木枯らしが吹き叫ぶ。
宵闇を街の明かりが和らげ、風に揺れる月見草の群れをかすかに照らし出す。

草地の隣に、出来たばかりの建物がひっそりと佇んでいる。
まるで平長屋を切り取ったように小さなその建物には、
「月影調査事務所」と打ち出された銅看板が掲げられている。

その室内では、一人の男が、デスクに置かれた古ぼけたランプの明かりを頼りに、
グラスにウイスキーを注ぎながら、燃え止しのタバコを灰皿に押し付けていた。

この男の名は毅彦。
かつて冒険者として生きた彼は、最後の討伐依頼で行方不明となり、酒場から登録を抹消された。
冒険者の街に戻る理由はすでにない。

だが、彼は引き寄せられるようにこの街に帰り着いた。
生死の凝縮されたこの街が、妙に懐かしい。
気付けば、街の門をくぐっていた。

そして、彼は見た。
かつて酒を共にし、亡くした母と等しき人の面影を重ねた、女の残影を。

ジョニーウォーカーの黒いラベルが、ランプのほのかな灯りを滑らせ、グラスへ傾く。

グラスの半分を満たす琥珀色の液体を飲み干し、毅彦はため息を吐く。

(…いつもそうだ…気付いた時には…何もかも遅い…)

運命というものがもし存在するとするなら、過去の彼はそれを呪うだろう。
しかし、今の彼にとっては、ただ喉の渇きを早める、乾いた空気のようなものでしかなかった。

タバコを取り出し、火をつけ、くわえる。
ありふれた動作が、どこかよそよそしく手に残る。

紫煙を吐き、毅彦は、先ほどまで飲み交わしていたある女の言葉を思い浮かべる。

「色々あったよ…本当に色々。辛いこともあった。
 それでも、生きてここで皆を見守り続けるって決めたんだ。
 歳を経て、しわくちゃのおばあさんになっても」

「人は生きて何かを残す。不思議だね…
 誰とも関わらなかった人でさえ、誰かの心の中に残っていたりする。
 誰かの胸で、誰かの魂の灯が燃え続けるんだ。そうして想いが受け継がれていく……」

ワルプルギス・ナハトの言葉が、彼の中で沈んでは浮かぶ。

(…想い…か…)

ひび割れた黒革の安楽椅子に背を預け、毅彦は窓から月見草を眺める。

街の灯に包まれた月見草は、秋枯れもせずに、青々とした茎を揺らしていた。