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- 第21回
・・・・・
どれだけ時間が経ったのだろうか?すっかり辺りは暗くなってしまった
ウェルミエルが意識を失ってから、途方もなく時間が流れていったように感じる
長い長い空の果て、ようやく夜闇に輝く街の光が見えた
「ルミエ、街だ、街が見えたぞ!」
腕の中のウェルミエルを揺すり、起こそうとするが、全く反応が無い
身体はもう機能を停止して、魂が霧散してしまったのではないか……そんな不安に駆られる
ウェルミエルは性質上、魂の修復が出来ない可能性が高い
私のこの能力を使ってもおそらく上手く戻らないだろう
だから、ここで息を絶えさせる訳にはいかないのだ
恐る恐る頬をウェルミエルの口元に近づけて呼吸を確認する
「まだ息はあるみたいだな……良かった……」
兎に角家へ急ぐことにする。私たちの家は町外れにある
街の東、太陽の出る方向。ここからだと街を横断して逆方向まで飛ぶことになる
眼下に見える街の灯が勢い良く流れていく
歩けば結構長い距離があるが、空を飛んでしまえばひとっ飛びだ
「よし、着いた……!」
ようやく地上に降り立つ。久々の地面と抱えている重さで脚がもつれてたたらを踏む
それでもなんとか家の扉を開けて部屋へ辿り着き、ウェルミエルをベッドに寝かせる
まだ、微弱ながら生きている。しかしそれも今にも消え入りそうなほどか細い
「ルミエ……今治してやるからな。ちょっとだけ待ってろよ」
服を脱いで先に自分の身体に薬を塗りたくる。これで自分の方はもう怪我具合の心配はいらないだろう
「さて。……うー、あー、すまないルミエ、ちょっと服を取るぞ」
恥ずかしがっている場合ではないが、やはり他人の服を脱がすというのは抵抗がある
濡らしたタオルで全身を綺麗に拭きとってから、薬を塗っていく
勿論これだけでは薬は効かない。あとはそう、自分の頑張り次第
残った力全てを総動員して、ウェルミエルを助けるだけだ
自らも布団に横たわり、寄り添うように抱きしめる
意識を集中させウェルミエルを包み込む。自分達を中心とした世界を収縮するイメージ
「……どうだルミエ?身体は良くなってきたか?」
頬をそっと撫でる。怪我が治ってくればじきに目を覚ます筈だ
……確かに表面の小さな擦り傷や切り傷は治り、思惑通りだった筈なのだが
「あ、あれ?脚の方が全然治らないぞ……?それに目覚めてもくれない……なんでだ?ルミエ、ルミエ?
もっと、もっと近寄った方がいいかな、そうだ、私も服を脱いで……これならいけるだろ?な?」
強く強く抱きしめ、肌を密着させて再び集中する。これで二人の間には何の障害もなく、より効果的に治療ができる
……しかし何も状況は変わらない。それどころか突然ガクンと体中の力が抜けてしまう
どっと身体から冷や汗が吹き出す。これは天使の力の源である天力が枯渇したという身体からの警告
これ以上身体を休めずに何かをしようとすると、最悪命を失うことにもなる
「そんな……私の方が先に力尽きるなんて……こんなところで……もうダメなのか……?」
助けられない。大切なモノが胸の中で喪失していく感覚。初めて出会ったあの時のように
あの時は力が足りなかった。でも、今は力があるのに助けれられない
例えようのない絶望感。真っ青に血の気が引き、希望の光の消えた瞳からとめどなく涙が零れ落ちる
「ずっと……ずっと一緒に居れると思ったのに、私のせいで、こんな別れ方をするなんて嫌だ
ひっく……嫌だよぅ……なぁルミエ……目を覚ましてくれよ……お願いだから……」
すがりつくように泣きついても誰も応えてくれない
お願い……『お願い』。頭の中を自分の言葉が響き渡る
もしも、このウェルミエルに目を覚まして欲しいという『お願い』が叶うとしたら、どう叶うのか
困難な壁にぶつかった時、一般的な人間なら神様に願い、すがるだろう。普通は神様が見えないからこそだ
さて神様に頼ることが出来ないとわかっている天使、確実に目の前の現実が見えてしまっている天使は
―即ち自分はどうするか
しばしの間泣きじゃくった後、瞼をぎゅっと閉じて涙を切る。思考をポジティブに、心を前を向けて
「そうだな……神頼みも無理。自然回復はありえない…とすると
それじゃ、奇跡にでも頼ろうか。……愛の天使らしく、愛の奇跡にさ
愛ってのはあれだろ?自己犠牲とか、献身とか……。うん、まだ私は生きている。やれることは、ある」
要は天力が尽きて足りないだけなら、命を削ればまだやれるってことだろう?実に愛天使らしい
「あー……こほん。ルミエ、私はルミエが好きだ。世界で一番愛してる。ずっと、ずっと一緒だよ
もし途中で力尽きて二人共死んじゃったら……それはそれで、いいことにしよう。へへへ
ルミエを一人で逝かせたりはしないよ」
手足の末端から、甘い痺れと共に感覚が消えて行く。崩れ行く命とは逆に、表情は吹っ切ったように微笑みをたたえていた
- 第20回
完全に虚をつかれた飛竜の背中に、聖剣が突き刺さる
上体を逸らすようにもがき、断末魔の咆哮。振り落とされたエリシエルはなんとか受身をとって転がる
「あいたたー……へへ、見たか飛竜、私だってやるときはやるんだ」
倒れ伏した飛竜を眺めて束の間の達成感に浸るが、すぐに大切なことを思い出して駆け出す
「ルミエッ!大丈夫か!!」
飛竜の陰に倒れているウェルミエル
千切れた左脚からの出血が酷い
「……リーシェ……無事で良かった」
途切れそうな声で答えるウェルミエルを、思わず強く抱きしめる
「ごめんな……私のせいでごめんな……。そうだ、薬、薬は持っているか?」
「少しだけなら……。私も家に帰った後、着の身着のままで出てきたから」
ポケットに入っていた薬を見ると、確かに少ない。これだけでは脚を治すことなど到底できない
「どうする……?!足りない……家に帰れれば……でも、遠い……どうすれば……どうすれば……」
「リーシェが使って。私は、いいから」
出来るわけ無いだろ!!そう叫ぼうとして一つだけ思い付く
「そうだ、ルミエの出血を止めて…‥それから私の怪我をできるだけ治して、ルミエを運んで飛べばいいんだ……!
うん、出来る。それならいけるぞ……!ルミエ、今血を止めてやるからな!」
先ず自分の怪我に薬を塗りこむ、必要分を残して冷静に
これを達成するには先ず自分の体が必要なだけ動かせるようになることが必要だ
次にウェルミエルの脚に薬をつける。ただ、ウェルミエルのスキルの影響で、薬は効かない
それをいつものようにこちらのスキル中和する。視界が一瞬ぐらりと歪む。しかしここで倒れるわけにはいかない
「なん……とか、止血はできたな……それじゃ、行くぞ」
最初の関門は突破した。あとは家に戻って薬で治療をするだけだ
転がっていた脚を拾い上げ、ウェルミエルと一緒に抱え込む
薬さえあれば無くなった脚も生えるには生えるが、やはり繋いだ方が遥かに治りが早い
「さぁルミエ、しっかり私に掴まって。なぁに、すぐに着くさ」
……とは言ったものの、今の体力では半日どころかもっとかかるだろう。予想時間は8時間程
おおよそ1日潰れてしまったという感覚の長さ。今は途方もなく長く感じる
それまでウェルミエルの身体が持つか……いくら天使が丈夫にできてるといえども、正直かなり苦しい
「リーシェ……無理しないで」
「……ッ行くぞっ!」
弱い考えは捨てて飛び立つ。今できることは一刻も早く家までたどり着くことだ
・・・・・
長い間無言で空を飛んでいたが、不意にウェルミエルが口を開く
「ねぇリーシェ……何かお話をして」
「ん、どうしたんだ?ゆっくり寝てていいんだぞ」
「いいの。リーシェの声が聞きたい」
ウェルミエルの苦しさを慮ると、胸が絞められるように辛い
ならばせめて気を紛らわすようなことを。何かあるだろうか
「そっか……それじゃ、何を話そうかな……うーん…………
あー、この前さ、月見の晩にルミエが私のことをお日様って言ってくれたよな」
「うん」
月夜の晩の話。嬉しかったけど、伝えられなかったこと
「でもあれな、私から見たら逆だったんだ」
「どういうこと?」
「私はルミエに会う前、太陽なんてとんでもない、塞ぎがちな子だったんだ
自分に与えられた、何が出来るかもよくわからない大きすぎる力。皆そればっかりみて、私のことを見てくれない
難しく考えすぎて友達もいない。姉ちゃんは仕事ばかりで遊んでくれない」
「そうだったの……でも、今のリーシェは明るいわ」
「ははは、そうだな。転機は突然訪れた。初めて出会った時のこと
私はルミエを助けたい。護りたい。その為にこの力を使いたい……これからずっと
そう思うようになってから、誇らしく胸を張って明るく生きれるようになった
……そう、ルミエの存在が私の世界を照らして、朝を呼んでくれたんだ」
「あの時のこと……今でも覚えてる。それから少しの間、離れ離れになってたけど、また巡り会えたの
……リーシェったら、私が怪我をしたらすぐに飛んできてくれて……私は護ってもらってばっかりだった」
「へへへ、ルミエは結構危なっかしいからな。学校の用具の山が崩れた時も、老朽化した屋根が落ちてきたときも
誰かを庇って大怪我して……私は結構ハラハラしてたんだぞ?怪我治しにくい体質なのにちょくちょくそんなことが起きて」
「それはえっとね……時々あるの。これから起きる出来事が、ふと頭の中に浮かんで
それがとてもリアリティがあって……助けなきゃ、こんな所でその子の運命を終わらせたくないって思って
今日もそう。家についたらリーシェのことが見えて、居ても立っても居られずに、気づいたら飛び出していたの」
「へー、不思議なこともあるもんだなぁ。そのおかげで私は助かったんだけど」
とはいえウェルミエルにそんな未来予知じみたスキルは無い筈だ
そもそもこの異能とも呼べるほどの状態異常無効化スキルだけでも相当容量の使用量が多い
ウェルミエルの感情が薄いのは、天使1人の容量に対してスキルの領域使用量が多いことにも一因がある
「今回も間に合って良かった」
「でも、ごめんな。私がルミエを守る!とか決意しておいてこんなことになっちゃって……
あとはそうだな、他に白状することといえば、実は地上に一人降りるように命ぜられた時
ルミエのこと、いつも近くで見守ってたいから、離れたくないから
神様に頼んでルミエを守護天使として同行させて貰えるよう頼んだんだ
えと、その……迷惑だったか……?」
「ううん、迷惑だなんてそんなことない
私はあの時からずっと願い続けていたように、こうして、リーシェを……
命にかえても……守ることが……できたか……ら……嬉し…………」
「へへ、良かった。もし迷惑って思われてたらどうしようかと……ルミエ……?
