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* ジムエイア家出身 バータ・ロル 483613 [#o49b467e]
|ID:|483613|
|名前:|バータ・ロル|
|出身家:|ジムエイア|
|年齢:|30|
|性別:|#listbox3(男,server,sex)|
|前職:|#listbox3(鉱夫,server,job)|
|理由:|#listbox3(悪い奴を倒すため,server,reason)|
|状態:|#listbox3(冒険中,server,state)|
//////////
|方針:|#listbox3(討伐を優先,server,type)|
|難易度:|#listbox3(実力相応,server,diff)|
|信頼性:|#listbox3(気にする,server,conf)|
|その他:|&areaedit(){[[ステータス>ステ:483613]]/[[戦歴>戦歴:483613]]/[[名簿>名簿/483613]]};|
#region()
 戦いを純然に楽しむため、子をなす能力さえ捨て去る<朱染め族>の生き方を、多くの人は理解できないと呆れることだろう。&br;
私自身、彼らの向こう見ずな生き方にはついていけないところがある。&br;
彼らは恐れ知らずだが、同じくらい命知らずで、私が知るだけでも多くの優れた戦士たちが、戦いの中で命を落とした。&br;
彼らは、死を恐れないのだ。むしろ、戦いで死ぬことは誉れであり、彼らの崇める精霊の序列に加わることのできる、厳粛な儀式だと言う者さえいる。&br;
我が友、<隈取のカブギ>こそその最たる例で、彼もまた、最期まで戦い、散ったという。&br;
なんと惜しい戦士を亡くしたのか! その生き方は、あまりにも刹那的で、不思議と雄々しい。&br;
 しかし、文明をあざける蛮人たちや、異種族や異郷の文化を敵と断じる"文明的な"者どもに比べれば、はるかによいものだと私は考える。&br;
生まれた時から、知識の神アイウーンのような深い智慧を持つ赤子がどこにいる?&br;
飛ぶことも知らない雛鳥が、宿命と冬の女神レイヴンクイーンのように、これから起きること全てを言い当てられるとでも?&br;
生き物は誰しも無知が当たり前で、だからこそ、われわれは互いを知らねばならないというのに。&br;
もう一度言おう。&br;
真に愚かしく、邪悪なのは、自らが知らないことを敵と断じ、未知への恐怖を受け入れず、否定することだ。&br;
たとえ生きるための手段であれ、私はそれを正しいと認めない。&br;
 ゆえに私は、冒険者たちに敬意を払おう。&br;
彼らは未知への恐怖を受け入れ、乗り越え、未開の地、誰もが恐れる暗闇へと勇敢に突き進む戦士なのだから!&br;
 もちろん、全てがそうでないことは理解している。&br;
金のため、名誉のため、ともすれば悪しき目的のため冒険に挑む者どもがいることを否定はしない。&br;
わが仇敵を追うだけではなく、そうした者たちに正しい姿を見せることもまた、私が冒険者となった理由の一つなのだ。&br;
#endregion


#pcomment(冒険中/483613,1,below,reply,nodate)

#region()
-''第一部 ―出奔―''
--''' ''「ごちそうの時間」'' '''
---~''' 野蛮とはけして、邪悪を指す言葉ではない。&br;&br;  部族の野蛮さを疎んじた私が口にしても、説得力などないのは確かだろう、それでも私は言いたい。&br; なぜならば、私が信仰する雷神コードもまた、文明の神エラティスや太陽神ペイロアの信徒から見れば、十分に野蛮なことを教えているからだ。&br;'''
---~''' 未知は恐怖だ。見ず知らずの土地を好んで歩きたがる人などまずいないし、&br; 慣れ親しんだ故郷であれ、路地裏や不気味な尖塔を横切る時、誰もが盗人や暴漢を警戒し、&br; あるいは暗がりに潜む魔物を退けようと祈りの言葉を口にする―――自らがそうした闇の住人でない限り。&br;'''
---~''' だが問題は、その恐怖を認めようとしないことだ。&br; 迷信深いドワーフたちは、優れた鍛冶技術で素晴らしい魔法の武具を生み出すことが出来るのに、魔術師を信用しない。&br; 美を愛するエルフたちは、人間たちが編み出した機能的な建築様式を、下劣といってはばからない。&br;'''
---~'''そうして仲間はずれにした"よくわからないもの"を、狭量な者たちは敵と断じてしまう。&br; 私からすれば、その行為こそが愚かなのだ。&br; たしかに、共通の敵が生まれれば、生き物は強く団結する。&br;しかし、そのために、他の文化を否定することの愚かさたるや!&br;'''
---~''' 未知は恐怖だ。同時に、そこには恐ろしいものと同じくらい、素晴らしい何かが眠っているはずだ。&br;路地裏に潜む盗人たちでさえ、使いようによっては役立つ情報を与えてくれる。&br;怪物がうろつく洞窟の奥には、きっと輝かしい財宝が蓄えられているに違いない。&br;'''
