──ため息ひとつ
まだ11時、途方もなく大きな屋敷の一室で教育係を横目に窓を眺める一人の少女がいた
シルヴァラ・リベロン。貿易会社、リベロンカンパニーの社長であるゴルドゥーム・リベロンの一人娘
先天性の色素欠乏症、所謂アルビノである。生まれ持って体も弱く、良く床に伏せっていた
そして跡取りとしての教育もあるため滅多に外には出してもらえなかった
「つまんない勉強。さっさと終わんないかしら」
また一つため息をつき、色素の抜けた真っ白とも白銀とも取れる髪を弄りながらそう呟く
数分で捻り出した模範的回答そのままの文を試験用紙に書き、絶賛の評価を貰い部屋を出る
と言っても屋敷内から出ることは叶わない。日光に弱いシルヴァラは日中外に出ればすぐに倒れてしまう
専ら暇つぶしといえば読書と……
「今日は彫刻でもしましょうかね」
創作活動であった
奥の壁まで遥か彼方に見える廊下を一人歩きながらイメージを整える
すれ違うメイド達が挨拶をしてくるがそれすら余り答える気にはならなかった
今日は何故か虫の居所が悪い
頷くだけでその場をやり過ごし、足早に自室の隣、創作部屋と呼ばれるアトリエに向かった
少し湿った匂いのする部屋。換気の為に窓を開ける
外では色とりどりの掛け声が聞こえていた。指揮官らしき男の号令も聞こえる
訓練の最中だろうか。有事の際の戦力のつもりか。父の考えは良く分からないが……
下にいるのはエージェントと呼ばれる組織である。父の会社に属している組織と言う話だ
活動は他社のスパイ的なものや物資輸送の際の護衛などを務めている工作員の機関らしい
だがシルヴァラには全身黒服に包まれた怪しい集団と言うイメージしか無い
「本日はここまで!それぞれ持ち場に付け!」
「「はっ!」」
まるで絵に描いた様な軍隊統制で思わず笑いが漏れる
「真面目にやってるつもりなのかしら、馬鹿みたい」
思春期真っ只中である14歳の少女にとってはそれはどこか滑稽なものに思えた
今日は黒尽くめの集団でもモチーフにして何か作ろうか。そう考え始めていた
ノックの音が聞こえる
「お嬢様、昼食のお時間で御座います。食堂までおこし下さいませ」
気づけば小一時間ほど経っていたのか、見学する分にはあの集団は面白い
赤い絨毯が敷き詰められた部屋、一階の食堂に向かう
豪勢な食卓に綺羅びやかな装飾、料理も当然専属のシェフ作の立派なものである
だが一緒に食事をしてくれる父や母は今日も居ない
メイドたちが頭を下げたままこちらを向いているだけ
「ねぇ、お父様は?」
一人のメイドに尋ねる
「旦那様は今朝から一週間ほどお仕事で留守になされるそうです」
「そう……お母様は?」
「奥様は商品開発の為隣国まで取材に向かわれました。16日ほどの日程だそうです」
「それで私は勉強合宿日程と言うわけね」
「は、はい……」
申し訳なさそうにメイドが頭を下げる
別にメイドに苛立っているわけではないのに
こんな歳でこの台詞が浮かぶのはどうかと思うが……昔は良かった
父も母も構ってくれたし、休日には家族で遊ぶことすらあった
ここ数年で父の会社が急激に成長してその忙しさに追われている感じだ
「……」
黙って食事に口をつける。申し分ない味だがやはり味気ない
忙しいのは分かっている。だが腑に落ちない感情がある
もう大人になったということなのだろうか。一人にしても平気だということなのだろうか
「ごちそうさま」
口元を拭い足早に部屋を出た
午後からも勉強尽くめ、また味気の無い夕食。メイドが欝陶しい程に世話をしてくる入浴
どれもこれもどこかシルヴァラを苛立たせるものであった
悪いのは誰か。構ってくれない父か? 無味乾燥なメイドたちか?