おい、ルミエ!くそっ!急がなきゃ……早くしないと……!
待ってろよルミエ!私が……私が絶対に治してやるから!」
早くしないと大切な相手を失ってしまう
最悪の焦燥感に襲われながら街を目指し、ただひたすらに風を切った
- 第19回
しくじった
いつものように魔物退治に来たのはいいけれど、まさか飛竜種の末裔が居たとは
「こりゃ参ったな……もう皆逃げちゃったし、私も怪我だらけで飛んで振りきれる気もしない
薬も持ってきた分は尽きた。……説明台詞っぽい現状確認お終い
絶好調なら街まで半日とかからないんだけどなぁ……」
岩陰に隠れて飛竜の様子を見る。上空を旋回しては餌が居ないかを注意深く見回している
「はぁ、隠れててもいずれ見つかりそうだし、じり貧だナ……」
普通の人間と違って、身体が動かなくなればすぐに魂が離れるという作りではないので、
食べられて磨り潰されて溶かされたら魂もどうなるかは保証できない
かと言って魂だけ身体を離れて無防備になるのもまた、同等の危険度をはらんでいると言える
「はぁぁ……」
大きくため息をついて、下を見た途端に目の前に影がさす
上空から飛竜が襲ってきたことによるものだと気づくまでに数瞬、反応が遅れて
「あ……」
大きく、鋭い爪が襲いかかる。エリシエルは動けないでいた
ザシュッ
肉を切り裂く嫌な音が辺りに響く。吹き出した鮮血が地面を赤く染めた
「……いててて……あれ?」
その場で引き裂かれたと思っていたが、意外なことに先ほどの場所から少し横に自分は転がっている
「え、なんで?生きてる……?」
自分が元いた場所を見ると、飛竜が何かと対峙している。視線を少し下げると
見覚えのある、小さな背中が立ちはだかっていたのが見えた
「ル……ミエ……?なんで……」
「胸騒ぎがしたの」
振り向かずに答えるウェルミエル
どうやら自分はウェルミエルに突き飛ばされて難を逃れたらしい
しかし、その後姿をよく見ると……片翼が大きく削れている上に、左脚が、無い
ぼたぼたと音をたてて零れ落ちる赤い雫が痛々しく、思わず目を背けたくなる
「ルミエ……!いくらルミエでもそんな身体じゃ無理だよ!私はいいから、街に戻ってくれ!」
搾り出すように悲痛な声をあげる
自分のために来てくれたという嬉しさ。それにも増して感じる、大切な人が自分のために傷ついているという苦しさ
胸が張り裂けそうで、涙が止まらない
ウェルミエルはそっと首を横に振る
「貴女は私が守るから」
「でも、脚が……羽が……そんな……」
「大丈夫、痛くない。それよりも嬉しいの。だって、リーシェを守って戦えるんだから」
聖剣を抜き、残された脚で大地を蹴り飛竜へと跳ぶ白き天使
見ているだけしかできない歯がゆさが、時を遅く感じさせる
互いの武器を交えるたびに、2つの命が削り合われていく
左脚のハンディが大きくウェルミエルの身体を蝕んでいる
「私は……何も出来ないっていうのか……?ルミエが私の為に戦ってくれているっていうのに
動けよ、一番大切な人のために、今動かないで、私は何のために生きているっていうんだ……!」
自分が生きる為に動くよりも、こんなにも力が湧いてくる
自分だって、大切な人を守る為に生きてきたんだから……
「ぅわぁぁぁぁっ!!」
背を向けていた飛竜に、無我夢中で飛びかかった
- 第18回
月の綺麗な夜には、二人で近所の草原に散歩へ行く
「お月様、真ん丸でとても綺麗」
「そうだな、青白い月光が辺りを包み込んで、幻想的な雰囲気だ」
穏やかにそよぐ風が、さらさらと優しく草原を撫でる
川沿いの土手に腰を下ろして、寄り添うように夜空を見上げた
ウェルミエルはじぃ、と月を眺めている
エリシエルは、そんな月影に白く照らされた、ウェルミエルの横顔を横目で眺めていた
二人を緩やかな時間が包みこむ。このままここにいれば、月夜に溶け込んでしまいそうな気さえした
「ねぇ、リーシェ」
「……どうした、ルミエ?」
「月に、行ってみたい」
予想外の発言に、少々驚いた
「そりゃまた、どうしてだ?月の女神様に会いに行ってみたいとかか?」
「ううん、お月様から、お日様を見てみたいの」
「……お日様なら、この地上からだって見れるじゃないか?」
首をふるふると横に振る
「お月様からお日様を見れば、お日様に照らされて輝いてるお月様の気持ちが解るかもしれない
そうすれば、もしかして私もお月様みたいに輝けて……誰かを照らしてあげることができるかもって……」
「お日様……なぁ?」
「貴女よ、リーシェ」
「エッ」
「明るい笑顔と、暖かい心で皆を照らして……私も貴女の暖かさに何度救われたか、数え切れないから」
「えー、へへへ、照れるなぁ」
真っ赤に染まった頬を月あかりが白く照らして
「いつか一緒に月へ行けたらいいな。私達の力じゃまだまだ足りないけど、もっと成長したら、きっと行けるさ」
「うん。楽しみにしてる」
遥か空に輝く月。その光は二人を行く先を祝福するように優しく包んでくれていた
- 第17回
陽気の良い、晴れた昼下がり
私は街を特に理由もなく散策していた
本来、常にリーシェの傍らに居てその身を護衛するべきなのだけど、本人が平和だから自由にしてていいと言う
今日はいい天気だから散歩でもしてくると良いと言って送り出された
どうせなら二人一緒に出かければ良かったと思うんだけど
商店街へ行く途中の公園に差し掛かる。いつもは子供達で賑わっている公園も、不思議と今日は静かだった
私はそんな雰囲気に呼ばれたような気がして公園に立ち寄る
辺りを見回すと、一人ブランコで佇んでいる男の子が居た
まるでそこの周囲だけ天気が曇りかと思うほど、どんよりと沈んだ空気。今にも泣き出してしまいそうな顔をしている
声をかけるべきか躊躇する
私も天使だけど、リーシェのように人の悩みを聞いたり、力になる自信はない
他人の悩みを、感情を理解できるとは思えない
それでも―このまま放っておいて、立ち去るなんて出来なかった
頭の中で、話しかける言葉を何度か反芻してから思い切って
「ねぇ、君。何か悩みとか……えと、どうしたの」
案の定言葉に詰まってしまった。きょとんとした表情で私を見上げる男の子
「……天使様?」
そういえば、この子は見たことがある。いつも公園で元気に走り回ってる子の一人だ
「そう、一応天使、だけど……。落ち込んでるみたいだけど、どうかしたの」
「……うん、えとね」
……話によると、この子は家で遊んでいたときに、父親が大切にしていた置物を落として壊してしまったらしい
謝りたいとは思っているものの、怒られるのが怖くて、こうして踏ん切りがつかずに悩んでいたようだ
「それでも、やっぱり悪いことをしたと思ったら謝らなきゃいけないわ」
「それは、それは解ってるよ。解ってるんだけど……でも……」
「……お姉ちゃんも一緒に謝りに行ってあげるから、ね?」
自分の口から、自分をお姉ちゃんと呼称する。私らしくもない
「……うん」
・・・・・
男の子に連れられて来たこの家は、以前チョコのお返しの時に来たような
……呼び鈴を鳴らすと背の高い男性が出てくる。やはり面識がある人だった
男性は私の姿を見た後、男の子―つまり息子の姿をみとめると、一瞬考えるような顔をした後状況を理解したようだ
「……ほら、勇気を、出して」
私の後ろに半分ほど隠れている男の子を促す
「……えと……あの、父さん……僕が……その、ごめんなさい!」
ぎゅっと目を閉じて頭を下げる。言い切った後は反応があるまで俯いてふるふると震えている
父親は一呼吸置いた後、息子に声をかけた
「こらっ!」
男の子はびくり、と肩をすくめた後、目が涙ぐむ
「どうして、怒られるか。解るな?」
父親の問にこくりこくりと男の子は頷く
「私が部屋で飛び回って遊んではいけないと言ったな。禁止されている物事には、必ずそれなりの理由がある
今回のことでそれがよく解っただろう。次からは、どんなことでも自分の行動がどんな結果を生むか、よく考えてから動くんだ」
「……ひっくっ……うん……わか…ひくっ…たよ……父さん……」
「今回は素直に謝りに来たから、これで許そう。置物も、お前が成長してくれると思えば惜しくはないさ」
父親がそう言って息子の頭を撫でている。良かった、どうやらこの話は解決したようだ
私も、一緒に来ただけだったけど、役に立てたのだろうか
「天使様、貴女のお陰でうちの息子が勇気を出すことができたようです
この様子なら、息子も真っ直ぐに育ってくれるでしょう。重ね重ねお礼を申し上げます」
「いえ、私は特にそんな、たいしたことは何も……」
涙を拭いながら、男の子が私の所へ駆け寄ってくる
「ありがとうお姉ちゃん。お礼に僕、将来お姉ちゃんのお婿さんになる!」
お礼だなんてそんな……え?
「えと……ごめんなさい、私は天使で、君は人だから」
「やだー!お姉ちゃんがお嫁さんがいいー!人と天使は無理なの?」
「無理……じゃ、ないとは思うけど、私には、守らなきゃいけない相手と、役目が……」
「はっはっはっ、あまり無理を言うものじゃないぞ息子よ。男は引き際が肝心だ」
「アンタが言うか!!あ、こんにちは〜天使様。息子がお世話になったみたいですねー」
奥さんが玄関から出てきた。どう収集をつけよう……
「私は無理だけど……貴方ならきっと、いい相手がみつかると思うから、真っ直ぐに生きて」
「真っ直ぐ生きれば天使様がお嫁さんに来てくれるの?解った!」
違う、そうじゃない。けど……それで、いいことにしておこう
「えっと、そう言えば名前、お互いに知らなかった。私はウェルミエル。君は」
「僕はクウロ。クウロ=セイランだよ、よろしくね、えっとウェル様!」
小さな手と握手する。すっかり元気になったようで良かった
「これをお守りに、あげる」
一枚羽を抜いて渡す。天使がよく用いるお守り代わり。法術の媒介や魔除け等に用いられることもある物だ
「ありがとうウェル様!大事にする。えへへ」
「わざわざありがとうございます天使さま。良かったな、あとで持ち歩けるようにストラップにしてあげよう」
「それじゃ、また会いましょう。クウロ君も元気で」
「うん!またねウェル様!僕まっすぐ生きるよ!約束だから!」
・・・・・
「なー、ルミエ。なにか良いことでもあったのか?どことなく嬉しそうに見えるよ」
「……そう?……そうかも、しれない」
「何があったんだー?私にも聞かせてくれよー」
私でも、変わっていける気がする。ほんの少しずつでも。それが、とても嬉しくて
- 第16回
コンコンコンコンコン
扉を忙しくノックする音が、天使ハウスに響き渡る
誰か急用だろうかと、扉を開けて
「は
「えーーりちーーーーーーーっ!!!!!」
ガバッ!と突然抱きつかれて、尻餅をつく
視界の端に見えるのは、キラキラ輝く金色の髪と、白い服に……白い翼
「あっれー?えりちー少し小さくなった?なんか胸に当たるばいんぼいんな感触も減ったようなー」
もそもそと身体をまさぐられる、やや小さめの天使
「だ……誰だ、まさか今の声は。うげ、ぱちこ……?おいなにやってんだルミエから離れろよー!」
奥から嫌そうな顔をして出てくるエリシエル。疑惑に満ちた表情は確信に変わる
「おおー、やっほーえりちー♪あっれ?んじゃこれは誰かな?」
ようやく抱きつきから解放されるウェルミエル
「あの、どちら様でしょうか」
「私?私はパティ。ぱちこって呼んでいいよー?君は?」
パティと名乗る天使。ショートカットに煌めく金髪、明るく快活そうな女性型の天使だ
「私は、ウェルミエルです」
「ふーん、うーん、聞いたことがあるようなー。あ、えりちー喉乾いたお茶―」
「ってかお前なんで地上に居るんだ?つかお前卒業する前にいなくなっただろ?
