ある日、魔女の店に招かれざる客がやってくる。 それは魔法使いの少女の心に確かな傷を残した。 ルート分岐1、観測を開始する。    『悪人と魔女のレクイエム』 魔女の店、ミスティフィカシオン。 神秘化という名前の店。 店主はレイチェル・レイネス。通称レイレイ。 怪しげな店であるが、客足は悪くない。 今日も店に客が一人。彼女の友人、名を落蘇(らくそ)と言った。 呪術師のようで、レイレイとは色々と知識を交換したり雑談したりする仲だ。 「ふぇへへ……その時、ササキさんがこう…」 「それって不味いんじゃないのか 俺のイメージだと店主殿はもっとこう いやひどいな」 「いやでも普段のササキさんは頼れる人でいい人で」 「それはわかっているけどな 眼鏡の店主さん、フォローが遅くないか」 内容はあってないような些細な笑い話。 共通の友人と話したことがメインで、その日も平和だった。 ……平和、だった。 その時、店のドアを乱暴に開ける音。 黒いローブを着た男が先にやってくる。 「あ、あのー……いらっしゃいませ、魔女の店ミスティフィカシオンにようこそ」 レイレイがおずおずと声をかけると、黒いローブを着た男の後ろから背の高い老人が現れた。 落蘇が顔を顰めた。何かの臭いを感じ取ったからだ。 背の高い老人は、衰退した世界にあって随分と豪奢な身なりをしていた。 どこかの名士と言われても信じるくらいに。 その老人が口を開いた。 「これはこれは、可愛らしいお嬢さん。ここでは薬を売っておるのかね」 「はいー。傷薬や胃薬、血止めに解毒薬と幅広く売ってますー」 その言葉に老人が黒いローブを着た男に目配せすると、男は金貨の詰まった袋を取り出した。 「早速だが……呪いの病気に効く薬などあったら売っていただきたいね。謝礼は用意してある」 「え、ええと………」 レイレイが申し訳なさそうに言う。 「ごめんなさい、まずはどんな呪いでどんな症状かもわからないとちょっと処方できません…」 そう言うと、老人は顔を歪めて笑いながら服をめくって腹を見せた。 そこには、蛇の鱗のような紋様が……爛れた皮膚がめくれあがってできていた。 落蘇がレイレイを見て頷く。 「盾鱗病、それも末期だ 内臓までやられているな 呪術師に相当な恨みを買ったか あるいは」 「じゅんりんびょう………」 レイレイが身を縮めて老人の前に出てくる。 「ご、ごめんなさいー。ちょっとこの症状を治すお薬はうちにはないですー……」 「ご老人、少し遅かったな 初期症状なら呪い師が治してくれるが もう助かる余地がない」 レイレイと落蘇の言葉に、老人は顔面に貼り付けたような無表情のまま。 レイレイを殴りつけた。 何が起きたかわからない、という表情で倒れこむレイレイ、吹き飛ぶ眼鏡。 「……っ!?」 「おいアンタ何を」 レイレイとの間に割って入った落蘇を、黒いローブの男が羽交い絞めにする。 「医者も匙を投げたんだぞ? それがここで病名がわかったが、手遅れだ?」 老人は倒れこんだレイレイを蹴りつける。 「認められるか!! 儂を誰だと思っておる!! 何か薬を……手を隠しておるのだろう、魔女が!!」 「ふざけるな! アンタの症状は末期だ、強い呪術に襲われなきゃこうはならないほどの! 眼鏡の店主は関係ないだろう!!」 何も言えないレイレイの代わりに羽交い絞めの落蘇が抗弁する。 「儂はな……色々と商売を手広くやってきた。人に恨まれることもあったろう、だがそのうちの一人が呪術師を雇った」 「ひっ………」 暴力に怯えきった表情のレイレイが短く声を上げる。 「呪術師を殺したよ。だが呪いは消えなかった。呪術師に頼んだ奴も殺した。だが呪いは消えない……」 「逆効果だな むしろ寿命を縮めただけだ」 「黙れ!!」 老人が落蘇の腹を蹴りつける。恰幅のいい老人は、死に掛けているとは思えないほどに手馴れた暴力を振るう。 「ぐっ」 「こんなところで死ねるか……儂にはやることがあるんだ…やることが…………」 老人がレイレイの黒髪を掴んで持ち上げる。 「何かあるのだろう、秘薬、霊薬、万能薬! その類を!! 隠しておるのだろう、なぁ!!」 