…いやー、自分が取材を受ける事なんて中々ないんで緊張しちゃいますねえ。 これで貴方が綺麗な可愛いビッグボインの女の子だったらもっと嬉しかったんですけどねぇ。え、茶化すな? やれやれ、堅いお方だ。で、おじさんにどんな取材ですか? 自慢じゃありませんけどこの街の冒険者のバストサイズはほとんど網羅してますよ?え、違う? ……クライベイビー事件? ああ、あの事件を追っているブンヤさんですか、貴方。 一時期有名でしたもんね、あの事件。夜の街に赤子の鳴き声、そして証拠が一切ない死体。 私も少し調べたことはありますよ。 少し、ね。 …最近、その首謀者がわかったっていう噂が耳に入ったんですって? …………へえ。 それは初耳でしたよ。調査員として恥ずかしい限りですね。 …で、そんな話を私にして、何を聞きたいっていうんです? おじさんはただの調査員ですよ?可愛い婦女子に目がないだけの。 そんな私が喋れることなんてねえ?ええ、もち… ……っと、机をたたくのはやめてくださいよ。まったく、荒い人だなぁ。 そんなに犯人を知りたいんですか?熱意はわかりますがやめておきましょうよ。 どうせ犯人なんて大した人間じゃないですよ。 赤子のような鳴き声を上げる殺人鬼なんてねぇ?文字通り泣き虫なだけなんじゃないですか? そもそも私、犯人に心当たりなんて全く… …わぁ、銃はやめましょう、銃は。 下ろしてくださいよ、物騒だなぁ。 私、自慢じゃないですけど弱いんですから。 その辺にいる腕自慢の冒険者さんとは違うんですよ? …わかった、わかった。 わかりました、わかりましたよ。 それじゃあ、私の知っていること話しますよ、ええ。 観念しました。 クライベイビー事件の真相。お伝えします。 ……もちろん、オフレコでお願いしますよ? 調査員が調査内容を特定の個人のみに開示なんて、基本的にしないんですから。 …では、そうですね。 まずはここ最近の、冒険者たちへの襲撃事件のお話から始めましょうか―――――――― ※    ※    ※ 「カレ姉 最近の噂聞いてる? クライベイビー事件のやつ」 「ええ…ここ最近夜の襲撃事件が多いんですってね?でも、私たちを襲うような奇特な人間はいないでしょう」 「カカッ それもそうだ カレ姉に挑むような命知らずな人間がそうそういるものか」 「タタラ…貴女がいるからこその言葉なのだけど?もし襲われたら期待してるわよ、ふふっ…」 カレリアとタタラが夜の街を歩いていた。 2人で酒を飲み、しかしほろ酔いに至らない程度に切り上げて、帰路の途中であった。 カレリアは酒に強くないため、大人の嗜みとしての味わうにとどめていた。 タタラは?彼女は酒飲み大会のチャンプである。言うまでもない事だろう。 2人が歩く先、人通りの少ない街道をゆらゆらと歩く姿。 それを、漆黒の闇に輝く紫の瞳が捉えていた。 数瞬後。 タタラとカレリア目掛け、投げナイフが投擲された。 狙いは正確に、首。 「……っ!?」 「あ やばっ」 カレリアが月の光を反射するナイフに一瞬速く気づき、防御魔術を展開した。 ナイフの勢いは削がれ、しかしそれでもカレリアの肉体を傷つける。 タタラは酒の量が反応を遅らせたか、ナイフを払い落すこと敵わず。 首筋に、凶刃が直撃した。 噴水の様に血が噴き出る。 「……タタラッ!?」 「げぇごぽっ …大丈夫だカレ姉 それより気を付けろ!」 タタラが口からも血の塊を零しながら、ナイフを引き抜く。 彼女の体の色が数色、失われる。同時に、首の傷は修繕される。 色による生命管理を行っている彼女の特異体質が命を救った結果となった。 そしてタタラの言葉に、カレリアも自身のゴーレムを起動する。 胸元のペンダント、「アレックス」に魔力を通してパワードスーツの様に全身に纏い、周囲を警戒した。 「ええ…これがクライベイビーなのかし」 ら、とはカレリアの言葉が続かなかった。 闇に紛れて。漆黒の修道服を身にまとった暗殺者が、カレリアの背後からその口を手でふさいだからだ。 同時に、暗殺者のもう片手はカレリアの喉へ。ナイフを突き立てんと振るわれる。 「っカレ姉!」 タタラが動いた。今自分に強く表れている色は緑。幸運にも速度重視の色だ。 刀はすでに抜刀済み。 そして、一番速度を乗せられる攻撃を。カレリアを守るために 「…翡翠っ!」 カレリアの背後の暗殺者に向けてタタラの神速の一撃が振るわれる。 まさしく必殺必中の速度。 しかし、それを受けてなお。 暗殺者の目は、その刃の切っ先を捉えていた。 「……っ!?」 「嘘だろ まさか」 タタラの翡翠の一撃を、『刀を振るう速度よりも早く』身を翻して回避する暗殺者。 カレリアの渾身の肘打ちも、同時にそれで回避。 速すぎる。人間の速度を超越している。 闘技場で何人かの冒険者が見せる、速度ブーストのかかった動き。 それを、素の状態で行っている。 「…っ、化け物っ…!」 カレリアが距離を取った相手に反撃せんと動きを追うが、相手の躰を目が追えない。 基本的に魔術を専攻、近接戦闘を主としたスタイルではない。 さらに、闇夜に黒の修道服であり、足捌きなどから動きを予測するのも至難の業であった。 ―――。 ―――――黒の、修道服? 「このっ もっと緑が濃ければっ」 タタラもまた、速度で追いすがるために突進するが、それよりも素早い速度で攪乱されてしまう。 ただし、タタラの目は捉えた。相手の、暗殺者の、そのヴェールの下の、髪の色。 色に敏感なタタラだからこそ捉えたそれ。金髪だった。 ―――。 ―――――金髪の、修道女? 2人には、その特徴が該当する人物に強烈に心当たりがあった。 「……アルテア、なの?」 「まさか シスターがこんな なんで?」 2人の頭に生じた疑問。 その隙をつくと言わんばかりに、ほぼ同時に暗殺者が―――アルテアが、二人の腹へ強烈に拳を叩き込む。 カレリアはゴーレムの装甲の上から。 タタラは鎧の上から。 それでも、二人を悶絶させるには十分な威力の乗った、速度と重さのある一撃だった。 その拳は、サザンカが闘技場の試合で見せる、内当ての原理に近い攻撃。 「…げ、ほっ!?」 「ガハッ 鎧通しか 参るね」 攻撃を受けた二人に、今度こそ致命的な隙。 両手に構えたナイフを、二人の喉元に突き刺す。 タタラには特に執念深く。色をすべて奪うくらいに。 それで、アルテアの仕事は。 暗殺者としての仕事は、完遂する。 カレリアとタタラは――そのナイフのきらめきに。 自分に死が迫っていることを実感した。 ――――2秒が経過した。 「……?」 「っ どうした どうして…」 悶絶から回復し、顔を起こす二人の首。 ナイフは、突き立てられていなかった。 ―――――――ぁぁ… 「アルテア、貴女…」 「なんで?なんで 泣いてるんだ?」 カレリアとタタラが、自らを殺さんとする暗殺者の顔を見て驚愕する。 見知った顔。 優しい笑顔を常に携えたその顔は、しかし。 今、涙をぼろぼろとこぼし、くしゃくしゃになった泣き顔で、そこにあった。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! 過去の思い出が。2人の笑顔が。 アルテアの脳裏に、浮かぶ。 殺せない。 ――殺せない。 ――――殺せない。 サザンカに優しくしてくれる、自分にとっても姉の様な存在の女性。 大人びていて、話していると気が和んだ。とても楽しかった。 サザンカがこよなく敬愛する、お茶目だが女らしさもあわせ持つ武人。 日々変わりゆく性格が、飄々としたたたずまいが、心地よかった。 私は。 ――――――殺せない…!! 「っ!待ちなさい、アルテア!!」 「あれがクライベイビー? 本当に赤子のような声 でもシスターがなんで?」 赤子のような鳴き声を上げながら。 涙をぼろぼろとこぼしながら。 アルテアは、その場から身を翻した。 ……残された二人は、お互いの体を労わり、大事には至っていないことを確認したうえで。 今はアルテアがいない、町はずれの教会に足を運ぶ。 そこにいる少年に、この事を伝えると。 少年は、沈痛な面持ちで。 「まだ、誰にも話さないでほしい」 と伝えた。 2人は、無言で頷いた。 ※    ※    ※ 「サザンカ、寂しそうだったね…」 「サザンカんもそうだけど、アルねーさんのお顔がみれなくてしらたまもさみしいです」 「本当にな。早くアルテア殿も帰って来てくれればよいのだが。どこに行ってしまったのやら…」 夕暮れの街を、3人の少年が歩いていた。 シアン、しらたま、ドロッセル。 3人は、サザンカの住む教会を訪ねた帰りであった。 アルテアがいなくなったという話を聞きつけて、サザンカの顔を見に来たのであった。 サザンカはだいぶ落ち着いた様子ではあったが、その言葉の節々から、焦燥した様子が読み取れた。 元気を出して、という言葉はかけられなかった。 「シスター、変な人に襲われたりしてなければいいけど…」 「しらたまはサザンカんよりもアルおねーさんが心配です。サザンカん、ちゃんと守れと言いたくなる」 「不在の時にいなくなっていたという話だ、已むをえまい。我らも聞き込みなどして探してみよう」 友人を、そして友人の姉のような存在を心配する3人の少年たち。 そんな彼らの姿を、儚げな眼差しで建物の上から見下ろす影があった。 人通りは、途切れ途切れに。そして、しばらくして。 誰の視線も、彼らを見ない時間が生まれた。 事件は、唐突に。 最初にそれに気づいたのは、ドロッセルである。 「―――――――なっ」 ドロッセルは、今自分の横を歩いていた二人の体が地に倒れ伏していることを、倒れた後に初めて理解した。 何が起きているのか、すぐには掴めなかった。 瞬きの瞬間に。2人が、黒い影に押し倒されるような形で、うつ伏せに倒れているのだ。 「…げほっ!?」 「痛い。…なにがー?」 シアンとしらたまも、それこそ自分の顔に街道の石畳がぶつかって初めて気づいた。 自分がいま、何者かに押し倒されていることを。 襲撃を受けていることを。 「……っ!!?」 ドロッセルは、瞬時に頭が沸騰した。 今、二人を押し倒している、黒衣を身にまとった存在。 その存在が今。 ナイフを、二人の首筋に突き立てんとしている。 頭の沸騰からコンマ0.001秒。 ドロッセルは自身の持てる全速力の、高速軌道を始める。 かつて闘技場でも見せた、人の反射すら凌駕しかねないほどの速度の連撃。 友の死が間近に迫っているのを、このまま見過ごすわけにはいかなかった。 「不届き者め!喰らえっ!」 人の反射神経を凌駕するほどの加速を用い、ドロッセルが黒い影へ吶喊する。 この速度をいなした人物は今までに一人だけ。 絶対の自信が込められた一撃だった。 「ドロッセル…!?」 「…そんな。嘘でしょう?」 「……馬鹿な」 驚きは三者三様に。 シアンは、ドロッセルの攻撃、それが完全に止められたという事実への驚愕。 しらたまは、ドロッセルの攻撃を受けた暗殺者、風圧で頭のフードが落ち、見えた顔、見知った顔への震撼。 ドロッセルは、己の過不足ない全力の攻撃を、2人を地に押し付けたままに捌き切った相手への、畏怖。 シアンとしらたまを押し倒し。突き立てんとしたナイフ一本で、ドロッセルの攻撃をすべて片手で捌き切ったその暗殺者。 黒衣――いや、修道服に身を包んだ、女性。 金髪に、紫の瞳が覗くその人は。 「シスター!?なんで…うわっ!?」 「アルおねーさん…どうして、ぐっ」 口答えは許さないとばかりに、両手で組み伏した二人の頭を地面に叩きつけるアルテア。 ここにいる3人が、一度も見たことのないような、能面のような無表情。 ドロッセルは、攻撃の反動による体力の消耗よりも、目の前の信じられない光景への衝撃が勝る。 だが、それでも。 「くっ…二人を、離―――――ぐふぁっ!?」 せ、と言葉を紡ぐ前に。 アルテアの、両手を起点とした倒立蹴が、ドロッセルの腹へと叩き込まれた。 ドロッセルの身軽なその躰が、衝撃を受けて15mほど後方へ吹っ飛んだ。 「―――――――Amen」 アルテアの口から言葉が漏れるのを、シアンとしらたまは初めて聞いた。 それは、とても幼い、まるで赤子の声のように聞こえた。 そして、それが自分に死をもたらすものであることも理解した。 2人の首を。再度、ナイフを持ったアルテアの凶刃が、襲う。 「…シスター…!」 「…アルおねーさん…」 2人は呟き、死を間近に目を閉じた。 脳裏に浮かぶのは、優しい笑顔をたたえた、目の前の暗殺者の顔であった ――――3秒が経過した。 「……シ、スター?」 「…………泣いている、のですか?」 凶刃は、二人の喉には突き立てられず。 顔を起こす二人の目には。 涙を流すアルテアの姿があった。 ―――――――ぁぁ… 「…なんで、どうして!?わからない、僕にはわからないよシスター!!」 「……サザンカんが、関係しているの?