てかパティじゃなくてパティエルだろ?っつかお茶ーじゃねえよ!!!ツッコミどころ多すぎだろ!」
「ふふーん、それはですねー。天界を抜けだして人間界に遊びに来たらどうやら堕天扱いされてるらしいので
神号のエルを抜いて自称しているのだ。偉くない?」
「え、バカじゃないの?」
「あ、お茶なら私が」
「だって天界とかなんか落ち着きすぎてつまんないしー、空を自由に飛びたいしー?
だいじょぶだいじょぶ、あ、おかまいなく。えりちーならきっと淹れてくれるって信じてるから(キラキラ)」
「せめて卒業してからにしろよ!ったくしょーがねーナー……」
渋々とお茶を淹れに行くエリシエル。取り残されたウェルミエル
「へへへ、二人っきりだね。でさー、君があの、えりちーがよく話してたルミエって子でいいの?」
「うん。……リーシェが私のことを?」
「そうそう、耳にタコが出来るほど聞いてさー。たまに君が怪我をしたって伝わってくると
えりちー血相を変えて飛んでったし。二人はどんな関係?えりちーのことどう思ってるの?ラブラブ?」
「私はリーシェとは小さい頃からの知り合いで、護天使として一緒に地上に降りてきて……
ラブラブ?かは解らないけど、命に換えても護りたいと思う。大切な、ヒト。」
「ふぅーん、護天使かー。私がお守りします!(シャキーン)みたいな?
大切なヒト!ひゅーっ、熱いねぇー。思った以上にラブラブじゃん?
でも命に換えてってのはなー、きっとえりちーは喜ばないと思うよ?」
喜ばないと言われてきょとんとする。自分のこの思いを、リーシェは喜ばしく思ってくれない、と。言葉が詰まる
「…………それって、どういう……」
搾り出すように尋ね返しかけたところでエリシエルが戻ってくる
「おーい、お茶淹れてきたぞー、ありがたく飲むがいいんだナ。ん?なんの話してたんだ二人して」
「なんでもないよー」
「……」
「ん?どうしたルミエ、ぱちこにセクハラでもされたか?」
「ううん、大丈夫」
…………しばらくの間、いろんな話をした。学校での話、小さい頃の話、ここに来てからの話
何度目か飲み終わったティーカップを机に置くと、パティはソファからすっと立ち上がり
「さてと、そろそろ帰ろっかな、あー、でもえりちーの護天使になればまともな天使として地上に居られるのかな?
へへへー、いっそ私も護天使やっちゃおっかなー」
「まずは、せ・め・て卒業してから言えよナ。きっと今からもどっても神様なら多少は多めに見てくれるんじゃないか?」
「んー、ま、気が向いたらね。お守りっていって天使の羽根を売ったりするとお金にもこまんないし、居心地いいし人間界」
「ま、ぱちこがいいんならいいけどな。達者でな」
「うん、じゃーねー。ウェルちゃんもまたねー♪」
「……あの」
「ウェルちゃん、きっと私の言ったことの意味はいずれ解るよ。無責任なようだけど、多分ね」
笑顔で返し、夕焼けの中に駈け出して、手を振りながらパティは飛び立っていった
「……なんだアイツ?ルミエ、なんか言われたのか?」
「……ううん、なんでも、ないの」
小さくなっていく背中を見送りながら、パティに言われたことが頭の中をぐるぐると回って
その意味は、どんなに考えても答えは見つからず。静寂で揺るぐ事のなかった心に、大きく波を立てたように思えた
- 第15回
ぺたり
柄だけの剣が私の脇腹に当たる
「リーシェ、真剣にやらなくちゃだめよ」
「うぅー……そうは言えどもなぁ」
私は今ルミエのと鍛錬として立会いをしている
酒の席で約束したことをどうやらキッチリ覚えていたらしい
……変なことをしなくて良かったと今更ながらに冷や汗をかく
実力差は明白だから、向かっていっても当然軽くいなされてしまうんだけど
まぁ、鍛錬をして、私が強くなればルミエの危険が減るってことは解ってる
解ってたし、いずれ鍛えようとは思ってた。思ってたんだ
よし、ここは一ついい機会だと思ってがんばっちゃおうか!
「……とは言えども、こう、ルミエを敵にまわすのもなぁ」
「緊張感、足りない?」
魔物とかは敵意を持って襲ってくる。その空気の中では真剣に戦えるけど、いかんせん私はこういう立会いは苦手だ
「そう、解った。じゃあ、集中できるようにする」
どうするのだろうか、ま、まさか刀身ありで、とか?それはちょっと危ないよルミエ
そんなルミエを見ていると、そっと目を閉じた。次に瞼が開いた時、私を見据えて……
ぞわり
「死」。普段お花畑とも思えるような私の頭の中が一瞬その一文字で染められた
闘気、殺気。普段は外に出さずに隠して闘うモノが、今私に直接向けられている
一流の剣客はその殺気だけで人を気絶させられるというが、ルミエのそれも強烈に私に作用してくる
動悸が早くなる
(押し潰されそうな重圧に)
呼吸が苦しい
(胸が強く絞めつけられて)
胃が熱くなる
(沸き立つように)
身体がガタガタと震える
(感覚が蝕まれていく)
(あれ?なんだこれ、なんだこれ)
喉を空気がヒューヒュー通る音が頭に響く
強烈な吐き気を催す
汗が吹き出してくる
極寒の吹雪に曝されているように寒い
灼熱の砂漠で熱されているように熱い
どろりと身体を包みこむように粘りつく
(……おかしいな……今日は冬にしては暖かい陽気だと思ったんだけど)
目が回る
耳が遠くなる
足元が覚束無い
(あー……もう、今すぐ吐いて、家に帰って布団に包まって眠りたいな……)
自分を半歩後ろから上手く動かせていないような感覚
きっと蛇に睨まれた蛙もこんな気分なんだろう
「リーシェ」
微かな呼び声が私の意識を捉える
そうだ、私はどんな敵にだって立ち向かわなきゃいけないんだ
こんな状況に追い込まれることがあるかもしれない
それでも、果敢に立ち向かわなきゃいけないんだ
他でもない、ルミエの為にも
動け、私の身体。さぁ、まだルミエの間合いの外だ
よく相手を見て、隙を探して。そこに……隙さん……居ないな……アッレー?
……ならば打ち込んで隙を作るまで!
「うわぁぁぁ!!!」
叫んで、竦んだ手足を無理やり動かして
足がもつれて、こける
「リーシェ、大丈夫?」
倒れる寸前にルミエが受け止めてくれた。間合いの外だとばかり思っていたが、一瞬で近づかれるほど間合いの中だった
恐るべし
「あ……あはは、あちゃー、情けないところを見せちゃったな」
強がってみたものの自分のこの体たらくが情けなくて、威圧から解放されたのも相まって涙が出てきそうだ
「ううん、リーシェの真剣さが、ちゃんと伝わってきたわ。きっと、もっと強くなれる」
今度は違う意味で泣きそうになってきた
「つ……次はもっと頑張るよ。またよろしくな、ルミエ」
「うん」
肩を支えてもらいながら、よたよたと家に帰る私達
今は支えられてる身だけど、絶対にルミエの支えになるんだ。そう誓って、布団に潜り込んだ
- 第14回
夕飯もそこそこに私たちは団欒の時間を過ごしていた
「そういえば、ルミエ。この前ぶどう酒を貰ったんだけど飲むか?」
ぶどう酒は主の血、とか言って有難がられてる酒で、天使様へのお供え物としては良い物じゃないかな、と思う
「リーシェはお酒、飲めるの」
「ん、まぁたまにな。地上に来てからもほんの少し頂いたことはあるナ、ちゃんと酔えるみたいだ」
グラスにぶどう酒を注ぎ、渡してやる
「……甘酸っぱい」
そんなに苦手そうでもないみたいだ。そういえば一度も見たこと無いけど、ルミエが酔ったらどうなるのだろう
そっと横に移動する
「どうしたの」
「いや、そういえばルミエはお酒を飲んでも酔えないかな、って。せっかくだから、ほら、どうせならサ」
ルミエは状態変化無効のせいで酔えない。だからそのスキルを一部無効にしにかかる
この時はほんと、興味本位だったんです。まさかこんなあんなことになるなんて……
「ひくっ」
「だ……大丈夫か、ルミエ。顔が真っ赤だぞ?いや、飲ませて酔わせたのは私だけどサ……」
「ねぇ、リーシェ」
目が据わっている。私はやや怯えるように
「は、はひっ?」
「最近ちゃんと鍛錬をしている?私が見た限りだとあまり鍛えてないみたいだけど」
「ちゃ……ちゃんとシテルヨ?魔物退治だってほら、やってるし」
「そう、それならいいけど」
……そういえば姉ちゃんも鍛錬好きだったな……それに影響されてるのか……?
「でも、やっぱりもっと鍛えなきゃ、ダメよ。そうね、腹筋からはじめましょうか」
「えっ、今酔ってるから危ないよ?あ、明日にしよう。そう、明日ナ」
「……そうね、解った。覚えておくわ」
……明日になったらきっと忘れてるだろう
「……すぅ」
「あ、寝た……じゃない、ダメだよルミエ、歯を磨いてから寝なきゃ、起きて起きて」
「……もう、あと、5ふぅん…」
何か、キャラが違いますが……?起こそうとしたらぐでんと力が抜けてる。しょうがない抱きかかえ……わぁ!?
