[[名簿/433817]]

-焼却済み
-『思うだけで思考は纏まらない。書いてみる、口に出してみる、人に話す。&br;万人に理解可能な言語化という作業を通じ、思考は明確に、明晰さを増していく。&br;時には今まで見えてこなかった、新たな発見をすることもある。』
--『心情や状況に関して、あらゆる書き物を禁じられている現状だが、書いてすぐに燃やせば問題ないことに気がつく。&br;燃やしてしまったら後で忘れてしまった時に思い出せなくなる? 忘れてしまうようなことなら大したことじゃないんだ。』
---『今の俺に必要なのは何か? 個の強さだの、知力だのといった部分は、生半なことでは身に付かない。時間を掛けていくしかない。&br;幸い、時間は若い俺の味方だ。永遠に若いんだから永遠に味方で有り続ける。頼もしいな、時間。』
---『今の俺には経験が足りない。それは分かる。&br;しかし何の経験が足りないのか? どうすればそれを補えるのか? それがどうにもハッキリしない。&br;ハッキリ言語化出来ないのなら、それは万人の問題ではなく、個人に帰する部類だということになる。&br;類例にあたる事は出来ない。テキスト無しだなんて全くクソッタレな問題だ。』
---『やはり外部刺激が有効か。さきの修道女から得られた意見は、中々に有益だった。&br;いや彼女の意見そのものではなく、一見してその見識とは矛盾した状況に身を置く彼女が、どのような思考経路と心情を経て、ああした状況に落ち着いたのか?&br;論理的な思考と、それを超越する感情のモデルケースとして、非常に興味深い材料であった。&br;惜しむらくは、彼女自身からあれ以上の判断材料を得られそうに無い点か。非常に惜しい。』
---『当たりを引けば、思考のブレイクスルーを得られる機会に巡りあえると分かった以上、手当たり次第に人と会っていくのも、あながち無駄ではないように思う。こちらの面で世界の広さを感じることになるとは予想だにしていなかった。嬉しい誤算だ。』
---『キリク・ケマルとして、まぁそれなりに上手くやっていけると分かった時点で、人との関わりは不要なものだと思っていたが、それは性急に過ぎる結論だったようだ。&br;しかしこうなってくると厄介なのは、キリク・ケマルというキャラ作りか。適当にやっていく分には便利だが、どうにも脇道から逸れ過ぎる。上手く調整できるほど、俺は器用じゃない。その気も無いのに女性を口説くというのも、なんだか最近は失礼であるような気がしてきた。失敗だったか? もう少しお堅い人物寄りへと、緩やかに路線変更を図るべきか?』
---『下らない。ラーラや先生相手ならともかく、余人に対して気を裂く余裕なんて俺には無いはずだ。&br;目標をしっかり見据えていれば問題ない。&br;……目標とは別に、形に成っていない問題に対処するのが問題だった。クソ。』
---『まぁいいさ。今までどおりで問題は無いはずだ。後腐れのないように借りだけはキッチリ返しておいて、あとは適当に。&br;キリク・ケマルの遣り方で、特に問題は無い。&br;今までよりも少しだけ外部との接触を増やす。……ここ最近で借りも大分増えたんだ。どうせ返済で接触の回数も増える。&br;必然と方針が噛み合う。素晴らしい。無駄が無いな。完璧だ。』
---『思考が纏まった。さて燃やそう。まさかこんなどうでもいいことにしか力が使われないとは、あの女も思うまい。ざまあみろだ。』


~
~
~
~
~
~
~
~
~
~
*過去の記録 [#b89153dd]
**''黄金歴186年8月'' [#e9f3ac79]
--夕暮れに差し掛かり、じりじりと照りつけるような暑さが収まってきた墓地では、生温い風に吹かれて色とりどりの花が花弁を揺らしていた。&br;西日を反射して煌く豪奢な墓石。極めて簡素だが良く手入れの行き届いた墓標。ただ冒険者証の番号が刻まれただけの名も無き墓標。&br;生前の個性が反映されるかのように様々な形態で林立する冒険者たちの墓の中を、紙巻煙草を吹かしながら花を捧げ持って歩く一人の男が居た。&br;男は特定の墓の前に立つと花を供え、一言二言呟き、一つ煙を吹かすと、また別の墓へと向かって、そこでも同じことを繰り返す。&br;違いがあるとすれば、呟く言葉の内容と、捧げる花の種類、そして男が僅かに浮かべる表情の色くらいであっただろうか。
---空の色が茜色から深い藍色に転じようとしていたころ、ようやく男は最後の一本になった花を手にして、一つの墓の前に立った。&br;相当古い墓標であるらしく、作りが簡素なのも相まって、見る者にとっては非常にみずぼらしい印象を与える。墓碑銘も無く、ただ冒険者番号のみが刻まれているのも、そうした印象に寄与するところであろう。&br;男はそのみずぼらしい墓の前に、既に花が供えられているのを見ると、表情に複雑な色を湛えて、自分が持参した分の花も供えた。
---そんな様子の墓参りの男を、醒めた眼差しで見つめる者がいた。&br;キリク・ケマルには意味が分からなかった。&br;「センセー、この街に来るたび、こんなことしてんの?」&br;一応は師と仰ぐ者が、何故にこのようなことをしているのか?&br;眉根を寄せながらも、口元には微笑を湛え、慈しみをもった視線を向ける先が、名も無きみずぼらしい墓標。&br;師がこうした手合いの表情を、生者に……そして自分に向けたのを、見たことが無いキリク・ケマルは、憮然とした面持ちで疑問の言葉を投げかけていた。 -- [[キリク>名簿/433817]]
