ZS/0019
ユウリ>ZS/0019 &COLOR(#a0522d){};
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| | 格納
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- 霧の中に溶けていた輪郭が再び「霧島悠里」という存在を形作る)
(感覚の消えていた手足に血流が漲り、力が籠るのが分かる) (私にはこんなにも思ってくれる人がいる。この霧に満ちた異界で幾ら存在を否定されようと―) (私は、現世で消えたりなんてしていないから)
「―何だ、まだ立ち上がるのかい?いい加減諦めなよ。どうせ君の妹も既に霧窓に溶けているんだ」 「今更君が気張ったところで何一つ自体は好転しないんだからさ」
(目の前の男が、立ち上がった私を見てため息交じりに言った。そんな言葉なんて知ったことではない) (例え妹がこの異界に溶けてしまっていたとしても。だとしても―)
「それが私の存在を否定する材料になんて、ならないッ!」 --
- 「アカリのことだってそうだよ。例え、霧窓異界に溶けてるのがホントだとしても!」
「今、此処に居る私が消えない限り!」 「アカリの存在が消えてしまうことなんて、決してない!」 「こんなちっぽけな怪異に、私たちの存在を否定する力なんて、ないんだ!」 (叫ぶ。拳に力を籠め、言葉に想いを載せて、叫ぶ) 「―屁理屈を。それならこの状況をどうにかできるとでも?霧窓異界の中、君一人で私に相対して何が出来るというんだ?」 (やれやれ、とでも言いたげに男は大げさに肩をすくめて嘲った) (私を、霧島悠里という存在が今まで紡いできた縁を、時間を、男は完全に見くびっている) --
- (フラグメントの言葉を思いだす)
(形の見えた怪異など、名前を、存在を定義された未知など恐れるに足らず) (最早霧窓異界は未知などではない。矮小な一人の男が私利私欲のために操っている「手段」の一つに過ぎない) (胸ポケットにしまい込んだ小さなピアスを取り出し、握り締める) (陰陽師の末裔が長く身に着けた銀で出来た耳飾り。そこに込められた魔力を、思い出という形にして練り上げる) (現世と異界を繋ぐ魔力が込められたピアスを媒介に、己に対して向けられる現世からの想いを手繰り寄せる) (なんてことは無い。異なる世界から想いを、相手を呼び出すことは日常的に訓練としてやってきたこと) (今度はそれが逆になっただけだから―)
「―おい、何だそれは。生意気な。お前は…お前は退魔の世界と関わってこなかった出来損ないだろう!?」 「だというのにその魔力、その密度、どういうことだ…!」 (気焔となって立ち上る想いの力を見て、男が一歩後ずさる) (男は知らないのだ。この一年、悠里がどのように過ごしてきたか) (男はただ、霧窓異界の闇に怯え、震える姿しか見ようとしていなかったから) (だから、彼女にこんなにも頼れる仲間がいたことも。その仲間たちから師事を受けていたことも) (霧島悠里が、如何にして霧窓異界と向き合おうとしてきたかを―知らないのだ) --
- 「―アカリ。遅くなってごめん。今更許して欲しいなんてことは言わないし、言えないよ」
「だけど、こうして此処まで来たから。貴女を、迎えに来たんだ」 「―帰ろう、アカリ」 (大樹の中に半ば埋め込まれた形となった妹へと手を伸ばす) (最早人としての意識など溶けてなくなってしまったと男は言った) (それでも、意思は残っているのだ) (「霧窓異界」の意思として―アカリは、妹は生きている)
(立ち込めていた霧が渦を巻き、悠里を取り囲む) (悠里の言葉に何を思ったのか。霧が悠里を取り込まんとより一層濃度を増して渦を巻く―)
「ハ、ハハハ!ざまぁないね!自分から霧に飲まれようだなんて!」 「いいさ、君が消えてくれるのなら僕はそれで満足だ!」 「絶望に染まったまま消え行く君の顔が見られなかったのは残念だが…まぁいい」 「さようなら、霧島悠里。霧の中で永遠に惑い続けるといい」
(霧の中に飲まれたユウリを見て、男は勝利宣言をした。優雅に一礼までしてみせた) --
- (そうして男が立ち去ろうと背を向けた瞬間。一陣の風が吹き抜けた)
(霧に満ち、じっとりとした張り付くような湿気が常であるこの異界で、風が吹き抜けたのだ)
「―なんだよ、何でお前が。どういうことだよ」
(思わず男は振り返る。そこで目にした光景に、狼狽を隠すことは出来ない) (立ち込めていた筈の霧は晴れ、穏やかな草原が一面に広がっている) (霧を吹き晴らしたであろうその中心に立っていたのは―)
「どうしてお前が、霧窓のコントロールを握っているんだッ!!!」
(霧に飲まれた筈の霧島悠里が、変わらぬ姿でそこに立っていて) (周囲に纏った霧は悠里の背後でもう一人の少女として形を成して、ゆらゆらと漂っている) (それこそが霧窓異界の新しい姿。異界に溶けた意思を手繰り寄せ、手にしたピアスに込められた魔力を基に形作られた、新たな怪異)
「―簡単だよ。姉妹の絆は強い、ってこと」 「貴方が私のお母さんに抱いてたみたいな、歪んだ一方通行の感情なんか目じゃないんだよ」 「ね、アカリ」 (問いかければ、霧の少女は嬉し気にその場でぐるりと宙を舞ってみせる―) --
- 「ふざ、けるなよ…!!これは!霧窓異界は僕たち一族が連綿と受け継いできた秘伝だぞ!?それを、それをお前たちみたいな無能力者が!」
(男が現実を受け入れられず激昂する。懐から呪符を取り出せば何事か詠唱し、素早く悠里に向けて投げつける) (呪符は中空にて呪いを込められた刃へと変化し、悠里へと迫るが―)
「知らないよ、そんなの。勝手に巻き込んどいてさ」
(悠里が横一文字に腕を振るえば、あふれ出した霧が飛来する刃を飲み込み、消失させる) 「もう、霧窓なんて異界は存在しない。この子は―私の妹だから」 (一歩、悠里が男に向けて歩を進める) (悠里の周囲を渦巻く霧の帯が、悠里が歩を進める度に飛来する男の攻撃の悉くを飲み込み、消し去っていく)
「―ひ、ひぃ」
(先ほどまでの自信は最早男にはない。悠里を見る視線には、未知なる恐怖を―只人が霧窓に向けるような恐怖が張り付いている) --
- 「精々怖がりなよ。もう、二度と私たちにちょっかいかけてこられないぐらいにね」
(へたり込んだ男を見下ろし、告げる。無防備な男に足に向けて指先を振るえば、即座に霧が男の足にまとわりつく) 「や、やめっ、やめてくれ!!わかった、分かったよ!」 (男は消失の恐怖に我を忘れて叫ぶ。二度と手は出さないと) 「んー…なら良し!」 (暫くどうしようか考えたが、そもそも自分に殺しなんて出来るわけがないのだ) (これだけ怖がってくれたんなら、もう十分だろうと。ぱち、と指を鳴らして男の足にまとわりついていた霧を祓った) 「それじゃ、出してあげるからさ。さっさと帰りなよ。そんで…うん、もし今度会うことがあったなら」 「次は、もうちょっと違った関係で会えたらいいなって。ね、叔父さん?」 (ぱちん、と柏手を打てば異界は掻き消え、先ほどまで悠里が立っていた裏道へと景色が描き変わる) (へたり込んでいた男はおずおずと立ち上がり、服についた埃を祓うと―) 「―ふん、そんなのはごめんだよ。こんな恐ろしい力をもった姪なんて、冗談じゃないからね」 (負け惜しみのように吐き捨てると、男は歩き出した) 「…ダメか。一応…私にとっては数少ない肉親ではあったのに」 (難しいね、なんて苦笑いすると、背後に霧の少女が姿を現し、励ますかのようにくるくると悠里の周囲を回る)