「あ……あの、ルミエさん?」
押し倒されたような形、これは客観的に見たら完全に誤解されちゃうな……誤解じゃなくていいけど
「……リーシェ……」
見つめ合う二人。その一瞬が永遠の様に感じる
「……すぅ」
……また寝たー?!は……歯磨きは後にしてもうちょっとだけこの時間を堪能しよう
なにせ私の上にルミエが重なって寝てるのだ、柔らかさも暖かさも床や布団には渡さない
全部私の独り占めだ
そこで私はそっと背中に手を回して強く優しく抱きしめる……なんてことができたらいいのになぁー!
ヘタレじゃないのにおかしいなぁー!ぐすん
しばらくした後、ちゃんと歯を磨いたり髪を整えたりしてやる。むかしやったお人形さん遊びを思い出す
「おやすみルミエ、いい夢をみるんだぞ」
そっと頬を撫でてやる。ふふん、私にもこのぐらいにはできるんだぞ
ちなみに大変になったのは次の日だった。私が
- 第13回
3月。先月貰ったチョコレートは、なにかお返しをするという風習があると聞いた
お返し……何を贈れば良いんだろう?本で読んだところによると飴やホワイトチョコ、マシュマロ等
でも、それぞれに意味があったり無かったり、どれを贈ればいいかがいまいちはっきりしない
私は、本を読んで考えているだけでは何も進展がないので、色々売っている商店街を歩いてみる事にした
「よーらっしゃいらっしゃい!いい魚がはいってるよぉー!お、ウェル様今日は一人かい珍しいねぇ」
魚屋さんの旦那さんだ。お魚……さすがにお魚はお返しには合わないかな、と看板を見上げながら考える
「ん?どうしたんだいウェル様考え事かい?うちの魚はいつだって美味いよーッ」
魚屋さんの奥さん、旦那さんと同じく、歳は50くらいだろうか?威勢がいい
「あの、チョコのお返しって、どんなものがいいのか解りませんか」
これだけ仲の良い夫婦だ。きっと贈ったり贈り返したりしているのではないだろうか。参考にしようと思う
「チョコのお返しナァ、最近母ちゃんかチョコもらってねぇしよォ?ナァ?」
「なにいってんだい!あんたがお返しが面倒だからやめようとか言い出したんじゃないか!引っぱたくよ!」
「す、すまねェ母ちゃん!俺が悪かった!」
「あの……」
「おっとすまないねぇ、こんな調子だからウチの旦那にゃまともな意見は期待できそうにないし……」
「あーん、そうだなァ。そういやホラ、若い頃から今の奥さんに贈り物を続けてた旦那が居たろ」
「あぁ、一時奥さんと長い旅行に行ってたあの。確かにあの旦那さんなら参考になるかもねぇ」
「地図書いてやるから行ってみるといいかもなァ」
「え……あ、どうも……ありがとう」
・・・・・
受け取った地図の家を訪ねてみる。ノックして、出てきたのは背が高く、髪は茶の穏やかな雰囲気の男性
「おや、これはこれは、今巷で噂になっている……天使様ですかな?何か御用でしょうか?」
私が魚屋から紹介されたことを告げると、ひとまず居間に案内された
「なるほど、友達にチョコを贈られて、そのお返しに悩んでいると。私も昔は悩んだものですよ」
「悩んだ末に持ってきたものがアレかいっ」
奥さんらしき女性がお茶を出してくれた。旦那さんより少し明るい茶の長髪が印象深い、明るい女性
「ははは、そのアレとはどれの事だい。私にはさっぱりわからないな」
「1つだけ苦かったアレとか!半強制の婚約指輪とか!?目を瞑ったあたしに突っ込んだバナナチョコとか!!
ていうかあの甘苦いの結局何だったの!?」
「はっははは、それは此処では言えないなぁ」
仲が良いのは伝わってくるけど、婚約指輪は半強制でバレンタインに贈るものだろうか
「今年は何を贈ったんですか?」
「今年は上質なチョコレートリキュール、つまりチョコのお酒を贈りましたね。妻は酒に目がなくて」
「いいの?天使様の目の前でお酒の話とかしていいの?」
「特に、大丈夫です」
リーシェはお酒、飲むのかな?いまひとつ想像ができなくて首を傾げる
「手作りのお菓子とかいいんじゃないかな?あたしが作った時喜んでたし」
「確かに手作りは嬉しかったな。どうでしょうか、天使様は料理は得意なほうでしょうか」
「料理は、いつもしてるけど、お菓子はあまり作ったことがない、です」
「それならばこれを機に作ってあげてはどうでしょうか、きっと喜ばれますよ」
「食べさせあったりすると尚いいかもねー?」
自分で作れば意味も自分で込められるし、いいかもしれない
「参考になりました。ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして。天使様はその相手の事がとても大切なのでしょうね
かくいう私も妻のことが愛おしくて愛おしくて仕方がなくてどう喜ばせようかと毎回悩んでいましてね」
「驚かせようとの間違いでしょ!?」
……本当に仲の良い夫婦だと思う。そんな二人のやりとりをひとしきり眺めた後、お暇をして、家に帰る
材料を揃えて、いざ作る。上手くできるだろうか
・・・・・
「お?ケーキか?美味しそうだなぁ」
「この間のお返し。リーシェ、食べてもらえる?」
「勿論!ルミエも一緒に食べよう食べよう」
「でも、お返しだから」
「一緒に食べたほうが絶対に美味しいって。……あー」
そっか、先月ルミエが寂しそうな表情をしたのは、こういうことか、一緒に食べたほうが良かったナ……
「リーシェ、口を開けて」
「ん?あーん、あむっ … … !?」
お……オォウ……まさかルミエがこんな、あーんってしてくれるなんてまるで夢みたいじゃないか、どうなってるんだ?
「美味しい?あ、クリームがちょっとほっぺに」
「勿論!美味し……」
私のほっぺについていたクリームをルミエが指でとって舐める。鏡を見れば私の顔は真っ赤に染まってるだろう
「どうしたの、リーシェ」
「い、いやなんでもない!ルミエもほらっあーん」
「……比較的よくできたと思う」
「やっぱり二人で食べるとより美味しいな、はは、ははは」
先月思い切って贈ってみて良かった。食べさせ合ってケーキがなくなるまでの間。食べた物以上にお腹がいっぱいになった
- 第12回
2月。人間界ではバレンタインとか言うイベントがあるらしい
どこをどうまかり間違ったのか知らないが、愛する人にチョコを贈る日だというのだ
成る程……人間たちも人間たちなりに勇気を出すきっかけを作って恋愛に邁進しているんだナ
と、言う訳でだ。いや、別に他意はないぞ?あるぞ?日頃の感謝と信愛の証を込めてとりあえずだな、ルミエにチョコを贈ろうと思う
べ……別に普段プレゼントを贈ったりするきっかけが掴めないヘタレとかじゃないんだからナ!本当だぞ!
この日の為に買ったちょっと高級めのチョコがある。店員さんには甘い奴って頼んだから大丈夫だと思う
ルミエは意外と甘い物が好きなのは私だけが知っている。感情が薄いといえども好みがないとか、味がわからないとかいうわけじゃない
そんな好き嫌いは、私には全部ツーカーで伝わるんだナ。ふふ、食べてもらえるのが楽しみだ
「な……なぁ、ルミエ?人間界ではな、日頃お世話になってる人にな、チョコを渡すらしいんだ。ほら、私からもやるよ」
「?そうなの、ありがとう、リーシェ。今お茶を入れてくるから、一緒に食べましょう」
……うん?一緒に食べるものなのかな……多分違うと思うんだけど
「い、いや私はあげた方だからな。全部食べていいゾ。むしろ全部食べてくれ」
「でも」
「いいっていいって、私はルミエに食べて欲しいんだから」
「そう……」
……アレ?なんかちょっと気を落としてるみたいだけど、気に入らなかったかナ……あああ、どういうことだ!?
「美味しいわ、リーシェ」
あ、喜んでくれたみたいだ。良かった。ふふふ、愛情たっぷりだかんな。自作じゃないけど
一方通行な感じの愛情表現でも、大分満たされた。いいイベントだと思う
……あっ、私が食べさせてやればより良かったな……ここは次回への反省点だな。メモしとこうっと
- 第11回
リーシェ、よく眠っている。どんな夢を見ているのだろう?リーシェの胸に抱かれていると、大きな安息感に包まれる
その安らぎに気がついたのはいつのことだろうか。或いは、最初から感じていたのかも知れない。出会った時から
【追憶-ルミエサイド-】
私の家族が住んでいたのは、天界の端辺り。ある日、その集落が悪魔の盗賊達に襲われた
天界と魔界では、協定が結ばれていて、基本的には不可侵だ。仕切られた門も許可がないと通ることはできない
でも、時々生じる境目のゆらぎに乗じて無法者がすり抜けてくることがあり、私の集落を襲った盗賊も、それだ
辛うじて生き残ったのは私だけ。天界の兵が駆けつけた頃には、ボロボロで死にかけていたようだ
私を治療しようとしている天使達が見える。……ごめんなさい、私にはそういうの、効かないの
……このスキルのせいで両親にはいつも心配をかけてしまった。怪我をしたときに心配そうに付き添ってくれた両親も、もう居ない
このまま私も消えてしまうのが、いいと思う
「……っていろ……対に助…る…らな!」
私を励ます声が、ぼんやりとした意識に響いてくる。その天使は、私を胸に抱いて空へと飛び立った
・・・・・
どこまで行くのだろう?凄い速度で、長い時間飛んでいる。私の方はもう、身体の感覚が殆ど無い
あ……どうやらついたみたい。足元がふらついているのを感じる。相当消耗してるみたいだけど、ここには何があるのだろう
……私の意識はそこで途絶えた
・・・・・
私は、ベッドに寝かされていた。身体に痛みが走り、うっすらと開けた目と、私の横に居る誰かの目が合う
……子供?私と同じくらいの歳かな……
「い……今、今助けてやるからな!待ってろ!すぐに楽になるからな!!」
私を抱え上げた天使の台詞と、同じような台詞が聞こえる。声は違うけど、なんだか雰囲気が似ている
こんな私なのに、本当に助かるような、そんな気さえしてくる
私のために何か、頑張ってくれているのが伝わる。ありがとう……その気持だけで身体が軽く……軽い?
身体が治っていく……一体どうして……?
