華桌とその姫
 
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   地理   
 
 華桌(カタク)、またはカタクァは国名であり民族名でもある(以下カタクァ)
大陸中央山岳地帯(大爛帝国の南の奥地、東ローディアとの境の山脈付近)にある辺境の帝国領土。
 
 数千万年前、現在はローディアと爛帝国に分かれている大陸の西部と東部はそれぞれ
独立した大陸だった。プレートテクニクスにより二つの陸地が衝突した時、大陸中央
山脈が隆起し、現在よりも広大だった内海の一部も陸地へ押し上げられた。
 その結果、内海で生まれた海底の石灰岩層の上に固い大陸の岩盤が乗り上げ、長い
年月をかけて侵食の結果、峻険な山脈の間に抱かれるように広大なテーブルマウンテンを
有する独特の地形が生まれた。
 ジャングルの奥地に突然大地に屹立するテーブルマウンテン群は平均で標高1,500mを
超えて最大の物は頂上面積が四国ほどもある。
 テーブルマウンテンの上はコナン・ドイルの「失われた世界」に登場するような太古の
生物種を数多く残した神秘の世界であり。その象徴的なものは大陸中、ここだけに
生息する巨鳥「シャツァル」だ。
 テーブルマウンテンの麓は熱帯性のジャングルだが、頂上は高地であるため潅木の森や
草原の広がる比較的乾燥した寒冷な地域。
 
 大陸西側から東へ向けて吹く風が中央山脈を越えて吹きつけるため、非常に風が強い地域
でもある、この風のことをカタクァ人は「ラシャニタ」と呼ぶ。
 
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   歴史   
 
 現在は帝国領華桌と呼ばれる地、カタクァに人が住み始めたのはかなり古い時代で
数千年前の遺跡からカタクァの痕跡が見つかっているため、その発祥は大爛帝国の発祥よりも
さらに古いとされる。古代のカタクァ人は台地の麓に暮らす原始的な狩猟採集民だったと
その頃の遺物から推測されている。
 時代が下るとカタクァ人は南部の密林地帯で焼畑農業を行いながら複数のコロニーを定期的に
移動して暮らす原始的な農耕と狩猟採集を半々に行う民族へと変化していった。
 大爛帝国西侵の数百年前がカタクァの最盛期で、山を隔てた西側、統一王朝時代前夜の
ローディアから進んだ石工技術を取り入れ、台地上に壮麗な石造りの神殿や都市を作り上げた。
この技術的な躍進を支えたのは人を乗せて、山脈を飛び越えることができるシャツァルによる
所が大きい。もっとも技術を得られても物資の行き来はままならず、単純な石器や帝国北部の
ものに劣る骨器だけでカタクァ人が精巧な石造都市を作り上げられたことは大きな歴史的謎を
残している。
 この時代、治金技術も発達し比較的入手しやすかった金などの貴金属を持ちいた工芸品
等の製造も盛んになり。密林に点在する各コロニーと台地上都市とを結ぶ密林の街道も整備
され、より効率的に農業を行うために天候予測や暦も急速に発達、それらを遠く離れたコロニーへ
正確に伝えるため独自の文字も生まれ、浸透していった。
 しかし最盛期の頃でも古代以来の半農半狩猟に食糧生産を依存する生活様式は変わらず、
カタクァで大規模な灌漑設備を持った農園を作るようになるのはさらに後の時代、大爛帝国の
支配下に置かれるようになってからだ。

 古代のカタクァ人は知識の伝承にとても熱心で、文字が使われるようになると、
すぐにカタクァの様々な技術、学問、歴史、神話について記した総計数百巻に及ぶ大データベース
「ハチェコヴフ」(カタクァコデックス)が書かれた。その中には巨大石造都市の建造方法も
記されて居たとされる。

 古代世界において、東部の海岸線近くまで勢力範囲を広げたカタクァ人は大陸北東部の平原
に発祥した騎馬民族(後の大爛帝国)が南下してきた折。あっさりと南部山岳地帯に押し込め
られる事になる。
 水銀を積極利用できる化学技術を持った北部の民族は生物由来資源をより効率的に利用する
ことができ、単純な石器や脆いままの骨の道具しか持たなかったカタクァ人を圧倒した。
 元々南部山岳地帯は水銀量の少ない土壌だったことにこの現象は起因していると思われる。
カタクァ人は古くから獰猛な超大型猛禽類のシャツァルを飼い慣らすことに成功しながら、
帝国中に生息する他の巨大生物はもっぱらその死骸を利用するだけで、基本的に逃げ回り
ながら暮らして居た。
 これはカタクァ人が比較的安全な南部の密林から、巨大生物の闊歩する北部へと入植しよう
としなかった原因でもあり。北部原産の騎馬を駆り、数々の巨大生物を使役する侵略者の姿は
恐るべき脅威だった。