それとも、教会の…?」 狼狽し、思わず放たれるシアンの叫び。 普段は昼行燈だが、人を観察する術に長けたしらたまの、言葉。 それらが、すべてアルテアの心を蝕む。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! 過去の思い出が。3人の笑顔が。 アルテアの脳裏に、浮かぶ。 殺せない。 ――ナイフを突き立てることは、できない。 ――――蹴りで、体に穴をあけることもできた。でも、やれない。 サザンカの友人である、この3人を。 私の愛する、少年たちを。 笑顔で一生懸命に、辛い過去を乗り越え。生きていこうとする、この子たちを。 一緒に話していると、とても、とても楽しかった。この子たちを。 私は。 ――――――殺せない…!! 「シスター!!待ってよ!?」 「なんで?…なんでです?アルおねーさん…サザンカん…」 「かっは…っ待て、アルテア殿…!サザンカが待っているのだぞ…!?」 赤子のような鳴き声を上げながら。 涙をぼろぼろとこぼしながら。 アルテアは、その場から身を翻した。 ……残された二人は、自分のために戦ってくれたドロッセルに駆け寄り。 その蹴りによる怪我が大事には至っていないことを確認したうえで。 今はアルテアがいない、町はずれの教会に舞い戻った。 そこにいる少年に、この事を伝えると。 少年は、沈痛な面持ちで。 「まだ、誰にも話さないでほしい」 と伝えた。 3人は、無言で頷いた。 ※    ※    ※ 「いやー本当に足が速いなエイル! 俺も脚には自信があったんだけどな ニンジャは流石だぜ!!」 「そりゃあね、鍛えてるもん。サザンカには絶対に負けられないからね」 「最近は3人でトップ争いを続けてる感じよねぇ、記録更新合戦はいつ終わるのやら」 スポーツジムからの帰り道。 ジムで汗を流したファウスト、エイル。そしてジムトレーナーとしてその二人を見守っていたサンディーア。 彼ら3人、一緒に帰路の途上にあった。 「サザンカのやつも獣人でもニンジャでもないのに速いよな 日頃から重いもん背負ってるだけあるぜ!」 「そうねー…昔から、私と競い合ってた仲だもん。……でも、最近はサザンカ、少し心配だわ」 「…アルテアさん、行方不明だってね…早く見つかるといいんだけど」 そして、自然と話題は彼らの知り合いでもある、教会に住む少年の話になった。 最近、同居人が行方不明になり、少し元気のない様子を見せるサザンカを、3人は口々に心配しあっていた。 ―――その様子を。 とても苦しげな表情で、屋根の上から眺める者の姿があった。 3人が会話を交わしながら歩く。 ―――――刹那、 「「「――――ッ!!」」」 ファウストとサンディーアは、獣人特有の敏感な気配察知で。 エイルは、忍者として培った気配察知で。 自分に放たれた殺気を、敏感に感じ取った。 そして、その一瞬後。 3人を狙って、360度全方位から幾本もの投げナイフが迫る。 「何事だっ アンブッシュ!?」 「気を付けて二人とも!並大抵の相手じゃない!!」 「もしかして、最近話題のクライベイビー!?」 咄嗟に身を翻し、回避を試みる3人。 ファウストは片手に騎士の剣を、片手にリボルバーを抜き、自分に刺さる投げナイフの軌道を読んで撃ち落とす。 エイルは忍び刀と苦無を抜き―――刀で自分に迫るナイフを。苦無で、サンディーアに刺さる軌道のナイフを落とそうと。 サンディーアは武器を持たない――故に、素手で払わざるを得ない。 払うこと自体には成功したが、何本かがその手を切り刻み、出血を見た。 「痛っ、痛い!」 「サンディーア 大丈夫か!? …はぁ!?」 「サンディさんっ!?―――――えっ、嘘」 ファウストとエイルが、サンディーアの叫びに慌ててそちらに首を向ける。 ……だが。 そこに、サンディーアの姿はなかった。 「!?!?!?」 3人がいた、その10m先。 サンディーアを地面に横たえるようにしながら。 黒衣の暗殺者が、ナイフを高く高く掲げていた。 馬乗りになり、今にも降り降ろさんとする姿勢で。 3人それぞれが投げナイフへの対処を強いられていた瞬間に。 サンディーアに向けてまるで疾風のようにタックルを敢行した黒衣の暗殺者。 その勢いでサンディーアを引きずり倒し、10mの間に渡り地面と背中のキスを強要し続けて。 今、その命を絶たんと――――― 「――待てぇッ!?」 「――やらせないわよ!!」 しかし、それに咄嗟に反応するファウストとエイル。 ナイフが降り降ろされる前に――彼我の距離、10mを一瞬で0にする。 その脚力、獣人により。 その走法、忍者がため。 一瞬で間合いを詰め、サンディーアに馬乗りになった暗殺者を挟み込むような配置となり。 騎士の剣と忍び刀を、高速で交差させた。 「…なっ なんで!?」 「…………嘘。嘘よ」 かくして、二人の放った連撃は―――――少しのダメージも、暗殺者には与えられなかった。 馬乗りの姿勢で、しかし。両手でそれぞれの高速の乱撃を、それを上回る速度にて応対した黒衣の使徒。 三者に衝撃が走った。 だが、それは。 攻撃を裁かれた事実、それ以上に。 その姿、その瞳、その容姿。 それが、余りにも見知った顔であったことへの衝撃であった。 思わず、サンディーアの口からその名前が漏れる。 「―――――アルテア、なの?」 「―――――――――Amen」 黒衣の暗殺者、修道服を身にまとったアルテアの口から、声が漏れた。 ファウストとエイルには、その声に、どうしようもなく聞き覚えがあった。 海水浴場で聞いた、零れるように微笑んだ時の、慎ましい笑い声。 その音と、完全に一致していた。 「……んぐっ!?」 「かはっ……!!」 アルテアが、左右にいるファウストとエイル、それぞれに向かい掌底を放つ。 だが、得物を持った相手へは距離が不足している。事実、掌底は二人の体に突き刺さっていない。 ――それでも。 凄まじい衝撃が二人を襲い、両者はまるで反発しあう磁石のようにお互い反対方向に吹き飛び。 周囲を囲む建物に壁を強く打ち付けた。 「…遠、当て……?」 馬乗りにされ、見上げるような形でアルテアを見据えていたサンディーア。 彼女には、その技に見覚えがあった。 アルテアと共に暮らしている少年の、闘技場などでよく見せる技。 それと、恐らく全く同じ技術を用いて。アルテアは、手練れの二人を吹き飛ばした。 「……………」 改めて、アルテアがナイフを手に、サンディーアの首筋に突き立てんと手を掲げる。 その眼は、濁りに濁り。普段見せていた笑みの気配はまったくない無表情で。 サンディーアは、同い年の友人であった彼女が見せるその表情に息を呑み――硬直した。 野性的な勘が。この相手に、歯向かう事の恐怖を優先させた。 全身の毛が逆立つかのような、凍り付きそうな恐怖。 殺される。 心から、そう想った。 「サンディーア!くそっ アルテアさん、なんで!! なんでだ!!!」 「やめて……!お願い、アルテアさん!やめてっ!!」 悲痛な叫びがステレオでサンディーアに届く。 ―――アルテアには届かない。 彼女は、聾唖なのだ。 ファウストもエイルも、必死に自分の体を起こそうとするが…遠当ての衝撃はすさまじく。脚に、すぐに力が入らない。 惨劇が起こる。 3人とも、それを目にしたくなくて。 アルテアの手が、人を殺す瞬間を目の当たりにしたくなくて。 目を、閉じた。 ――――4秒が経過した。 「……アルテアさんっ 泣いて…?」 「……なんで?なんでなの…アルテアさん…?」 「………………アルテア、貴女…」 凶刃は、サンディーアの喉には突き立てられず。 目を開き、3人が見た先には。 涙を流すアルテアの姿があった。 ―――――――ぁぁ… 「…どうしてだっ 何かあったのか!?俺たちにできることはないのかアルテアさんっ!!」 「アルテアさん…サザンカが、あんなに心配してるのよ?どうして、どうしてこんなこと…」 「アルテア…どうして、私たちを…冒険者たちを、襲ってるの…?答えて…?」 ファウストの。エイルの。サンディーアの。 それぞれの、思いやりが。 心配りが。 優しい言葉が。 すべて、アルテアの心を蝕む。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! 過去の思い出が。3人の笑顔が。 アルテアの脳裏に、浮かぶ。 殺せない。 ――サザンカの親友を。サザンカの恋人を。私の親友を。 ――――私は、殺せない。 美味しい料理を食べさせてくれた。心の料理を教えてくれた。食事の時間が楽しかった。 サザンカの隣にいつもいてくれた。とても優しい女の子だった。一緒にいると楽しかった。 …私が、この街に来てから。初めてできた、同年代の友人だった。彼女と話すと、楽しかった。 私は。 ――――――殺せない…!! 「アルテアさんっ!!訳を教えてくれっ!」 「っ!待って!サザンカに何て伝えればいいのっ!?」 「待ちなさいアルテア!!待ちなさいっ……!!」 赤子のような鳴き声を上げながら。 涙をぼろぼろとこぼしながら。 アルテアは、その場から身を翻した。 ……残された3人は、それぞれ自分の体の回復を待ち。 お互いの無事を確認したうえで。先ほどの襲撃に対し、何を言っていいかわからず。 自然と、今はアルテアがいない町はずれの教会に脚を向けた。 そこにいる少年に、この事を伝えると。 少年は、沈痛な面持ちで。 「まだ、誰にも話さないでほしい」 と伝えた。 3人は、無言で頷いた。 ……うち1人の幼馴染は、そっと少年を抱きしめた。 ※    ※    ※ 「はー、今日もいっぱい戦えたっ!カサネさん、いつもありがとね」 「アニーちゃんと試合するのもだいぶ慣れたぜ…最後までボッコボコにされるの含めてね!?」 「アニーさんもカサネさんも無茶しすぎ!いつでも治してあげられるわけじゃないんだからね?」 診療所から少し離れた閑静な住宅街。 日の落ちたその道を、アニー、カサネ、エルオが肩を並べて歩いていた。 今日はアニーとカサネが闘技場にていつものように試合を執り行い、双方負傷。 それをエルオの診療所で癒してもらい、帰りにみんなで食事でも、という話だった。 「しょうがないよ、戦いだもん。いつもお世話になっちゃって少し申し訳ないけど」 「俺らなんてちゃんと刃物とか使わない様に心がけてるもんナー?サザンカ少年とかよく血まみれになるし」 「闘う人はみんなそう言うんですよね!私にはよくわからないよ。サザンカ君は…最近はあまり戦ってないみたいだけど」 闘技場の話題から、そこの常連となっている少年に話は移行する。 3人とも、顔見知りであるその少年、サザンカ。 向こう見ずな一面のある彼について、最近は元気がなさそうなことに、口々に心配の言葉を漏らしていた それを。3人が通り過ぎた裏路地の奥。 闇の中で、紫の瞳が冷静に観察していた。 …闇の中。アルテアは想う。 今回の標的は3人。全て暗殺対象。 戦闘能力に特化している者が2名。回復能力に特化しているのが1名。 先に狙うのは――― ―――戦闘能力に特化している方。 「サザンカ君、いつもみたいに元気を取り戻」 アニーが口を開き、少年を心配する表情を作り、地面に叩き伏せられた。 一瞬だった。気配を感じさせることすらなかった。 その異様な襲撃に、いち早く行動するのは、闘技場にて戦闘の心得のあるカサネであった。 「……んなっ、だらぁ!?」 咄嗟の判断で、アニーを押し倒す黒い影に蹴りを放つ。腰の入った、鋭い蹴り。 だがその一撃は、無残にもナイフの返礼にて受け応えられた。 カサネの右足の裏に突き立てられるナイフ。 暗殺者であるアルテアは、その攻撃への対処を最小限の動きで行い、改めて押し倒したアニーを見下ろす。 「…シスター!?くっ」 押し倒されたアニーもまた、自分に襲い掛かった相手が見知った顔であることに驚愕し、しかし。 格闘者として、闘うものとしての本能で。魔術を、反撃の姿勢を整えようとする。 電気魔術を媒介とした電光石火、いや紫電を使う…距離を取って、香辛料魔術で―― ―――その思考を、すべてまとめ切る前に。アルテアの手刀が、喉元に突き刺さった。 「ぎっ……!!」 「……え、え?アルテアさん?えっ、なんで…!?」 アニーの戦闘スタイルは、魔術による身体強化を前提として放たれるもの。 故に。その一歩目を潰すことで無力化する。無慈悲な一撃で、アニーの意識を断った。 その時になって、初めてエルオは、自分たちを襲っている存在がアルテアであることを認識した。 一人は今、無力化した。 一人は元から無力。殺した後に回復はできない。 一人は脚を潰した。追撃を受ける前に、押し倒しているこの女の首を刈る―― アルテアが事前に思い描いていたシナリオの通りに自体は進み。 