IK/0025
- トゥランの屋敷にて出された一杯の茶を飲み干した刹那、私は眠りに落ちた。
私は今、深き眠りの淵に立っている。なるほど、確かに彼は私の求める通りのものを差し出してくれたようだ。 トゥランが以前私に齎した護符の力──夢の中での栄達──、それはあまりに素晴らしいものだった。 故に、もう一度その夢を見たいと望むのは不自然なことではあるまい。一夜にして一生を巡ることができるのだ。 ……私はそう、この世での栄達を求めていたはずなのに、既に夜の夢に溺れていたのである。 -- 徐周
- 最初にトゥランの護符で見た夢で、私は栄耀栄華を極めていた。
第に登り、妻子を得、天子に仕え、宰相となって栄華の内に一生を終えた。 昔、盧生という男が邯鄲という地に赴き、呂翁という神仙の術を極めた男に出会い、彼に渡された枕にて栄耀栄華の夢を見たという伝奇を読んだことがある。 最終的に、栄耀栄華も一晩の夢に同じく儚きものであると盧生は悟る。栄達などに真の生の喜びはないという、道家めいた話だ。いわゆる「邯鄲の夢」である。 今思えば、私もこの盧生と同じ体験をしたと言えるだろう。だが、私の出した結論は彼とは異なる。 私はそもそもこの話が嫌いであった。人生の栄枯盛衰を見たとて、覚めれば夢である。夢は夢、現実ではない。 現実に栄華を極めて満足に死ぬことも当然ありえる話である。このような夢を見たからといって、悟った気分になるのはそれこそ虚しいことだ。 夢は夢、そのような栄耀栄華の夢を見たのならばそれは娯楽として楽しめば良い。 少なくとも、一杯の茶を飲むまでの私はそう思っていた。 だが、実際にはそう割り切れていたわけではない。何度もあのときの夢を見ようとしたのだから。 私は現実の栄華の夢を、夜の夢の中で果たし、満足していたのだ。どうせ、現実では叶わぬと。 夢を楽しんだ後は現実で栄達を目指す──「僕はそうできる」と信じていたのだ。 だが、この夢は甘くはなかった。私はもっと早くに気づくべきだったのだ。 やはり、この世もまた夢のようなもの。夢が夢に影響を及ぼすようなこともあるのだと。
私は夢の中で、夢を叶えてしまった。既にかつての栄達への思いも薄れていた。 夢に変化を求め、別の人間の人生を、別の栄華を楽しみたいという欲にとらわれていた。 故にこそ、私はあのような夢を見たのだ。そして── -- 徐周
- 私は夢を見始めた。
三度目のの夢を。 それがあのような結果になることを知らないままに。 夢の中で私は様々な人間となった。 文官、武官、詩人……果ては恐れ多いことながら天子にすらも。 だが、私はそれでは満足できなくなっていた。体験すればするほどにその思いは強まる。 数刻の間に、私は何度夢を見たのだろうか。 そして、私は最後に見た夢へと沈んでいく。 昔者荘周夢に胡蝶となる──『荘子』の中で特に有名な寓話であろう。 私は胡蝶ではないが、最後の夢の中で一人の童女として生まれていた。 しかもただの童女ではない──真人/神人である。即ち、仙人である。 藐かなる姑射の山の神人の如く、白雪のような肌を持ち、五穀を喰らうことなく生き続ける者となった。 雲に乗り、龍を操り、およそ人界では天子すらも体験することのない、神仙の遊びを得たのである。 なるほどそうだ。私は神仙の道にも興味があったのだ。姑射の山の神人の話にも憧れたことがある。 だからこそこのような夢を見たのである。 私は四海に遊び、天界を旅し、地の底を巡った。 神話伝説の中に登場する神仙と遊び、老いる事なき永遠を得たのである。 ああ、これこそまさしく夢の中の夢。男は女になれぬが、私は今女となっている。 それどころか、そういった男女の区別をも越えた神人となったのである。 夢の中で、私は不遜にもこの夢を永遠のものにしたいと思った。 最早現実などどうでも良いと。人界の栄華など神仙の楽しみの前には塵のようなものにすぎぬと。 私はついに夢の中で現実の自分自身の姿も忘れ果てた。 かつて自分がどのような姿であったのかなど、どうでもよいと思ったのだ。 永遠にこの夢の中にいるのだから、と── ああ、私は何故そのようなことを思ったのだろうか。 夢は夢だと、そう思って目覚めるべきであったのに。 -- 徐周
- ──その時、私は夢の中から放り出された。
夢から覚めたのである。 「何だ……もう終わりか。しかし、神仙の夢をも見たのならば最早……」 私は夢から目覚めたことに不満をいうほどに、夢に溺れていた。 だが、徐々に自分の身の異変に気づき始めたのだ。 私の手が異様に小さい。私の手はこのようなものであったろうか? 私の髪がとても長い。私の髪はこのようなものであったろうか? 体を見下ろして見れば、そこにはとても小さな体があった。 私の体はこのようなものであったろうか──? 自身の姿が思い出せない。 そして私は気づいたのである。 茶器に映る自らの姿を見た、そのときに。
