• (――時節は、日差しが燦々と降り注ぐ夏。例年よりは過ごし易いとはいえ、高く上った太陽が照らす街並みは、その熱に浮かされて揺らめいているようにすら見える)
    • (日の光を受けて熱を溜め込んだコンクリートの上を歩く人々は、誰もがうんざりとした表情を浮かべている。
      アイスを売っている屋台に群がる子供たちと、その中にいる自分の子供を引きはがそうとする親のデッドヒートは、見ていて微笑ましいのか暑苦しいのかよくわからないものだった)
      • (――さて、そんな通りを行く人の姿の中。一際強く目を引く姿がある。
        その人影は、コンクリートの上に足をつけることなく、ふらふらと浮きながら通りを進んでいた)
      • 「あー、うー…なんでこんなに暑いんだろここー…」 -- エイド
      • (水色の、清々しい色彩のワンピースに身を包んだ少女が、額の汗をぬぐいながら声を上げる。
        容赦のない日差しに向けた怨嗟の言葉は、けれど空へ昇ることはなく、硬い地面の上に転がっていった)
      • 「うう、どこか休めるところないかなぁ…このままだと干からびちゃう…」 -- エイド
      • (日陰を探しながら通りを行く少女には、特に目を引くものがあった。
        それは、一本の角だ。少女の額の左上、長く伸びた鋭い角が、少女の頭の動きに合わせて左右に振られていた)
      • (脇を通りすがる人々の幾人かは、彼女のその長い角に目を留めて、不思議そうな表情を浮かべる。だがそういうことには慣れているのか、少女のほうは特に反応することはなかった。
        心持ち前に身を倒しながら、少女はさらに前へ前へと通りを行く)
      • 「…あー…も、ダメ…もー動けないー…!」 -- エイド
      • (角を曲がって路地に入ったところで、少女に限界が来た。ふらり、と身が傾き、前へと倒れ込んでいく。
        もともと地に足を付けずに浮かんでいた体だ、支えるものもなく、少女の体はそのまま路地の地面の上へ――)
      • 「――む?」 -- ???
      • (――倒れ込みそうになったところで、頭や角が何かにぶつかった。床や壁ではない、柔らかく温もりのあるもの。
        それを確認しようとするが、顔を上げる気力すら搾りだせない。目蓋は重く、頭は意識を閉じるよう強く急かしていた)
      • 「おい、どうしたんじゃ娘っこ? 顔が赤い――」 -- ???
      • (その声が、頭の中に届いたかどうか。妙に懐かしさを覚える匂いに包まれ、少女はそのままぷっつりと、意識をつないでいた細い糸を断ち切った――)
  •   
  • (――次に少女が目覚めたとき、その視界に飛び込んできたのは、天井だった)
    • 「…あれ…?」 -- エイド
      • (天井を見つめたまま、首を傾げる。記憶をたどってはみるが、通りを歩いていたことくらいしか思い出せなかった。
        痛む頭を押さえようとして、そこで初めて、自分が布団の上で寝かされていることに気がついた)
      • 「えーと…どこだろう、ここ?」 -- エイド
      • (体を起こして、部屋の中を見渡す。西日が沈み始めているのか、窓から入ってくる光は紅く、美しい色彩だった。
        その窓際に並べられている小さな鉢植えの他には、特に目立つものもない、殺風景な部屋だった。もちろん、少女の記憶にはない場所だ)
      • (とりあえず、布団から出て立ち上がろうとする。だが、足元がどうにも覚束ない。
        転びそうになってわたわたしているところに、足音が聞こえてきた。
        部屋の入り口らしき扉が開かれ、その向こうから顔をのぞかせたのは、一人の老人だ)
      • 「おお、目が覚めたか嬢ちゃん。出会いがしらにいきなり倒れられて、驚いたぞい…」 -- ???
      • (苦笑を浮かべ、布団のすぐ側に老人が座りこむ。手に持っていたお盆を置く彼の姿を、少女はじぃっと見つめた)
      • (白髪と白髭を湛え、丸い眼鏡を掛けたその老人の顔に、やはり見覚えはない。
        お盆の上に乗っていたコップや薬の箱らしきものを下ろしていく彼に向かって、少女は躊躇いがちに声を放った)
      • 「あ、あのー…おじいさん、誰…?」 -- エイド
      • 「ん、ワシのことか? ワシはガァネフ…見ての通りの、ただの爺さんじゃよ」 -- ???
