう。
それより、面白い話をしないか、キミ」 --
キリス
キリスが提案すると、僅かだけ逡巡した後、仮面の男は声もなく指で近場の暗がりを指し示す。
何にせよ、槍を喉元に突きつけられている状態に於いて取引も駆け引きもない。
相手に敵意がないとは限らないが、敵意があると決めつけることも視野を狭くする。
そんな打算が、仮面の内側から読み取る事が出来て、キリスは満足そうに口角を上げた。
人目につかない暗がりにキリスを案内した男は振り返り、キリスを見る。
キリスはその様子を見て小さく嘆息して首を振る。
「キミ、レディと二人きりなのだから、面くらい取ったらどうだ。
椿油を嗜む程の男が、礼儀の一つも知らないというのは恥ずべきことだぞ」 --
キリス
憮然とした態度が面越しにも伝わってきたが、男は文句の前に面に左手を掛け、
それをゆっくりと外した。同時にフードも脱ぐ。
「……なんだ。レディを前にしても面をしているくらいだからどんな不細工が出てくるか期待していたのだがな。
見られる顔をしているじゃないか。同時にこうでもなければ絶対に見られない顔でもあるがな。
……思ったより、ワタシはついているのかもしれないな。少しは愛情が報われたということかもしれん。
……まさか『爛持ち』に偶然会うとはな。宗爛クン、だったか」 --
キリス
「――何故俺を知っている。お前は誰だ」 --
宗爛
「何故、何故と来たか。質問に質問で返すようで悪いが、何故知られていないと思える。
ワタシはこう見えて、戦争を売ることを生業としていてね、それくらいもマーケティングはしているさ。
現在大爛帝国が有している爛持ち、つまり次期後継者については本家だろうが宗家だろうが分家だろうが、調べるだけ調べているに決まっているだろう。
甘くみないでくれたまえよ宗爛クン。相手の実力も分からないのに戦争をするバカがどこに居る。
ましてや上手くその戦争を教唆しなければならない我々にとって、敵を知ることは己を知ること以上に大切なことでね」 --
キリス
「女狐が。良く喋るな。
戦争屋か。おおかた大爛帝国への侵攻に当たり、武器でも運び入れる気なのだろう。
分からんな。その上で何故貴様は俺を呼び止め、俺にこんな話をしている。
お前の目的を言え」 --
宗爛
「暇つぶしさ。退屈なのでね。
これも何かの縁だ、少しばかりワタシの話に付き合ってくれてもいいじゃないか。
ワタシは戦争の次の次にこういったお喋りが好きでね。
もちろんキミにも利のある話、実りある話をしようと思っている。ワタシは快楽主義者だが、結構な利益主義でもあるからね。
……まず、キミの話をしよう。
キミは、私の調べによると、六稜という北方、大爛帝国の領地の主だったね。
そんなキミがここに戦闘要員の服を来て居るということは、まあさっきは言いかけたが誰にでも分かることだ。
キミは単身ここに潜伏している。予想するに、彼我の実力差をその目で見るため、というところかな」 --
キリス
宗爛は小さく嘆息して、饒舌に機嫌良く語るキリスを睨む。
「知ったような口を利かれて業腹ではあるが、否定をすれば苦しくなるな。
大体はお前が言う通りだ戦争屋。俺はここで敵情を視察している。
我が六稜にとっても、ここの集落はいずれ害を齎す存在になりかねない。
……それで、それを知った戦争屋はその情報をどうするつもりだ?
それもまた、お前の資源としてどこかに向けて販売されるのか? 例えば周蛮国なんかには高く売れるだろうな」 --
宗爛
「生憎とワタシは、情報を取り扱うのは余り好きではないのさ。あれは安易に売れすぎるし、価格の変動が激しすぎる。
アナクロに戦争を売り込む懐古主義者にとっては手に余る代物だよ。
そう敵意をむき出しにしてくれるな。先に言っておくがワタシはここの取引で失敗して意気消沈しているのさ。
だからそんな傷心のワタシを慰めるために少しは優しくしてくれ」 --
キリス
「失敗……? 武器や人員は周蛮国の状況を鑑みて、断る理由のない申し出だろう。
余程の金額を吹っかけたのか……?」 --
宗爛
「いや、ワタシは足元を見るのも上手くはなくてね。適正価格を提示して、適正価格で販売出来たよ。
故に、落胆も大きかったのさ。余りにも簡単にことが纏まりすぎた。
本来なら武器や人員の購入は、もっとギラついた目をして行われるべきなんだよ。
だって戦争をするための資源なのだぞ、略奪するための資源を相手から買い上げるなんて矛盾をしているじゃないか」 --
キリス
「……その機微は俺には分からん。
分かったのはお前が話が通じるだけの狂人であることだけだ、戦争屋」 --
宗爛
「何でも言うことを聞く女を男は求め、女は何でも言うことを聞く男を退屈に思うことの違いだろう。
まあその失敗はどうでもいい。そんな終わってしまった取引の話は今はもういいんだ。
なにせワタシは、こうして新しく取引を持ちかける相手を見つけたのだからな。
さあ、宗爛クン。これは提案だ。
一つ、ワタシから戦争を買ってみないか?」 --
キリス
その言葉に、流石に宗爛は眉根を寄せる。
今しがた会っただけの女に、そんな物騒なことを、そして突飛なことを問われるとは思っていなかった。
狂人の理論は狂人にも理解出来ないというが、であれば常人に理解出来るわけはない。
呆れの絶句を、説明不足から来る先の促しと勘違いしたのか、饒舌にキリスは言葉を続けてくる。
「ワタシは今からキミの嫌がる、分かったような口を利く。ワタシはそういうの得意でね。だから話し相手にはいつも難儀している。
――キミがこの周蛮国に潜入しているのは、最小限の準備で己の領地に出来るだけ被害を出さないようにするためだ。
そのために自らの身体を危険に晒してまでここに潜入し、敵情を視察している。
今の六稜の勢力と周蛮国の勢力を比較して、二つの勢力がぶつかったときにどの程度の被害が出るかを予測するためにね。
その度胸、ワタシは好きだな。戦争とはやはり机の上でなく戦場で行われるものだと思っているからね。
それに、キミの後ろには大爛帝国という存在もある。
キミが六稜に出来るだけ被害を出さないようにしているのは、大爛帝国という大きな化物が自らの身体を自食しないように努めているという部分もあるのだろう。
更には大爛帝国は周蛮国を今は危険視していない状況だ。
そこを制圧しようと思えばもしかしたら六稜が独自に動くことを必要とするかもしれない。
そんな板挟みの状態が、キミの今置かれている状況だと思うが、正しいかな」 --
キリス
答えを待たず、宗爛の赤い目を見たままキリスは続ける。
「それが正しいとするなら、キミの最終的な目的は周蛮国の出来るだけ無血の制圧にある。
或いはキミ自身がこうやって周蛮国に乗り込んできているというのはそれを目的として何らかの弱みを探しているのかもしれないね。
まあそれはワタシとしては余り気に入らないのだけど、だからこそキミに提案があるのさ。
キミのその望みの結果を、二年。ワタシの観測では二年程早めてあげようと思うんだ。
ワタシは戦争を取り扱う商人だ。
キミが望むのであれば、周蛮国を駆逐するだけのとっておきの兵をキミに売ってあげようと思う」 --
キリス
「……何故だ。
……理由が、ない」 --
宗爛
「あるさ。……愛しているからだよ。
もちろん、キミではなく、『戦争』そのものをね」 --
キリス
キリスが笑い、宗爛は笑わない。
宗爛は、まだこの女が信用に足る存在であるとは思えなかった。
己の人生の中で、これほどまでに美味い話は何か裏がなければならない。
教訓や訓戒として身に染み付いたその猜疑心が、その申し出に是という答えを返すことを阻んでいた。
「先も言ったが、周蛮国との取引は退屈な取引でね。彼ら、ワタシが売りつけた武器を床の間にでも飾るつもりなのかな。
今日手に入れた武器を今日使わない奴に売りつけることほど退屈なことはない。
何かを販売する者は、その販売自体が目的ではなく、そこに返ってくる反響や感想を求めるものだということは、少し考えれば分かることだろうにね。
だからワタシは、別の火種を、もう少し上手く使ってくれそうなキミに与えようと思うんだ。
その火種が成長して、もしかしたら戦争の猟火の一つとなってくれることを期待してね。
もちろんこれは取引だ、キミの了承もないのに無理やり売りつけることはしない。
……どうかな、宗爛クン」 --
キリス
その囁きは、宗爛にとっては悪魔の囁きに等しく耳朶を打った。
爛の血特有の赤い瞳が、フォックステイルの赤い瞳と正面からぶつかり合う。
宗爛にとって、この申し出はそれこそ垂涎の申し出である。
計画が早まればそれだけ打てる手も増える。
打てる手が増えれば、その余剰を自領の豊化に充てる事もできる。
その取引は、金額に寄っては……或いは金額を度外視したとしても、宗爛にとって余りにも美味しい話すぎた。
宗爛は息を吸い、ゆっくりと吐き、キリスに問いを投げる。
「……その取引を。
お前という存在を信じるための材料が、余りにも足りない。
俺は、何を以ってお前を信用すればいい」 --
宗爛
キリスはその問いを聞き、ニィと笑った。
ハハハ、と軽く笑い、宗爛の顔を覗き込む。
「――では。
こんな説明では、どうかな」 --
キリス
――と。
一瞬、目の前で起こったことに、宗爛の意識よりも先に身体が反応した。
宗爛は自分が後方に跳ねたことに気づき、体勢を整える。
目の前のキリスの存在が自分を害するという危険信号によって、身体が自然に反応したのだと気づいた。
少し遠くなった、キリスの存在を見る。
彼女は一歩も動いていなかった。
戦闘体勢すら取っていない。
だが、その尻の付け根から、『八本の轟々しい尻尾』が生えていた。
ただそれだけで。
宗爛は目の前の会話が通じるだけの狂人が、会話すらも通じていなかった化物だということを知る事が出来た。
その身体から発する圧力が、武人としての宗爛の感覚に、全力で警鐘を鳴らしていた。
「ワタシはね、この周蛮国くらいなら、ワタシ一人で一日も掛からず皆殺しにする事が出来るんだよ。
前もって、この集落の戦力は、戦争屋として調べさせてもらったからね。
余り自慢すると年寄りみたいで退屈に思われるかもしれないけれど、ワタシは昔強くなればなるほど、戦争というものに愛して貰えると思っていたのさ。
可愛ければ可愛い程男に愛して貰えると思う、少女のように純情な発想が可愛いだろう?
