「お嬢様は私が護る。今度こそ誰も死なせたりはしない──」
薄暗い洞窟の中澄んだ声が響き渡る。幼くも凛々しい勇敢な雄叫び……
薄れ行く意識の中に煌めく白刃と舞う紅の飛沫と光る深緑の瞳が見えた
嗚呼、お礼を言わなくては……

「……嬢様……お嬢様……お嬢様」
「……んぅ……」
乾いた馬の足音が街道に響く。暫くは駆け足で来たが今は少しペースを落とす
「お疲れではありませんか? お嬢様」
手綱を握りながらビスダが話しかける。どうやら心配している様子だ
……無理もない。丸一日ずっと眠らずに走っているのだ
シルヴァラは何度か仮眠を取っているがビスダは寝ずに馬車を進めていた
「平気よ。それより貴女こそ大丈夫なのビスダ」
いくら従者と言えどもここまで無理させる必要もない。どこかで休憩を取ろうか考える
「お気遣いありがとうございます。ですがなるべく早く望みの街へ行かれたいのでは?」
「それはそうだけど……」
「でしたらこれくらい平気ですよ。お嬢様の為ですから」
優しい笑みを浮かべながらビスダはそう言った。献身的なのは良いが体を壊さないか不安である
「うーんっと……じゃあ次にどこか村でも見つけたら食事がてら休憩にしましょう」
「かしこまりました。後1時間半ほどで小さな農村が見えてくるはずです」

一時間と少し、村に着く。小さな食堂があったのでそこで休むことにした
素朴な作りであったが落ち着ける内装で静かに食事を取ることが出来た
「中々美味しいわ。ここのサラダ」
「そう言いながら残してるじゃないですかー!?」
「量が食べられないのよ」
久々に話しながら食事をした。一人じゃない食事というものは良いものだと思った
「そう言えばお嬢様が目指している街というものはどう言った所なのでしょうか」
ビスダが尋ねる。それなりに離れた土地にあるので向かったことがないらしい
「そうね……海に近くて色んな人種が溢れてて活気もある所よ」

……幼い頃、観光がてら何度か両親に連れていってもらったことがある
昼は勿論の事、夜でも通りは賑やかで華やかだった
その上色んな人種、はたまた亜人や危害のない魔物まで暮らしている街であった
だからこそ差別や偏見も少なく、白子…アルビノである自分も奇異の目で見られることはないので心地が良かった
最後に訪れたのは八年前だったか……物心ついて間もない頃の話である
あの頃は両親の仕事も今よりは忙しくなく、時間にも心にも余裕があった気がした
「……お嬢様?」
また思考がどこかへ飛んで行ってしまったようだ。ビスダがこちらを心配そうに見ている
「話の続きだったわね。住みやすいからってだけじゃないの。」
「……会いたい、人がいたから」

……八年前。父の仕事がてら暫くその街に滞在することとなった
まだ父の会社も大きくなく、時間的な余裕もあったので良く家族で街に遊びに出かけていた
見るもの全てが新鮮で、家に閉じこもりっきりだったシルヴァラにとっては買い物ですら楽しみな時間だった
それ以上に父の驚く顔や母の笑顔などを見られるのが大好きだった
そして、つい周りに夢中になってしまった時の事……

「ここ……どこ……」
まだ幼いシルヴァラの背丈では、見上げる人影は全て山のように思えた
両親も見当たらない
不安が辺りを覆う雨雲のように、獲物を巻きつける蜘蛛の糸のように
じわじわと押し寄せてきた
少女がその重圧に耐えられるはずもなく……その場にしゃがみ込む
潤み始めた瞳からはそろそろ大粒の雨が降り出しそうであった
流れ出る悲しみを脆くも儚げな堰が必死に押さえ耐えようとしていた。その頑張りも空しく、崩れかかろうとしたその時
「がおー」
突然目の前に何かが現れる。熊だ。それもこぶし大程度の木製のそれが
「がおーがおー」
鳴いている
「ふぇっ……」
思わず上げそうになった声も止まる。なんだろうと視線を上げる
「くまだぞー」
……小声だが良く響く声がする。とても耳障りの良い優しい声
熊の声なのだろうか……いや、違う……そしてそれにしても……
「この熊……可愛くない。リアルすぎる」
本当にそう思ったのでつい口走ってしまった。子供ゆえに正直なものである
口を大きく開けて何か石のようなものを銜えている造詣
だがその熊の表情がリアルすぎて、子供が持つ"くまさん"のぬいぐるみの熊とはかけ離れたものであった
「む、そうか……ディフォルメも学ばねばいかんか。作り直しだな」
「だがしかし」
「……?」
「君を泣き止ませる程度には役に立った。」

