敷地の外れに温泉が湧いた。 酒場にその話題を持ってきたのは、元貴族で絵描きのアルハザード・カーマインだった。 飄々とした彼の話す所によると、酒場の裏にある格納庫からガンタンクやヅダなどモビルスーツが日干しのために外に出たのを見ていたらしい。 カイハツブのガンタンクが、照準のズレを確かめるためにキャノンを一発撃ったその時。 運悪く飛行中のパトリック・コーラサワーの駆るイナクトにその砲弾が直撃し、落ちた地面にできた穴からお湯が湧いたと言うのだ。 何を言っているのか分からないと思うだろうが、大丈夫筆者も分からない。 元よりバカ騒ぎの大好きな冒険者達が、こんなチャンスを逃す訳もなく、ただの湯が湧く穴だった外れの区画は 元大工の冒険者達がジャン・ラインフィールドやグレン・ラッシュバレー、女性でもバクフ・カマクラといった筋力に溢れた真面目な面子を集め 半日がかりで脱衣小屋と覗き防止柵を据え付け、底に石を貼った露天風呂を建ててしまった。 勿論マスターの許可など取ってはいない。 かくして人が入れる体裁は整った訳だが、ここで少し問題が生じた。 男女の入浴をどう分けるかである。 「穴は広いのだから混浴にしてしまえ」と言う男性側の意見は女性側の猛反発を受け、 逆に湯船を仕切ろうと言う女性側の意見は、技術的な問題から、どちらか片方の廃水でもう一方の湯船を満たす事にならざるを得ず。 それは廃水するのが男女どちら側であっても、女性達には耐え難い物であった。 結局は男女で入浴時間を決めて入る事になったのだが。 女性専用時間 7:00-11:30 12:30-翌2:30 男性専用時間 それ以外 いくらなんでもあんまりと言えばあんまりである。 男性陣は苦悩し怨嗟の声をあげた。我々に人権はないのか。 しかし、彼らの陳情は入浴欲に支配された女性たちの前には些細な障害にすらなりはしない。 結局入浴時間は前述の通りに決定されてしまった。 面白くないのは男達である。 「このままってのは、つまんねえ話じゃねえか」 口火を切ったのは、集まった男達の中で最年少に近いホタル・ムーンボウだ。 彼もすこし自慢のブロンドの長髪をいたわるため、温泉には少しばかりの期待を持っていた。 居並ぶ男たちを前に、背丈を足すために椅子の上に立ち上がって檄を飛ばす。 「キンタマ付いてんのかよ、お前ら!一丁男の怖さってのを見せようぜ!」 「ああ、まったくだな!俺達だって怒る時は怒るんだ!」 「温泉に入る時はレモンを忘れちゃだめよ レモンパックはお肌にいいの、大事な事だからシモン皆に教えて回ってるの」 「知ってるよシモン・キン」 「キメたくなぁい?」 「うるせえ。 …でも怒ったとして、何をやるんだ?」 「わーってねえなあ、クレオの兄ちゃん。男が温泉でやる事つったら覗き以外にあるのかよ!」 疑問の声をあげたクレオ・イェツラーにホタルが答えた瞬間、昼下がりで人気がまばらな酒場の片隅がざわ・・・ざわ・・・と震える。 彼が話すところによると、柵の設置の際に一箇所わざと盛り土を甘く踏んで、すぐに崩れるように細工しておいたらしい。 男達の頭の中に夢のような光景が広がっていく。 『ホンヤリーちゃん、結構バストあるのね』 『もう、そんな事いってフェイさんの方が大きいじゃないですか』 『そうかな?あんまり大き過ぎるのも邪魔なだけだけど、ほら』 『やん!触らないで下さいっ!』 「「「「おおお……おおおお……っ!」」」」 覗き。それは男の浪漫。 覗き。それは待ち受ける罰と引き換えの甘美な罪。 覗き。それは至福の瞬間。 「さあ、舞台と役者は揃ってる。仕掛けは万端だ。 …乗るかい?」 ホタルに反対する者は誰もいなかった、固い結束がそこにはあった。 今ここに一心不乱の覗きを敢行するため、男達は立ち上がったのだ。 「キメたくなぁい?」「黙ってろ」 露天風呂は冬という季節もあいまって、立ち込める湯気が一帯を覆っている。 