これは、そのときの名残でね。
今戦争を取引するという形で永遠の片想いをしていこうと決めた身では、こんなときの証明にしか使えないけどね。
……これが、証明にならないかな、宗爛クン。
ワタシは――こんな国も、実はキミの国も、キミ自身も、どうでもいいんだよ。
ただ、戦争というワタシの愛する物に、無償の愛を届けたい、ただそれだけの存在なのさ」 --
キリス
フォックステイルという種族は、強さが倍になると尻尾の数が一本ずつ増えていく。
この世界に三十六人存在する八尾持ちの一匹は、宗爛の前で笑みを浮かべている。
やがて、宗爛の無言をしっかりと自分の意思を理解してもらえたものと思ったキリスは、八尾を尻から消す。
宗爛は後ろに跳ねたその距離だけ心の距離を離して、目の前の化物と向き合っていた。
それは、かつて自分の兄に抱いていた畏敬と僅かに似たもの、どうしようもない存在に対する自分の恐怖に似たものを感じさせ、
宗爛の奥歯はギリ、と噛み締められた。
「……それは。確かに証明になる。
……お前がこの取引に俺達の土俵上での利害を感じていないことや……。
お前自身が化物であることのな」 --
宗爛
――ただ。
だからこそ。
宗爛はその化物に対して、正面から向き合った。
そんな化物程度に、己の覇道を揺るがせるつもりは、彼としてもなかった。
乗り越えるべき物は何よりも、己の中のそういった畏怖であることを、領地の王である彼は知っていたが故だ。
宗爛は、手をキリスに向けて翳した。
「……お前を疑った。
俺は、己の爛の名に於いて、その非を認めよう。
これは、その『詫び』だ。戦争屋」 --
宗爛
――怯まず、揺るがず。ただ取引の相手として化物を相手取り。
そして、対等の存在として、王は自らの中指に手を掛け。
――それに、力を込める。
――べキリ。と。
何の躊躇いも迷いもなく、苦悶の声すら上げず、宗爛は己の中指をへし折る。
その向こう側に、薄く笑う戦争屋の姿を見、痛みなど介さぬとばかりに灼眼で目の前の化物を睨めつけた。
その薄笑いに、代償が足りぬことを感じた宗爛は更に指に手を掛けたが、そこにキリスの声が掛かった。
「……キミに声を掛けて正解だったよ、宗爛。
キミは、武器を手にしたら引き金を引ける男だ。
ワタシは、戦争の次にそういう人間が大好きでね。
クハハ、実にいい。キミは実にワタシの興を盛り上げてくれた。
きっと、あいつも、キミの槍になら喜んでなると思うよ。
キミがいい買い物をしたと思ってもらえれば、ワタシも戦争屋冥利に尽きる」 --
キリス
「毒を食らうことを恐れている内は、皿を食らう事はできない。
お前が悪魔で、これが悪魔の誘いであったとしても、俺はそれすらを利用して上にのし上がらなければならない。
取引だ、戦争屋。――俺に、戦争を売ってくれ」 --
宗爛
――宗爛のその答えに、満足したとばかりにキリスは手に持っていた煙草を一服した。
まあ、今回の戦争はコンパクトサイズなので、それほど大掛かりではないのだがねと冗談めかす。
第一、さっき一度会っているので驚きもないかもしれないが、と宗爛の分からない納得をして肩を竦めた。
キリスは紫煙を吐き出すと、その煙草をシガレットケースで叩き、地面に灰を落とした。
そしてその吸い殻を、何故か今度は吸い殻入れを取り出してその中に破棄した。
整合性の取れない謎の行動を取るキリスに、宗爛は眉根を寄せる。
「……ん?
ああ、なんだこれは。
おい、宗爛クン見てくれ。
なんてことだ、ワタシは喫煙者として、マナー以上に大事なものはないと思っているんだが。
こんなところに灰が落ちているじゃないか……!!
一体誰がこんなところに灰を捨てたんだろう、なんて野蛮な人間がいる土地なんだ、この周蛮国という土地は!!」 --
キリス
その、演技丸出しの違和感に、宗爛は考えを巡らす。
すぐに答えにぶちあたり、目の前の存在の異様さに噛み潰すような苦笑が漏れる。
その様子を見ているのか見ていないのか、キリスはわざとらしく続ける。
「そんな野蛮な人間が居るこの周蛮国に、ワタシの大切な戦争を売り渡すわけにはいかない!!
先ほどお金は頂いたが、キャンセルだキャンセル、取引は白紙に戻そう!!