顔を上に向ける……同時に視線を外せないほどに心を奪われる美しさが、そこにあった

「ありがとう、くま君」
その人は自分で持った木彫りの熊に笑顔で話しかけていた
傍から見ればちょっとお頭(おつむ)の可哀そうな人だがそれを覆すほど絵になる美しさだ
金色の髪はまるで陽の光のように煌き、開いた瞳は宝石のように青く澄んでいた
山吹色のマフラーを首にかけ動きやすい軽装をした彼女は、腰に弓を携え大きな革の袋を担いでいた
「お姉ちゃん……狩人?」
しばらく心奪われる時間が続いたがそれを破るために質問をする
「そうだな、森からやってきたよ。すぐそこのね」
「君の歩みは街の中心から離れているよ、両親の元まで連れ添おう」
優しく手を伸ばして微笑んでくれた。まるで夢でも見ているかの様な感覚だった
この人は誰なんだろう……お礼をしなくちゃ……
自身の事をただの狩人だと言う彼女は自作の工芸品を街に売りに来たのだと教えてくれた
雑踏を進むに連れて不安が安心に変わったが急に胸の動悸が激しくなってきた
その女性と手を繋いだまま石畳を歩き、道行く人が振り返る
アルビノである自分の外見のせいだろうか。違う、彼女の美しさのせいだった
どうやって次の会話を繋ごうか、などと考えているうちに父を見つけた
必死な形相でシルヴァラの名を叫びながら辺りを見回している
「おとーさーん!!」
自分でもびっくりする程の声が出た
「何だ、元気じゃないか。もう十分だな」
そう言って金髪の彼女は手を離し、そっと背中を押した
「さぁ、お父さんが心配している。今度こそはぐれないようにな」
「それと……この熊はやろう。どうせ売れない売り物だ、要らなければ捨てて貰っても良い」
「は、はい! ありがとうございます……」
必死で何度も頭を下げた。父も頭を下げていた。彼女は恐縮しながらも
「また何処かで会えると良いね」
とだけ言い残して去って行った

……と、まぁそんな感じで
「その数日後にまた別の事件があってね。そこでも助けて貰ったらしいのよ。小さかったからちょっと覚えてないんだけど」
「なるほど、その方にお会いしたい訳ですね」
真面目な表情で聞いていたビスダが笑顔でこちらに答えかける
「でもね、何故かその辺りの記憶が曖昧でその人の名前を覚えていないの。困ったわね」
「ふむ……その方はもしかすると……冒険者かもしれませんよ」
冒険者……ギルドに依頼を受けて魔物討伐や遺跡探検、要人護衛、財宝等の捜索を請け負う者
己の命を削りながら報酬を得ている者。まさか彼女がそんな者だと……
「先程ここで少し小耳に挟んだのですが今から行く街は、別名"冒険者の街"とも呼ばれるほど
 冒険者たちが集うと事だと聞きます。依頼を受けるギルドの中継点とも」
「そんな中猟師が猟だけで生計を立てられない。と言いたい訳ね」
「そこまでとは言いませんが……可能性は高いと言うだけでございます」
「確かにね、そのギルドに登録している人物を探せば早いと言う訳……けほっ」
話している途中で咽た。口を覆っていた手が紅く染まる
「お嬢様……!? 貴様! 食材に何か仕掛けたか!」
ビスダが形相を変えながら店主に詰め寄っている
「……違う、違うわビスダ。いつもの事なの。だから落ち着きなさい」
今にも店主に殴りかかろうとしているビスダを制止させる
ここ数カ月……いや、14の誕生日を迎えてからずっとこの調子だった
父と母には告げていなかった。心配はかけたくなかったから
いつか死期が来るのかもしれないと、そう思ったのもあったから
──今ここに居る