即興にしては風情ある形に作られた石畳を、掛け捨てられたお湯が滑り。 ときおり木桶のあたるカポーン……という音がくぐもりながら響く。 温泉唯一の入口と一つになっている脱衣所は、内側からかんぬきがしっかりと掛けられた難攻不落の城砦である。 湧き上がる湯気の中に、多くの人影が見える。 「あー…っ、生き返りますね」 「お疲れ、バクフ。あんたが一番働いたんだから最初に入ってよかったのに」 「いいんですよ、皆が喜んでくれているから」 「そんなもんかな。とにかくお疲れ様」 バクフ・カマクラはタツキ・エンブテンの側で湯船に体を沈めた。 タツキの腰まで伸びたやわらかな黒髪と、水をも弾くかのような白くすべすべとした柔肌を見ると 日に焼けて引き締まった自分の腕はどうにも見劣りしてしまうような気がする。 (貰ってくれるような人もいないし、仕方ないか) そう自分を納得させるも、やっぱり羨ましいものは羨ましい。 特にタツキの、少女らしい腰からみぞおちにかけてのすらりとした三次曲面。 その上に鎮座している量感たっぷりの白い乳房、そして頂点を彩る桜色の突起は女性であるバクフの目からでも、男性を引き付けて止まないだろうと用意に想像できる。 …実の所は、タツキもバクフの鍛えられて良く引き締まった肢体に憧れがあった。 一切の無駄がない、束ねられ引き絞られた筋肉の集合体としての両腕。 対照的に、筋肉は付いていても女性らしい緩やかなラインを失っていない、猫科の動物のそれを模写したようなしなやかな胴体。 しっかりとした胸筋に付いた、形を崩すことなくツンと上を向きどんな体勢でも崩れることなくカップを保った胸。 優しく控えめで落ち着いた、皆に好かれる女性らしい性格。 どれもタツキには無い物である。 二人はお互いの体を横目で眺め、自分に足りない物を思い浮かべて、はぁ、とため息をついた。 「湯浴みは良い物ね、実に心身が充実するわ」 「この年になるとあちこち危ない部分がありますから…カレンさんは、その、お肌の事とかは…?」 「肌?気にした事はないけど、それが何かしたの?」 「…何でもないですよ。…はぁ」 ウェーブの掛かった見事なプラチナブロンドの髪が、湯に濡れて白い肌に張り付いている。 カレン・クラフトの隣で石鹸を泡立てていたフォーワード・カゲンヅキは、彼女の年齢を感じさせない肌の張りを見て内心忸怩たる思いであった。 自分の…自分の体をあらためて眺めてみると、隣のスレンダーでブロンドの生える白肌に対して、いかにも普通といわざるをえない膨らみ、くびれ、まるみ。 そして普通の色の肌は、最近心なしか化粧の乗りが悪くなってきたような感じがする。 これでも気を使っているはずなのだけれど。彼女は誰にも聞かれないようにこっそりと呟いた。 しかし彼女も性的魅力が薄い訳ではなく、そこそこの長身、優しげな顔つきとあわせて 高いバランスでまとまった『お隣の美人お姉さん』としては中々に理想的なスタイルだ。 …あー…だからそんな石鹸がなくなるまでタオルこするほど落ち込まなくても…いいと思うよ、うん…。 「こんにちわ…。あったかいですね、アストロラビウムさん…」 「ルーインでいいって言ったよ、ポーシャちゃん!だよね、ユーリン」 「おんなじ冒険者同士、壁なんてあってなきがごとし!って誰かがいってた気がする」 湯船の中ほどでいかにも年頃の少女と言った風情できゃっきゃと騒いでいるのは、ポーシャ・ノーストリア、ルーイン・アストロラビウム、ユーリン・ホァンの3人。 引っ込み思案で奥手なポーシャを、気ままなルーインとユーリンが持ち前の明るさでフォローしており、中々によくできたトリオに見える。 3人とも少女らしく割合に控えめなプロポーションだが…。 ポーシャはハーフエルフの血の通り、陶磁器のような透き通った肌、糸のごとき細さの長い髪、特有の長い耳から肩にかけてのうなじのライン。 