「―うん、ありがとね、アカリ。それと…ほんとに、間に合わなくてごめんなさい」 「でも、これからはずっと一緒だからね」 「帰ったら、皆にもアカリのこと紹介してあげる」 「大丈夫、きっとアカリともすぐ仲良くなれるよ」 「―え?知らない人がちょっと怖い?…ふむ、そうかそうか」 (ふむ、と顎に指をあてて小さく唸り。やがて、思いついたかのようににんまり笑った)
「そのお悩み、学生互助部お任せ!」
「私と、皆で!アカリのお悩み、解決してあげるからね!」
(そう言って、裏道から表通りへと走り出すのだった) --
- (声が、聞こえた。手足の感覚が、意識が、自分の存在の輪郭が溶けていきそうな微睡みの中―)
(幾つもの声が、どこか遠くから響いてくるのが分かる。霧の中、その声達は惑いながらも確かに―)
「―だ、れ…?」
(口の動かし方さえ忘れてしまいそうな感覚。僅かに呟いた言葉が、霧の中に溶けて、揺れる) (掠れた弱々しい声が、届くことはないだろう。それでも、次から次へと聞こえてくる誰かの声が、この霧の中で微睡む意識を徐々に覚醒させていく― --
- ―キミちゃん
優しくて、明るくて、可愛くて。料理やお菓子作りが得意で、すごくすごく女の子らしいのに―強い 私の憧れ。その揺れる綺麗な白い髪も、誰かを包み込める程の優しさも、悪意から誰かを守れるその強さも、全部が羨ましくて だからこそ、大好きだった人。そんな人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる― --
- 御影ちゃんに、フラグメントさん
あなた達の手を取ったことは、きっと間違いではなかったと今でも思う 決して一方的な救いの手では無かったのだろうけれど。それでも、あなた達に出会えて、あなた達の力で、私は此処まで来た だからこそ、今此処で寝ているなんてことは―出来ない そう思わせてくれる人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる
- ―片刃ちゃん
飄々とした普段の態度からは想像も出来ないぐらい、強くて、かっこいい人 同じ互助部にいても、私とは役割が真反対で、頼りになる同級生 荒事の時には率先して前にたって、みんなの路を切り開く刃としていた人 その強さが、誰かに頼られてそれに答えられるだけの強さが羨ましくて だからこそ、大好きだった人。そんな人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる― --
- ―エド君
いつもいつも騒がしくて元気いっぱいな男の子 深く考えてない、なんて言いながらも、彼の言葉はいつも私の支えになってくれていた 単純だからこそ、純粋に気持ちが伝わってきて。誰かの為に本気で泣いて、笑って、怒って。その真っ直ぐさが羨ましくて だからこそ、大好きだった人。そんな人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる― --
- 菊先生
言動はハチャメチャだし、模範的な教師像とはかけ離れていたように思う。 それでも、生徒のことを思う気持ちに嘘は無いのは知っていた。 彼女は彼女なりに生徒と向き合い、真剣に生徒のことを想い、その力にならんと努力するそのひたむきさが羨ましくて だからこそ、大好きだった人。そんな人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる --
- かなちゃん先輩
いつだって真っ直ぐに私を見てくれた人。小細工なんか無しに、真っ直ぐ私を見て、私を想って、力になると言ってくれた人 誰に対してもそう。誰に対しても、彼女は一生懸命に、真っ直ぐにぶつかっていく。その勇気が羨ましくて だからこそ、大好きだった人。そんな人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる --
- 樒部長
部長はいつも一歩外れたところからみんなのことを俯瞰してみてくれていた 私の事情も理解して、陰で色々とフォローしてくれたことを知っている 誰よりもお人好しで、誰よりも互助部の事を想ってくれていた。その暖かさが、包容力が羨ましくて だからこそ、大好きだった人。そんな人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる --
- チカちゃん
同じクラスの女の子。授業中、休憩中。おしゃべりすることはいっぱいあったけど、結局私は彼女の力にはなれなかった 私以外の誰かと共に困難に立ち向かい、それを乗り越えたことは知っている そんなチカちゃんと、私はもっと話がしたい。もっともっと仲良くなりたい。今度何かがあったときには、私も力になりたい そう思わせてくれる人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる― --
- 灯華先輩
みんなのお兄さんみたいだなって思っていた。面白くて、優しくて、大きくて― つばさ先輩と二人で居るのを見ているのが好きだった。誰かの為に、いろんな所で大変な目にあっていたのも聞いている 助けて、と言えれば―何か変わったのだろうか?そう思えるぐらいには、頼れる人 そんな人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる― --
- ―菫ちゃん
同じクラスの女の子。とっても小さくて、可愛らしくて、お人形さんみたいだった あんまり学校には来てなかったから、ちゃんと話す機会も無かったのだけれど― 互助部のみんなの力を借りて、困難を乗り越えたことは聞いている。私もそこに立ち会えれば、もっともっと仲良くなれたのだろうかと、後悔している そう思わせてくれる人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる― --
- ―つばさ先輩
面白くて優しくて、可愛くて。ゲームとか料理とか、いろんな事で私を気遣ってくれた人 彼女が勧めてくれるゲームはどれもとっても魅力的で。だからこそ、もっともっと仲良くなりたかった 可能なら、ゲーム開発部にだって―そんな思いさえ、抱かせてくれる人 そんな人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる― --
- ―図書室のお姉さん
たまに図書室に訪れた際に、いつも優しく接してくれたお姉さん お勧めの本だとか、読書感想文の書き方だとか、いろんな事を聞いた気がする いつも穏やかで優しい人。出来ることなら学校外であってみたいなと、そう思ったこともある そんな人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる― --
- ―キリちゃん
互助部でいつも一緒だった人。お調子者で軽口も多いけど、常に誰かのことを気にしていた優しい人だった 好奇心旺盛で、いろんな場所、いろんな人と関わっていたのを知っている その行動力と、それに見合うだけの強さが羨ましくて だからこそ、大好きだった人。そんな人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる― --
- ―うずくん
互助部を介して出会った男の子。最初はなんだかへんな勘違いもされたけど その誤解も解けて、今では普通の良い友達だ だけど、そこ止まり。彼が抱えていたいろんな物に、自分は触れることは出来なかった だから、次は―次があるのなら― そう思わせてくれる人が、誰かのことを思い返し、名を呼んでいる― --
- 幾つもの声が凍り付いていた胸を揺らす。声の主を認識する度に、胸に灯が点る
