十数年前、秋も深まる季節の夜中、ある農村の林のなか。
一人の女がそこを駆けていた。 右手には血に濡れ、所々錆びている東洋の刀剣。
左手は腹部を押さえ、脂汗をかきながら。
長い黒髪を振り乱しながらその女は木陰にうずくまると、持っていた布─手持ちで一番清潔なもの─を取り出し、草むらに敷いた。
女は身篭っていた。 しかしその腹にいる子は女が望んで宿した命ではなかった。
故郷の街で暴漢にさらわれ、その時に出来た子だ。
しばしの刻があったのち、夜の木々の間で新しい命が生まれた。 元気に泣く女の子だ。
女は生まれた子を見て、震えながらつぶやいた。
「…あたしの子。 あたしと…あの殺しても殺しても、何度でも斬り殺してやりたかった…
あの男共の中の…誰かとの子…」
女は傍らに放っていた刀を手にし、産後体に力も入らぬままそれを赤子の頭上に振りかざす。
「…」
女の腕が震える。 とうとう振り下ろしたかと思うと、刀は赤子の傍らの小枝を叩き斬った。
「…できない。 …あたしには出来ない! …あの男は殺しても憎み切れない…
でも、でも…生まれてきたこの子に罪はない…」
その晩、女は赤子を抱きしめながら冷え込む林の中で夜明けを待った。
足取りもおぼつかないまま村へ向かう。そこに一軒の家をみつけた。
「…ごめんよ。あたし、お前の事、育てられないよ。 あたしと一緒にいたら、今度こそ
お前の命はないかも知れない。 …ごめんよ、ごめんよ。」
女は赤子に丁寧に布をくるませると、その家の玄関に子を置いた。
その際、赤子が包まれた布に己の腹から流れた、乾きかけの血を指先に付けて記した。
東洋の文字で、「青木 香織」と。
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