 首都「マクン・バシル」とその周辺の台地上都市まで押しやられたカタクァ人はやっと反撃
を開始する。切り立った断崖の上から飛び立つシャツァルによる空からの攻撃でなんとか敵の
侵攻を食い止めることに成功した。
 もっともこの時、侵略者達の狙いは南部の肥沃な農耕地帯と森林であり。そのついでに密林に
潜んでいた原住民を蹴散らしたに過ぎないため。目的のものを手に入れるとあっさり引き返して
行った。「攻め落とせるが特別欲しい土地でもない」という判断だったようだ。
 
 圧倒的な敵の侵略にからくも耐えたカタクァだったが。食料生産の大部分を密林のコロニーに
頼っていた台地上都市はやがて深刻な食糧生産不足に陥り。なんとか土地を取り返そうと
その後もたびたび衝突を繰り返すことになるが、常に圧倒的軍事力の前に失敗に終わっている。
 食料不足と戦争でカタクァ人の人口はこの時最盛期の20%ほどにまで減少した。
その後カタクァ人は今ある土地だけでなんとか生き残りを養おうと農業改革に着手。領土の
拡大期にあった侵略者達は他の地域での戦いも激化したことにより、台地上都市とその周辺
から出てこなくなったカタクァのことを放置するようになった。
 
 長く帝国領内に封じられながら自立を守ってきたカタクァが大爛帝国に臣下として下ったのは
天穣帝の先代皇帝の時代で、歴史の古い民族だが帝国内では比較的新参の部族となる。
 そのため、今でも帝国からの独立を望む声が強く、西侵の際の反乱へとつながっていく。
 
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   産業   
 
 台地上の都市部では山羊やヤク・リャマに似た家畜から取れる毛織物の加工品や貴金属
や宝石類の加工産業が盛ん。
 巨大な島ともいえる台地上でも農業が営まれ大麦や麓のジャングル原産のイモ、豆や
トウモロコシを中心に生産している。しかしカタクァの台所事情の半分以上を支えているのは
台地の麓にジャングルを切り開いて作った大規模な灌漑農園からの作物だ。長年狭い地域に
押し込められてきたカタクァ人は台地という限られた環境を彼らが信仰するシャツァルとも
共存するため。厳しい人口調整や都市計画に乗っ取って暮らしている。
 
 ちなみにカタクァ人は豆をよく食う。豆ペースト豆パン豆粥豆乳豆煮・・・時々トウモロコシ。
ありとあらゆる料理に豆が入っており、朝食に豆乳と豆ペースト、お昼は豆と肉とモツ入り
の煮物を辛しょっぱい豆ペーストをつけた野菜と一緒に、おやつに甘く煮た豆か揚げた豆の
スナックを食べて、もちろん油は豆由来、そして冷え込む夜は暖かい豆入り野菜スープや豆を
潰して固めてあげたフライド豆、時々魚や肉。そして豆からできた酒を飲むのだ。
 豆は巨大なシャツァルを飼育するときにも多いに用いられ。カタクァ人は豆を食って活動し
豆を食わせた鳥にのって空を舞うのである。ちなみに育てられる豆は主な種類だけで30を
下らない。その体は豆でできている。

 話しをカタクァの特産へ戻すと、主だった物は毛織物や貴金属加工品で、これらは非常に精巧な
技術によって作られ特産物としてかなり高い評価を持つ。鮮やかで複雑な柄模様を持つ毛織物は、
家畜の毛を鮮やかに染めて作られる毛糸が原材料で、その染色の技術は帝国全土で発達した
化学技術とも深い関わりを持つ。また厚みが髪の毛ほどに薄い金の板を使用した花飾りの工芸品
などもありカタクァ人の持つ高い工作技術を示している。 
 高い台地の上に都市を築いたカタクァ人は都市へ水を供給するために、古くから中央山脈を
超えて吹き付ける強風「ラシャニタ」を利用し石灰岩質で内部に多くの侵食空洞を持つ台地から
水をくみ上げる風車を用いていて、その風車建造のための石組み建造や部品加工などから派生
して、さまざまな工作を得意としている。
 
