名簿/510556
- (簡体字の羅列されたネオンサインが眩しい。瓦礫城は、奥に進めばそれほどにそこが“異界”であるという主張を強める)
(住居を無秩序に、無計画に積み上げた構造体は、細胞の重なりが一つの生物を創り上げるのと全く同じく、有機的に人を誘い込んでいた) (キャスターは静かにそこを歩む。メルセフォーネには既に、魔力の供給が届く限界の位置で防護魔術に囲まれながら待機をして貰っている) (《三色硝子の三稜眼鏡》が、ネオンサインに混じって色硝子の色合いを変え、蜻蛉の目玉のようにして周囲を探索している) (彼には、ここに赴く理由があった。いつか、彼へ勝負を挑み、決意を抱いて伐採斧を振るったあの“アサシン”のように、英霊として高潔な決意を抱いていた) (名状し難い鼠大の昆虫が、足元をカサカサと走り抜けていく。周囲の空気が変わり、冷えきった魔力が、煤けた路地の奥から流出している) ……捜すの苦労したよ。キャスター。 僕は改めて、キミのマエに立ち塞がろうと思う。聖杯戦争参加者、“打雲紙のキャスター”として。……よろしい? (彼は、虚空へ向けて話し掛ける。確かに存在を感じている。打雲紙のキャスターは、敵の本拠地へ乗り込もうという癖に、不自然なほどに無防備だ) -- 打雲紙のキャスター
- (打雲紙のキャスターを退け、彼を見逃したことは、キャスターの中で左程大きな意義を持たなかったと言っていい)
(聖杯戦争という大局の中、一人のサーヴァントとの戦闘は極めて小事である) (故にキャスターは前線に立つ兵士としても、指揮官すらも配下に一任していたし、そのスタンスを今更崩すつもりはなかった) (精神に亀裂の入った打雲紙のキャスターがイレギュラーとして多少なりとも戦況を動かしてくれれば上出来か) (あの様子では、遠くない将来、敗ける) (そう軽視し放り投げた矢は、狩人として生まれ変わり、首を狙うために出戻りをした) 覚えのある魔力を感知したと思えば、やはり。 (虚空からの返事、すぐだった) (錆付いた鉄製の螺旋階段を、乾いた靴音が鳴らす) (コツ、コツ、コツ、コツ。小気味良い断続的な残響が打雲紙のキャスターの耳に届くよりも早く、場は氷結の大気に飲み込まれていた) (白夜を纏う主は他でもない、かつて交戦した女のキャスター) (相変わらずの仏頂面で、打雲紙のキャスターが現れたことにも、特に感慨を抱いた様子はない) 再び現れるとは思わなかった。あれだけ惨めな大敗を喫して、再起の気力を奪ったのに。 (脚が階段から離れ、地面へと降り立つ。暗色の衣服は、薄暗い瓦礫城の雰囲気と親和して、キャスターの存在を希薄なものと錯覚させる) 理由はどうあれ、お互いサーヴァントである以上、避けて通れない道だと考える。 私はあなた個人に特別な感情があるわけではないけれど。 私の傀儡の行動、ひいては指示者の私をあなたが許せない、と感じているのあれば。 (空気の重圧が一段階増した。言葉と裏腹の攻撃的な凍気だけで、キャスターの意思表示は十分だった) 好きにすればいい。 -- 時守のキャスター
- (瓦礫城の存在が揺らいでいる。この建築物は定期的に“転移”を繰り返すらしく、その時期が近いのだと聞いた)
(時代感を無視したネオンの看板と古典的建築手法が混在するこの場所は、次元が乱れているかのように感じられる) (そこに立つ、二人の“魔術師”が時代を大きく隔てた者同士で対峙しているというのもそれに拍車をかけている) どうしてだろうネ? 僕も、勝算はかなり薄いと推測したというのに、ここに居る。 (睨み合う。方や暗幕じみた衣装に、淡色の冷気を身に纏った魔術師。方や、奇抜な眼鏡が暗中に輝き浮かぶ、薄っぺらな魔力を纏う魔術師) (彼女と、彼は、聖杯戦争上で交錯した数奇な運命の上に居る。過去の因縁もない。