#navi(../)
* マドウショ家出身 シトリ 512927 [#x63e1a0a]
|ID:|512927|
|名前:|シトリ|
|出身家:|マドウショ|
|年齢:|30|
|性別:|#listbox3(女,server,sex)|
|前職:|#listbox3(上級兵士,server,job)|
|理由:|#listbox3(一攫千金を狙って,server,reason)|
|状態:|#listbox3(冒険中,server,state)|
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|方針:|#listbox3(護衛を優先,server,type)|
|難易度:|#listbox3(実力相応,server,diff)|
|信頼性:|#listbox3(気にする,server,conf)|
|その他:|&areaedit(){[[ステータス>ステ:512927]]/[[戦歴>戦歴:512927]]/[[名簿>名簿/512927]]};|
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// ※ ご注意「//////////」より上は変更可能個所以外はそのままにして下さい。
// タイトルの「家出身」の記述も含まれます。


*《倭文祭文註抄集成》という書物について [#ve3bf31f]
**読み [#j1474a3a]
「しとりさいもんちゅうしょうしゅうせい」と読む。倭文氏の用いた祭文の注釈を集めたものという意味。

**内容 [#abdc89f4]
古代氏族の一つである倭文氏が祭祀において用いた祭文、さらにその注釈などを集めた書物。~
織物に関わる職業集団である倭文部を統率していた倭文氏が用いていたとされる祝詞、祭文、祭式儀註、さらに倭文氏の古伝承などが載せられている。~
倭文氏が倭文部と共に全国に広がって行った際に、祖神である倭文神を祭った倭文神社を創建することが多く、そこで用いられていた祝詞祭文を集め、さらに註を施したのが本書である。~
西暦900年後ごろの成立したと後世の平田派の国学者、平川洋堅の『本朝星神考』に書かれているが、肝心の本書本文には成立年代などは書かれておらず、詳細は不明である。~
著者は常陸国に住んでいた倭文朝惟(生没年不明)と巻末に署名がある。~
編纂された目的としては、失われつつある自らの氏族の伝承の保存のため、さらにこの時代で既に内容の意味が分からなくなっていた倭文氏の祝詞の意味を解明するためであると序文に記されている。~
異端の書物として、発表当時はほとんど顧みられなかったようである。~
~
正確な成立年代など不明な点などが多い倭文祭文註抄集成だが、いわゆる奇書として江戸期において一時的に注目を浴びる。~
その理由としては、本書に記された祭文や祝詞、古代伝承の特異さがあげられる。~
『古事記』や『日本書紀』、『風土記』に記されていない伝承が数多く載せられており、特徴的なのは、日本書紀において倭文神が誅したとされる悪神「天津甕星」についての記述があることである。~
この星神については日本書紀でも本書、一書ともに数行ほどしか記述がなく、謎の神とされてきた。倭文神の末裔である倭文氏ゆえに、この悪神についての伝承を数多くもっていたのではないかというのが有力な説である。~
倭文氏の祝詞や祭文の内容を見てみると、『古事記』などに載せられた神話とはかけ離れた伝承、神道観が倭文氏に伝わっていたことがわかる。天孫降臨の時点で、天津神国津神と、そのどちらにも属さない蕃神とも呼べる神々が存在したと本書は伝える。~
さらに天津甕星の子孫が東国に天下ったとする「天孫降臨」の伝承も記されているが、この伝承は本書以外には見られないものである。~
いわゆる神代文字についても記されており、この神代文字は本書にしかみられないため、「倭文文字」と現在では呼ばれている。これは後世での偽作であるという説が強い。~
ほかにも『阿波国風土記』や『常陸国風土記』などからの引用がなされており、他の書物には見えない風土記逸文のため、風土記研究の資料としても使われることがある。~
倭文氏に伝わる鎮魂法などの秘術、天津甕星から倭文神が奪い取ったとされる神宝などについても詳細な記述があり、これも本書にしかないものである。~
この内容の特異性により一時的に注目は浴びたものの、その突飛な内容により信憑性は低いとされ、「偽書」とされた。ただし、古代の星神信仰についての資料としては用いることが出来る可能性もある。~
幕府の『倭文祭文註抄集成』に対する発禁処分も受けて、『倭文祭文註抄集成』、「倭文神道」の研究は進むことはなかったとされる。~
~
現在でも基本的に「偽書」とされ史料的価値、神道文献としての価値は認められていない。~
奇書としてオカルト系の雑誌で扱われることはあるも、顧みられることは少ない書物と言える。~
本書については、かつて國學院雑誌に投稿された河野省二の論文「『倭文祭文註抄集成』における天津甕星考」に詳細な研究がある。~
河野氏はこの論文において、本書の内容と平安前期に天台宗の僧である円載が唐より持ち帰ったとされる経典、「妙法蟲聲經」の内容の類似を指摘しているが、その後の研究はない。~
上述した平川洋堅も、『本朝星神考』にて『文祭文註抄集成』にはなにか元になった異国の書物があるのではないかと指摘した。本書に記される神々が日本的な神とはかけ離れているためであるという。~
本書についての研究は少なく、依然謎の書物と言える。~
オカルト系の雑誌の一部で中東の魔術書との関係が取りざたされたが、学術的な研究資料として扱えるような説ではない。~
**成立と受容 [#e581fe69]