更に胸自体は控えめなれど、喉元から続くなだらかでゆっくりとした起伏は彫刻のような完全さで なおかつ全体の印象としてガラスのような儚さを併せ持ち、それが湯に当てられて薄い桜色に染まっている。 可憐という言葉を具象として現した、それが彼女だった。 ルーインも普段のポニーテールとは違い髪を下ろし、同程度の胸だがこちらはいかにも元気な少女特有の 生命感に溢れた血色の良い肌のぷにぷにとした触感が、世の一部の男性を引き付けるであろう事は想像に難くない。 手ぬぐいを頭に乗せる時に見えた、湯で濡れてすべすべの腋とほっそりした二の腕の白さがまぶしい。 2人のうなじが見える位置にいるユーリン、持ち前のよく動くピンと立った灰色の耳は湯船の多数の女性たちの中でもひときわ目立つ。 胸でいえば3人の中で最もよく発育している彼女だが、切りそろえられた前髪と肩まで伸ばされたもみあげの妙な可愛らしさも負けず劣らず愛くるしい。 いつもの服でも背中の曲線は見せているけれども、湯で濡れた上に普段は見せる事のない尻尾の生え際と そこから続くまんまるのヒップまで、女性だけの空間という事もあって余す所なく見せている。 ポーシャ達3人は外気の寒さもあって、いつまでもお風呂の中で騒いでいた。 「場末の酒場にしては、いい目玉ができたと思いますわ。冒険者も増えるかしら、ティチさま」 「汁ハムは自分の胸が増えるのを気にした方がいいんじゃないk…いや、その ごめん」 「…第二次性徴に賭けて何が悪いんですの?ねえティチさま何が悪いんですの?私が何か到しましたの…?」 「や、ちょ、ちょっと 痛い!それは流石に痛いなあー!?」 「この胸!この胸が悪いんですの!?この脂肪の塊が男共を狂わせるんですのーっ!?」 「あだだだだだだだっ!!ギブ!ギブギブ!!」 見事な縦にロールした、銀色の見事な長髪を丁寧に洗いながら 隣に座っていた熟練の冒険者ティチ・イモゲンにそれとなく近づきのための話題を振ったシル・ハルムはしかし、ティチの空気を読まない痛烈な一撃を 主に胸部に受けて半分泣きながら彼女に詰め寄る。 確かにシルの胸部は大平原と呼んで差し支えのない荒涼な砂漠地帯を思わせる、いかにも脂肪分の少ない痩せた『土地』ではあった。 しかし、それなりに豊かなティチの胸を、鬼か夜叉のような形相でこれでもかと揉みしだいている今であっても、整った顔立ちは崩れる事はない。 ぱっちりと開いた切れ長の眼はうるうると涙をたたえ、ともすれば宝石と見間違えそうな輝きを持っている。 普段はさざなみのごとき凹凸の付けられた、壮麗なマクシミリアン式甲冑の白銀に輝く手甲に守られているほっそりとした白魚のような腕。 その両手が、ティチのしっかりと肉感のある胸をひとしきり揉みし抱きまくった後に解放する。 ティチは胸部に走るジンジンとした鈍痛でこちらも涙眼になっていた。 グレン・ラッシュバレーは人のめっきり少なくなった酒場で悩んでいた。 この最も盛り上がるであろう時間帯、夜の8時前後になってなぜ人が来ないのだ。 女性達が来ないのは理解できる、皆温泉が出来た事を喜んでいたからだ。 彼女達が喜ぶ事に、自分も下働きではあるが参加できたのは誇らしかった。 それも彼の考える正義の一つの形であるだろうと思っている。 しかし。 「ジャン、起きろジャン・ラインフィールド」 「んふぁ…何?グレンのオッサンどうしたの?」 「誰がオッサンか。見てみろ、あの酒好きの男共が来ない」 「そうだね…でも別にいいんじゃないか…?」 それじゃ、おやすみ と言ってジャンはもう一度眠りの海の中へ潜っていった。 酒場はまた静かになり、マスターがやる事もなさげにグラスを磨いている。 近くのテーブルでは、ソルジェス・アリエスが金属製の編籠のようなマスクを付けたまま注文した飲み物を飲み干す。 そして最後にキチ…と昆虫が立てるような音をさせながら口を開くと、聞き触りの微妙に悪い言葉を発する。 