 長いこと南の僻地にひきこもっていたカタクァだが、天穣帝の先代の頃に正式に帝国領と
なってからは帝国式の学問、経済、文化を次々に取り入れ農業、工業を盛んにしていった。
 
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   文化・都市   
 
 長い間帝国の支配から外れていたカタクァには独自の文化や習慣が根強くのこっている。
大爛帝国内でも広く信仰されている天教を国教として定めているが、帝国内の天教とは大分
異なり、特殊な天教の1派あるいはまったく別の太陽信仰とされる事もある。
 別に帝国の天教と不仲だったりはしない。

 太陽を最高神として崇め、その周りを巡る星々も同時に信仰の対象とするカタクァの天教は、
人間は遥か昔に天の神々の世界から流れ星に乗って落ちて来た神々の末裔であるとし。
そのため、天から最初の人を乗せた星が降りてきたとされる日を基点に、その日からの日数を
数え続ける独特の暦を用いる。
 また天体観測の分野でも長い年月に渡る観測結果と数学を用いてかなりの精度で日食や月食など
に代表される天体現象の予測を行っていた。
 シャツァルの背に乗ることができるカタクァ人は自分達の暮らす大地が丸い球状をしている事も
かなり早い段階で気付いていたらしい。
 カタクァの天教では王が同時に最高の宗教的指導者も兼ねるが、王自身が神としてあがめ
られる事はなく、星々を見守り、民の祈りを代表する者という立ち位置になる。
天空が本当の故郷で、そこでは誰も彼も生命の源である太陽の下に平等に暮らすという
カタクァ人ならではの感覚が大きく関わった政治と宗教の関係だ。
 
 芸術・文学の分野でも独特なものが多く、特にカタクァ初期の遺跡からは古代統一王朝初期の様式を
持つ土器や装飾品の類なども発掘され、山を隔てたローディアとの関連も色濃く残る。
 音楽や物語、楽器類にも帝国内の他地域に比べ西側の影響を残しているとされるものが多い。
シャツァルと同じように空を飛ぶことのできる存在として、ドラゴンを題材にした絵画や芸術品も多く
散見できる。
 カタクァ人が南の僻地で高度な社会を築けた背景には西側古代世界の進んだ技術の影響が
あった。
 帝国との文化の差異として顕著なのは葬儀で。帝国内では忌避される火葬がカタクァでは一般的。
故人の魂を神々の世界であり、自分達の故郷である空へと煙に乗せて返す重要な作法であるとされ、
骨も丁寧に砕かれて高所より散骨される、そのためカタクァの都市には墓場が無い。
 この火葬に際して、故人がパートナーとしていたシャツァル共々火葬にするのが最上級の葬儀とされ、
鳥と人の死期が異なった場合、片方をミイラ化させて保存しておく事もされる。
 この風習が後に他地方に伝わった時「カタクァにはミイラの治める死者の国」があるという伝説が
生まれたりしたが、そのような事実は特にない。
 
 カタクァのテーブルマウンテンの林立する地形で、ある程度以上の大きさのある台地の上には
空中都市とも言われる荘厳な石造りの街が建造された。
 その中でも最大規模を誇るのが首都「マクン・バシル」だ。四国ほどもあるカタクァ最大の
テーブルマウンテンの南端に築かれたその街は、切り立った草原の端から中央山脈の山々が壁の
ように聳え立っているのを見なければ、そこが台地の上であることを忘れるほどに巨大で平坦な
大都市になっている。
 
 カタクァ最盛期に建造されたマクン・バシルの中央にそびえる、ほとんど塔のような急傾斜
を持つ巨石建造物がカタクァの太陽神を祭る神殿であり、王宮でもある。その名は首都と同じ
マクン・バシルで、本来マクン・バシルはこの巨石建造物の名称だった。
 高さ30m幅40m、使われている花崗岩の石材は大きなものでは数十tを超えると見られ、
それらを複雑な形に切り出して組み合わせ巨大建造物を形作っている。
 帝国中で飼育されている巨大生物をおよそ力仕事には向かないシャツァル以外家畜化できな
かったカタクァ人が人力だけでこの巨大建造物をどうやって作り上げたのかは大きな謎のままだ。
 