「お世話になったわね。うちの者が迷惑をかけてごめんなさいね」
顔面蒼白のまま固まっていた食堂の店主が酷く不憫だったので詫びておいた
「お嬢様……申し訳ございませんでした。先を急ぎましょうか」
無理に取り繕っているだろうがビスダの表情には隠しきれない不安の色が見えていた
「ええ、お願い」
それ以上は二人とも何も話さなかった。乾いた土を叩く馬蹄の音と馬の鳴き声だけが曇天の空に響き渡った

砂丘を抜け森を抜け、暫くして人の活気のある場所にたどり着く
「どうやら着いたみたいですよ」
帽子のつばを傾けてビスダが問いかける
「ええ、ここがそうよ」
このまま街道沿いに馬車を進めて行く。噂の通り様々な人種が居た
それ以上に途方も無い広さの街だ。まるで一つの国の様である
人々も活気に満ち溢れ見た事も無い様な品物が商店に並んでいた
「相変わらずの場所ね」
「お嬢様が見ていて楽しいと仰っていた理由がわかりましたよ」
自然と二人にも笑顔が戻っていた
「さて、住める所を探すわよ。ビスダ」
「かしこまりました」
不動産屋を探して街を巡る。大きな所を一軒見つける
「……ふむ、庭付きで部屋数は10以上。見晴らしの良い一戸建てねぇ……」
壮年の眼鏡の店主が書類の束とにらめっこしている
「……あるわけないでしょ!」
「で、ですよねー」
ビスダが恐縮しきっている
「いや、まてよ……」
言葉に詰まる店主
「街外れにもう一つ不動産屋がある。そこの扱っている物件にそんな所があったかねぇ」
「そうなんですか!? ありがとうございます、伺ってみますね」
シルヴァラに伝える為にお礼もすぐに店を出て行った
「行っちまった……いわくつきの所なんだけどねぇ」

「お嬢様、ここではありませんが条件に合う所を見つけましたよ」
「良くやったわビスダ、早速向かいましょうか」

「この先ですよぉ……」
まるで魔女の様な黒いローブに身を纏った鷲鼻の老婆が案内する
「ようやく着いたわね……」
「街の中心部と結構離れてますね」
街の広さにも驚いたがその物件の位置にも驚かされた。ほとんど街外れである
「ここですよぉ……」
女性とは思えないほど唸るような低い声で老婆が囁く。思わず身震いするビスダ
「ここが……」
「御世辞にも良い所とは言えないですね……」
街外れと言っても他の家々はどこかしら人の手が加わっており温かみの感じる外見であったが
紹介された屋敷は大きさだけは一流であったが、まるでその場所から切り取られたかのように違和感の塊であった
枯れ果てた木が辺りを覆い、錆きった格子戸が人の進入を拒んでいるようにも見える
そして黒一面で塗られた屋敷の窓はいくつかが割れて無くなっていた
「あのー……つかぬ事をお聞きしますがこのお屋敷の前の持ち主の方は……?」
ひきつった笑みのままビスダが老婆に問いかける
「なにやら貴族のお嬢様の別荘でねぇ……ちゃんと管理している時期もあったんだけどねぇ……
 そのお嬢様がいつの間にか行方不明になっててねぇ……まぁ30年前くらいの話でねぇ……」
話しながら歩を進める。身の丈ほどある草の根を掻き分けながら古い石畳の上を進む
「なんでもその方は最後には狂人になってぇ……最後に目撃されたのがこのお屋敷でぇ……」
屋敷の扉を開ける。門構えだけは非常に立派で扉も例に漏れず古いが繊細な装飾がなされていた
「中も御覧になってみてくださいませぇ……」
扉を開けるとともに黴の臭いが立ち込める。床も歩けば埃が舞うほどだった
「失礼ですがここの管理は何故放棄されているのでしょうか……」
口元を押さえながら眉間に皺を寄せてビスダが老婆に尋ねる。綺麗好きと言っていたから許せないのだろう
「私も歳でねぇ……一人でやってるもんだからねぇ……
 でも自分で掃除してくださるんでしたらお安くしますゆえ……」
………………
「お、お嬢様……別の物件にしませ……」
「良い所ね、此処にするわ。安いし」
「お嬢様ー!?」
「ひっひっひっひ……ありがとうございますねぇ……それじゃあ鍵だけお渡ししておきますゆえ……」
「あ、ありがとうございます……」
恐る恐る鍵を受け取る。去り際に老婆が呟く
「あ、そうそう。ここは"出る"と言われてますのでお気をつけてぇ……」
ぎいいばたり。扉が閉まる音と共に老婆が酷い事を言って去って行った
「きっ聞きましたかお嬢様! すぐにでも別の場所に変えるべきですよ!」
震えた声でビスダがシルヴァラに詰め寄る。シルヴァラはあくまでも冷静だ
「私が決めたからそれで良いのよ。それに良い所じゃない」
改めて辺りを見回す。ゴシック調で厳かな雰囲気を漂わせている……掃除できればの話、だが
「とりあえずは掃除をしましょう。私も手伝うわよ」