さて、キャンセルしたお金は後日返却するとして、駐屯地に配置しているワタシの愛する戦争のための資材を持って帰るのは邪魔だなあ。
……どこかに、この戦力を、引き取ってくれる人はいないかなあ。宗爛クン」 --
キリス
「……偶然だな。一つ『あて』がある。
どうにか、そこで引き取って貰えるように手はずを整えておこう。
そして、何故か分かるんだが……恐らくそのキャンセル料は払わずに済むだろうな。
これは、俺の勝手な予想になるがね」 --
宗爛
「そうかい? それは助かる話だ。是非とも話をつけておいてくれると嬉しい。
キミに売り渡す戦争という名の彼女についてくる、おまけみたいなものだと思って扱って欲しい。
ワタシも戦争屋としての誇りがあるから、キャンセル料はしっかりと支払わせて貰うよ。
支払う先が存在する限りは、必ず返却の義務があると思っている。
……いやあ、助かったよ宗爛クン。
キミのお陰だ。感謝しよう」 --
キリス
そう告げながら、キリスは宗爛の元へと歩いてくる。
そして、友好の証にと、握手を求め手を出してくる。
その出してきた手が、左手であったため。
宗爛はこの女がただの化物であることを改めて感じ。
折れた中指の激痛など感じていない風に、左手でその手を握り返したのだった。
----------
――周蛮国を出る。
キリスとは周蛮国内で分かれ、取引は後日六稜で正式に書面が交わされることとなった。
この取引が正式な物である限り、既に自分はこの土地に用はない。
後は明日六稜に到着するキリスの言う、周蛮国相手に取引をしようとしてた兵と糧と武器を待ち、
それを以ってこの集落を制圧すればいい。
今だ疑念が全て払拭されたわけではないが、既に賽は投げられた。
毒ごと皿を食らうつもりである蠱毒の王は、既にその先を見据えている。
国を出たところで、一人の女が目の前に立っていた。
キリス曰く、これが自分に売りつけようとしていた「戦争」の形らしい。
見れば先ほど自分に槍を突きつけてきた女である。
面倒事が起こらぬようにと、身を隠す機会があればその際連れてきたことにするといいという助言までくれた。
節介焼きではなく、恐らくそれも含めて彼女が売る戦争なのであろうと思うと、笑いも出ない。
宗爛は目の前に立つ瑕顔の女に尋ねる。
「――お前が、俺の戦争か」 --
宗爛
瑕顔の女は、その問いに失笑で応えた。
「――違うな。
戦争とは、貴様だ。……貴様こそが、戦争そのものである。
私は、その為の槍でしかない。……或いは、狗かもしれんな」 --
瑕顔の女
「そうか。
ならば……お前に戦争を分け与えよう。
俺の狗となり、槍となり、共に戦場を駆けろ。
狗。名をなんという」 --
宗爛
「……不要だ。
好きに呼べ。他者に呼ばれるような名を、狗は必要としない。
貴様から分け与えられる戦争だけが、私の糧だ」 --
瑕顔の女
宗爛はそれを鼻で笑う。
王は狗に向けて告げた。
「お前が必要としているのではなく、俺が必要としているのだ。
喜べ。動物には優しいのが、お前の主だ。
衆目に晒して好奇の目を寄せるその瑕すら愛し、俺だけの物にするために六稜に戻ったら面を作らせよう。
狗は狗らしく、俺の寵愛を素直に受けるべきだ」 --
宗爛
狗は、口の端を持ち上げる。
自らの新しい主、戦争の火種となりうる存在に僅かの期待を寄せながら。
「ハリウカだ。ハリウカ・バチスカーフ。
……良き戦を待つ、貴様の狗の名だ」 --
ハリウカ
――歯車は、骨喰の音を軋ませながら、少しずつ噛み合っていく。
いずれ訪れる大きな戦争の波の、その始まりはまるで凪のように優しく。
ゆっくりと、ゆっくりとその音のない静寂の中で火種が燻り始めていた。
◆
◇
◆
――.FRAGMENT S2
「……すみませんでした」 --
セータ
「……本来なら。すぐにご挨拶に来るべきでしたが……。
大学の仕事の関係上、帰国が延びて……今の報告になってしまいました」 --
セータ
本城家和室。
せつな、セータと向かい合って説明を聞き、紗雪は言葉を失ったまま硬直していた。
その沈黙が全身に針を突き刺すような痛みに変わり、セータは正座をしたまま痛みに耐える。
やがて硬直していた紗雪がはっ、と気づいたように表情を変え。
「……あっ……ごめんなさい、その……。
少し驚いてしまって……あの、意味が、その……もう一度繰り返して説明してもらえるかしら……」 --
紗雪
「――も。もう一度ですか。
いえ、わ、分かりました」 --
セータ
セータの全身を襲う謎の痛みは疼痛から鈍痛へと変わる。
針の筵でももう少し生易しいであろうその問いかけに、上がってくる胃液を抑えながら再び紗雪に向かって言葉を吐く。
「――その。昨年の末から……。
ぐ……せつな、さんと……その、お付き合いを、させていただいていることに、なって、おりまして。
その、ご報告を……紗雪さんにも、お伝えしたく、せつなと共に帰国してきました」 --
セータ
「………。あ。えっと……。
教職者と、生徒の、ということでもなく、ですか……?」 --
紗雪
「だっ、男女の、です」 --
セータ
「シークエンスさんと……せつなが、という、ことですよね……?」 --
紗雪
「はい……僕と、せつなが、です……っ」 --
セータ
「……えっと、それが、去年の末……12月から、という、わけですか……?」 --
紗雪
「すみません、正確には、去年度末なので、3月、から、です……っ」 --
セータ
「3月から……お付き合い、を……それは、男女の……?」 --
紗雪
「二回目ですっ……。男女の、です……っ」 --
セータ
「………何故そんなことに?」 --
紗雪
「………あ。愛し合ってる、から、じゃない、かな、と……思い……ます……」 --
セータ
――鈍痛はここに至り、既に激痛へと変わっていた。
胃に空いた穴の数さえ数えられそうな感覚に、膝の上で拳が握られる。
正確には、その拳が握れるようになるまで四ヶ月という時間を要した為に挨拶が遅れたのだが。
その事情を紗雪に話したところで仕方がない。
報告が遅れたことは事実であるし、遅れようが何をしようが説明義務はセータ自身にあった。
死刑台に一歩ずつ登っているような幻視を見ながら、その猛攻が勢いを弱めるのをただひたすらに待つしかない。
すると、その様子を見かねたのか、物言わぬ赤い顔の石像になっていたせつなが慌てて口を開く。
「……あの!! お母さん、違うからね!!
その、最初は、おじちゃんからじゃなくて、あたしからで!! 色々あって!!
別に、そういうのが目的でおじちゃんはあたしを大学に誘ったとか、そういうのはないし!!
純粋に大学であたしの成長を見守りたいからであって、それで偶然あたしが、好きになっただけだし!!
それで、その、最初はあたしの方からお願いしたんだけど、おじちゃんあたしが卒業してくれるまで我慢してくれて!!
でもその我慢ももうしなくていいってことになったから、こうやってちゃんとお母さんに――」 --
せつな
「せつな。待って。やばい。説明やばい。
その説明色々やばいしおじちゃんもやばい。
お前が僕の為を思ってフォローしてくれてるのは伝わってくるんだけど完全なフレンドリー・ファイアになってるから。
せつな、大丈夫だから。ちょっととりあえず僕から説明するというか、説明義務があるのは僕だから」 --
セータ
「おじちゃんは何も悪くないの!!」 --
せつな
事実悪くはないが、発言が限りなく白に近い故の黒である。
最高のフレンドリー・ファイアが心臓に深く突き刺さるのを感じた。
何にせよ、そうやってせつなにフォローを貰うということは自分が頼りなく見えているのだろうと思う。
せつなにそう思われているということは、説明相手である紗雪にもそう思われているということだ。
セータは、改めて姿勢を正す。
「正直、僕も何故、そう思い、こうなったかということを、手短に纏める自信はありません。
ただ、どちらかが決めて、それに従ったというような形ではありませんし、僕が教職を務め、せつながその生徒だったこととは無関係です。
生活を共にした中で、そういう形であるべきだと思い、僕が持ちかけたことではあります。
僕も……こういう人生を送っているために、簡単に決めたことではないことは、ご説明しておかねばならないと思いました。
その報告が、私事で遅れたことは、重ねてお詫びします」 --
セータ
その畏まった様子に、紗雪は漸くコトに気づき、顔の前で手を振る。
「あっ、いえ……私は交際について何かをお伝えしようと思っているわけではありませんので……。
ただ、少し、驚いたのは事実です……シークエンスさんには、せつなが小さい頃から良くしていただいていたので……」 --
紗雪
「そのころからおじちゃんの方があたしをどうこうしようと思ってたワケじゃないから!!」 --
せつな
「その弁明でどうこうなりそうなのは今の僕の本城家での立場だ、せつな」 --
セータ
事実しか言っていないにも関わらず何故か痛みを生じるせつなの必死な弁明に釘を刺す。
紗雪に視線を戻すと、やはり少しだけ呆けた顔で頬に手を当てていたが、
やがて視線をせつなに移すと、娘に向けて小さく微笑んだ。
「大丈夫よ、せつな。……もう、貴方も大人だものね。
一人で考え、一人で決めたこと……この場合は、二人で決めたことになるのかしら……。
それに、母である私が言えることなんて、大した言葉じゃないわ。
それくらい、必死に説明するくらいだから、きっと貴方が選んだのがこの選択なんでしょう……?」
「……うん。今日はだから……おじ……。
セータ、さん、と一緒に……ほうこっ、報告にっ、来たっ、だけだしっ……」 --
せつな
正座のせいか、身が捩れる。セータもせつなも。
薬缶を置けば沸騰せんばかりに熱を持った顔で、床を見る。握った拳の爪が掌に食い込む感覚を共有しながら。
ぎこちなさが勝つくらいならこんなところで勇気を出す必要はないだろうと、セータは額を抑えた。
紗雪が頭を抱えるセータに尋ねた。
「……一つだけ……伝えさせて貰うとすれば……。
その、シークエンスさん、他意はなく、純粋にお尋ねするのですが……ご年齢を伺っても宜しいですか……?」 --
紗雪
セータはその質問に答える前に、息を吸い、一拍置いた。
「――46になります」 --
セータ
「せつな、貴方は今年で22よね……?