 マクン・バシルの正面には頂上部まで幅5mほどの巨大な溝があり背面まで貫通している。
巨大な見た目の割りに中は非常にシンプルな造りで、1階部分に20m四方、高さ8mほどの
大広間、2階部分は1階大広間より一回りちいさな部屋があり、3階から上は重量を軽減する
ための石組みの構造が頂上部まで続いている。
 王宮でもあるマクン・バシルだがその用途は主に宗教的な儀式や天体観測を行ったり、
重要な決定を下すための象徴的な建造物であったようだ。
 実際王族や貴族達の住まう場所はマクン・バシルを中心に広がる東京ドーム何個分だよ?
という大きさの広場をぐるりと囲むように作られた外苑部の建物だった。
 
 この巨石のモニュメントはカタクァ人が1年の始まりとした春分の日に真正面から太陽の光
を受け、広場にまっすぐな影を落とす。やがてその巨大な影の先端がマクン・バシル外縁広場の
西に建てられた太陽の神殿入り口と重なる時、巨大な縦の溝から差し込んだ陽光が太陽の神殿
最奥まで届く。内側を金の鏡と宝石で装飾された太陽の神殿はこのとき内部で複雑な
乱反射を起こしてまさに地上の太陽のごとく内側から光輝くという光景を見せてくれる。
 
 マクン・バシルとその円形広場の回りに王の館や役所が立てられているのと同じように、
カタクァの街もやはりそこを中心に放射状に広がっている。
 ただし、春分の日にマクン・バシルの影の頂点となる太陽の神殿から向こうには街は作られず
上空からみると南北に長く、中心角の広い扁平な扇形に見える。
 また東西方向に幅広で一直線な街道が走っており、その街の姿は彼らが太陽神と同じように信仰
する巨鳥シャツァルの羽を広げた姿を模したとも言われている。

 中心部には巨大な石材を惜しみなく使い、精緻な加工技術によって組まれた石造の街並みが広
がっているが。外側へいくと日干し煉瓦や小さな石を積んだ建物が目立つようになる。
 都市の外縁部は新しい時代のもので、中心はカタクァの最盛期に築かれたものだ。

 首都、マクン・バシルの郊外へ出ると、草原や潅木の森が広がる平原に小さな石材や日干し
煉瓦で作られた建物をメインとする農村が広がっている。
 また、台地のほぼ中央部に位置する水源に乏しい台地の上を潤してくれる湖の周辺には、
湖で取れる葦科の植物を建材として使用する人々の住む村がある。

 水源の乏しいカタクァ台地上都市でなぜ最大の水源地の近くに街が作られなかったかというと
その湖の周辺から北側半分が野生のシャツァル生息地だったからで。
 そして台地の上で不足しがちな物資を麓から補給するために、上り下りのしやすかった場所の
近くを首都に選んだという理由もある。
 
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   シャツァルとカタクァ人   
 
 巨鳥シャツァルとカタクァ人は非常に強い結びつきを持っている。その歴史は古く1,000年以上前には
すでにシャツァルの飼育と調教方法が確立されていた。
 
 シャツァルは帝国内で広く飼育される鵬と祖先を同じくする生物。鵬よりも大型で翼長は最大、
10mにも達する。また流線型の体つきをしていて、その首と後肢にも補助翼を持ち、非常に高い
飛行能力を有する。切り立った断崖や山の急斜面の上から飛び降りて中央山脈から吹く強い風に
乗り数km〜時に数十kmも飛翔することが可能だ。
 山岳で大型の草食獣を捕食する猛禽類なシャツァルは自分の体重よりも重い獲物を抱えたまま飛ぶ事
もでき、その強い足で獲物の首を蹴り折ったり、断崖や岩肌に獲物を落として仕留める狩をする。
 肉食傾向が強いが近縁種の鵬同様雑食にも強く、畑を襲うこともしばしばあり、カタクァ人
はシャツァル専用の畑を作るなどして共存を図っている。

