*プロローグ1 [#m601b4f2]
-''貿易封鎖・国境警備の強化''
--周辺各国へ打電された一文:「我が国は当方で産出される全ての資源の輸出の一切を停止し、また輸入に関しても制限・関税を付加するものとする」
--国軍の司令官への通達は、口頭で行われた。曰く「国境線での戦闘に備え、準備を怠るな」と。~
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-''国境線付近の結界が弱体化、同時に煽動されたゲリラや内応者への対応のため国軍主力が行軍開始''~
--「東方、西方、南方各前線城砦において、所属不明の兵が破壊工作を行っているようです」~
「また、それに呼応して和平交渉にあたっていた複数の少数民族が当方の使者を殺害した旨」~
「風雲急を告げるとはこのことを言うのであろうな」瑣末事と切り捨てて女王は笑った。軍議に列なったものは彼女の言動をいぶかしんだが、皆胸のうちに秘めた。~
この期に及んでもなお、群臣たちは女王の下に骨抜きにされているのだろう。無論、全員が全員女王の言動の意図を汲めていないわけではないのだが。~
忠臣たるジョージ翁は鷹揚に笑い、近衛隊筆頭のナナリィ・ハチェットは軍刀の鞘をカツンと鳴らして同意を示した。ディムホルゲルツ辺境伯は無表情に顎髭を撫でたが、その姿は出来過ぎなほどに沈着である。~
追従した数人がそれぞれの反応を返した。背もたれに寄りかかった女王は、彼らを睥睨して一拍おいてから、また口を開く。~
「必要最低限の兵をここに残し、残りの全兵力を各前線に投入。侵略行為に対しては徹底的に竹箆返しをくれてやるがよい、ただし殺しすぎるなよ」~
事実上の宣戦布告である。この数百年にわたって中立の立場を努めて維持してきた為政者が、事ここに至って何を血迷ったのだろうか?~
「女王陛下……恐れながら申し上げますが、相手は総勢においてもその数は僅少。我がウィプヘラ国軍の全部隊を以て討つというのは、いかにも」~
「ゆめ忘れるなかれ。これは勅命である、異心あるものは席を立ちこの幕を後にせよ。そのまま出奔したとて、特例じゃ。咎め立てはせぬ故」~
最早、国の一大事どころの話ではない。唯一無二の船先案内人である女王は意義のある専横を放棄し、意義のない独裁へと舵を切った。ウィプヘラという国の舳先を滅亡へと差し向けたのだ。~
少なくとも、軍幕の席を後にし、沈み行く国から去ろうとしている多くの臣下たちにはそう見えている。そして、女王は彼らを引き止めることもない。完全な決裂であった。~
「さて、前線指揮を執るべき者さえも去ってしまうとはの。これもまた愉快、人心の不可思議と言う奴か」~
「近衛隊を総動員し、前線の維持に努めます。大公閣下、辺境伯殿も信に足る精鋭を派遣願えますか」~
「……なるほど、それがよろしかろう、元より国難においては国体を維持するが我等が役目……分相応の仕事であろう」もっとも、国体たる女王の振る舞いまでは抑えきれまいが、と大公は小さく呟いた。~
女王はその愚痴に気づかぬ振りをして、辺境伯の意見を続けて促した。うむ、という唸るような声と咳払いの後、彼は同意の言葉を吐く。~
「是非がありましょうや。私はなすべき事をなすだけであり、それは私の下で鍛えられた兵もまた同様。すぐにそのよう差配いたします」~
残った幾ばくかの将や貴族たちも首肯した。カリスマに魅入られたのか、それとも元より狂気を秘めて生きてきたのか。いずれにせよ、そこに残った面々の顔に迷いはない。~
「されば、女王陛下。戦支度を……」大公がしわがれ声で女王を促した。まるで死出の旅路の共行きのように、重々しく。~
「ああ……王門内に兵馬の轡を並べ、兵站編成を確認せよ。軍部には行軍の手筈を整えさせ、……言わずもがな、念には念を押せ。各地の砦にも報せをくれてやれ、戦が始まると」~
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「この狂乱が徒花なのではない。わらわが、わらわと共にあったものたちが築き上げたこの国こそが徒花に過ぎぬのよ」笑った。高く高く笑ったというのに、それを聞く者も、その真意を知る者も、その場にはいなかった。