物件探し自体はすぐ終わったが移動に時間がかかっていたので今はそろそろ夕刻間近だった
「掃除は私がしますので、お嬢様は今晩は宿の方へ。長旅でお疲れだと思いますから……」
「それを言うならビスダだってそうでしょう? 貴女は一時も寝ていないのだから
 無理をせずに休みなさい。私だって一人で片付けくらいできるわ。子供の玩具箱じゃないんだから」
「そう言われては休むわけには参りません。私もお供します」
……怖いけど、という言葉が二人の発言の後についていたがお互い口には出さなかった
早くしないと日が暮れてしまう。それまでに灯りの確保をしなければ
一階から順に部屋を見て回る。相当大きな屋敷だ。一階だけで部屋数が八つもある
「でもかなり広いわよ。3階建てだし、ざっと見て部屋数だって20くらいあるし」
「ですね……何故こんな大きな屋敷なのに誰も住まないのでしょう……」
「それはあれよ。さっき不動産屋のお婆様が言ってたじゃない、出る、と」
ばたん。
開いた扉が勝手に閉まった
「に、に、二階に行きましょうか」
何事も無かったかのようにビスダは早足で部屋を見て回った

二階も三階も部屋数は同じで八つだった。埃は積っていたが掃除をすれば綺麗になりそうな所だった
「以前の持ち主の方も綺麗好きだったみたいですね。御覧ください、天井に雑巾で拭いた跡があります」
「そうかしら? 壁になんだか赤い染みが伸びた跡があるけど、まるで……」
「わ、わーこのクローゼットはそのまま使えそうですよー!」
……とにかく聞きたくなかったらしい
簡単にざっとだが全ての部屋を開けて中を確認する事が出来た
一階から三階まで全部で二十四部屋、かなりの大所帯だったらしい
「本当に別荘だったのかしらね」
「ですね……それにしては結構使いこまれた跡とかも見られましたし……ん?」
良く見れば一階のエントランス奥に下階段が続いていた
「地下もあるみたいですよお嬢様」
「あら、楽しみね」
「……私はあまり……」
曲がりくねった階段を下り、鉄製の扉を開く。物々しい雰囲気を感じさせる扉だ
「……うっ」
空気が淀んでいた。思わず二人とも口元を押さえる
長年放置されていたからか異様な臭いがする。まるで……
「ねぇビスダ、また勝手に扉が閉まってない?」
奥に進もうとしたときに違和感を感じて振り返る。開けっ放しだった扉がまた閉まっている
「ひ、開きません! 何故、触っていないのに!」
地下と地上を繋ぐ扉には鍵はついていないはずだった。だが押しても引いても動く気配が無い
「閉じ込められたと言うの……」
明かりはビスダの持ったランプ一つしかない。閉じ込められたことによって外から差し込む光が遮られていた
「ぐっ! 開かない! 何故……一体誰が!」
ビスダはドアを殴りつけたり肘打ちしたりしている
「ねぇ……何か音が聞こえない?」
ふとシルヴァラが上を見ながら呟く……耳を澄ましてみると……