そうだ。私は居なくなってなんていないんだ 私のことを思ってくれる人が、こんなにも現世に居るんじゃないか その人たちがいる限り、私は消えない
私の痕跡を、絆を、完全に消しきることが出来なかった。それこそが今の霧窓の限界だ
だから、私はまだ―立ち上がれる --
- ―一面の白。あの時と同じく、踏み込んだ先に広がるのはただただ霧。自分の足元すら視認できない程の霧の世界)
(一歩、踏み出すごとに霧が揺らいでいく。やがて揺らぎは波となり―道が、開けた) 「―これ、って。こっちに来いって。そういうこと…だよね」 (進行方向に向け、まるで海が割れたかのように道が出来る。その先は見えずとも、進む以外に選択肢はなかった) 「…待っててね、アカリ」 (ぶるり、と背筋を駆ける悪寒に身体を小さく震わせながらも歩を進める) --
- (どれほど歩いただろう。視界の変化に乏しいこの空間で、体内時計等意味をなさない)
(自分の足音すら霧に飲まれて溶けていく空間を只管に歩き続けた先―そこには)
「―アカリッ!!!」
(駆けだした。視界の先、うすぼんやりと見えた大樹らしき影) (その根元に立つ人影。その姿を確かめるまでもなく、走り出す) 「アカリ、アカリ…っ!!今、今行くから!」
(息を切らして走る。おぼろげな人影はやがてくっきりとその輪郭を露わにしていく。果たしてそこに居たのは―) --
- 「―やぁ、ユウリちゃん。随分と久しぶり。待っていたよ」
(妹では無かった。修験者のような風体。落ち着いた声色。歳の頃は50手前と言ったところだろうか) (忘れよう筈も無い。その男は―) 「せん、せい……?何で、ここに」 (あの時。悠里が異界に飲まれる未来に絶望しかけた時に助言をしてくれた旅の退魔士その人であった)
「あぁ、いや何。簡単なことさ。霧窓は、僕が使役しているんだからね」
(事も無げに男は言った。さも当たり前のように。そんなことにも気づかなかったのかとでも言いたげに、あざ笑うかのように口元を歪めている) --
- 「使役しているんだから、出入りぐらい簡単なことだよ。こいつは―霧窓は、僕たち『夜光殿』の一族が代々使役してきたものだ」
「キミがこの怪異にここまで適合し、こうして自分の意思で足を踏み入れることが出来たのも―君が僕たち一族の血を引いているからに他ならない」 「君は、僕たち夜光殿の一族なんだよ。――まぁ、忌子だったんだけど」
(男は世間話でもするかのような気軽さで言葉を紡ぐ) (その一言一言、全てが悠里にとっては受け入れがたく―) (ただ、声も発せずにぱくぱくと口を動かすことが精いっぱいだった) --
- 「だってそうだろう?穢れた外部の血が混じった上に、長子で、女児だ。僕らからすれば到底受け入れられるようなモノじゃぁない」
「だから、僕らは君を霧窓の贄として処分するつもりだったんだけど―」 「姉さんは―あぁ、つまり君の母親はね。愚かにもそれを妨害しようとしたんだよ」 「―本当に、愚かなことだ。あれだけの才を持ちながら、外様の男なんかと結ばれようとして―あまつさえ、その子を生かそうだなんてね」 (男の表情が僅かに歪む。母の事を語るその顔はどこか、苦しそうで―) 「愚かと言えば幹部連中だってそうだよ。姉さんが命がけで生かした子だから、なんてそんな―そんなくだらない理由で」 (男が、天を仰いだ。大きなため息と共に、その視線を此方へと向けて―) 「こんな出来損ないの忌子を生かしておこう、だなんてさ」 --
- 「わ、私は―私は、出来損ないなんか、じゃ―」
(震える声で、辛うじてそれだけ口にする。男の言うことは何もかが衝撃的だったが、それでも―) 「私は、霧島悠里は―出来損ないなんかじゃ、ない。お母さんが、命を懸けて守ってくれた。霧島の両親が、今まで育ててくれた。その結晶を―私を、出来損ないなんて、言わないでよ!」
(精いっぱいの強がりを叫んでみても、目の前の男は何の感傷も抱かない。ただただ、見下すような視線を向けてくるばかり)
「―これだよ。のほほんと生きてきただけの命に何の価値があるっていうんだ」 「いいかい?君は出来損ないの忌子だ。それは変わらない。だからこそ、始末されかけたんだよ。君がどう生きてこようとそれが君の根源であり根本だ」 「だからこそ―僕は決めた。君なんていうくだらない命がある限り、姉さんの汚点は灌げないんだ」 「君の生きてきた時間を、絆を、価値を―すべてをあざ笑い、踏みにじり、霧の中へと返すことで―ようやく、姉さんは帰って来るんだ」 「希代の天才と呼ばれ、将来を期待されいた僕のあこがれだった姉さん。そんな姉さんが忌子のために命を落としたなんて―そんなこと、あっちゃぁいけないんだよ」
(わかるだろう?とでも言いたげに男は言う。同意を求めるその張り付いた笑顔が、心底気持ちが悪い) (歪んだ愛情と憎悪を抱えたその男は、自分を始末するためだけに―数年の時間をかけて、この舞台を整えたというのだ) --
- 「君と妹を霧窓へと飲み込み、妹のみを霧窓の贄として―君は現世へと送り返した」
「あれだけ大事にしていた妹のことなんかすっかり忘れて、君は生きてきたね。さも、自分が悲劇のヒロインだとでも言いたげに」 「僕が教えた助言を必死に守ることで、君は現世との繋がりを強めようとした」 「それは確かに間違いじゃぁないよ。でもね、そんなことをしても霧窓は君を自由にはしてくれないんだ」 「此処に―君の妹がいる限り」
(そう言って男が手を打ち鳴らすと、立ち込めていた霧が一瞬にして吹き散らされた) (男の背後にそびえたっていた、大樹だと思っていたモノは植物などではない) (静かに蠢く、巨大な肉の塊―) (そうして、その中心に見えたのは―)
「―アカリィっ!!!」
(最早頭部の半分のみを残し、肉塊に取り込まれた妹の姿であった) --
- (思わず駆けだそうとしたその足を、男が手にした錫杖で打ち据える)
(鋭い痛みに思わず立ち止まれば、男が笑う) 「ハハハハ!健気だよねぇ!霧窓の炉心に取り込まれて尚、彼女は君に助けを求め続けているよ!」 「その意思が!儚い希望が!霧窓を動かすんだ!君を欲し、取り込もうとその口を現世へと広げていく!」 「それなのに肝心のお姉ちゃんはそれを拒むんだ!」 --
- 「あの天狗の爺さんの前で啖呵を切った時なんかそりゃぁもう最高だったね!」
「『底が見えるぞ―』だっけぇ?ハハハハ!何一つ、輪郭さえもつかめていないっていうのにね!」 「エドワードとかいう餓鬼にもかなえとかいう餓鬼にもさぁ!半身を連れ戻すんだーなんて息巻いて! 笑わせるよ!その正体すら掴めていない癖に!」
(男はげらげらと下品な笑いを響かせながら、己の過去を論う)
「互助部?だっけぇ?人助けに随分と生を出してたみたいじゃぁないか!」 「幾ら人を助けたところで、事態は何も好転なんてしていないのにさぁ!」 「皆みたいに、誰かを助けたいぃ?無理無理!君は出来損ないさ!こうして真相を知ってしまって尚立ち上がる気力何て持ち合わせてないんだよ!」 (尚も男は、悠里の築いてきた縁を、絆を、想いを踏みにじる) (一歩、一歩と此方へと勧める歩調に遠慮など無い。不躾に己の心を掻きむしり、泥を浴びせかけてくる) --
- 「―もう、分かっただろう?君は必要とされていないんだ。無意味なんだよ。君の存在は」
「君が生まれてきたことも。君が今まで生きてきたことも。その全てがこの霧窓異界の中で意味を失うんだ」 「その命の軌跡の全てを霧に飲み込ませ、僕は僕の姉さんを取り戻すんだ」 「―だからさぁ。早く、諦めちゃいなよ」 (気づけばその場にへたり込み、両手で己の肩を抱き締めて震えていた) (そんなことない、と。そう声を張り上げたいのに、口を開くことすら出来そうにない)