---~''' ……少なくとも、私はそう信じている。&br;目の前の暗闇を抜けた先には、きっと輝かしい未来が、それに繋がる何かがあるのだと。&br;信じて進む。己の信念に従い生きるとは、そういうことだ。&br;                  ―バータ・ロル&br;'''
---~──────────────────────
---~ 地平線に光が差す。&br;夜明けの狩りにいそしんでいたダイア・ライオンや、葉をなくした寒木の影が、乾いた荒野の地面に伸びていく。&br;太陽神ペイロアの信徒たちは、その光景を「我らの父の微笑み」と呼ぶ。……夜明けがやってきたのだ。&br;
---~光を嫌う野生動物たち―――ことに、地中を掘り進んで狩りを行う"陸鮫<ブレイ>"たちのようなものども―――が、朝日を避けるように姿を消す。&br;彼らのような闇に慣れた生物にとって、恵みであるはずの太陽は、皮膚と目を灼くおぞましき悪夢のような存在に他ならない。&br;もっとも、光の下に暮らす生物とて、太陽をわざわざ有り難がるものは少ない。だがそれでも、一種の神々しさに打たれてか、多くの野獣たちが彼方を見つめていた。
---~ だがそうした鋭敏な感覚を持つ獣達は、それゆえに新たな来訪者の気配を察知し、その匂いを嗅ぐや否や、逃げるように散っていく。&br;清潔な夜明けの荒野に、新たな影が現れた。野獣たちの鼻孔を刺激したのは、隠しようもないほどの血と泥の匂いであり、そうした悪臭を放つものは地上にそう多くない。&br;ましてや、わざわざ朝陽の前に現れるものといえば、今やってきた緑肌の蛮族、オークの呪術師くらいなものだろう。
---~ 野獣の牙や人間の骨、もしくは口にするだにおぞましい生物の角といった、これまで狩ってきた獲物の"かけら"を紐に通し、首飾りとしている。&br;身に纏うローブは、貧民街にたむろする乞食の装いのようにボロボロで、当然のように洗濯されていないそれから堪えようもない悪臭が放たれている。&br;そして右手に樫の杖を携えたオークの呪い師は、その先端にあしらわれたバジリスクの頭骨を、昇りゆく太陽に向けた。
---~「Glob Jurzum」&br;皺だらけの口、ひび割れた牙の間から、しゅう、という吐息とともにオーク語の祈祷が漏れ出す。"愚かなる光よ"と、すなわち光の神ペイロアを愚弄しているのだ。&br;オークにとって善き神々は敵である。むろんその中で最大の怨敵といえばエルフらの神・コアロンラレシアンだが、それ以外が無関係ということは決してない。
---~「trok'uk zu'utah Magru'g Glob Jurzum!」&br;"愚かなる光に暗き死を与えよ!"と祈っているのだ。諸手を掲げて呪詛を唱える呪い師の全身を、揶揄するように朝陽が包み込む。&br;「Gruumush!」 だが、呪い師の日課であり、<脳みそ砕き(Break brain)族>にとって朝を知らせる祈祷は終わることなく、彼らの神の大いなる名を告げさせた。
---~"グルームシュ! 我らの父、独眼の鬼神グルームシュよ!"&br; 猛々しい呪い師の声が、何度となく彼らの父、猛々しきオークの戦神、混沌にして悪の魔神に呼びかけ、やがてそれは雄叫びとなる。&br;その吼え声が、オークにとって一般的な朝のしるしだ。ほどなくして、荒野に点在する洞穴から、のそり、のそりと蛮族たちが現れ、呪い師の背後に集う。
---~「グルームシュ!」&br;振り返った呪い師が大手を振り、偉大なる隻眼の父の名を叫べば、集まったオークたちもそれに倣う。男のオークはそれぞれの得物を掲げ、殆どの女も同様の仕草をとった。&br; オーク達の間で"Klut"と云われるこの集まりには、"まともな"オークならば誰もがこぞって参加する。&br;例外は、その日の炊事を担当することになっている女オークか、"まともでない"オークくらいなものだ。&br;
---~そして洞穴の奥、オーク達の居住地として利用されている部屋の一つに、その"まともでない"オークが一体、静かに座していた。&br; オークの寿命はおおよそ40年であるとされている。そこにいた蛮族の背丈は180cmをゆうに超え、体つきは岩のように強靭である。&br;だがそれでも、齢15のそのオークは<脳みそ砕き族>の中では若輩者として扱われていて、殺しの一つもしたことがないため、臆病者としても誹られていた。
---その男には、オークとして"まともな"、だいたい「殺す」とか「壊す」とか、そんな意味のオーク語が、名前として与えられていた。オークの言葉には、そうした野蛮な単語がいくつもある。&br;しかし男は、その名前を自らのものだと認めていなかった。それを口に出せば棍棒(クラブ)で叩かれ、好き放題に殴り蹴られるので、心の内に留めていたが。&br;男は自らに「バータ」という名をつけていた。バータ・ロル。これといった意味は無いが、自らで考え、自らで名付けた、正しき名であった。
---~ バータは瞑目し、外から聞こえる忌まわしき雄叫びの群れに耳を傾けていた。そのどれもが、神々への憎悪に酔いしれ、恍惚としている。&br;オークは蛮族である。呪い師の大仰な教えがどこまで正しいのかは定かではないが、それによればオークはグルームシュの血から生まれたのだという。&br;"我らの父の血から生まれたのだから、我らが戦いを愛するのは当然なのだ"。そうした理屈に同族は誰もが納得したが、バータは違った。