あ、歳の差が、とかそういうことじゃないのよ……ただ。
せつなより、シークエンスさんの方がそれだけ先輩であるということは、それだけ、シークエンスさんが先に行っている、ということなの。
分かる、かしら……?」 --
紗雪
その問いは。セータは予想していて、せつなは予想していなかった。
紗雪は早くに夫を亡くしている。予想出来てしかるべき問題ではあった。
ただ、せつなにとっては父が居ないことは今や口にしても仕方ないことであったために、近すぎて実感がなかった。
それが、立場を変えて『伴侶に先立たれる』という可能性になって返ってくるとは、思っていなかった。
予習のない問題は、引掛けの回答を導く。
セータの性質。今彼がどういう状況にあるか、先立つ可能性についてを説明しようとして口を開いたとき。
セータの手が、せつなの膝に置かれた手に触れた。
……それが、無言の静止であることが伝わってきて、喉から出かけた言葉が引っ込んだ。
せつなはただそれだけの静止で、何を求められているかに気付き、改めて回答を探す。
セータはその様子を横目で見て、こんな時にも自分の生徒の優秀さを誇りたくなる自分の職業としての病を呪った。
「………。うん。
ずっと、そういうことを考えていたわけじゃないけど……。
ちゃんと、考えても答えは同じだと思う。
だから、あたしは回答欄には、こう書きたいな……。
お母さん、今幸せ……? って」 --
せつな
「うん。その答えは、良い答えだと、お母さんは思うわ。
剣ちゃんも結婚して、今度はせっちゃんも幸せになってくれる。
お母さんは、今幸せよ、せつな」 --
紗雪
紗雪は微笑み、両手を広げた。
堪らず、せつなが母の胸に飛び込む。
親子の熱い抱擁を見ながら、セータは一人、大きく息を吸い、吐いた。
「……立て続けに驚かせることばかりですいません。
まさか、僕も剣馬達に先に驚かされるとは思っていませんでしたので……。
ただ、結果としては、この順番で良かったと、胸を撫で下ろしているのも本心ですが」 --
セータ
「そうだ!! ジィ姉、また赤ちゃん出来たんだった!!
あっ、後で見せて貰わないと……!!」 --
せつな
母親の胸からばっと顔を上げて、せつなは喜々として叫んだ。
懐妊が分かったというだけで、そんなにすぐに腹は膨れないだろうと思ったが、セータは言わずに置いた。
何にせよ、自分より少しだけ先に行った姪夫婦は、妻と夫という立場からまたしても母と父という先に踏み出していった。
心中で、自分より上手く器用に世の中を渡っていく剣馬の顔を思い浮かべて、男は苦笑した。
「……まあ、なんというか、戸籍上は剣馬が僕の義兄に当たるのかと思うと、胃の中に外に刃のついたミキサーが生じたみたいになるが。
そうだな……気を利かせて家を開けてくれたあいつらにも、後で礼を言っておかないとな。
偶然にもあいつの第二子の懐妊の報告が、僕達の報告のクッションにもなってくれたことだし」 --
セータ
「……クッション?」 --
紗雪
「ああ、交際のご報告の、ということです」 --
セータ
「……ああ、そっちの、ですか。
………。
……シークエンスさん、もしかしてということもあるので、伺っておきますが――」 --
紗雪
「ない。です。
その可能性は、ない、ですから」 --
セータ
笑顔で祝福してくれたものの、自分の信用はもしかしたら地の底まで落ち込んでいるのではないかと疑問に思う。
歯ぎしりをしていると、せつながその様子を見て、ぎこちない動作で片目を閉じてきた。
それは明確な攻撃の意思表示であり、たった三文字の破壊力を伝えてきていた。
まだね、という意味を持ったその一撃から逃げるために、顔を仰ぎながら端末を取り出した。
「アニキに連絡?」 --
せつな
「いや、別件で……今夜日付が変わる頃に会うことになってるんだ……。
心配しなくてもいい、僕にそんな甲斐性はないし、せつなも知ってるやつだよ。
僕にとっては、紗雪さんに説明するのが一回戦だとしたら、それが二回戦目みたいなものでな……」 --
セータ
カ行を選択して該当の名前を探し、そこに書かれた名前を見せると、せつなはすぐに納得した。
あたしからもよろしく言ってたって伝えておいてね、おじちゃん、と明るく言われたが、生返事しか返せなかった。
セータは難敵に向き合わなければならない気持ちの重さに聞こえないように溜息を吐いた。
「計画結婚とか、光源氏計画とか。
……ボロッカスに言いやがるんだろうな……あの不良教師……」 --
セータ
――セータは、知らない。
その夜、彼とその相手が交わす言葉が、たった一言だけであり、その一言だけで四時間無言で飲み続けることになることを。
そして、百の言葉でボロカスに言われることよりも、負けたと思わされる一言があるということを。
更にはその敗北が、生まれてから最も手痛い敗北であるにも関わらず、負けた後にも気分がすっきりとすることがあるということを。
セータは知らない。
今夜「いいものだろ……嫁さんっていうのは」という言葉だけしか、その男が言わないことを。
本当の敗北というものを……まだ、知らない
更には、この一年半後に自身の第一子が生まれることも……何も知らないのだ。
◆
◇
◆
――.FRAGMENT S
「――僕は、絶対に悪くない。
何回も考えて、何回も思い出して、
それでもやっぱり、僕は、キーが悪いと思う」 --
セータ
何かを堪えるように震えながら、少年は拳を握りしめる。
その様子をカウンター越しに見ながら、女性は拭いていたコップをカウンターの手前に仕舞った。
布巾で手を拭きながら少年の様子を見て、小さく微笑む。
「――ん。もしかしたらそうなのかな。
セータ君がそう言うなら、ね?」 --
ティナ
「……ティナ姉真面目に聞いてないだろ」 --
セータ
「大丈夫だよ。聞いてる聞いてる。
でも、聞いてると本当にセータ君の言う通りなのかなって思ったの。
セータ君もそう思ったから、私に聞いて欲しかったんでしょ?」 --
ティナ
カウンターの前で、両膝に手を突いて俯く。
固く引き結ばれた口からは、言葉が出てこない。
逃げ場を作るように、ティナが空になっていたコップに飲み物を注いでやると、一瞬だけそちらを見てそれを両手に持った。
それに口をつける様子を見ながら、顎に指を当てて少年に尋ねる。
「ん〜。どうしよっか。
セータ君は動きようがないよねぇ」 --
ティナ
「当たり前だろ。だって、キーが悪いんだから。
キーが悪いんだから、キーがごめんなさいしてくるまで、僕は絶対に謝らない。
だって、だってそんなのおかしいじゃないか。
僕よりキーが悪いのに、僕がごめんなさいする理由がないもん」 --
セータ
「そっかそっか。じゃあ、謝りに来るまで、ここで待ってよっか」 --
ティナ
「……いいの?
ここのお店、夜は怖い人来るんでしょ」 --
セータ
「あっはは! 怖い人かぁ。その時はセータ君に守ってもらえたりするのかな?