---男は墓碑銘の代わりに刻まれた番号『15149』を、そっと指で撫で、自分が供える前にあった花に視線を転じた。&br;「一回で全部の墓まわるのは大変だけどさ、そうちょくちょく来れるとは限らなくなったしね。やれる内に、どばーっと纏めてやっておきたいんだ」&br;墓守の人に任せっきりってわけにもイカンよ、とキリク・ケマルに平時の気だるげな表情を向けて、男は年季の入った墓標に手を置いた。
---「俺が聞きたいのはそういうことじゃない」&br;玄妙な輝きを放つ男の翠眼に鋭い視線を飛ばし、キリクは腕組みをして首を捻る。&br;「なんでそんなしち面倒臭いことを続けてるのかって聞いてんだよ。意味だよ、意味」 -- [[キリク>名簿/433817]]
---「本気でその質問をしてるんなら、俺がいくら言葉で説明してもお前には絶対に分からない」&br;男は表情を変えずに紙巻煙草の煙を空に吹き上げて、歯噛みしたキリクから、つと視線を外す。&br;「そもそも言葉で説明しても伝わることじゃない。俺は未だにそういう質問をお前がしてくることに、残念な気持ちでいっぱいだよ。本気の質問じゃなかったとしても、さ。10年間、この街で何をしていたんだ?」&br;男の喫煙ペースが僅かに速まった。
---「年を取らない、死にもしない男が、死者を悼む気持ちなんて分かるわけないだろう」&br;論理だった道筋など放棄して、キリク・ケマルはただ感情のままに言葉を吐き出す。&br;「だからさあ、センセーの気持ちを知りたいんだよ。センセーはどう思ってんだよ。俺はどう思えばいいんだよ。教えてくれよ。なあ? 俺も、センセーも、同じなんだろう? なあ?」 -- [[キリク>名簿/433817]]
---「ああ、気付いちゃった?」&br;弟子の縋るような目付きを見て、ふと男は思う。&br;こんな光景をいつだったか、自分と師匠も展開していたんだろうな、と。&br;男は一瞬過去に想いを馳せてから、現在に、キリク・ケマルに目を向ける。
---「気付くさ。気付かないのは余程のボンクラだ」&br;己の早熟な身体が成長を止めたのはいつだったか?&br;「俺が『キリク・ケマル』と自分で名付ける契機になったあの日から、俺とラーラとセンセーの身長差が縮まることも離れることも無くなっちまった」&br;15歳になったあの日。下らない慣習を破っただけで、周りが大騒ぎし、今までに見たことの無い深刻な顔つきしていたラーラが印象的だった、あの日から。&br;「それにラーラとセンセーは出会って今に至るまで何一つ変わって無い。テュケー……領主サマも、あの女だってそうだ。あの村で他に類例が無い特別な名前を持つ……いや、命名の儀から外れた名も無きものだけが、加齢した様子の無い事実。そんだけ材料が揃ってりゃ、薄々は気付く。誰でも」&br;それに、と言い加えつつ、キリクは右手を握ったり開いたりを繰り返した。&br;「試しもした。普通の人間なら、切断された腕が勝手に元通りになるわけが無い」 -- [[キリク>名簿/433817]]
---「試した!? お前そんなバカな真似したのか!」&br;キリクが訥々と語るのを無表情で聞いていた男だったが、最後の件へ話が及ぶと、余裕ぶった態度を急変させて咥えていた煙草を地面に落としてしまった。
---「剣と剣を交えれば、腕の一本や二本が飛ぶなんて、日常茶飯事だろ?」&br;こみ上げる笑いをこらえるように、キリクは口元に手を遣って眉を顰めさせる。&br;狼狽した様子の師を見、右腕を切り飛ばした赤い狩人へと想いを馳せれば、自然と甘やかな笑いが沸き起こってくる。&br;隠した口元の笑みを鎮ませ、一つ息を吸ってから、キリクは師に向かってまた訊ねる。&br;「……マジで年取らないし、死なないの?」 -- [[キリク>名簿/433817]]
---キリクに問われ、男は懐から新しい煙草を取り出してゆっくりと点ける。星が瞬き始めた空に向けて煙を一つ吹き上げてから口を開く。&br;「マジ」
---「マジかよ」&br;キリクは上擦った声を上げて、天を仰ぎ見た。&br;その表情に、険は無い。 -- [[キリク>名簿/433817]]
---男はキリクの語感から、ある一つの感情を読み取ると、露骨に胡乱気な表情を浮かべて紙巻煙草を軽く咬んだ。&br;「……なんでオマエそんな嬉しそうなの?」
---「ラーラとずっと一緒にいられるだろ」&br;キリクは大真面目な表情でもって、大真面目に断言した。 -- [[キリク>名簿/433817]]
---男は五秒ほどキリクの顔を凝視し、そこに諧謔や偽りの色が無いのを見て取ると、大きく大きく溜息を吐いた。&br;「羨ましいヤツ。マジで羨ましいよ。俺の半生がバカバカしく思えてくるわ」
---「バカバカしいだろ。今日半分を墓参りに費やすなんてよ。そんな名前すら刻まれてないボロボロの墓に花を供えたところで……」&br;一つのことが引っ掛かりキリクは言葉を詰まらせる。直前までの話の流れから、目の前の墓に欠けている一つのものに。&br;「墓碑銘が、無い?」 -- [[キリク>名簿/433817]]
---愛しさすら感じさせる手付きで、男は墓碑銘の無い墓をそっと撫でる。&br;「俺の従姉妹殿の墓」&br;続けて男が来る前から供えられていた花に目を移し、ふっと穏やかに微笑む。&br;「その花を供えたのは、この人の母親……俺の伯母さん」
---キリクの心が、ひどく揺れた。&br;何に対して、どのように心が動いたのかは、良く分からなかった。&br;墓の主、供えられた花、師の言葉と表情、彼と彼女らの間にたゆたう何か。&br;それらのことが全て綯い交ぜになって、キリクの心を乱した。 -- [[キリク>名簿/433817]]
---「キリク・ケマル。お前は死を知らない。だから今は俺の気持ちが分かる事は無い。分かった気にすらなれない」&br;男は墓地全体にぐるりと視線を巡らす。幾つかの花の芳香が、ふわりと夜風に運ばれて鼻腔を擽った。&br;「まだお前は本当に大事な人を失ったことが無いんだろうな。良い事さ。失う前に大事だって気付いていれば、さ」