---~ バータの考えはこうである。すなわち、オークは殺すために殺し、戦うために戦う、その為に自らをねじ曲げたのだと。ある程度はグルームシュの意図も介在しているだろう。&br;神の実在までを疑いはしなかった。部族に関する重大な取り決めの際や、大規模な戦闘で呪い師が見せる力には、たしかに自然世界より高次元に住まう何かの影響が感じられたし、&br;自分がこうした"まともでない"考えを持つにいたった所以、原始精霊達の存在があればこそ、超常のものを疑う理由などどこにもないのだ。
---~ 彼の前に、はじめて精霊たちが姿を現したのはいつのことだろうか。初めての戦いで、倒れ伏した人間の頭に斧を振り下ろすことを、ためらった時だろうか。&br;あるいはそれが同族に露見し、血気盛んな同族たちによって凄惨なリンチを受けたときだったかもしれない。&br;もしかすると、今こうして繰り広げられている"Klut"に疑問を覚え、「なぜグルームシュは偉大なのか」と問い、呪い師の謎めいた力によって打ち据えられた時か、その全てだろう。
---~ 精霊たちはみな、豹や熊、蛇や蜘蛛など、自然世界の様々な生き物を模した姿をしている。いや、正しく言えば、自然世界の生き物たちが、精霊を模しているのだ。&br;彼ら"源獣"は、世界の普くに存在している。彼らが守るものは自然の摂理、すなわち生死の輪廻だ。死は生を呼び、生きるものはやがて死ぬ。&br;バータは朦朧とした意識の中で―――偶然にも、それはシャーマンやバーバリアンがはじめて精霊を幻視する状況と酷似している―――、彼らからその知識を学び取った。
---~そして、知ったのだ。同族らの崇めるグルームシュの持つ恐ろしいまでの暴力と、そうしたことで荒らされる多くの自然たちの存在を。&br;"源獣"の声なき、しかし深く静かな意図によれば、バータが生まれた頃よりそうした野蛮に染まってこなかったのは、まったくもって稀なことなのだという。&br;はたしてそれが、何がしかの善き神の采配なのか、あるいは過去生の行いがもたらしたことなのか、それは精霊にも、バータ自身にもわからない。
---~ いずれにしても重要なのは、バータは知り、学んだということだ。自然の仕組み、正しき力の振るい方、なすべきことを。それから、バータはあらゆる暴力に決然と向かい合った。&br;そうして今も、"まともな"同族たちの、彼にとっては"まともでない"呪詛の集いにも、身を委ねることなく静謐に包まれている。&br;それは暴力と恍惚に対する挑戦であり、同時に、己の裡に然(しか)と湧き上がる、似たような欲求と戦うためであった。
---~ (私の中にも、野蛮な本能が渦巻いている。混沌と暴力に身を委ねよと、忌まわしき声が響いている……)&br;その声は、神がもたらす啓示などではない。オークという、ねじ曲がった種族である以上、バータもまた当然のように持ち得る本能そのものだ。&br;バータはひたすらにその蛮性に抗う。洞穴を飛び出し、石斧を振り回して、野獣のように<独眼の鬼神>の名を叫びたい気持ちを、必死で抑えていたのである。
---~「Ru'eeg'a jat!」ふと、絶叫と咆哮の中に、朗々とした荒々しい声が響いた。それまでの興奮が嘘のように、オーク達の騒ぎが静まり返る。&br;それは<脳みそ砕き族>の長、バグロングの声であった。それまで聞こえていた様々な鬨の声のどれよりも荒々しく、誰よりも暴力を秘めた声が、"黙れ"と命じたのだ。&br;「聞け。今宵、ついに待ちに待った時間がやってくる。お前らの、ペコペコに空かした腹が、ようやっと満たされるのだ」
---~「Krenbluk'a cha!」&br;それを聴いた誰かが待ちきれずに叫んだ。オークの言葉で、"素晴らしいエール酒"を意味する言葉であり、おおよそ"ごちそう"と同じ意味を持つ。&br;バグロングは、その声に満足気に頷き、逸り声が一同に染み渡るまでたっぷりと間を置いた。族長は、そうしたカリスマの保ち方を心得ていた。
---~ そして静かになったオーク達も、生来の短気によって痺れを切らし、だんだんと飢えた獣のような唸り声が響き始めると、バグロングはようやく言葉を続ける。&br;「そうだ、"ごちそうの時間(Krenbluk'a cha Rag)"だ。今宵、<血染めの月>が輝くころ、脆い骨どもの村を襲う!」&br;血染めの月とは、グルームシュの妻である<血染めの月の魔女>ルシックのことであり、"脆い骨(Brittle bone)"とは、オークの言い回しで人間たちを指す。&br;つまり、今夜、満月が登った頃、かねてより目をつけていた人間の村を、部族総出で襲おうと言っているのである。
---~ (なんたる野蛮! 他の部族との小競り合いや、ゴブリン相手の狩りでは満足できなくなったか……)&br;さすがのバータも、これには目を見開き驚いた。すでにルシックやグルームシュの名が出ているとおり、この襲撃には宗教的にも大きな意味がある。&br;というのも、オークにおいて、成人とみなされるのは15の歳を数えた頃であり、"ごちそうの時間"は、バータやその同年代の蛮族どもを試すために用意されたものらしい。
