アリス、怪異殺しに関するレポート 2020年10月21日 黛 墨薫 アリスとは ・表題にある様に、アリスとは怪異である。  人類史上に初めて姿を現すのは2000年ほど前になる。  帝政ローマ華やかなりし頃、その領土の端、欧州北西部における  人悔いの怪物、スナッチとよばれる怪異の退治譚にその名が残る。 ・その登場は唐突。この当時の英雄譚に見られる出自や血統に関する伝承は無く  突然現れ、怪異を狩り殺し、ただ姿を消す謎の少女。  彼女自身に物語は無く、怪異の登場する物語の中にその名が突然現れるのだ。  この有り様は物語上の類型としてはデウス・エクス・マキナに当たり  怪異事件を解決する、あるいは怪異を斃す、  そのために、そのためだけに、出現する存在に思える。 ・この存在の仕方に加え、怪異発生率が高まった特異的な地域に現われる事  アリス伝説の伝播した地域での出現率が高い事 (これに関しては、鶏が先か、卵か先か的な問題があるが割愛する)  更にいくつかの物語の中でアリス自身が発する台詞を併せて考えると  アリスもまた怪異、怪異を殺す存在として望まれ、化生した怪異だと思われる。 ・それだけ古代の人々が怪異を恐れ、討伐者を求めたのだと  冬海大学怪異学部高橋教授は語った。 アリスの発祥と伝播と変移 ・伝説上に残るアリスの名。今回調べた中で最も古いものは  前述したスナッチ討伐の伝説である。  これはイギリス、グレートブリテン島とアイルランドの間に位置する  アイリッシュ海中央に位置するマン島…  人魚や妖精、すなわち怪異の伝説や伝承、民話が数多く残る、  そんな神秘的な島に残る伝説のひとつだ。 ・この伝説に登場するアリスは、ジャブジャブとよばれる力を用い  人喰いの怪物スナッチを討ち滅ぼす少女として語り継がれている。 ・この様なアリスの登場する怪異討伐譚はヨーロッパ全域に広く分布するが  古い言語、アルファベットが他の文字を駆逐する前の伝説に絞っていくと  イギリスおよびアイルランド周辺がアリス発祥の地と推測できる。 ・しかし、古い伝説に登場するアリス自身に物語性はなく  別の主人公の物語の中に突然登場する、怪異を殺す謎の少女であった。  そんなアリスの名を世界中に広めたのは、やはりルイス・キャロルの小説である。  キャロルの小説は、スナッチ狩りをはじめとする、ヨーロッパ中の  アリス伝承を掻き集め、アリスに少女らしいキャラクターを付与し  主人公に据え、物語として再構成したものだ。  これ以前の伝説に登場するアリスに、ほとんど人格らしい人格が見られない事と  アリス自身が怪異である事を前提に併せ考えると、  近代以降の怪異事件現場に現われたアリス、人格を有し、感情を露わにし  威張り、傲慢な言葉を口にする、ツンでイキリなアリスは、  「不思議の国のアリス」シリーズおよび、そこから派生した様々な  創作上のアリスとそれらを好む人類の思念による影響を受け  性質を変移させているのかもしれない。  人間や怪異と関わり、言葉を交わす、繊細さと傲慢、好奇心を秘めた少女に。 ・また「鏡の国のアリス」におけるアリスの行動が、  チェスのルールに則ったものだと言う事は有名だが、  この特に理由もなく己に課されたルールに準ずる、という性質は  怪異によく見られるもので、これはルイス・キャロルがアリス=怪異という前提で  作劇したのではないか、と思われる。 ・いずれにせよ、ここ100年ほどにおいてアリスの性質は  より人間に近いものに変移していると思える。 ・また、近代の伝説にはこうある。  アリスは茶会を催し、招いた客と問答をする、と。  これが本当であるならばアリスはもはや、怪異を殺すだけの存在では  なくなっていると言えるだろう。 アリスとジャバウォック ・マン島の伝説において、アリスはジャブジャブという力を行使する。  現地におけるジャブジャブとは毒牙のある生き物を示し  これはアリスの異能の恐ろしさを示すものとされる。 ・当レポの記述者が知る「アリス」の異能力は物を生み出す、あるいは物質の変換だ。  これを空論の獣、ジャバウォックとよぶらしい。  ジャバウォックはジャバウォックの歌、並びに鏡の国のアリスに登場する怪物だ。  その名はルイス・キャロルの解釈では「議論の賜物」  言語学では「打ち砕くもの」「意味の無い事をぺらぺらしゃべるもの」  英文学では「言語の混沌」「言葉の秩序を脅かす騒音」  総合的には、このシャバウォックというドラゴンに似たキメラ的な怪物は  言葉の様に何でも言える、何でも出来る、というアリスの異能を象徴し  怪物としてキャラクター化する事により、恐ろしさを分かりやすくしたものだ。 ・しかしその名には、意味のない、騒音などの否定的な意味も交えられており  これは次に挙げるアリスの矛盾に関する揶揄ではないかと思われる。 アリスの矛盾 ・アリスの異能、ジャバウォック。  アリス自身が伝説上の存在のため、確証はないのだが  怪異学、異能学の権威の見立てでは概念にすら作用する創造と破壊の力、である。  当レポの記述者が知る方の「アリス」の弁、  消耗はほとんどない、という言葉も併せて考えるに  これは万能すら超えた全能。万物の創造と破壊を司る神に匹敵する力と言える。 ・しかし、これが本当だとすれば  更に、アリスが怪異を殺すために生まれた存在だとすれば  ここに大きな矛盾が生じる。 「何故、アリスは怪異という概念を破壊しないのか?」 「何故、アリスは怪異の存在しない世界を創造しないのか?」  全能でありながら、それを戦いにしか活用できない無能でもある…  これはまさに、人の心から生まれた神の抱えるパラドックスだ。  悪に満ちた世界を創りながら、悪を禁じ罰する、あの神の矛盾だ。 ・尤も、アリスに関してはこの矛盾に納得できる答えは見いだせる 「怪異そのものを消し去れば、怪異であるアリスもまた消え去る事になる」 「怪異殺しが存在するには、その対象となる悪い怪異が必要だ」  悲しいかな、怪異という存在は忘れられたら、消えるのだ。  怪異殺しが人々の心に在るためには、狩られる側の怪異が必要なのだ。  これが、絶大な力を持ちながら、ちまちまと個々の怪異退治に終始し  ゆえに伝説以上の存在になれない、と言うよりは――  伝説上に生まれたものゆえに、伝説に縛られ続ける  怪異殺しとして生まれたゆえに怪異殺しにしかなれない  アリスという怪異なのだ、と。 ・人は生まれながらには役目を持たない。  社会的に、あるいは能力や家業上の役割を負わされる事はあるが  存在自体は生命という自然現象に過ぎず、ゆえに自由である。  しかし怪異は違う。当レポートの執筆者は専門家ではないため  冬海大学怪異学部教授の言葉を借りるが、怪異は 「最初からそういうものとして発生する」のだ。  これこそ、アリスが神の力を持ちながら、神ではない  矛盾を有する理由ではないだろうか。 総論 ・アリスは怪異である。  怪異であるが故に、自分自身の性質に縛られ  怪異であるが故に。人々の想いにより性質が変移する。  何でも出来るくせに、自分の事だけはどうにも出来ない。  そんな存在なのではないか、と推察する。  これは専門家ならぬ執筆者の総合的な所見。推察と感想である。