ととと、とととと、ととととととと
とととと、ととと、とと、と……
ととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととと
ととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととと
「ミツケタ、ミツケタ、キョウノコガ、キョウハドウシテアゲヨウカ」
「マタサキ、メイデン、クビオトシ、チヌキハアトカラシマショウカ」
……足音と不気味な甲高い声が聞こえる
「くすくすくすくす」
確実に一階に"何か"が居る。二人にとって今最も出会いたくない"何か"が
「お嬢様、私の傍を離れないでください」
「……ええ」
ビスダの袖をぎゅっと掴む、こう見えてビスダはエージェントでトップクラスの戦闘力だと聞く
「離れないでくださいよ……決して……」
掴んだ袖越しにビスダが震えているのが分かった
無理もない。人間や獣や魔物ではない、実体を持たない"何か"が相手なのだから
「ハヤクオイデヨ、オクノヘヤ」
「オニンギョアソビヨ、アナタデネ」
地下もそれなりに部屋数があった。だが中の光景は悲惨のものであった
赤黒い染みのついた床に錆び切った刃物、元は白いシーツだったもの
割れたビンに破れた書物、元は"生き物"だったもの
どの部屋を見ても荒れ放題、そして最後……突き当りの扉を開く

異常な臭気の原因はこの部屋から発せられる物であった
血の臭い……生臭さと鉄の無機質な臭い、少し嗅ぐだけで吐き気を催すほどの
──死の臭いだった
「何だ……これは……」
大昔に使われた拷問器具、本で読んだことのあるものばかり。相手をすぐに殺すのではなく痛めつける為のもの
どれも使われた痕跡があり血が染み付いていた
「ここで何が行われていたの……?」
今ここで頼りになるのはランプの明かりひとつのみ。光の届かない場所は完全な闇である
「ミツケタ」
「お嬢様!」
背後からナイフが飛んできた。ビスダが庇ってくれなければ背中に突き立てられていたことだろう
「ぐっ……」
右肩に刺さったナイフを抜き、その方向を睨み付けるビスダ
「ココダヨ、ココダヨ、ミエナイノ」
ぐるん。上からノコギリ刃がブランコのように回転しながら襲い掛かってくる
「ぐうっ!? くっ……うっ……」
またしてもシルヴァラを庇ってビスダが左脹脛を斬りつけられる
「ビスダ! 大丈夫!?」
自分を庇ってこんな怪我をさせてしまった……主の娘である自分を庇って……
「平気です、お嬢様。必ずお嬢様は護って見せますから」
ランプが落ち、仄かな明かりしかない暗がりの中で、従者は優しく微笑んで見せた
「シナナイ、シナナイ、シナセナイ、バラバラバラバラバラバラ」
沢山の刃物がこちら目掛けて飛んできた
「……ッ!」
ビスダは咄嗟に太股に忍ばせていたナイフを抜き、その全てを打ち落とした
「くすくすくすくすくすくす」
「お嬢様、怖くありませんよ。お化けなんて居るわけがないんです
 これもきっと悪趣味な輩の仕業。必ず私が懲らしめて差し上げますので」
「ビスダ……」
でももう我慢できない。これ以上自分を護るために傷ついて欲しくは無かった
「コレナラ、コレナラ、ドウカシラ、ブタヲコロシタオオキナハ」
先ほどより大きな、シルヴァラの身の丈と同じ程の大きなノコギリ刃が迫ってきた
「お嬢様! お逃げください!」
ビスダが大きな声で叫ぶ、でも何故か足が動かなかった
「ムリダヨ、エモノハ、カゴノナカ、ブタハオニクニ、カイタイヨ」
「させるかッ!」
どん、と大きな音が響く、目を開けるとビスダの後姿が見える
大きな刃のノコギリ状になっている一片を握り締め、もう片方の手で刃の回転を押さえつけていた
刃が手の肉に食い込み血が滲み出している。それでもビスダは手を放そうとはしなかった
「お嬢様は私が護ります……もう誰も……護れないのは……御免です」

その時、切れていたはずの接続が一気に繋がり、電流が全身を駆け巡るような感覚を覚えた
ノイズが掻き消され、朧気なビジョンの一部が鮮明に映し出された

──それは八年前の事。あの人に出会ってから数日後の事
薄暗い洞窟の中、あの人が開いてくれた活路を進む、洞窟の出口はまだ先だ
だが足を怪我している、どうしても早くは動けない
遠くから聞こえている荒い息がどんどん近づいてくる
聞こえる金切り声、魔物と呼ばれるもの、オークの声
すぐそこまで迫っている。捕まえられたら終わりだ
逃げなきゃ。逃げなきゃ、殺される
恐怖の余り意識を失いかける、その時に駆けつけた二つの影があった
一つの影に支えられる。大丈夫ですかお嬢様、と少年の声
もう一つの影が出口へと向かう背中を護っていた
凛々しくも雄雄しい雄たけび、剣を振り回し孤軍奮闘する姿
靡く黒茶色の長髪に深緑の瞳。まさかあれは……