「温泉、凄ク人ノ音ガスル。女ノ人ダケジャナイ」 「本当か」 「耳、イイカラ。何カ…土?掘リ返シテルトオモウ」 「温泉は今は女達の時間、男は中からのかんぬきで入る事はできない。  そのタイミングで複数の男で掘り返される土…ヤツら!」 ようやくグレンは事実に気付いた。不義が行われようとしているのだ。 自分の正義を実行するのも彼の大事な生きがいだが 目の前で行われる悪を見てみぬ振りをするのはそれよりも恥ずべき事である、彼はそう考えていた。 赤茶けた外套を引っつかみ、彼は砲弾のように温泉の入口へと向かう。 悪事など許せるものか、彼の鍛えられた背中が何よりも雄弁に語っていた。 グレンが悪事に気付くころ、杭を組み合わせて作られた温泉の外周を囲む柵の外側で男達は戦っていた。 ホタル・ムーンボウの音頭の元、男達およそ十数人が土台の弱い部分を必死に削っているのだ。 何をするのか、知らされない前に手伝うと口約束してしまったジン・バラーシュだの なぜ付いてきたのかよくわからないモチヅキ・カズアキだのを除くと、みんなやっぱり女の裸は見たいのだ。 冬の外気は肌を苛めるかのように寒く、それを忘れるためにも男たちは懸命に働いた。 それでも冷気は男達の肌を痛いほどにさいなみ、勢い寒さを紛らわせるために私語も多くなる。 (ホタルッ、本当に緩く盛ったんだろうな?全然見えてこないぞ) (仕方ないだろ、怪しまれないために少しだけしか緩くできなかったんだよ) (ちくしょー寒い!ホンヤリーちゃんのおっぱい見てえええ!) (いいや俺はあえてポーシャ・ノーストリアちゃんとか推すね!) (こいつ貧乳好きだぞ!敗北主義だ!逃亡兵だ!街灯に吊るし上げろ!!) 馬鹿しかいねえ。 と、先頭を切って掘り進めていたクレオ・イェツラーの動きが止まり、無言でホタルを手招きした。 場の空気が一変する、この先から物音を立てる事は計画そのものの成否に関わるのだ。 ちょうど少年一人が頭を突っ込めるかどうかといった狭い穴、その奥をホタルは慎重に掘り進めて行く…。 脱衣所では、石を組んだだけの簡素な暖炉を囲んで女性達が入浴後の談笑をしていた。 チルル・ヌコショウジヤブリなどは猫の本能に従い、暖炉の前で丸くなって半分眠りに落ちようとしている。 リンド・プイレーも、同じように愛用のカメのような一揃いのツナギ服を着用して手足を丸め、オブシディア・キリハラに前足でころころと動かされるがままになっていた。 と、談笑の輪に加わるか加わらないかの微妙な位置で、首を鳴らしては「あー」だの、背中から腰をアーンヴァル・シンキーに指圧してもらって「あだだだだだ効くわー…」だの ババ臭い事この上ない声をあげていたタツキ・エンブテンは、ようやく立ち上がって巫女服にはいかにもちくはぐな洋式の外套を引っ掛けながら立ち上がった。 「それじゃ、あたしは帰るわ。バクフはどうすんの?」 「私はティチ姐を待ちます」 「そっか、そんじゃまたね…うー、寒っ」 タツキに軽く手を振り、バクフ・カマクラは改めて脱衣所にいる面子を見渡す。 前述の暖炉組に加え、隅のほうでブツブツ言いながら「今月の首獲り表」を、意外に可愛い丸文字で付けているクビハネコ・ギッチョンであったり。 胸の無いことを同じ女性から指摘されて本格的に凹んでいる汁公…ではなくシル・ハルムを慰めようと 膝の上に彼女の上半身を預けさせ、背中に手を置いてゆっくりとなでているリリィ・マーガレッタであったり。 温泉で温まって持病の偏頭痛が出たのか、よく分からない白く固められた小さな丸薬をパリポリと噛んでいるバファリン・ブリストルマイヤーズだったり。 みな、自分と比べると可憐で可愛げのある容姿に見える。 少なくとも力を込めたって上腕二頭筋が隆々と盛り上がったりしない。 拳、手ではなく拳と呼んで一向に差し支えない自分の握られた右手。 