元々は賀茂氏の傍系であり、陰陽寮に於いて将来を嘱望される若き秀才であったが
数えで十九の歳に流行病での妻と子を失った事をきっかけに出世争いに虚しさを覚え周囲の反対を振り切って仏教に帰依
山中の禅寺にて妻子の菩提を弔いながら心の安らぎと思索の日々を送っていた
事件が起こったのはそんな生活を送りニ年が経った頃の事だった
師から都の大寺で六年間勉学せよ、と申し付けられたのだ
師の言葉に従い行った都の大寺は必ずしも良い環境とは言えなかった
学僧同士の派閥争い、堕落した高僧たち……仏法は既に出世の道具でしかなくなっていた
そん中で、彼は……仏法を学びながらも派閥争いを愉しむ己に気付いた
ここから色々あって元の禅寺に戻り和尚に破門を言い渡され、諸国を巡りこの街へと辿りつく
色々の部分は執筆中に御座る