今、取り出したナイフを高く掲げ、目下で気を失っているアニーの首筋に突き立てようと。 したところで。 空気が、異様なまでの震えを帯びているのを、肌で実感する。 「……させねぇよシスターアルテアぁ!!」 右足を貫き倒れていた男、カサネ。 その右腕が、強く、力強く握りしめられ…振動を生み出しているのを、アルテアの目は見た。 『重ね当て・真打』。 カサネが、余りの威力に古代種のみへの攻撃を目的として編み出した、対人格闘には絶対に用いない破壊技。 それを、繰り出さんとしていた。 本来であれば人に放つ技ではない。威力のあまり絶命させる可能性が高い。 だが、今はそんなことを言っていられる場合ではなかった。 目の前で女の子が殺されようとしているときに、出し惜しみできるほどカサネは大人ではなかった。 「……っしゃあオラァ!」 かくして放たれる、振動による一瞬での超多重攻撃。 アルテアは、その拳の軌道を見て……両手での対応が強いられていることを認識した。 とても、冷静な眼差しで。その技を、観察して。 「あっ………あっ、えっ…?」 そのつぶやきはエルオから零れたものだった。 エルオは闘うものではない。目の前の光景を、十全に理解できているとは言い難い。 だが、それでも。アニーがアルテアに押し倒され、今にも殺されそうになっており。 それを、カサネが守るためにすさまじい一撃をアルテアに見舞い。 ―――そして、それを受けてもなお、無事でいるアルテアがいる。 それだけは、理解できた。 「……ウッソだろお前…!?」 カサネは、攻撃の反動により痛みの信号しか返さない右腕をなげうって、目の前のアルテアを見た。 ――――すべて受け流された。 重ね当て・真打の拳は確かにアルテアに届いた。しかし、届く寸前。アルテアの両手が、カサネの拳を包み込むように動き。 …拳の振動、瞬間に何十もの打撃を与えるその振動に合わせて。 両手でまるで花を包み込む様に。全ての衝撃を、いなされた。 サザンカがつい最近開眼した、守りの型『梅花』。 その構えに、よく似た受けの形であった。 アニーの上からアルテアが腰を上げる。 続いて、驚愕に目を見開くカサネに放たれるのはためらいのない直蹴り。 カサネの重い体が、すさまじい勢いで後方にすっ飛ばされる。 エルオの横を過ぎ去り、家の壁にカサネの背中が打ち付けられた。 「ぶっは…!!」 「なっ……なんで、アルテア、さん…?」 残るは気絶したアニーと、狼狽するエルオのみ。 この瞬間、アルテアの暗殺の条件はすべて整った。 あとは、改めて―――目の前に横たわるアニーを殺し。 その横で狼狽するエルオを殺し。 距離を詰め、カサネを殺す。 アルテアからあふれ出す殺気を充てられ、エルオは蛇に飲まれるカエルの気持ちを理解したと思った。 恐怖ですでに脚は竦み、一歩を踏み出すこともできず。声を上げる事すら難儀。 あまりの恐怖に漏れ出した小水がエルオの脚を滴り、アルテアとお揃いの修道服に染みを生んだ。 ……みんな、殺される。 そんな思いが、エルオの脳裏を支配し。その恐怖におびえるように、きつく目を閉じた。 ――――5秒が経過した。 「…えっ?」 エルオは、自分の耳を疑った。同時に目を開く。 アニーの声ではない。自分の声でもない。 だが、女の――いや、赤子の様な、泣き声が。 エルオの耳に届いた。 ―――――――ぁぁ… 「アルテアさん……泣いて、いるの?……どうして、こんなこと…」 エルオの恐怖が解ける。同時にあふれ出すのは、心配。 自分がこの街に来てから知り合った、長い付き合いの優しい女性。 その人が流す涙の意味を、エルオは心底、知りたいと思った。 なぜ、貴女はこんなことをして―――泣いているの? ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! 過去の思い出が。3人の笑顔が。 アルテアの脳裏に、浮かぶ。 殺せない。 ――殺せない。 ――――私には、この人たちを殺せない。 教えてくれたカレーのレシピ。大好評で嬉しいと、二人で笑いあった。楽しかった。 一緒に料理を作り。膝枕もした。とても好感の持てるさわやかな青年だった。楽しかった。 町の高齢者にとってかけがえのない存在だった。お揃いの服で、町を歩いた。楽しかった。 私には。 ――――――殺せない…!! 「……アルテアさんっ!?どうして!?」 赤子のような鳴き声を上げながら。 涙をぼろぼろとこぼしながら。 アルテアは、その場から身を翻した。 「――――――クライ、ベイビー……」 一人残されたエルオは、その事件の名前を思い出し。ぽつりとつぶやいた。 ……我に返ったエルオは、急ぎ、倒れている二人に治癒術を施し。 治癒術の効果が万全に発揮され、意識を取り戻した二人と共に。 3人で、今はアルテアがいない町はずれの教会に脚を向けた。 そこにいる少年に、この事を伝えると。 少年は、沈痛な面持ちで。 「まだ、誰にも話さないでほしい」 と伝えた。 3人は、無言で頷いた。 ※    ※    ※ 「……虎彦、今日は剣の冴えが少し曇っていたようだが。何かあったのか?」 「…いえっ、何もないですよ?あはは、ちょっと疲れてるのかなぁ、僕…っ」 「私もちょっと見てて感じたけど…虎彦、何か悩みでもあるの?よければ聞くよ、兄弟子さん?」 街外れにある空き地。そこで、キョーレン、虎彦、緋乃の3人が、刀を用いた鍛錬を行っていた。 虎彦と緋乃は兄弟弟子。キョーレンに教えを乞う形で、3人でそれぞれ、刀の技を磨きあう。 ただし――その日は、虎彦の動きに冴えが無かった。 それを心配する様子の二人。 「本当に何でもないんだよ、緋乃っ 疲れてるだけさ、最近試合続きだったしっ」 「だいぶ前の話だけどね、それ?…まぁ、そういうんならいいけどさ」 「…痛みを隠すことは美徳とは言えないぞ。まぁ俺も無理に聞き出そうとは思わんが」 修行の合間の小休止。いつものように取り繕ったような笑顔を見せる虎彦に、二人の顔には心配の色が浮かんでいた。 それでも、修行は続ける。お互いの技は磨きあう。 今日の主目的は、剣技を磨くことにある。闘うものであるからこそ、それを行うことが何よりも自然であるといえた。 そしてその修行に終止符を打つように。 3人の背後、いつの間にか修道服の女性がそこにいた。 近づかれて初めて察知する気配に、3人が振り向く。 「…あれ?シスターアルテアっ、こんなところに珍しい、です、ね……っ?」 「……………っ。」 「――――――――誰だ。お前は…」 虎彦が挨拶をしようとしたところで、余りにも普段と違うアルテアの雰囲気に語気を落とし。 緋乃が、かつて見た―――凍り付いたような無表情をたたえるアルテアを警戒し。 キョーレンが、その気配からアルテアと同一人物ではないと判断し。 一斉に、構えを取った。 「――――――――――Amen」 3人が、初めて聞くアルテアの生声。 酷く幼い、赤子のような声だった。 そして始まる、殺意のやり取り。 暴力的な殺気を充てられ、3人は身が震えるのを自覚した。 「―っ」 先ず反応したのはキョーレン。アルテアの手が、残像すら残すほどの速度で振られたのを見た。 同時に、3人に向けて飛んでくる、圧倒的な数の投げナイフ。 雨あられのように放たれたそれを、しかし。3人は刀にてすべて払い落とさんと。己が得物を振るう。 「シスターアルテアっ!?なんでっ、どうして!?」 「―――こないだ様子がおかしいと思った!アルテア、あんた何を隠してる!?」 「シスターアルテア………裏の顔か。見たくなかった」 虎彦とキョーレンの刀は、速きを。緋乃の刀は、力を。それぞれ利としている。 速度で払いきる2人と、力技で薙ぎ捨てる緋乃。 数十本に及ぶ投げナイフは、見事に払い切られた。 そして、その投げナイフの向こう。 アルテアの姿は既にない。 「……なっ、」 「緋乃っ!左っ!!」 「速い…!!」 アルテアが神速の踏み込みにて一歩。緋乃との距離を0にして、その首へナイフを滑らせる。 緋乃の、ナイフを払う最後の一振り。他の二人に比べて、僅かに隙が出来たのをアルテアは見逃さなかった。 緋乃が咄嗟に左側を腕でかばうが――遅い。 ナイフに切りつけられ、緋乃の刺青の入った左腕に鮮血が舞う。 「んぎっ…!」 「っ――――アルテアアぁぁぁっ!!」 目の前に舞う妹弟子の鮮血に、虎彦の怒りが爆発する。 手に持った刀、速度を得るために重きと断じ、うち捨てた。 空いた手で、腰の入った踏み込みと共に、アルテアに向けて拳の連打を放った。 ―――軽率な。 アルテアは、冷たいまなざしで、虎彦を見下ろした。 「待て、虎彦!激情で動くな!」 キョーレンの注意も時すでに遅し。 虎彦の――ここ数日、情緒不安定だったことも影響したか。激情にかられた拳は。 ただの一つたりとも、アルテアに当たることは無く。 間合いを開けないままに、上半身、及び両腕の捌きだけで、捌き切られた。 返す刀で、アルテアの手刀が虎彦の脇腹に突き刺さる。 その手刀、真剣よりも鋭く深く。 「っ―――――っっ……!!」 うめき声すら上げさせぬほど、手刀が深く虎彦の脇腹に突き刺さった。 脚から力が抜け、その場にうずくまる虎彦。 それを見下ろし――― 「…なっ」 ――後ろからの緋乃の反撃、蹴りの一撃を、そちらを見ずに後ろ手でいなしたアルテア。 緋乃の攻撃に音は無かったが、それはアルテアにとっては日常。 攻撃の気配だけを読み、蹴り足を背中で捉えるに至る。 そのまま…まるで船の面舵を取る様に、緋乃の足首を捻じり捨て。 片手の力のみで、遠くへと放った。対外試合にて、緋乃がやったように、地面と平行に遠くへ。 「ぎゃっ…!!」 空中に投げ捨てられては自慢の力も意味を得られず、そのまま空中を吹き飛ばされる緋乃。 同時に、足首を壊されたことで、戦闘の場に再度駆けつけるのに時間を要することを意味していた。 アルテアは、脅威を一つ、いや二つ取り除いたことを認識し。 最後の一つが、今にも自分に向けて居合を抜く構えを取っていることもまた、理解した。 一足一刀の間合い。 キョーレンが、刀を鞘に納め、独特の姿勢の低い構えを取り―――アルテアを睨んでいた。 「何故だ」 キョーレンが問いかける。 アルテアは答えない。 「何故、俺たちを襲う。何故―――冒険者を襲う」 キョーレンが問いかける。 アルテアは答えない。 「―――何故だ!!応えろ、アルテア!!」 キョーレンが叫ぶ。 アルテアは答えない。 ……アルテアの目は、何も写すことのない濁った色を表しており。 それを見て、今更にして。キョーレンは、この修道女の耳が聞こえないことを思い出した。 「っ――鳴神抜刀流・紫電ッ!!!」 キョーレンの放つ技。最速の居合を、アルテアに向けて放つ。 躊躇いがないと言ったら嘘になる、その刃。 それでも、自身の出せる全速の威力を持って、親しい相手へと放った。 放つ寸前、キョーレンの目が見たものは。 修道服の腰にあるポケット。そこに手を入れ――新たな得物を掴む、アルテアの動きだった。 キィン、と甲高い音が鳴り響いた。 音の正体は、二人の間で打ち付けあった、刃と刃。 キョーレンの居合、それとは全く違う動きで、しかし居合と同じ原理にて加速を得たアルテアのハンズポケット。 そこから取り出された漆黒のナイフが、キョーレンの刀を止めた音だった。 「……見事!だが!!」 だが、キョーレンの動きは速い。 相手のこの練度であれば。止めてくると予想していた。 だからこその次の一手。刃に己が力を通し、相手のナイフ事押し込む様に―― ――そこで、キョーレンの体のバランスが崩れた。 何故か。 アルテアが、ナイフから手を…本当に、呼吸をするかのような自然な動きで、手放したからだ。 一瞬。ほんの刹那の間。 キョーレンの体の軸が、ブレる。 「っ……!」 そこを逃さず、アルテアの掌底がキョーレンの腹部に叩き込まれていた。 腹筋に固められたそこに、『全身の関節を捻じり上げるように』放たれたその掌底。 威力は、なかった。 だが、キョーレンはこの掌底を覚えている。 その全身の関節を捻じり上げるように放たれる、拳の恐怖を覚えている。 かつて、それはサザンカに闘技場で叩き込まれた。 衝撃が一瞬遅れ、体内で爆発する――――『内当て』。 「ぉ゛、ぐ……ッ!!」 衝撃とか生易しいものではない、小さなダイナマイトが腹部で爆発するようなその威力に。 今度は口から吐き出すことすら許されないほどのその暴力に。 意識の糸が、切れそうになるのを感じた。 「――――――――ぁ」 キョーレンは、最後に。 サザンカに起死回生の如く見舞った、裂帛の気合、大音声を霊力に媒介し相手にブチまける技を放とうとして。 ――目の前の相手に、その効果がないことを悟り、意識を落とした。 「…………………」 冷酷な目で、アルテアが周囲を一瞥する。 足首をへし折り、腕に深手を負わせ、遠くで起き上がろうとする緋乃。 