それにつれて引き絞られ、筋肉の硬さを周囲に見せ付けるかのような二の腕の凹凸を見てバクフはとても長く溜息をついた、そんな瞬間。 「そこに誰かいるか!いるのか!」 唯一の出入口である、かんぬきを掛けられた脱衣所の扉が激しく3回打ち付けられ、男の声が中にくぐもって響く。 突然の来訪者に脱衣所にいた全員が扉に視線を向け、一番近かったバクフが立ち上がって扉の前に向かった。 「ど、どちら様でしょうか?」 「グレンだ、グレン・ラッシュバレー!正義を成しにきた!」 「…正義、ですか?」 「女達が危ないんだ!全員覗かれるぞ!」 土運びで汗をかいた男達にとって、寒空の下ただホタルが掘っていくのを待たされるのはあまりに辛い。 「凍死する前に掘りあげてくれ!」 「ちょ、ちょっと静かになのですよ!しかしこのままでは本当に死んでしまいそうなのですよ…さぶいですー」 ヴォルフガング・フォン・ゼークトがカタカタ震えながらたまらず叫び。 やっぱり妙な敬語のモチヅキ・カズアキを筆頭に周囲の男達によって一斉に口をふさがれる。 もはや彼らの体力も限界であった。 いい加減にホタルを引きずり出してボコろうか、そんな相談を誰かが小声で交わしていたそんな時。 「…やった」 「マジか」「落ち着け いや落ち着くな!」 細く小さい穴のその更に先、温泉の中に灯されたランプの火が指先ほどの穴からちらちらと揺れていた。 おお…おおお…という押し殺した歓声が誰ともなく湧き上がる。 勇者はついに自らの成すべき事を成し遂げたのだ。 こうなれば後に待ち受けるのは男にとって幸せ一杯の時間、まさに目の前に開けられた穴は天国への扉。 静かに、だが我先にと殺到する男達を両手で制するホタル。 穴が穿たれたとはいえ、いまだ小柄な彼しかその窪みに入ることはできないのだ。 彼はその小さな体を最大限に生かし、一人特権に預かろうとしている。 大事な目的があった、ディセア・コードウィルがいないか確認することだった。 彼自身が密かに恋している、あの白銀の髪と白砂のような透明感のある白い肌を他の男達に見せてたまるか、そう心に決めていた。 「ま、それはそれとして。」 ホタルは小さく呟き。 ムヒヒと笑いを隠し切れずに口の端を震わせながら穴を覗こうと顔を近づける、その刹那。 土くれが吠え。 砂の顎が顔を噛み。 息を呑んだ時には、暴力的な「何か」が彼の頭を引きずり出そうとしていた。 何か、はホタルと温泉の内側を隔てるあらゆる障害を意に介さず。 彼の頭骨をミシミシと軋ませながら、一瞬の溜めをおいて一撃の下に彼を土砂ごと引きずり出す。 突然奇声を上げながら向こう側の空間に消えたホタル、それを視線で反射的に追いかけた男たちが見た物は。 「ゲ、ゲッホゲッホ!何!?何が…  アッ」 「「「「ごきげんよう、みなさん」」」」 完全に服を着た女性達が各々にできる限りの軽蔑の視線でホタル達を見下ろしていた。 何かの顎に思えた物体は、土の付き具合からするとバクフの鍛え上げられた右手だったらしい。 汚れた手を払い、関節を1本ずつポキポキと鳴らしながら哀れな獲物にゆっくりと言葉を投げる。 「何か見えましたか?」 「い、いや あの ハダカノネーチャンミレタライイカナーナンテ アハ アハハ」 「そうですか。残念ですね」 男達が自分の置かれた状況にようやく気付き、逃げようと後ろを振り返る。 そこには冒険時の完全装備で彼らを取り囲む女性陣の面々。 もはや断罪から逃げられる者などこの空間には存在しないのだ。 取り囲む女性達の輪の中から、バクフがゆっくりと巨大な物体を引き抜く。 ホタルは「それ」を見たことがあるような気がした。というか見た。 「あの それ」 「ありふれたモール。」 「イヤ ソレドウミタッテウォーバッシュ」 「ありふれたモール。」 「 たすけて」 そうして訪れた惨劇の後。 湯船は男達の鮮血で赤く染まった。 酒場の外れ、冒険者達の作った温泉からの帰り道は肌を刺すシンと凍りつく冷気が降りかかってくる。 