組織/庭園騎士団
- ――glory. --
- 応接間。
広々とした窓からは、正にこの砦が守る『ヘルベマンディス空中庭園』の景観が臨め、四季折々の風光明媚な景色を楽しむことができる。 だが、反面内観の方はいくらか地味である。 おそらく、美しい空中庭園の景色を引き立たせる為であろう。 応接間にある古めかしい調度品はどれも高価なものではあるが、あくまで控えめに鏤められており、この砦の本分と意図を婉曲的に示している事が見て取れる。 --
- そんな、普段使われることはあまりない部屋であるが、今は三つの人影がある。
一つは、扉から見て一番手前のソファーに浅く腰掛けた初老の男……シャダール外交官、ハインリッヒ・マーフィー。 もう一つは、応接間の扉の前で控えている騎士……外交官の御付故、入室して以来、一言も言葉を発していないシャダール騎士団の護衛。 そして、最後の一つは、最奥……窓際のソファーに深く腰掛け、指を組んだまま微笑を漏らし続ける若年の男……庭園騎士、オルランド・モルガンテ。 --
- 「なにやら、騒がしいようですな」 -- ハインリッヒ
- 互いに政治的な話を終え、茶の湯を交えながら他愛のない歓談をしている最中……丁度話の途切れ目に、ふと、外交官がそう口を開く。
対面するオルランドはそれに対して苦笑を漏らして、手に持っていたカップを音もなくテーブルに置く。 --
- 「社交場のほうで、なにやら盛り上がっているようですね。お気に障ったようなら申し訳ない」 -- オルランド
- 優雅な語り口でそう謝罪するオルランドに対し、外交官はむしろ満足気な笑みを返す。
『庭育ち』の庭園騎士と生粋の護衛騎士であるシャダール騎士が社交場で盛っているとなれば、その理由は凡そ予想ができるからだ。 --
- 「いやいや、恐らく、騒いでいるのはこちらの連れの方でしょう。むしろ、謝罪するのは我々の方です、モルガンテ卿。野育ちの粗忽者ばかりで全く申し訳ない」 -- ハインリッヒ
- 謝罪に対して謝罪で返し、外交官は鷹揚に笑う。
『庭育ち』に対する皮肉とも取れる発言であるが、流石にそれは口に出せば穿ち過ぎである。 これがオルランドでなければ、ピクりと眉をひくつかせる程度はしたかもしれなかったが…… --
- 「ははは、気を遣って頂かずとも結構ですよ、外交官殿。騎士は気高くとも本分は闘争の中にあるもの。獅子には血と土の香りこそが相応しい。それはどの国に於いても同じことです、どうぞお気になさらず」 -- オルランド
- 実際は、この有様である。
幸か不幸か、生粋の温室育ちである彼には、その類の機微は通用しないのだ。 オルランドのどうにもズレた応答に少しばかり眦を上げるべきか下げるべきか外交官も悩んでいたようだが、結局は微笑にて済ました。 如何な真意がそこにあるとしても、これ以上はどう返答しても余計だ。 --
- この外交官も、当然ながらその地位に相応しいだけの生まれと経歴の持ち主であり、海千山千のベテランである。
しかし、そんな彼をしても、このオルランドという男はどうにもやり辛い相手であった。 オルランドは、控えめにいっても世間知らずな『御曹司』であり、別に交渉上手というわけでもなければ、口が回るわけでもない。 むしろ、エリート故の『無知さ』が浮き彫りになるような、つまらない男である。 --
- 会話の端々から見ても、語る話題はどれもこれも社交辞令と装飾過多な武勇伝ばかり。
時に謎掛けのような話題を振ってみれば、返る答えからは理想と現実の境を解さない愚昧さが垣間見える。 そんな、善く言えば気真面目で、悪く言えば盲目的なお坊ちゃま……それが、この外交官からみたオルランドであり、だいたいの人間がオルランドに抱く第一印象である。 しかし、だからこそ、この外交官にとってはやり辛い事この上なかった。 --
- 外交官から見たオルランドは、余りに『騎士』であった。
騎士という単語を煮しめ、蒸留し、その上で更に濾過して瓶詰めしたかのような、シャダール騎士とは別の意味での生粋の騎士であった。 返答、立ち居振る舞い、そして、会話の内容。 その全てが騎士と言う記号を示すに相応しいものばかりで、規範から外れたところはただの一つもない。 このオルランドという男は、まさに『絵に描いたような』騎士なのである。 --
- 騎士であるが故、オルランドは侮らず、嘲らず、偽らない。