-900年前後
-950年前後
--倭文朝惟によって編纂される。(平川洋堅『本朝星神考』における成立年)&br;編纂目的は氏族の失われていく伝承の保存などとされたが、真実は不明。
-1000年前後
--一部の貴族や神官のなかで話題になるも、あまりに突飛な発想故に、この時期から次第に忘れ去られていくようになる。
--各地に存在する倭文神社を中心として行われていた「倭文神道」においてのみ用いられていたようだが。それも次第に廃れていった。
-1006年
--「客星」が世界中の様々な場所で発見される。倭文氏の記録にもこれは記されている。
-鎌倉・室町時代
--中世神道説の隆盛とともに一部の集団において『倭文祭文註抄集成』が注目を浴びる。後期倭文神道が発生する。&br;歴史の表舞台に立つことはなかったが、地下で脈々と生き続けることとなる。
--周縁部の祈祷師や呪術師の間で、祈祷書として『倭文祭文註抄集成』が使われ始める。仏教や道教との習合も見られる。&br;しかし応仁の乱の影響を受けて衰微していき、表向きには「倭文神道」はこの時期に消滅したとされる。
-江戸中期
--国学の隆盛とともに「倭文神道」もその研究の対象とされるが、『倭文祭文註抄集成』は幕府により発禁処分を受ける。&br;「倭文神道」の研究も禁止とされ、倭文神道の研究は下火になっていく。
--現代にちゃんと伝わっている研究書は平川洋堅の『本朝星神考』のみであり、他の研究書などは断片的な記述にとどまる。
-幕末
--幕府が保管していた『倭文祭文註抄集成』を英国国教会の牧師が盗み出そうとする事件が発生。&br;外国人による本書の盗難未遂事件は戦後まもなくまで続く。
-明治・大正時代
--国家による神道の教学の見直しなどが進められていく中で、「倭文神道」の研究も再開されるも、一部を除いてその後の研究の成果は残されていない。
--『倭文祭文註抄集成』の原本を政府が所有しているとの噂が流れ、日本の一部オカルティスと達が強奪計画を挙行、官庁舎に侵入し、逮捕される。
--第一次世界大戦中、『倭文祭文註抄集成』の写本の一部が盗み出され、国外に流出する。犯人はわかっていないが、外国のスパイの可能性が高いようだ。&br;この事件について公表はされていない。
-戦前・戦中
--日中戦争、太平洋戦争が勃発。日本の戦艦が、謎の海賊集団に狙われる事件が頻発する。&br;また、ある秘密作戦が行われ、『倭文祭文註抄集成』に記された太平洋のとある海底神殿に日本海軍が到達したとされる。
--この時期より、全世界のオカルティスト達が、『ネクロノミコン』、『アル・アジフ』などとともに、『倭文祭文註抄集成』ついて言及するようになる。&br;曰く、『アル・アジフ』が日本語に翻訳されたものだということだが、妄言だと思われる。
--日本の茨城県北部の寒村で、『倭文祭文註抄集成』写本を用いた儀式が行われ、村人のほとんどが消滅する。生き残った村人も正気を失っており、何が起こったかは不明。&br;同時に、この時期に超新星が発生し、昼でもその星が確認された。
-戦後
--戦後、GHQは占領を行うと同時に、日本の古文献をひそかに集め、日本政府が保管していた『倭文祭文註抄集成』原本を奪うことに成功する。&br;しかし、それを本国に搬送しようとしていたさいに、『倭文祭文註抄集成』を積んだ車ごと、こつ然と消えてしまう。以後、この原本の所在は不明となる。
--戦後しばらく経ってから『倭文祭文註抄集成』や「倭文神道」の研究が再び行われるようになり、『倭文祭文註抄集成』も『神道大系』に所収され、誰でも読めるようになる。&br;しかし、この『倭文祭文註抄集成』は重要な部分を検閲されたものであるとの説も、とある学者は語っている。
--オカルト雑誌やオカルティストの間で、『倭文祭文註抄集成』は異形の日本神話や神々を伝えていると話題になり、記事として取り上げられるようになる。&br;がしかし大きな盛り上がりは見せず、取り上げた雑誌も次々と廃刊し、現在ではこの書物を顧みる者は少ない。
--しかし、オカルティストの間では今なお熱心に取り上げられる書物であり、世界各地にその写本とされるものが散らばっているという。&br;魔導書としてそれら写本が用いられているとの報告もある。
**諸本 [#l36be89c]
倭文朝惟直筆の原本は現存していない。~
現存している写本は下記のものがある。~
-真福寺本(ほぼ完全な状態に近いとされる)
-大甕神社本(祝詞、祭文の箇所に欠落、誤写あり)
-静神社本(儀式についての記述のみ現存)
-神祇伯白川家本(ほかの写本とは古伝承の部分が大幅に異なっている。第一次世界大戦中に盗難に遭い、その後の行方は不明)
-倭文神社本(完全な状態の写本だったが、昭和30年に盗難に遭い、その後の行方は不明)
**参考文献 [#n434fa44]