---「……本当に大事にするためには相手を必要としてはならない。必要としていないからこそ、相手を本当に好きでいて、本当に守ることが出来る。だから……」&br;キリクは両の手に力を篭めて肩を振るわせる。腰に佩いた二振りの剣が揺れ、軽く音を立てた。&br;「だから、いま、俺はこの街にいるんだ」 -- [[キリク>名簿/433817]]
---「なんだ、お前も師匠に同じこと言われたのか?」&br;男は軽く笑って東の空に翠眼を向ける。想いも視線と同じ方角に向けば、自然と男の口元が綻んだ。&br;「目指すところにはまだまだ遠いなあ。お互い、頑張るとしようぜ。はっはっはっはっはっ」&br;キリクの肩にポンと手を置くと、男は、ネモ・ダカールは軽やかに墓地を立ち去っていく。&br;夜の帳が下りてひっそりとした静けさの霊園に、場違いな明るい笑い声を残して。
---ひとり残されたキリク・ケマルは、言語化できない己の胸の内をただ茫洋と見つめていた。ハッキリと形にはならない、何かを。&br;「……くそ。まだまだ全然だ。全然駄目だ。何だ。何が足りないんだ。くそ、ちくしょう」&br;苛立たしげに頭を掻き毟り、厭わしい心を振り払うように、墓石の間にぼうぼうと生えている下草の上へ寝転ぶ。&br;「……月が綺麗だな。……こうして見上げる空は、誰もが等しく見えているっつーのに」&br;どう見えているかは一人一人違うか、とぼそり呟くキリク・ケマルの目に、風に吹かれて漂う花びらの影が過ぎていく。&br;キリク・ケマルは目を閉じて、風に流れてくる花の芳香に暫し身を任せた。&br;秋の匂いを含み始めた晩夏の風が、静かにゆったりと、無数の墓標の間を舞う夜だった。 -- [[キリク>名簿/433817]]


**黄金歴179年6月 課題その2の反省会 [#g3adaf7f]
「この……馬鹿がっ!!」~
「っっっっ痛ってぇ〜……あにすんのさセンセー」~
解かれた包囲の中を悠然と、少しばかり足早に歩いて抜けていったキリクと『センセー』の二人。~
人通りの見える路地までやってくると、『センセー』はキリクを思いっきり張り飛ばした。~
「言いたいことは山ほどあるが、まず今お前が住んでる宿に行くぞ。なるべく急いで」~
「なんでっすか?」~
「なんでっすか? だって? アホかお前は。あの女、お前の名前知ったんだぜ? 冒険者登録してる名前をだぞ?」~
「……あ」~
キリクは『センセー』の危惧するところに思い至ったようで、顔色に険を浮かべた。~
名前を知っていれば、住処を探り当てるのはそう難しいことではない。~
そうそう頻繁に宿を変えているか、逗留の際に偽名でも使っていない限り、ギルドに問い合わせれば一発で分かることである。~
未だに背後と周囲への警戒を滲ませつつ、『センセー』は苛立たしげに紙巻煙草を咥えた。~
「お前どうせ後生大事に送られてきた手紙、保管してんだろ?」~
「アレ見られるわけにゃ、いかないっすよね……」~
「物証になるからな。そういうワケだから……あの通り抜けたら走るぞ」~
~
#region(長いので格納)
***補習 [#d9136bbf]
「全部焼き捨てろ」~
「えぇ!? そんな殺生な!!」~
「お前のミスの結果だ」~
「ぐ、ががが……ラーラ直筆の手紙が、が……」~
キリクが涙ながらに手紙を処分している最中、『センセー』は部屋をざっと調べて侵入者が居なかったことを確認し終える。~
パキポキと首の骨を鳴らしてベッドに腰掛けると、ゆっくり紙巻煙草に火を点けた。~
~
「さて。じゃあ今回の反省会と補習だ。あの女はなぜお前を見逃そうとしたと思う?」~
「俺があちら側の情報を大して掴んでいないと判断したから」~
『センセー』はゆるゆると煙草の煙を吐き出して、眉根を寄せた。~
「不正解。それは前提条件であって動機にはならないな。もう一段考えを進めて相手の側に立て」~
「じゃあセレナさんが俺に惚れていたから」~
「そうであることを願いたいね。盛大に間の抜けた相手なら、これほど楽なことも無い」~
「えー。じゃあ答えはなんなんすか?」~
不満げに問うキリクに『センセー』は、模範解答の一つは、と前置きして、また煙草を吹かした。~
「お前を使っているであろう誰かに対する示威的メッセージ」~
「……つっまんねー答えー」~
「あとお前を泳がせて氏素性の分からぬお前の更なる情報を得ようとした」~
「そんでセンセーが釣れた、と」~
へらへら笑うキリクの耳に、盛大な舌打ちの音が響いた。~
~
***課題の解法 [#je96a155]
「ひとつ、仮定の話をしようか」~
『センセー』は静かに静かに口を開いて、キリクに鋭い眼差しを向けた。~
「もし仮にあの女が例の件に関わっていなければ……接触するだけ無駄。~
 じゃあ、あの女がベルチア、若しくはナジャの外交機密を扱うような人物であれば?~
 迂闊に口を滑らすことは絶対に無いし、お前がタイマン張って勝てるような相手じゃ無いことは確かだ」~
「……つまり」~
「お前は最初っから課題に対する取り組み方を致命的に間違えていた、ってことだよ」~
「んだよソレ! 何もすんなってこと!? そんな課題ありかよ!」~
「……これから先、お前に仕事を任せたとする。~
 当然、一歩間違えれば命取りなものもある。お前は無事でも回りに被害が及ぶこともある。~
 そうしたリスクを避ける技能が一番に求められる仕事なんだぜ?~
 案山子でもなきゃ、お前は今日、いくつも危険な兆候を感じたはずだ。お前はそれを悉く無視した。~
 その結果がこれだ。お前、あの女に10回は殺されてたんじゃねーの?」~
