某日。真夜中。 |
産声。 |
子供の頃とか、そういうものはミハイロフ製のホムンクルスには存在しない。 生まれたときあたしは20歳。 人としての生活を送るための知識とか、そういうのは目を開けた時から知ってた。 研究所の職員の顔とか……誰が記憶させたのか「悪趣味な知識」も。 「479413」その数字があたしの名前。 「おはようなの。気分はどう?」 研究施設に似つかわしくない銀髪の子供が、薄紅色の水銀のような培養液の中から出て まだぼんやりしてるあたしに、笑顔で話しかける。 「……最悪よ」 そう言って睨みつけてやった。それがあたしの産声。 記憶にある研究員の顔の中に少年は居なかったので、どういう存在なのだろうと不思議に思っていると、 研究員の一人と血の配分がどうとか、耐用年数がどうとか、書類を見て話しはじめた。 会話の内容から考えるに、その子供はどうやらホムンクルス全ての産みの親らしい。 薄紅色の水銀で濡れた体を拭い、自分の髪の色が少年と同じ事に気づく。 ……その時抱いた感情は嫌悪感。 ……我ながら難儀な性格付けをされたものだと思った。 -- |
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……っ (真夜中。目が覚める。ベッドの側のランプがまぶしくて手で顔を覆った) …あー…駄目だ。つけっぱなしで寝ちゃった…嫌な夢。疲れてるのかね…。 (起き上がるとベッドから降りて、ランプに手を伸ばす) (ふと、姿見に写る自分が見えて) (深紅の髪がやけに目立って見えた) ……そういや、この髪は元は違う色だったっけねぇ。マルチナ。 (鏡の中の自分と手を合わせて、妹に語りかけてくすっと笑った) あー…なんか嫌なことばっか思い出しそうだから、とっとと寝なおそ…。 ……おやすみ、マルチナ。 (そしてまた、眠る) -- キリル |
初仕事。 |
ホムンクルスとしての性能はいまいちだったあたしは半年もたたずに廃棄されることになった。 ……死ぬのは別に怖くなかった。だって、そう作られているから。 廃棄前に無茶な魔術実験に付き合わされることになる。 どうせ処分するなら駄目もとの実験に使ってしまえという合理的な考えだ。 廃棄が決まった日、あたしは初めて男の相手をすることになった。 「悪趣味な知識」…男を悦ばせるための技術が、何故植えつけられていたのかを身をもって知った。 どうせ処分するなら****に使ってしまえという合理的な考えだ。 反吐が出る。 相手の顔は覚えてない。研究員の誰かだったと思うけど。 同じ考えを持つ人間は顔が似るんだろうか。研究所の人間の顔は皆同じに見える。 皆人間なのに、命をなんとも思ってない。 命を弄ぶ行為を続けていれば皆そうなるんだろうか。 研究所は国家機密。研究員の魔術師達も自由はない。 (それでも許可さえ取れば街には出られていたし、あたし達よりはよっぽど自由だったけど) 皆歪んで澱んでいく。 すべての捌け口はあたし達。 結果さえ出せば国も貴族も鬼もそんな事気にしないし、末端の人間の小さな狂気になど気づくわけもないのだ。 ……何より、知ったからって実験動物の人権なんか気にするだろうか? ……ようやく男との行為から解放されて、格子の嵌った窓からぼんやり月を眺めていた。 体が痛い。自分の体から別の人間の臭いがする。早くシャワーを浴びたいのに動けない。そんな中、ふと思う。 目を覚ました時に見たあの銀髪の子供も、あいつらと同じなんだろうか。 あの子供の血があたしの基になっていると聞いた。 ……せめて人間らしい心を持った奴だったらいいな。あたしの親みたいなものだもの。 嫌ではなかった。怖くもなかった。途中から自分で求めるほどだった。 だって、そう作られているから。 でも……それがとても嫌だったんだ。 ……これがあたしの娼婦としての初仕事だったと思う。 -- キリル |
実験。 |