「や、やめて……痛いのは嫌ですー………」 「おうおう、なら早よう出せ!! シラを切るなら店中ひっくり返して探してもよいのだぞ!!」 「アンタ滅茶苦茶だ それがいい大人のやることかよ」 レイレイの黒髪を掴んだまま老人は落蘇に向けて激昂したままの表情を向ける。 「こっちは命懸けなのだぞ!!」 その言葉を聞いて、レイレイは苦しげに呻いた。 「あ、あります……どんな病でも治る、霊薬が………」 老人がニヤリと笑って手を離した。 「やはりな。隠し立てするから痛い目を見るのだ」 レイレイがよろよろと立ち上がると、解放された落蘇が近づいていった。 「眼鏡の店主………」 「すいません、落蘇さん。巻き込んでしまって」 魔女は店に並ぶ薬の中から、丸薬の入った瓶を取り出して老人に渡した。 「フン」 老人はそれをひったくると、品定めをするように丸薬を見て。 「まず人で試した上で飲むぞ、効果があったら改めて金を払いに来てやる」 項垂れたままのレイレイに吐き捨てるように告げると、老人は瓶を手に立ち去っていった。 「眼鏡の店主、大丈夫か? 鼻血が出ているじゃないか 他に怪我は?」 「いえ………それより、冒険者を集めてください…私は準備があるので……」 「どういうことだ 冒険者を集めろって 一体、何の薬を渡したんだ?」 レイレイはそれに答えず、何度も謝りながら落蘇を店から閉め出した。 落蘇は、レイレイの表情が暗いことが気になって仕方なかった。 キリサキ・タタラ。 サザンカ=アンデルセン。 アニー・ゲットーバード。 カレリア=ティーナ・ハミルトン。 そして、レイチェル・レイネス。 集められた冒険者と、黄昏の世界の魔法使いは満月の夜に近くの湖畔に来ていた。 「なぁ、レイレイさん。なんで怪我してたのかとか、何の討伐依頼なのかとか、そろそろ説明してくれよ」 サザンカが心配げにレイレイを見る。 「そうじゃなー、ワシも斬る相手がわからぬままでは困るのー」 タタラがその言葉に応じてレイレイに話しかける。 「ふふ、秘密は女のお化粧だけれど・・・あなたのは少し厚化粧ね、レイチェル」 先輩魔女のカレリアもレイレイの肩に手を置いて、安心させるように話しかける。 「いや、待って 何か来る……毛むくじゃらの…猿?」 アニーが湖畔に現れた恰幅の良い猿のような何かを見つけて戦闘体勢を取る。 レイレイは全員を両手を広げて制して、その猿に近づいていった。 「レイレイさん、危ない!怪物が襲い掛かってくる!!」 「いいえ・・・何か様子がおかしいわ」 「話しかけてる………」 レイレイは影のある表情のまま毛むくじゃらの生き物に声をかける。 「どうですか、霊薬を飲んだ後の塩梅は」 「き、貴様……儂に何を飲ませた………」 猿――――いや、老人だったものは、水辺で必死に何かを吐き出している。 蟲だ。 げえげえと苦しそうに、口の中から次々に蟲を吐き出しているのだ。 「あれは水妖蟲の精卵です。一個、二個飲んだところでただの栄養剤代わりですが」 「おごっ……げえええ」 「一度に大量に飲めば、体の中で蟲は孵化し、人間は化け物に成り果てる」 「お、おおおお……お前……!!」 レイチェル・レイネスの冷たい言葉に、冒険者達が顔を見合わせる。 彼女を知っているなら、そんな言葉が出るはずがない。 立ち込める暗雲が満月を覆い隠していく。 「あなたは先祖返りしたようですね。でも、もうあなたの病気は全て治っているはずですよ」 「こ、殺してくれるぅ!!」 次の瞬間、飛び出してきたアニーとサザンカが人猿に蹴りを入れる。 「何のことかさっぱりわからないけど!!」 「むむ、なにか後味の悪い戦いになりそう!」 蹴られた人猿は剛力に任せて二人を振り払う。 レイチェルは虚空に手を突き入れると、中から鍵杖『ラ・クレフ・ア・ベリテ』を取り出す。 それを軽く振って戦闘の構えを取る。 「あれは人間じゃない。もう、怪物です」 少し表情を歪めた、極彩色の女武者が黒刀を抜いて斬りかかる。 人猿の血飛沫が舞い、叫び声が周囲に響き渡る。 「それって人殺しだと言っているようなものじゃよー」 「・・・やるしかないようね」 続いてスケイルメイルタイプのゴーレムに真理の文字を書き込み、装備したカレリアが殴りかかる。 