目を覚ました私に、「寝てろよ」と優しい声がかけられる
この子のことはとても気になったけど、身体はまだ動かない。私はそれに従って、また瞳を閉じた
・・・・・
私は、両親以外に親類も無く、どうやら天涯孤独の身になったみたいだ
でも、行く宛の無くなった私を、この、ここまで連れてきてくれたお姉さんが引き取ってくれるらしい
一晩でめまぐるしく変化した自分を取り巻く環境に、呆然とする私は一人座って空を見ていた
そこへ、私を助けてくれたらしい子がやってきて隣に座る
両親が亡くなって辛くないか?と聞かれて、私は解らないと答えた。私の感情は、両親の死にも大きくは揺れ動かなかった
悲しいはずなのに、悲しめない
そう告げると、突然泣き始めた。どうして……?悲しまなければいけないのは私なのに
この子は、私の分まで悲しんでくれている。不思議な子……この子の事、もっと知りたい。そう思った
私は名前を尋ねる。どうやらこの子の名前はエリシエルというらしい。好きに呼んで良いと言う
どうしよう……何か、気の利いた呼び方ができたらいいんだけど……必死に考えて、リーシェ、って呼んでみる
どうやら気に入って貰えたみたい。良かった。リーシェは、私のことをルミエって呼ぶことにしたみたい
初めて呼ばれる呼び名に、ちょっとだけ戸惑うけど、嫌な気はしない
ううん、むしろ……これが、嬉しいって気持ちなのかな
・・・・・
「また、会えるかな、ルミエ。ううん、また会おうな、ルミエ」
リーシェが小指を差し出してくる。私は小指を交えて約束をした
「うん、約束」
リーシェが微笑む。私にも感情があれば、きっと微笑んだのだろう
私は固く約束を交わして、リーシェの家を後にした。これからは独り立ちするまで、お姉さんの家にお世話になる
「よろしくお願いします、お姉さん」
「あぁ、よろしくなウェルミエル。すまないが私は家を開けることが多いから、家事は覚えてもらうぞ
あと、私のことは―」
・・・・・
……この出会いのことは、運命よりも、奇跡と呼びたいってリーシェは言っていた
だから私もこの出会いを奇跡と呼ぶことにする
私の分まで泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだりしてくれるリーシェ
あの後も何度か、私が他人を庇ったりして大怪我をするたびに飛んできて助けてくれたリーシェ
私の大切なリーシェ。私が生きている意味は、リーシェに支えられていると思う
リーシェを守る為だったら、この生命を捨てることだって惜しくない
もっともっと強くなろう
私もリーシェを支えてあげられるようになる為に
・・・・・
朝五時、いつも通り目を覚ます私の腕の中に何故かルミエが居る
な……何故だ……ありがとう神様……!ありがとうございます……!!
はぁ、柔らかいなすべすべしてるな、暖かいな、ふわふわだな、もう少しぎゅって抱きしめて良いかな、良いよね?
おっとでも起こす可能性があるのは避けておくのが無難だよな、こう腰のあたりをさわさわと……えへへへへ
- 第10回
夢を見た。久々に見る夢だ。あれは何年前だったか……
【追憶-リーシェサイド-】
あの頃の私は、自分の力。このスキルが嫌いだった
あらゆるものを無効にしたり、しなかったり、天使としては強力すぎる領域を張れる
珍しいスキルなのは解ってる。でも、それを褒められたとき、羨まれたとき、愛想笑いで返していたけど
私がなにか良いことをして褒められたわけでもなく、生まれつき運が良かっただけで、お前は何も偉くもないって
言われてる気もしたし、内心バカにされてる気さえした
今は、割と被害妄想気味だったかな?と微笑ましく思い出せる
そんな鬱屈とした子供だった私の家に、ある朝、慌ただしく姉ちゃんが帰ってきた
帰ってきた、と言うよりはむしろ飛び込んできた、って感じだったかな
何事かと思って眠気まなこをこすりながら玄関へ歩き出したら、母さんを相手に早口でまくし立てている姉ちゃんの姿
「エリシエルを呼んでくれ、そう長く保ちそうもないんだ……!」
疲れきったその表情に、一縷の望みをかけたような瞳の光。事態
は切迫していたみたいだ
姉ちゃんが私の姿を認めると、駆け寄ってきた。何か抱えてる……子供……かな?
「エリシエル、お前に頼みがある。もうお前しか当てが無いんだ」
私は姉ちゃんがあまり好きじゃない。普段家に居ないし、帰ってきても忙しそうで遊んでくれない
別に何かされたわけでも無いけど、子供の好き嫌いっていうのはそういうもんだろう?
「な……なんだよ姉ちゃん、ちゃんと説明してくれなきゃわからないだろ」
「すまない、時間が惜しいんだ。この子を……この子を助けてやってくれ……!」
抱えていた子供を見せられる。歳は私と同じぐらいだろうか、全身が包帯で巻かれ、所々真っ赤に染まっている
「え、な、大怪我してるじゃないか、この子は!私のところに来るよりも、早く薬でも塗って治療しろよ!」
天界の薬は優秀だ。塗ればちぎれた腕だってくっつくし、傷も癒える。私達の身体が精神体や概念と呼ばれるものに近いからだろう
「私だってそうしたかった。しかし、この子には……薬が効かないんだ。調べてみたら、状態変化に対する耐性が異常に強い
これは、多分固有のスキルが強力すぎて、薬効も、回復法術も受け付けないからだと思う
こうなれば……自然治癒に頼るしか無い。だが、それでは遅いんだ。このままではこの子は死んでしまう」
「つまり……それを私の、私のスキルで無効化して、薬を効くようにしてほしいって、そういうわけか」
「解ってくれたか、今はもうお前にすがるしか思いつかないんだ。頼む」
確かに、私の力ならば、それが可能かもしれない。でも、姉ちゃんの頼みを聞くのも、この力を使うのも、あまりいい気分じゃない
でもでも、目の前で苦しんでいる子を見捨てるわけにはいかない。私だって、子供でも、天使だ
「解った。やってみるよ」
覚悟を決める。ベッドにその子を運び込んで貰うと、私は寄り添って"領域"で包み込む
この位のスキルなんて、私のスキルにかかれば……あ、あれ?
「ね、姉ちゃん。気が散るからさ、ちょっとふたりきりにさせてくれないか?」
「……すまなかった。私は居間で待っている。何も出来なくてすまないな、頼んだ」
しん、と静まり返る部屋。おかしい、私のスキルが効いていない。届かない、この子のスキルを無力化するだけの高みに
苦しそうな呼吸が耳元に聞こえてくる。その呼吸がだんだんと弱くなっていくのが、尚更私を焦らせる
「なん……で、なんで効かないんだよ……?おかしいだろ、こんなはずじゃ」
抱きしめる腕に力が入ってしまう。同時に呻く声。少しだけ離れると、うっすらと開いた目と、目が合う
「い……今、今助けてやるからな!待ってろ!すぐに楽になるからな!!」
普段は、あんなに疎ましかった強すぎる力が、こんなにも無力だ
ここで意味を成さなくて、一体なんのための力だよ?力があったのに、一人の命も助けられないなんて、どういうことだよ
素直に受け入れて、もっと研鑽していれば、この子は助かったかもしれなかったのに……
……かもしれない……?いや、そんな弱い考えは駄目だ。救うんだ、助けるんだ、私が、私が!
届け……もっと強く、もっと高く、足りない、まだ足りない。届け、届け、届け、届けよ!力を振り絞って、力と向き合って
届いてくれ!お願いだ、お願いだから、私。もっと高く!この子を助けたいんだ!!
―――ッ!
「……!届い……た!?」
私は慌てて枕元に置いておいた薬を塗りたくる。助けられる!薬が効いてる!傷が徐々に癒えていく
「……んっ……ここ……は……」
目を覚ました。良かった……私、助けられたんだ、この子を。命を
「お前は大怪我をしてたんだ、しばらく寝てろよ」
「……うん」
私の腕の中で、安らかに寝息を立てる女の子。私に、私の力に意味をくれた気がした
この力はきっと、この子を助けて、守る為に持って生まれたんじゃないだろうか
そう思ったら、なんだか誇らしくて、色んな事が愛おしく思えてきた
・・・・・
治ったこの子は、姉ちゃんが引き取ることにしたようだ。両親は、すでに亡くなっていたらしい
「なぁ、悲しくないのか?父さんと、母さんが死んじゃって」
そんな、私が口を滑らせた素朴な疑問に、この子は「解らない」と答えた
話によると、昔からあまり感情の起伏が無く、悲しめないみたいだ。でも、そう語るこの子の瞳は、悲しみでいっぱいに見えて
「ぐすっ……ごめ……っ考えなしでそんなこと……聞いて……」
私が泣いてどうするんだろう。でも、悲しくて、悲しくて、涙が溢れてくる
「ねぇ、貴女の名前、教えて欲しい」
「ひっく……私は、エリシエル。好きに呼んでいいぞ」
「好きに……エリシエル……エリー……シェ…リーシェ?」
「はは、リーシェか。いいなそれ。お前はなんて言うんだ?」
「私は、ウェルミエル」
「んんんー……それじゃ、私も真ん中からとって、ルミエでいいかな?よろしくな、ルミエ」
「……うん、よろしく、リーシェ」
・・・・・
……数日後、私達はしばしの別れを告げた。また会おうねと約束を残して
この出会いは、私達の力は、私のこれからもルミエを守るという想いは、運命に定められたものだったのだろうか?