彼の口から出る言葉はどれも明瞭であり、そして相手にも無意識にそれを要求する。 律するべき立場にある騎士である以上、不義は断固として律するべしと、この男は態度で示しているのだ。 それは、今までの軽い会話の中でも確認済みである。 つまり、このオルランドと言う男には……良くも悪くも下手な『冗談』が通用しないのだ。 冗談が通用しないということは暗喩が通じないという事であり、暗喩が通じないという事はこの手の上流階級特有の交渉技術が通用しないという事でもある。 故に、先ほどのような皮肉の鞘当ても、牽制にすらならない。 相手が愚直であるなら、それはなるほど、詐欺師から見れば良いカモかもしれない。 だが、この場でそのような詐術を用いれば言うまでも無く、即外交問題へと繋がる。 かのモルガンテ家の御曹司相手ともなれば尚の事だ。 --
- 思考せず、打算をうたない相手は搾取しようと思えば楽な相手であるが……それは相手の立場が下である場合だ。
対等かそれ以上であった場合は、面倒でしかない。 盤外戦術や絡め手が封じられた場面の中、相手はただ盤面に定石しか打ってこない。 相手が盤面を無視しない以上、こちらも定石で返すほか無い。 手堅い手の打ち合いとなれば、交渉は長引くばかりで、滞在時間に制限のあるこちらは自然と帰参の時間と相成る……そういう脚本である。 最初は世間知らずの貴族から言質をとってくるだけだと聞いて、楽な仕事だと外交官は思ったものだが……実際に来て見ると、何故こんなボンボンが外交担当なのか、嫌というほど身に染みていた。 --
- 愚直、貴族、若年、秀才、善良、騎士。
これらの要素はそれぞれ単体でなら御し易い素材であるはずなのだが……全て揃うと逆に面倒になるとは、流石の外交官でも予想だにし無い事であった。 幸いにも交渉は何とか及第点といった結果を引き出したとはいえ、少しばかり収穫が不足しているのも事実である。 せめて、十中八九揉め事であろう、社交場の騒ぎから、次に繋がりそうなカードの一枚でも拾いあげたいところだ。 そうと決まれば、最早ここに滞在する意味は無い。 外交官は相変わらずの作り笑顔でオルランドに微笑み、姿勢を正す。 --
- 「では、モルガンテ卿。今日中には街にまで戻りたいと思いますので……本日はこれにて」 -- ハインリッヒ
- 「おや、もうそんな時間でしたか。いや、楽しい時間はすぐに過ぎてしまうものだ。しかし、街にまで戻る頃には日没のはず……どうでしょう、今夜は我等が館で一泊なさっては?」 -- オルランド
- 「申し出は大変ありがたいのですが……本日の吉報を一刻も早く本国に伝えるのが我々の務め。今回は遠慮させて頂きます」 -- ハインリッヒ
- 「成程、それでは仕方ありませんね……では、せめて見送りだけはさせて頂きたい。誰か、誰かいないか?」 -- オルランド
- あっさりとオルランドが引き下がり、手を叩きながら声を上げると、暫しの間を置いてから応接室の扉がノックされ、オルランドの許諾の言葉と共に開かれる。 --
- 「お呼びですかねぇ、オルランドさん」 --
- そこに居たのは……黒装束に身を包んだ優男。
場にそぐわない軽薄な笑みを浮かべ、扉のすぐ隣にいたシャダール騎士に会釈しながら、側頭部をガリガリと掻いて部屋に入ってくる。 その態度に外交官がつい眉を顰めると同時に、オルランドが優男に軽く頭を下げる。 --
- 「ナーマン殿、おいででしたか。しかし、黒騎士である貴方に我々庭園騎士の仕事をさせるわけには……」 -- オルランド
- 「いやいやいや、出向させて頂いている以上、我々は対等ですよオルランドさん。むしろ食客紛いの私はたまには仕事せにゃ、団長から睨まれちゃいますからね。はははは」 -- ナーマン
- 礼節も何もない、不遜且ついい加減な態度につい口を挟もうとした外交官であったが……オルランドの発言を聞けば、溜息をついて微笑を浮かべる。
この男は黒騎士。 紋章すら持たず、名誉も誇りも持たない……いいや、持つ事を許されない、出来損ないの騎士。 そのような下賎の身というのならば、なるほど、この態度も納得ができる。 ここで激昂し、打ち据える事も可能だが、そこまでする必要はない。 むしろ、放っておけばいい。 この黒騎士は、此処に居るだけで庭園騎士団の品格を貶める存在だ。ならば、ここで好き勝手無礼千万を働いてくれたほうがあとでシャダールの手札となる。 そのまま我々に貸しを作り続けてくれと、外交官は内心でほくそ笑んだ。 --
- そんな外交官の思惑に追い風を吹かせるかの如く、オルランドは柔らかく微笑み、ナーマンにまた頭を下げる。 --
- 「そういう事でしたら……では、他の騎士に頼もうと思っていましたが、ナーマン殿に頼む事にしましょう。こちらの外交官殿と護衛の騎士殿の見送りをお願いできますかな?」 -- オルランド