 水銀に対する耐性は鵬ほどではなく、これはシャツァルが帝国中でも比較的水銀量の少ないカタクァ
の周辺にしか生息していない理由でもある。
空を飛ぶ事に特化したシャツァルは体内に重い水銀を溜め込まないように、糞として排出する機能を 
備えているが、鵬よりも未発達で単純な耐水銀の内臓機能は許容量以上の水銀を摂取した場合
容易に中毒に至ってしまう。日々伸びていく嘴や爪、または卵の殻に水銀を排出する事も
できるが鵬のように複雑な解毒機構は見られない。
 水銀に対する耐性は鵬が独自に進化の過程で獲得したというより。鵬とシャツァル、共通の
祖先から受け継いだ能力を鵬はさらに進化させ、シャツァルは退化させる方向に進んだという
説が一般的。分布域や生息数を見るに、鵬の取った生存戦略の方が種として優れていたようだ。
 
 カタクァ人にとって精神的な支えであり、かけがいの無いシャツァルはもちろんその羽の卵の殻など
も最高の装飾品として珍重される。肉を食べたり骨を使用したりするのは行われない。
というかシャツァルを食肉扱いした日には獰猛な猛禽類であるシャツァルをけし掛けられ、
逆に餌にされること受けあいである。

 なお羽を用いた品は髪飾りなどの装飾品のみならず衣服などもあり、特に通常は灰青色の羽毛
のシャツァルだが、まれに生まれる目の冴えるような青空の蒼色をした個体の羽は大変な
高級品で、大爛帝国皇帝への献上品となったこともある。
 
 カタクァ人は赤ん坊が生まれると同時期に孵ったシャツァルの雛と対にして育てる風習がある。
群れを作る習性のあるシャツァルは家族の結びつきが非常に強く、一緒に育った子やその家族に
とてもよく懐くためだ。
 シャツァルを育てるためには特別な資格が必要だが、これは一部の特権階級にのみ許されるものでは
なく、空へと人を乗せて飛ぶ事ができる精神的な重要性とそもそも数が少ないという物理的な希少性に
よる。「キチンと一生面倒見れる人しか育てちゃだめ!鳥だけに!(チキン)」
というわけだ。
 そのため、一つの村や隣近所で融通しあって、1羽のシャツァルを育てるという事もよくある。
その際も乗り手は一人に限定されるため、乗り手に選ばれることは非常に名誉となる。
 飼育するための卵を手に入れるには、すでに飼育されているシャツァルの卵を育てるか、野生の巣から
取ってくることになる。後者の方法はとても危険だが、飼育されているシャツァルの卵は当然貴重なので
手に入れにくさはどっこいどっこいであるため。卵泥棒は割りと頻繁に行われる。
 卵泥棒というと聞こえが悪いが、野生のシャツァルは子供が大人になるまでの期間、とても長く子育て
をし、その間卵を産むことは無い。そして一度に大抵2個、おおくとも3個より多くは決して生まず。
大人まで育つ雛は大抵1羽なので、人の手で育てて貰えることはシャツァルにとっても悪いことではない。
 しかしそんな人間の理屈は通じないので、シャツァルの餌になる卵ハンターの数もかなりいる。
 
 またシャツァルは軍事力としても使用される、峻険な断崖の林立するカタクァで頭上から攻撃できる
シャツァルはまさに脅威で、帝国の侵攻すらも長く阻んできた。
 もっとも、シャツァルの上から投げやりや弓矢で攻撃したり、たまに敵兵をその強靭な肢で蹴り飛ばす
等の原始的な方法が主だったため。巨鳥の攻撃がやばすぎるからというより、あんな僻地、苦労してまで
別に欲しくねぇなぁ…というのが帝国側の本音だったようだ。
 シャツァルが脅威の戦力として活躍するのは、時代が下って西侵時代。帝国式の火薬兵器や用兵術が
カタクァに取り入れられてからで、水銀濃度の関係でカタクァ以外で繁殖できない、平地からは飛び立て
ないと思われていたシャツァルがカタクァ以外の地でも増え、ある程度の傾斜があれば平地からでも飛び
てる事が分かったのも、帝国の進んだ養畜技術をカタクァ人が取り入れた結果であり。
 その結果カタクァの反乱の際、シャツァル部隊が戦場で大活躍することになるのはまさに歴史の皮肉。
 
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   飛爛あるいはシャンタクア   
 
  大爛帝国第63皇女「飛爛」(フェイラン)は無数に居る天穣帝の子供達の一人。
大爛帝国皇帝の血とカタクァ王族の血を両方引いている。数多くの国を併呑しながら勢力を拡大した帝国
にはよくある話で、似たような境遇を持つ異母兄弟・姉妹も多い。
 
