中天から容赦なく降り注ぐ熱射を頭に被った布飾り越しに感じつつ、異国風の民族衣装で身を飾る女が辺りに物珍し気な視線を走らせていた。
行き交う人々と雑多な品々。バザールは活気に溢れ、露天商のこすっからい商人たちが、あの手この手で客引きをしている声が響き渡っている。
「レオスタンが統一されてから十年余……物も人も、より自由に行き来しているようねぇ」
呟く女の目は、自らと同じく明らかに地元民とは異なる風貌の人間を幾つも捉えていた。
従者を何人か連れた貴族風や豪商、または行商の姿格好をした者が殆どである。
対する地元民はというと、浅黒い肌に、陽光と砂風を防ぐ布巻きやローブを身に纏っているのが常で、各々の軒先で商機を窺う鋭い眼光を目に宿している。
亜人種の類もちらほら目に付いた。他の都市よりもその数はずっと多いように見える……といってもやはり普通の人間の方が圧倒的ではあるが。
「都市部は混血が進んでいるというけれど、まだまだかしら?」
言って女は自身の白い肌と、彼らの浅黒い肌をちらりと見比べる。そこでバッチリ、青果売りの男と目が合った。
マズイ、と思ったのも束の間。一気呵成の内に早口で売り文句を並びたてられ、籠に載せられていた品々を次から次へと押し付けられる。
げんなりした気持ちのまま、原産であるという洋ナシに良く似た果物ひとつを観光客価格でお買い上げしたところで、やっと青果売りから解放された。
「いやいやいや、参るわねホントに」
市価の三倍はボられたか、と内心で独りごちつつ、果物に齧り付く。たっぷり滴る水気と強い酸味に思わず女は眉を顰める。決して不味くは無いのだが、慣れぬ味であった。
「誰か連れてくれば良かったかしら? でも一人じゃなければ、こーいうことは出来ないしねぇ〜」
歩きながら果物を齧り齧り、果物から溢れる水気を手の甲で拭い……貴人の女にあるまじき不作法であった。
「武具の類も見て回りたかったけれど、もう時間かしら?」
果物を平らげたその手をハンカチで拭き、懐から出した懐中時計の針に目を遣ると、女は溜息一つ漏らしてから待ち合わせの場所へと歩いていった。
女が立ち去った後も、バザールは喧騒の内に欲と利を孕ませて、海千山千の商人たちが様々な思惑を交錯させていた。



『熱砂の都』は私にとって非常に都合の良い土地であった。
人の出入りが激しい商業都市であるため、余計な詮索やしがらみに煩わされることが無く、また地元民と同じ肌の色であるため目立つことも無い。
旅籠やタバーンの数が非常に多いため、過去に稼ぎ手の一つであった弦楽と詩吟で糊口を凌ぐのも容易であった。
糊口どころか、通商の為に長期滞在している西域の人間は金払いが良く、西方の歌など吟じてやれば涙を流して喜ばれたこともあり、稼ぎ時には下手な冒険者よりも懐具合に余裕があるくらいである。
共通語も普及していたが、何年か飛び飛びで生活している内に現地の言葉も覚えてしまい、時には異国人の案内や通訳で収入を得ることもあった。
……といった具合でレオスタンの交易都市『熱砂の都』は、私の逗留先として理想系であった。かきあげた髪や吐き出した唾に砂が混じることを除けば、だが。

「ネームちゃん、今日は異国人が多いからアレ演ってくれないかな」
「はぁ。アレと言いますと西方の歌で……」
宜しいんでしょうか? と気安げに話しかけてきたタバーンの主人に視線で問いかけた。ここいらの人間にしては珍しく表情豊かで口髭を生やしていない壮年の男に。
「ウケがいいの頼むよ」
請われ、飲みかけだったアラク……ナツメヤシの酒を飲み干し、オウドを手に取る。弦に指を添えて一息吸い込むと、喉から鼻に強い酒の香りが抜けていった。
1弦弾いて高音一つ響かせると、幾つか視線が向けられたのを肌で感じた。そのまま指慣らしとばかりに、4弦の合間にゆっくりと指を走らせて緩やかな旋律を奏でる。
「古き酒を讃えよ。新しき詩の花を讃えよ」
祝勝歌の一節、お決まりの文句を朗々と吟じ上げる。続けて新たな音調を紡ぎだしながら、タバーンを見渡せば異国人の目が多く此方に向いている事が分かった。
このタバーン、店の大きさは中規模、ランクは中の上といったところで、客層はわりあい裕福な地元人と現地の空気を味わいたいという異国人が多い。
遠く南方、異国の地にて、慣れ親しんだものが耳に飛び込んでくれば思わず意識を向けてしまう。
まずはこうして金払いの良い異国人を惹き付け、なおかつ地元人には聞き慣れぬ物珍しい楽曲で耳目を寄せる、とこれがいつもの私のテであった。
客の注目を浴びた時点で半分仕事は終わったようなものである。
「僭越ながらこの歌唄いの私めが、今宵この場で共に酒宴を交わされている皆々様方の乾杯の音頭を取らせて頂きたいと思います」
さぁ皆さん杯をお手に、とオウドをじゃらんじゃらんと鳴らしながら客を促し、合間に艶を乗せた流し目を方々に送り、また句の一節を吟じた。
「飲め、遊べ、人は死ぬもの。地上で過ごす時の間はわずか」
と、そこで区切って弦に這わせた指を止め、
「シェレフェ!」
私がオウドを高々と掲げたのに合わせ、そこかしこで酒盃を上げる姿が、次いで空になった杯がテーブルを叩く音が響いた。
次杯のオーダーを忙しなく捌いている給仕の娘を横目に、先程の句の続きを心の中でそっと呟く。
死んだが最後、死は不死ときている。


