その日は、特に予定も無くなんてこと無い日常のひとつの予定だった。 いつもみたいに、上着を着て、寝癖を適当に直して、髪を軽く梳いて。 酒場に下りて、私には高すぎるカウンターチェアに飛び乗って、 マスターにいつもの(「モーニングA」セット)を頼んで。 Bセットは美味しいけど。あたしには多い。 ご飯を食べ終えたら、いつもみたいにお客さんが来ない、武具・包丁の露天修理を開いて。 日がちょっと傾くまで待ってみて、誰も来なかったら店じまい。 三日に一人でも来れば多いほう。 それで、また酒場でご飯を食べる。 マスターにはやっぱりいつもので通じる「ランチA」。 日替わりのトーストサンドと飲み物。 今日はハムとレタスとトマトの、ちょっと豪勢なやつだったかな。 なぜかだいぶ前から卵のサンドだけは出ない。理由は聞いたけど忘れちゃった。 遅めのお昼を食べたら、工房予定地の下見。 この街の工業区で、将来貯め終える額と不動産の下見をしながら探す… 探したいんだけど、小娘に貸す物件は無いってどこも言われちゃう。 言われなくても吹っかけられちゃう。 ふつうはドワーフが工房を借りるって言ったら大体即決だ。 でもあたしは、ディセア=コードウィルは、アルビノで。 贔屓目に見てもドワーフには見えない。 年も30だけど、みためはまだまだ人間の子供だ。 だから今日も陽が紅くなるまで探して、収穫は0だった。 もう慣れちゃったから、それはそれで構わない。 いつか見つかるはずだし、冒険者を続けていればその名声から声もかかるはずだし。 だから今日も、いつもの酒場の、いつもの席で。 お酒を飲んでいた。 「今日も収穫なしかね。」 「んー。」 マスターは普段とまったく変わらない動きで、コップを磨いてコップ立てに。 「よく続くもんだ。」 「日課だからね。」 話す言葉は普段から少ない。 喋るのはあまり得意じゃないし、マスターも夜から一段と忙しくなる。 「週末には包丁を二三本頼むかもしれん。そんときは頼むよ。」 「んー。」 そういってマスターは奥に引っ込んだ。 ウェイトレスが注文票をカウンターに置いたからだ。 マスターはそれに一瞥くれただけで、あとは料理ができるまでキッチンから出てこない。 少し暇になったので、先に頼んでおいたソーセージにマスタードをつけて齧る。 パリッっときれのいい音を立てて口の中に広がる肉汁。 マスター特製の腸詰ソーセージは、スパイスが強めに効いていてとても美味しい。 お肉も粗挽きで、歯ごたえもいい。 これを食べて、スープを飲んだら、サラダを食べて。 頼んだお酒を飲み干したら、自分の部屋に戻って寝る。 いつも通りだ。 たまにマフィアとお酒を飲むけど、今日は忙しいらしい。 なんか新しいシノギを始めたとかなんとか。 マフィアは実にお酒の似合うやつだ。本人は飲めないって言ってるけど。 彼がウィスキーをロックで飲む様はとても決まっている。 伊達に裏社会で生きてはいない貫禄を持っている。 そういえば最近よくご飯を食べるのがもう一人いて─、 そんなことを考えているとマスターがキッチンから出てきた。 手には乗るだけ乗った料理の山、それを手早くカウンターに載せる。 ウェイトレスは待ってましたとそれを各テーブルに運んでいく。 と、なぜかあたしの目の前にも料理が一品。 パイにヨーグルトソースがかかった、この酒場の数少ないデザート。 少なくとも自分で頼む一品じゃない。 「マスター?」 「奴さんからだと、よ。」 笑いを抑えたマスターの、親指で示された方向を見ると、 そこに座っていたのは、ブロンドのロングを後ろでまとめた、目つきの悪い少年。 やっぱりちょっと高すぎるカウンターチェアから、ひょんと飛び降りてこっちに歩いてくる。 「やあ、ディセア。」 「何の冗談かわからないけど、あたしは金貨一枚も出さないわよ。ホタル?」 少年の名前はホタル。ホタル・ムーンボウ。 少し前に、ミスリル鉱脈の話が上がったとき一枚噛ませてもらった。 それ以来、食事を一緒に食べたりしている。割と少ない親しい仕事仲間だ。 「つれないなあ。それは俺の良心から発した物だよ。」 「お互い守銭奴なのに?明日は雨かしら。」 「こりゃ手厳しいや。」 ホタルは肩を竦めた。 厳しい言葉が飛び交うけど、これもいつもの会話。 彼と話すときは、なかなか楽しい。 「今日はね、ちょっとした依頼があって。それで臨時収入があったんだ。」 「へぇ。景気がいいのね。」 お酒をちびりとやる。 「それでまあ、そのおすそ分け。