---~ これまで、バータは一度も"狩り"に加わることはなかった。一度加わりはしたが、人間の頭蓋を砕くことを躊躇し、体中に痛々しい傷を受けることとなった。&br;それからこうして、集いに参加せずとも、半ば存在を無視されるような形で生きながらえてきた。&br;本来ならば、とうに同族たちの怒りと憎しみの矛先となり、弱い者いじめのようにして殴り殺されているのが関の山だ。オークとは、そういう種族なのだ。
---~しかし今もバータが生きているのには、バグロングの意図がある。いかに短気で野蛮なオークとて、若い命をみだりに潰せば種が立ちいかないことは理解している。&br;ならばさっさと殺してしまうより、こうして無様に生き延びさせ、戦いに慣れきっていない若者どもの、体のいいストレスの捌け口に利用するのが、"賢いアイデア"だと考えたのだ。&br;事実、族長のたくらみは正しく働き、部族の中でむやみな殺し合いが起こることは減り、若者どもはバータを殺さない程度に痛めつけることで、暴力を学んでいた。
--- それでも頑なに暴力を拒むバータの態度は、オークの野蛮な"さが"に従ったものどもにとって、さらなる憎悪を煽り、そしてみじめな虫けらのように、あざけりをもたらす。&br;バータは諦めなかった。たとえ食事を動物の"くそ"の中に捨てられても、自分だけで荒野の獣を狩り、生きながらえてみせたのだ。&br;逆境の日々は、かえってバータの意志と力を強めるばかりだった。……しかし、そんな危うい日々も、おそらくあすには終わりを告げるだろう。
---~ オークどもは短気だ。もういい加減、しぶとく生き続けるバータを殺したくてたまらないものは、部族の中に何体もいる。&br;そして、成人の儀である"ごちそうの時間"が終われば、若者どもに暴力を学ばせるため生かされていた、自分の利用価値もなくなってしまう。&br;生き残る道は、2つ。部族から逃げ出し、あてもなく荒野をさまようか、自分も"ごちそうの時間"に参加し、暴力に身を委ねるか、そのどちらかだった。
---~ (私は諦めはしない。部族のやることに背を向けて逃げはしないし、野蛮な行いに身をやつすこともないだろう)&br;再び目を閉じ、身体のうちから響く暴力への誘惑に対し、バータはきっぱりと言い切った。むしろ、"ごちそうの時間"をどうにか止めるつもりでさえいる。&br;だが、相手は自分よりはるかに屈強なオークの戦闘集団だ。その数はゆうに100を超え、到底若者一人がかなう規模ではない。
---「"ごちそうの時間"で一番多くの脆い骨どもを殺した者には、戦士の儀に挑む栄誉を与えてやる! 殺せ、奪え、喰らえ! 人間どもの血で荒野を染め上げてやれ!」&br;バグロングの轟きにあおられ、再び怒号と絶叫が荒野に響き渡る。そのおぞましさに、バータは眉根を顰めた。&br;戦士の儀。グルームシュ信仰の中でもっとも名誉ある行いで、もっとも理解しがたい蛮行である。
---~ 時の曙、兄弟であるコアロン・ラレシアンとすさまじい戦いを繰り広げたグルームシュは、一瞬のすきを突かれて片目を抉られ、隻眼となったという。&br;グルームシュを崇めるオークの部族のなかで、もっとも強靭な戦士は、"グルームシュの目"と呼ばれる称号を得るため、戦士の儀に挑むことができる。&br;自らの右目を抉り、一切痛みに怯まず"われこそは失われしグルームシュの左眼なり"と高らかに叫ぶことで、儀式は成功する。出来なければ、待っているのは臆病者の汚名だ。
---~ 自らの手で片目を抉るという、このおぞましい行いは、それをみごとくぐり抜けた戦士に、揺るがぬ自信を与え、周囲に言いようもない畏敬をもたらす。&br;隻眼という弱みを補ってあまりあるほどの"グルームシュの目"の強さは、しばしばオークをよく知るものにとって恐怖の対象となり、同族にとっては羨望の的だった。&br;ほかならぬバグロングが古株の"グルームシュの目"であり、それに並ぶということは、新たな族長になるのも夢ではないということだ! これには、多くの若者が色めきだった。
---~ むろん、バグロングもただで族長の座を渡すつもりはない。だが、こうして挑戦の機会を与え、挑んできたものを返り討ちにすることで、名声はさらに高まる。&br;力あるオークは、ほぼ必ず、そうして傲慢さを備えていた。自分が負け、死ぬことなど夢ほどにも思っていない。それが強さであり、オークという種の弱さでもある。&br;(愚かなものだ。なぜもっと手を取り合い、弱さを認め、互いに補い合おうとしないのか) バータは心のなかでため息をつき、頭を振った。
---~ 同時に、この迷信深い野蛮な行いこそ、自分が利用できる唯一の手がかりでないか、バータはそう考えていた。&br;それはオークどもの行いと同じくらいに危険で、愚かな行いにも思える。だがここで行動しなければ、自分は死に、おそらく罪もない人間たちもまた、死ぬことになる。&br;遠雷のように響く雄叫びのなか、心を鎮め、策を練りはじめたバータの耳に、近づいてくる足音が聞こえた。
---~はたして何者か? 外では、"ごちそうの時間"を待ちきれない同族たちが、獣でさえ裸足で逃げ出すであろう、恐ろしい唸り声に包まれているというのに。&br;左目を開いたバータに映ったのは、黒髪をまげのように括り、ニヤニヤと自信ありげな笑みを浮かべるオークの若者の姿だった。&br;「よう、臆病者」そいつは、バータが自分を認めるまで時間を置いてから、口を開いた。「悪巧みでもしてんのか? 一枚噛ませてもらいたいな、ヘハハ!」
