華やかな聖誕祭の浮かれた雰囲気が、街中の人々のはしゃぐ声とともに、
静かな事務所へ入り込んでくる。

毅彦はそれを耳にしながら、その日回った訪問先の書類を整理していた。

そこへ、ノックの音が響く。

「…誰かいるかしら?言われた書類を持ってきたんだけど」

聞き覚えのある女の声が、ドア越しに届く。
毅彦は革張りの安楽椅子から立ち上がり、事務所のドアを開いた。

「…早かったな……案外忙しいわけでもないのか…?…魔剣の冒険者殿…」

ドアの先には、封筒を手に仏頂面を下げ、毅彦を見遣る女…アリス・リデルがいた。

「あいにくね。これでも稼ぎはいいのよ。おかげで普段は気楽にやらせて貰ってるわ。
 …久しぶりね。生きてて…良かったわ。入るわよ」

毅彦の横をすり抜け、どっかりと黒革のソファへ身を預けるアリス。
以前冒険者として同じ依頼を遂行した相手との再会を喜ぶでもなく、
毅彦は無愛想な表情を変えずに、アリスの向かいへ腰を下ろす。

「…まず。魔剣じゃなくて、正剣と言ってほしいわね」

アリスの物言いに答えず、タバコを取り出し、口にくわえる毅彦。
その瞬間、一瞬の閃光と共にタバコの先へ伸びる、細く青白い光の剣。

「…この清く正しい光は、正義の光だから」

にやりと笑い、雷光を収めるアリス。
毅彦のくわえたタバコの先から、紫煙が立ち上る。

「…仰せのままに…」

甘ったるい煙を吐き、毅彦は呟いた。

「で、仕事って何の話?」

王国の紋章が刻印された書類の山と、分厚い書籍が棚に収まった事務所を見回して、
アリスは問いを投げる。

「……冒険者の生死確認と…あんたが持ってきた書類のサインを集めて回るのが…今の俺の仕事だ…
 …チンケな商売さ…気ままにやれるのが唯一の取り柄だ…
 …もっとも…個人的な依頼も受けてはいる…探偵の真似事に毛が生えた程度だがね…」

ソファの間に置かれたテーブルの上に、アリスの持ち込んだ封筒が置かれている。
それを見つめながら、毅彦は淡々と己の稼業を語る。

毅彦の視線に気付いたのか、アリスが封筒を開け、中から一枚の書類を取り出す。

「へぇ…。で、コレ。実はサインしてないんだけどさ」

書類を毅彦の視線に晒し、アリスは毅彦を見据える。
書類のサイン欄は、毅彦がアリスの自宅へ届けたままの空白を保っていた。

「…こんな怪しいものにいきなりサインしろなんていわれてするわけ無いでしょ。
 もう少し詳しく聞かせて」

つまんだ書類を毅彦の手元に滑らせ、アリスは腕を組み、ソファへ背を預ける。
事情を聞くまでは、テコでも動くつもりはない。
アリスの表情が雄弁に己の自負を語っていた。

「…意固地なところは相変わらずのようだな…何…簡単な話だ…」

かすかに笑みを浮かべ、毅彦は書類へ手をつけず、事務所の奥側に置かれたデスクへ歩み寄り、
安楽椅子へもたれかかる。

「…この国のせせこましい法律のおかげで…各冒険者の情報をこいつで確認する必要が出てきた…。
 …冒険者の登録情報は酒場で管理されていたが…その情報の更新量が膨大になった…。
 …だから、俺が代理でやっているのさ…。
 …この証明書は、あんたが冒険者として登録した情報…つまり、過去のあんたの履歴と…
 …あんたの現在の状態が乖離していないことを証明するものだ…。
 …嫌なら白紙でも構わん…所詮は任意書類に過ぎん…酒場の仕事が余計に増えるだけだ…」