- つい、外交官は若干口の端を吊り上げる。オルランドの『騎士性』は、黒騎士の下賎さを問題としない。
例え紋章がなかろうと騎士は騎士。きっと、オルランドという男はそう判断したのだろう。 だから、本来自分と対等な騎士にやらせなければならないはずの見送りを、こんな何処の馬の骨とも思えない黒騎士に任せてしまう。 『御曹司』らしいといえば、らしい判断である。 ……故に隙となる。 --
- 「はいはい、喜んで引き受けますよぉ。私も、シャダールのお客人達にはお近付きになりたいと思っていましたからねぇ」 -- ナーマン
- へらへらと笑う黒騎士が、そういって外交官と護衛騎士に流し目を送る。
黒騎士の不遜な態度の数々に、外交官の不快感は高まるばかりだが、ここは堪える。 社交場の騒ぎのついでに、調子にのった黒騎士の暴言なども引き出せれば更に都合がいいからだ。 --
- 「ありがとうございます、ナーマン殿……それでは、外交官殿、今日のところはこれで。次はもう少しお互い時間が取れるときにゆっくりと語らいましょう」 -- オルランド
- ――Face. --
- 「おや……団長? どうして此処に」 -- ディドネイフ
- 眼帯というには大きすぎる右顔面の覆いを弄っていた手を止め、ディドネイフが声を上げる。
全身くまなく鋼で覆ったその姿は、ディドネイフを認めて面頬の紋様を明滅させた。 放たれる抑揚のない声よりは、よほど明滅の方が戸惑いを表現している。 --
- 「む、お前こそ何故ここに居るのかね。この身はいつも通り庭園を見てきただけだ。……カーテンも閉めて、まるで隠れているかのようだが」 -- フレキ
- 机に向かって部屋を横切る鋼の塊を、ディドネイフが半分の視線で追う。
その格好が全く普段通りのものであり、己が命の四倍近くこの部屋の主たる相手ならば 疑問の声を上げたのは全く別の理由だ。 --
- 「かのようにも何もまさにそうなんですが。
オルランド殿にシャダールから客人が来ると朝知らせがありましたでしょう。 で、自分やナーマン殿は饗応役には不適なものですから。 あれ、忘れておられませんか?」 -- ディドネイフ
- 面頬から光が消えてたっぷりと四拍。 --
- 「
…………この身にそのような機能はない」 -- フレキ
- 「あー、いや、自分は団長が相手をしているものと。
オルランド殿が外交官の方と応接間におられるので、騎士の方々もお越しでしたし ええっと、それだと」 -- ディドネイフ
- 「戻ってくる際にロカが表に入るのは見かけたな
ではヴィクトルか」 -- フレキ
- 薄暗い部屋の中、双方の言葉が途切れる。
遠く、何やら物音が聞こえてきたような気もし --
- 「ふむ、拙いか」 -- フレキ
- 「拙いんじゃあないですかね〜〜〜〜……」 -- ディドネイフ
- ヴィクトルについて、何も饗応が出来ぬと言っているのではなかった。
団長という例外を横に置けば、庭園騎士団でも古株の騎士である。 ひと通りの儀礼など好悪を別とすればこなせる事は承知しているのだ。
好悪を別とすれば。 そして戻ってくるはずのロカの姿がこちら側にないのであれば、およそ展開は見える。
また何やら遠く物音が聞こえる。 --
- ――honor. --
- 修練を終え、ロカが鎧を着込んで館の中に戻ると、珍しく社交場に人影があった。
この庭園を守る砦への来客は少ない。 その多くは来客として扱われることはないし、物味遊山に来るような場所ではないからだ。
物珍しさに遠巻きにしていると、それが常翔騎士団以外の騎士団の紋を鎧に、剣の唾に携えていることに気づく。 それがどの騎士団を指しているかまではロカには分からなかったが、鎧の物々しさや佇まいから彼らが只者ではないことは理解出来た。 --
- 「ハッハ――!! 新人、良い所に。」 -- ヴィクトル
- ――露骨に呻き声が出た。
苦手な相手だった。 かといって、ロカという青年にとって得意な相手はこの庭園騎士団には居なかったので、ここで自分の名を呼ぶ者は皆苦手な相手ではある。 笑声一喝、人だかりを作っていた他所の騎士団の人波が割れ、にやりと笑った。 ヴィクトル・ブレア。庭園騎士。 来客用の椅子に、これは儂の物だと言わんばかりの我が物顔でどかりと腰を落とし、 面白い玩具を見つけたとばかりに、訓練上がりの青年に切れ味のある笑顔を零す。 --
- 「……余り、そうお声を掛けて頂いて、良い結果に辿りつけたことはないのですが」 -- ロカ
- 「言うようになりおったな!
