その日の死亡者確認を終え、毅彦は街の大通りを歩いていた。

春めいた風が一吹き、大通りを駆けていく。
暖かな午後の街を行く人々の顔は、どこか穏やかな熱に当てられ、
ほのかな赤みを帯びていた。

くわえたタバコから立ち上る紫煙が、風に攫われ、空の彼方へ消えていく。

やがて、ちっぽけな事務所の姿が近付いてきた。
その隣で青々と茂る月見草の群れは、小さなつぼみを鈴なりに身に纏っている。

「…春、か」

ぽつりと呟き、毅彦は事務所のドアを開けた。
すると。

「…あ、あの。おかえりなさい…あ、じゃなくて、その…お久しぶりです」

彼の耳に、予期せぬ声が届く。
なにやら言いあぐねている様子の少女が一人、事務所の中に立っていた。

「…久しいな…最後に会ったのは…2年ほど前か…」

脱いだ上着をコートハンガーにかけ、ソファへ手を差し伸べる毅彦。

「…突っ立っていることはない…座るといい…」
「あ、はい。ありがとうございます…」

促され、少しぎこちなく毅彦の向かいへ腰を下ろす少女…レイス・イモゲン。
その様子を見て、毅彦はふと懐かしさを覚える。

(…あの時から…もう一年か…)

冒険者としての最後の仕事から、一年の歳月が流れた。
レイスの顔を見て、毅彦は今さらながらそのことに気付いたのだった。

「…あの…長い間、顔をお見せできなくて、その…すいません…でした!」

深々と頭を下げるレイス。

「…気にすることはない…一度は野垂れ死んだ身だ…。
 …それで…何か聞きたいことがあるんだろう…?…その書類について…」
「あ、はい…えっとですね…この書類はそもそも何の書類なのでしょうか?そこから聞きたい・・・です 」

手にした封筒を毅彦の前に差し出すレイス。
それを取り、毅彦は中から薄緑の紙を取り出す。

「…これはこの国が定めた法律に基づいて…あんたの冒険者としての身分を証明する書類だ…。
 …依頼履歴が載っているだろう…?…これがあんたの冒険者としての功績だ…。
 …こいつにサインしておけば…あんたが引退、または死亡した時…
 …その貢献に応じて、国から生活保障や遺族への福祉を受けられる…。
 …もちろん任意だ…嫌ならサインはいらない…」

書類をレイスの前に返し、卓上のペンを取って添える毅彦。
少し俯いて、レイスは考え込んでいる。

「法律…証明…ふぅむ。」
「…まあ…あまり堅苦しく考える必要はない…いざという時の保険だと思えばいい…」
「…死亡、とちょっと不吉な言葉も聞こえましたが…そうですね。
 保障が得られるのは魅力的、ですね。
 じゃあ信用してますので、えっとここですか?サインさせていただきますね…」

素直にペンを取り、迷いのない筆致でサインを書き込むレイス。

毅彦は、彼がまだ冒険者だった頃の、過去の彼女しか知らない。
どこかオドオドしていて、目に暗い光を湛えた少女。
彼にとって、レイスはそんな印象の冒険者でしかなかった。

だが、目の前で確固とした意志を見せるレイスの姿は、
そんな伏目がちな少女の面影を感じさせない、落ち着いた内面を覗かせていた。

「…協力感謝する…この証明書は、こちらで最新の状態に更新してから提出させてもらう…」
「あああああまり変なことには使わないでくださいよ?」

信用していると言った先から、慌てた様子で付け加えるレイスを見て、
毅彦は思わず笑みを漏らす。

「…ふふ…安心しろ…ここに載っている情報じゃ…変に使おうとしたところで、タカが知れてるさ…
 …それにしても…変わったな…あんたも…以前は沈みがちな印象だったが…」

「そう、ですか?えへへ…そう言われると嬉しいですね。
 はい、あまりくよくよしても仕方がないなって・・・えへへ 」

照れ隠しなのか、両手で顔を覆いながら、レイスははにかむように笑う。

どこかあどけない表情を見せながらも、冒険者としての年月が、彼女を変えた。
少なくとも、毅彦にはそう感じられた。

「…そうだな…その顔の方がずっといい…魂の色が素直に出ている…」

「…魂の、色…ですか。ありがとう、ございます。
 ふふふ…あなたも恥ずかしいこと言います、ね。お互い少し変わったかも?」

「…かもな…わざわざご足労頂いて恐縮の至りだ…あんたの死亡報告を書く時が来ないことを祈る…」

「…タケヒコさんも体、無理しないでくださいね。では、失礼します。
 長居してすみません、でした」

そう言って立ち上がり、再び深々と頭を下げるレイス。
毅彦は軽く会釈し、立ち去る背を見送る。

やがて静まり返った事務所の中で、毅彦は一人、タバコをふかす。

(…人は変わる…時は止まらない…か…)

かつて一人の女に言った自身の言葉が、再び彼の胸に去来した。