どこかに攫われちゃったらどうしよう」 --
ティナ
「……っ、それは……守る。他の、サラとか、声掛けて、皆で守る。
……ティナ姉居なくなるのは、やだ」 --
セータ
「わぁ、ありがとう。嬉しいな。そうだよね、誰かが居なくなっちゃうのって、嫌だよね。
だからね、セータ君も、キエルド君とこのまま、喧嘩したままずっと会えないってなっちゃいたいわけじゃないよね。
だって、居なくなっちゃうのって、寂しいもんね」 --
ティナ
「キーは、居なくなんないだろ。あいつは、そういうやつだし。
ずっと、子供の頃から一緒なんだから、絶対に居なくなんないんだ」 --
セータ
「そうかなぁ。この街から、お引っ越ししちゃったお友達とかも居るでしょ?
もしかしたら、キエルド君もそうなるかもしれないって思ったら、セータ君寂しいよね?」 --
ティナ
「寂しい、けど……でも、キーはそんなこと言ってないし、引っ越すとか。
そういうのが、あったら、僕にちゃんとあいつは言ってくれるし。
キーは、居なくなったり、しない……。と、思う。居なくなって、欲しくない、し」 --
セータ
優しげな微笑みを浮かべ、ティナは何かを思いついたように大げさに両手を鳴らした。
良いことを思いついたので聞いてほしいという気持ちが伝わるように、セータの両手を握って言う。
真っ直ぐ見つめられることに慣れていないセータは慌てて目を逸らした。
「じゃあ、こう考えてみるのはどう? セータ君が悪いから謝るんじゃなくてね。
セータ君が、仲直りしたいから、謝るの。居なくなってほしくないから。一緒に居たいからね。
きっと、キエルド君も心の底では仲直りしたいーって思ってるんじゃないかなって、私も思うし」 --
ティナ
「……それなら……うん。僕は、悪く、ないけど……。
それでも、キーが居なくなるのは嫌だから、謝る……れる」 --
セータ
「偉いっ。いい子いい子。ってあっ、ごめん、つい。
うん、頑張って、セータ君。お店番あるから、一緒にはいけないけど、一人で大丈夫だよね?」 --
ティナ
撫でられて紅潮した頬を目深に被った帽子で隠しながら、少年はジャンプでBARの椅子から飛び降りた。
一人で大丈夫、子供扱いするなと生意気に口を尖らせたまま、出口まで歩いて行く。
そこで振り返って、何か言おうとして、視線が合い、それを口の中で飲み込んだまま店を出て、
つむじ風のように少年は外を走っていった。
多分それは、彼なりに自分に対して礼を言おうとしたんだろうなと思い、ティナはくすっと笑った。
そして、再び微笑み、今度はカウンターの下に向けて囁く。
「……だって。
聞こえてたよね、キエルド君」 --
ティナ
その来訪は、きっかり二分ズレだった。先にキエルドが店を訪れ、そしてその後にセータがやってきた。
友達付き合いをしていると思考まで似てくるのか、同じ場所に逃げ場を求めた少年二人が集ったのだ。
突然の予期せぬ来訪に、キエルドは自分の身をバーカウンターの下に隠してもらうようにティナにお願いしたのだ。
キエルドは俯いていたが、やがて膝立ちでカウンターの裏から立ち上がり、ティナを見上げた。
「オレ……謝ってくる。
オレも、セータンと仲直りしたかった。本当だよ」 --
キエル
「うん。大丈夫。ちゃんと、私も分かってるよ。
キエルド君も、頑張れるよね?」 --
ティナ
キエルドはその言葉に無言で頷き、小走りでBARの出口に走る。
途中気づいたようにティナに振り返り。
ありがと! ティナ姉! 絶対仲直りするから!
と男の約束を残して、先に走っていったセータを追いかけていった。
タイプの違う男の子二人だなと思うと、経験上そういう子達の方が仲良くいったりするので、微笑ましくてカウンターで一人笑ってしまう。
グラス磨きは半分程しか終わって居ないけれど、それでも少しだけ助力になれたらいいかな、とも思った。
それに、今磨いても、どうしても夜までにはもう一度だけ磨かないといけないかなとも思っていた。
キエルドが走り去った後に、BARの入り口の扉が二回ノックされて、二人の男がBARの中に入って来る。
「ハローアロー、ご期待通りの人攫い、二人程お届けに参りましたぁー」 --
青年
「それ俺も入ってんの。面子が面子だけに割りとリアリティあるからそういうジョークやめない?
やー、久しぶりティナ、不審者二名分の席予約入ってる?」 --
青年
「ん。大丈夫。夜までなら居ても誰も来ないだろうし。
ふぅん、でも珍しいね、一緒にローラウェイに来るって。一緒に来ようってなったの? 二人とも」 --
ティナ
許しを貰うと、勝手知ったるとばかりにお気に入りの席に横並びで座り、カウンターに肘を置いて青年達は笑った。
「真逆。そこまで親密な仲に見える? 俺ら?
なんか俺が来たときにはもうすでにバカちー居て、なんかBARの前で聞き耳立ててんの。
中でイヤらしいことしてんのかと思って期待した俺がバカだった」 --
青年
「それは本当にバカだと思うわ。
いやー、なんか込み入った話してたし、空気読んだつもりだったんだけど、半分くらいラッキーだったわー。
まさか甥がお世話になってるとか。その節はどうも。今度奢るね」 --
青年
「マジで、やった。太っ腹〜ぁ、気前いいじゃん。儲かってんの?
約束だけしといてドロンとかやめろよ? うわぁん俺もバカちーが居なくなるのは寂しいよぉ、ってな」 --
ラモン
--
ルディ
「なんでラモンが当たり前のように頭数入ってんの? 青少年の健全な育成に一ミリも貢献してない人に奢る酒はないにゃー。
あの最初に居た子、近所の子? 最近のお子さんはしっかりしてんにゃー。
居る居ないとか生死のレベルで説得掛けるとは夢にも思わんかったわ。しかも成功しとるし」 --
ルディ
「普通にお話してるだけだよ。あの子達も自分なりにちゃんと考えられる子達だから。
うん、シークエンスさんのところの。キエルド君とも仲いいみたいだけどルディ知らないの?」 --
ティナ
「うーん。そんなには。あんまり甥っ子と仲良くしたくないんだよ。
っていうかどっちかというと血の気が多いラモンさんに言われたくねえんだけど、居なくなっちゃうかもって」 --
ルディ
「喧嘩売ってくる奴が悪い。オレ、ヘイワ、ダイスキ。チチ、モット、スキ。
つかそれこそおめぇに言われたかねえっつーのマジモ」 --
ラモン
カウンターの下。ルディがラモンの足に軽く蹴りを入れる。
文句ありげな顔で見返すが、ルディの視線が真っ直ぐティナの方を向いてるのに気づき、言うなってことね、と肩を竦めて蹴りを返す。
いや、ていうかなんで蹴り返した? という信じられないバカを見る目でルディがラモンを睨むと、
ラモンは普通に痛かったのでムカついたという顔で睨み返す。
「んじゃ賭けようぜ賭け。そんで勝ったら奢れよ。
どっちが先に野垂れるか。配給のお世話になるか。落ちぶれるか、的な。
俺が真剣に考えた結果、どう考えても君が先に野垂れると思うわ。ルディ君」 --
ラモン
「いやー、そりゃ面白い賭けだわ。野垂れて落ちぶれて配給のお世話になってたら絶対に奢れんとこ除いたらだけど。
俺はラモンと違って血の気少ないから案外長生きするかもよ? 心臓の鼓動が早い生物って早死するらしいし」 --
ルディ
「あ、その賭け、私もノッていい?