「君の妹も既に霧窓の炉心に取り込まれている。そこに姿が残っているのは魂の残りカスがこびりついているだけさ」 「既に彼女の魂はこの霧窓異界の霧の一粒となって溶け込んでいる」 「―ご愁傷様。君は妹を助けることは決してできない。遅すぎたんだよ」
(その言葉が、止めだった。涙があふれ、霧と混ざり合い地に落ちる事なく消えていく) (無力感と孤独に包まれた今、縋れるはずだった楔も男の言葉によって既に打ち砕かれて―) (霧島悠里は、正真正銘、その命の意味を見失ってしまった―)
(男の勝利宣言染みた高笑いが異界に響く。存在意義をなくした少女もやがては霧窓異界に取り込まれ消えていくのだろう) (それを防ぐために―必要とされているものは一つ)
(現世からの想い)
(消え失せてしまった霧島悠里を思う心が、言葉が、もし紡げるのなら―) (何かが変わるのかもしれない) --
- (互助部の部室にて最後のお別れを済ませてから数刻の後―)
(人気の無い裏道に一人、足を踏み入れた。しっかりと見据えるその先には、空間が切り取られた異界への窓がその口を開けている) (一歩踏み出す事に、その足は重たくなる。一歩踏み出す事に、手が、口が、震えそうになるのをぐっとこらえる) (未練は無い。後悔は無い。あとは、己の心の強さと―互助部の皆と紡いだ絆がどれだけ命綱として機能してくれるかが全てだ) (異界に捕らわれたままの妹を救い出し、現実世界に打ち込んだ絆の楔を頼りに二人で帰還する) 「絶対、絶対負けない。やるんだ。私だけしか出来ないんだから。やるしか、ないんだ―」 (気づけば目の前に霧窓異界への入り口がある。あと、一歩―) --
- (ごくり、と唾を飲み込む音が人気の無い路地裏に響き渡るかのような錯覚。それ程までに、この場所には生気が無い)
(何か引き返す理由を探そうとする弱い心を押し込めるかのように、自分の胸を一度、強く叩いた) 「私を救うのは、私自身だ。互助部の皆みたいに、なるんだ―」 (この間から御呪いのように呟いているフレーズ。誰かの決定的な救いにはなれなかった無力な自分を変えるために) (自分自身を救うことで、互助部の一員として本当に認められるような、そんな気がしていたから) (妹のためを思う使命感と。大事にしたい仲間たちに置いていかれたくないという焦燥感と) (その二つが混ざり合い、ドロドロの沼染みた感情に突き動かされるように) (少女は) (霧島悠里は、この世界から消え失せた) --
- (そうと決めてから、只管に異界との繋がりを強めるために日々の鍛錬を繰り返した)
(異界から呼び出した腕に触れ、握り、寄り添って。その向こう側に感じる「何か」の鼓動を強く、強く意識する) (今までは気づきもしなかった巨腕の向こう側にある確かな「意思」に触れる度、心が波立つ) 「…ごめんね、アカリ。大丈夫だから。お姉ちゃん、ちゃんとやるからね」 (その度、怖気づきそうになる弱い心を奮い立たせるためにそう語り掛けた。言葉が帰ってくることはない) (けれども―) --
- (不思議と、「そうあるべきだ」という想いが強くなるのだ)
(誰かに、何かに背中を押されるように、怯える心が静かに落ち着いていく) (今も異界で一人、孤独に震える妹を救い出す) (今までは霧窓の意思らしきものを感じる度、打ち払い、消し去ることを目的として異界との繋がりを保ってきた) (けれども今は違う。打ち払ってはならない。消し去ってはならない) (己を縛り付ける霧窓異界との繋がりを辿り、その大本に存在するであろう妹の手を握るのだ) (だから、むしろ今までとは逆に―自分から、異界の深奥へと足を踏み込むために―) --
- (意識が変わったことが大きいのだろうか。程なくして、巨腕を呼び出さずとも―異界の入り口が目の前に口を開くことが増えてきた)
(空間を切り取ったかのように、眼前に霧に満ちた虚空がその姿を現すのだ) (その先に歩を踏み出せば、恐らく容易く戻ってくることは叶わないだろう) (けれども、一歩を踏み出さなければ妹を助ける事は叶わない) (此処まで来て、己の臆病な心が、身体をその場に難く縛り付けてしまうのがもどかしい) 「―このぐらい、なんだ」 --
- 「アカリは、今もこの霧の向こうで泣いてるんだ。帰れなくなったからってなんだ」
「今までこっちの世界でのうのうと暮らしてきたじゃないか。あの子の幸せを、私一人が享受してきたんじゃないか」 「その代償を払うだけ。あるべきところに、帰るだけだ」 (早鐘のような鼓動から耳を塞ぎ、無理やり深呼吸して己に言い聞かせる) (そうだ。最悪でも、元々要らない命が、居なくなるだけだ。本来居るべき命が、戻って来るだけだ) (だから、何も気にすることなんてない。大丈夫、大丈夫―) --
- (何度心で言い聞かせても―地面に縫い付けられたこの足は動こうとはしてくれない)
(手も、身体も、影で縛られたかのように身動きが取れなくなってしまう) 「―何でッ、何でさ!!私が、私がやらなきゃいけないのに!私しか、出来ないのに!!」 「今までずっと、誰の役にも立てなかったんだから!せめて―アカリのために、何かするぐらい、出来なきゃ…!!」 「じゃないと、互助部に居た意味すら、なくなっちゃうじゃん!!」 (涙交じりの慟哭が、夕焼けに溶けていく) (幾ら人助けをしようとも。幾ら約束をかわそうとも) (結局のところ、自分が関わりないところで皆、救われていく) (皆、抱えていた苦悩や闇を、打ち払っている。互助部に限らず、友の手を、力を借りて―) (そしていつも、自分はその場には居ないのだ) (戦闘や荒事は不得手だと。だからなのだと最初は思っていた) (けれど、やがてその言い訳の裏に隠した己の無力と無価値に心は蝕まれていった) (自分には、互助部で成し遂げたことが何かあるのだろうかとの自問が、悠里の心を締め上げる) (皆のように、人の心に、生き方に強く影響を与えるような「何か」を成すことは出来なかった) --
- 「皆の力には、なれなかったから…!だから、自分ぐらいは…自分一人で、助けてみせなきゃ…!」
「私が此処に居て、成し遂げたことが…一つぐらい、なきゃ…!!」 「アカリの時間を、命を奪ってまで生き永らえた意味が…無いんだからぁ!!」 (叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ) (それでも、手は、足は動かない) (やがて異界の入り口が閉じ切った時。ようやく、彼女はその場に崩れ落ちることが出来た) (何も、何もできない) (己の弱い心がこんなにも憎たらしい) (未練。その二文字がこんなにも疎ましい)
「―やだよぉ…。みんなと、もっと一緒に…いたいよぉ…!」 「いなくなりたくなんか、ない……」
(誰も居ない暗がりの中、孤独でちっぽけな少女の弱音に気づく者など、誰も居ない) (自分の心にこびりつく未練を濯がなければ、前へは進むことは出来ないのだと) (泣き声を上げる度、嫌というほど自覚してしまう―) --
- (下がることも、進むことも出来ないまま―時間は過ぎる)
(少女に残された時間は少ない) (やがて夜が訪れる頃。ようやく立ち上がり、すすり泣きながらとぼとぼと家路を辿るのだった) --
- (あれから、色々と調べて回った。久々に実家に帰って、両親に聞いてみると、ひどく困った顔で言葉を濁された
「自分たち夫婦には、お前以外の子供は居ない」と、強い語調で断言された それでも、と縋るようなやり取りを暫く続けた結果、ひどく語り辛そうに両親は真相を語り始めた --
- 曰く、自分は―霧島悠里は目の前の両親とは遺伝子的な繋がりは微塵も無いそうだ