そろそろ日付が変わろうかという時間と相まって、折から降り出した粉雪は 帰り道を急ぐバクフ・カマクラとグレン・ラッシュバレーの肩に僅かに降り積もっていた。 「ありがとうございました、ええとグレンさん」 「気にするな、俺の中の正義に沿わない物を許せなかっただけだ」 「正義ですか?」 「覗きは正義とはいえんだろ」 全くあいつらは、と自分の鼻を甲でこすり上げ、グレンは後から後から振ってくる空からの白綿を睨む。 温泉の時間配分に端を発した今回の騒動、参加者全員への厳罰を持って今日の所は解散となった。 『ありふれたモール』を参加者の列に向かって大回転投擲を行ったバクフは、そのままズルズルといつの間にか、騒動の女性代表的な立場になってしまう。 それもいつもの事、と彼女は諦めに近い感情で自分を納得させている。 「ああ、そうですね。何言ってるんだろう私」 「謝る事でもないだろ」 「ええ、そうですよね。本当に何言ってるんでしょうか」 うっすらと層をなし始めた雪を踏みしめ、返事も曖昧にバクフは自分に言い聞かせ始めた。 (…私が我慢すれば、それで全部うまく回るんだから) そのまま、数歩無言。 普段と変わりなく、グレンは癖の強い自分の髪をバクフとの風向きを考えてからガリガリとひっかく。 冷気の刺さる頭皮に走る痛痒さが消えた所で、言葉を見つけるように話し始めた。 「…しかし、助かった。女性の入浴時間だったからな、あんたが話を聞いてくれてその、よかった」 「いえ…私、こんな風ですから。人の話ぐらいはきちんと聞かないと頭の中まで…筋、肉…に思われるかもって言うか…うう…」 グレンに右腕をまくって見せ、軽く力を込めてたはは、と困ったような諦めたような眉根の下がった表情を見せる。 並の冒険者では太刀打ちできないであろうその膂力は、彼女を男から遠ざける理由には必要十分すぎるほどであった。 バクフの前腕に走る力強さを眺めたグレンはフム、と唸る。 「俺は嫌いじゃあない」「え」 「同じ冒険者として、尊敬する。一緒に冒険ができればどれだけ心強いかと思う」 「そう、ですか…何だかうれしいです、ありがとうございます」 「気立てもいい。筋肉が付いている事はマイナスじゃないと思うぞ」 バクフは冒険者として褒められた、ここまではよくある事だし、素直にうれしいと思う。 しかし女性として褒められた事で驚き、思わず眼を見開いてグレンの方を向き直る。 目の前にいるこの人はなんて言ったんだっけ、気立てがいい?わたしが? 「初めて言われました、そんな事」 「見る眼がない奴ばかりなんだ、正義がないのは知っていたが女を見る眼までないとはな」 寒いし飴でも舐めるか、と無骨な指でパラフィンの包みを手渡すグレン。 今はいいです、と断りつつも反射的に受け取ってしまい、所在無く彷徨わせた後で胸ポケットの中に忍べる。 甘い物が好きな男というのはどうにも理解されん、酒場の連中は正義感の薄い奴等だ グレンはそう言いつつ鼻息を荒く一度吹かした。 「ふふっ」 「笑う事はないだろ。…まあ、おかしいかもな。決めた、酒でも飲まないか」 「…私で、いいんですか?」 「あんた以外の誰に言ってるっていうんだ」 「そうですね、何言ってるんだろう私…ふふふ」 ティチ姐、おかしいですよね、私。 なんだか少し、ドキドキしています。 バクフとグレンが雪の舞う帰り道を二人して歩いている同じ時。 事件の現場である温泉では、首謀者のホタル・ムーンボウを筆頭にした参加者十数名がお仕置きを受けていた。 30分ごとに一糸纏わぬ姿で石畳の上に仁王立ちで立ち、それが終わると30分肩まであつあつの温泉に浸かり続けるという内容だ。 適度な寒さと入浴は身体機能を活発にさせるが、あまりにも長すぎる場合は害悪にしかならない。 ましてや粉雪が舞おうかというこの季節。 石畳の上は男達にとって地獄の責め具となった。 