《0》
 
 
 オルグラント大陸、という地がある。
 私達が今暮らしているこの大陸のことだ。
 
 
 特徴として大きく上げられるのは、まず一つに、とてつもない広さを持つということ。
 今より遥か昔、“世界の果てを見てみたい”と志して旅に出た若者が、その生涯を終えても世界の果てにたどり着くことができなかった、という御伽噺が伝わっているくらいだ。
 もちろん、今はいろいろな技術が発達していて、昔みたいに徒歩だけが旅の手段というわけではなくなっている。
 だというのに、“世界の果てを見つけた”という報せを聞いたことは、私が生まれてから、まだ一度としてない。
 “この世界には果てはない。全てが一続きになっているだけだ”と主張する学者もいるらしいが、詳しいことは私にはよくわからない。
 まあ要するに、いまだに全てが解明されていないほどに広いのだ、この大陸は。
 
 
 そして二つ目の特徴は――これは大陸というよりも、この世界の特徴、だと思うのだけれど――さまざまな技術や種族が氾濫している、ということ。
 魔法という技術もそうだし、巨大な鉄の人形を造り、動かす技術もそうだ。
 人語を解し、二本の足で歩く動物もいるし、明らかに人ではない、オートマトンだっている。
 この大陸で生まれ育ったものがいる一方で、ここではない別の世界からやってきたと公言する人だっている。
 深く根付いた古めかしい伝統と、次元を超えて異彩を放つ最新が同居する世界、と言えば聞こえはいいかもしれない。
 もっとも、私も含めて、多くの人はそんなことは気にも留めていないのだけど。
 「それがそこに在るのなら、それでいい」。
 
 
 そして、第三に、人に害を成す魔物がいる、ということ――。
 それがいつ頃から現れたのか、覚えている人はいないし、書き残した書物も今のところは見つかっていない。
 彼らはまるで“それが当然だ”とでもいうかのように、私達のすぐ隣に存在し、私達の生活を脅かし続けていた。
 それらに対抗するために、“冒険者”というものが生まれ、統率され、組織的な活動を始めたという流れは、必定のものだったともいえるだろう。
 今も大陸に住む人々や、異界からやってきた異邦人のうちの多くは、自ら冒険者として、魔物と戦う日々を送っている。
 
 
 とある学者達の間である噂が持ち上がっている、というのを小耳に挟んだことがある。
 その噂というのが、“この世界は、今、緩やかに滅びへの道を歩んでいる”、というものだ。
 この世界が、ありとあらゆる技術や人種を受け入れるのも、その滅びがあるからのことなのだと彼らは言う。
 この世界の意思、とでもいうべきものが、いずれ来るだろう滅びを回避すべく、ありとあらゆる可能性を受け入れ、取り込もうとしているのだと。
 もちろん、私には、その“世界の意思”というものがどういうものなのか、そんなものが本当に存在しているのかさえわからない。
 とりあえず、今の私でもはっきりと言えそうなことは――
 
 
 “この世界は、ありとあらゆる全てにおいて、病的なまでに寛容なのだ”ということ、だろうか。
 
 
《黄金英雄譚1 〜蒼黒と舞う剣姫〜》
 
 
《1》
 
 
「ありがとうございます、本当に助かりました」
 深々と頭を下げる村長に、慌てて手を振りながら口を開く。
「いえいえ、そんなに頭を下げないでください! これで全てが解決したわけじゃないんですし……」
 鞄を持ち直しながら、言葉を続ける。
「これからギルドにこの村の現状を伝えるとして、どんなに早くても七日くらいは掛かってしまうと思います。ですから、もうしばらくは……」
 言っている途中で、自分の眉根が詰まってしまうのがわかった。
 多分、すごく険しい顔をしているんだろうと、自分でもわかってしまう。
 そんな私の心情を汲み取ってくれたのか、村長は何度も頷きながら口を開いた。
「ええ、わかっておりますとも。ですが、先に希望が見えているのといないのとでは、村の者の活気も変わってきますのでな……」
 囁くような村長の声。その声に、彼の苦悩や重責、背負った全てのものが溶け込んでいるのが感じられた。
「……はい。わかっているつもりです。それでは、私はここで。またすぐに、冒険者が来るとおもいますので、そのときはよろしくお願いします」
 深く、深く頭を下げて、その場を後にする。
 村長が何度も何度も頭を下げる気配を背中越しに感じて、少しだけ胸が痛んだ。
 