……違う。寂しさを患っている自分自身だ
もう大人なんだから寂しくなんか無いと言い訳している自分だ
寝間着に着替えて就寝する。ベッドに寝そべり天井を見た時、ふとよからぬ考えが浮かぶ
……少しだけ屋敷を抜けだしてしまおうか。塀の外に行き昔見つけた近くの泉まで行ってみようか
これも趣味の芸術に対する創作意欲を掻き立てるため。必要必要
「ふふふっ」
久しぶりに湧いた子供じみた考えに思わず笑みが溢れる
以前から知っているがメイドたちも流石に日付が変わる頃には就寝する
後3時間ほど待てばチャンスもあるはず
わくわくしながら布団を被り時が立つのを待った
人の話し声すら聞こえない静寂の中、鈴虫の音だけが聞こえる。季節は9月
「そろそろかしら」
外套に身を包み外に出る準備をする
ドアノブをまず降ろし、少し持ち上げながらドアを開く
こうすれば音が出ないことは昔から知っている
廊下の灯りすら消えている。転ばないように足音を立てないように……
階段を降り人気がないことを確認して玄関まで移動する
暗闇の中自身の赤い目だけが光る。まるで物語で読んだ盗賊やスパイの様な感じだ
今、私は冒険をしているんだな、と胸が高鳴る感覚がする
後は玄関のドアを開けるだけ。そっと手をかけて鍵を外す
開いた
思いのほかすんなりと外に出ることが出来た
長い庭園を抜けて門までたどり着く。途中でくすねた鍵を使い移動用の扉を開き外に出た
「……ミッションコンプリートね」
自然と額に滲み出た汗を拭う。達成感もひとしおだ
……自由だ。今まで感じたことのない開放感に思わず足取りが軽くなる
息を切らす事も忘れただひたすらに近くの森まで駆けて行った
夜の森は真っ暗で一度足を踏み入れれば周りすら分からなくなる
だがそれが良い。興奮していたシルヴァラには全く気にも止めなかった
道筋は朧気ながら覚えている。枝の垂れ下がった大木を見つけ
そのまま交互に生えている木を伝って行けば良い
簡単だ。深い森を抜けて眼前に広がるは水色の大きな湖面
「うん、中々味わい深くていいわね」
暫くその場所に佇むことにした
湖面は穏やかで風は静かに吹いている。生ぬるいのが気になるが
程なくしてごうごうと風がざわめいて来た
少しだけ気温も下がった気がする
「寒いわね」
もう十分だろうか。そろそろ戻ろう
メイドたちに見つかってしまっては色々と面倒だ
別に怒られるのは構わないが言い訳を考えるのが大変だったから
来た道を戻るだけ。簡単だ
……だが森はそう簡単に抜けだされては困ると言わんばかりに行く手を阻みだした
木々もざわめき枝葉も折れ、湿った空気が辺りを駆け巡る
……雨も降りだした。ここでは身を潜める場所がない
せめて先程目印として通った大木まで向かわないと
雨脚はどんどん強くなる。どうやら嵐のようだ
濡れた体のままで走る。重い、衣服がまとわりつく。まるで足枷のようだ
距離自体は大したことはない。ここまで来るのにそんなに時間はかかっていない
しかし、この嵐とこの気温。虚弱体質のアルビノの少女にとってはとてつもなく過酷なものであった
雨と風がみるみる内に体温を奪っていく。震えが止まらない
後少しだけなのにどうしても足が動かない。寒い。もう立ち上がれない
その場に屈み込んでしまった。震えが止まらない。寒い。寒い
もう自力で立ち上がることはできない程に衰弱した
「……ほんっと何やってるのかしら……」
呟きは小さいが後悔は大きかった
……このまま死んでしまうのだろうか、自らの愚かな好奇心のせいで
でも反省なんかしない。これが自分で決めた道だから
父と母に迷惑を掛けるのは癪だけど
「……バカね」
眠くなってきた。このまま気絶すれば土に還るのだろうか。それも良い
今まで何度も土を捏ねてきた。自らが芸術の為の礎になるならそれで……
……などと割と本当に馬鹿なことを考えていた
……
…………
………………
………………………………
「お嬢様!」
……あれ?
何か温かいものが体を包み込む。仄かに良い香りもした
だがもう気が遠くなってきている。確認することは……とうとう出来なかった
パチパチと何か音がする。少し焦げた様な匂いもした
そして温かい。先程までの寒さが嘘のようであった
どうやら嵐も収まった様であった
瞼を開く筋力が戻る感覚があった。そろそろ体も動かせそうだ。そっと目を開く
目の前にはうっすらとした赤い光が見える。どうやら焚き火のようだ
そしてその隣には黒い影が見えた
「お嬢様、お気づきになられましたか」
透き通った声が聞こえた
「……誰?」
目が霞んで良く見えなかったが黒尽くめの服装だ
あのエージェントと言う組織の人間だという事は容易に想像がつく
だがそれ以上に接点もなく名前すら知らないのでそう聞く他無かった
しかしこの既視感に違和感を覚える。仄かに香った先程の匂いもそうだ
身に迫る違和感を消化しようと考えている内に
黒服のそれは身を直してこちらを向き、立ち上がって敬礼をした
「エージェントのビスダと申します。先程は緊急時とは言えご無礼をお許しくださいませ」
そして地に伏せるように頭を深く下げた
これも訓練の賜物だろうか。どこか居心地が悪い気がしたのでやめさせた
「気にしないで、それより頭を上げなさい」