ズバズバと突き刺さる指摘にキリクはぐうの音も出ず、歯噛みするだけだった。~
あまりにも口惜しいので、今まで言われたことを全部ラーラに変換して脳内再生してみた。~
締まりの無い笑顔が零れた。~
~
***名を知る者 [#z4c80998]
『センセー』の持つ紙巻煙草から長い灰が床に落ちた。相応の時間、喋り続けていたことになる。~
二本目に火を点けた師に対して、先程から抱いていた疑問をぶつけてみる。~
「ところでさセンセー……セレナさんと知り合いだったの? ネモって呼ばれてたっしょ?」~
「まさか。初めて会ったよ。ネモっていうのは……ま、俺のここでの名前。冒険者時代の名残さ」~
「ジョン・スミスにネモ? センセー、ネーミングセンスねーなぁー」~
「よくいわれる」~
ふっと笑って『センセー』……ネモは二本目のひと吸いをじっくりと愉しむ。~
~
「でもさぁ……なんでセレナさんはセンセーのこと知ってたワケ?」~
「多分あの女がベルチアの、それも諜報関連に属する人間だからじゃねぇの? 泡沫冒険者のことまでご存知とは頭が下がるね」~
「……んん? なんでそう思ったわけ?」~
表情で疑問を露にするキリクに肩を竦めて、ネモはその瞳を細めた。~
「幾つかの点を総合して考えた結果だけど……さて、どう説明したもんか」~
訝しげにキリクは眉を顰める。~
師はボリボリと頭を掻きながら説明のための言葉を頭の中で纏め上げた。~
~
「セレナはまず間違いなく偽名だ。それに加えてあの女、ただの人間じゃない。~
 特殊な魔導の力を持っているか、よほど強力な存在の庇護下にあるか、或いは人ではない何か……。~
 そうした存在が、ああいう状況下であの場に居た……そんでお前から聞いた彼女との遣り取りと反応。~
 以上の点から、彼女はベルチアの諜報に携わる機関に属している人間だって可能性が一番高い」~
もちろん他の可能性も考えられるけど、と付け加えてネモは天井に向けてゆったりと煙草の煙を吹きつけた。~
~
「なんで彼女がただの人間じゃないと?」~
また紫煙を一つ燻らせ、ネモはその翠眼煌かせて弟子を静かに見つめた。~
「彼女を『見て』も名前が分からなかった。そういう存在は、大抵人間じゃあない」~
「へぇ。センセーの眼でも分からないことあったんだ」~
「オメーの名前だって見えねぇよ」~
「無いものは見えないもんねェ」~
服の袖をヒラヒラと振って、キリクは締まりの無い笑いを浮かべる。~
その笑いを目にすると師は静かに瞳を閉じて、またぞろ煙草をゆるりと喫いはじめた。~
~
***名も無き二人 [#t51111ad]
「さてこれからのことだが……少しばかり行動に制限がつくぞ」~
「あー……手紙の遣り取りはもう無しっすか」~
察しの良い答えにネモは口の端に笑いを浮かべて頷くが、この目端がもう少し全体の状況に行き渡ればな、と残念にも思った。~
「俺とお前の繋がりは知られたが、それはカーマローカに繋がるラインとはならない」~
「キリク・ケマルなんて名前の人間、居ませんもんねェ。アッチにゃあ」~
「お前は完全偽名だし、俺……ネモ・ダカールもカーマローカにゃ存在しないことになってる人間だ」~
「アッチじゃあ、家名無ければ名前無いも同然ですしねェ」~
へらへらと締まりの無い笑いを浮かべるキリク。その笑いに陰は無い。~
自分と違って劣等感の素にならず何よりだ、と弟子の脳天気な笑顔を少しだけネモは羨ましく思う。~
~
「しかし迂闊に動けば俺達と故郷の関係を知られる恐れはある……いや、もう既に知られてる可能性もあるな」~
今までキリクが故郷カーマローカと手紙の遣り取りをしていたのは事実だし、それらの内容を如何様にしてか知り得た可能性は否定出来ない。~
それに加えてネモ自身、かつて取ってきた行動で幾つかの瑕疵があるのは否めないし、現在においても完全秘密裏に事を運んでいるとは断言出来なかった。~
「はぁ……めんどくせー」~
「センセー! 思考放棄は俺の仕事でしょ! 今は!」~
「……とにかく物証残すな。書き物禁止。死ぬ気で頭に叩き込め。~
 当然、カーマローカのカの字も口に出すな。お前がトロン氏族だってのも、だ」~
「まー、本当のことを言わないのはこの三年間で慣れましたから、大丈夫っす」~
キリクの台詞に溜息吐いて、何とも言い難い感情を胸のうちに押し込めて、ネモは二本目の煙草を指先から出した炎で焼き消した。~
「……お前の好きなラーラが悲しむようなこと言うもんじゃないよ」~
~
***天秤の均衡 [#i44ea7d1]
「今回のような失敗をしないためにも、お前に正確な意図を伝えておこう」~
「意図って、あの領主サマ……カーマローカ辺境伯の?」~
キリクは皮肉気に口元歪めて、吐き捨てるように語尾を上げた。~
それについてネモは咎めるふうもなく、表情から色を消してただ頷き、言葉を続けた。~
「レオスタン連邦ナジャと西方諸国間において進行していると思しき水面下での謀に対して、一切の妨害・支援に繋がる行動を禁止する」~
「……はぁ? 支援も妨害も? そりゃまたどうして?」~
「黄金歴150年の統一で誕生した新レオスタン連邦は、寡頭制国家の集合体としてあまりに強大である」~
つまらなそうに棒読み気味で言葉を綴る師に気がつき、キリクはどこかで安心を覚えた。~
~
「……つまり件の謀があるとすれば、それは連邦の国力を削ぐ要因になる、と?」~
「それが結果として西方諸国に利することになると、旧西方諸国連合極東方面団属州カーマローカ領の首長で在らせられる御方の、深遠なるご配慮だ」~
「……西方諸国の利となるのに、支援もしない、と?」~
「我がカーマローカ領はレオスタン連邦と通商条約を取り結んでおり、かの国とは隣接した地域も存在する」~