あんまりにもあんまりだ。今まで16年間生きて来て気づかなかったし、疑うことすらなかった それぐらい、温かくて幸せな家庭だったと胸を張って言える それでも、目の前の二人は自分の本当の両親ではなかったというのだ。その事実を飲み込むのに幾許かの時間を要した 自分の中で、告げられた事実をかみ砕いて必死に呑み込もうとする中で両親は続ける --
- 曰く、悠里は本来京都のとある退魔士の家系に生まれた忌子であったそうだ
生まれながらにその存在を呪われ、疎まれ、その存在ごと抹消してしまおうと、とある怪異の贄へと捧げられかけていたのだと 不憫に思った母親が、旧知の間柄であった義両親へと秘密裡にその身柄を預けていたのだという この事実は決して明かすつもりはなかったそうだ。明かせば、必ず己の出自を探ろうとするだろう そこで突き付けられる「存在を許されなかった命である」という事実が与える影響を、義両親は心配していた --
- だから、その事実をひた隠しにして今まで自分たちの本当の子供だと偽って育てて来たのだと、彼らは言った
その心遣いは素直にありがたいと思ったし、自分が今まで真っすぐに育ってこられたのもそのおかげだと感謝も出来た でも、だとすれば― 話が終わり、実家の自室のベッドで横になり思考を巡らせる 義両親の言う己の出自に関しては恐らく事実だ。此処までの話をでっち上げる理由も無い だがしかし 「自分たちには悠里以外の子供は居ない」という言葉だけは信じることが出来なかった 「霧窓」に飲まれれば、その存在そのものが現世から消え失せる。存在の痕跡は残れども、それに関する「違和感」をそもそも感じ得ないのだ だが、今の自分は違う 現世には居ない何者か―霧窓異界の住人となった何者かの存在を認知した自分であれば―気づくことが出来る --
- そう、例えば―このベッドが子供一人で寝るにしては大きすぎること、とか
あるいは―アルバムの中に所々存在する不自然な空白とか あるいは―二つ並んだ学習机の意味、とか --
- どうして今まで気づかなかったのかと不思議に思う程のあからさまな違和感
誰にも気づかれることなく、その存在の痕跡は「そこに在った」のだ 此処まで気づいてしまえば、もうあとは芋づる式とでもいえるような速さだった 家中に残された使われない道具に記された名前を見つける度に、脳裏に消えた筈の記憶が浮かんでは消えていく
「あ、あぁ、あぁぁ」
涙があふれ、止めることが出来ない どうして忘れていたのか いつもいつも、一緒だった 自分のあとを健気についてくるあの足音を 自分のことを呼ぶ甘えたあの声を 大好きで大好きでたまらなかった筈の、愛しい妹を― --
- 「ア、カリ……」
その名前を呟いた瞬間、消え失せていた存在が己の脳裏に強く強く呼び起こされる 怒涛のようにあふれ出る妹との思い出が胸を締め付けるのだ 自分は、忘れていた。愛しい妹を 自分は、忘れたまま過ごしていた。愛しい妹を 自分は、帰って来てしまった。愛しい妹を置いて 忌子であった自分を育ててくれた優しい両親の本当の子供を― --
- 「ごめん、ごめんねアカリ…!酷い、おねえちゃんだね…。貴方のことを忘れて、こんな、こんなに長い間…!」
心中で荒れ狂う後悔と今更な喪失感とが混ざり合い、思考が傾いていく―
「私が、私があなたを取り戻すから。お父さんと、お母さんと。本当の親子であるあなた達がもう一度暮らせるように―」 「そっちに居るべきなのは、貴女じゃない」 「―私だ」 --
- ―なに、ここ
(目を覚ました時、最初に目に飛び込んできたのは―一面の白であった) (否、正確に言えば「何も目に映らなかった」。ただただ、辺りに立ち込める濃い霧だけが全てだった) (風も、音も、匂いも無く。ただただ、辺りを覆い隠さんばかりに立ち込める霧が、正しくその世界のすべてだと思った) --
- (立ち上がり、辺りを見回しても何も分からない。ただただそこには霧があり、何処を向いてもそれは同じで―
(結果的に、何処を向いていたのかよく分からなくなってしまった。足元すら見えない程の霧の中、取り合えず一歩を踏み出してみる) ……霧窓の、異界…なのかなぁ (呟いたその言葉もまた、霧に飲まれて消えていく。誰かの耳に届くことは無い。己の足音もまた―) 気味、悪いなぁ。……こっちで目が覚めるなんて、正直良い気分はしないけど… --
- (今までは目が覚めた時には現実世界に居た。過ぎ去った時間を認知することは出来ずとも、己の存在と意識は、現実世界にある状態での覚醒だった)
(それが、今回は違う。この自意識と身体は確かに己のモノであり、「霧島悠里」という存在が異界にて覚醒を果たした) (それはつまり―) ……いよいよ、向こうも本気ってこと…? (首を傾げ、歩を進める。あの時、フラグメントと共に打ち払った霧窓の手。己の存在をしかと証明したと思ったのだが―) (結果、霧窓に危機感を強く抱かせる結果となったらしい。こうして自分を本格的に霧窓異界へと飲み込もうとしている―) --
- (どれだけ時が過ぎただろうか。進めども進めども、一向に景色は変わらない)
(足音すら霧に包まれて朧気な空間の中、時間も、方向も、空間の認識さえも霧に巻かれてあやふやなものに感じられる) ―結構、辛いなこれ。……向こうの世界との、繋がり…帰る場所、私のいるべき場所―しっかり、考えないと (弱気に塗りつぶされそうな心を奮い立たせるため、あえて口に出してみる。学校でのこと。友達のこと。部活のこと。次々と頭に浮かべては強く、強く意識する) (そこに居る自分を。皆と笑い合う自分を― --
- ―そんなに、そっちがいいの?
(ノイズのように、空気が震えた。脳裏に直接響いた声に思わず顔を上げれば、眼前に立ち込める霧が―静かに、うねる) (形など無い筈の霧が。ゆっくりとうねり、巻き付き―何かを、形作っているように思える)
ねぇ、此処でいいじゃない
(笑った、ように思えた。いつしか眼前の霧の流れは、朧気な人影へと変わっていて―)
あいつら、皆忘れてるよ。思い出しも、してないよ
(霧が、笑う。嘲笑するかのように。朧気な人影の顔面が大きく裂けて、まるで口のようで― --
- ―違う、そんなことない。私は、忘れられてなんかない。お前の―お前の言葉は、全部全部、まやかしだ
(強い言葉を発して、震える拳を強く握って。恐怖と、孤独を抑え込む。私は、ここに居るんだ―) (思い返す。自分の存在を強くつなぎ留めるための訓練の日々。皆から教わったことを一つ一つ、思い返して、その度に心が温かくなる) (今、自分の存在をもし忘れられていたとしても。それはとても悲しいことだけれど。とても寂しいことだけれども) ―それでも。それでも、今此処に私が存在して、こうして思い返すことが出来る どっちの世界に居たって、私が「此処に居る」限り、私は―霧島悠里は、現実に確かに存在している。消えたりなんかしない 私が諦めない限り。―私は、私の意識が続く限り―私の存在を、証明し続けるっ!
(叫ぶ。強く叫ぶ。声は霧の中に紛れて消えてしまっても、枯れそうな喉の痛みが、自分の存在を尚証明してくれる) (こうして自分の意識が残っている限り、「霧島悠里」という存在は消えていない。まだ、現実世界にも縁が、絆が残っているのだから―) --
- '―そう、そうなんだね。強く、なったんだ。いいなぁ'
(幾許かの逡巡の後。声は呟くように答えた) ―っ、そうだよ。私はあの学校で強くなったんだ!お前になんて、負けたりしない!だから― (返せと。もとに戻せと。そう、口にしようとした瞬間) (目の前の人影の周囲の空気が、ずしり、と重くなったのを肌で感じた) (霧がより一層湿り気を増し、肌に、眼球に、口腔に、まとわりついてくる―)
'そこまで強くなって。どうして―思い出してくれないの?'