 西侵の最中、カタクァの再興を掲げて東ローディアで反乱を起こすことになる彼女の曾祖父は
先代カタクァ王「シャグナ・カルパ」だ。彼はそれまで辺境地で細々と独立を保ってきたカタクァを
帝国領として天穣帝の父、先代皇帝に差し出した。その時一人娘のカタクァ王女「シャナムア」を人質
として先代皇帝に嫁がせている。
 シャナムアと先代皇帝との間には3人の娘が生まれた。その末娘「紗蒼爛」が飛爛の母だ。
紗蒼爛は大爛帝国宮廷に生まれ、幼少の頃一度、華桌となったカタクァへ戻っている。一説に
「ねぇ孫の顔みたいんじゃけど、お前娘婿だろ?3人こさえたんだから誰かこっち寄越してよ。
おじいちゃんだーいしゅきってされてぇんだよ!ねぇったらぁ!」
とシャグナ・カルパがしつこく要請を繰り返した結果、先代皇帝が根負けしたという話がある【要出展】
 
 その後、紗蒼爛は先代皇帝が崩御し天穣帝が皇帝の座につくとその妃として輿入れした。
ちなみに天穣帝と紗蒼爛は親子以上に年齢が離れているが大爛帝国宮廷では別段珍しい事ではない。
 こうして異母兄妹である二人の間に生まれた飛爛はある意味皇帝の血を濃く受け継いでいる。
 
 宮廷で半ば人質として幼少期を過ごした飛爛は策謀、謀殺の繰り返される宮中の人間関係から身を遠ざ
けて暮らして居た。というより下級官吏の制服を勝手に着込み、書庫に篭っているかさもなくば獣舎で
獣の世話を手伝っているかしていた彼女は皇女なのにただの下働きと間違われることもしばしば。
 ただでさえ辺境の新参部族の血を引くというだけで浮いているのに、その突飛な行動から。
完全にイカレてるか田舎の部族らしく政治に興味が無いらしいとの評価を受けた。
 この時、幼い飛爛の母や叔母達は、小柄で童顔なものが多いカタクァ人特有の見た目が受けて、
皇帝の愛玩人形として調教完了していたので、誰も飛爛の奇行をとがめるものは居なかった。
 だがこの奇行のおかげで、彼女は寄る辺の無い孤独な宮中でバカにされるか、相手にされない事で
激しい権力闘争から自身の身を守り、また帝国の基盤を成していた学問とくに養畜技術を身をもって
習得することができた。これは後の彼女にとって大きな意味をもった。

 飛爛が少女へと成長する頃、首都から離れた荒野に作られたカタクァ人の入植地で過ごす時間が
長くなる。莫大な土地使用料を皇帝に支払ったそこは表向き入植村だが、飛爛のためのシャツァルを
育てるための施設だった。飛爛の母親の時代には成功しなかったカタクァ以外でのシャツァル養殖技術は
この時ようやく成果を出し始めた。
 巨大な大爛帝国の首都を箱庭のように見下ろす、皇帝ですら見ることのできなかった景色を飛爛は
その心の内にしかと刻むことになる。

 やがて、享年112歳というアグレッシブジジイ、シャグナ・カルパが天へとその身を返す時が来て
「ワシの後釜ひ孫じゃないとだめだわー民衆暴動起こすわーかー!まじでおこすわー!」
とこれまたしつこく言いまくった結果、飛爛は華桌総督として任命されることになった。【要出展】
 見知らぬ故郷へと飛爛が帰郷した時、帝国に身売りしてでもカタクァの経済を立て直した先王
シャグナ・カルパの死を国民誰もが悲しみ、これからの不安に打ちひしがれていた。
 
 カタクァの民は顔すら知らない、帝国の血を引く王女を迎えるため、粛々とマクン・バシルの広場の
前で出迎えの式典会場設営していた。
 そこへ突然、愛用の騎鳥「ココロア」に乗って、カタクァ赴任の隊列から先行した飛爛が降り立つ
並みのシャツァルより2回りも大きく、空から染み出したような蒼色の羽を持つココロアにまず人々は
驚いた。そして
「今日から私がお前らの女王様だかんな!文句あるやつぁかかってこいやー!」(意訳)
と誰に憚ることなく、ためらわず華桌総督ではなくカタクァ王を名乗った飛爛の姿に、
あ、まちがいねぇこいつ先王のひ孫だ!と誰もが確信し歓喜したという。
 