「連邦のご機嫌損ねるようなマネは不味いってわけね……」~
「遠方の味方は当てに出来ず、近場の仮想敵に配慮しなければならない我らが故郷は、その微妙な立場と国力虚弱っぷり故に中立を尊ぶのであった」~
「センセー良く舌噛まなかったね」~
暫し二人は顔をつき合わせてヘラヘラと笑った。~
くっだらねー、と声を合わせて叫んだりもした。~
~
「しっかしそれならワザワザ探る必要ってあんの?」~
「オメーあれよ? ウチみたいに笑えるくらい小規模な国が細々とやってこれたのは、情報あってこそよ?」~
「自前じゃ在外公館も外交員も持ってないのに、各国の商館、公館、両替商に人員派遣してること?」~
「そう。嫁ぎ先や出稼ぎ先からの『善意のお知らせ』に大変助けられてるワケだよ」~
だから世界各地の言語と数量単位についてみっちり仕込まれるのね、と今更ながらキリクは故郷の教育について溜息を漏らした。~
~
「でもさぁ、今回の件を探る具体的な狙いって何なの?」~
「多数の利害が付き纏う政変の前後には基点通貨レートの再訂問題が頻発すると、我が領主サマは仰っておられた」~
「……すんません、よく分かんないです」~
「各国首脳や財形担当者と文通にて懇意にしてらっしゃる領主サマは、''何故か''彼らより手紙にてこうした方面の御相談を受けること多々ある、と」~
「……はぁ」~
「そして領主サマのお答えした内容が''何故か''反映しているケースが多々見られると、彼女は大層不思議がっておられた」~
「……つまり、その御相談に正確に答えるための材料が欲しいと?」~
そうみたいねー、とネモは鹿爪らしい顔つきと言葉遣いを崩し、~
「あらゆる心の引っ掛かりをブン投げて、国のために働けるって素敵だね!」~
と、親指立ててキリクの肩に手を置くのだった。~
~
#endregion
**黄金歴179年6月 [#n267cf32]
『さてセンセーから貰った課題その1の状況をお知らせしようと思います。~
~
 パーヴェル・ロージン。女性。冒険者。魔法使い。年齢20前後。~
~
 センセーに事前に知らされた情報は、彼女自身が語ったこと、あるいは見たままと合致していました。~
 さて、肝心のそれ以外の部分。要点にして抜き出してみます。~
~
 金髪碧眼。細身の麗人。何らかの神に仕える聖職者。雰囲気はカワイイ系。~
 冒険の動機は魔物討伐の助けとする為。細身であるが出てるところは出ている。~
 そんでお隣の北の雪国出身。~
~
 容姿以外の情報については彼女の口から語られたものですから、真偽のほどは確かではありません。~
 しかし、嘘をつくような状況でもありませんでした。~
 本当のことを言わなきゃならない状況でもありませんでしたけど。』~
~
大して分かってること無いなァ、と思いつつ、キリクは筆休めにパーヴェルから貰った花束に目を移す。~
青い花一輪、そっと手に取り匂いを嗅げば、瞼の裏に彼女の清楚な笑顔が浮かんだ。~
~
『北の雪国より持ってきたという青い花を、彼女から貰いました。~
 何かの参考になるかもしれませんので、押し花にして同封しておきます。~
 それと彼女直筆の端書も手に入れましたので、それも送っておきます。~
~
 現状では、そちらのご期待に沿えるような情報は、何一つ得られていませんので、今後も接触を続けてみることにします。』~
~
**黄金歴179年4月 [#ae104ae7]
「よう。卒業おめでとう、不肖の弟子」~
「うっげ、センセー空気読んでよ。ここはラーラが来るとこだろ?」~
キリクはこの街の知己に対するものとは、少し違った馴れ馴れしさで対面の男に愚痴を零した。~
キリクに『センセー』と呼ばれた男は、気にするふうでもなく紙巻煙草に火を点けて、鼻を鳴らす。~
~
「そんじゃ俺からの卒業試験に正解出来たら、あのメスブタに会わせてやるよ」~
「へぇへぇ、お手柔らかに頼みますよっと」~
「問題。人を一番成長させる要素は何か?」~
「うわ、サービス問題じゃん。答えはカンタン、『出会い』だ」~
合ってるっしょ? と自信満々に即答したキリクに対し、『センセー』は紫煙を空に一つ吹かして、~
「ブブー。不正解」~
と、指を十字に交差させて皮肉気に眉を形作った。~
~
「ええ〜、なんでよ!? あってるだろコレで!?」~
「それが違うんだなー。惜しいっちゃ惜しいけど。正解は……」~
「正解は?」~
「別れさ」~
~
キリクは動揺した。~
発表された答えにではなく、『センセー』が見せた表情に。~
飄々と笑っていた目の奥が、一瞬にして此処ではない何処か……彼岸を臨む果てしない色を帯びていた。~
キリクは彼のそんな瞳を、今まで一度たりとも目にしたことはなかった。~
~
「答えの解説はしない」~
「……」~
「お前がソレを分かるまで、卒業は無ーし」~
「……」~
「キリク・ケマル。完全なる剣、だっけ? 至るには、まだまだ遠いねえ」~
「……うっせ」~
拗ねたように顔を逸らすキリクに、『センセー』は笑って彼の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。~
~
「そこで未熟なキリク・ケマルがいち早く成長するために、ジョン先生は直々に課題を出すことにした」~
「課題ぃ〜? なんですか? 面倒くさい系?」~
「飲みながら話そう。奢らせろよ、バカ弟子」~
「……ラーラと飲みたいー! ラーラにお酌されたいー!! ラーラにイイコイイコされたいー!!!」~
「課題一つ、こなしたらなー」~
~

**黄金歴178年11月 [#k34ecfd4]
『かねがねラーラより御要望のあった件の黒い刀の女についてですが……~
 ラーラが言っていた【ちょっと変わり者のハズ】というレベルを遥かに超越していました。~