 
 村の入り口まで、荷物を提げたままのんびりと歩く。
 別に見納めるというわけではないけれど、数日滞在した村を離れるわけだし、やはり見ておけるものは見ておきたかった。
 畑仕事をしていた村人が、私に気づいて作業の手を止め、頭を下げてくれた。
 こっちも頭を下げ返して、別れの挨拶に代える。
 確かあの人は、この辺りの森を案内してくれた人だったか。
 あのときの彼の勇気には、いくら感謝してもし足りないくらいだ。
 あの人のおかげで、この辺りを荒らしていた魔物の塒(ねぐら)がかなり早くわかったわけだし。
「リザードマン、か。まあ予想外ではないわよね」
 調査した結果を頭の中で反芻する。
 相手がわかっただけでも、ここにやってきただけの甲斐はある。
 骨折り損のくたびれ儲け、ということもよくあることなのだ、こういう調査には。
 残る問題は、この件に対しての、冒険者の振り分け方なのだが、まあこれも一筆添えておけば大丈夫だろう……多分。
「っと、善は急げ、だわ」
 足を止め、鞄を地面の上に置いて開く。
 我ながらお世辞にも整頓されているとはいえないその中から書簡を引っ張り出し、次いで一冊の本を取り出す。
 ぱらぱらとページをめくり、目的のページを開くと、ゆっくりと息を吐いた。
 イメージする。
 黒い翼を持って空を飛ぶ、あの鳥の姿を。
「――仮初めの翼持ちて羽ばたけ――」
 そう呟いて、本に力を注ぐ。
 それだけで、作業は完了した。
 開いたページの上に、黒い塊が生まれ出る。
 それは瞬く間に大きさを増し、掌を広げたほどにまで成長していった。
 そして現れるのは、一話の烏だ。
 翼を広げ、鋭く尖った嘴を持つその黒い鳥の足に、書簡をくくりつけてから、目をしっかりと見て告げる。
「できるだけ急いで、これをギルドマスターに届けてちょうだい。頼んだわよ!」
 腕を振り上げて、烏を空に羽ばたかせる。
 私の言葉を理解した合図だろうか、一回円を描くように空を飛んでみせた後、烏は南の空を目指して飛び立っていった。
 それを見送って、一息吐く。
 これで、私の仕事は本当に、一区切りついたわけだ
「……よし。早いところ、次の村へ向かおうっと」
 荷物を片付けて、再び歩き出す。
 少し開けたところでないと、移動のための魔法は使えない。
 地図を広げて次の場所までの道のりを確認しながら、私はその村の入り口を後にした。
 
 
 冒険者ギルドの調査員。
 それが、今の私――エニル・アシュタッドの主な仕事、なのだった。
 とある事情で一度鬼籍に入った私は、紆余曲折あってどうにか肉体を取り戻し、普通の生活に戻ることができた。
 しかし冒険者に復帰する気にもなれず、かといって冒険業の第一線で活躍するあの人の肩によっかかって生活する、という選択肢もまず選べない。
 主に自分のプライドの問題で。
 普通の仕事をするにも、鬼籍に入ってるわけだし……と悩む私にギルドマスターが話を持ってきたのが、事の始まりだった。
 ギルド間による情報網がしっかりしてきたとはいえ、この大陸は広く、まだカバーできない地域のほうが多いのも事実だ。
 人里離れた山奥、深い森の中、深い湖の底……ありとあらゆるところに人はいて、魔物もまた存在する。
 そういう僻地に暮らす人達との連絡を取るための人手は、多ければ多いほどいい。
 それも、依頼の手順がどういうものか知っていて、旅の仕方を心得ている経験者がベストだった……と、そういうわけだ。
 引退した冒険者はもちろん、私みたいに立場の微妙な人間でも大丈夫、ということで。
 私がその打診を辞退する理由なんて、あるわけがなかった。
 
 
 そして連絡員の一人となって、大陸のいろんなところに足を運ぶようになってから、もう20年以上が経とうとしていた。
「……とは言っても、実感がないのよねー……」
 魔術で作り出した黒い布に乗り、空を翔けながら、ついそんなことを呟いてしまう。
 夫であるところのあの人は相変わらずの現役だし、外見が全然変わらないし……。
 私は私で、やっぱり外見が変わらないようになってしまってるから、お互いに歳を取っている感じがしないのだ。
 さらに私と同じく彼の妻になっている他の三人も肌年齢? 何それ? って状態だし。
「近所でいろいろと噂になってるっていうのが痛いわよねー……」
 曰く、街の外れの大きな館には一人の魔王と四人の人外が棲んでいて、魔物を従者として酒池肉林の日々を送っている、とかいう噂が、まことしやかにささやかれているのだとか……。
「実際には酒池肉林どころか質素な生活なんだけどなぁ」
 まあ、あまり外に出ずに、買い物も取り寄せや配達で済ませてしまう私達も悪いとはわかっているんだけど。
 やっぱりご近所付き合いは大切よねぇ……なんてことを思いながら、地図を開く。
 そろそろ、次の村が見えるはずなんだけど……。
 目印を確認しようと、眼下に見える景色に視線を移した、そのときだった。
 
