Guest
>10/02/06(土)02:12:44 No.79809970
>眼球舐めたい子のコメアウに!!祭
舐め合いしてみたい
Europa
目といえば遮光器土偶が何故あのような特徴的な目をしているかについて
様々な説があるようで名前の由来になった遮光器というのは
イヌイットが雪原の照り返しを遮るための使われたサングラスのようなもの、
それが木板に切れ込みを入れた形なんだそうです。
ということで北方からやってきた人達によるものではという話もあるそうですが
じゃあ北海道全域で発掘されているかというとそうでもないようで。
他の説として、この手の造形をスティアトパイグス型――
世界史の資料集でおなじみヴィレンドルフのビーナス像みたいな体型を指す
――と呼ぶのですが、遮光器土偶もまたそれに類する女神像なのではないか?
スティアトパイグス型の女神像は一般に豊穣や他暫を祈願するための共感呪術、
すなわち女性の体を自然に見立て豊満な体(理想化された女神)に模ることで
その恵みを祈る、或いは豊満に模ることで安産や多産を祈るために使われたと言われています。
その上で遮光器土偶も類似する形状を持ち合わせていることに加え、
目が大きく作られていることがより強い生命力溢れる女神として
模られているのではとも考えられます。
目というのは人体の中でもっとも「生命力」が表出する箇所ですしね。
話はややそれますが、
古来(未開社会)より神(カミ)に模倣したものを壊すという風習が
世界的に行われておりその意味合いは神(カミ)を物理的に殺し、
魂を新たな器へと移し変えることでその力を永続的なものにするというもの。
神(カミ)が殺されるのは五月が多いようで、これは夏の豊穣を祈願するため。
五月祭はこの考え方に基づいての祭事ですね。
さて、遮光器土偶は完全な形を留めて出土することが稀で
一部欠けた形、或いはバラバラに壊されたのものが多いのですが、
バラバラに壊されたものの中にはその破片が広範囲に撒かれていたものもあるそうです。
この点興味深いのはやっぱり似たような風習が世界各地にもあり
殺した神(カミ)の欠片(その模倣物が植物なら灰、生物なら肉)を
畑に撒くことで豊作になる、口にすることで霊力を得る…などと伝えられています。
遮光器土偶もそれと同じような使い方をされたのではないのでしょうか。
もっとも、体の悪い箇所と同じ部位を破壊してを身代わりにしたという説もあり
共感呪術を用いた呪医道具だったことも考えられますね。
……そういった考え方とは逆に目を瞑ったような造形から
死者を模っているのではないかとも言われています。
上記の神(カミ)殺しを参照して考えてみると
元々神(カミ)殺しというのは神とみなされた人間を殺す風習でもありました。
時代が下ると神(カミ)とみなされた人間の代わりに別のもの
(ある期間だけその神…カミの代わりに生きて殺される人、動物、藁や木で作った人形など)
を用いるようになるわけですが、それと同じように遮光器土偶は
元は神(カミ)として殺される人間の代用品としての死せる神の像だった、
という想像も不可能ではないでしょう。
このように遮光器土偶の特異な造形にまつわる思想を考えてみると
目というパーツに対する人の考え方……、
ひいては文化を垣間見ることが出来るのではないのでしょうか。
……なーんて実際のところちゃんと資料を調べたわけでもないのでわりと思いつき。
ところで舐め合いっていうと互いの顔面を69の体勢みたいに上下反転させた構図で舐め合うんでしょうかね?
Guest
向かい合って「交互に目を」舐めるというのが、
傍から見ていても見栄えのする構図ではないか、と考える。
しかし、じゃれ合うように軽めに「顔面69」するのも面白い構図かもしれない。
その場合は少なくとも一方が若い子だと可愛らしい状況に思える。
お互い年齢が高いとより淫靡な感じを受けるが、自身はどちらかというと
何かの拍子についでに行うような「ライトな」眼球舐めを好むので、
前者の体勢、向かい合って〜を推したいところ。
おそらくは古来より存在しているとはいえ、眼球舐めは
一般的とはいえない(粘膜を許すという意味で)性行為(といってよい)。
どのような体位が存在するのか、それを踏まえたうえで新しい体位の開発に興味があるものの、
余り幅もない気はするがどうなんでしょうね。
雑菌による衛生上のリスクはかなり高いとは思うが、
そこはファンタジーたるゴールデンロアの特性を活かして、
雑菌の多い部位を舐めた後の眼球舐めであっても大いに行われるべきだ。
例えば、姉上の汚れやすい部分に舌を触れさせた後に、啄ばむようなキスと並行し
眼窩と眼球の感触、その反応を楽しみたい。
その際は当然会話も挟む事。近親婚など社会的タブーの考察に始まって
今現在お互いに目を舐める事の意味合いを、等々。
もっとも、言葉少なくただ行為に没頭するのもそれはそれで美しいし、
親愛の、あるいは友情の証として、軽い抱擁のついでのひと舐めという状況も望ましい。否、より良い。
もっと言えば、眼球舐めにはよくいわれるように征服欲云々を発露する行為、という面も含まれるとは思うが、
そういった意味合いの少ない、より自然と行われる行為、スキンシップの選択肢のひとつ。それに惹かれる。
先に挙げた「舐め合いしてみたい」というのもその自然と行われる、という「ライトな」意味合いに於いてだったりする。
「目が閉じている=死者」と看做すのは興味深い。
その大きな目が、生者の直接対話に重要なアイコンタクトをしない状態なので、一種異様だなとは思う。
そこで、遮光器土偶の蛙にも似た目は、遮光器ではなく目そのものであったり、
(宇宙服を着た)異星人を象った物である。という突飛な説には夢がある。
ところで無闇に細い体型を志向し、内臓骨格が弱くなりがちな者よりも、
土偶や数多くの芸術に見られるような豊満な体型の者の方が、湧き出る生命力を感じ、美しい。
よって大いに推奨するところなので、エウロパ・エリオルネッドの体型もそうあるとご褒美です。
Europa
粘膜という内に属する部分を舐め合うこと=性交渉とみなすのは面白いですね。
なるほど、十分に納得出来得るお話です。
人間は内と外、自身と他者や下界を隔てることで境界性が云々かんぬん…
といううろ覚えな話を思い出しまして、その上で粘膜という内を
互いに舐め合うというのは性行為に値すると私は思います。
お話を聞く限りでは想定されたシチュエーションに百合的な色彩があるように思えますが
それがはてさて、直接的な性行為に代わる耽美なプレイと位置づけられているのか
それとももっと深い意味合いがあるのか、そういった嗜好のない私にはわかりかねます。
「目が閉じている=死者」とみなすことに関してはもうひとつ思うところが。
古来、人間は死んだ時…そして眠っている間にも魂が離れると考えられていました。
そして眠っている際にその離れた魂が戻ってこなければ
やはりその人は死んでしまうとされていたようで、
そのことを考えると「眠る=目を閉じる=死者」という図式は非常に納得しやすいものではないかなと。
余談ですが、世界各地で人間魂が蝶や鳥で例えられているのは
魂がすぐに離れ行くものと捉えられていたがゆえに
彷徨うようにフラフラと飛ぶ蝶やはるか彼方を飛び行く鳥が
元の体から離れた人の魂に見立てられてのことなんでしょうね。
私も先史時代より母たる大地の息吹を見出されてきた生命力溢れる
女性の豊満な身体付きに関して大いに同意するところでありますよ。
胸は大腿・お尻という土台に、腰という柱の上に存在するものですから
胸の豊満さが強調される造形であるならば
それに比例して腰、お尻、大腿部もまた厚くあるべきだと思いますね。
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