「ビスダ!」
「お嬢様……逃げられる保障はありませんが地下室のどこかに外へ通じる扉があるかもしれません……」
ビスダの腕から血が滴り落ちて血溜りを作っている。床に無数に着いた染みの元となるもの……
「今ここに居られるよりは安全かと思われます……早くお逃げください」
「逃げないわよ」
「えっ?……」
「私は我儘なの。だから嫌よ」
「こんな非常事態の時に何を仰っているんですか!? 早くお逃げください!」
「貴女が傷つくのも、悲しむのも嫌。貴女一人をおいて行くのも嫌。貴女の誓いを破らせる事になるのも嫌よ」
「……お嬢様……まさかあの時の事を思い出されて……」
「どうして教えてくれなかったのよ。もう少しで恩知らずになる所だったじゃない」
「そんなつもりでは……ぐっ!」
手にまた深く刃が食い込む。もうあまり長くは持たなそうだ
「でも……やっぱり護られてばっかりみたいね、私」
ポケットに入れた手を出す。そこには強く光り輝くエメラルド色の石が握られていた
「それは……?」
「あの熊についていたものよ、お守りなんだって。ずっと離さず持っていたの」
握り締めながら目を閉じる。何か自分の中に漲って行く感覚があった
「私の従者を虐めるのはやめなさい。虐めていいのは私だけよ」
目を見開く。全身に滾った力が放出されていく感覚を表すかのように、収束した光が天井の闇を貫いて拡散した
「アアアアアアアアアアアアア! イタイイタイイタイイタイ! ヤッパリイタイイイイイイ!!!」
……辺りが嘘のように晴れていった。血生臭さは完全に消え、何も無い大きな地下室が広がっていた
「どうやら……幻だったみたいね」
「お嬢様……その力は一体……? ……ぐっ」
ずっと痛みに耐えていたようでその場に蹲るビスダ
「その怪我を見る限りは夢じゃなかったみたいね」

……後日この屋敷で何があったか老婆を問い詰めた
元は難病を抱えた貴族の少女を隔離するための屋敷で、自傷行為に耽る彼女の行動がエスカレートし
地下で動物を虐待していたのだと言う。食肉用の豚を買っては夜な夜な取り寄せた拷問器具にかけると言う残忍な行為だ
親元を離れた寂しさから始まった行為であったが誰も止めるものが居なく、最後には感染症で亡くなってしまったのだとか
だが娘は決して愛されていなかったのではなく、屋敷の部屋数を埋める従者に数々の医療器具、暇つぶし用の娯楽部屋等
貴族の親には親なりの愛情を尽くしていたらしい

「豚呼ばわりされたのは癪だけどなんとなく気持ちは分かる気がするわ」
少しだけ掃除された一階の一室。ビスダの足の包帯を巻き直しながらシルヴァラは呟く
「お、お嬢様……もう治り掛けてますし自分でやりますから結構ですよ……」
顔を赤くしながらスカートを押さえてビスダが呟く
「それにしても魔法が解けたのなら部屋の埃も消えてくれればよかったのに」
「ですね……私の怪我が治り次第、本格的に掃除を始めようと思います」
「まあいくつか寝泊りできる部屋があればしばらく問題無いわよ。それより……」
「なんでしょうか?」
「地下のあの部屋、私のアトリエにするわ」
「お嬢様!? いけませんよ、あんな場所!」
「だからあの子の気持ち、なんとなく分かる気がするの」
解いた包帯、傷口から少しだけ血が滲み出ていた。それにおもむろに口をつけ舐める
「ひゃ!? お、お嬢様何を!?」
「なんとなく分かる気がする……」
……ぺろり舌なめずりをする
「どう言う意味でですかぁーっ!?」

       地下階の入り口近くには、石を銜えた熊の置物が飾られていた