自分の背後、腹部の手刀による重大なダメージを負わせ、それでも立ち上がろうとする虎彦。 自分の目の前、裂帛の気合を放とうとして挫折し、意識を落としたキョーレン。 ……アルテアは、勝負の決着はついたと判断し。 殺すために。 新しいナイフを裾の下から取り出し、手に構えた。 「……シスターアルテア。なぜ、こんなことを…っ!」 最もアルテアの近くにおり、まだ意識をつなぎ留めている虎彦が振り絞るような声を出す。 その声は、当然。アルテアの耳には、入らず。 まずは一番反撃の可能性の高い虎彦を殺すため。 アルテアは振り向き、ナイフを高々と掲げた。 虎彦はそれを見て。 思わず、呻く。 「っ。……なんで、泣いてる、ん、ですか…」 虎彦が見上げた、アルテアの顔。 紫の瞳から、涙がぼろぼろと零れていた。 ―――――――ぁぁ… 虎彦は、その涙の意味を理解するために思考した。 サザンカの様子、アルテアの様子、教会の様子。 サザンカの日常、アルテアの仕事、教会の違和感。 ――――なんで、と再度自問し。 自答は、浮かばなかった。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! 過去の思い出が。3人の笑顔が。 アルテアの脳裏に、浮かぶ。 殺せない。 ――もう、殺せない。 ――――私には、親しい冒険者は殺せない。 サザンカの親友。一緒に鍛えあい、日々を過ごすその笑顔を、どうして奪えようか? 文字を覚えることに一生懸命で、その身に宿す魔を嫌い、優しさを忘れぬ少女を、どうして殺せるのか? 彼らを見守り、町の皆に優しくしてくれる、思いやり溢れる青年を、どうして失わねばいけないのか? 私には。 ―――殺せない。 ―――――もう、親しい人たちを殺したくない―――!! 「っシスター!シスターアルテアっ!!訳を言ってくださいっ、訳を…っ!!」 赤子のような鳴き声を上げながら。 涙をぼろぼろとこぼしながら。 アルテアは、その場から身を翻した。 涙を零す虎彦と、左腕の傷が塞がりかけている緋乃と、刀を握った手を放さないキョーレン。 3人が快活に修行をしていたそこに、一抹の黒い風が駆け抜け。 あまりにも後味の悪い空気のみを残していった。 ……意識を取り戻したキョーレンにより、虎彦と緋乃に治癒術を施し。 鬼の力もあって、緋乃の足、粉砕骨折も無事に治れば。 3人で、今はアルテアがいない町はずれの教会に脚を向けた。 そこにいる少年に、この事を伝えると。 少年は、沈痛な面持ちで。 「まだ、誰にも話さないでほしい」 と伝えた。 2人は、無言で頷いた。 1人は―――――なんでなんだ、サザンカ…?と。 泣きそうな目で、親友の胸ぐらをつかみ。 はらはらと、涙を零した。 ※    ※    ※ ―――――――ぁぁぁぁぁああああ… アルテアは、泣きながら想う。 自分の弱さを。自分の善の部分を。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ… 駄目だ。 駄目だ。 駄目だ。 私には、親しい存在を殺すことなど――できない。 できなくなって、しまった。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ… 温かい日常。 親しくしてくれる友人。 それらが、私の心を蝕んだ。 それらが、私の心を癒した。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ… 殺せない。 もう、親しい人を殺せない。 どうしても最後の一手が下せない。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ… ……それでも、殺らなければならない。 冒険者を。危険な存在を。 そうしなければ… ―――――――ぁぁぁぁぁああああ… 目の前の、私の監察官が。 無慈悲に、サザンカを始末してしまうだろうから。 それだけは。――それだけは、許されない。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ… 殺そう。 ……殺せるものから、殺していこう。 親しい相手じゃなければいい。 憎んでいる相手ならばいい。 殺しやすい、老いた者であればいい。 一度殺したものを、もう一度殺せばいい。 私の過去を知り得る、危険な存在であればいい。 ―――――――ぁぁぁ………… 殺そう。 殺せるものから、殺そう。 そうしなければ、私は私たり得ない。 私は、暗殺者なのだから。 もう、修道女に戻ることはできないのだから――――― ※    ※    ※ 「…………来る、で御座るな」 「――ウム。間違いないでござる」 「えっ…なんです急に、2人して。何が来るっていうんです…?私の時代来ちゃうんです…?」 歩く3人、そのうち一人、角をはやした鬼人のササキが経営する団子茶屋『鬼団子』から少し離れた街道。 ササキ、ニンジャ、ゲルニコの夜の道を歩いていた。 団子茶屋に居を構える3人にとって、この道が帰り道なのである。 「ゲルニコ殿を迎えに行ったのは正解だったでござるなぁ」 「否、むしろ失敗だったかもしれぬ。一人ならば逆に狙われなかったかもしれぬぞ。人畜無害故」 「えっ!?私みんなに狙われちゃってるんですか!?ちょっと初耳ですよ…!?」 へへぇ、えへへぇ、と二人の言葉を聞いて卑しい笑顔を浮かべるゲルニコに、二人が苦笑を零す。 ゲルニコには、この夜の闇に溶ける異様な殺気を感じ取れずにいた。 ササキとニンジャはそれを察知し。その上で、ゲルニコを守り通す算段であった。 「ここ数日噂になっている、クライベイビー殿、で御座るかな」 「十中八九。死者は出ていないという話であるが……相当な数の襲撃があったと聞く」 「あっ、聞いたことありますその事件、へへぇ…あれ、もしかして、今すごいピンチです…?」 ゲルニコが心配そうに2人の横顔を眺める。 その横顔、体が。ぴたり、と立ち止まった。 えっ、とゲルニコは二人の視線の先、進む道の前に顔を向けて。 ――――見知った存在を、目にした。 「……予想通りでござるな」 「ウム。その相手、誰なのかと言う所まで――無念でもあるが」 「えっ、あれ…?アルテアさん…?」 ササキは、腰に携えた木刀に手を添える。 ニンジャは無手。カラテだ。見知った顔と闘うのであれば、まずはカラテあるのみ。 ゲルニコは、ぽかん、と目の前に佇む修道女を見つめて―― ――浴びせられた殺意に、吐き気を催した。 「――――――――――――Amen」 アルテアの口から、祈りの言葉が漏れる。 その意味は、「本当に。」 本当に――――――どうして、こうなってしまったのか? 「っ!」 「ゲルニコ殿、お逃げなされよ!」 「えっ、は、はいぃ!?」 アルテアの姿が闇に舞い、消える。 消えたようにすら見えるほどの、高速軌道。 お互いの距離に意味など無い。 全速力で奔れば、銃弾と競争ができるアルテアの、全速による移動。 ササキは、その掻き消えるかのような動きを目で追うこと敵わず、しかし戦闘の姿勢は取った。 ニンジャは、その動きを目で追って――自分の想像をはるかに凌駕した速度に。初手対応が遅れ。 ゲルニコは、何が起きたかも理解できずに、ただニンジャに促されたままに、逃げるために後ろに走り出そうとして。 腹部に。思い切り、アルテアの拳を受けた。 「がっ…!…っっ、うっ…」 つい先ほど食べた夕食、そして催した吐き気の上にボディブローを畳みかけられ。 ゲルニコはお腹の中のものを、口から嘔吐し――同時に、意識を失った。 死んではいない。腹部に突き刺さったのは、今アルテアがもう片手に構えていたナイフではなく、素の拳であった。 「ゲルニコ殿っ!」 「…イヤーッ!!」 ササキが、大切な同居人が倒れ伏した姿を見て叫び、木刀をアルテアに向けて振り上げんとする瞬間。 其れよりも先に、ニンジャのトビ・ゲリが放たれた。 狙いは正確にアルテアの顎。 その速度、先ほどアルテアが見せた高速軌道にも匹敵するかと言うほどの、忍者ならではの疾速。 しかし、 「…ヌゥーッ!オヌシ、これほど!?」 「なんと…いう、」 そのトビ・ゲリを、同じく蹴り足で打ち払ったアルテア。 ゲルニコに拳を叩き込んだ瞬間に見舞われたそのトビ・ゲリに対して、当然のようにカウンターを切り返した。 続けざま――ニンジャの放つ追撃のスリケンを身を翻して回避し。 次に狙うは、ササキ。 「アルテア殿、お主っ…!」 「……………」 アルテアは答えない。 アルテアは、ササキの口元をもはや注視していない。 手に持ったナイフが、ササキの胸元へ吸い込まれるように振るわれる。 「ハァッ!」 「っ」 「イヤーッ!!」 だが―――ササキとて手練。 後方からの追撃に気を取られたアルテアの一撃を、木刀で払うことに成功した。 アルテアの後方から、ボン・パンチによる奇襲を果たした忍者の内助の功である。 しかし。そのボン・パンチも、アルテアを仕留めるに至らず。 ゆらり、と上体を大きく反らす形で回避し、二人と距離を取るアルテア。 「ヌゥーッ!なんたるワザマエか…!」 「…まさか、アルテア殿がこれほどやるとは…しかし…」 一度、3人の動きが止まる。 仕切り直し、という時間。 だが、ササキはそこで――なぜ、ゲルニコに追撃しないのか? その疑問が生じた。 殺すのならば、殺していたはずでござる。 ……殺さない?いや、殺せない? アルテアもまた思考した。 この2人と、同時にやりあうのは危険。 どちらかを早めに行動不能にする必要あり。 ―――もっとも、ササキは私には殺せない。 この人とは、想い出が多すぎる。 だから、 「…っ!イヤーッ!!」 ニンジャ目掛けて、ナイフを一瞬にして三本投擲。 しかしそれはあまりにも素直過ぎる一撃。 当然のように、ニンジャはそれらのナイフをスリケンを投擲し返すことにより、空中で撃ち落とす。 ――だが。 「ニンジャ殿!?」 ササキは、思わずそちらに気をやってしまう。 気遣ってしまう。 同居人を、気遣わずにはいられない。 普段飄々としているササキの中にも―――その感情は存在した。 それこそが隙。 「…………ッ!?」 ナイフの投擲と同時にササキに踏み込み、距離を0にしてアルテアが繰り出すのは、掌底。 遠当てではない。内当てでもない。 ただの、全力の掌底。 それにより。 500kgの体重を持つササキの体が、弾けるように吹き飛んだ。 「がはッ―――――!」 単純にすさまじい威力の掌底を身に受け、地面をえぐる様に転がるササキ。 鬼の高密度の筋肉、それを貫いて受ける威力に、肺の中の空気がすべて吐き出された。 ―――だから、ササキは遠くに吹き飛ばして。 今から、この男を殺す。 アルテアは。酷く冷たい瞳で、ニンジャを見た。 この男。 この男ならば。 私は、躊躇いなく殺すことができる。 ――――――この男は、私の心を弄んだ。 「イヤーッ!!!」 ニンジャが、吹き飛ぶササキなど意にも介さずにクナイ・ダートを手に持ち、コバシリでアルテアの懐に飛び込む。 そして放つは十連撃。 ボン・パンチなどの体術も合わせて、人の目には残像のようにしか映らぬ速度でアルテアを排除にかかる。 ニンジャとしての最高のスペックを誇る肉体を、殺害のために振るった。 だが、アルテアもまた最高峰の暗殺者である。 速度では互角。 技術においても――互角以上。 「…ヌゥーッ!」 「…………」 クナイ・ダートを受けるアルテアのナイフ、拳を払う掌底、ケリを避ける足捌き。 連撃に対処され、ニンジャは呻く。この女、ワザマエは拙者と互角… …いや、 「オゴーッ!?」 凄まじい速度の攻防の隙間を縫うように、アルテアの膝がニンジャの腹へと叩き込まれた。 その一撃の威力に一切の躊躇いは無く。 背骨が折れなかったことに、鍛えこんだ腹筋に感謝するのみであった。 ――死を感じ、咄嗟にくの字になった躰をより縮めこむように伏せる。 つい一瞬先まで自分の頭があったそこに、アルテアのナイフが放たれていた。 余りにも濃密な死線のやり取り。 ニンジャは、この街で今一番自分が死に近づいていることを実感した。 …だが、殺られるわけにはいかぬ。 ここで拙者が殺られること、それ自体は自分は構わない。ショッギョ・ムッジョだ。 だが、それで迷惑をかける者が――悲しむ者がいるのならば。 そう簡単に命を投げ捨てるわけにはいかぬ。 「くっ…イヤーッ!!」 「……」 「グワーッ!…イヤーッ!!」 「……」 「グワーッ!グワーッ!!」 必死の反撃も、一度傾いた相手への流れを留めるには至らず。 少しずつ己が不利な時間が続く。ジリー・プアー(徐々に不利)だ。 そんな焦りが、ニンジャの心にわずかに生まれる。 それが、次の行動を咄嗟に起こしてしまったのだろう。 「……あ……ニンジャ、さん……?」 