---~「ザルグ」そいつの軽口に乗らず、バータは静かに、重々しく相手の名を呼んだ。同年代の若者のなかで、もっとも戦いに慣れた強者である。&br;威嚇をふくめたバータの態度にも、ザルグはひるまない。むしろ、その反応が面白いとばかりに肩を揺らして笑うくらいだが、他のオークのように、拳や蹴りで立場を教えはしなかった。&br;しかし、それが慈悲によるものでないことをバータは知っている。ザルグは、弱いものいじめが好きではないのだ―――張りあいがないから。
---~「そう剣呑な顔をするなよ、Nubb'h'k」 他の種族にとって、オークの言葉は、腹の虫が鳴ったようにしか聞こえない独特の響きを持つ。肝心の意味は"はみ出し者"だ。&br;「明日の朝陽も拝めないことが決まったわけだ、悪あがきの一つや二つするだろうと思ってよ」ザルグの口元に、さらに笑みが広がる「みんな、お前を殺したくてうずうずしてやがる」&br;バータは取り合わなかった。相手が自分を怖れさせ、その反応を楽しもうとしていることはわかっているし、むざむざ殺されるつもりもなかったからだ。
---~その様子に、ザルグはますます満足げに、げらげらと笑い声をあげた。この男にとっては、人間の村を襲い、殺戮を楽しむことなど、そう騒ぐような事態ではない。&br;もし殺した人間の数を競ったなら、この男に勝る者はいないだろう。野蛮を嫌うバータでさえ、そう思わせるに足るだけの実力がザルグにはあった。&br;そして冷静に部族を観察するバータのみが知ることだが、ザルグは実力に甘えたりしない。油断せず、さらに高みを目指し、歯ごたえのある戦いを求める。
---~なにより恐ろしいのは、ザルグは他の同族らほど、グルームシュを信仰していないということだ。だからといって、精霊達に心を許してもいない。&br;「てめえの眼を取り出すなんざ、小心者の俺にゃできねえがよ。バグロングの野郎と戦ったら、どんだけ強ぇか、気にならねえか? なあ」&br;"グルームシュの眼"の栄誉など、ザルグにとって大した価値はない。バグロングとの戦いを望むのも、族長の立場が目的ではなく、決闘をしたいだけなのだ。
---~はたして、この男が恐れるものなど、この世界に、いや、その外の宇宙にさえあるのだろうか? バータをして、そう考えずにはいられないほどだ。&br;不思議なことに、ザルグはそんなバータを気に入っているらしく、暴力を振るうこともなく、こうして物騒なひとりごとを聞かせたり、あるいは脅して反応を楽しむ。&br;同じようにオークの"さが"から遠退きながらも、バータとザルグはあらゆる意味で対照的で、だからこそ相容れないことを、おそらくは双方が理解していた。
---~ザルグの他愛もないひとりごとに、バータは反応しない。相手も相槌を求めてぶつぶつと呟いているわけではないのだ。ただ、知らしめてやればいい。&br;「だがよ、はみ出し者」ふと、ザルグはいまいましいほど親しみを込めた声で言った「俺が一番楽しみなのは、お前が何をケル(しでかす)かだぜ、へへへ!」&br;一方的な会話はそれきりだった。やがて外から響く雄叫びの波もおさまり、ザルグは別れを告げることもなく、洞穴から姿を消す。その背中を、バータは一瞥さえしなかった。
--''' ''「無謀な行い」'' '''
---~''' 極寒の荒野でヘラジカを追う蛮人たちは、肉を食い、毛皮を剥ぎ、骨で武器を作る。&br; 彼らは加工した肉や、骨から削りだした工芸品を街で売れば、どれほどの食料と防寒具が手に入るかを知らず、&br; そうした文明的な営みを、軟弱だと切り捨てるのだ。精霊たちの教えを忘れた、愚かなやつらだと。&br;'''
---~'''はたして、肉が手に入らず、飢えと寒さの中で死んでいった部族の者たちは、&br; 本当にそう考えていたのだろうか? 精霊の思し召しならば、仕方のないことだと?&br;彼らはきっとこう思っていたはずだ。「なぜ私たちは、こんなひもじい思いをしなければならないのだろう。どうしたって、寒さに凍えなければいけないのだろう」と。'''
---~''' 私はかつて、<朱染め族>と呼ばれる、はぐれ者のオーク達の部族に身を寄せていたことがある。&br; 彼らが他の蛮族ともっとも異なる部分は、文明との折り合いのつけ方だ。&br;  <朱染め族>は争いを愛していたが、凶暴な怪物や、善なる民を脅かす邪悪な存在以外には、&br; 向こうから仕掛けてこない限り決して手を出さなかった。&br;'''
---~'''それは彼らが誇りを重んじ、文明人たちを、"脆弱だが、それゆえにわれわれが出来ないことをやってのける者たち"として認めていたからだ。&br; 違う生き方をする相手に闇雲に戦いを挑むなど、戦士の誇りが許さない。&br; 彼らは野蛮だが、愚かでも邪悪でもなかった。そんな彼らの姿勢に、私は敬意を払う。&br;'''
---~'''そのとき、私は学んだのだ。野蛮であること自体が間違いなのではなく、その力とありようをどう作るか、その思いこそが大事なのだと。&br;<朱染め族>達のすべてを肯定するわけではない。彼らのやり方は文明的ではないし、けっきょくは乱暴者の理屈だ。&br;しかし少なくとも、彼らは古いしきたりに縛られることもなかったし、そのせいで誰かを餓えさせ、寒さの中で死なせることもなかった。'''