ううん、私は誰かに決められた運命よりも、自分で決めて、選びとった道だと信じたい。これからを
だからこの出会いをこう呼ぼうと思う。「奇跡」と
- 第9回
神父は頭を下げ、挨拶をして帰っていった
目にはうっすらと涙の跡。でも、その表情は穏やかな笑顔だった
「リーシェ、お疲れ様」
リーシェは訪ねてきた神父の、懺悔を受けていた。どうして、懺悔をして、お話をしただけで神父はあんなにも安らいだのだろう
私は、感情が薄いからか、それすらも推測できない
「ねぇ、リーシェ。どうして神父は涙して、穏やかな表情になったの」
私の質問に、リーシェは少し考えてから答える
「んー、なんて言えばいいかな。……人はな、誰かに話を聞いてもらいたい時があるんだ、今までの生きてきた自分の足跡を。
『誰かに肯定してもらいたい』『否定してもらいたい』『褒められたい』『叱られたい』
でもな、神父の立場だと、誰にもそれを話すことは出来なかった」
「どうしてなの……?」
「あの歳になって、立場もあって、護るべき者達も居るからさ。教会で養っている教徒達、親のない孤児
彼らを養う為に、お金が必要で、神に背くことに手をつけたこともあった。立場を守るため、他人を蹴落としたこともあった
そんな罪の告白を、たとえ懺悔だとしても、上の人に聞かれたら、左遷されたり罪に問われたりするかもしれない」
「ずっと心に仕舞ってきたのね」
「それでも護りたかった。護ってきた。それが誇らしかった。今までの頑張りを、聞いて欲しい
幼い頃母親に、今日一日の出来事を話すような気持ちで」
「お母……さん」
私の母は、私が小さい頃に父と一緒に亡くなってしまった
あの時、私は泣けなかった。ただ、胸の奥が、少しだけ熱くなったのを覚えている
「今まで多くのことを抱え込んできたんだろうな。それが話したことで堰を切ったように……
あれ、ルミエ、どうした?気分でも悪いのか?」
視線を落として、あの時の気持ちを思い出す。こんな私でも可愛がってくれていた、お父さん、お母さん
「ううん、なんでもないの」
・・・・・
深夜、すっかりリーシェは眠ってしまっている。私は、眠りにつくのは早い方だけど今日は何故か眠れない
悪いとは思ったけど、少しだけ寄って、抱きついてみる。リーシェの優しさが伝わってくるようで、凄く暖かい
こうしていると、昔を思い出す。私達が出会ったあの時のことを
- 第8回
今日はお仕事だ。朝、いつものように挨拶をしに来る修道女から予定の言伝を受ける
ふむふむ、3件ほど入ってるみたいだな、なかなか目の付け所は悪くなかったようだ
「リーシェ、お仕事なの」
そういえばルミエには仕事の内容を教えてなかったな。まぁ行けば解るよ、半ばただ立ってるだけだし
私は衣服を正し、ルミエを伴って教会へと行くことにする。天使の拠点は何をするにも教会がいい
・・・・・
「双方、この契約の内容で異論が無いようならば、この誓約書に署名をしてください」
部屋の中では神父と、ルミエと、私。そして机に向い合って神妙な面を笑顔の下に隠している男が二人
どんなときでも笑顔に本心を隠して話を進める。そんな人間は限られる。例えばそう、商売人だ
「それでは、法の神ロウェルの名のもとに、この契約は締結致しました。願わくばお二方の商業の行く先に輝かしい光が有らんことを」
そう言って私は契約書に立会人として署名をしたあと、祝福の光をかける
ほい、一組目終了っと
「ねぇ、リーシェ、これはどういうお仕事なの」
男たちが出て行って、次の組が入ってくるまでの間にルミエが尋ねてくる
「これか?これは商談の契約の立会人って奴さ
ふふん、商人ってのはな、意外とオカルトなことに敏感なんだ。雨が降っただけで、風が吹いただけで
商売の雲行きが変わるからな。ゲンだって担いでいる商人は沢山居る
まぁ、私たちはオカルトな存在じゃなくって今此処に実在してるけどナ
それに、宗教にも敏感だ。教会の権力は時として地元の有力者よりも遥かに上だ。なるべくなら従順なふりをしていたい」
「うん。なんとなく、解る」
「そうすると、契約で私達が立ち会うことは、オカルトちっくで、宗教的で、契約として強い意味を持つ
逃げても無駄感と、なんとなく公正感があるだろ?それと併せて最大の理由は―……」
「理由は?」
「立会い料が安い」
「そう」
ま、本当の所、神は人間たちが私たちの前で騙し合ってても、別にとがめたりはしない
精一杯生きて、栄えるための努力をしているだけだし、それが商売人っていうものだろう
ただ、人をどん底に蹴落として蹂躙するような騙しを、本物の天使の前で臆面も、かけらの罪の意識も無くできる人間はそうはいない、と
私はそれを信じたい。そうやって少しでも意識の良い商売人と商談が増えたら私はそれでいいと思う
ついでに言うと、立ち会い料の半分は教会に入る。神父の誰にも明かせない悩みとやらも、これで少しはマシになるだろう
まだ迷いがあるようだけど、懺悔をしに来る前に少しでも肩の荷を持ってやれたら、一石二鳥だと思う
- 第7回
【ある平凡な1日-リーシェサイド- 後編】
「たっだいまー、いやーお腹すいたー」
またせたなルミエ、今帰ってきたよ。さぁご飯にしよう。……あれ、珍しいな、ルミエが他のことに熱中してるなんて
ここは一緒に作ることにしよう。二人でエプロンをつけて並んで料理、まるで新婚さんのようないい絵面だ
私はパスタを茹でて、ルミエがソースをつくる。香り高いにんにくが食欲をそそる
ちょいちょいっと炒めてオリーブ油をかけて……よし、できあがり。うむ、実に美味いな
・・・・・
ごちそうさま。食べたら眠くなって……ふあぁ、おやすみリーシェ……どうやら私は食べたら眠らなければ気が済まないらしい
…………布団に包まれていると、母さんのことを思い出す。……優しい母さん……
・・・・・
……ハッ!?今、今何時だ?まだ4時……ほっ、今から風呂掃除をすれば余裕で間に合うな
私の家事の割り振りである風呂掃除を怠るわけにはいかない。しかしこの風呂文化とは……なかなかやるな、人間
毎日夜が楽しみになる素敵な施設だろ思う。ふっふっふ……そんなことを考えながらがっしゅがっしゅと掃除をする
まぁ、二人共ほとんど身体から垢とかは出ないし、水垢ぐらいしかつかないんだけど
ふぅ……なかなか綺麗になったナ。我ながら掃除上手じゃないか、ふふん。そう、普段はやらないだけなのだ
お、ルミエも帰ってきたみたいだし、夕飯の買い物にでも出かけようか
・・・・・
買い物もした、ご飯も食べた、食器も洗った。もうあとはお風呂に入って寝るだけだ
さて、まずは落ち着けよう。すぅ〜……はぁ〜……よし
「ル……ルミエー、お風呂はいろー」
大丈夫、ちゃんと言えたな。毎度誘うときは自然体を装うので一苦労だ
天使といえど埃などで少し汚れたりする。だからちゃんと洗ってやらないといけない。そう、いけないんだ
というわけで、洗いっこ。ルミエの柔肌を、白いお肌を傷つけないように優しくあら……洗う……鼻血が出そう
あぁ、なんて柔らかくてすべすべでもちもちでぷにぷにでほっそりしていて……これで私より遥かに力があるとか
にわかには信じがたいな、うん。腕相撲とかしたら間違いなくコンマ数秒でへし折られる。頼もしい…
羽もふわふわを保つためにしっかりと泡立ててから丁寧に洗う。流したあとのぷるぷる震わす仕草が実に可愛い
ひとしきり堪能したあと、一緒にお風呂に入ってると凄く安らぐ。今日も一日終わったなぁーという実感と共に
風呂から上がったら髪を乾かして、とかして、纏める。長髪は不便だけど、まぁ見た目の印象もいいし、このまま
ルミエに促されてベッドへ。二人で眠る布団は暖かくて心地が良い
「おやすみルミエ」「おやすみなさいリーシェ」
きっと明日も5時に起きるだろう。私は毎日が楽しいと思える。みんなルミエのおかげだな
明日もいいコトがありますように
- 第6回
【ある平凡な1日-リーシェサイド- 前編】
AM5時頃。いつも、自然と目を覚ます。
目的は単純だ。ルミエの寝顔を眺める。その為だ。
ふふふ、よく寝ているみたいだナ。常夜灯に照らされて浮かび上がるルミエの寝顔
色素が薄く、普段の灯りの下では白磁のように真っ白な頬が茶褐色に染め上げられて、これはこれでゾッとするような色気がある
きめ細やかで触れるとぷにぷにとした弾力を持つ極上の肌。瑞々しく光を照り返す唇
触れたい
あぁ、これはもういっそ寄ってちゅっちゅしてもいいのではないだろうか?
いやいや、起こしてしまってはいけない。ここは我慢して眺めているだけにしよう。淑女のマナーだ
それにしてもなんという可愛らしい寝顔だろうか。眠り続ける伝説の姫につい口づけをしてしまう、伝記の主人公の気持ちが解る
はぁ、堪能した。ひと通りじっくり眺めまわす。時間にして15分。永遠のような感覚からどうにか自我を取り戻すと
2度寝に入ることにする。次起きた時にはきっと良い匂いと、机に皿が並ぶ音で気持ちよく起きれることだろう
「ぉあよー……くぁ……はふぅ〜……」
起きるといつも通り朝食が出来ていて、ルミエが出迎えてくれる。私は身だしなみを整えてから朝食を堪能するのだ
ルミエは学校に入る以前は私の姉と二人で暮らしていた。姉は仕事が忙しかったから、頻繁に家を開けていた
ルミエはいつも家事などをこなしていたからその分、料理とか家事の経験は豊富だ。今日もご飯が美味しい
私のおなかはそんなご飯をいつでも受け入れられるように準備は出来ている
朝食を済ませるとルミエが私の髪を櫛でとかしてくれる。長いし、少し巻く私の毛は自分でセットすると憂鬱だけど
こうしてとかしてもらっているととても気持ちがいい。だんだん眠くなってくる
そういうわけで、ご飯を食べた後だけどもう一度夢の中へ……スヤァ……
着替えを急かされて起こされる。止めないでくれリーシェ、私は牛……そう、食べた後直ぐに寝る牛になるのだ……
すみませんすぐに着替えます。「あと5分」というベタなセリフを喉の奥にしまって、もそもそと起き上がる
・・・・・
さて、とりあえず今日の予定は、勉学に勤しんだあとに教会へ行くとしよう
私が人間界で購入した書物を繙いている間、ルミエは鍛錬をしているようだ
もう少し落ち着いたら鍛錬に付き合ってもらおうか、と思ったが、昔、稽古をつけてもらった時に立会いをしたことを思い出す
……思い出すだけでも冷や汗が出る。ま、まぁ、考えておく程度にしておこう。うん
書物を読む限り、まぁ人間界の記録と天界の記録で他詳差異のあるものの、概ね合っているようだ
学校で学んだ知識は、地上でもだいたい通じそうだし、あまり困ることはないかな。あとは地方の慣例とかを覚えればいい
ひと通りまじめに勉強したあと、本を閉じる。そろそろ約束の時間かな、出かけよう
教会へ行って、祭事や慶事、弔事などの予定を立ててこよう。目下の仕事はそのあたりだ
慶事では祝福をかけてやったり、弔辞では死後の冥福を祈る。あとは落成式やら……まぁ、やることは色々あるな
他にも色々考えてはいる。こちらも落ち着いたら始めていこう。オーバーワークはいけないから
・・・・・
お仕事モード疲れた。とりあえず天使手帳に予定を書きこんで置いて、仕事に備える
