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たった一人の生き残りを見送って、人形はそれきり動かなくなった。 気がつけば三途の川を漂って、彼岸の藍鬼様の腕の中。 「目が覚めた?ご苦労様。よくがんばったね。いい子…」 自分にそっくりな鬼の子に優しく撫でられて、ああ、私は死んだのか、と悟る。 藍鬼様を見るのは初めてだった。幼子のような声。銀の髪に、藍色の瞳。 「燃やされないで、大事にされる事もあるのだね…不思議なの」 私を抱いて遠い目をして藍鬼様が言う。 「短い時間だったけど、君は君のために生きた。どう?幸せだった?」 優しい声で尋ねる藍鬼様に私は頷いた。おかしいな、声が出ないの藍鬼様。 「…ああ、喉の部分が割れてしまっているね。でも君の考えてる事はわかるから大丈夫」 …そうなんだ。よかった。 藍鬼様、私ね、とても幸せでした。お友達もできたのですよ。 「お友達?そう…よかったね…じゃあ、お別れもできなくて寂しかったね」 寂しそうな瞳をして呟く藍鬼様。私ははっとして藍鬼様を見上げた。 …でも、これが死ぬということだから…しょうがないです。 「少し、時間をあげようか?」 …いいのでしょうか。もう、死んだのに。 「いいさ、少しくらい。他のお人形には内緒だよ?」 藍鬼様の悪戯っぽい笑顔。その後意識が遠くなって… がやがや騒がしい。ここはどこだろう…? お酒の匂いと料理の匂い。荒っぽい冒険者たちの騒ぐ声…ああ、酒場だわ。 見慣れた景色にほっとする。生きていた頃は、少し怖かったけれど。 「お帰り」 急に後ろから声をかけられてびっくりして振り向いた。 目の前には酒場によくいる男の子。藍鬼様の遠い子孫の子だ。 こうして見ると、藍鬼様によく似ている。声もそっくりだし…。 「どうしたの?」 首を傾げるその子に声をかけようとする私。でも、声が出ない。どうしよう。 「あれ、喉の部分…そうか、声が出なくなってるのだね」 藍鬼様と同じように私に言う鬼の子。そっと私の手に触れて、 「君の指で、僕の手のひらに文字を書いて。そうしたらわかるよ。…大丈夫。君の国の文字は僕、お兄ちゃんから教えてもらったんだ」 ああ、故郷を離れて異国の地で暮らしても、貴方たちは故郷は忘れていないのね。 私はとても嬉しくなる。藍鬼様を置いて出て行ってしまった人たち。 でも、そう、好きで離れていったわけじゃないんだ。 指でゆっくりと文字を書く。 この子に預けていたものがあったから。 出発前にお願いしていたお菓子の取り寄せ。色とりどりの金平糖。小さくて綺麗な風呂敷に包んでもらったの。 鬼の子は私が文字を書きおわると頷いて、小さな風呂敷包みを取ってきてくれた。 真珠のような光沢のある真っ白な風呂敷包み。端には朱色がはいっていて、とても綺麗だった。 それを両手で受け取ってお辞儀をする。ありがとう。 「誰かにあげるの?お人形だから食べられないものね?」 私はこくんと頷いた。 「じゃあ、早くわたしてあげてきなよ。きっと喜ぶよー…あ、呼ばれてる。行かなきゃ…またね」 冒険者に名前を呼ばれてそちらにかけていく鬼の子に私はもう一度お辞儀をした。 あの子が、鬼の一族最後の一人。本当なら、どこかの国で偉い魔法使いになっているだろうに、何故こんな所で給仕をしているのだろうか。 …生きているうちに聞いておけば良かったな…藍鬼様なら知っているかしら? 風呂敷包みを手に提げて、人を探しながらそんな事を考える。 …あ、いた。 カウンターでお酒を飲むその人に私はそっと近づいた。 前にお菓子をあげたらとても喜んでくれたから、もういちど、と思って。 お礼は結局食べられなかったし、お詫びもかねて。 カウンターによじ登って、風呂敷包みを置く。 お行儀が悪いけど、その上でぺこりとお辞儀。 優しくしてくれて、ありがとう。少しだけど、甘いものを。 …喜んでくれるといいな。 私は気づかれる前にゆっくり下に降りた。 …もうひとり、ええと… いつもどこからともなくあらわれて、お話をしてくれたあの子…どこかしら? もしかしたらここにはいないのかな…と少し不安になる。 「ちび鬼なら、あっちにいたよ」 きょろきょろする私に気づいて、鬼の子がまた声をかける。 忙しそうに、両手にエールを持った彼に頷いて、彼が指差した方に歩いていく。 カウンターで眠っているのをやっと見つけた。 眠っていて、少しほっとする。さよなら、と伝えるのは怖かったから。 あどけない寝顔を眺めて、自分の髪飾りを取る。 そーっと、起こさない様に髪につけてあげた。 ふふ、女の子みたいに可愛らしいわ。ご主人様にもらった髪飾り。あげるね。 時々眺めて、思い出してくれると嬉しいな。 友達になってくれて、ありがとう。 声は出ないから、唇を動かすだけだけど、呟く。 お人形と、主人というのではなく、対等にお話しするのは初めてだった。 短い間だったけど、楽しかったな…人になれたみたいで…。 