魔力を増大させるために様々な魔物や妖精と合成させられる。 合成と言うより、取り込むと言った方が正しいかもしれない。 ……それは合成中の光景を見れば解る。 まず初めに、巨大な魔法陣の上で、6人の魔術師に囲まれ見守られる中で魔物に体を喰われるのだ。 ……もちろん、生きたまま。 痛覚を遮断する能力が具わるまでは痛みと恐怖で泣き叫んでいたけど、それが使えるようになってからは、 ただ自分の体を租借される音を聞いて意識が途切れるのを待つだけになったから、だいぶ楽になった。 そして喰われた後に、魔物の体の中で自分の体を再構築する。 内側から魔物の腹を食い破りながら吸収し、魔法陣の中心であたしは一人、目を覚ます。 生まれたままの姿で、体を魔物の血に染めて……取り込んだ魔物の魔力や能力を手に入れて。 あたし達ホムンクルスの元になった鬼の再生能力を生かした魔術らしい。 自分より小さなものや、攻撃的でないものはこちらから食べて吸収するという方法を取った。 おぞましいものだと血だまりの中思う。 あたしはその合成魔術との相性が奇跡的なレベルで良かったらしく、どんな存在を取り込んでも自我を保っていられた。 普通は魔物やらなんやらにのっとられてしまうか、発狂してしまうらしい。 魔力は実験を終えるごとに強くなっていく。 実験が成功し続ける限り、あたしは生きていられる。 次は死ぬかもしれない。そう思い続けながらの日々。 あたしもだいぶ馴れて、どうしたらここで上手く生きていけるか解ってきてたから、 その頃には何人かの研究員と仲良くなって、たまに外へ連れてってもらえるようになっていた。 ……逃げ出したら死ぬように魔術の施された首輪つきだったけど。 ホムンクルスに話し相手なんて居ない。全ての個体の部屋は別々で監視つき。それが基本。 実験や誰かの相手をしなくてもいい日は、あたしは本を読んで過ごす。 冒険者の物語が特に好きだった。 恋物語は、よくわからないし。 -- キリル |
妹。 |
生まれてから1年、あたしは実験に耐え続けてきた。それは奇跡だと研究員達は口々に言った。 そしてその奇跡がどの個体でも起きるようにしなくては、と。 あたしと同じ製造方法でホムンクルスがもう1体作られることになった。 「479955」その数字があの子の名前。 「妹」ということになるんだろうか。 お話の中でしか知らない肉親という存在。 ……どんな子なんだろう。あたしと同じ製造方法なら姿かたちそっくりだよな? 会ってみたい。声を聞いてみたい。あたしの妹…。 彼女が目を覚ました所には流石に居させてもらえなかったけど、 ベッドの中でうんと研究員にサービスして甘えて媚びて、彼女と話をさせてもらえることになった。 食事の時間を同じにしてまだ上手く動けない彼女の世話をすることで二人で話をする時間をもらう。そんな方法で。 ……妹は、あたしよりとても小さかった。 理由は不愉快極まりないものだ。 魔物に食べられやすいように、そして自我が保てるギリギリの幼さ。 それが彼女が12歳である理由。 おかっぱにした髪が愛らしい少女が、まだ食器が上手く扱えなくてぽろぽろこぼしてしまうのを拭ってやる。 「…ありがとう」 まだ自分の運命を知らない少女は無邪気に笑ってそう言った。 それが初めてあたしが聞いたあの子の声。 動き始めたばかりだから少し舌っ足らずで、とてもかわいかったのを良く覚えている。 幸せな物語を読んだ時よりも心が温かくなって 嬉しいのに何故か瞳からは涙が溢れてきてしまって、 心配そうに近寄ってきた彼女を、あたしは抱きしめて泣いた。 嬉しくてなく事もあるんだって、初めて実感した日。 ……あんたが生まれた日だ。マルチナ。 -- キリル |
某日。夜明け前。 |
姉妹の名前。 |
それから、私達はご飯の時間を毎日一緒に過ごして仲良くなっていきました。 私の実験もはじまりました。 酷く怯えると研究員の人が姉様の部屋へ行く事を許してくれたので、私はいつも怯えるふり。 実際本当に怖かったのですが、それ以上に姉様に会えるのが嬉しくて。 魔物に自分の骨が砕かれる音を聞きながら、終わって泣いたら姉様にあえるかななんて考えたりして。 ああ、その頃はまだ「姉様」とは呼んでいなかったのです。お互い製造番号でした。 いつだったか、長くて呼びにくいねって姉様が言い出して お互いに名前をつけあって、一緒に家名も考えて……同じ家名を名乗ることで私達は本当の姉妹になったのでした。 私が本を読んで、キリル姉様を「姉様」と呼ぶようになるのはもう少し先の話。 その時、姉様が真っ赤になって、にやける顔を必死に手で隠していたのをよく覚えています。 -- マルチナ |