 まず初っ端から宗教の勧誘です。変な頭巾被ってます。口調は、というか彼女ら単語でしか喋りません。~
 もうこの時点で三倍満確定なんですが、その喋る内容がまたアレなものでして、~
 我らが大導師の10倍は唐突で難解な言語群が、リズミカルに彼女らの口から飛び出してくるのです。~
 とまあ、そんな次第でありましたから、ロクに彼女らと意思疎通が取れなかったもので、~
 もしかしたら件の黒い刀の女と彼女らは、全く関係が無いのかもしれません。~
 そこいらへんは次に彼女らと会った時に、黒い刀について詳しく訊ねてみようと思いますが、~
 なにぶん言葉のドッジボール状態なものですから、あんまり期待せんといてください。』~
~
そこで一旦筆をおき、キリクは傍らにある頭巾を手にとって弄繰り回してみる。~
~
『入信記念として、いえ俺は入信したわけではありませんが、彼女達から頭巾を貰いました。~
 二つ貰ったので、一つはそちらに送っておきます。多分、そちらの正装とはマッチするんじゃないでしょうか。』~
正装したラーラと頭巾の取り合わせを脳裏で思い描き、キリクは少しだけ口元緩ませる。~
正装の師は腰に手をあて胸張って、顔布の下では満面笑顔で得意気な顔をしているのだろうなあ、と用意に想像がついた。~
実に微笑ましい、とキリクは思う。~
~
『さて、彼女らの信仰する宗教についてですが、俺が思うに……』~
一息ついて筆は続く。~
正体定かならぬ女達と、その背後に窺える茫漠とした観念について、予断含みにつらつらと。~
~
**黄金歴178年3月 [#r6c102e6]
『春は出会いと別れの季節。今月は学園の卒業式がありました。~
 俺が所属する科にも卒業生が一人。入学以来、二年間お世話になった先輩です。』~
~
ふとキリクの筆が止まる。~
お世話?~
ただの一度でも、お世話になっただろうか?~
~
『この街は変わり者が多く、ちょっとやそっとじゃ個性的なんて思われませんが、~
 その卒業生は俺が今まで出会った中でも、とびきりカワリもの……と言いますか、~
 ファニーというか、クレイジーというか、頭おかしいというか、COOLというか……、~
 何とも形容し難い存在でした。~
 自称芸術家の彼女ですが、彼女そのものが現代アートのような有様であったので……』~
~
つらつらと頭に浮かぶがままに、彼女の印象を書き連ねる。~
世話になった例は無いが、楽しませてもらったことには間違いない。~
狂おしく騒がしかった教室の風景を思い返しながら、愉快そうにキリクは筆を運ぶ。~
~
「いやいやいやァー、もぉ退屈感じる暇なんてありゃしないほど騒がしかったねぇ」~
その呟きには少しだけ、もう戻ってはこない時への寂寥が滲んでいた。~
**黄金歴177年11月 [#ec73b793]
『わざと馴れ馴れしく接して相手との距離を一定に保つ、貴方の遣り方。感心しません。』~
~
うへぇ、とキリクは呻く。~
こちらの本心見透かされた、ラーラからの手紙を見て、キリクは誰に見せたことも無い苦い顔をする。~
~
『そうした手段は大人の手口であり、技であって、お友達づきあいに使うのは甚だ失礼なこと。~
貴方はまだ若いのです。失敗を恐れてはなりません。自ら失態を演じるような、小癪な計算は不要です。~
青春の蹉跌も無しに、真の成長を遂げた人間はおりません。飾りも偽りも無い貴方を見せてください。』~
~
「……つってもねぇ」~
キリク・ケマルは、明るく、楽しく、不真面目なキャラですヨ?~
四六時中つまらなそうにして、冷笑ばかり振り撒いてるよか、ずっとマシでしょうに?~
ラーラの綴る文面に内心で反駁しつつ、キリクの眉間に刻まれた皺はより深くなる。~
~
『……そうした行いを改めない限り、私の水着写真は絶対に送りません。』~
声にならない叫びとはまさにこのことか。~
「が」だの「ぐ」だの濁音をやたらと伴う、短い息の切らしが、間断なくキリクの口から漏れた。~
キリクは悩んだ。大いに悩んだ。~
~
『とにかく心配なんだから一度は帰ってきて』~
との文面を見て、ほっこりした気持ちになるまで、キリクは無言のうちに煩悶を続けた。~
**黄金歴177年8月 [#ib525f0a]
『ラーラも既にご存知のとおり、4月になって俺にも[[後輩>http://notarejini.orz.hm/up3/img/exp004567.jpg]]ができました。』~
同じ科の後輩へ筆が及ぶに至って、キリクが彼女との記憶を思い起こしていると、体の節々が疼いた。~
~
『まぁ何と言いますか、後輩ちゃんは実にホットなアンチクショウでありまして、相手が先輩といえども容赦しません。~
彼女からの残虐行為手当てが支給されるとすれば、僅か4ヶ月の間ですが、もう既に老練冒険者の稼ぎ1か月分に相当しているかと思われます。』~
といったことを書きながら、実に楽しそうにキリクは笑っていた。~
~
『俺は実に良い後輩に恵まれてると思います。~
こうも律儀にツッコミを入れてくれる娘は、そうそう見つかるもんじゃありません。』~
~
「いやもうホント、有難いやねェ」~
思わず口に出し、苦笑に染まった頬を空いた左手で撫で摩るキリク。~
~
『そんなこんなで学園生活は順調であります。~
さて話変わって、現在は夏の盛りの真っ最中ですが、ラーラの水着姿などを納めたものなど御座いましたら是非とも…………』~
**黄金歴177年6月 [#raefb068]
『しかしこちらの夏の暑さには辟易させられます。』~
~
去年も体験したことである。~
故郷と此方では、そう然して外気温も変わらぬのだが、石畳の多いこの街では、土と違って太陽の照り返しが猛然と体に浴びせられる。~
特に都会の中心地、人工的な建築物が軒を連ねる場所では、それが顕著であった。~