まるであらかじめ回答を用意していたかのように、毅彦は澱みなく語り終えた。

「…ふうん。まあ、確かに最近の冒険者は凄い数だものね…どんどん、死んで行ってるけど…ね。
 それならサインぐらい別に…」

アリスはそこまで言いかけ、口を閉ざす。
灰皿に吸いかけのタバコを置き、アリスの様子を見る毅彦。
その視線へ己の視線を交わすアリス。

無言の会話が、事務所の空気を駆け抜ける。
いくらかの沈黙が続いた後、先に口を開いたのは毅彦だった。

「…こいつは表向きの話だがね…その先を知りたいか…?」

「…へえ、裏向きの話もある、ってこと…ふふ、知りたい。
 あんたも私がそう言うのわかってて聞いてんでしょ?」

笑みを交し合う二人。

「…裏というほどのことじゃない…よくある話さ…
 …見ればわかるだろうが…この証明書には、氏名と酒場への登録年月日…生死のチェック欄…
 …後は依頼履歴とサイン用の枠…それだけしかない…
 ……普通、この手の書類はもっと細々としているものだ…
 …出身国や職歴…家族構成…そういった本来必要な情報…
 …冒険者の身分を保証するための…肝心な情報は何一つ求められていない…」

アリスはウッドテーブルに張り付いた書類を無言で引っつかむ。

「…まあ、今の私には家族もクソもないけどね」

「…少し冷静になれば…すぐに気付く……要するに、こいつが証明するのは…
 …あんたの身分を保証する情報じゃなく…この国にとって必要な冒険者の情報なのさ…」

「……!」

「…いざという時…そう…例えばこの国が戦争を始めるとしよう…
 …冒険者は無視することの出来ない存在になる…わかりきったことだ…
 …腕利きの冒険者の情報を逐一集め…戦力としての構成を考える…
 …この国だけじゃない…似たようなことをやっている国はいくらでもある…
 …体のいい理屈をこねて…駒として管理するための足がかりを作る…
 …どこにでも転がっている話だ…つまらんだろう…?」

「ふ、ふふ…なるほど、そういうこと…たしかに面白くもなんとも無いわね。
 …私が国のために戦う?ありえないわね。私は、私の正義でしか動かないもの」

「…俺はこのマヌケな理屈の片棒を担いでいるが…ヤツラはわかっちゃいない…
 …あの酒場に集まる連中が、そう簡単に利用されるほど甘くはないことをな…
 …と、いうわけで…俺は無意味な役所仕事をこなして…日銭を稼いでいる…
 …嫌ならサインはいらん…あくまであんたの自由だ…」

「まあ、でも…サインしなきゃあんたが怒られちゃうかもしれないものね。
 いいよ、するわ。これでいい? 」

ウッドテーブルの中央のペン立てからペンを取り、
アリスはさらりと書類へペン先を走らせる。

それを見て、毅彦はソファへ戻り、サインの施された書類を引き寄せる。

「…協力感謝する…ふふ…俺は怒られはしないさ…
 …ただ…酒場のマスターが…どこぞの勲章下がりにどやされるかもしれんがね…」

満足げに笑い、卓上の大きな陶製の灰皿へ短くなったタバコを押し付ける毅彦。

「なぁにそれ。じゃあちゃんと仕事しなさいよ。
 と、言いたいところだけど…あんたの話を鵜呑みにするなら、そうも言い切れないわね。
 ま、ほどほどにやんなさい」

含みのある笑みを返し、ソファから立ち上がるアリス。

奇妙に打ち解けた心根が場を包む。

「…わざわざご足労いただいて恐縮の至りだ…
 …あんたの死亡報告を書く時が来ないことを祈ろう…」

「そりゃどうも。…でも、お生憎様。私は正義の使者、アリス・リデル。
 死んでる暇なんかないわ。
 あんたも頑張んなさい。つまんない仕事でもね」


去る背を見届け、毅彦は安楽椅子へ身を預ける。
新たなタバコを取り出し、マッチを擦り、その炎を先端へ誘う。
炎の揺らめきに、青い閃光が重なって見え…毅彦は一人、どこかおかしげな気持ちを抱いた。