ニンジャは、自分の背後の地面から漏れるつぶやきに、思わず振り向き目を向けてしまった。 そのつぶやきはゲルニコの口から。 …意識を取り戻したのだろうか?吐瀉物にまみれ倒れ伏している腕が、僅かに動くのが見えた。 ……見てから、自分のウカツさを呪った。 死。 絶対なる死。 敵を前にして背を向けるなど忍びのすることではない。 思考の空白の虚を、ゲルニコに突かれた形で生じた絶対的な隙。 オイオイオイゲルニコ殿。お主のせいで拙者死ぬでござるか?と脳内で愚痴らずにはいられなかった。 かくしてニンジャの頸椎に突き立てられるはずのナイフは。 数瞬が経過しても、ニンジャに刺さることは無かった。 「…アルテア殿」 相手に伝わらない言葉を紡ぎつつ振り返りなおしたニンジャの視線の先。 涙を流す、アルテアがいた。 ―――――――ぁぁ… 「………イヤーッ!」 ニンジャがスリケンを投擲する。 アルテアはそれを片手に持ったナイフで捌き落し――泣き声を上げる。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! 「…何なのだ、オヌシは。何がしたい」 ニンジャが嗜めるようにつぶやく。 その言葉も、もちろんこの女には届かない。 …殺せると思った。 この男ならば、殺せると思った。 ササキは殺せない。 彼とは古くからの付き合いだ――美味しい団子を食べながら、一緒に飲んだ緑茶の味を覚えている。 ゲルニコは殺せない。 よく配給の列に並ぶ、笑顔を魅せる彼女を。時折、咲き誇る様に微笑むこの子は。殺せない。 だが、この男ならば殺せると思った。 出身も不明。本名も不明。忍者。自分と同じ匂いのする、暗殺者の男。 私の心を弄んだ、最低の男。 そう思っていたのに。 その男を殺すことで、他の――ゲルニコ、ササキ、しらたまが。 少しでも、悲しんでしまうことを考えると。 その手が、降り降ろせない。 私には。 ―――誰も、殺せないのか? ――――――それほどまでに、私は弱くなっているのか? 「………クッ」 赤子のような鳴き声を上げながら。 涙をぼろぼろとこぼしながら。 アルテアは、その場から身を翻した。 ニンジャは、自分の気が削がれたことを自覚し。 また、去った脅威をあえて引き戻そうとも思わず。 その場に横たわるゲルニコと、吹き飛ばされ腰をやられたササキの介抱を優先させた。 ……ニンジャの薬丸である程度の回復をした3人は。 ゲルニコの強い勧めもあり、教会へと足を運んだ、 そこにいる少年に、この事を伝えると。 少年は、沈痛な――― ―――そして、決意を秘めたまなざしで。 「……頼みが、ある」 と伝えた。 その内容を、3人は大きな頷きと共に聞いて。 アルテアの襲撃を受けた他の冒険者たちに、伝えに走った。 ※    ※    ※ ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! 殺せなかった。 殺せなかった。 殺せなかった。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! 泣きながら、夜の街を走る。 きっと町中の人に声が聴かれてしまうだろう。 もう、―――もう、どうでもいい。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! 私は修道女にはもう戻れない。 暗殺者であることもできない。 何物にも、なる事ができない。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! …………終わりにしよう。 次に襲う対象は、決めていた。 それで終わりにしよう。 私の、命を。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! 殺せると思っていたが、きっとあの人たちも私には殺せない。 それでも、最後まであの人たちを襲っていなくてよかった。 あの人たちなら―――きっと。 私が全力で戦える相手だ。 殺すか殺さないか迷いを抱く瞬間すら与えられないほどの強敵だ。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! 一人は500年を生きる仙人なのだから。 一人はビリー神父の教えを受けた、歴戦の冒険者なのだから。 一人はビリー神父と殺し合いをして生き延びた、咎人なのだから。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! あの人たちを、今度こそ殺したら。 ………自決しよう。 暗殺の任務を達成させてから自刃する。 それならば、監督官も…何も、言わないだろう。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! ………泣いて、泣いて、泣いて。 涙の意味も解らなくなって。 それでも、泣いて。 ―――――――ぁぁぁぁぁああああ…!!! 最後に、アルテアは。 この涙が、二度とサザンカに会えなくなることに対して零れているものだと、理解した。 ※    ※    ※ 「うぃ〜っく、今日も飲み過ぎたぜぃ〜…」 「しょうがねぇよレクトール…いい年こいたおっさんでも、飲まなきゃやってらんねぇ夜もあるぜぇ…?」 「レクトールもリカルドも千鳥足過ぎじゃろー?儂もなんじゃがな!!鳥の千鳥足!あはははは!!」 酔っ払い3人が、人気のない夜道を歩いていた。 時間は夜、深夜。 大声で騒ぎながら歩くその様子を見て、酒が入っていないと思う人間はいないだろう。 完全に出来上がっている、いい年こいた3人の大人。 レクトール、リカルド、イェチン。 イェチンが二人の手を両手に取り、子供にそうするようにぶらんぶらんと揺らされながら歩いている。 一人の見た目は鳥人であり、一人の見た目は幼い少女のようではあるが。 この町の若い冒険者から見れば、老いた存在。 若人の成長を見守る側にある、3人だった。 「―――――――――――――――」 その3人の背後から。 背中を、見下ろす影がある。 …アルテアである。 ………時間は計画通りの時間。 彼らは、今晩酒を飲む予定を立てていた。 その帰り道を襲撃する。 ――前に、レクトール1人を狙った時と、同じ計画。 今度は―――今度も。躊躇わない。 ……最後の暗殺だ。 私の、人生最後の暗殺。 辛い事ばかりだった―――楽しいことも、少しはあったけれど、本当に辛い人生。 それが、この暗殺を達成することで、終わると思えば。 ひどく、気が楽になった。 見下ろしていた屋根の上から飛び降りて、360度からナイフを放り投げ、隙を生んだものから殺す。 レクトールにした時と同じように。 3人とも、殺してのける。 頭の中で―――幾筋も、シミュレーションを描き。 アルテアは、それが纏まり切る前に。 屋根から身を翻した。 それが、終わりの始まりだとも知らずに。 「―――――――――かかったわアホウが!!」 飛び降りた瞬間に、誰かが叫んだのがアルテアの肌、空気の震えを通して分かった。 なんと言ったのかはわからない。 だが、背中を向ける3人の―――闘気が、一気に膨れ上がったのを感じた。 「レクトール!リカルド!!」 「おうよォ…『釣り』は成功だぜぃ!」 「ここからが本当の勝負なんだがな…!!」 2人の両手を掴んでいたイェチンが、二人の名前を叫びながら体内に気を巡らせる。 白く発光するそれは、サザンカやキョーレンが得意とする、法力、気功による治癒の力。 しかしてサザンカらとは比べ物にならないほどの膨大な内功を自身の体に生み、両手を通して男二人に通すイェチン。 ――ヒーリングの効果。痛みを癒す、傷を癒すなどが主な効能だが。 法力によるそれには、他にも様々な副作用があった。 ……例えば、酔いの解消。 サザンカが、よく酔っぱらったルウジーを癒していたように。 「―――っ」 アルテアはこの時初めて。 自分が罠にかけられていることを悟った。 …アルテアが着地するまでの1秒にも満たない間に。 すでに3人は酔いを醒まし、それぞれ得物を抜いてアルテアに向き直っていた。 レクトールは片手に銃を。もう片手に……葉巻を。 リカルドは剣を。鞘は捨てた。少しでも身軽にするために。 イェチンは胸の下に腕を組む。この女のみは、己の力に絶対の自信を持っていた。 「…ジャッカルド、師範ちゃん…わかってるな?」 「理解ってる……俺たちの、俺の役割はわかってるさ」 「かっかっか、儂がいるんだから大船に乗ったつもッ」 イェチンの言葉が途切れた。 だが、それはアルテアの神速の踏み込みによる奇襲によりダメージを受けたことによるものではなく。 その奇襲を、イェチンが足で受け止めたからこその、言葉の停止。 「…ほぅ。本当にやりよるのぅ、シスター。流石はサザンカの姉と言った所か」 姉。 その言葉に、アルテアの頭が煮えた。 …………もし、そうであったらどんなによかったか。 そうでないことに、どれだけ私が苦悩しているか。 何も知らないお前が、語るな―――!! 「……アルテアぁッ!!」 リカルドの、峰打ちによる横薙ぎがアルテアに向けて放たれる。 鋭い剣閃。 流石はかつて歴戦の冒険者だった者の一撃。迂闊な対処はできない。 アルテアは、その横薙ぎから逃げるように、横へ飛んだ。 そこに、銃弾が飛んでくる。 レクトールだ。その口元……煙草を一本、吹かしていた。 「悪ぃが今日は本当に容赦ないぜ…アルテアちゃん。おじさんの怖いところ、たっぷり味合わせてやるよ」 銃弾の軌道―――アルテアの瞳は捉えた。 耳が聞こえないからこそ、磨き抜かれた動体視力。 そして弾の軌道から体を逸らすように―――高速の軌道で、さらに身を翻す。 だがさらに、アルテアの体に並んで飛び込んでくる、小さな影があった。 「――甘いのぅ、甘いのぅ!敵は3人おるのじゃぞ!」 イェチンが懐に飛び込んできた。その両手には、気功による光を纏い。 そのまま、走り抜けながらの連打をアルテアに浴びせる。 アルテアがナイフを手から捨て、それを必死に受け流す。 凄まじい殴打と受けの肉体がぶつかり合う音を響かせながら、街道を走り抜けるように進む二人。 それを追うように、さらに男が二人。 ―――戦場は、目まぐるしく移動していた。 「くっ………!」 「…ぬっ?逃げたか、ふむ。意外と熱のない奴じゃ」 イェチンの攻撃を、その速度を十全に発揮することでなんとかいなし切り。 アルテアは、路地裏に身を滑らせるように飛び込み、姿を晦ました。 「…逃がしてどうすんだこのアホ!!」 「このアホ!!本当にアホ!!!ドアホ!!!!」 「あ、アホとはなんじゃアホとは!探せばいいんじゃろ探せば!!」 男二人からの容赦のない暴言がイェチンに飛ぶ。 しかし3人でここで固まっているわけにもいかない。 気配――アルテアが纏っている殺気は、いまだ減衰を見せず。 夜の闇から、奇襲の機を窺っていることが、3人には感じられた。 「しょうがねぇな…わかってるな?ジャッカルド」 「ああ…手分けして捜索だ。………やるさ」 「……気をつけるんじゃぞ」 三者三様に分かれて、路地裏に踏み込む。 どこから襲撃が来るかはわからない――全神経を集中させて。 ……そして、その様子を感づかれぬ位置で観察していたアルテアは、好機ととらえた。 3人と一気に戦うのは分が悪い。 それで自分を殺してくれるなら――もはや何も言わないが。 だが、あの3人。自分を生け捕ら得よう、という意志が見えた。 ―――やめて。 ――――それだけは、やめて。 ―――――私は、二度とサザンカの前に戻れない身なのだから。 だから、殺しきる。 殺して、殺しきって。そして、誰にも見つからない所で、死ぬのだ。 そうしなければ―――きっと、サザンカは殺されてしまう。 もはや強迫観念にも似た何かが、アルテアを突き動かす。 それぞれ分かれた3人。 最初に狙うのは、リカルドだ。 ……あの中で、恐らく。最も与し易い相手。 全盛期の力が戻っているとはいえ、一度殺し損ねたレクトールや、先ほど尋常ならざる強さを見せたイェチンよりは。 あの男が、一番殺しやすい。 そして、一番殺しにくい。 ―――忘れろ。 今だけは、今だけは忘れろ。 リカルドとの思い出など。 教会のミサでワインをふるまい。お酌をし。 冒険者時代、その頃の彼を思い返し。 腰を揉んだりしながら、楽しく談笑した、そんな思い出など――――― アルテアは、少しずつ離れていく3人のうち、リカルドを標的として行動を始める。 周囲にまき散らした殺意はそのままに、気配は殺し。 リカルドが、一人になったのを間違いなく確認したうえで。 ―――放つ。 360度、全方位からの投げナイフを。 その身一つで、神速の高速軌道を用いて。 「…………っ!!