~
『あんまりにも暑いから[[特別夏服デー>http://notarejini.orz.hm/up3/img/exp004539.jpg]]開催しました。』~
キリクはちょっと考えてから、女子制服を着た記述は一切書かず、写真の類も同封しないことに決めた。~
**黄金歴177年4月 [#b87085f5]
『春眠暁を覚えず。眠いのです。とても眠いのです。ねm』~
翌朝、めちゃくちゃになっていた手紙を丸めてポイするキリク。~
いつも以上に目は細まり、眠そうというか、さらに眼つきが悪くなっているというか。~
**黄金歴177年1月 [#e20181f6]
キリク・ケマルとなってから一年が経った。~
自ら選び取った名。自ら選び取った人生。~
キリクはじっくりと、ここ一年を振り返ってみる。~
「……特に変わんねぇなァ」~
山暮らしから一転、都会に出て冒険者になったのだから、勿論環境の変化はある。~
今まで出会ったこともないタイプの人間とも幾人か知り合えた。~
が、主体である自分はどうか?~
一年前と然して変わりは無いな、とキリクは思った。~
第一目標である腕磨きのほうは全然まだまだ。~
到底、ラーラの『剣』足りえる存在とはいえず、いまだその道程は遠い。~
「まァ、焦ってもしゃあねェしな」~
鼻歌交じりに新年の挨拶を手紙に綴り始める。~
その様子は一年前と少しも変わらず……恐らくこれからもずっと。~
**黄金歴176年10月 [#labaa1d7]
キリクの許に一通の手紙が届いた。~
すわ、ラーラからの手紙か、と喜色満面で封を切ったが、署名を見たところで露骨に落胆した。~
「なァ〜んだ、大導師からかよ」~
溜息混じりで文面に目を通す。中身はキリクが先月問い合わせた件についてだった。~
~
『ギスヤンキについて分かっていることは非常に少ない。~
 彼らは本来、此方とは次元の異なる神々の領界に住まう者である。~
 高い技術力を擁し、手製の武具で身を固める。~
 サイオニクスと呼ばれる、魔法とは異なる技術体系の超常力を有している。~
 ’’こちら側’’では、どれほど力を揮えるか不明であるが、人間などとは比較にならぬ力を持った種族である。~
 また、他種族に対して異常なまでの攻撃性を示す。~
 何でも彼に対して失言に及んだらしいが、殺されなかっただけ幸運というもの。~
 とはいえ人界で冒険者をやっているくらいだから人間に対して友好的な個体なのでしょうけれど。』~
~
後半部分に差し掛かったところで、キリクの背に一瞬冷たいものが走ったが、直後の記述でホッと一息。~
にしても、ラーラに比べて何と味も素っ気も無い手紙であるか、とキリクは嘆いた。~
が、そんな感慨も、最後に付け加えられた追伸で、どこかに吹き飛んだ。~
~
『アレの水着写真を御所望のようだけど、私が握りつぶしておいた。~
 本当に見たければ、一度は此方に帰ってきなさい。』~
~
「ちっくしょ〜〜〜う!!」~
キリクは口惜しげに筆記台へ拳を打ち据える。~
本当に悔しそうに、何度も何度も。
**黄金歴176年9月 [#w133f264]
『今月はアルゲントゥムというデミヒューマンと共に依頼へと赴きました。~
 彼の容貌については同封したものを御参照ください。~
 [[■>http://notarejini.orz.hm/up3/img/exp004261.jpg]]~
~
 精緻な細工の施された鎧に身を包み、[[超常の力>http://notarejini.orz.hm/up3/img/exp004203.jpg]]を揮う、彼のような異種族の存在は十分驚きに値するものでしたが、~
 それよりも、彼を見て特段の反応を示さない同行者への驚きが勝りました。~
 まったく、この街の冒険者における異形への許容と適応力に、改めて気が付かされました。』~
~
と、ここまで書いてキリクはペンを動かす手を止める。~
暫し考え込んだ後に、また利き手で文字を綴り始めた。~
~
『アルゲントゥムは何という種族であるのか?~
 直截に聞いてみたところ、'''ギスヤンキ'''である、という答えが返ってきました。~
 初めて聞く種族名です。街にある記録を浚ってみても、該当する記述を見つけることは出来ませんでした。~
 彼自身に詳しく問い質そうと思いましたが、カドの立ちそうな話題であったもので自重した次第です。~
 ラーラは、このギスヤンキについて何かご存知でしょうか?』~
~
またキリクの手が止まった。~
今度は長い間、唸ったあとに手紙の続きを再開する。~
~
『ギスヤンキについての文献など御座いましたら、是非送ってください。~
 未だ送られてきていない、ラーラの水着写真と一緒に是非送ってきてください。』~
**黄金歴176年8月 [#z332e61d]
『夏ですので至急ラーラの水着姿の写真を送ってください。今月、俺に言えるのはそれだけです』
**黄金歴176年7月 [#h7f14aee]
『最初は、いきなり毒を食らわせやがってこの平たいの! と思っていました。~
 ですが、治療をしている間に悠然と泳いでいるシンジクンを眺めてるうちに、~
 俺の心の中で、彼に対する友誼のようなものが芽生えているのに気が付いたのです。~
 一時は手酷い目に合わされたのですが、自らを死地に追い遣ったモノに対する敬意とでもいいましょうか、~
 河原で殴りあった相手と友情が生まれる類の現象とでもいいましょうか。~
 とにかくシンジクンは学び舎を共にする俺の友達となりました。~
 あ、ちなみにシンジクンはA科の教室で飼っているミニエイの名前です。~
~
 新たな友が増えたのですが、厄介な問題があるのです。~
 シンジクンは狙われています。暴虐な食欲によって命を付け狙われています。~