言い出しっぺとして」 --
ティナ
挙手をしてから首を傾げるティナに、ラモンとルディは少しだけ面食らう。
諌める立場に居るものとばかり思っていたので、この申し出は意外といえば意外だった。
内心、どちらが長生きしそうに思われているか、などという男子特有の競争心が芽生え、
好奇心がそれを後押しして二人はティナに先を、どちらが勝つ方に賭けるかを促した。
ティナはにこりと笑い。
「ルディも、ラモンも。
二人とも、居なくならない。
私はそれに賭けるね」 --
ティナ
僅かに、再び、面食らうような沈黙。
意味を理解した途端、二人の男は笑い出す。
「フッハ。やられた感満載だ」 --
ラモン
「いやー、これは見事な一本っしょ。やられちゃったにゃー。
何がやられちゃったかって、この対応ってさっき駆けてった子達相手にするのと同レベルの対応っていうのがさ」 --
ルディ
「どこの毛も生えそろってんのにガキ扱いかよ。笑える」 --
ラモン
「はい、じゃあ立派な大人の二人は、私を勝たせるために一生懸命長生きすること。
期待してるからね、ラモンも。ルディも」 --
ティナ
既に勝者は決まっている。
負けを認めるように二人の男は肩を竦めて笑った。
その様子を見て、BARの店主も満足気に笑い、再び忘れていたグラス拭きに戻った。
いつまで経っても変わらないでいてくれることと、少しずつ変わっていくことの境目もまた、大好きな日常の一部として愛しながら。
仲良く悪態を吐き合うルディとラモンを見ながら、最初に店を訪れたお客様達が、もうそろそろ仲直り出来ているか。
ちゃんと、男の子として謝れているのかどうかが、少し気になった。
少しだけ困ったように微笑み、店主はまた笑うのだ。
「……セータ君。ちゃんと謝れてるといいな」 --
ティナ
◆
◇
◆
――.FRAGMENT B
少年が廊下を進んでいく。
最初は迷ったこの道も、二度目であれば足取りも軽い。
廊下を何回曲がればいいか。目印になる調度品はどれか。
ともすれば迷子になってしまいそうな大きな屋敷の中でも、少年は迷いなく進んでいく。
最初にその部屋を訪れたとき、その道を後ろ向きに歩いた甲斐があった。
それだけ、彼はその部屋に行くことを楽しみにしていた。
退屈な社交パーティなんかよりもよっぽど楽しい話し相手がそこに居たから。
最初の出会いは偶然だった。
堅苦しい貴族の舞踏会を抜けだして屋敷の中を探検していたら、偶然に彼女の部屋を見つけただけだ。
人の気配がするのに、電気のついていない部屋に、探検の匂いがしたという子供らしい理由だけが二人を偶然に繋いだ。
廊下の先からは、優雅な舞踏会の音楽が流れてくる。
同じ屋敷の中であるかすら疑わしい程の静寂に、少年の耳が痛む。
暗がりの中、恐る恐る進んでいく。
――その静寂の中に、少女が横たわっていた。
ベッドに横になり、青白い顔で瞳を閉じている。
まさか本当に人が居るとは思わなかった少年は、とても驚いた。
少年が驚き後ずさると衣服をかけていた衣紋掛けがその進行を阻み、仕事を放棄する。
――音がした。
――少女が起きた。
この屋敷で行われる舞踏会は、貴族社会の中では重要な理由を持つ。
そこで飾られる綺羅びやかなドレスや、或いは口から口へと渡る典雅な噂は貴族の名にハクを付けることに大層役に立つし、
ましてこの『エリオルネッド』という凋落の瀬戸際に居る貴族にとっては重要以上の意味を持つ会であった。
何しろ、そのエリオルネッドの屋敷で行われている舞踏会だ。
当然ながら、エリオルネッドに名を連ねる者であれば、参加していなければならない。
当然参加していなければならない場所から抜けだした少年は、
当然参加していなければならない場所に参加せずに眠っていた少女と目が合ってしまう。
少女は驚いたが、喉から出てきたのは悲鳴ではなく咳だった。
それは少年にとっても、色々と面倒なことにならずに済んだ、不幸中の幸いだった。
少女は、身体の弱い少女だった。
当然ながら参加していなければならない舞踏会を参加せずに寝ていることを許可されるほどには。
少年が聞けば、数ヶ月、もしかしたら数年はこの狭く暗い部屋から出ていないのだという。
生まれた時から一度も病気らしい病気をしたことのない少年にとって、その生活は全くの未知のものだった。
少女にとっての少年の普通は、とても面白いものであったし、
少年も自分の中の普通の話をするだけで少女が喜んでくれるために、面白がってたくさんの話をした。
やがて舞踏会の音楽が終わり、少年は自分が戻らなければいけないことに気づいた。
少女は少しだけそれを寂しがったが、年下である彼が我慢しているのだからと、何も言わずに頷いた。
その様子を見て、少年は自分の小指を差し出す。
――いつになるか分からないけど。
――またきっと話をしに来るから。
――それまで、楽しい話を、いっぱいいっぱい集めてくるから。
その根拠の無い約束は、少女の顔を笑顔にした。
少年も笑い、笑顔の二人の小指が結ばれた。
それはもしかしたら少年と少女が、初めてした約束だったかもしれない。
貴族としてのエリオルネッドは宗流と分流に分かれる。
血族が多岐に渡るため、相続の問題を簡略化するために血の濃さを重視して流派として分類をするのだ。
主に宗流はエリオルネッドの屋敷に、そして分流は外様として様々な地に送られる。
少年は分流の家系で、少女は宗流の家系であった。
分流として社交界に数合わせとして参加していた少年の父母がその役目を終えて再び地方に帰ることになった。
最後に、もう一度だけ彼女に会いたいと、無理を言って滞在を数時間だけ延ばしてもらったのだ。
少年は走り、やがて目的の部屋へと辿り着く。
重苦しいドアを両手で力いっぱい押して、中に居る少女を呼んだ。
「――姉貴!」--
少年
返事は――返ってこなかった。
部屋の中へと、足音が進んでいく。
埃っぽい部屋の中、音も立てずに歩いて行く。
「……召集が掛けられて、こっちに戻ってから聞いた話だ。
オレと会った後、姉貴は体調を崩してすぐに病院へと入院したらしいな。
本当は絶対安静だったのに、オレの話に付き合って無理をしたせいで、
たったそれだけで、たった少しの時間を欲しただけなのに、命の危機に晒された。
……当時オレは、バカだったから……そんなことにすら気づけなかった。
せっかく会いに来たのにって。
でも、次会えればいいやって、そう考えてた」 --
青年
やがて少年はその約束を忘れた。
この屋敷で再び彼女に会うまで、覚えていられなかった。
救いだったのは、それを少女の方も忘れていたことだったが、
そんなもの、免罪符にはなっても止血布にはならない。
再びこのエリオルネッドの屋敷に呼び戻されるまで。
もう一度ここで出会うまで、約束はふいになりそうだったのだ。
「……でも、本当にバカなのは、そこからだよな。
それだけ痛い目に遭っていて、オレはその失敗を繰り返してしまった。
約束がともすれば破られてしまうような脆い繋がりしか持たないものだって知っていたのに、
当たり前にそこにあるものがずっと当たり前にそこにあってくれるものだと思った。
自分は絶対に死なない、自分だけは助かるものだって、心の何処かで思ってた。
……実際に、命の危機に何度も遭ってる姉貴が一番側にいたはずなのに、
オレはそんなことにすら気づくことが出来なかったんだ」 --
青年
青年は、黒衣を引きずりながら歩く。
だが、衣擦れの音も足音もしない。
屋敷は夜の静謐に包まれている。
まるで、最初に少年と少女が出会ったときのような静寂が、そこに横たわっている。
居るはずの警備員も来ない。青年がここに居ることを、まだ青年以外の誰も知らないから。
やがて、ベッドまでたどり着くと、青年は狐を模した面を外した。
「そして……だから、安易に縋った。
手に取りやすい希望を、嘘のような奇跡を。偶然に呼び声に応えただけの、何かを。
オレはオレであることを失い、代わりに一時の生を受けた。
そんなものに、何の意味もないと知っていながら、心の何処かで、まだ自分は助かるはずなんて思っていたんだ。
結果が、今のオレの姿だ。
人でも、英霊でも、魔王でもない。
……ただ永劫に、苦しみ、輪廻し、摩耗する心すら持たない、ただの機構だ。
姉貴。
……ごめん。
オレは。……何も、出来なかったよ。何も」 --
青年
ベッドの側に、しゃがむ。
そのベッドには、白磁よりもなお白い顔をした女が横たわっている。
呼吸はない。生命の息吹は感じられない。
それどころか、命が失われてからかなりの月日が経って居ることが見た目だけでも分かる。
エリオルネッドという小さな貴族が施せる防腐や保存の質には限度がある、ただそれだけの残酷な事実が死体の維持を困難にしていた。
彼女が死んだとき、この屋敷の主に青年が頼んだのがこの処理だった。
屋敷の主は、主なりに全力を尽くした結果がそれだ。
感謝こそすれ、何かを言う資格も、権利も自分にはない。
男はベッドの側にしゃがみ、女の前で頭を垂れる。
「全てを、元に戻したかった。
自分の死を、姉貴の死を、この皮肉な運命を、そしてエリオルネッドという場所を。
何もかもを欲して、何もかもに手を伸ばそうとした。
永劫という時間の中にあれば、いつか必ずそういう幸運や偶然が舞い込んでくることを、
オレは、まだ心の何処かで期待していたのかもしれない。
波打ち際で、砂山を作り直すようなことを、何年も、何十年も、何百年も、何千年も考えて。
オレは……どこにも辿り着けなかったよ」 --
青年
「……そう、かな……?」 --
少女
「……っ!」 --
青年
「……あの時だって。今だって。
ちゃんと貴方は来てくれたじゃない……。
少しだけ、遅刻してるけど、ね……?」 --
女性
「姉、貴……。
オレ、は……オレは……ッ!」 --
バッカーノ
「私はね……貴方が側に居てくれる、それだけで良かったのよ。
側に居て、他愛ない話をしてくれるだけで。
なんでもない、当たり前の、何も必要としない日常だけで。
だからこうして……貴方がもう一度ここに来てくれただけで……」 --
女性
「……たくさん遠回りしてきたなら、きっと、楽しい話を、たくさん集めて来れたのでしょう……?