「あごげぎょごえぎょぎょ」 「うぶるぶるぶぶるうるるるうううう」 風が一陣吹くたびに、男達のあげる情けない声が宙に消えていく。 あ、また一人倒れた。 「ぐぐ、このままでは死んでしまうぞ!」 「怒鳴らないでくださいなのですよ、怒鳴っても何も変わらないのですよ」 「しかしだなモチヅキ、これは辛い…うひゅおおおおおっっ」 三人となりに並んだヴォルフガング・フォン・ゼークト、モチヅキ・カズアキ、ジン・バラーシュは、吹き抜ける風の半ば痛みと化した寒さに必死に耐えていた。 もはや全員仁王立ちなど保てるはずはなく、カタカタと震えながらただひたすら時間が過ぎるのを待っている。 「…元はといえば女達のわがままが引きこした事ではないのか」 「そうだそうだ、俺達はただの結果だ!」 「…ふぁふ。あと15分だよ」 丁度酒場で暇を持て余していたジャン・ラインフィールドは監視役を押し付けられ 怨嗟の声をあげるクレオ・イェツラー、ホタル・ムーンボウの怒りなどどこ吹く風、といった調子で、防寒具の完全防備で壁にもたれかかってぬくぬくと眠りを嗜んでいる。 彼が完全に寝てしまえばこっそりと湯船に浸かる事もできるのだが、その場から踏み出そうとするといつ見ているのだろうか、と思うほど機敏に察知されてしまうのだ。 いい加減彼らの我慢も限界点に近づき、もはや暴動を起こしてしまおうかと、震えながら話し合っていたその時。 脱衣所の扉が開いて誰か二人ほどの足音が聞こえてきた。 「うわっ、寒いですねノエルさん」 「うん、濡れてるから特に寒いな。転んだら危ないぞ、エリク」 「っと、ありがとうございます!」 脱衣所でたまたま一緒になったノエル・アンダーウッドとエリク・シュトライヒであった。 中性的な顔立ちの二人が、双方ともに寒さを避けるためにバスタオルを胸まで巻いて入ってくる。 辺りには湯気が立ちこめており、顔を良く見ることができない。 そんな二人を見た時、苛立ちが限界に達した男たちが彼らを女性と間違えても、誰が責めることができるのだろう。 「…女」「女だ…」「女だと!」 「え?え?…な、なんで皆さんそんな所で立ってるっていうか、なんで近づいて…」 「な、何だよ!?だいたい俺達は女じゃ…く、来るな!来るんじゃないお前ら!!」 「女医でないのは非常に残念です、だがこの際えり好みなどしていられないっ!  実際に行為に及ぶのは男として最低です、ですから!」 「お前らの胸の貧しさを散々に罵倒してくれる!」 異変に気付いて止めようとしたジャンを羽交い絞めにしながら、ナンダロウ・オオッコレハが一声叫び。 それを皮切りに男達は溜まりに溜まった鬱憤を晴らそうと、ノエルとエリクに向かって駆け出した。 「「うわああああっ!?」」 全裸の男達が鬼気迫る顔でこちらに駆けてくる。 この世の終わりのような光景を前に二人は怯え、竦む事しかできなかった。 クレオの伸ばした手が、思わず抱き付き合った二人のバスタオルに掛かろうとした瞬間。 木桶が空を飛び、カッポーンといい音を立ててクレオの後頭部に直撃する。 ふげっ!と情けない声を出してその場に倒れこみ、後続の男たちが慌てて足を止めようとした。 その足先に四角く濡れた石鹸が滑り込んだかと思うと、彼らは石鹸のぬめりで一辺に転倒し、山と折り重なる。 元々寒空の下散々に立たされていたことで彼らの体が強張り、普段通りに動かなかったのも原因だろうか。 「な、何が…」 「と、とにかく逃げるぞエリク!ここは危険だ!」 「ナイスヒット」 「片腕もげてから投げは練習してたからな。そっちこそいいコースだったじゃないか」 「ん…それで、あんたは戻るんだったよね」 「どうしてもやり残した事があるから、戻らないといけないんだよ」 「俺は…マスターにコートも返したし、どうするかゆっくり考えます」 「そっか…どっかで、また会えたらいいな」 「その時は、ピザでもおごりますよ」