紅蓮の魔獣。 |
「珍しい魔物が手にはいったんだ」 研究員の、いつも姉様にべたべた触る人が、私達がご飯を食べていると頃に急に入ってきてそう言いました。 私はこの人が嫌いです。 いつもこう言っては気まぐれに姉様を連れてってしまう。 この人は姉様を便利なお人形としか見ていないのです。 私に優しくする姉様を見て「人をまねて姉妹ごっこか」と嫌な笑いを浮かべたり。 ホムンクルスを人間扱いしない人ばかりの施設でしたが、この人は特に悪意すら向けてくる人で。 「食事なんてホムンクルスには本当は必要ないだろう?さあ実験だキリル」 神経質そうな眼鏡の魔術師は、姉様の腕を掴んで実験室へ連れて行きます。 私は必死に止めたの。なんだか嫌な予感がしたから、姉様にしがみついて。 でも、すぐに他の研究員に引き剥がされてしまったの。 せめて側にいたいって泣いてお願いしたら、実験室の隅で見ていていいって言われて、 私は姉様の実験を初めて見ることになったのです。 自分と同じ事をされているのは知っていました。 魔法陣の中心で、魔物に食べられる事。 姉様は怖かったら部屋にいっていていいよと笑ってくれたけど、どうしても……不安で。側にいたかった。 その日は外からミハイロフのおうちの人が来ていて、 その人の魔力があれば魔獣を魔法陣の中へ押さえ込めるとかどうとか、興奮気味にあの人が話していました。 薄紅色の髪の、姉様に少し雰囲気が似た人……後に私と姉様をここから連れ出してくれた、リラさんです。 広い広い地下空間。天然の洞窟をそのまま使った実験室。 そこに描かれた複雑な文様の巨大な魔法陣の真ん中に、いつもより大きな檻がありました。 檻は赤く光る場所がてんてんと。魔物が噛み付くと鉄が熱を持って赤く染まるのです。 中には鮮血と同じ色の毛並みの魔獣。ライオンのような鬣が炎のように燃えていて、瞳は深い海のようなターコイズブルー。 まるで伝説に出てくる生き物みたい。 その眼光も、牙も、咆哮も、とても恐ろしいのに……綺麗な魔獣。 そして、姉様の前で………………………檻が開く。-- マルチナ |
いつもより多い10人の魔術師が魔法陣を囲む中、彼らの呪文の詠唱をかき消すように、解き放たれた魔獣が叫ぶ。 目の前のあたしを爪で引き裂いて、捕食することなく魔法陣の外の魔術師へと向かっていく……。 ……よくある光景。 でも、魔物はその魔法陣から外には出られないから、 体の再生が始まり起き上がるあたしをまた襲い、喰らう。 ……そうなるはずだった。いつもなら。 だけど炎の鬣の魔獣は、複雑な魔法陣で組み上げた強固な結界をやすやすと破ってしまった。 悲鳴を上げる魔術師の喉を食い破り、爪で引き裂き、あっというまに半数が死体に変わる。 研究員が死のうと知ったこっちゃない。あたしはそう思ってたはずなのに。 気がついたら彼らを助けようと魔獣に魔術を使っていた。炎の魔獣なら、氷漬けにすればいい。 その頃はまだ氷の魔法が使えたから。 なんとか魔獣を氷に閉じ込めることに成功して、まだ息のある魔術師を外まで運んだ。 大きな氷の柱になった魔獣を前に、心配して駆け寄って来た妹を抱きしめる。 そこから先は、断片的にしか覚えていない。 氷の割れる音がして振り返ると、あたしは魔獣の爪に弾き飛ばされ妹だけがその場に残る。 倒れた妹の喉から血が溢れて 耳を覆いたくなるような声が自分の悲鳴だと気づいて 魔獣が目の前に迫り……… ・ ・ ・ ・ 気がつけば血の海の中、立ち尽くしていた。 いつもの実験の時と同じ…魔物に喰われて、その魔物の中で再生する。 薄紅色の髪の女、リラが魔法陣を強化し5人分の魔術師の仕事をしたおかげであたしは魔獣を取り込むことができた。 ほっとため息をついて、その場にへたり込む。 ……地面についた手に、誰かの髪が触れた。 魔術師の死体だろうか。駆け寄ってきたリラに話しながら手元に視線を移す。 「そういえば妹は……マルチナはちゃんと逃げたのかな。なああんた、リラって言ったっけ、あの子はどこに……」 そこには うつろな瞳で虚空を見つめる、銀髪の少女………マルチナが倒れていた。 -- キリル |