      • (少女の問い掛けに、老人は顎鬚を優しく撫でながら、微笑を返す。深い皺が刻まれたその表情には、見る者の心を落ち着かせる、温かみのようなものが満ちていた)
      • (その笑顔を見ているうちに、張り詰めていたものが徐々に解れていくのを感じる。だがそれと同時に、足元から力が抜けた。
        気づいたときにはすでに遅く、布団の上に盛大に尻もちを突く羽目になってしまう少女だった。)
      • 「あイタッ…!」 -- エイド
      • 「ほれ、まだ本調子ではなかろうに…休んでおれ、薬もしっかり飲むんじゃぞ?」 -- ガァネフ
      • (からからと笑いながら、老人が水と錠剤を差し出してくるのを受け取り、一気に喉に流し込む。
        咽かけたのをどうにか押さえ、深呼吸を繰り返す。その間にも、老人はゆっくりと言葉を告げていた)
      • 「ほほ、一気に飲むとまた咽るぞ嬢ちゃん。ワシが近道をしてたところでよかったのう…。
        あのままだと、手遅れになっておったかもしれん…お嬢ちゃんの日ごろの行ないが良かったせいかの?」 -- ガァネフ
      • 「んく…そ、そんなことないです…多分。た、助けてくれて、ありがとうございました…!」 -- エイド
      • (勢いよく頭を下げようとして、それを思いとどめた。自分の額から伸びている角が当たってしまってはいけない。
        そんな少女の考えを見透かしたかのように、老人の笑顔が深くなった)
      • 「時にお嬢ちゃん、名前はなんと言う?」 -- ガァネフ
      • 「え? あ…わ、私は、エイドって言います…。ごめんなさい、名乗るのが遅れちゃって…」 -- エイド
      • 「ほほ、気にするでない、エイド。うむ…いい名前じゃな…」 -- ガァネフ
      • 「い、いえ…そんなことは…あ、あう…」 -- エイド
      • (視線を手元に落とす。いつの間にか絡めていた指を、意味もなく擦り合わせていると、少しだけ気分が紛れる気がした)
      • (……人と向かい合うのは、すごく苦手だ。人間は、自分達と違うものを酷く気にする種族だから。
        きっと、目の前のこの老人も、次には私のことを問いかけてくるんだろう。この、明らかに普通のものとは思えないはずの、長い角のこととか――)
      • 「――のう、エイド嬢ちゃん」 -- ガァネフ
      • 「ひゃっ、ひゃい!?」 -- エイド
      • (思わず、裏返った声で返事をしてしまう。肩をこわばらせる少女を、絶やさない笑顔で見つめたまま、老人は言葉の先を続けていった)
      • 「とりあえず、今日はこのままここでのんびりしていかんか? もうじき日も沈む、娘っ子一人では夜道は怖かろう?」 -- ガァネフ
      • 「え、ええ…? で、でも、それは流石に…ご迷惑なんじゃあ…」 -- エイド
      • 「なぁに、気にすることでもない。もともと、ここにはワシ一人じゃしのう…ワシも今夜は少し野暮用があるでな、留守番が欲しいところだったんじゃ」 -- ガァネフ
      • 「えっ、ええ…そ、そんなこと、急に言われても…!」 -- エイド
      • (わたわたと慌て続ける少女をなおも笑顔で見遣ったまま、老人はゆっくりと腰を上げる。
        ローブの裾が畳の上に擦れ、微かに音を立てた)
      • 「何かあれば、隣か下のものにワシの名前を出せば問題なかろう。それでは留守番、頼むからの? すぐに戻ってくるでな」 -- ガァネフ
      • 「だっ、だからちょっと、ちょっと待ってくださいー!!」 -- エイド
      • (必死に伸ばした手も、背を向ける老人には届かない。風貌からは意外と思えるほどの機敏な足取りで、彼はそのままドアを開き、外へ出ていった。
        途端に、部屋に静寂が満ちる。紅から紫へ変わり始めた日差しに照らされながら、少女は胸に手を当てて少しだけ考え込んだ)
      • 「……な、なんでこうなっちゃってるのかな…!?」 -- エイド