「僕は、あの夢の童女になったのか……?」 取り返しのつかない夢に、足を踏み入れたことに。 -- 徐周
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- 賊のねぐらとも見えぬ 主は不在か(もとは酒でも詰めていたであろう水がめの蓋をずらし、黒い水面に浮かぶ羽虫を眺める) -- トゥラン
- (トゥランの訪れた草庵はみすぼらしいものである。飾り気など全く無い、廃屋にも見えかねないものだ。)
(彼が覗く瓷は、開拓が始まってから放置され続けてきたものである。) ──僕に御用かな。世間を離れて隠遁しようとする者の草庵を訪れるとは珍しい。 (草庵の奥から現れたのは大して目立つところもない中肉中背の男。あちらこちらが繕われた道袍を纏っている。) -- 徐周
- 鳥も通わぬ山奥に好き好んで隠れ住む物好きの顔が気になってな そうか、お前が主か(DIY精神あふれるあばら家の片隅に積まれた書を一冊開いてみる)
理由は二つに一つだろう 何かを求めてここに来た あるいは、何かから逃れてここにいる お前はどちらだ、隠れし者よ -- トゥラン
- (トゥランが開いた書物は経書の類であった。しかし、書は痛み埃も被っているため長らく開かれていないことがわかるだろう。)
いかにも僕はこの草庵の主だ。草庵の名は、あー……玄真庵とでもしておくか。つまりはそんなところだ。 (徐周はトゥランを値踏みするように見る。自信の栄達に資するものかどうかを判断しようとしているのだ。) ……僕は何も求めてなどいない。祖国での名誉争い、政争、戦争、それらのことに嫌気がさしてね。 だから遠く祖国を離れ、この見知らぬ土地で隠れ住むことにした。逃れるといえば、喧騒から逃れるためと言えるな。 (あわよくば士官の道を求めて、という真意は述べない。あくまで隠者としての自身を嘯く。) -- 徐周
- トゥラン・リューネブルクだ 王の許しを得て新たな村を作っている ここでは誰もが異邦人だが、お前の名は特に耳慣れぬ響きだな
……異なことを言う(薄くくすんだ色の埃を払い、書を元に戻す)浮世の習いに倦み疲れ、人のおらぬところに逃れたというのだな 何も求めぬなど嘘であろうよ ここにはお前の名を呼ぶ者がおらぬ ならばいないも同然よな 今日の夕刻を待たずに野垂れて死のうが、百年(ももとせ)の後に枯骨を晒そうが同じこと 世の全てを厭いながら、お前には未だ生きる理由があるのだ それは我らが夢と呼ぶものに相違あるまい 玄真庵、お前の夢は何だ? -- トゥラン
- ──な、何を言うッ……! 君も聞いた通りだ。僕は俗世の喧騒に嫌気がさした。それだけのこと。(何も求めぬなど嘘と言われれば、徐周の態度が崩れ始める。)
見よ、この草庵を。世捨て人でもなければ誰がこのような藁で作ったような家に住むものか。夢も何もかも捨てたから僕はここにいる。 遥か東の京師より喧騒を逃れてここまでやってきた。君の言う通りここでは僕の名を知るものもいない。誰も覚えてなどいない。幽霊のような者……僕はそうなりたいだけよ。 ぬ、う……。(未だ生きる理由があると言われれば返す言葉もない。本当に隠遁生活を送りたいのならば、このような人里にいるはずもないのである。) 言っただろう……僕に夢などない。ないからこそ、このような辺土まで逃れてきたのだ。大体何だ君は。何故そのようなことを僕に問う? このようなあばら家に住まう者に、村作りの手伝いを頼みに来たわけでもないだろう。 (彼の質問には答えず、何故夢などを問うと問い返す。隠遁者にしてはあまり余裕のない態度である。) -- 徐周
- 何故と問うか、玄真庵(すこし深入りしすぎたかと思案しながら、奇妙なことばかり言う人間に好奇心が抑えきれずに話を続ける)
知れたこと! この世界は夢見る者が作るのだ 夢を失くした者には、退場する自由も与えられている だが、お前はここに踏みとどまっている 捨てきれぬ望みが、抑えきれぬ願いがなければ叶わぬことだ……ああ、そうか お前は夢に潰されたのだな 到底抱えきれぬ大望を抱いてしまったのだ そして今や、夢見たことを恥じ入ろうとしている 所詮、人に語れぬような夢だったのだとな お前の言葉は嘘ばかりだ 違うか? 違うというなら吼えるがいい(まなざしの奥に野望抱くものの熱を感じ、くろぐろとした目を細める) -- トゥラン