初めて本砦の門をくぐった時の借りてきた猫っぷりを皆に見せてやりたいくらいだ」 -- ヴィクトル
- 昔の話だ。
もう、ロカが庭園騎士団に籍を置いてから一年余り経ってはいる。 その冗談に場の緊張がほぐれ、代わりに好奇心を搭載した視線がロカに突き刺さる。 無理もない。庭園騎士の古株たる老戦鬼ヴィクトルに目をかけられているこの若き青年は誰か。当然の疑問だ。 頭一つ大きい、いかにも騎士然とした体格をした騎士たちから「見下され」て、ロカは居心地の悪さを感じる。 --
- 「……ヴィクトルさん。彼らは」 -- ロカ
- 機を先す、と言えば少し狡猾に聞こえてしまうかもしれないが、その意味も少しだけ込めてロカは先んじて質問をする。
老騎士はハッハ、とまた笑声を零す。 社交場の広間に大きな声が反響する。 --
- 「オルランドへの客人でな。シャダールという国の外交官付きの騎士団の方々だ。
庭園の近くまで寄ったので、挨拶を兼ねての来訪だと言う。わざわざ足労なことを、と思うがな。 今は外交官とオルランド、もし居れば団長のが相手をしているだろうな。 その間、まあ同じ剣を持つ者同士、親睦を深めておったところだ」 -- ヴィクトル
- それはまあ、珍しい。といつも通りの軽い皮肉がロカの喉まで出かけた。
出かけた皮肉を飲み込むように敬礼をすると、それに対して行われるには申し訳なくなるような綺麗な敬礼を返された。 余計に青年は思う。 こういった、騎士らしい騎士を相手に、目の前に座る老騎士が朗らかに応対するという状況はあまりにも特殊ではないかと。 だが老騎士は豪快な笑顔でそのシャダール騎士に対して、姿勢を崩して欲しいと口にする。 --
- 「儂以上に礼が必要な相手ではない、気を楽にされよ。
新人、今丁度談話にかまけて余興を行っていてな。 流石だぞ、シャダールの騎士殿らは。鉄だろうが鋼だろうがまるで氷に熱線を通すかのごとく斬りおる。 この老人がここまで楽しめるとは、庭園を守っている甲斐があるというものだ」 -- ヴィクトル
- 言いながら、老騎士が何かをロカに投げて寄越す。
見れば、古くした鉄の手甲が、切断面も新しく真っ二つに斬られている。 これも、後でフレキ団長に何か言われないだろうかと気が気ではなかったが、なるほど、何をしていたのかは理解出来た。 どこかその自分の腕前に誇らしげにしている騎士達も合わせて、老騎士なりに彼らを饗していたのだろう。 その何分の一でも構わないので、こちらにも気を回せと、ロカは思わずにいられない。 --
- 「……良い所に、ということは、同じことをしてみせろ、ということですか……?」 -- ロカ
- 「バカを言うな。貴様ごときに出来る芸当だと思うか、青二才が。
研鑽と修練の果てにしかその切り口は出せん、十年早いだろう。 いかに貴様が”大英雄”たるロカ・アルベルガであったとしても、思いあがりも甚だしいわ」 -- ヴィクトル
途端。 空気が変わる。 具体的に言えば、シャダールの騎士達がロカを見る目が『変わる』。 表情にも態度にも表れていないが、その変化をロカはもちろん感じることが出来たし、恐らくヴィクトルも感じていたことだろう。 ――そこに乗るのは『侮蔑』と『嘲笑』。”大英雄”という言葉の持つ意味を理解し、そしてこの眼の前の小さな男こそがその噂の主であるという、認識の変化。 先ほどまで庭園騎士の一員としてしか見ていなかったはずの騎士たちの目の色の変化を感じながら、ロカは視線を少しだけ伏せた。 --