---~'''彼らは敵以外の誰も、野蛮な暴力の犠牲にはしなかったのだ。&br;ただ、自分たちを除いては。&br;                  ―バータ・ロル'''
---~──────────────────────
---~<牙折れ荒野(スナップタスク・ムーア)>に夜の安息は存在しない。たとえ太陽の日差しが西へ消え、夜の帳が降りたとしても、闇を好む獣たちが荒野にひしめく。&br;影そのものが形を持ったシャドウ・ハウンドや、恐るべき素顔を持つクレンシャーなどが、その好例だ。&br;獰猛な野獣でさえ、牙が折れてしまいそうなほどに荒れ果てた大地。ただ屈強なだけではそこで生き残ることも出来ず、こうした狡猾な怪物たちの餌と成り果てる。
---~獣だけでなく、荒野に住まう蛮族にとってもそれは同じだ。ふつうならば、夜の闇が訪れたとき、飢えたワイヴァーンでさえ洞穴にこもり、息をひそめる。&br;この日は違った。空に煌々と輝く満月の光を浴びるように、多数のオークたちが荒地に集い、各々が愛用する粗悪な武器の手入れをしていた。&br;そこら中に篝火をしつらえ、あちこちで唸り声をあげながら斧や棍棒を打ち鳴らすさまは、悪魔(デヴィル)達の根城、燃え盛る九層地獄のような恐ろしさがあった。
---そうした、迫る戦いに高揚するオークらの中心に、ひときわ大きな身体を持つ男がいた。身長は2mを超え、まるでオーガーのように、全身に力が漲っている。&br;腕を組み、仁王立ちするその男オークの左肩には、生々しいタイガーの毛皮が、頭部ごとかけられている。たった一人で縊り殺し、生革を剥いだ自慢の獲物だ。&br;何より特徴的なのは、ぽっかりと穴の空いた、眼球のない右眼窩だった。それこそ、族長バグロングの誇り、"グルームシュの目"の証である。
---~さらに全身には、まるで昨日つけたばかりに思えるような、いくつもの傷跡があった。それらもまた、バグロングの強さを見せつけるための"かざり"だ。&br; そんな、見るからにすさまじい強さを持つバグロングを、ある者はおそれ敬い、ある者は"いつかお前を倒してやる"と、挑戦的に見る。&br;彼をなめてかかるような身の程知らずは<脳みそ砕き族>にはいなかったし、そうした者は全て叩き潰すのが、バグロングのやり方だった。
---~ふと、バグロングは、広い背中に巻きつけた両手持ちの戦斧を手に取り、石突の部分をこれでもかとばかりに、強く地面にたたきつけた。&br;まるで地震が起きたようなものすごい音がして、それまで"身づくろい"をしていたオーク達も、驚いた顔をして族長を見つめる。&br;自分に視線が集まったのをしっかりと確かめた後、バグロングは斧を頭上の満月向かって掲げ、これもまたビリビリと痺れるような、野蛮な雄叫びをあげる。
---~「聞け!!」聴かないことなど許さない、とばかりの、断定的な命令口調が轟いた。わざわざそれに抗おうとする者など、今この場にはいない。唸り声すらもぴたりと収まった。&br;「今宵、我らの母は啓示をくだすった! <血染めの月の魔女>と、我らの父が、脆い骨どもの血を求めておられる!!」&br;迷信がかった族長の言葉を裏付けるように、傍らにはべっていた呪い師が、バジリスクの骨をあしらえた杖を掲げる。その眼窩から、とめどない血が流れ出しているのだ。
---~「グルームシュ!」 感極まったように、オーク達が神の名を叫ぶ。そのまま大騒ぎになりそうなところを、バグロングの猛々しい咆哮がさえぎった。&br;「そうだ! そして俺たちは、その啓示に従う! 今宵、脆い骨どもの村を襲い、一人残らず奴らを殺し、その肉を喰らうのだ! "ごちそうの時間"だ!!」&br;今度こそ、バグロングは部族のものどもが騒ぎ出すのを、止めはしなかった。あちこちで鬨の声があがり、空に向かって斧や棍棒が掲げられる。
---~ 今夜は、<脳みそ砕き族>のオークが待ちに待った"ごちそうの時間(クレンブルグァ)"だ。ごちそうとは、これから殺す脆い骨―――つまり、人間たちの血や肉である。&br;もちろん、人間がため込んでいる、家畜や酒などもごちそうだ。<脳みそ砕き族>は、全てを奪い、殺すつもりでいる。我らの神がそう命じ、自分たちもそれが楽しいから。&br;オーク達は殺りくを躊躇しない。ためらうような理由も、考えさえも浮かばない。それが、オークという種族では当たり前のことだった。
---~ねらいは、荒野の外側を沿うようにして流れる、<抜き足川(バイウェイ・リバー)>のほとりにある、人間たちの村だ。&br;川を隔てた先の、もっと大陸の中心部へ行ったところにあるような、巨大な街ほどではないが、何百人もの人間が住みつき、ぬくぬくと暮らしている。&br;<脳みそ砕き族>のオークの数は、その半分前後といったところだが、バグロングは恐れていなかった。この<牙折れ荒野>で、彼らより強い部族は存在しない。
---~それに、この行軍は人間たちが知る由もない。本格的に移動を始めたのは日暮れを過ぎてからで、こうしてすぐ近くまでやってくるまで物音ひとつ立てなかったのだから。&br;(もっとも、脆い骨ごときがいくら徒党を組んだところで、俺様も、こいつらも負けはせんがな)と、バグロングは心のなかでつぶやいた。&br;今武器を振り上げて吠え猛るオークらも、おそらくは同じ考えだろう。そして彼らはその高揚感のまま、村へ向けて移動を再開する。