 そんな危機的状況にあるとは露知らず、水槽の中をスイスイと快適そうに泳ぎ、~
 円らな瞳をこちらに向けてくるシンジクンを見ていると、~
 何としても俺が守らねば、という気持ちになってきます。~
 エイは可愛いです。エイは愛らしいです。でも毒持ってるから気をつけて下さい。』~
~
沸いているとしか思えない文章を平然と綴っていくキリク。~
正気と狂気、どちらの光を宿しているかは、その極小の瞳からは窺い知ることは出来ない。~
ただ一つ平時と違う点があった。文章綴りながら呟く文言である。~
「いあいあ」~
~
 
**黄金歴176年6月 [#u656f356]
今月、キリクがラーラに宛てた手紙は書き出しからして間抜けなものであった。~
『[[エイの毒で死に掛けました>http://notarejini.orz.hm/up3/img/exp004123.jpg]]』~
キリクは思う。~
これを目にした時、ラーラはどんな反応をするであろうか、と。~
「笑うのかな? 死ななくて良かったねぇ、って安堵すんのかな?」~
或いは両方か。ラーラの性格なら十分にありえる。~
~
書き出しはマヌケな話で始まったが、キリクにとって今月は大いに実のある月であった。~
先月、闘技場である試合を観戦したこと。~
その試合中にある点で違和感を覚えたこと。~
今月になって[[闘技者の一方>名簿/428316]]に思い切って疑問点を訊ねてみたこと。~
返ってきた答えの実に痛快であったこと。~
これを詳細に長々と綴った。~
事細かに描写するつもりは無かったのだが、心に燻る高揚からか、意図せずして筆が走ってしまったのであった。~
『ラーラ。いま俺は世界の広さを初めて実感したと思います。~
 世界を形作っているのは、まさにそこに住まう人達なのですね。』~
結びを終えた手紙を前に、キリクは大層満足気に息を吐いた。
**黄金歴176年5月 [#cb06276d]
書いては手が止まり、読み返しては丸めて捨てる。~
キリクの足元には紙くずの山が築かれていた。~
「……どー書いたらいいもんか。いんや、そもそも書くべきか」~
キリクは今月の冒険で同行者一人を亡くしていた。~
それどころか危うく自身もその仲間入りするところだったのである。~
このことをラーラへの手紙にどう書いたらよいか?~
先程からキリクの頭は、この問題で占められていた。~
「書かない……でも何かの拍子で俺の依頼書をチェックされたらバレるしなァー」~
出来れば貴方の感じたことを率直に知らせて欲しい、とラーラは言ったのだ。~
嘘を書くのは元より、今月の冒険の事を『書かない』のも、ラーラに対する裏切りであるようにキリクは感じていた。~
「つってもホントのこと書いたら、ラーラ心配しそうだしなァ」~
参ったねー、と繰り返し呟きながら、ダイスを手と宙の間で何度も往復させる。~
10面ダイスが角度を変えて映し出す数字をボンヤリ眺めているうちに、とある考えが脳裏に閃いた。~
「書いても書かなくても心配されんなら、正直に書いたほうが良いジャン。それも全部」~
うっへっへっー、とご機嫌に笑ってキリクは筆を走らす。~
手紙には、今この考えに到るまでの思考経路を丸々描いた文面が綴られようとしていた。~
**黄金歴176年4月 [#ub77f90a]
『親愛なるラーラへ~
~
 4月になりましたので当初の予定通り学園のA科に入学しました。~
 これから学び舎を共にする人達ですが・・・…あー、まぁ、何と言いますか、この街の冒険者連中と同じく形容し難い人々であります。~
 言葉で説明するのは難しいので、教室で出会った人との写真を同封しておきます。~
 [[■>http://notarejini.orz.hm/up3/img/exp004055.jpg]]~
~
 それと俺の故郷について訊ねてきた[[旅行者>名簿/433819]]と出会いました。~
 ざっと差障りの無い範囲内で説明すると、どうやら彼女の旅の次の目的地は我らが故郷となったようです。~
 この手紙が着く頃には、もう滞在していないかもしれませんし、彼女がシュラインに立ち寄るとは限りませんが、~
 もし金の瞳に空色の髪をしたジャコモという名の少女に出会いましたら、ラーラ特製の兎料理を振舞って頂ければ幸いです。~
~
 冒険の方は順調そのものです。ラーラが心配するようなことは今のところ何もありません。~
 季節の変わり目ですのでお体には気をつけて。
 それでは、また。~
~
                                      あなたのキリクより』
**黄金歴176年3月 [#p80d3463]
「親愛なるラーラへ……」~
書き出しの一文でキリクの筆が止まった。~
何を書いたらいいか。~
いや、どう表現していいものか。~
自身の知る範疇の語彙では、ここ2ヶ月の体験を記すことが非常に難儀であると、キリクには思えた。~
見るもの聞くもの全てが新鮮。~
根城にする冒険者の街。其処に住まう奇異な人物達。彼らが繰り広げる珍妙な光景。~
未だその輪に加わらず遠巻きに見ているだけだが、それでもキリクには十分に心の内を刺激するものであった。~
比べてしまうと、モンスターとの命の遣り取りですら霞んでしまう『それら』を、到底言葉で表すことが不可能に思える。~
「……あー」~
眉根を寄せて天を仰いだキリクは、暫し口をポカンと開けて羽ペンを弄り回す。~
書き出しの一文を眺めているうちに脳裏にある考えが閃いた。~
「俺は元気です」~
と、書き出しの一文から大きく余白を取って、キリクはそう書き付けた。~
ラーラならこれで分かってくれる。~
愉しげに笑いながら、キリクは手紙に丁寧な封をした。~