「はっ」
そうやって顔を確認する。無表情で何を考えているかは良く分からないが一つだけ分かることがあった
「貴女……女性だったのね」
「えっ、ええまぁ……」
「あそこの人間は男しか居ないと思っていたわ」
「確かに男性が多い組織ですが女性も数名所属していますよ」
そしてもう一つ気になったのが
「何その髪型」
長髪を上で束ねて広げたような黒茶色の髪。黄色味がかった白い肌に深緑の瞳がオドオドしながら光る
「ええと……これはですね。動きやすさと……個人の趣味でございます」
「まぁ別におかしいってわけじゃないけどね」
会話の取っ掛かりが欲しかった。どういう人間かも探りを入れておきたかった
あの組織は正直不気味だ。だからこそ興味もあった。どんな人間が居るのか等と
知りたいことも幾つかあった
「ご無事で何よりです。まさかこんな時間に森の中にいらっしゃるとは……」
「ちょっとした散策よ。芸術のイメージを沸き立たせる為にも必要だったの」
思わず言い訳が溢れるがどうせ一組織の人間だ。意見される事もないだろう
それ以前にほとんど無関係だ。父の会社の組織の一環であって自分とは関係ない
「……駄目ですよ外に出ては! もしもの事があったらどうするのです!」
などと考えていると凄い剣幕で怒られた。久しぶりの感覚に流石に目も丸くなる
「それに暖かくしていなければダメですっ。今非常食ですがコンソメのスープをつくっていますので」
珍しいタイプだった。自分に意見する存在がいたとは
少し鎌をかけてみる
これも社長の娘としての特権だ。使えるものは使っておく
「貴女……私の機嫌を損ねたらどうなるか知ってるの?」
「……きっと処分、いや、解雇されますね。ですが今は緊急事態です。私の言うことを聞いて下さいませ」
頑固者だった。どうやら自分の意見は頑なに変えないらしい
……心配しているということなのだろうか
「分かったわ……どうすれば良いの」
「スープが出来上がりましたので……それでは口をお開けください」
出来上がったスープに息を吹きかけて冷ましている
まさかそれを自分に飲ませるつもりなのだろうか
「まだ手が震えて食器も持てない状態かと思われます。今はご辛抱を」
「わ、分かったわよ」
いやいや口を開く。そっとスプーンが入ってくる
なんだか子供扱いされているようで嫌だったが……
しかし悔しいことに、スープは暖かく、そしてとても優しい味がした
体力が戻っていくことを実感した
「貴女、ビスダとか言ったわね」
「はいっ」
「……美味しいわ。中々料理の素質があるわね」
「……きょっ、恐縮であります!」
急に敬礼を始めた。薄々感づいていたがどこか可笑しな娘である
どうしたのかと問いかければどうやらビスダ自身も緊張していたようで
先程は厳しくなってしまったのだとか
「ですが解雇を恐れてお嬢様の体調管理を怠るわけにはいきません……」
「屋敷までお送りいたします。屋敷の人間にはもう知れ渡っていると思いますが」
「何が?」
「お嬢様が抜けだしたということです」
……しまった。このままだと帰ったらまた面倒になりそうだった
「私のせいにしてください」
「……は?」
「私がお嬢様を無理やり連れ出したと言うことにしてください」
「貴女何言ってるのか分かってるの?」
「覚悟の上です」
……鋭い眼差しに透き通る声。美しい姿がそこにあった
決意する、というものはこう言う物なのだろうか
だが私にも自分の意見がある
「侮辱するのもいい加減にしなさい」
「……えっ?」
先程まで引き締まっていた顔がみるみる内に崩れて不安な表情に変わる
移り変わりが見ていて少し面白かった
「私だって自分の責任くらい自分で取るわ。貴女なんかに頼らなくてもね」
「お嬢様……」
そしてもうひとつ気になっていたことを聞いてみる
「それより、その横にあるのは何?」
「これですか? これは猪の死骸です」
「先程私が狩りをしている時にお嬢様の姿が見えたものでして……調理いたしますか?」
……思わず吹き出してしまった
結果として結局お咎めはなかった
心配してオロオロするメイド達や泣いているメイド達を見てもう危険なことはしないと誓った
体調も少し良くなった。普段通りの生活に戻った
しかし毎日の勉強はつまらない。そして外の世界の楽しさを知った。それに……
「面白いものを見つけたからね」
答えは決まっていた
……今はまた深夜である。あれ以来警護が厳重になり門番もつくようになった
見つかれば必ず声をかけられるのが面倒だ
だが今日はとある人物に門番を頼んでいるので安心だ
荷支度をし、手紙を置いてこっそり屋敷を出る。大丈夫、もう危険なことはしない
だって……
「お嬢様……本当に宜しいのですか?」
「私の命令は絶対よビスダ。言いつけは分かっているわね」
「……はっ! 何があっても必ずお嬢様をお守りいたします!」
「良い子ね」
ビスダがいるから。頼りがいのある従者を見つけたから
……お父様、お母様。私だって外に出ます
ここに居てもつまらないから。自分なりの勉強をしたいから
それはとてもかけがえの無いものだと言うことが見えてきたから
……心配かけてごめんなさい。でも反省なんかしない。これが自分で決めた道だから
馬車は走りだす。遠くの街を目指して