疲れた私は木陰で休むことにした。葉と葉の僅かな隙間から差し込む木漏れ日がキラキラと輝いて美しい
そんな光景に心を癒されていると、縄跳びをしていた子供たちが中断してこちらへ寄ってくる
「天使様だー」「お話きかせてー」「お話お話ー」「続きー」
こらこら、引っ張るな引っ張るな。急かさなくても今の私はお昼時まで暇だから、付き合ってやろう
子供たちを左右に、天界の昔話をしてやる。小さい頃母さんから聞いた、天使や神様のお話
だいたいがハッピーエンドで終わる辺り、実に天界らしいというか、なんというかだな
・・・・・
子供のお腹が鳴る音がする。そろそろ昼食の時間だな
「もうこんな時間か、今日はここまでだな。皆お腹すいただろう。お父さんとお母さんが待ってるぞ」
「はーい」
さてと、今日の昼食はなんだろうか。あんまりルミエをまたせちゃ悪いし、早く帰ろう
- 第5回
【ある平凡な1日-ルミエサイド-】
AM5時頃。いつも、視線を感じて目を覚ます
目を覚ますと言っても、瞼は閉じたまま。きっとリーシェが目を覚ましたのだろう
眠りが浅いのだろうか?でもしばらくするとまた眠るみたいだし、驚かしちゃ悪いかな、って思うから。静かに私はもう一度眠る
・・・・・
それから約1時間半後、やはりリーシェは眠っている。起きだした私は洗面所へ
顔を洗い、髪をとかし、纏める。さっぱりした後は朝食の準備。大体リーシェが起きだしてくるまでには出来上がる
「ぉあよー……くぁ……はふぅ〜……」
眠そうな目をこすりながら、いつもどおりにベッドから出てくるリーシェ
「おはよう、んーん、良い匂いがするなー」
「朝食はできてるから。顔を洗ったら食べましょう」
「私のお腹はいつでも準備オッケーだからな。それじゃちょっと顔洗ってくるな」
いつもどおりの朝の風景。朝食を済ませ、リーシェの長い髪を櫛でとかしてあげたらいよいよ一日が始まる気がする
「リーシェ、お洗濯しちゃうから着替えて」
ご飯を食べた後、ごろんとベッドに横になっているリーシェを揺さぶる
人はご飯を食べた後すぐ寝ると牛になるというけど、天使は何になるんだろう
・・・・・
リーシェがごろごろと人間界の書物を読んでいる間、私は剣を振る。常に鍛錬は怠らない
本当はリーシェも鍛えてもらったほうが、守るにもいいんだけど。忙しいみたいだから、私がもっと強くなってカバーしたいと思う
ひと通り済ませた後、洗濯物を干す。今日もいい天気。天界とは空気が違うけど、晴れた日の穏やかさは変わらない
リーシェが少し出かけてくる。と出かけていった。私は部屋の掃除をすべく家へ戻る
「……リーシェ、またちらかしっぱなしで……もう」
クッションの横に本が無造作に重ねられて置いてある。どんな本を読んでいるのだろう
「歴史、神話、聖書、商業書、文化の本……意外……」
歴史と神話が漫画なのは、この際は言及しないでおくことにする
ひと通り掃除を済ませてから、私も読んでみることにする。リーシェとは学部が違ったから
どんな勉強をしていたかをあまり詳しくは知らない。結構成績は良かったとは聞いたんだけど
戦争、平和、革命。人の世には革命がある。ここが天界とは一番大きく異なるところ。難しい問題だと思う
「たっだいまー、いやーお腹すいたー」
リーシェが帰ってきた。そういえばもうこんな時間。お昼ごはんを作らないと。パタリと本を閉じ、本棚へ
「おかえりなさい。今昼食を用意するわ」
「私も手伝うよ。何作る?パスタとかならすぐできるかな」
「パスタ……材料ならあるわね。そうしましょう」
・・・・・
「いやぁー食べた食べた。お腹いっぱいになったら眠くなってきたナ……ぐぅ」
寝てしまった。そっとしておいてあげよう。私も少し街を見まわってこようと思う
しばらく空から街を見まわっていると、樹の下に子供たちが集まっている。どうやらボールが樹に引っかかっているみたい
「はい、どうぞ」
見過ごす理由も特に無いので、ボールをとってやると。子供たちにサッカーを誘われた
やり方が分からない……玉を網に向かってければいいのかな。えい。ガシュッ
「すっげー!」「やっべ、まじぱねー」「エリ様もこれぐらいできるのかな……無理だろうな」「ムリだよな」
蹴り飛ばした玉が、網を突き破ってしまった。やはり私には遊びは向いてないらしい
「……ごめんなさい」
「いいっていいって」「結べばいいしなー」「なー」「それより天使様すげー!」「俺にも教えてよ!」
戸惑う。頑張って鍛えれば、出来る。としか言えなかった
・・・・・
買い物に行ったり、家に帰って細々としたことをこなしていたらいつの間にかもうすっかり夜
人間界での生活は新鮮な分、時が経つのが早く感じる
「ルミエー、お風呂はいろー」
最近はいつも二人でお風呂に入る。一人だと羽を洗うのは大変だけど、リーシェが丁寧に洗ってくれるから、楽
湯船に浸かる文化も地上に来てから。温かいお湯に二人で浸かっていると安らぐ
風呂から上がって、髪をとかし、結い、纏め、睡眠に備える
「リーシェ、そろそろ寝ましょう」
「あぁ、うん。明日もいい日でありますように。だな」
ひんやりとした布団が二人の身体を優しく包む
「おやすみルミエ」「おやすみなさいリーシェ」
向い合って眼を閉じて眠りに落ちる。今日も穏やかな一日だった
このまま何事も無く地上でのお仕事を続けていければ、いいな
- 第4回
他愛のない日常の夕方、私とリーシェで商店街に夕飯の買い物に出かけた
歩いて商店街の看板をくぐる。買いたい物がある店に直接飛んでいけば早いんだけど
リーシェは商店街は歩くもの、って言ってたから、それに従うことにする
「いよぅ、天使様!良い野菜が入ってるよ!さぁさどうぞ買ってっておくんな!」
商店街に入ると威勢の良い商人達の声が聞こえてくる
「おっ、エリ様こっちにも良ーい魚仕入れてあるよ!どうだい今夜のおかずに!美味いヨッ」
次々と人々がこちらに声をかけてくる。いつの間にかすっかりと馴染んでいるリーシェ
「ムニエル……塩焼き……ルミエ、私今日はお魚さんがいいナ」
「解ったわ」
喜んで魚屋に向かうリーシェ。せっかくだから玉ねぎも買っていってムニエルにしよう
「なーなー、おっちゃんおっちゃん。天使割引で少しまからんない?へへへー」
「かぁーっ!天使様はしっかりなさってるこって、ええい!じゃあこれでどうだっ」
少し安めの金額を提示する魚屋のおじさん
「よぉっし買った!へへ、あんがとなおっちゃん」
「おゥ、いいってことよ!しっかし俺っちは天使様といえばウェル様みたいにお淑やかなもんだとおもってたんだがなぁ、はっはは」
「父ちゃん、あんた失礼だろ!ごめんねぇエリ様ー、こっちの小魚もおまけしとくよ」
「あっはっは。サンキューおばちゃんいいってことよー。まぁ、ルミエはお淑やかでマジ天使って感じだかんなー」
すっかり談笑している。皆の笑顔は、愛想笑いでも、信徒から向けられるような笑顔でもなく
屈託のない心からの笑顔で。いいな、って思う
・・・・・・・
買い物もひと通り済んで、すっかり辺りは夕焼けで真っ赤になっている
通りすがった公園では、まだ子供たちはボールを追いかけたり、縄跳びをしたりして遊んでいた
「おーい、お前たちー。そろそろ家に帰るんだぞー」
リーシェが声をかけると、子供たちがわらわらと寄ってきてスカートの裾を掴む
「天使のねーちゃんも一緒にサッカーしようぜ!!」「おねーちゃん天界のおはなしの続ききかせてー」
「今日はもう日も暮れてるからまたこんどなー。こらこら引っ張るなー」
押し合いへし合いしている子供たちの頭を優しくなでるリーシェ。普段外で遊んであげていたのね
私のところにも一人、裾を掴んで見上げている子がいる。……どう声をかければいいのだろう……
リーシェに倣って頭を撫でてみる。小さい頭、さらさらの毛。くすぐったそうに下を向く
「さ、お前らそろそろお家に帰らないととーちゃんかーちゃんが心配するぞー」
「えー」「はーい」「ちぇーっ」「いこー」
名残惜しそうに手を振りながら帰路に着く子供たち
「はは、可愛い奴らめ」
「リーシェ、いつも子供たちと遊んで上げてるのね」
「子供たちが真っ直ぐ育つのを見守るのも、私の仕事だろ?ま、ほとんど好きでやってるようなもんだけどナ」
「そう」
私には無い、こういうリーシェの優しいところ。いいな、と思う
「それじゃ、私達も帰りましょう。お魚、料理しなくちゃ」
「楽しみだな。夕焼けこやけで日がくれてー♪やーまの……教会の鐘がなる〜♪」
……私もいつか、この街に、もっと馴染めたらいいな……リーシェみたいに
- 第3回
最近、洗濯物を干していると、教会の修道女らしき人々が頭を下げてくることが多くなった
どうやら天使が二人地上に降りてきたことは、大分噂になってきているみたい
リーシェにその事を伝えたら
「ん、そろそろ頃合いかなー。それじゃ、行こうかルミエ」
と、純白の正装に着替え始めた。普段よりも幾分か、立派に見えると思う
「行くって、どこに」
私も柄だけの剣を携えて、外行きの服に着替える
「教会さ。いきなり行くよりも、まず相手に存在を認知させてからのほうが、心の準備とかもできてるだろうし」
「それで、どういうお話をしに行くの」
天使が教会へ行く。とは言っても、私たちは別に何かを伝えに来たわけでもないし、自分たちから出向く用事はないと思う
「そりゃ、平たい話が商談みたいな、モンさ
教会の仕事と、私たちの存在がカチあっちゃ良くないし、その辺りのすりあわせをだな」
「私たちは商売をしに来たわけじゃ……」
「いーからいーから、行こう行こう」
……リーシェには何か考えでもあるのだろうか
神を崇める教会と言っても、自分達の立場の為なら天使を排除しようとしないとも限らない
普段よりも警戒を厳にすることは、けして怠らないようにする
・・・・・・
ごちゃごちゃと入り組んだ街でも、直線距離で飛んでいけばそう遠くはない。私たちはすぐに教会に到着した
「こんにちは、少しお時間よろしいでしょうか」
正門から入るリーシェと私の姿を見て、教会内がざわつく。すぐに神父らしき人物が寄ってくる
恰幅と人柄の良さそうな、いかにもといった人物
「これはこれは天使様……わざわざお越し下さるとは……ささ、どうぞごゆっくりお寛ぎください」
「えぇ、それではお言葉に甘えて。少しお時間をよろしいでしょうか?少々相談があるのですが」
「天使様からのご相談ですか。それはそれは恐縮です、では……奥の部屋へどうぞ」
神父に連れられて、私たちは教会の一室に案内された。灯りをともすと、小奇麗な部屋だと解る
「それで、相談とは如何されたのでしょうか」
「私の名は、エリシエル。こちらは守護天使のウェルミエルです。以後お見知りおきを
我が主である、法の神ロウェル様の命で私たちはしばらくこの人間界で人々を導く手助けをさせて頂く事になりました
それには、やはりこの地の教会と連携を密にする必要があると。そこで私の方から具体的な提案を纏めて来た次第です」
そう言って紙を手渡すリーシェ。しっかりやるべきことはとやっていたのね
「ご丁寧にありがとうございます。私は神父のチャールズと申します。こちらこそよろしくお願いします
さて、それでは拝見させて頂きます。ふむ……ほぅ……、これはなかなか……互いにとっても利のある話ですね」