(人影が、一歩。此方へと近付いた― --
- っ、思い…出すって。何を―
(もう一歩、近づいてくる。張り付いた霧がじっとりと服を湿らせてくるのが分かる) (気持ちが悪い。淀んだ空気が、臓腑へとしみ込んでくるかのようで―)
ねぇ―お姉ちゃん
(近づいた人影がゆっくりと、此方に手を伸ばし―)
(そこで再び、意識が途絶えた) --
- (目が覚めた時、目に入ったのは見慣れた天井だった)
(あたりはすっかり日が落ちており、周囲に人の気配はない) (いつもなら誰かしらが居るこの互助部の部室にも、誰も居ない) (かち、かち、と規則正しく刻まれる秒針の音だけがやけにうるさく聞こえる程に―周囲に、何の気配も無かった) --
- (夜の学校って、こんなに静かなんだなーなんてのんきなことを考えながら、ぼやけた視界をクリアにすべくかぶりを振った)
さて、と― (ぐ、と伸びをして倒れ込んでいたソファから起き上がるとポケットからスマホを取り出して―) ……マジ? (スマホの電源が入らないことに思わず言葉がついて出た) (それはつまり―) ……充電切れるぐらい、こっちに居なかった……ってこと? --
- 〜〜〜〜はぁ(深い、深い溜息が出た。一体何日居なくなっていたのだろう。今が何月何日なのか、すぐに確認する術がない)
(しぶしぶ部室内の充電器にスマホを繋ぐ。ぽん、と軽い電子音と共に、ディスプレイに充電中の表示が現れる) (月明りに照らされていた部室に、スマホの機械的な明るさが加わって部室内をもう少し明るく染める) (自然光とは異なる煌びやかな光に照らされた部室は、何だかまた趣が変わって見えた) ……こんな風景、部員の皆は見たことないかもなぁ (そも、こんな時間に部室に居ることなどないだろう。スマホを起動出来るようになるまでの時間―再び、かち、かち、と秒針の音が聞こえ始める) --
- ―そろそろ、いいかな(誰に言うでもなく呟いて、スマホを手に取って電源ボタンを長押しして)
(やがて、ぶるり、とスマホが震えれば、待ち受け画面が表示される) (そこに表示されていたのは―) う、そ― (言葉が漏れ出る。大きく表示された日付は、11月の第三週) まって、まって…私が覚えてるの―(記憶の糸を必死に辿る。信じたくないという想いから、本来必要のない工程を経てたどり着いた答えは―) 3週間、も…?私、そんなに長い間…?? (ぞくり、と背筋を寒気が駆け抜ける) --
- (思い出せるのは10月末日の夜。間近に迫った修学旅行に胸を躍らせ、何をしようかと部員の皆と相談するために部室に入ったところまで)
(そこから今日まで、凡そ3週間) (彼女は、消えていた。霧島悠里は、この世界からキレイさっぱり、消えていたのだ) (誰にも気づかれることもなく。誰に心配されることもなく、彼女は消え失せていた) --
- あ、は……あはは…そ、っかぁ。行きそびれちゃったなぁ…
(自嘲的な、乾いた笑みが零れた) (初めての修学旅行。しかも海外だ。何を見て、何を食べて、何を体験出来るのかと、胸を高鳴らせていたのが急に馬鹿らしく思えてしまった) (大好きな互助部の皆やセンパイや友人たちと、きっと素敵な思い出が作れるのだろうと、そう思っていた) (夜は皆で女子トーク。コイバナに華を咲かせてみたり。夜中にこっそり宿を抜け出して散策してみたり―) (夢に描いていた素敵な未来は、全て、全て通り過ぎてしまった) (彼女が存在しない世界は、彼女を待ってくれたりはしないのだ) --
- (いつも通り、世界は彼女を置き去りにして進んでいってしまった)
(ようやく追いついたところで、空白の期間を埋める何かなどありはしない) (ただただ、皆に、世界に、おいていかれてしまった―)
―っ、う、ぅ〜〜っ…ぁ、あぁぁ……!
(夜更けの部室で一人、声を上げて涙をこぼした) (楽しみにしていた未来を掴み損ねたこともそうだったが、何より―) --
- (あれだけ仲良くしていた友人たちが、自分の存在が掻き消えたことなど気にすることも無かった事実が胸を抉った)
(誰が悪いわけでもない。もちろん、皆が悪いなんてことはない。すべては『霧窓』が―ひいては、そんな怪異に憑りつかれた己のせいでしかない) (そんなことは分かっている。分かっているのだけれど―)
(今はただ、紡いできた皆との絆が、信頼が―儚い砂上の楼閣の如く、風に吹き流されてしまったかのような錯覚が彼女を苛んでいた) --
- (明日からは、いつも通りの日常が始まる。自分がいようがいまいが、世界は決して変わらない)
(いつもと同じように朝が来て、きっと友人たちもいつもと同じようにほほ笑みかけてくれるのだろう) (それでも―)
だれか、誰か…っ!私を、捕まえてよ…!此処に居てくれって、言ってよ!腕を……掴んでよぉ…!! (慟哭。胸を引き裂く孤独からは、暫く立ち直れそうにはなかった―) --
- (入学から2か月。互助部という恰好の活動場所を見つけ、日々を忙しく過ごし、友人も、先輩にも恵まれたと思う)
(毎日は目が回るような忙しさで、心が躍るような楽しさの繰り返しだった) (互助部の依頼をこなし、それ以外でも人と積極的にかかわって) (幾つもの約束を交わし、果たすことで己の存在を現世へと強く刻み付けることが出来たと思っていた) --
- (そう、思いこもうとしていた)
(そう思い込みでもしなければ、ふとした瞬間に襲い来る孤独と恐怖に耐えられそうも無かった) (毎日を極力忙しくしているのも、余計なことを考えないようにするためで―) (毎日を極力楽しんでいるのもまた、同じ理由からだった)
(それでも、一人暮らしの夜は長いもので) (日常の中のふとした違和感が、恐怖の種となって心に根を張るのが分かってしまった) --
- あれ、何だったんだろう
(思い返すのは、同じクラスの御影と話し終えた際の、胸の内から突き上げるかのような「何か」の脈動) (何だったのかは大体想像がついている。それでも、「何故」という疑問は解消しない) 何に、反応したの…?御影ちゃんに、何があるの…? (ぎゅ、と両手を合わせて握り締めて瞳を閉じる) (己が内側の奥底で繋がる、そこから失われた「何か」へと意識を向ける) (意識は己が深奥にて収束し、ねじれ、反転して、消えてなくなる) その刹那に僅かに感じる「何か」の輪郭―その朧気な形から読み取れるものは無いかと、試みる。) --
- (結果として何かが得られることは無い。いつだって交信は互いに一方通行である)
(それでも、今日は違う) (同じ互助部の先輩であるカナエとの会話の中で抱いたふとした違和感) (自分は一体誰に料理を教えていたのだろうか) (誰かと料理の作り方に関してやり取りをしたという事実だけは覚えているのに、その相手が誰なのかは決して思いだせない) ( --
- (これは恐らく、自分が現世からあちらの世界に攫われている際に周囲の人間に起きていることと同じなのではないだろうか)
(その仮説に至った瞬間、全身をゾクゾクとした言いようのない不安感が駆け巡った) 私は、知らない間にまたー奪われているの? (奪われたのは己の魂の半身だけだと思っていた。だが、そうではない可能性が出てきたのだ) (もし私が誰か近しい人間を奪われていて尚、そのことすら知覚できていないのだとすれば―) -- ユウリ
- (それは酷く恐ろしく、悲しく、情けないことのように思えた)
(己だけが怪異の恐怖に怯え、震えていたのだと思っていたが―) (攫われているのかもしれない「誰か」はもしかして、自分に起きていることすら理解していないのではないだろうか? --
- (ぐるぐると思考が巡る。己の推測は本当に正しいのか?それとも間違っているのか?)