いいえ、楽しくない思い出も、辛い記憶も、その全てが、私にとっては……。
とても大切で、かけがえのない物だから……。
さあ、聞かせて頂戴……? バッカーノ。
時間は、永劫にあるのだから……」 --
セシリー
「……オレ、は……。
姉貴……オレも。
オレも、この、永遠の連鎖から……。
終わりがない終わりという矛盾の螺旋から……。
もう、オレは……っ!」 --
バッカーノ
――セシリーが差し出したその手を。
バッカーノは、その手で、握り返す。
途端。
――その温度が。
死体の、温度が。
冷えきった掌の冷たさが。
一瞬にして。
一瞬にして、現実へと、彼を引き戻す。
セシリーは、変わらない姿で横たわっている。
救いの言葉を掛けてはくれない。
一度失った物は、二度と戻らない。
終わりなき終わりを、終わらせてはくれない。
ただ。物を一つ言わず。
――そこで、横たわっている。
漸く、気づく。自分が、死体の手を取り、幻想を見ていたことを。
いや、幻想より性質が悪い。己の良き様に解釈した、偽りの許しを、自分で得ようとした。
ありもしない言葉を夢想し、描き、それを赦しとして、全てを手放すことを肯定しようとした。
死体の指が、自分の指先から離れる。
死人は生き返らない。失った物は取り戻らない。欲してしまった欲望の代償は、いつまで経っても返っては来ない。
バッカーノは、自分の口の端が持ち上がるのを感じた。
ここまでか、行き着く先として、『正常』に『狂う』ところまで来たか。
自分を赦し、慰めるために正気のまま狂気でいようとしたのだ。
「ハハッ……ハハハッ……アハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!」 --
バッカーノ
本当に狂ってしまったかのような笑声が屋敷の一室に響き渡る。
笑えた、自分の弱さが、無力さが、異質さが。
涙混じりの笑声が、狂ったように肺腑から声となって響き渡り、それは侵入者に気付かなかった屋敷の者達を呼び覚ます。
足音が幾つか連なり、部屋のドアが開くとそこには初老の老人が立っていた。
息を切らせた男が、部屋の中心で笑っている男の姿を見ると、目を剥いて息を吐いた。
「……バッカーノ……っ!」 --
レスリー
「……ああ、レスリーか。
……時間の流れにすら見放された身だと、この黄金歴で誰がいくつかも分からなくなるんだな。
悪ぃな……夜中に煩くして。
本当に、悪ぃ……これで、最期にする」 --
バッカーノ
男はくしゃりと自分の黒髪を掴むと、口の端を持ち上げたまま息を吐いた。
床に落としていた狐面を拾い上げると、それを自分の頭に被る。
奈落の底から絞り出すような声で、かつての兄弟に向けて呟く。
「……姉貴の……セシリーの件、本当に感謝してる。
誰に世話になったって、多分お前に一番世話になったと思う。
お前が居なけりゃ、オレは自分ではなんにも出来ないただのガキだったよ。
ホンユウも多分……お前のそういう所に惚れたんじゃないか……?」 --
バッカーノ
「……バッカーノ。大丈夫か。
……どこか悪いのか、お前……。
セシリー姉さんの保管は……もう、いいのか……?」 --
レスリー
「ああ……いいよ。姉貴は……。
姉貴は連れて行くことにした。
良く考えれば、簡単なことだったな。矛盾の魔王の力を使えば、オレの眷属にすることなんて訳なかったんだ。
もしかしたら魂なんて残ってないかもしれないと思うだろ。
でもな、さっき姉貴はオレに話しかけてくれたんだぜ。
きっとさ、姉貴はずっとオレと一緒に居たかったんだよ。
オレが、一人で必死に守っていた気がしてたけど、その苦しみの中にも、共に歩み出すべきだったんだな」 --
バッカーノ
「バッカーノ……っ! 正気を保て……っ!
セシリー姉さんは、死んだんだ……お前に話しかけてくることなどない……!
お前が狂気の道に走ることを、セシリー姉さんも私も、望んでなどいない!」 --
レスリー
「オレは狂ってなんかいないッ……!!
オレは、正気だ。確かに聞いたんだ。彼女の声を……!
だからオレは、それをオレの正気を以って肯定する……ッ!
それがお前や他の人間の誹りを受けるのであれば、単純にオレとお前たちが相容れない存在ってだけだろうさッ!!
お誂え向きじゃないか……ああやっとこれで、オレも魔王らしくなってきたな……!
悪辣を携え、嘲弄を働き、邪悪を撒き散らす……オレはやっぱり、矛盾の魔王の眷属として生きるべきだった!!
セシリーをお前らから奪い取り、己の眷属としてエリオルネッドの血を汚し、永劫の苦しみの業火の中で生き続けるだろうぜ!!