      • (少女の胸中を全て表現するその疑問の声に答えを返してくれるものは、この見知らぬ部屋の中には一つも存在しなかったのだった――)
  •  
  • (――夕闇に染まり始めた通りを、老人が一人歩いていく。アパートから離れていくその足取りは、いささか性急で、けれど確たる意思を感じさせるものだった)
    • (帳が下り、夕焼けは徐々に夜へその模様を変えつつある。生温かい夜風に吹かれ、ローブが少しだけはためくが、老人はそれに気を取られる様子もない。
      雲もまばらな黒い空に、星が一つ煌めき始めた頃、老人はようやくその足を止めた。
      灯りもまばらな、入り組んだ路地の一つ、その真ん中に立ち、老人はゆっくりと息を吐く)
      • 「……この辺りでいいかの。そろそろ出てきたらどうじゃ? 息をひそめているのもつまらなかろう?」  -- ガァネフ
      • (後ろを振り返ることもなく、ただ前だけを見据えながら、老人がそう言葉を発する。
        受け取り手のいないはずの、風に流れていくその問いに、応えるものがあった)
      • 「――面白いおじいさんだね、わざわざこんなところに足を運ぶだなんてさ」 -- ????
      • (くすくす、という笑い声を零しながら、薄暗がりの中から歩み出てくる影が一つ。
        帽子を目深に被り、身長を凌駕する玉錘を、両腕と背中で支え持ちながら、女はさらに言葉をつなげていく)
      • 「それに…気づいてたんでしょ? 私が、昼間っからずっと、おじいさん達をつけてたこと」 -- ????
      • (女の問いへの答えはなかった。ゆっくりとローブの裾を翻して、老人が振り返る。その、揺るぎのない穏やかさが、今のこの場には不釣り合いだった)
      • (その様子を見る少女の表情が、少しだけ歪んだ。口元を微かに曲げて、小さく息を吐くと、女はさらに言葉を投げかけていく)
      • 「ホントに、当てが外れちゃったんだよなぁ…あの子の長い角が欲しかっただけなんだけどさー」 -- ????
      • 「角……?」 -- ガァネフ
      • 「そう、角。ほら、長くて立派だったじゃない、見逃したわけじゃないんでしょ?」 -- ????
      • (けらけらと笑い声を上げながら、女が腕を振る。背で押さえられていた玉錘がゆるりと動き、夜風を纏いながら女の肩の上に乗った)
      • 「あれだけ立派な角だからさ、何か薬にして一稼ぎできるかなーってさ。ユニコーンとか、ドラゴンとか、角を煎じると薬になるっていうし。
        でもま、そんなことは今はどうでもいいかな――」 -- ????
      • (玉錘の長い柄を、両手で握る。微かに腰を落とした姿勢から、女は勢いよく路面を蹴った)
      • 「――代わりにおじいさんのその頭、粉々に砕いて薬にしてあげるからさ!!」 -- ????
      • (二人の距離は、歩幅にして十数歩。それを女は、たったの二歩で詰め切った。二歩目の踏み切りで身を捻り、振り回した玉錘を、佇む老人に向けて振り下ろす。
        まともに当たればただではすまないであろう、風を唸らせて迫る破砕の一撃を前に、老人は目を閉じて小さく声を発した)
      • 「――《剣舞の幕は今上がり――》」 -- ガァネフ
      • (ともすれば夜風と、振り下ろされる一撃に掻き消されそうなその声に、応えるものがあった)
      • 「――!?」 -- ????
      • (ゆらり、と老人の足元から立ち上った煙のようなものが、次の瞬間路面から跳ね上がった。瞬く間に形を造りながら飛びゆく数本の黒が、玉錘を真っ向から迎え撃つ。
        一つ目の黒がぶつかり、甲高い音が消える前に、次の黒が鉄塊にぶつかる。三本、四本と連打の音が響き、五本目で一際高い音が響いた。
        それなりに重量があるはずの玉錘が、澄んだ音を立てて弾かれる。勢いのままにくるりと身を回して、女は路地の上に身を戻した)
      • 「ふう…驚いたぁ。なぁにそれ、魔術?」 -- ????