-倭文朝惟『倭文祭文註抄集成』(『神道大系  古典註釈編9』所収)
-河野省二「『倭文祭文註抄集成』における天津甕星考」 『國學院雑誌』24巻11号
-平川洋堅『本朝星神考』
-本居永華『星と機織』
-石川国広「茨城県北部に於ける星迎え行事について」 『郷土研究』4巻1号


**その実態 [#e79df4be]
上記の記述や研究などは表向きのものであり、『倭文祭文註抄集成』の真の姿を伝えていない。~
その実態は、彼のネクロノミコンの原本であるアル・アジフ、その日本語訳と言えるものである。~
日本の古伝承などとも合わさり大きく姿を変えてはいるものの、アル・アジフに記される世界の闇や邪神、旧支配者たちについて記されている。~
この書物は日本に元々存在していた「旧神」たる天津神・国津神と、「蕃神」たる天津甕星らとの対立や戦いについて記されている。~
さらに古来より伝わる秘術や神事、神宝などについても記されている。この書物自体が一種の魔力めいたものを帯びているといえる。~
倭文氏は「蕃神」天津甕星を倒した「倭文神」の子孫であり、倭文氏はその邪神や眷属たちと戦う氏族であった。本書は、その邪悪な神々と戦うために記されたものである。~
どのようにして倭文朝惟が『アル・アジフ』を知り、それを本書として翻訳したかの経緯は不明だが、中国語版アル・アジフである『妙法蟲聲經』の影響の可能性が大きい。