(どちらにせよ、それを確かめるには「霧窓」にもう一度接触するのが一番早いと思えた)
(その日から、悠里は日々の異能の訓練の時間を伸ばしていった) --
- (男はいとも簡単そうに言うが、イマイチ要領を得ない。呼びつける、とは言うが―何を?どうやって?)
「そんなに難しく考える必要はないさ。パスは繋がっているんだ。あとは意思の問題だ。君がどうしたいか、という強い意志があればいい」 (男は錫杖をかるく打ち鳴らすと、その先端を私に向けて言う) 「霧窓って怪異はね。実態が無いんだよ。それこそ、窓の向こうに霧が立ち込めていて外の様子が窺えない―そんな些細な未知への不安が寄り集まって出来たものだ」 「そんなものは窓を開けて覗き込み、呼びかけてみればすむ話なんだよ。だからね、君から呼びかけてやるんだ」 「君の失った半身に、己の位置と己との繋がりを思い起こさせればそれでいい」 (むにゃむにゃと何事か呟いた男は、はい、どうぞと言わんばかりに微笑む。胡散臭いことこの上無い) --
- (首を傾げてみても、男は答えない。とにかく何かやってみればわかる、とでも言いたげだ)
(釈然としない心持のまま、瞳を閉じた。此処ではない、別の何処か。私の意識の奥底にある霧の向こうへとつながる糸をイメージして―) (その糸を、手繰り寄せる。力いっぱい、引き寄せる。出て来い。私は此処だ。お前の半身は―此処に居る)
(強くそう念じた途端、頭蓋が内側から押し広げられるような強烈な「何か」の奔流が私を突き抜けた) (それは一瞬のことではあったが、強烈な感覚として強く私に刻み込まれたような気がした。これが、霧の向こうとつながるという感覚―) 「―お見事!」 (男の声に恐る恐る瞼を上げれば、視界の右端からにゅぅ、と巨大な腕が生えていた) 「はは、驚くことはない。それは今完全に君が主導権を握っている状態だ」 「先ほども言ったように、霧窓には実態も無いし主体性なんてものも無い。内側からでも、外側からでも、呼ばれれば呼ばれたように作用するだけさ」 (異空間らしき歪から生えた謎の巨腕に思わず悲鳴をあげたのも束の間。落ち着き払った男の態度と言葉に引っ張られたのか、気づけばその「何者か」の腕をまじまじと観察する余裕があった) ( --
- (大きさは、肩から拳までで私の背丈の倍ほどもある。筋骨隆々とした逞しい腕だ)
(ところどころに角めいた突起が生えていたり、鱗のような模様が見えることから、人間のものでは無さそうだ) (こんなものが自分の半身とは信じがたい。もしかして私は騙されて地獄の鬼でも呼び寄せてしまったのではないか、とすら思えた) 「なぁに、心配しなくても大丈夫。君の半身は現状異界との繋がりの方が強い状態にある。この世の理から外れているわけだ」 「で、あるのならば―その姿形も、この世のの理から外れるというのもおかしな話ではないだろう?」 (私の胸に過る不安を読み取ったかのように、男は語る。だとしてもこれは―流石にちょっと受け入れがたい) (たじろぐように、宙に浮かぶ腕から一歩離れてみたが、特に反応もない。腕はただ、そこにあるだけだ) (私が主導権を握っている、と男は言った。で、あるのなら―) --
- (それは私が念じるのとほぼ同時。巨大な拳が猛烈な風と共に中空を―空気を、殴り飛ばした)
「いいねぇ!早速使いこなしてるじゃぁないか!そうやって君が念じればその腕はおそらく君の思うがままに動いてくれるだろう」 「そうして召喚と使役を繰り返し、君の半身に思い出させてやるんだ。君という存在と、君と半身のあるべき姿をね」 「ただ、あまり頻繁には呼ばない方が良い。君の力はまだまだ弱い。無暗に霧窓との繋がりを強めれば、何かの拍子に向こう側へ引っ張りこまれる可能性がある」 「だからそうだね…精々、一週間に2回程度でいいだろう。そうしてちょっとずつ繰り返すことで君の耐性も鍛えられるだろうさ」 「それに―」 (男のレクチャーを聞きながら、ぶんぶんと巨腕を振り回す。何だか楽しくなってきたところで―)
「今はまだ、君には負担が大きい―と、言わんこっちゃない」
(私は不意にその場にへたり込んでしまった。自分の意思とは無関係に、立っていられなくなってしまったのだ) --
- 「君は元々ただの一般人なんだろう?いきなり怪異との繋がりを行使しようとすればそりゃぁそうもなるさ」
(男は苦笑いしながら、へたり込んだ私へと手を伸ばす) 「焦らなくてもいい。ひとまず、君はいつ存在が消えて亡くなるか、なんて危機的な状況からは脱したんだ」 「あとはゆっくり、慣れていけばいい」 (差し出された手を何とか掴むと、男にぐい、と力任せに引っ張り上げられる勢いそのままに肩に担がれる) (年頃のレディに対してあんまりな扱いだーなんて抗議する気力も沸かない。男はそのままゆっくりと歩き出した) 「君に必要なのは訓練と時間、そして知識。まぁ―全部だな」 「丁度、それらを全て賄える最高の学び舎が京都にはある。君も知っているだろう?」
「『府立瑞祥高校』。異能に魔術、神道に仏教―それら全ての知が、不思議が集う場所だよ」 --
(こうして私は怪異憑きとなり、現世と異界を反復横跳びしながら過ごすという、普通とは程遠い日常を送ることとなった) (己の力を、知識を、鍛えあげ、このろくでもない怪異に纏わりつかれた状況から脱するために―)
(私の高校生活が始まる) --
- 本編へ続く --
- (その退魔師に出会ったのは、太陽が薄雲の向こうに消えかかった時分だった)
(溜息交じりに帰路を辿っていた私に、彼は突然声を掛けてきたのだ)
「―君、面白いところにいるね」
(ともすれば不審者通報まっしぐらな発言をした男の風貌もまた、不審者まっしぐらであった) (山伏のような衣装と身の丈を超える錫杖を手にした男は、訝しんで返す言葉を紡げない私に対し、更に言葉を続ける)
「現にその形を映しておきながら、その実存在の根源―魂の残滓を『どこか』へ置き忘れてきたとみえる」 「やぁ、これは本当に面白い。大方、怪異に飲まれ、助かったは良いが中途半端に『憑いてきた』というわけだ」) --
- (何を言っているのか理解は出来ないけれど、何を差して言った言葉なのかぐらいは察することが出来た)
(勝手に言葉を続ける男に、ぱくぱくと金魚のように口を動かす私。あぁ、こういう時にこそ、普段働かない脳みそが働いてくれればいいのに)
「お嬢さん。君は、どうしたいんだい?」
(うまく言葉に出来なかった私に対し、男は問うた。「どうするのか」と) (どう、ってなんだ、とか。何を、とか。何の、とか。訪ねるべきことはある筈だった。それでも―
―消えたく、ない。私は、私はこの世界に居たい!どこにも行きたくない!忘れられたくなんて、ない!)