よくよく文面を読み返し、頭を働かせる神父。教会の運営には商人的な才覚も必要となる
損か、得か。この2つは常に人と、組織の存亡が掛かっている。
「……解りました。それでは我々は神に誓い、天使様たちのご活動に協力させて頂きます」
「ありがとうございます。神のご加護の下、双方に、そして人々に良き実りがあるように尽力しましょう」
微笑をたたえるリーシェは、いつもよりずっと頼もしくて、神々しくて……輝いていた
「それでは、行きましょうルミエ。吉報をお待ちしております」
「あ、天使様……その、いやはや、私事で恐縮ですが、いずれお話を聞いていただきたいことがあるのですが……宜しいでしょうか」
「解りました。では此処でも」
「いえ、少し心の整理が必要なので……まぁ、この歳、この役職になって、懺悔というものをするのは少々思うところが……」
「そうですか。では、その時が来たら、いつでもお話を伺います」
「ありがとうございます。それでは外までお見送りいたします」
……この、敬虔な教徒の様に見える神父にも、やはり悩みというものは存在するのね
外まで送られて、帰路に着く。じぃ、とリーシェの顔を眺めていたら、笑顔で応えてくれた
「へへー、なかなかやるもんだろ?私だってちゃあんと色々考えてるのサ」
夕焼けにとけ込むような優しい笑顔、まるでお日様のよう
「そうね、見なおしたわ」
「ふふん、そうだろそうだろー。さ、お腹も空いたし、早く帰ってご飯にしよっか」
「うん」
……これからどんなことがあっても、リーシェとなら大丈夫。ふと、そんなことを思いながら家路を急いだ
- 第2回
人間界。息を吸い込めば天界とは違った複雑な香りが鼻孔をくすぐる
どうやら無事に二人とも降り立てたようだ。資料によると、家は用意されているらしい
街外れの心地よい風が通り抜ける河川沿いの、過去に姉が使っていた場所と同じ場所に
「天使ハウスっていうネーミングはどうかと思うけど、今日からここが私たちの住む家だな
この歳で一家の主人とは、ふふん、私もなかなかやるじゃないか」
誇らしげに胸を張る。形はどうあれ親離れもこれで成功だ。隣に大好きな人が居るから尚のこと嬉しい
これが勝ち組か、ふふり
「中は綺麗に片付いているみたい。一応掃除をしてから使いましょう」
部屋の中にはやや大きめのベッドが一つ。神様……ありがとうございます
「と、とりあえず今日のところはどうしようか、資料でも読んでおこうか?それとも家の中の探索でも」
声が上ずっている。ルミエが首をかしげたが、とりあえずそのまま話を続けることにした
「そうね、今日はとりあえず……生活作業の分担を決めましょう」
「掃除とか……炊事洗濯?まぁ、必要と言えば必要だよな」
きっちりと紙に表を描き始めるルミエ。こういうしっかりしてるところは大分ありがたいと思う
「まず朝食ね。リーシェはきっと朝起きられないから私が作るわ」
表に「ルミエ」と名前をかく
「ルミエの料理は美味しいからな。きっと多幸感に包まれて朝から活動できるよな、うん」
「掃除は、リーシェはあまり整理整頓をこまめにしないから、私がやるわ。洗濯も」
「ま、まぁ耳が痛くなる話だな。いや、たまにこう、一気にやるのがさ?」
「昼食は、きっとリーシェは昼の間お仕事をすることが多いだろうし、これも私が」
「うーん、まだ何するか決めてないけど、多分そうなるだろうなぁ」
「浴室の掃除も私がしておく。水まわりはしっかりと管理したほうがいいと思うから」
「カビとか生えたら大変だしな、適任といえば適……」
「夕食は、リーシェ疲れて帰ってきそうだから、私が作る」
「う、うん、まぁ、うん」
「ゴミ出しは、曜日を守って朝ださなければいけないそうだから。これも私が……」
きゅっきゅっきゅーっと名前を次々に書いていくルミエ
「ま……待った!ちょ……ちょっと待ってルミエ」
「?どうしたのリーシェ」
「枠が埋まってるんだけど……全部ルミエで……」
「そう」
「そう……て、わ、私も何かするぞ、えーっと、私にできそうな……風呂掃除!とか、やります」
「うん。でも無理をしなくてもいいのよ、リーシェ」
「大丈夫、全然大丈夫だって!あ、あとは買い物とか手伝うよ、料理も、洗濯とかも、出来る限り」
「それじゃ、しばらくはこれで行ってみましょう。必要があれば付け足していく感じで」
「うぅ……これじゃ、まるで私が駄目天使みたいじゃないか……少しは真面目に家事とかやっておけば良かった……」
早くお仕事をとってきて、ルミエに恥じない生活をしよう……
そう誓って、今日のところはパフリとベッドにもたれかかった
- 第1回
晴れ渡った空、澄み切った空気。見渡せば高らかに聳え並ぶ雄大な霊峰。二人が今立っているのは天界のおおよそ真ん中辺り
「いい天気だなぁ、この景色もしばらく見納めかと思うと、少し寂しくもあり……二人の旅立ちを祝福してくれているかのようでもあり」
”二人の旅立ち”と自分で口に出して嬉しく思う。そう、このいつ終わるかわからない任が終わるまで、二人はずっと一緒だ
「リーシェ、荷物を沢山持っていくみたいだけど、そんなに必要なの」
抑揚無く淡々と喋る、ともすれば冷たいとも取られてしまうような口調で話しかけるやや小柄な天使
彼女が今回エリシエルの要望で護天使として随伴することとなったウェルミエルだ
「へへー、この中にはいっぱい服が入ってるんだ。地上に行ったらきっと皆、皮とか麻とかの服ばかりで
上質な絹とか、天界の綿花とかから作られる服なんて売ってなさそうだろ?ルミエの分もちゃんと持ったから安心していいぞ」
「そう、私は動きやすければいいけど……」
「まぁそう言うなって、その服もよく似合ってるし」
数日前にエリシエルが引っ張っていく形で二人でショッピングへ行き、購入したもの
ウェルミエルもまんざらではなさそうで、選んだエリシエルはご満悦そうだったようだ
……嬉しい顔も嫌な顔も特に表に出さない、というのはこの際忘れることにする。した
「そろそろ時間ね。行きましょうリーシェ。……?……どうしたの」
きょろきょろを不安げに辺りを見回すエリシエル。特に足元を念入りに警戒するように
「い、いや、地上に落とされる時ってだいたい足元がこう、パカっと開くって聞いててさ……
うちの母さんも昔、豊穣の女神様に足元を消されてむりやり落とされたとか……」
「正式な任を受けて出立するときは、ちゃんとポータルを通って人間界に降りるの。安心して」
予定の時間になると、近くにあった少し雰囲気の違う石畳の上に法陣が現れ、光の扉が開門する
「そ……そうだったのか、私はてっきり。帰るときも大変だなぁと思ってたけどこれなら安心だな、うん」
「ちゃんと事前に配布された資料を読み込んでいないのね。人間界に降りたらきちんと読み合わせをしましょう」
そう言って先に光の中へと進んでいくウェルミエル。おいていかれて焦る
「わわ、待って待って、心の準備が……。すぅーはぁー……よし。い……一緒に行こうって!」
深呼吸をして覚悟を決めて、慌てて後ろを追いかけた
- 第0回
トントン、と扉をノックする音が、質素な書斎に響き渡る
「どうぞ、お入りなさい」
法の神ロウェルは、穏やかで、それでいて威厳を感じさせるような声で来訪者を招き入れる
「……失礼します、何か用でしょうか」
丁寧語ではあるがどこかやる気のない様子で入室してきたのは、クリーム色の髪をなびかせ、 背中には純白の羽根を、頭上には光る輪を備え、外見は年の頃20代程の女性の天使
「久しぶりですねエリシエル。この度は天界の学校をご卒業おめでとうございます。今日は貴女にしてもらうお仕事の話をしようとお招きしました」
一瞬嫌そうな顔をするが、すぐに取り繕うように表情を正す「エリシエル」と呼ばれる天使
どうやら仕事という単語はあまり好きそうではないようだ
「仕事の話ですか……でも、そういうのって普通天使事部が決めるんじゃないんですか」
通常、学校を卒業した天使は各々能力や適性に則って仕事が割り振られる
人手、もとい天使手はそんなに足りているわけではないので普通はすんなりと部署は決まる
「ええ、しかし貴女には私の直轄の任を与えようと思っています。私は貴方に人間界での相談役を任せようと思いましてね。
具体的に職名を表すなら、愛天使、と言ったところでしょうか」
「え、愛……?あの、人間達の不満を聞いてやったり懺悔を受けたりする……愛天使ですか」
苦い虫を噛んでしまったような顔になる。あの仕事はやることがきっちりと定まってない上に、なんだかとても面倒くさそうだ
それに、身内に過去に似たような仕事をしていた者が居て、尚更気だるさが増す
「そうです。天界を離れる訳にはいかない我々の代わりに、迷える人々の心の支えとなり、日々を生きる彼らの光となって……」
神の説法、実にもっともらしくありがたいお言葉を賜る
「うー……あー……それって、人間界に降りるのは私一人ですか?」
遮るように口を挟む
「……一応その予定ですが、何か問題や気になる点でもありますか?」
「ルミエと一緒じゃなきゃ、ヤダ」
即答し、ぷい、とそっぽを向く。子供が駄々をこねるように、自分の発言に照れを隠すように
無理を通すか、丸めこまれて納得させないためには我儘な子供のように振る舞う方がいい
これで命令違反を問われて妙な仕事につけさせられても一人で人間界に降りるよりは……いいかな、と
……ただ、下手に怒りをかえばもっと遠くに送られていたということに気付いたのは発言した後だった
これは思ったより大博打になってしまった。自分の数瞬前の行動に目が回りそうだ。もう立っているのがつらい
彼女は今まで生きていた中で一番、文字通りの意味に心中で神に祈った
「……ルミエ。あぁ、ウェルミエルですか、彼女は戦闘の才を生かして兵の方へ配属しようと考えていたのですが」
「ルミエには私が付いていてやらなきゃだめなんです。兵なんかにされたら使いつぶされちゃうだろうし」
もうどうにでもなれ、と思いのたけをぶつけてみる。考え込む神の姿を見て冷や汗がつつ……、と背中をつたう
「……そうですね、彼女は優秀とは言え……万が一の際は……確かに貴女の存在は必要ですが…… ふむ、仕方がありませんね、許可しましょう。では、護天使として貴女に随伴させることにしましょうか」
ぱぁ、と明るくなるエリシエルの表情。確かに神の御慈悲は存在した……!
「では、ウェルミエルには貴女からその旨を伝えておいてください。貴女達の仕事の詳細は期日までに送付しておきましょう」
「あ、あの……我儘ついでにもう一つ……ルミエには神様から伝えて貰えませんか?ちょっと恥ずかしくて……てへり」
軽くため息をつく神、少しだけ呆れた風体で
「……やれやれ、解りました。私の方から彼女には伝えておきましょう。それでは今日の用事はこれでおしまいです。ご苦労様でした」
「はい!ありがとうございました!失礼しました」
一礼して部屋を出ていくエリシエル、その足取りは軽やかに
「……まぁ、概ね予想通りの展開でしたね。それでは、ウェルミエルを頼みましたよ、エリシエル」
神は誰もいなくなった静かな書斎で、穏やかに微笑んだ
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