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   反乱への経緯   
 
 帝国へ土地を奪われて追いやられ、長く不遇を囲っていたカタクァ人が、西侵の直接的原因となる帝国
各地で起きた凶作、水銀災害に際して、他の反乱都市と呼応して帝国に反撃しないはずがなかった。
 しかし飛爛は決してその反乱の波に乗ろうとはしなかった。大爛帝国について爛国人よりも多くを学んだ
彼女は、この程度の動乱では帝国は揺るがないと分かっていたのだ。
 故に帝国皇女として、反乱勢力の征伐に出ることになる。この時初めて帝国とカタクァ伝統をミックス
した騎獣調教法と火薬兵器によって武装したシャツァルの飛行部隊が戦場に現れた。
 黄金暦223年、南部粛清の勅命の際、敵兵2,000(うち300は騎獣部隊)を相手に
わずか90騎の巨鳥部隊が真正面から急襲、小1時間もたたないうちに敵軍を潰走させる結果となった。
もっともすべてをシャツァル部隊が倒したわけではない。頭上からの爆撃と煙幕で相手の足を止め、
敵射手が狙いを外した隙に逆に煙幕の中に向けて弓を射れば当たる味方射手の矢が殺到。
その後騎馬隊が突進し、分断した敵をさらにシャツァル部隊が追撃し敵を散り散りにさせたという。
 
 勅命に従い征伐に参加する傍ら、飛爛は曾祖父が数十年前から用意していた大規模な開墾地へと
街を追われた難民を受け入れていく。元来水銀の少ないカタクァは水銀害の影響を受けにくかったのも
幸いした。
 こうして受け入れた様々な都市国家の難民は技能のある者は特別に選ばれ、山を越えて東ローディアへと
連れていき、カタクァの新たな拠点作りの人材とした。

 先王シャグナ・カルパの時代、帝国の臣下となった時から延々と反乱の計画は進められていた。
完全に帝国に封じられたカタクァの地の他に、西側に新たなカタクァをつくり移り住もうとしていたのだ。
そして西側世界を基盤として帝国へ対抗し、都市国家郡の独立を促し帝国を崩壊させようという
すさまじく遠大な計画だった。
 帝国内で動乱が起こり始め、現皇帝がかなりの高齢の今はまさに絶好の機会であり、大西侵が行われる
いう情報もさらに有利なものとして受け止められた。
 故に飛爛は皇帝が死ぬまで只管従順な振りをしてその翼を臥していたのだ。
そして時代は歴史的大戦乱、大爛帝国西侵の時代へと突入してゆく。
 
 数十年かけて練られたカタクァの反乱計画、だが事は計画通りには行かなかった。
原因は反乱のための人手として集めた難民だった。反逆を起こした者の縁者でもまともに受け入れてくれる
というカタクァめがけて難民が殺到カタクァ本拠地が定員オーバー状態になってしまったのだ。
 飛爛女王を救民の女神として崇める難民すら居て。いまさら「帰って」なんて言ったら掌返して暴動起こ
されかれなかった。飢えたものの怖さはカタクァ人自らが一番よく知っていた。
 
 そんな折、ついに東ローディアの新たな居住地でシャツァルの雛を孵す事に成功。西部戦線の膠着により
囲っていた難民をローディアの地で手に入れた都市の労働力として移せる目処もつく。
 そして、神国アルメナとの秘密の取引を行い、帝国を撤退させた後は東ローディアの地にカタクァ
の自治領を認めるという約束を取り付けることに成功した。
 飛爛自身は今だ時期ではないと部下達をなだめていたが。それも限界に達し。
黄金暦226年帝国が南部戦線を放棄すると同時に飛爛はカタクァ女王「シャンタクア」と名を改め、
東ローディアの地で帝国に反旗を翻すに至った。
 
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   要点   
 
・大爛帝国第63王女、飛爛はかつて帝国に領土を追われた古代王国カタクァ王の血を引く。
・カタクァは帝国南部、中央山脈のあたりにある台地上都市。特産は人が乗れる巨大ヒリ
・飛爛は西侵終盤で帝国を裏切る。
 
■戻る
 
   飛爛人物録   

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Last-modified: 2012-07-16 Mon 04:30:58 JST (3357d)