(色んな疑問とか、そういったものをすっ飛ばした、心からの言葉だった) --
- 「あいわかった。ならば私は君の力となろう。何、これでも退魔師の端くれだ。安心してくれていい」
(私の言葉に、男は口の端を持ち上げて笑う。言葉とは裏腹にひどく胡散臭い笑顔だった)
(男は自らのことを「先生」と呼ばせ、それから私のことを色々と調べはじめた。) (調べる、といったって特段何かしたわけでもない。よく分からない呪文を唱え、大きな錫杖で私の肩を幾度か叩くのを繰り返すだけ) (男が言うには、私に絡みついている怪異の影を追っているそうだが、私からすれば怪しげな儀式にでも巻き込まれたような気分だった) (そうして数十分の後、男は言った) 「君が以前飲まれた怪異、名を「霧窓」というんだがね。異界を作り出し、迷い込んだ相手の存在ごと霧霞の向こうへと連れ去ってしまうのさ」 「君はそいつに飲まれ、何らかの理由で吐き出された。吐き出されたこと自体は幸運だったと言えるだろうが―問題もある」 「さっきもチラッと言ったがね。君の存在の一部は霧窓に握られたままなんだよ。だから、君は現世と異界、どちらにも存在しうる―ようは鏡合わせのような状態にいる」 (男の説明は、よく分からなかった。理屈や理由なんて推測すらできないけれど) (ただ、男の説明はそうである、という事実として受け止めることが出来た。自分一人では何一つ分からなかった存在の消失現象に、理由をつけてくれたのだ) (今まで自分の足元すら見えなかった筈の暗闇に、ぼんやりとした柔らかな灯りが灯ったように思えた)。 --
- 「存在の比重が現世と異界、どちらに傾くかは非常に危ういバランスの上にあるように思う」
「だからこそ、君が出来るのはなるべく自分の存在を現世へと縛り付けるようにすることだ」 (ことだ、と言われても。だから何をすればいいのかも分からない。こちとらただの一般人なのだ) 「いやなに、難しく考えることはない。人やモノ、何でもいいから現世との繋がりを増やすことだ。長期的な繋がりであればある程いいが…そんなものは一朝一夕では難しい」 「だから…そうだな。『契約』をするといい。『約束』と言い換えてもいいね」 「相手に対し、自分の存在を通常より強く、そして定期的に回想してもらうためには『契約』が一番手っ取り早い」 「難しく考える必要はない。誰かが困っていればそこに手を差し伸べ、「私が何とかする」と約束してしまえばいいだけなんだ」 「それが成功するにしろ、失敗するにしろー契約を交わしている間は、相手は君のことを忘れはしないからね」 (何となく、分かってきた。つまりは、自分のことをより多くの相手に強く刻み付けるのが自分の存在を安定させるコツなのだ) (契約を――約束をたくさん交わし、それを果たすことで、相手は自分の存在を強く意識することとなる --
- つまり、人助けを…人に親切にすればいいわけやね
(そう口にして、やっと自分の中で今後の方針が固まった気がした。単純明快、いつもの2倍、3倍人のおせっかいを焼けばいいのだ) (男は約束を果たすにしろ、果たさないにしろ構わないと言ったが―果たせない約束をしたくはない) (だって、どうせなら皆で笑顔になりたいじゃないか。みんなで笑って、ハッピーエンドを迎える方が良いに決まっているから) よし、分かった!私、やる!もっともーっと人に優しくなって、ずーっと覚えててもらえるようにする! (ぐ、と拳を握り決意表明。男はそれを聞きながらうんうん、と頷いていた) --
- 「ひとまずはそれが君の存在を固定するための近道だろう。それは決して間違っちゃぁいないよ」
「ただ、それだけじゃぁ君の失った半身は帰ってこない。君の存在自体は現世に固定するべきだが、霧窓との繋がり自体を断ち切るのはマズい」 「君が失ったものが何なのか、それは僕には分からないし、君もきっと覚えてはいないだろう」 「ただ、間違いなく君にとって必要なものだったはずだ。何せ君の半身なわけだからね。失って平気な半身などある筈もない」 (男はしゃらん、と音をたてて錫杖を地面に軽く打ち付けた。己の半身―魂の残滓、今の私はそれを失った状態らしい) (男の言う通り、全くもって思い出せはしないが、成程、己の身体が半分なくなった状態だと考えればそれは大ごとだ) (そんならどないしたらええの?と問えば、男は再度錫杖を打ち鳴らした。今度は先ほどよりも大きく、強く) --
- 「簡単さ。今までは君が霧窓異界に呼ばれてばかりだっただろう?」
「そんなのは不公平ってもんさ。だからそう―今度は君が、向こうから呼びつけてやればいい」 (男はことも無げに、まるで悪戯を思いついた悪ガキのような言葉を吐いたのだった) --
- 続 --
- (私は特に変わった子、というわけではなかった。)
(世の中には怪異だの妖怪だのが溢れていたが、幸運にもその類とは縁遠い極々普通の家庭に生まれ育った) (だからこそ、今のこの状況は当時からすれば想像し得ないものだ) --
- 怪異憑き
(今の私の状況を表すのに適した言葉である) (1年前。私は学校の帰り道、突如として現れた謎の「怪異」…といっていいのかは正気分からないが―) (ともかく、そういった類の物に文字通り「飲み込まれた」) (視界が、思考が、不意に緞帳を降ろされたかのように暗くなり―そこからのことはよく覚えていない) (両親曰く、私は突然帰ってこなくなり、数日の後、家の前に倒れていたそうだ) --
- (不思議なことに、私が居なくなっていた数日の間両親は私のことを文字通り忘れていたのだという)
(それを聞いた時、愛娘が行方不明になったのにそれはないだろうと思いはしたが、実のところ私にも行方不明になっていた認識は特になかったので、互いに首を傾げるのみに終わった) (それから暫くの間、私はちょくちょく行方不明になるようになったらしい) (というのも、私にその自覚は無いし、どうやら両親も―そして周囲の人間誰もが、私が行方不明になっている間は私のことを忘れているらしいのだ) (数日間行方不明になり、ある日突然帰ってくる。その時になって初めて私の存在を思い出し、「あぁ、そういえば」なんて間の抜けた言葉を発するのが常だった) --
- (何とも不思議な現象に首を傾げるばかりだった日々。表向きは「またか」なんて茶化して笑って過ごしてはいた)
(しかしながら、数回目の行方不明の後、私はある可能性に思い至ってしまった)
―もし、行方不明から帰ってこられなかったら?
(誰もが私のことを忘れているのだというのなら、私が帰ってこなくても世界は何も変わらずに回り続けるのだろう) (学校の教師や友人、両親ですら「私」という存在がまるで最初からなかったかのように、いつものように平穏な日々を繰り返す) (私は文字通り「最初からいなかった」ことになってしまうのではないだろうか) (回転の悪いハズの自分の頭がこんな時に限ってよく回る) (朧気だった無意識の不安が、顕在化し、私の心に巣食った瞬間だった) --
- (一度心に根を張った不安の種は、みるみるうちに私の心身を蝕んでいった)
(いつ来るのか分からない意識と存在の消失に怯える日々。自身の存在を確かめるため、幾度となく誰彼構わず自分の名を、声を、届けるようになった) (それでも消失は訪れる。予告なく私は世界から消え失せ、ふとした瞬間に、本当に気まぐれに世界へと戻って来る) (あぁ良かった、まだ、まだ私は此処にいると。意識を取り戻す度に安堵と先の見えない恐怖の入り混じった涙を零す) (そんな生活に一筋の光明を見出したのは、とある退魔師との出会いだった―) --
- 続 --
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