大陸南西部に広がる茫漠たる砂漠。限られた水源は必然として争いを呼び、部族単位の血で血を洗う闘争は不可避であった。
レオスタンでは血と水が同価である。
有史以来、何度も何度も統合と分裂を繰り返してきたレオスタンは、黄金歴150年に再び統一された。今回は僅か一年という驚異的な速度で、である。
短期間の内に誕生した巨大連邦国家は、各国首脳陣が到底看過できぬ存在であり、めいめいが競っては新政権への接触を試みている次第であった。
盟約、不可侵、通商……様々な協定の潤滑な取り結びを目指して、レオスタン連邦各所では有力者の伝手を探る動きが其処彼処で繰り広げられていた。

「急激な変化は綻びが大きいものですが、街道筋から此方に到るまで長閑な観光気分でいられたことに、正直なところ驚いております」
「連邦の統制が行き渡っている箇所は穏やかなものです」
その統制が行き渡らぬ箇所が、まさに問題なのだが……と女は心の内で愁眉を曇らせ、自領の隣接地域に憂いを忍ばせる。
「どうかなさいましたかな? カーマローカ侯」
「いえ、こういったお店に入るのは初めてなものですから、つい気後れを」
『アンタのトコが首輪付けずに放って置いてる東の端っこの田舎部族が、私んトコにしょっちゅうチョッカイ掛けてきて困ってます』などとこの場で言っても仕様の無いことであるし、 況してや、有力者であるとはいえ一介の好事家である対面の男に言っても相手が困るだけだ、と女……カーマローカ辺境伯のフォルトゥナは内心で嘆息した。
「その土地を知るには、その土地の酒を飲め。我が地方に伝わる諺ですな」
この土地の酒ってアラクのこと? あれ濁ってて苦手ー。ストレートで飲むと変なカオされるしー。
との心の声はおくびにも出さず、フォルトゥナはふわりとした笑みを口の端に乗せ、
「ふふふっ。楽しみにさせて頂きますね。勿論、お料理のほうも」
と、初めてのデートで使うような声音で言ってのけると、二階のテーブル席からタバーンの様子を再度見渡した。
地元民7:異国人3の比率。内装、接客、雰囲気、まずまず……と半ば習慣染みた思考で格付けチェックを終えたフォルトゥナの目に、弦楽器を持った女の姿が写った。
肩甲骨辺りまで伸びた紫色のウェーブヘアー。片方だけ三つ編みにした横髪が、黒衣の肩口で揺れている。浅黒い肌に切れ長の青い眼が印象的な女だった。
「彼女はこの店を根城にしているジプシーだそうですよ。」
「あら、御贔屓なのかしら。このお店」
それとも彼女を? と含みを持たせた視線をフォルトゥナが送れば、底意の読めぬ鷹揚とした笑いで好事家は応えた。
「事前調査は商人にとって欠かざるべき事柄でしてなあ」
その女が4弦を張った楽器に指を滑らせると、一瞬にして店の空気感が変わる。
酒と煙草の匂いが充満した空間に、清涼な花の香が鮮烈に差し込まれたかのようにフォルトゥナは感じた。

──古き酒を讃えよ。新しき詩の花を讃えよ──

あら、オリュンピア。まさかこんなところで耳にするなんて。
ジプシーが諳んじた西方古来の一節に、フォルトゥナは意外さを隠そうともせず、ほぅっと息を吐いた。
「西方の調べを此方の楽器が奏でる……というのも実にこの街らしいでしょうな」
フォルトゥナの様子に好事家は満足したようで、得意気に顎鬚を撫でながら口角緩め、折良く運ばれてきた酒盃を手に取った。
「さぁさ、どうぞ杯をお手に」

──飲め、遊べ、人は死ぬもの。地上で過ごす時の間はわずか──

勧められるがままに水割りのアラクで満ちた杯を手にしたフォルトゥナは、ジプシーの女が乾杯の音頭を取っている姿を横目に、眦細めて笑みを深めた。
「取り持つ縁が運ぶ幸福に」
「果てに生まれる実りに」
商人らしい心情を素直に吐露した乾杯の言葉に、思わずフォルトゥナは微笑を散らす。

──シェレフェ!──







<<登場人物>>

 カーマローカ侯

 歌唄い

<<お借りした舞台>>

 レオスタン