……だから――」 --
バッカーノ
「だから、オレを……。
……頼むから、憎んでくれ」 --
クローベル
掠れた声が、絞り出された。
慟哭を許されない悪魔が、棘だらけの形でしか心を吐きだせないように。
安易な救いすら許されない男は、最後に助けを求めないという助けを求めて、自分の姉の躯を抱きしめた。
耳元で何かを囁き、その身体に死体が沈み込む。
屋敷の中、レスリーの前で行い、その生まれたての魔王は両手を広げて息を吐いた。
挑発的にその行為を行うクローベルに、レスリーが一歩を踏み出す。
「バッカーノ……私は、お前の事情を全く知らない。
お前が今どんな状態にあり、どんな気持ちで居て、どんなことをすれば助けになれるかが、分からない。
だから、私からお前に言えることは一つだ。
……バッカーノ。
お前の家はここだ」 --
レスリー
――そのレスリーの言葉は。
どんな刃すら傷つけることを能わない魔王の身体に、小さいが深く穴を空ける。
突き刺すような痛みに、クローベルは胸を抑えて口の端で笑った。
レスリーはその姿を正面からまっすぐに見据えたまま言う。
「全てを終えたとき、いや、そうでなくても。
お前が帰ってきたいときに、帰ってくるのを、私は……私達は待っている。
私はもうじき天寿を全うするため長くは待てない。
だが私の子が。孫が。兄弟が。親類が。お前を待ち続けるだろう。
お前のことを、もはや誰も知らなくなるほどの永遠の時が流れようとも。
お前の中に、エリオルネッドの血が流れている限り。
お前が帰ってくるべき場所はここなんだ。バッカーノ。
それはな――」 --
レスリー
「――ああ。悪い。
オレさ。今何故魔王を脅かす存在が、いつも人間の中から生まれてくるかが。
漸く理解できたよ」 --
クローベル
レスリーの言葉を最後まで聞かず、クローベルは自らの影の中に沈み込む。
誰の目から見ても明らかなる逃走であったが、それを止める者は誰もいなかった。
やがて影が己を飲み込み、跡形もなくなるまでレスリーはそれを真っ直ぐ見つめ続けていた。
夜の闇に向けて、小さく呟く。
「……バカ者が」 --
レスリー
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――夜闇の中、闇からなお深い闇が這い出す。
胸を抑え、苦渋の顔で嗤う。
ただあれだけのことで揺らされる自分は、魔王どころか眷属にも未だ成りきれていない。
どこまで行っても泥濘のように付きまとってくる自分の無力さに、顔を抑えて嗤う。
――と、その笑声にまたもや人が寄ったのか、物陰から何者かが剣を携えて現れる。
「――聖杯、参加者だな」 --
『サーヴァント』
――どこまで。不幸続きなのか。
ここまで来たら、本当に嗤うしかない。
あるいは、幸運が続いているからこそ今まで連続して来れたのだろうか。
どちらにしろ、運命というものの存在が証明出来たとき、同時にそれの破壊方法も判明することを祈るしかない。
クローベルという男は聖杯戦争の『サーヴァント』として顕現している。
聖杯戦争が起こる度に、自動的に誰かの召喚に応じて『サーヴァント』化するように、彼の魂は出来ていた。
矛盾の魔王が仕組んだであろうそのシステムを使い、彼は彼のもう一つの罪の形を『殺し続ける』という罰を背負っている。
それが、聖杯戦争に参加した、彼の欲が招いた、最悪の一つだ。
「……ああ、そうだよ。
そういうお前は、『ライダー』だろうな」 --
クローベル
「ケヒヒッ……ただの木偶じゃなさそうだな。
少しは楽しませてくれることを祈るぞ」 --
『サーヴァント』
「それは、保証出来ない……だが、お前のことは誰よりも知ってるさ。
過去でも、未来でも、何十、何百、何千、何万、何億、何兆回と。
ありとあらゆる場所、時代、世界――時には別の世界ですら。
――お前を殺すためだけに、こんな茶番に付き合ってるんだからな。
……なあ。『ライダー』」 --
クローベル
「戯言は――」 --
『ライダー』
「――地獄まで持っていけぇッッッ!!!」 --
セルマ
「――これが……28450110547回目の、地獄だがな」 --
クローベル
◆
◇
◆
「おや……。
初めてのお客様かな。
それとも、もう何度かいらしている方だったかな。
すまないね、他人の顔を、意識的に覚えるのが、とても苦手なんだ。
もし初めてであるのならばようこそ、と。
そして、何度かいらしているのであれば、毎度どうも、と挨拶をさせていただくことにしよう」 --
『支配人』
「申し訳ないが、自己紹介をさせていただくわけにはいかないんだ。
何しろ私には名前がない。
生まれてから一度もこの場所から外に出たこともないから、必要としたこともないんだ。
だから、私を呼びつけるときは「支配人」と、立場で以って呼びかけて欲しい。
その立場こそが私の全てであり、私自身も、そう読んで貰えることは少しだけ嬉しくもあるんだ」 --
『支配人』
「キミが初めてのお客様であろうが、お得意様であろうが、入館者には説明をすることが規則になっている。
もしこの場所に何度も訪れて、もううんざりだと思っていても、少しばかり我慢をしてくれると嬉しい。
万が一、初めてのお客様だった時に、後で聞いていなかったと言われてしまえば、私の責任問題になってしまう。
それほど多くもないし、難しくもない、分かりきった注意事項を説明するだけだ。
キミがここで『本』を読みたいと思っているのなら、その助けになる『説明』が1つ。
そして必ず守って貰いたい『規則』が2つだけあるんだ」 --
『支配人』
「『説明』から始めよう。
或いは、この場所に自分で辿り着いたというのであれば、この場所がどんな場所か知っていて、
この場所で本を読むということがどういうことか既に知っているかもしれない。
でも、たまにこの場所に、何も知らずに迷い込む人も居るんだ。
そういう人のために、この場所がどういう場所であるかを最初に説明しておきたいのさ。
この場所は、簡単に言えば『図書館』だ。
固有名詞として、『有限図書館』と呼ぶ人も居るね。
持って回った言い方だけれど、普通の図書館と何が違うのかを簡単に言えば、ここにある本には『何も書かれていない』んだ。
……ほら。
表紙も。
背表紙も。
裏表紙も。
――もちろん、中身もだ。
全てが白紙。子供の自由帳にするには、どの本もとても厚いと思うけどね」 --
『支配人』
「だけれど安心して欲しい。
どの本も、ちゃんと読めるように出来ている。
高名な作家に貴方の著作の中でどの本が一番面白いかと問うたとき、次に執筆する一冊と答えたらしいが、
そんなトンチの利いた回答でもなんでもなく、この本はちゃんと読む意思に応じて文字を浮かび上がらせてくれるのさ。
今こうやって私が棚から取ったのに、まだ全て白紙なのは、私が何も読もうとしていないからだ。
この図書館に存在する全ての本は、貴方が読みたいという想いに応じてくれる。
ただ、どんな物語を読みたいのかをそれほど正確には読み取ってくれないのが困りものだけどね。
だから、この図書館の本が白紙であったり落丁していたりしたときは、一大事と私に知らせてくれなくても大丈夫だよ。
一度本を閉じ、開いてみたら案外直っていたりするようなものだからね」 --
『支配人』
「では、次に規則を2つお伝えしよう。
まず、1つ目。
これは規則というより、注意だ。
この図書館に存在する全ての本は、『世界の破片』を記憶している。
それは記憶の破片であったり、記録の残骸であったり、
或いは残骸同士が繋ぎ合い、形を持ったものだったりもする。
それによって浮かび上がってくることは、時にしっかりとした完成の形を持って浮かび上がってくることもある。
でも、それを全て鵜呑みにして信じてしまわないようにしてほしい。
この本達は、私から見ても非常に優秀な書物であるのだけれど、時々嘘を吐くんだ。
もしかしたらそれは、本自身も嘘だと気づいていないような嘘であったり、もっと言えば間違いであったりする。
私なんかはそれもチャーミングな部分であると思うのだけど、どうしてもそれをお客様に強要することは出来ない。
だから、これは規則というよりは、注意に留まる事項になる。
――本に書かれた全ての『破片』は、きっと貴方を楽しませると思う。
――でも、その全てが真実であるとは限らないし、時には全てが嘘である可能性もある。
それを、注意して読んでもらいたい」
「2つ目。
この図書館にある全ての本は、外に持ち出さないでほしい。
この図書館は、私一人でやっているので、全ての本を管理出来ているわけではない。
万が一、ここの本を気に入り、一冊外に持ちだされたところで、私は分からないんだ。
だからこれは規則というよりは、今度はお願いかもしれないね。
どうか、この図書館にある本を持ち出さないでほしい。
ただ、本自体の持ち出しを禁止しているだけで、ここで得たもの、ここで感じたことは勿論ここを出ても覚えているし、
ここで読んだ話を誰にもするな、なんて意地悪なことは言わないし、言えないよ。
守秘義務のようなものを課す訳ではないから、安心して読んでほしい。
……以上がこの図書館での規則になる。
これさえ守ってくれれば、飲食をしようが、誰かと読もうが、一向に構わない。
他のお客様の御迷惑になる場合は、少しだけ静かにしてもらうことをお願いするかもしれないけど、
それは図書館の中のみでの規則というわけではないからね」 --
『支配人』
「以上が、この図書館について、私が教えられる全てだよ。
後は、キミが本を開くかどうか、或いは読みたいと思うかどうかという話になる。
この図書館で、キミが面白いと思う本に出会えることを、支配人として祈っているよ。
もしかしたら、ここの本は、キミにとってとても懐かしいものであったり、
一笑を齎すバカバカしいものであったり、
心揺さぶるものであったり、
心残りを晴らすようなものだったり、
胸を打つ苦しいものであったり、
いつか見た安らぎを覚えるものであったりするかもしれない。
もしそうであれば私は。
ここの支配人としてとても嬉しく思うよ」 --
『支配人』
「ああ。
そうだ……もし良ければ。
この図書館の、本当の名前を覚えて帰って欲しい。
有限図書館という名前が、噂として有名になってしまったから、
誰もこの図書館の本当の名前を覚えてくれなくてね。
この図書館の本当の名前はね。
『破片の集まる場所』という意味の――」 --
『支配人』
Last-modified: 2016-04-09 Sat 00:17:32 JST (2938d)