 
 ドォンッ、という音が、辺りに響いた。
「え?」
 身を乗り出して、辺りの様子を窺う。
 眼下には、切れ目のない黒い森が広がっている。
 特に、何かおかしなところは見られないような気がした。至って普通の森の姿だ。
 気のせいだったか、と思いかけたところで、再び激しい音が響いた。
「!?」
 すぐに首をめぐらせたのが幸いしたのか、今度はその音の源を視界に納めることができた。
 眼下の森に、波が生まれる。
 そして生まれた切れ目に、それが見えた。
「人ね……!」
 少し遠目で分かりづらいが、あれは間違いなく人の姿だ。
 何か、細長い棒のようなものを抱えて、その人影は森の中を走り続けている。
 時折その速度が緩むのは、何か背後を気にしているため、だろうか。
 ともすればつまづき、転びそうになりながらも、人影は森を駆けていく。
 危険を察したらしい鳥達が飛び立っていくその場所へ、布の針路を切り替える。
 念のため、側に置いていた魔導書は手の中に移した。
 森の中に、先程の人影とは違う、幾つかの影が走り抜けていくのも見えたからだ。
 影のうちの幾つかの動きには、見覚えがあった。
 小さく、けれど俊敏な五つほどの影が、統率の取れた動きで、残る一つの影を、人の姿を囲むように動いている。
 幾つかの影は、先行する人影に追いつくためだろう、左右から大きく回り込もうとしていた。
 あれは恐らく、動物の類だろう。群れで動き回り、狙いを定めた獲物を緩慢に、確実に追い詰めていく、狩猟本能を持った獣の動きだ。
 恐らくは、野犬か狼の群れ、だろうか。
 この辺りは、魔物もそうだが、動物もかなり凶暴だ。だから、こうして襲われる人間も後を絶たない。
 と、次の瞬間、人影が足を止めて振り返ろうとするのが見えた。抱えていた細長い何かを構え、その場に片膝をつく。
 直後に、短い轟音が響いた。
 次いで、やはり短く鳴き声が響く。
 見れば人影を追っていた小さな影のうちの一つが、進んでいた方とは逆方向へと吹き飛んでいた。
 どうやら、上手く攻撃を当てられたらしい。あの細長いのは、銃か何かだったのだろう。
 だとすれば、あの人影は猟師、なのだろうか。
「――って、それは後回しだわ」
 森の中の様子を見てとって、軽く首を振る。
 木々の青々とした緑の下、残る四つの影が、その動きを変えたのが見えた。
 足を止めてしまったことが災いしたらしく、人影は群れに包囲されてしまったようだ。
 このままだと、一斉攻撃を仕掛けられるのも時間の問題だろう。
 手を出すなら、今しかない。
 
 
 眼下の光景を見据えたまま、魔法書に精神を集中させる。
 書は媒介。私が揮う魔術の枠組を記したもの。
 ページを確かめる必要はない。私がそれを唱えると決めたなら、書は自ずとそれを開き示す。
 
「――其は我が内に潜む十三の悪意――」
 
 呪を口ずさむ。書が媒介、枠組ならば、言葉はその枠組を呼ぶための引金であり、装填されるべき弾丸だ。
 自分が思い描くイメージに魔力を通し、思うがままに放つためのもの。
 
「六の煉獄にその身を浸し 七の魔王に刃を磨がれし純たる殺意
 命を啜り 光を奪う 破戒の魔刃なり――」
 
 私の奥底から、黒く澱んだものが吹き上がる。
 それは呪に込めたイメージに従い、書の示す枠組の通り、闇色の塊になって、私の周囲に漂い始めた。
 そこから、私はさらに自らのイメージを研ぎ澄ませていく。
 
「触れしは蝕まれよ 裂かれしは死に至れ
 “エニル・アシュタッド”の名の下に、我は殺意を執行せん――!」
 
 イメージは、剣。
 万人が抱く、殺意と敵意の象徴。
 死に往くものへ、最後の懺悔を強制する十三の階段……!!
 