やっぱり俺だよなッ!!」 だがリカルドは、この瞬間を待っていた。 いや―――予想していた。 それは、事前にレクトール、イェチンと打ち合わせていた勝負の流れ。 もし、3人がそれぞれ分かれるような事態になれば。 アルテアは、恐らくリカルドを狙うであろうと。 最もくみしやすい相手だと判断するだろうと、事前に予想していた。 だからこそ、俺がこの役目を担うに値する。 リカルドは、囮になるのが自分であるという死への恐怖、それ以上に。 この役目を果たしきるという強い想いを、胸の内に秘めていた。 ―――――かつては、守れなかった。 そして、腐った。 ―――――だが、今は守りたい存在が出来た。 守ろうと思った。 既に終わったロートルだが、それでも。 守りたいと思った。 ―――――まずは、こいつらから。 俺が、救う。 「――っだらァァァッ!!」 360度から迫る致死のナイフに、剣一本で対抗するリカルド。 その剣速は全盛期、冒険者時代のものと同じ。 いや――後悔した長い永い時間の分、今の方が疾い。 数十本のナイフを、全て叩き落とすと同時。 黒い影が、己の死線を踏み越えてリカルドを睨む。 その手にはナイフ。自分を殺さんと黒く輝きを放つそれ。 その、涙を流す紫の瞳。 ……こいつは、まだ救える。 だったら、ここで俺がやらなきゃ嘘だろう? 「舐めんなぁぁぁぁっっ!!!」 「…………っ!」 アルテアは……実力的に、自分よりも劣るだろうと踏んだリカルドの、その気勢に呑まれかけた。 余りにも強く、自分を打つ叫び。 音は聞こえねど、震えで感じる―――強い意志。 二つの影は絡み合いながら疾走する。 先ほどイェチンがアルテアにしたように、アルテアが駆けながらリカルドに無数の斬撃を叩き込み。 それを、必死に―――そう、必死だ。 死すら必然であるほどに、鋭く尖らせた意志の力で。 リカルドが捌き続け、路地裏を駆ける。 実力差は明白。 それでも、リカルドは捌き続ける。 速度が自分より上でも。 技術が自分より上でも。 この圧倒的な攻撃を、捌き続けることができる。 ――――この技は。ナイフのひらめきは。 かつて、教えを乞うた神父のそれと、酷似しているから。 自分の中にも根付く、武芸のそれに、酷似しているから。 ……捌いて、いられる。 「ぎッ…!!っまだだ!!」 「………くっ!!」 少しずつリカルドの体は削られていった。 ナイフが二の腕を掠め、肩を掠め、頬を掠め、首筋を掠め、目を掠める。 そこにあるのは純然たる力量差。 しかし―――しかしだ。 リカルドは、まだ負けてはいない。 たとえあと十数秒の後に、自分に死が訪れるとしても。 負ける事だけは許されない―――!! 「………ガハァっ…!」 「………………」 無言で涙を流す殺戮の聖女が、リカルドの一瞬の隙を突いて、決定的な一撃を腹部に叩き込んだ。 両手のナイフの軌道を囮とした、苛烈なトゥーキック。 かつて、レクトールの喉をくびり折るに至ったその技をリカルドに放ち。 リカルドは臓腑が貫かれるような衝撃を受け、後方に吹き飛んだ。 状況は、一目で明らかであった。 激烈な痛みに倒れるリカルド。 それを、無傷で冷酷に見下ろすアルテア。 誰がどう見ても―――リカルドの敗北。 リカルドの死。 だが。 リカルドは嗤っていた。 「…へッ…アルテアよぉ……」 「…………」 「……『俺』は、勝ったぜ?」 その一言が。 永遠に届かぬアルテアの耳に入るよりも先。 一発の銃弾が、アルテアを襲った 「――――――っ!?」 完全に意識の外からの狙撃。 アルテアはその銃弾を避けること敵わず――身に受け、『弾き飛ばされた』。 ……ゴム弾であった。 そして、そのゴム弾を高度50mの超々高高度から狙撃した魔弾の射手。 レクトールが、空中で体に炎を纏わせながら―――効かぬ夜目など関係ないとばかりに。 にぃぃ、とその嘴の端、口角をゆがませた。 「よくやったぜ…リカルド。ここからは俺の出番だッ!!」 連射。 直上からの狙撃銃を、2発、3発と連打。 だが、アルテアはその狙撃がどこから放たれているのかがわからなかった。 何故か。 ――――己の真横から。銃弾が、どこともなく現れてアルテアの体を吹き飛ばすのだ。 直上からの狙撃。 しかしアルテアの脇腹へ吹き飛ばすように突き刺さる銃弾。 レクトールは、狙撃したその銃弾の軌道を―――捻じ曲げていた。 「ッ…!」 アルテアは、銃弾から受けるダメージよりも、その受ける方向に危惧した。 ゴム弾程度では私の体を十全に傷つけることはできない。 だが、この衝撃。私を、間違いなく――何かの方向に、導いている。 思えば、3人が一度分かれて一人一人になった時…余りにもその方向、迷いがなかった。 リカルドが一人歩みを進めた方向。 リカルドとアルテアと交戦する中で、意識して移動した方向。 そして、今銃弾で体を吹き飛ばされ、運ばれている方向。 その先には、街並み、建物が減り、少し開けた場所がある。 ―――アルテアは、このままではまずいと確信した。 だが、銃弾が来る軌道はそれで読める。 自分を誘おうとしている方角、その逆側から銃弾が来るというのなら。 この闇夜でも、意識を集中すれば避けられるはず。 アルテアは、その方向のみに意識を集中した。 そして、銃弾の軌道を見た。 ――直上から直下、地面に向けて放たれている銃弾が。 地面に当たる寸前に軌道を自分に向けて変化し、襲い来るその瞬間を。 「……」 そこか、と。 アルテアは、この時初めてレクトールの放つ銃弾を回避し。 見上げるように、上を向いた。 そこにはレクトールが、自分に向けて銃を――超々高高度にて構えているのが見え。 そして。 絶対の隙が、アルテアに生まれた。 「…くっく。エビフライ一本分の技、食らうがいいわ」 アルテアが上を向き、地面から注意を逸らした一瞬。 アルテアの立つその位置より20m離れたところに、イェチンが姿を表す。 そして片足を大きく持ち上げ、思い切り地面に向けて降り下ろす! ズン!と震脚による震えが周囲の地面を伝わり、ここでアルテアも異常に気づく。 咄嗟に顔を下ろしてイェチンを視界にとらえるが―――遅い。 「―――てぇぃっあ!!」 気迫の声と共に、イェチンが腕を前へと、アルテアへと突き出す。 その技、サザンカが得意技としている遠当てと同じ原理の技巧。 だが。その練度、比較にならず。 イェチンの体に練りあげられた気功による衝撃が、20m離れたアルテアへと襲い掛かる。 その遠当ての距離はサザンカの放つそれの数倍の距離。 そして、威力も。 「ッ――――!?」 まるで不可視の車に跳ね飛ばされるような衝撃がアルテアの体を襲った。 修道服はまるで鎌鼬にあったかのように所々に解れが生じる。 彼女が纏う修道服はサザンカの外套と同じ衝撃吸収力を持つ。 持った上での、その威力であった。 アルテアの体が、30mほど宙を舞う。 まるで円盤投げの円盤のように吹き飛んだアルテアを。 技を放ったイェチンが、狙撃したレクトールが、おびき寄せたリカルドが見た。 そして、吹き飛ばされたその位置。 「その位置」だ。 「…………くっ!」 服が破れ、30m吹き飛ぶほどの遠当てを受けてなお、アルテアは空中で身を翻し、両足で着地を取れる。 それほどに服に衝撃を吸収させ、同時に法力…サザンカの使うものと同じそれで、ダメージを軽減していた。 ……だが、アルテアが着地したそこは。 さきほど懸念していた、開けた場所。 ――――ぞっ、とアルテアは身を震わせた。 「………さぁ。始めるわよ、アルテア」 そんなアルテアの背後から声をかけたのは、カレリアだ。 ここで――待っていたというのか?私を。 私が、ここにおびき寄せられるのを待って。 あの3人が、私をおびき寄せることを信じて? 「貴女の罪の数を数えなさい、アルテア―――」 カレリアがまるで指揮者のように手を上げ。自分の相棒の名前を紡ぐ。 ―――アレックス。やりなさい。 瞬間。 世界が、封絶された。 ※    ※    ※ 「………!?」 「スレーブゴーレム20体を同時使役することで作り上げた結界よ。これでこの中から誰も逃れることはできない」 2人の周囲30m程度にわたり、光のドームのようなものが彼女らを中心として街を包む。 その半円のドームと地面の接点には、マスターゴーレムであるアレックスが使役するスレーブゴーレムがいた。 20体、等間隔に配置され、光の結界を生み出していた。 ……捕らえられた。 捉えられた。 アルテアは、先ほど交戦していた3人の思惑を、ここで理解した。 ……だが、懸念点が2つ。 どのようにして、彼らは連絡を取り合っていた? カレリアは魔術で念話が可能かもしれないが、他の3人に遠距離の相手と連絡を取る手段は無いはずだ。 それでもなお、先に見せたような連携を取り。 完璧な誘導の元に、私をここまで連れてきた。 ――――何故だ? ……そして、もう一つの懸念。 カレリアが張った結界。これを抜けられるかどうかは怪しい。 ゴーレム20体による強固な結界だ。 尤も、これを発動するカレリアの負担も相当なものだろう。 だから、だ。 私が今ここで、カレリアを殺すとは考えなかったのか? 「…アルテアっ」 カレリアが魔術を展開し続ける…手を高く掲げた姿に。 アルテアは、今度こそためらわず。ナイフを突き立てんために吶喊しようと。 したところで。 光の壁――結界とは違う、光壁の大波が、アルテアの体を襲った。 「重ね当てワザ1の2、拡げ当てだぜッ!!そう簡単にやらせるかよっ!!」 自分に叩き込まれる光壁の向こう、カサネが手刀を降り降ろした構えで笑っていた。 速度を十全にしても回避は―――不可能。 その光の壁に押し出される様に、アルテアの体は弾き飛ばされた。 ……おかしい。 違う。この攻撃や、結界がおかしいというわけではない。 私の体が、おかしい。 アルテアは、自分の体に響く重ね当ての衝撃よりも、もっと深い部分で疑問を持った。 ……私なら、光壁が届く前にカレリアに刃を突き立てられた。 光壁も、全速で退避すれば避けられた。 だが、できなかった。 ……体全体が、まるで鉛のように重く感じている。 なぜだ。なぜだ? 「…アルテアさん、すごい鼻が利いたよね。カレーを一緒に作るとき、香辛料の匂いがきつい、って言ってたもんね」 吹き飛ばされるアルテアが見たものは、その手に持った香辛料を風に流すアニーの姿。 香辛料魔術。 彼女が冒険にてそのルーツをたどり、研究の果てに己が技術とした、1000年前の黄金歴の神秘。 その魔術は、香辛料の効果を数十倍に発揮させることで、対象の身体能力低下を促すもの。 普段よりも数倍に薄めて風に流し、普通の人であれば全く効果が出ない程度に抑えたそれでも。 常人の数十倍の嗅覚を持つアルテアには、十全に効果が発揮されてしまうものだった。 「……ごめんねアルテアさん、でも私も貴女を助けたいっ!」 アルテアに香辛料魔術の効果が効いたことが見えれば、『他の』己の仲間にデバフ効果が出てしまう前に蓋を閉じ。 そして、刀を抜く。構えは、峰打ち。 アルテアは、その構えを見て。結界を生んだカレリアを、攻撃の威力をあえて下げたカサネを見て。 リカルドを、レクトールを、イェチンを。その殺意のない攻撃を思い出し。 ――自分が、生きたままに捉えられようとしていることを察した。 「――――――あああああああああああああ!!!!!!」 アルテアのその叫び声は泣き声か、それとも怒りの発露か。 幼すぎる叫びの色を上げながら、香辛料魔術により身体能力が低下した体で。 しかしそれでもすさまじい速度を纏い、突撃する。 誰に? ……もう、誰でもいい。 投げやりな思考の先。目に見えるそこには―――既に、複数の冒険者が現れていたのだから。 「今日の私は命懸けだから黒だ 悪いけど死んでもらうぜ シスター」 まずそのうちの一人。 黒の色を全身に強く表したタタラが、アルテアの前に立ちはだかる。 「……っ!」 アルテアは間合いを詰めるより先に、掌底による遠当てをタタラに放った。 だが、それにカウンターで切り返すように。二刀を振るうタタラの姿。 「秘剣―――漆黒」 二刀が高速に振るわれ、アルテアの視界を埋め尽くすほどの刃による遠当ての応酬。 己の放った遠当てがタタラに届くよりも先、尋常ならざる数のタタラの遠当てがアルテアを襲う。 「がっ……!!」 それを受けて後方へ吹き飛ぶアルテアに、地に足をつける前に。 高速で追いすがる、小さな影があった。 「アルテア殿……失礼仕るっ!」 ドロッセルが、その小柄な体躯を駆使した超高速の疾走にて並ぶように走り。 終幕のワルツを、踊る。 それは自身の肉体の破損さえ考慮しない、高速運動による全方向からの連続斬撃。 「…はああああッッッ!!!」 「くっ、くぅっ!!」 斬撃を必死に捌こうとするが……体の動きが、鈍い。 いくつか修道服の上にもらい、さらにダメージが累積する。 