      • (のんびりとした口調で、女が言葉を発する。その表情や雰囲気に、緊張感はまったく見えない。
        余裕とも取れる空気を纏ったままの女を見て、老人は口の端を釣り上げた)
      • 「いんや、魔術ではないぞ。これはただの“剣術”じゃ…ちぃっとばかし、数は多いかもしれんが」 -- ガァネフ
      • (嘯く老人の周りを、黒い剣が舞い踊っていた。夜空をそのまま固めたような深い闇色の剣が五本、切っ先を外に向けて老人を中心に旋回している
        響く風斬りの音を心地よく思うのか、老人は目を細めながら言葉をつなげていく)
      • 「まあ、主のそれに比べたら可愛いものじゃろう? よくもまあ、そこまで軽々しく振り回せる……怪力自慢もいいところじゃ、怖い怖い」 -- ガァネフ
      • 「うふふ、そうでしょすごいでしょ? おじいさんのジャグリングなんて、全部まとめて叩き潰してあげちゃうからねー」 -- ????
      • (心底楽しそうに声を上げながら、女は玉錘を振り回す。轟音を響かせて旋回する破壊の具現を前に、老人は腰を落として身構えた。
        自身の周囲を回っていた剣のうちの二本の柄に、右と左の手を伸ばし、握りこむ)
      • 「そうはいかんよ、娘っこ。枯れる寸前の痩せ木にも、意地というものはある……それに、ワシのほうこそ、おぬしを見逃してはやれんでな。
        ワシの“家族”に手を出そうとしたこと、是が否でも詫びてもらおう…」 -- ガァネフ
      • (それを耳にした女の表情が変わった。肩越しに玉錘を担いだ構えのまま、怪訝そうに眉根を詰めて、彼女は声を発する)
      • 「…家族? あの、亜人っぽい子と、おじいさんが? …冗談でしょ?」 -- ????
      • 「…ほう。なぜ冗談と?」 -- ガァネフ
      • (即座に返されて、面食らったのは女の方だ。彼女は困惑した表情を隠そうともせずに、首を捻りつつ言葉を絞り出す)
      • 「え、えー…? だ、だって見た目とか、全然違うじゃないの。角とか生えてないみたいだし…」 -- ????
      • 「はん、青いのう…見た目ばかりが全てではなかろうに」 -- ガァネフ
      • (女の言葉を一蹴し、老人が腰を落とす。回転の勢いを上げた三剣が夜の空気を裂く中、老人は笑顔を浮かべた)
      • 「――あの小さなアパートにいるものは、全てワシの家族じゃ。過ごした時間など関係なく、皆ワシの家族。
        たとえ、今日初めて出逢った嬢ちゃんでも、じゃ。そして、その家族に害を働こうとする不届きものを成敗するのが、ワシの密かな楽しみでな――」 -- ガァネフ
      • 「倒錯趣味、っていうのかな、こういうのも…私よりヤバく見えるよ、おじいちゃん?」 -- ????
      • 「ハッ――なんとでも言えばいい、それで揺らぐようなものでもないしの。
        ……始める前に、主の名前を聞かせてもらおうか? 詰所に突き出すのに不便だしのう」 -- ガァネフ
      • (さらに腰を深く落として、上半身を前に倒す。引いた右足、路面を噛む爪先に力を込めながら、彼はさらりとそれを口にした)
      • (対する女も、老人の動きを見て構えを少し変えた。肩に担いでいた玉錘を下ろし、長い柄を両手で握り締める。舌で唇を濡らして、笑顔を浮かべたそのままで、彼女は問いに答えを返した)
      • 「…クダキ、だよ。まあここで覚えても仕方ないと思うけどね? …覚えるための頭がなくなっちゃうわけだしさ」 -- クダキ?
      • 「言っておれ――年長者の折檻、多少手荒いが、泣かないようにな?」 -- ガァネフ
      • (そのやり取りが、合図だった。牙をむいた獣のような笑みを浮かべた二人が、同時に路地を蹴り、前へ出る。
        青白い月が見守る中、広い街の片隅で、剣と鈍器の剣戟が始まる――)

Last-modified: 2010-05-08 Sat 00:39:40 JST (5100d)