「――疾く振り下ろせ 《慈悲なき十三の刃》!!」
 
 掲げた本を、振り下ろす。
 その瞬間、術式は形を成した。
 私の周囲に浮かんでいた黒の塊が、瞬時に伸び、鋭さを得る。
 そして次の瞬間には風を切り裂きながら、十三本の黒い剣が眼下の森目掛けて、勢いよく落ちていった。
 森の木々の中に飛び込んだ剣は、私の意のままに宙を滑り、進路にある枝葉を滑らかに断ち切って――今まさに飛び掛ろうとしていた全ての獣を、容赦なく串刺しにした。
 獣たちが地に伏せる音が、連続して響く。
 それっきり、森からは何の音も聞こえなくなった。
 
 
 布を生み出していた魔法を解除して、地面に降り立つ。
 私のすぐ目の前には、尻餅をついている男が一人。
 さっきの、銃を構えていた人影の正体が、彼だった。
 こうして間近で見てみると、奇妙な柄をした服を着ている。
 少なくとも、この近辺では見かけない、妙にポケットの多い、周りに溶け込むような緑系のまだら模様。
 そういえば、傭兵団を名乗っていた一団のメンバーが、こういう服を着ていたっけ。迷彩服、とか言うんだったか。
 彼は自分の周りで倒れている狼達の姿を呆然と見回していたが、私に気がつくとすぐに身構えた。
「だ、誰だアンタ……!?」
 目を見開いて、例の細長い筒をこっちへ向けてくる。
「わっ!? ちょ、止めてよ! それ遠ざけてよ、私は通りすがりよ、貴方を助けたの!」
 慌てて両手を振りながら、そう言葉を投げかける。せっかく助けたというのに、その代償が私の命、というのではあんまりだ。
 こっちの声が通じたのか、彼は筒を構えたままで、眉根を詰めた表情を浮かべた。
「助けた……? 俺を、か?」
「その通り。もうちょっと遅れてたら危なかったかもね、この辺りの狼はとても凶暴だし……」
 辺りに倒れ伏している狼たちを見ながら、そう告げる。そのどれもが、絶命し、血を振り撒いていた。
 我ながら酷いことをするとも思うが、今更だ。
 自分や同種の生存のために他を狩るのは、狼も人間も変わらない。
 時として人は、昨日までの隣人にも刃を向けるけれど。
「おおかみ、だと……? これが?」
 私が見ていた狼の骸を見て、男が狼狽した声を上げる。
「ん? え、狼でしょこれ? いやまあ私もそこまで詳しくないし、野犬の一種かもしれないけど……」
 振り向きながらそう答えるが、彼は首を僅かに振るだけだ。違う、という意思表示だろうか。
 しばらくして、彼が声を紡ぐ。
「……すまない。狼というのは……もう、死に絶えたんじゃなかったか?」
「……はあ?」
 あまりにもあまりな質問に、今度はこっちがすっとんきょうな声を上げる羽目になった。
「何言ってるの、狼が絶滅したって。あいつらホントにそこかしこで増え続けてて今じゃネズミより多いんじゃって話まで……」
 そこまで言ったところで、一度言葉を切った。
 改めて、彼の服装を眺め見る。
 この近辺ではあまり見られない、その服装。
 加えて、「狼が死に絶えた」というその言葉。
 私の知っている常識とは違う、彼の持つ常識。
 実際に考え込んだのは何秒くらいだっただろうか。
「……ちょっといい?」
「な、なんだ?」
「もしかして、なんだけど……貴方、どうやってここに来たのかわかってないんじゃない?」
 その問い掛けに対する反応は、痛快とも呼べるくらいにわかりやすかった。
「どっ、どうしてそれを……!!」
「あー、なるほどやっぱり……」
 その、肯定としか受け取れない反応に、思わず頷いてしまう。
「やっぱりそうか、“御客様”だったわけね?」
「御客様? なんだ、どういう意味だよそれは……」
「そのままの意味よ。この世界への御客様。あるいは……そうね、異邦人?」
「異邦人……俺、が?」
 呟く彼の表情は、いかにも腑に落ちないと言わんばかりのしかめっ面だった。
 だが、構わない。
 どうせそのうちに否応にもわかることだろう。
 とりあえず、今私が言うべきことを口にする。
 この世界で、先に生きているものとしての挨拶を。
 
「ようこそ、アルカンシアへ、異邦人の方! 貴方のこれからの行く先に、この世界の、“黄金の神話”のご加護がありますように」
 
 
《続く》