---~だがこの時、オーク達の中に―――そんなものがいるわけもないが―――冷静にあたりを見渡せる者がいれば、気づいただろう。&br;臆病者と豪傑、対極的に目立つ二体のオークが、その殺りくの期待に浮かれる、昂揚の坩堝の中に存在しなかったことを。&br;族長であるバグロングでさえも、それには気づかなかった。気づいたところで、慌てるはずもなかったが。
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---~ 日暮れに入ってからというもの、バータは人間達の村を目指し走り続けていた。オークの一般的な乗騎である猪(ボア)は、戦に備えて駆り出されているため使えない。&br;いかに屈強で恐れを知らないオークでも、15マイル(約25km)以上の距離を走り続けては、体力が限界に近づきつつある。&br;足は時折もつれ、呼吸が乱れてスタミナを無駄に消費してしまう。諦めそうになる度、瞼の裏にこれから起きるであろう殺りくと略奪の光景がよぎり、バータの体に活力を与えた。
---~ "ごちそうの時間"を未然に防ぐことは出来ない。バータ一人で数百の部族を相手取ることなど、たとえ神の加護があったとしても間違い無く不可能だ。&br;ならば、まずは人間たちにオークの企みを教え、備えさせることから始めねばならなかった。同じ蛮族である自分が信用されないであろうことは、バータ自身もひしひし感じている。&br;もし自分の言が信用されなかったとしても、オークが一人現れたとあれば、斥候の類だと考え、結局は警戒を強めてくれるだろう。その場合、彼が無事でいられる保証はない。
---~ だが、仮に族長に従い、部族の者らと略奪を働いたとして、それが自分の身を保証することに繋がるだろうか?&br;そうはならない。血気盛んなオークの集合体では、些細な諍いや、退屈から同族の間で喧嘩が起き、それが大規模な殺し合いに繋がることなど日常茶飯事だ。&br;オークの社会において、殺されずにいるにはただひたすら強くなり、自分を殺そうとする者を先に殺すしかないのだ。
---~まるで、血を吐きながら走り続けるようなものだ、とバータは考える。そうして、他者に放出した憎悪は、いつか巡り巡って自分に帰ってくるのだろう。&br;そんな生き方をよしとする男ではなかった。自分の信念に従い、結果として周囲に敵を作り、その刃に果てるならば、まだしもマシだろう、しかしオーク達はそうではない。&br;殺すために殺し、憎むために憎み続けた結果、惨たらしく死ぬことになるのだ。自分自身さえ救うことが出来ない生を、はたして意味あるものと呼ぶことが出来るのだろうか?
---~ただ命が惜しいのではなく、己の信念、誰にも揺らがせることの出来ない、揺らがせてはならない部分を貫きたいだけなのだ。バータは、内なる野蛮な声にそう応える。&br;だから、自らの信念に従い、人間たちに警告をしようとした結果に殺されるならば、それが自分の末期なのだと、彼は受け入れるつもりでいた。&br;もっともそれではダメだ、とも思っていた。自分には、オークどもの正しい戦力や、どのように戦うべきか、それを人間たちに伝え、教えなければならない義務があるのだから。
---~ 一般的に野蛮で低能とされるオーク達だが、<脳みそ砕き族>がこの荒野で最強とされる所以は、バグロングが構築する戦術にこそある。&br;屈強な腕っ節にふさわしい知能を備えたバグロングは、"うすのろのブタ鼻ども"とあざける連中を、ことごとく返り討ちにしてきた。&br;人間たちがオークの襲来を知ったとしても、ただ見張りの数を増やしたりするだけでは間違いなく蹂躙されるだろう。戦術が、必要とされていた。
--- バータの知る限り、標的とされている共同体に、<脳みそ砕き族>と戦えるほどの有能な指導者はいないはずだ。&br;そんな人間がいたのなら、バグロングは耳ざとくそれを聞きつけ、とっくに村を潰していたに違いない。そういう男だ。&br;ならば自分が知識を与えてやればいい。幸い、バグロングのやり方は、冷静に部族を観察する日々の中で心得ていたし、どうすればオークの心を挫けるかにも考えがあった。
---~そのためには、自分も相応の犠牲を覚悟しなければならない。命とまでは云わずとも、一生傷を残すことになる大きなものを。&br;怖くはなかった。むしろ、今自分にのしかかる疲労と渇きに屈し、ここで倒れてしまうことのほうが、バータにとっては恐ろしかった。&br;崩れ落ちかけた膝を伸ばす。張り詰めた筋肉に力を込め、悲鳴を上げる両足をしゃかしゃか動かし、荒野の大地を力強く蹴り続け、なおもバータは走る。
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---~ <鍬鳴らし(ホーサウンド)>村にとって、その日はこれといった変化のないごく普通の一日だった。&br;作物を荒らしまわるネズミや、厄介なウルフも全く現れず、むしろいつもより平和だったと言っていいくらいだろう。&br;強いて言うなら、一昨日の雨で川の勢いがわずかに激しくなり、漁師の一人が転んで頭を打ちかけたくらいだろうか。