- 「……出すぎた真似でした。ヴィクトルさん。
それと、その大仰な肩書は俺には似つかわしくないと思います」 -- ロカ
- 「だろうな。今はまだ名前折れだ。
彼らのように実戦と実践の中で揉まれ、その名に見合う騎士となるがいい」 -- ヴィクトル
- ロカは、全ての視線がこちらを向いていることを意識して、息苦しさを感じる。
彼らだけじゃない、世間の誰もが自分の正体がかの”大英雄”であると分かれば、同じ目を向けてくる。 地上の地獄からの唯一の生存者。 その栄誉だけを全て総取りしてきた、臆病者。 血鍋で助けを求める全ての人間を見捨て、逃げてきた敗残兵。 特に。 自らの騎士道に殉じることを是とするような、彼らのような騎士には相いれぬ存在と経歴だろう。
そしてその、受け慣れた視線の先に、老騎士の爛々と輝く双眸があった。 ロカは、やはり思う。 苦手な相手だ。 彼が笑っているときは、特に苦手だ。 --
- 「ここで、余興の続きではないが、彼らの胸を、というよりは腕を借りて見る気はないか、”大英雄”。
若い頃は良く儂もやったものだが、腕比べでもして暇を潰そうと思うのだが、如何だろうか。 丁度、台もそこにある。相手の腕の側に己の腕で倒せば勝ちというシンプルなものだが、覚えはあるかね?」 -- ヴィクトル
- 存じております、と騎士の一人が口にする。
腕比べ、東洋では腕相撲というらしいが、それを行えとこの老騎士はロカに告げていた。 彼らがそのような興じごとに乗り気なのは、自らの力を試せるからだけではあるまい。 法が裁けぬ敗残兵を、栄光も持たぬ落伍兵を、自らの手で締め上げる機会に、瞳の奥が輝いていた。 こういう手合は、特に彼らのような育ちのいい騎士に多い。 彼らは自らの領域を汚されることを極端に嫌う。 その領域にただの幸運だけで居る輩には、灸をすえる必要があるとも思っているのだろう。 ロカは、自分には問いが回ってこないことで、もう覚悟は決めていた。 --
- 「では、主が戻るまでの僅かな間、暇を潰そうぞ。
何、ロカ。安心せい。 ぬしが一人目で負けたら儂が出る。まだまだ若い者には負けんさ」 -- ヴィクトル
- 言いながら老騎士は、ロカの肩に手を置き、彼の後ろに回る。
ロカの目の前で、屈強な騎士たちがアームガードを外しているのを見ていると、後ろから囁くような声が聞こえた。 --
「……全員を下さねば……分かっておるな」 -- ヴィクトル
――死の宣告だった。 ロカは背筋に灼熱を突っ込まれたように歯を食いしばり、冷や汗を垂らす。 この老騎士は、『笑っているとき程、機嫌が悪い』。 騎士らしい騎士との応対に、内心でどのように感じ、どんな怒りを育てていたのかを感じると、目の前の状況の何倍も空寒いものを感じた。 返事なんか出来るはずもない。 自分に出来ることは、態度で、行動で、イエスと返すことだけだ。 --
- 「……お手柔らかに」 -- ロカ
- 果たして、台の上に手を置いてシャダールの騎士団と向き合うロカの呟いた挨拶の言葉は、誰に向けられたものだろうか。
自分より二回りも大きい手と手が握り合い、開始の合図を待つ。
ロカは、列の最後に立つ男を伺いながら、思う。 出来ればオルランドが、いつ会合を終えるかを、知っておきたかったと。 理由は簡単。 ――出来れば。腕比べでことを終えたいからだった。 --
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