アルテアは、その斬撃から逃れるように、飛ばされた方向とV字の軌道を地面に描いて方向転換。 間合いを開けようと―― ――したそこに。さらに並走する、一人の男。 「次は俺だ。鳴神抜刀流―――味わってもらう!」 キョーレンが、その低く低く構えて疾走する独特の走法でアルテアの後を追う。 続けざまに来る刀による連撃。 これもまた、ダメージを負い香辛料魔術で体の動きが鈍ったアルテアには、捌くのが困難であった。 「……鳴神抜刀流・巻雲!」 「っぅっ!!」 キョーレンの構える刀の先、まるで八岐大蛇の様に枝分かれして形取った霊気の塊が鞭のように振るわれた。 刀の間合いを超えて放たれたその技を、アルテアは片腕を犠牲にして受け。 腕の修道服、裾まで持っていかれながらも。 大きく高々と跳躍し、技から逃れる。 だが、アルテアの贖罪は終わらない。 高く跳躍したその空中。 無数の人型代、紙により人を模して造られた呪符が、無数に舞っているのだ。 「…アルテアさん。貴女を救うためなら――私はっ!」 同じく宙空、空に人型代を足場に立つ少女、エイル。 彼女の躰には半狗半狐の耳と尻尾。 天狐と呼ばれる、己の血の中にある力を最大限発揮するための形態。 「―――エイル…!」 「……鉢野流忍術・天狐陣!」 宙を舞っていた無数の人型代がアルテアに向かい飛翔する。 その全てが、爆炎と雷光を纏い。アルテアの周辺で、次々と自爆していく。 「く、あ、あ、ああああああっ!!!!」 宙に飛んだ状態のアルテアは、これを捌くことができない。 せめてもの回避に、脚に法力を纏わせた状態での、遠当てを放ち。 軌道を下向きに、逃げ落ちるように修正し。爆風の威力を軽減する。 彼女の頭に被ったヴェールが爆風に舞い、金色の髪をなびかせた。 しかして空中から地面へと落下、墜落していくアルテア。 だが。まだ着地をするまでに、数瞬の猶予がある。 それを逃さぬ、刃の走りが3つ。 「雷霆流……紫電・雲耀薙っ!!」 「鳴神抜刀流――紫電・改っ!!」 「黒橡<くろつるばみ>――!!」 アニーの、キョーレンの、そしてタタラの3人による多重居合貫。 刃による斬撃力を遠くまで飛ばすその3つの剣閃が、アルテアに直撃する。 電撃魔法による痺れも加味され、自分が着陸しようとした地点よりも数m弾き飛ばされる様に、地に落ちた。 堕ちた先。 虎彦の木刀が、更にアルテアを狙い定めるように打ち据えて。 そして、跳ね上がる様にして返す刀で、身を無理やり叩き起こす。 「居合抜き燕返し―――借りは、返しました」 「は……あ―――」 アルテアは、自分の意識が途切れかかるのを、舌を噛むことで堪えた。 まずい。 このままでは、まずい。 なによりも。 自分を殺す一撃がこないままに、動けなくなるのはまずい―――!! 「…友達だもんね?動けなくなるまで行くわよ、アルテア」 そしてその思考をあざ笑うかのように、ステップを踏みながら距離を詰めてくるサンディーア。 その大きな体躯から、∞の文字を描く様に上体を揺らして放たれる連続技は、デンプシーロール。 かつてサザンカがその身に受け、悶絶をしたその技を―――躊躇いなく、アルテアの細腰へと。 「っ、―――――――ッッッ!!!」 もはやうめき声を上げることすらできない。 左右に振られて血反吐を口からこぼしながら、アルテアは…それでも、最後の瞬間まで。 この場を離脱するために、最後の力を振り絞ろうと―――― 「……ああ、残念だが絶対に逃がさぬよ」 「慈悲は無い。ハイクを読め、アルテア殿」 満身創痍のアルテアを挟み込む形で、二人の和人が奥義を放つ。 ササキは、その手刀に纏わせた絶対零度の縦薙ぎを。 ニンジャは、その刀に纏わせた灼熱地獄の横薙ぎを。 「…ハイパーボリア・ゼロドライブ!!」 「…キリステ・ゴーメン!!」 アルテアの前後から、まるで十字を切る様に。 その身に、刻み込んだ。 鮮血を散らし―――それでも、それでも。 加減がはいったその攻撃で、息絶えることなく。 アルテアは、今度こそ地に伏し……起き上がるために、腕に力を籠めようとしたところで。 ナイフを取り出すために、腕を動かしたところで。 「させないよ、アルテア!!」 緋乃がその背に馬乗りになり、アルテアの両腕を捻り上げる。 その巨力、精根尽き果てたアルテアが必死に足掻いても振りほどけるものではなく。 ―――――ここに、クライベイビー事件の主犯が、無力化された。 ―――――そして、ここからが本当の始まり。 ※    ※    ※ 「…………神父の手記を、読んだ」 こつ、こつ、こつ、と。 地を鳴らす、靴の音。 その、歩くリズム。歩く振動。 「…………神父様の事も、シスターの事も、俺の事も。全て載ってた」 普段よりも低く、落ち着いた声色。 それでも、それでも。 その声の振動を、よく覚えている。 その歩くリズムを、よく覚えている。 「…………シスター。全部、終わらせよう」 アルテアが、血塗れの……泣きそうな顔を、上げると。 そこに、一番大切な存在が。 サザンカが、とても沈痛な面持ちで、立っていた。 「………なぜ………?」 「なんでかな。俺はシスターと、みんなと一緒に楽しく暮らしたいだけなのに」 アルテアが呻く。サザンカは答える。 「………なぜなの………?」 「…なんで、俺に相談してくれなかったんだ。いや、できないのは解ってるけど――それでも」 アルテアが呻く。サザンカは答える。 「………なぜなのよ―――――!!!」 「…なんでだよ、シスター!!なんで、みんなを頼ろうとしなかった!!!なんでだ!!!!」 アルテアが呻く。 サザンカは、叫んだ。 「俺に言えないなら、レクトールさんに相談すればよかったんだ!!リカルドさんに相談すればよかった!!」 「他の人でも、誰でも!!言えば、許してくれるはずだっ!!過去の過ちも!!シスターのせいじゃないって!!!」 「―――――私が許されるはずないじゃないっ!!!」 サザンカの叱責するような叫びを、アルテアの悲痛な叫びがかき消した。 「私は殺した!!ビリーを、アルバートを、レクトールを、罪もない人々を!!許されるはずがないじゃない!!」 「悪いのは教団だ!!全部教団のせいだ!!!シスターが許されないなんてことは無いっ!!!」 サザンカが叫ぶ。アルテアが叫ぶ。 それを、みんな無言で見守っていた。 戦闘に参加しなかった、しかし見守るためにあえて危険な場所でもその場にいた人たちも、それを見守っていた。 「なんでっ……なんでそんなことが言えるのよっ……!」 「……俺を守るために。俺がシスターにとって人質代わりにされていたから、だ…!」 「――――っ」 アルテアが息を呑む。 その事実。 その事実だけは、知られたくなかった。 だって、それを貴方が知ってしまったら。 貴方の後ろにいる、 監督官が、その刃を貴方に――――― 「――逃げてサザンカぁっ!!!」 泣きながら。 アルテアが、その凶刃を今にも降ろそうとする監察官を見据えて、叫んだ。 ……サザンカは、アルテアのその視線を見て。振り向かなかった。 みんなは、アルテアの目線を追った。 その先。 何も、いない。 「……………ぇ……?」 アルテアの目の前で、固まったように動かない監察官。 なぜ? なぜ、その刃を降り降ろさない…?何故、なぜ、ナゼ、なんでなんでなんでなんでなんで――― 「……シスターが裏切ったら俺を殺す任務を受けている監察官。それは…幻覚魔法が生んだ、幻なんだ」 ※    ※    ※ 「―――――――――は、」 嘘。 嘘だ。 アルテアは、自分の心が砕ける音が――生まれて初めて、音が聞こえた。 私は、その幻覚のために殺したの? ビリーを? 冒険者の、みんなを? そんな、そんな幻覚におびえて、ただそれだけで―――? 「暗号で神父様が手記に書いてた…暗号を使ったのは、たぶん神父様にも同じ魔法がかけられてたからだ」 「…………あ」 「教団の意向に――暗殺任務に従わない意思を示す者は、監察官が現れる」 「…………あ、あ……」 「神父様はそれに独力で気づいて…気づいたからこそ、本当の監督官…シスターが、ここに派遣された」 「…………ああああ……」 「…その幻覚魔法は、教団の意向に従わない意志が強くなればなるほど―――精神に負荷をかけるようになってる」 「……………ああああああああ……」 「神父様が自分の死期を悟っていたのはそのせいだ。そして、シスターが泣く様に…自分を見失うほどに、苦悩したのも」 「………………ああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」 アルテアの瞳から、涙があふれる。 クライベイビーの泣き声をあげて。 泣く。泣く。―――――泣く。 その様子を、シアンが、しらたまが、ファウストが、エルオが、ゲルニコが見ていた。 戦場に遅れてたどり着いた、レクトールが、リカルドが、イェチンが見ていた。 アルテアを行動不能にするために力を奮った、みんなが見ていた。 誰もが、口を開くことができなかった。 数十秒か、数分か。 泣き続けたアルテアは、少しずつその声を弱めて。 涙に濡れ、ボロボロになった顔を上げる。 「……それでも…それでも、私にはまだ監督官が見えるのよ……サザンカぁ…」 「……わかってる」 アルテアの視界。凍り付いたように、サザンカの命を狙う監察官の姿が残っている。 自分で自覚したとしても、その幻覚魔法は消えることは無い。 消えるのは―――― 「この魔法は、命が絶える瞬間に解呪される。それほどまでに、強力な魔術だって…神父様が書き残してた」 「――――――死ぬ、まで?」 アルテアは――自分が、どこまでも不幸であると思った。 やはり、救いの道は無い。 自分には、救いの道は――――― 「俺が背負うよ」 絶望に全身が染め上げられていくアルテアの、その瞳に。 口をゆっくり動かして、救済の祝詞がサザンカから告げられた。 「シスターが犯した殺人の罪も。その辛さも、俺が一緒に背負うよ」 「………サザンカ……」 サザンカの顔は、微笑んでいた。 時折ビリー神父が見せていた、やさしさと……その中に、強い意志を秘めた、その笑顔に。 そっくりな、微笑みを。 「だから―――――」 ―――――俺がシスターを、殺す。 時が、止まった。 ※    ※    ※ 「…おかしいよサザンカっ!?」 最初に口を開いたのは、虎彦。 「なんで!?なんで殺さなきゃいけないんだっ 許して一緒に暮らせばいいじゃないか!?家族なんだろっ」 いきり立ち、問いただす為にサザンカの襟首をつかまんと踏み出した虎彦の一歩目を。 キョーレンが、肩を掴んで止める。 「キョーレンさっ」 「虎彦。……二人の目を見ろ」 虎彦は言われて、キョーレンが見据える二人の様子、その瞳を見つめた。 後悔の色は一切なく。 贖罪の色は一切なく。 諦観の色は一切なく。 サザンカの瞳には、確固たる意志が。 アルテアの瞳には、解放への歓喜が。 浮かんでいた。 とても、穏やかな表情だった。 「……サザンカ。信じていいん、だね?」 「サザンカん……ボクは。何も言わないで、信じよう。サザンカんと、アルおねーさんを」 「…アルテアさん…サザンカ君…」 「…サザンカ アルテアさんを救うのはお前なんだな?お前を… 信じていいんだな?」 「…また、美味しいご飯を作ってくれる2人に、戻ってくれるんですよね?日常に…」 シアンが、しらたまが、エルオが、ファウストが、ゲルニコが。 2人を見て、言葉を零す。 サザンカは、みんなの言葉に大きくうなづいた。 …………この瞬間を待った。 アルテアの周辺に、冒険者が――集い、逃げ場を失わせて。 カレリアさんが、エルオさんが、アニーさんが、キョーレンさんが、イェチンさんがいる、この状況を。 待った。 まず、俺がアルテアを探していることを気取られてはいけなかった。 それをアルテアが察したら、襲撃をやめて本当に身をくらませるかもしれないから。 だから、俺が表立って動くことはできなかった。 なので、襲撃を受けた全員に、俺が作った小型携帯通信機を渡して。 裏で、襲撃の情報をそれぞれ共有し。 アルテアが、襲撃に限界を迎え始めるその時に、最も腕に信頼のおける3人を囮として配置。 その後、その3人により結界魔法を張る所定の位置まで誘導。 カレリアさんに結界を張ってもらい、それを破られない様に全員でアルテアを食い止める。 そのうえで、出来る限りアルテアの行動力を削ぎ落し、俺の話を聞ける状態まで持っていく。 ―――――作戦は成功した。 あとは、最後の一手。 ……シスターを殺して。 絶命を確認したうえで、全員一斉の治癒術により、生き返らせることで。 幻覚魔法を解呪する。 最後の一手。 シスターを殺す、その一手。 この役目だけは、誰にも譲ることはできなかった。 