魔女空手(マジカルアーツ)。殴りつけながら衝撃波を生み出すその一撃に猿人が呻く。 「儂がぁ!! こんなところでぇ!! 死ねるかぁ!!」 ダメージを受けながら体躯に見合わぬ素早い動きで両の拳を振るい、女武者と魔女を殴り飛ばす。 「重い・・・!」 「侮ったら死人が出そうじゃな」 レイチェルが鍵杖を軽く振って駆け出す。 「サザンカさん! アニーさん! 相手の姿勢を崩してください!!」 「あ、ああ」 「サザンカ君、戦闘に集中する!」 サザンカが駆けて、姿勢を低くして掴みかかる相手の腕をすり抜ける。 「でぇい!!」 相手の眼前で小さく跳躍しながら猿人の正中線に五連続で両の拳を叩き込んだ。正中線五連撃。 「パイル・バンカーッ!!」 猿人が怯んだ隙に飛び込んだアニーの、電磁加速された拳が猿人の頭部にヒット。 老人だったものが、大きくよろめく。 相手の姿勢が崩れたのを見計らって前に出たレイチェルが、赤く輝く杖先を相手にそっと沿える。 「古代術式・零距離爆発魔法(エンシェント・ブレイズ)」 敵の姿勢が崩れた時のみ効果を発揮する、相手を大きく吹き飛ばす爆発魔法が猿人を湖畔沿いに押し返す。 「一斉攻撃を、仕留めます」 「・・・殺すのね、レイチェル」 「お願いします」 「本当に後味が悪いのう」 不承不承ながら黒刀を構えたタタラ。 「そぉい」 タタラの切っ先から剣気が刃となって放たれる。 「マジカル・・・アーツ!!」 「っだらぁ!!」 「遠当て・刃金!!」 続いてカレリアの放つ光と熱を秘めた衝撃波が、サザンカとアニーの遠当てが。 遠距離から猿人に致命的なダメージを与えていく。 「き、貴様らぁ!! いや、魔女の娘ぇ!! お前は呪われた魂になるぞ!! 儂を殺した報いを受けろぉ!!」 人間の言葉で最期の呪いを紡ぐその存在に、レイチェルは鍵杖を向けた。 「解錠(アンロック)……最終冥焔魔法(ネガゴシック・サバト)」 相手の言葉を聞かずに黒炎の塊を猿人に放つ。 燃え盛り、最早言葉もなく力尽きる猿人。 殺した。 この場の誰もが、言い知れない後悔を抱えていた。 「……報酬は後日、酒場を通してお支払いします、それでは」 それだけを言い残してその場を去ろうとするレイチェルに、言葉をかける人もいた。 「レイチェル、あなたに何があったかは知らないけど・・・」 「レイレイさん、本当にこれでいいのかよ!?」 カレリアとサザンカの言葉に、ぎゅっとローブの袖を掴んで。 それでも立ち止まることはなく、魔女は去っていった。 団子屋の前を、通りがかるレイチェル。 軒先で空を眺めていたササキがそれに気づく。 「おお、レイレイ殿ー。すっかり月夜も翳ってしまったでござるなぁ」 「…………」 「……レイレイ殿? もうすぐ雨が降りそうでござる、傘など借りていかれては」 眼鏡が透けて目が見えた。淀んだ瞳でササキを見るレイチェル。 その表情に、ササキは寒気すら覚えた。 「…何かあったのでござるか?」 「いえー……」 眼鏡を掛けなおして、厚いレンズで真意を隠すレイチェル。 「何でもありませんよー。また今度ー」 「そんな……」 言葉に詰まるササキ。 声音はいつも通り、それでも。 まるでレイチェルの存在が、魂の底から冷え切っていたようにさえ感じた。 レイチェルは自分の家……魔女の店『ミスティフィカシオン』に戻ると、光魔法で灯りをつけた。 「ただいま、ネネ」 腹を見せて寝転がっていた黒猫に話しかけるレイチェル。 「……私、あの人を殺しちゃったよ。悪人だからって、殺していい理由にはならないのにね」 黒猫は佇むように座りなおすと、表情を変えた。 「呪われた魂になったな、レイチェル・レイネス」 猫に似合わない邪悪な表情。そして男の声でそう喋ると、レイチェルは表情を曇らせた。 「……今日は監視者のほうでしたか」 「そう邪険にするな。因子は集まった、観測した甲斐がある」 魔女はくしゃり、と表情を歪ませると、涙を流した。 「あなたの……ためじゃない…っ」 こうして魔女は忘れえぬ傷を刻んだ。 ルート分岐1、観測を終了する。