さあ、これでお別れはおしまい。 そう思ったら、指先からだんだん透けはじめて…もう帰る時間な事に気づく。 ふわふわした髪、小さな角、覚えておこう。 消えていく自分に、そのことが意味のあることなのかはわからないけど、見ていたかった。 「お帰り」 鬼の子の声が聞こえて私は顔を上げる。 川の流れる音と、藍鬼様の腕のぬくもり。…ああ、もう帰ってきたのですね、私。 「もう少し、いたかった?」 私を抱きしめながら小さな声で藍鬼様が言う。 …はい、でも、最後に、贈り物をしてきました。だから、いいのです。 あれ、どうしたのだろう。とても眠い。 「…そろそろ…君の魂が消えてしまう。その前に」 その言葉に、私はゆっくり頷いた。 藍鬼様の一部に、私を。 あの、藍鬼様?…記憶も、意識も消えてしまうのでしょうか…? 「大丈夫。僕は君、君は僕になるんだ。全部、全部覚えているよ」 よかった…ほっと、ため息をつく。あふ…ほっとしたら、もっと眠くなっちゃった… 「眠っていいよ」 とても優しく頭を撫でられて、私は目を閉じる。 ゆっくり、ゆっくり意識が遠くなって………そして… 私は藍鬼様になった。 見渡せば、彼岸花が沢山、沢山咲いている。どこまでも赤くてとても綺麗。 そこには鬼が一人、棲んでいる。 牡丹の柄の振袖を着て、銀の髪に藍色の瞳。子供のようなその姿。 三途の川に写る現世を懐かしそうに眺めながら、時折川を流れてやってくる人形から人の病受け取って、身に移して人を癒す。
彼方東の国の人は。その鬼を藍鬼様と呼ぶ。
昔々、東の国に人も人でない生き物もまだ混じって一緒に暮らしていた時代のこと。 長寿で魔力の強い生き物だった「鬼」という一族がいた。 鬼はその強い力で人を守り、人は鬼を敬い、人の姿とよく似ていたこともあって鬼は人と仲良く生きていた。 ある時、人と人でない生き物の戦がおこり、鬼は人に味方する。 人と鬼は力をあわせ、戦に勝つことができたのだが、いつしか人は強い力をもつ鬼を恐れ迫害するようになった。 人に味方したために、もう人でない生き物の中にも戻れない。鬼は東の国を離れてどこか遠くへ行く事となった。 鬼の中には人と結ばれたものもいて、生まれ故郷を離れる事も耐え難く、一部の鬼はその国に残る事を希望した。 人は残った鬼に「人と交わらない事、子を残さない事、鬼の力を使わない事」を約束させると、都を離れた山奥の村に住む事を許す。 村人たちははじめは鬼たちを恐れたが、自分たちとは変わらない暮らしをする鬼を段々と受け入れ、共に静かに暮らした。 「子を残さない」と約束した鬼たちは一人、また一人と死んでいき、とうとう最後の一人になってしまう。 子供のような姿のままの最後の鬼は、明るく心優しく、村の皆に愛されていた。 その鬼は他の鬼とは違う青い瞳をしていて(鬼の一族は普通すみれ色の瞳をもつ)水を操るのが得意だった。 一人きりになって何年かたった頃、村に雨が続き、近くの川が今にも溢れそうになってしまう。 「鬼の力を使わない」と約束していたので最後の鬼は力を使えない。使ったらこれ幸いとばかりに鬼を嫌う都の者に処刑されてしまうだろう。 鬼はただ人を手伝って土手に土を積み上げる事しかできなかった。 その作業の途中、若者が川に落ちてしまう。 鬼は若者を助けるために鬼の力を使って、水をどこか遠くへやってしまった。 その事はすぐに都の者に知れ、兵を連れて役人が鬼を処刑しにやってくる。 鬼に助けられた村人たちは鬼を逃がそうと手を尽くすが、鬼は逃げなかった。 処刑の前夜、牢に入れられた鬼のもとに川で助けた若者が訪れる。 若者と鬼はとても仲が良かったから、どうしても見捨てられなかった。 逃げようという若者に鬼は首を振り感謝の言葉を述べた。 「私が逃げたら村に迷惑がかかるでしょう。もうじゅうぶん私は生きました。 最後の時間を村の皆のおかげでとても幸せに過ごすことができた。 私は死んで精霊となってこの村を守ります。村人最後の一人になるまで幸せであるように」 そして鬼は笑って、次の日処刑された。 それから村は大水にも干ばつにもなることもなく穏やかな日々。 助けた若者が村の長になった頃、都で病が流行り、村の子供もその病にかかった。 効く薬もなく、途方にくれていると、長の夢枕に精霊となった鬼が現れ、 「私によく似た人形を作って子供に持たせて下さい。 そうしてから人形を燃やして灰を川へ流して下さい。 私がその子供の病気を引き受けましょう」 と言った。すぐさま長は鬼の人形を作り、言われたとおりにする。 しばらくして子供は病だったのが嘘のように元気になった。 村人は鬼に感謝して川辺に祠を作って鬼を奉った。 それ以来村では子供が生まれると鬼の人形を作り持たせるようになったという。 その人形が「天藍石」
おにの子あいの子 ゆらゆら流れ お里に帰れぬ なみだが流れ やさしいひとの子手を引き帰る おにの子ひとの子並んでねむる