---~ 鍬鳴らし村には500人に届くかどうかの住人が暮らしている。そのほとんどが農業を営み、わずかな男手が川で魚を捕り生活していた。&br;住人は九割がヒューマンだが、この村の開拓から存在するドワーフの家が五つ、旅人だったものが住人として居ついたハーフリングの家が二つ存在している。&br;どの家も何年も前から村で暮らしているため、種族間の対立だとか、家ごとの諍いだとか、そんな物騒な問題に悩まされることはない。
---~夕暮れを過ぎた頃の、大人たちの懸念といえば、家々の子供たちが門限を守るかどうか、そしてその日の食事の献立をどうするか、だ。&br;誰も彼もが、今まさに自分たちの村を標的として、オークどもの進軍が始まっていることなど、想像さえしていない。&br;ただ一人、村に唯一ある酒場、<芋ころの煮転がし>亭に逗留していた、旅人だけが例外だった。
---~「どうしたんだい、旅人さん? いやに険しい顔しちゃってさ、ウチの芋煮にバランの毛でも入ってたかい?」&br;からからと明るい笑い声を交えて、カウンターの向こう側で木皿を洗っていた女性が声をかけた。&br;クセのある赤毛をひっつめ髪にしてまとめ、大きく見開かれた茶色の瞳を隠しもせず輝かせている。&br;20を超えていると思しいが、そばかすの残る顔立ちとその表情は、まるで年頃の村娘のように溌剌としていて、素朴な印象を与える。
---~ 彼女こそがこの、<芋ころの煮転がし亭>の主であり、ギヨット家の末娘、グレーテル・ギヨットだった。&br;末娘、といってもギヨット家は単なる農民の一族―――何代か前には、冒険者を夢見て村を出た者もいるそうだ―――であり、その片手間にこの酒場を営んでいるに過ぎない。&br;主人に名を呼ばれたと勘違いしたのか、後ろの棚で丸まっている猫が耳を立てる。バランという名のこの猫が身動ぎするのは、名前を呼ばれた時か食事をする時くらいなものだ。
---~ 一方で、彼女に声をかけられた旅人は、言葉通り、険しい面持ちでうつむいている。しかしそれは、手元にある芋煮が気に入らないわけではなく、思案に耽っているだけのことであり&br;声をかけられると、我を取り戻したように落ち着いた表情となり、グレーテルを見上げて申し訳なさそうに頭を振った。&br;「いえ、違います。むしろとんでもない! アヴァンドラにかけて、この<芋煮亭>の芋煮は、とても美味しいですよ」
---~ 男の丁寧な言葉づかいと、思慮を感じさせる声には、聞くだけで相手を引き込む不思議な響きがある。それは彼ら、ハーフエルフが持つ生来の能力といえよう。&br;ハーフエルフは肩甲骨まである長髪を背に預け、整った外見に幾分不似合いとも言える、野性的な顎髭を生やし、煤けた外套の下にはプレート・アーマーを装備している。&br;なにより目を引くのは首にかけられた聖印だ。路傍の石のように思える琥珀色のそれには、緑色の波打つ三条の横線が刻み込まれている。&br;そのシンボルこそ、彼が今しがた口にしたアヴァンドラ、旅路と運命の変転を司る女神の加護の証なのだ。
---~ 男は、名をアンダーソン・アンダーテイカーといった。冒険者に詳しい者―――ことに邪悪な者―――ならば、"焼き鏝の"アンディの名を聞くと震え上がることだろう!&br;プレート・アーマーのような重装鎧を身に帯びて旅をこなす屈強な肉体と、いかなる時も礼節を忘れない善の心は、紛れもなく彼がアヴァンドラ神のパラディンであることを示している。&br;気にしなくていい、と手を振って彼の謝罪を認めたグレーテルに対し、アンダーソンは感謝の祈りを短く捧げ、芋煮を手早く平らげた。
---~「それで」アンディが食後の祈りを終え、一服ついたところを見計らって、グレーテルが話の続きを切り出す。&br;「旅人さん、どうしてあんなに険しい顔をしてたんだい?」&br;アンディは口を開きかけ、逡巡するように頭を振ってから、思慮の沈黙を挟み、改めて口を開いた。&br;「凶兆を感じたのです。この村に、おそらく今夜遅く、かなり大きな凶事が降り注ぐだろうと思いましてな」
---~グレーテルも、対面のパラディンの顔が真摯なものであることに気づき、眉間に皺を寄せる。アヴァンドラの信徒が云うことだ、相当の規模だろう。&br;「だったら村長に知らせなきゃいけないね」&br;「しかし、思いすごしやもしれません。徒に不安を煽ったとあっては、この村の方々の心の平穏をかき乱して終わってしまうでしょう……」
---~ 逗留している間にもわかっていたことだが、このアンダーソンという男は、思慮深くはあるものの些か慎重に過ぎる、とグレーテルは改めて印象を覚えた。&br;もしも凶兆が正しいのだとすれば、これは宿屋の与太話で終わる話ではない。気のせいだったとしても、村じゅうに伝える必要があるだろう。&br;もっとも自分が一人で飛び出そうとすれば、彼はそれを留めるはずだ。保身からではなく、村人たちの精神的な安寧を思いやってのことで。
---~平時ならばその思いやりもありがたいところだが、今は状況が状況だ。所詮、この村は平凡な農村でしかない。&br;防備を固めるか、あるいは村を捨てて逃げ出す選択肢も必要になるだろう。運命を司るアヴァンドラが「凶事」とまで示すのは、そういうことである。&br;どう、このパラディンを説得したものかと思索しつつ、店を出ようと、グレーテルがエプロンを外した矢先、俄に外が騒がしくなり始めた。