合成実験。 |
ひゅう、ひゅうと喉からかすれた音が聞こえる。 魔獣の牙で開いた喉の穴から、空気が漏れているのだろうか。 銀髪は血で赤く染まり、もう意識もないようだった。 握り締めた手は握り返されることはない。 ホムンクルスの再生能力がこんなときに限ってマルチナには上手く機能していない。 「もしかしたら核が壊れたのか」 「ホムンクルスの治療できる魔術師はさっき魔獣に…!!」 魔術師達が騒ぐ声はなぜか遠くに聞こえる。かき消されるはずの妹の息だけが、よく聞こえてきて。 「……この子は死ぬのか」 別人のように青ざめた妹の顔を見下ろしながら呟く。 妹の笑顔が浮かんだ。 涙は出ない。そんな力残ってない。泣いたら上手く考えられなくなってしまう。 だから泣いてはいけない。 そう思うのにぽたぽたと妹の顔に涙が落ちてしまう。考えろ、考えろ。妹を助ける方法を……!!! その時、妹の虚ろな瞳が、少しだけ動いてこちらを見た。 「……泣かないで、姉様」 声は出ない。でも、唇は確かにそう動いた。 そしてそのまま……かすかに胸が上下していた少女の体は、動かなくなる。 側に付き添って、妹の喉に布を当ててくれている薄紅色の髪の女を見つめて、あたしは言った。 「……リラ、頼みがあるんだ……魔法陣に魔力を通してほしい」 「……それは、どういう…」 問いかけるリラに、妹を抱き上げて、魔法陣の中心へと移動しながら、振り返る。 「合成するのさ、ホムンクルスを」 その時のあたしはもう、正気じゃなかったんだと思う。 -- キリル |
空の青。 |
そして 妹の死体を喰らい…あたし達は一つの体になった。 ・ ・ ・ ・ 妹はあたしの体を取り込むことができなくて、しかし消えることもなかった。 二人にかかった魔術は絡まって溶け合い、昼と夜、違う人間に変身するという予想外の作用を見せたのだ。 変わったことはもう一つあった。 銀色の髪に菫色の瞳のだったあたし達は…魔獣の毛並みと同じ鮮血の色の髪に、ターコイズブルーの瞳に変わっていた。 魔獣を取り込んだ時から変わっていたらしい。しばらく鏡を見るたびに驚いていた。 最早別々の存在に作り直すこともできない。 どうしょうもなく不安定な存在になってしまった私達を、研究者達はもてあましていた。 手放すのは惜しい、でもこれ以上発展させようにもどうなるかわからない。 そこに、滞在していたミハイロフの長女リラが、 ホムンクルスの生みの親の元に連れて行って調べてみたいと。自分の兄なら戻せるかもしれないと言った。 ……それはただの方便。リラは知ったのだ。あたしやマルチナと話して、ここが今どういう所になっているのかを。 組織の体質を作り変えることはすぐには難しい。だけど、この二人なら無理なく今助けられる…そう考えての事だった。 北の雪国の研究者達がミハイロフに逆らえるわけがない。 ……あたし達は二人で初めて、外へ出ることができた。自由を手に入れたんだ。 リラと一緒に施設の外へ出る。 空が青くて綺麗で、涙が溢れてきた。 その空の色は、カテンの瞳の色と同じ青く透き通った色。一生忘れない。空の青。 -- キリル |
夜明けの晩に。 |
(目が覚めて、起き上がる。外は薄っすら明るくなってきていた) ……思い出さないように寝たのに、結局思い出しちゃったね。 (呟いて、深紅の髪をかきあげる) (頬が濡れていることに気がついた……涙だ) あー……やだね、思い出し、泣き……なんて… (独り言で強がって笑ってみせる。妹と記憶を共有しているから、泣いたら駄目だ) (あたしの涙はきっとあの子を苦しめる) (でも声は震えてしまって) ……ごめん、マルチナ…昔の事、思い出しただけだから…大丈夫だからさ…。 (シーツに落ちる涙。膝を抱えて少しだけ涙を流した) (静かな家に、押し殺した嗚咽がかすかに響く) (早く夜が明けるといい) (……空が見たい) (カーテンを開けて、ぼんやりと夜明けを待つ) -- キリル |