ってわけ。そのパイはなかなかいけるから、食べてみてもらいたくてさ。」 「あんまり多くは食べられないんだけど…。半分にしましょ。」 パイはちょうど4つだ。1/8カットを4つの半ホール。 「でもそれだけじゃなくて。」 「?」 「今日、誕生日だろう?」 ─あ、自分でもすっかり忘れていた。 そういえば今日。ドワーフの暦で春の72日。今日はあたしが生まれた日の、丁度31年目の日。 「そんなの、自分でも忘れかけてたのに。」 「じゃないかとは思ってたんだ。」 ドワーフの寿命は長い。生誕を毎年祝っていると、短くても500回は祝うことになる。 故にドワーフは誕生日はあまり重んじない。歳を数えないというわけではないが。 「人間は毎年祝うのね。」 「正確には、大事な人のを祝うんだけどね。」 「私が?あなたの?」 正直なところ、親以外に大事にされた記憶があまり無い。 故郷のドワーフも、私に対しては少し棘があった。 それで故郷をでて冒険者になって… 「そう、大事な仕事仲間。そして友達だから誕生日を祝う。」 「あ・・・。」 「誕生日おめでとう。ディセア。」 普段目つきの悪い彼は、笑うととても愛嬌のある顔をしている。 なんだか彼を直視できなくなってくる。 「あ、あり、がとう。」 「あんまりうれしくない?」 「いや、えと・・・初めてだから、その、誕生日を祝ってもらうの。」 実際、親も誕生日に関するお祝い意識は、非常に希薄だったと思う。 数ある記念日は大いに飲んで騒いだが。 「よかった。それで、もうひとつあるんだ。」 「あ、うん。」 いままで感じたことの無い、感情がふつふつと湧いてくる。 これはなんだろう。 「これ、今日の稼ぎで、ね。君にあげようと思って。」 彼が取り出したのは、ラッピングをしてある紙袋。 「開けてみて?」 もうなすがままだ。 こんな歓待を受けたことが無いから、どうしていいかもわからず、ラッピングを丁寧に解く。 中に入っていたのは、イヤリングだった。 「アクセサリって結構高くって…センスが悪いから好みじゃなかったかもしれないけど。」 イヤリングは左右で非対称の形をしていて、 片方は月を、片方は太陽を模していた。 「でもミスリル銀製で、意匠も凝ってる…。」 お世辞ではなく、そう思った。 両方人の顔のモチーフが入っていて、穏やかな顔をしていた。 ドワーフの仕事じゃない。ドワーフは洞窟暮らしだから星空を意匠にあまり選ばない。 何より童話的な表現を用いることを良しとしない。 「気に入ってもらえたかな?」 「こういうの持ってないから・・・良し悪しはわからないけど。」 「けど?」 「その、うれしい、かな。」 ドワーフの贈り物には、意味がある。 初めて出会う、縁の始まりの証に。 仲違いした者同士の、復縁の証に。 そして親しきものに送る、親愛の証に。 「そうか!よかった、喜んでもらえて。」 「でも・・・その、いいの?わたしはお返しを持ってないよ?」 一方的な、というより片道の贈り物の多くは、その、愛の告白であることが多い。 たぶんホタルはそんなこと知らない。こちらはそれを意識してしまうが、 親愛の証だ、うん。そうしよう。 「俺の誕生日はまだ先だからね。それに、こういうのは催促するもんじゃないし。」 「うん、誕生日には何か考えておく。」 顔が熱い、お酒の所為じゃないと思う。 でもお酒を飲んでいてよかった。 「その、これ、つけてみていいかな?」 親愛に、すこしだけ応えてみたい。 「えっ!本当に? 問題ないよ!」 「うん、じゃあ・・・」 ピアスじゃない、バネで止めるちょっと細工の効いたイヤリングを耳につける。 ミスリル銀の軽い、程よい重さが耳に伝わる。 「よかった、似合ってる。」 「、ありがとう。でも髪で隠れちゃうね。」 「こういうのはたまに見えるほうがいいと思うよ。」 この男はすぐ恥ずかしい台詞を言う。 照れ隠しにお酒を含む。 「改めて、誕生日おめでとう。これからもよろしく、ディセア。」 「こちらこそ、よろしくね。ホタル。」 その夜は、いつもより遅くまで起きていて、いつもより遅めに、彼に合わせてお酒を飲んだ。 そう、その日は、なんてこと無い日常で終わるはずの、新しい記念日だった。 登場人物 ホタル・ムーンボウ ・http://notarejini.orz.hm/?%CC%BE%CA%ED%2F12982 マフィア・イモゲオーネ(名前のみ) ・http://notarejini.orz.hm/?%CC%BE%CA%ED%2F13118