- (黒黒とした眼に射られ、徐周は身構える。この男は赤の他人の境遇など詮索してどうするつもりなのか、と。)
(よもや自らと同じ──俗に言えば、この新興国で一発当ててやろうと画策する者なのではないかという疑念が過る。) 君に何がわかる……! 人の心を覗き見るような真似はやめろ! 君は妖怪、異類の類か……!? (過去を見透かしたような言葉に口調が更に強まる。強まる故は、彼の言葉が全て的を射ていたからにほかならない。) いいだろう、君が何を企んでいるか知らないが好き勝手に言われるのは嫌いだ。君のような男に舐められでもすれば僕の「目的」が果たせなくなる。 (かつて持っていた自信や誇りは打ち砕かれたとはいえ、元来の性格は早々変わりはしない。侮られるということを周は何よりも嫌うのだ。) 僕は夢に潰された。龍だと思っていた自分が、実際にはただの蜥蜴に過ぎぬと知ったのだ。 祖国での夢は叶わなかった。だが、今一度天は僕に運を与えた。この土地で僕は再び栄華の道を歩むと決めたのだ。 今に現実になる夢だ。君に語って何の問題があろうか!(と、言ってのけた後にしまったという顔をした。相手に乗せられるようにして語ってしまったのだ) -- 徐周
- 何もわからぬとも お前が自ら語ることの他には……人は己の語りうる以上のものにはなれぬのでな
(自嘲の言葉は己を激するためのもの、熱は全く冷めていない そう見てとると双眸はますます細まる) ははは、異境に渡り田夫野人に身をやつしながら位人臣を極めんと望むか 成程、それは夢と呼ぶに相応しき大望だ 夢に潰され、心砕かれ、尚もこの地に希望を見たか いかにも、お前のそれは夢を捨てた者の目ではあるまい 賢しらに虚言など吐きおって、捨てるべきは愚かになれぬ己の方であろうよ(夢の話を聞くのは楽しく、わずかに語気が和らぐ) お前は龍ではないが、蜥蜴でもあるまい お前は人だ 夢見て暮らす生き物だ そして今は再起を待つ身か 話の礼にひとつ珍しいモノを呉れてやろう(大きな雑記帳の栞に使っていた短冊状の紙に筆を走らせ、護符のような代物に仕立てる) 枕の下に敷いて眠れ 力ある護符だ 夢を叶える助けになるだろう(書の上に残し、徐周の庵を出ていった)また会おう、玄真庵 お前の話は愉快だった (護符は黄粱の夢を見せる仕込みだ 夕餉の煮炊きが終わるまでの僅かな時間に、望めば天寿を全うするまで栄華の夢を楽しめるだろう) -- トゥラン
- ……クッ、何のつもりなんだ君は……! 僕の夢など聞いて君に何があるというのだ!
お、おい、それは……?(こちらの話を聞けば、相手は何やら楽しそうな様子を見せる。とはいえ、徐周にはその語気の変化でぐらいしか察することはできなかったが。) (トゥランは短冊に筆を走らせると、それを「護符」だと言い残し、草庵を去っていった。) 何だったんだあの男は……くそっ、真意を隠して隠遁していたというのに勢いで話してしまったじゃあないか……。 力ある護符だのと、どうせ妖しげな妖術の売り込みにでもきたのだろうが……少しぐらい試して見るとしよう。 (昼寝とばかりに枕の下に護符を敷いて眠る──周は夢を見た。) (それは今はなき祖国での栄華を極める夢であった。第に登り、高級官僚としての道を開き、武においては辺境の夷狄を平定し、文においては宰相までに上り詰めた。) (文武両官を極め、美しく慎ましい妻を得、優秀な子息に恵まれて──繁栄と幸せの内に天珠を全うする。) (僅かな時間の間に、徐周は自ら求めていた栄華の全てをここに経験したのであった。泡沫の夢の中で。) ……夢……なのか。(目覚めと共にそれらの栄華は消え失せた。徐周の瞳からは、あり得た栄光を惜しむ涙がこぼれ落ちた。) だが……これで人生は虚しいものだとは思わない。死はいずれ来るとしても、僕はこの地で栄華を極めて見せる……。 -- 徐周
- 辺土より出づるも、第に登ること能わず、絢爛たる京師を離れ、山野に隠れて神仙の道を求むれど得られず。
遥か西域に入りて彷徨し、名さえ知らぬ土地へと流れし我が身。 新しき国に到りて、我が運ついに開けり。今こそ高き位の官吏へと登るべきときなり── -- 徐周
- 隣に置かれている壺がとても気になる。
「あくまのつぼ」とはいかにも神変不可思議ではないか。 よもや今度こそ本物の天下の霊物じゃないか……ああ、とても気になる。 ……否否。僕はここで栄達の道を進むことを決めたのだ。今更神仙趣味に本当に走って何になろうか……。 -- 徐周
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