「――――――シスター」 「――――――サザンカ」 緋乃が、その気配を読み、取っていたアルテアの腕を放して。 ふらふらと立ち上がったアルテアに、サザンカが正面から向き直った。 殺せる。 この状態なら、殺せる。 ――弱った状態のシスターなら。俺でなくても―――― 「……エルオさん」 「は、はいっ!?」 サザンカは、アルテアから目を逸らさずに、周辺から見守るエルオに声をかけた。 「一つ頼みがあるんだけど」 「……何、かな?」 エルオは、ひどく嫌な予感がした。 「……シスターを、治療してほしい。今」 ざわ、と周囲から声が漏れた。 …わかってる。 これは俺のわがままだ。 みんなが決死の思いで与えたダメージを、無に帰そうとしている。 動けなくさせてサザンカと会話の場を作る、という目的は果たしたそれだが。 それでも、ここで回復させる道理はない。 すでにカレリアの結界魔法も閉じられている。 ここでもし万全にアルテアの体を回復してしまえば、逃げられてしまうのではないか? そんな思いが周囲から、 一切上がることは無かった。 アルテアの表情。 普段見慣れたそれよりも、とてもとても…優しい、笑顔をたたえていたから。 仮面の笑顔ではない、本当の笑顔。 聖女、と呼ばれるそれにふさわしい、笑顔を。 自分の救済が、近いと感じて。 自分の死が、間近に来ていると感じて。 命を絶つ役目を、サザンカが担ってくれることを信じて。 アルテアは、笑った。 花が咲き誇る様に、笑った。 アルテアとは、タチアオイの属名。 タチアオイは英名『Holly hock』。 花言葉は『気高く威厳に満ちた美』。 咎を背負った罪人が見せる、満ち足りた微笑みに。 周囲の人々…サザンカを見守る冒険者たちは、その笑顔に対して息を漏らした。 「……わかり、ました」 エルオが頷き、アルテアに…先ほどまで、殺戮の嵐を巻き起こし、かつて己に殺気を充てた相手に近づく。 だが、不思議とまったく恐怖は感じなかった。 アルテアに触れ、エルオの治癒力がアルテアの体を癒す間。 アルテアは、サザンカを見て…周りのみんなの見渡して。 自分を看取ってくれる、全ての人々に感謝した。 エルオの治癒が終わり。 最後の一幕が、上がる。 ※    ※    ※ 「サザンカ」 「シスター」         ゆる 「――――私を、殺してね」           ゆる 「―――ああ。必ず、殺す」 アルテアがナイフを構える。 サザンカは、『梅花』の型で。 静寂が周囲を包み。 ―――――――――――――すべては一瞬の交錯で。 「―――――――」 「―――――――」 もはや誰の目にもとどまらぬほどの速度でサザンカに向けて疾走ったアルテア。 その、『梅花』の隙を突く正面からの攻撃を。 『無極』と呼ばれる、絶対の集中力、走馬燈すら凌駕する圧倒的に濃縮された体感時間で捉えたサザンカは。 『梅花』から咲き誇り姿を変える極限のカウンター『桜花』による手刀を返し。 アルテアの胸。 その中心を、サザンカの手刀が貫いた。 ※    ※    ※ 「…エルオさんっ!!カレリアさん、アニーさん、キョーレンさん、イェチンさん!!」 サザンカが、アルテアの体を貫いた腕を輝かせながら叫ぶ。 アルテアは即死した。絶命した。今、心臓を貫いた。 だからこそ―――自分の持てるすべての法力を込めて。ヒーリングを行う。 「はいっ!」 「任せて!このために魔力は残してあるわ!」 「香辛料全部使い切ってても治す…!」 「霊力の出し惜しみはしない!アルテアを救うぞ!」 「ワシの気功で癒せぬものなどおらぬ…死んだものを生き返らせたことは、ないが」 回復魔術、及び治癒術に長けたメンバーが、サザンカの腕に貫かれたアルテアの体に駆け寄る。 特に法力と相性の良いエルオの治癒を受けて、アルテアの体は急速に、逆再生の様に傷跡が塞がりだす。 サザンカが、その貫いた腕をアルテアの胸から抜いた時には。 既に傷跡が塞がっているほどだった。 しかし。 アルテアは、目を覚まさない。 「………シスター!!起きてくれ、シスター!!」 「治癒してるのに…肉体的には、治っているのに!どうして!?」 「魂の拠り所が無くなってしまったの…アルテア、貴女はそんなに弱い女じゃないはずよ!」 「アルテアさん…起きて、アルテアさん…!!」 「起きろ…!!ここまでやったんだ、起きなかったら嘘だ…!」 「……………命とは儚い物――だが、今はそんなことは知らん!起きんか!」 肉体が完全に回復しても、誰も治癒をやめようとはしなかった。 その様子を、周囲の冒険者たちも緊迫した面持ちで見守る。 それでも―――それでも。 どれだけみんなが祈っても、アルテアは目を開かない。 ―――――だめ、だったのか? そんな思いが、サザンカの胸に広がりだした。 そんな時。 酷く飄々とした様子で。 アルテアの亡骸の前に立つ一人の男。 「っ…レクトールのおっさん…!?」 「ったくー、見てらんないったらありゃしないぜ?」 のんきに煙草を吹かしながら、アルテアを見下ろすその鷹の瞳を見て。 サザンカは、今度こそ激昂した。 「……ってめえ!!何呑気に――」 「黙れ。…今から俺っちが、眠り姫を起こしてやろうってんだからよ?」 その一言に、サザンカの怒声が止まる。 今、この男は何と言った? 「思い出せよサザンカ。俺はアルテアに一度襲われた…それでも、ここにいる。その意味を」 「――――――っ」 「……この煙草なぁ。ビリーの奴が吸うな、って言ったやつなんだけどな。あの後、やっぱ墓地から回収しちまったのよぃ」 ぷかり、と嘴の横から煙が漏れる。 そして、その煙草の先。 パチッ、パチッ!と火花が上がり、炎が燃え始めた。 「――特別だぜ?みんなも、どうかオフレコってことで頼むわ」 その煙草を手に持って口から放し、アルテアの亡骸、その上に落とす。 瞬間。アルテアの体が、炎に包まれた。 「…なっ!?」 「慌てんなぃ。……こっからだ」 レクトールが腰からナイフを取り出し――己の羽を、傷つける。 つぃ、と血が滴り……それを、アルテアの口元へ。 ぽたり、ぽたりとアルテアの口元、薄く開かれたそこにレクトールの血がしみていく。 それと同時、アルテアを包む炎が……慈悲の様に。青白く、そして優しく勢いを落としていく。 まるで、アルテアの体がそれを吸収するかのように。 「アルテアも、俺と同じだ――咎人だ。罪を背負って……生きていくんだ。これからも、な」 レクトールが…哀愁の漂う瞳で、アルテアを見下ろして、こぼした。 その言葉の意味。その場にいる誰もが正しく理解をすることはできなかった。 ―――――とくん 「……っ!!」 最初に、その鼓動の音に気づいたのはエルオ。 一番近くにいて、そして人間の身体に一番密接にかかわる少女は。アルテアの体から響く鼓動を、確かに感じた。 ―――とくんっ とくんっ 「…アルテアさん!?」 「……Bravo!!」 「アルテア、貴女…!!」 「アルテア殿!?」 「ムゥーッ、この音…間違いないでござる!」 エイル、ファウスト、サンディーア、ドロッセルの4人もまた、獣人ゆえの鋭敏な聴覚で気づく。 同じく忍者という生業ゆえの聴覚で、確かに凝道の音を感じ取ったニンジャ。 とくんっ とくんっ どくんっ ドクンッ 「…っ、息を吹き返したわね!?魂が繋がった…!」 「カカッ これでやっと笑える」 「シスター!よかった…!」 「アルおねーさん…………しらたまは、ほっとしました」 「ふぅー……!よかった、香辛料全部使い切っちゃったけど…よしっ!!」 「へぇー……胸をなでおろしちゃうぜ…古代種と闘うよりドキドキした…!」 「……一件落着、だな。霊力をここまで振り絞った経験は初めてだ」 「…サザンカ、家族を失わずに……すんだんだ、ね…」 「これでまた、文字を教えてもらえるね!もうアルテアを縛る呪いは解けたんだから!」 「ふむ。これでまた団子を食べてもらうことができるでござるな」 「へへぇ、へへ…!また、美味しいカレーが食べられますね!」 カレリア、タタラ、シアン、しらたま、アニー、カサネ、キョーレン、虎彦、緋乃、ササキ、ゲルニコが喜びの声を上げる。 横たわるアルテアの、その手が、少しずつ、動くのが見えた。 「……ふぃーっ。最後のいいところ、持ってっちまったかな?」 「バカ言え。今回一番骨を折ったのは俺だぞ?奢れよな、お前ら」 「かっかっか!!うむ、全てよし!終わり良ければ総て良し!今夜の酒は極上じゃぞ?」 アルテアの命が戻ったことをしっかりと確認したレクトール、リカルド、イェチンは。 早速、この後飲み直す店を笑顔で見繕い始めた。 ※    ※    ※ ゆっくりと。 ゆっくりと、アルテアの瞼が開かれていく。 「シスター」 その瞳を、涙を零しながら迎えるサザンカ。 「…サザンカ」 「……俺が見えるかい?…俺以外には、みんな以外は。誰も、見えないかい?」 アルテアが、エルオに支えられる形で体を起こし……周囲を見渡す。 そこにいる、冒険者のみんなの笑顔を見て。 それ以外に、その場には誰もいなくて。 最後にまた、サザンカの顔を見て。 ――――――嬉しくて。 涙を零しながら、にこりと笑った。 ※    ※    ※ ……どうです?この話。 売れると思いません?ハッピーエンドの感動小説!全こやすが泣いた! 売り上げ総数100万部突破! いやー私の作品としては最高の売り上げになると思うんですよね、どうです? えっ? くだらない嘘をつくな? いやいや、確かに今入った話は僕が作った嘘の話ですが…違う?そっちじゃない? 作り話じゃない…本当の話だろ、ですって? 何を言っているのかわかりかねますねーおじさんには。 だって、よく考えてくださいよ。 このヒロインの子、モチーフの人物は聾唖ですよ? こんなにバリバリ戦えるわけないじゃないですか? しかも歴戦の冒険者たちを圧倒して?こんな俺TUEEEEが実際にあると思ってるんです? …ああ、まぁ確かに貴方の言う通り、事件が多発してた時期に教会にいなかったって話ですけどね? 私も気になってサザンカ君に確かめたんですが、たまたま本部の研修で長期出張してて不在だったって話ですよ? いやー危ない時期に町から離れられてシスターも幸運でしたね。 本当に幸運でした。よかったよかった。 ……本当に何を言ってもわからない人ですね、貴方も。 何が言いたいんです? 私の考えた妄想が、じゃあもし事実だと仮定したら、貴方はどうするんですか? …はぁ。 騎士団に情報を流して犯人を捕まえてもらうんですか。 そんなことをして誰か得する人がいるんですかね? 事件は終結したっていうじゃないですか。 冒険者のみんなが討伐した、「死んだ赤子の幽霊の集合体」。 それが犯人でしょ?さっきからしつこいですね。 さっき私が話したのは、ただの妄想ですって。 他の冒険者の皆様も、同じようなことを言っていたんじゃないですか? 犯人なんていなかった。幽霊は、みんなで浄化したから事件は解決した、って。 …ええ、言っていたでしょう?それが事実ですよ。 シスターがこの事件にかかわってる可能性なんてひとかけらもないですよ。 まったく貴方は本当に想像力逞しい人だ。 私よりも小説家に向いてたりするんじゃないです―――――――― ――――――っ。 ―――ひどいなぁ。殴ることないじゃないですか。 え、お前の態度が気に食わない?あー、それは失礼。そういえばそんな理由でよく殴られますね、私は。 ………はぁ。 わかった、わかった。 もう分かりました。観念します。 二発も男に殴られたくないですからね。 …事実を教えますよ。真実を。 さっき私が聞かせたような想像の入った与太話じゃない、本当の話をね。 奥の部屋に、事件の記録取ってあるんです。 貴方が考える通り、私もそこそこ聞き込みなどはしていたんでね。 …ええ、それでは奥の部屋にどうぞ。 資料が多いので、そちらで勝手に見ていただいたほうが早いでしょうね。 お茶を淹れなおしますので、奥の部屋のものは勝手に見ていただいて結構ですよ。 きっとあなたの望むものがありますから。ええ、どうぞ。 ………はぁ。 やれやれ。ま、 おじさん、蚊帳の外から正義感を振り回す人間って、嫌いなんだよねぇ。 ま、サザンカ君と先に約束したし。しょうがないね。 …サザンカ君。 君と約束したことで、一人この町からいなくなるけど…気にしないでね。 おしまい スペシャルサンクス ウーティス様 カレリア様 タタラ様 しらたま様 ドロッセル様 シアン様 ファウスト様 エイル様 サンディーア様 カサネ様 アニー様 エルオ様 キョーレン様 虎彦様 緋乃様 ササキ様 ニンジャ様 レクトール様 リカルド様 イェチン様 ※このSSは一人称、二人称、三人称などの相違があります。 ※このSSはRP上の実際に起きた事件と一致しない内容があります。 ※このSSはこんなに長くなってしまってすまない…