ただ、互いに参加者であり……) (彼が一方的に、彼女を敵視し、見過ごせないと決めつけているのみ) 別に、冷静な判断ができなくなっているというワケでもないんだ。僕がアナタを打ち倒しても利益はなく、逆のパターンでも同じことだ。 そりゃ、あれだけ手酷くやられたのだし、いつか来るキミを危惧して先手を打つのが悪手とは言い切れない。 でもキミからすれば“いつでも倒せる相手”なのだし、そんなことは進んでしないだろうね。 (冷気に満ちた中で、棒立ちのまま飄々としている)……僕のこの行動は全く不合理なわけだ。 好きにすればイイ、そう。これは僕個人の感情が大きくもある。すなわち。やられっパナしじゃいられない、っていうこと。 ……答えなくてもいいけど訊きたい。キミは、聖杯に何を望む? (この言葉が彼の意思表示であった。掌に生み出された紙っぺらは、空中で折られ、数々の紙飛行機へ変貌してゆく) 折紙投影、マジックアロー大隊。 五次、『火星』の魔方陣【盛の面】《ファイアボール》から、同じく【興の面】《スチールコート》。 (燃える鋼鉄の鏃が大量に浮かぶ。そのまま、挨拶とばかりに愚直に、前面を全て埋め尽くす形で射出した) 折紙投影、ニンブルダガー小隊、ふたつ。 (両の片手に、三角形のフォルムをした紙飛行機の小隊が形成される。風をかききって進む炎の矢が“キャスター”にどう機能するか、それを見極める) -- 打雲紙のキャスター
- 望みなんて、ない。
そもそも私は聖杯自体への興味を失している。 私を召喚した娘は本心ではどう考えているか知らないけれど、私が勝利した暁には、そう―例えば。 聖杯戦争の終焉でも望もうか。 (空を仰ぎ、投げやりに言葉を繋いだ) (その瞳には、生きるために必要な、人を構成する部品が欠落している) (喜び、情熱、夢。サーヴァントにも変わることのない、むしろ色濃く発現する生命を輝かせるためのスパイス) (勝利を求める戦争において、望みのないサーヴァントなどは、失敗作の見本だ) けれども、望みはないが、勝利はしたい。 脈々と紡がれる儀式により降誕する、夢を集めた万能の願望器だなんて、どう考えても冗談が過ぎている。 よく考えてみれば理解できること。子供だってもう少しマシな寓話を考える。 なのに誰もが必死に勝者になろうとするなんて、馬鹿げるにもほどがある。 私はそんなに簡単に、願いの成就が許されることに、賛成しかねる。 自らの願いを、血の浸った人皮で編まれた欲望樽に託してしまう輩は、どうしても我慢ならない。 だから―。望みを叶えるためではなく、望みを叶えさせないために戦っている。 (魔力の瘴気が色濃くなる。幾度も打雲紙が体験した、キャスターの魔力が発露する前兆だ) 私が勝利して、誰の願いも、叶わせはしない。 (大気が震える。打雲紙が発動を感知した刹那に、既に"それ"は出現している) (手厚い出迎えとして手向けられたものは、巨大な歯車としか例えようのないいくつもの単純な物体だった) (機械部品に使われるギアより遥かに巨大で、直径は1メートルほど) (光沢を放ち輝く縁は、歯車というより斬首台の刃に使われそうな禍々しさを秘めていた) 廻りなさい、震える夜。 (キャスターの指示が下される) (無軌道に回転する歯車たちは、瓦礫城の破壊もお構いなしに所狭しと抉り、暴れ、跳ね廻る) (衝撃の余波で緩まっていた次元の境界線の不明瞭さが増す) (紙飛行機の編隊を纏うキャスターへ銀色の円盤の一枚が到達するまでは、すぐだった) -- 時守のキャスター
- (生前の"キャスター"の一生を簡単に説明すると、色のない人生だったと切って捨てられる)
(かつて彼女が過ごした次代の優秀な人材を育成するためと標榜した学園での生活は、灰色だった) (恋に友情にと忙しない青春を送るクラスメイトたちを、自分の才覚に自信が持てず遊びに逃避する打弱者と卑下したことで、彼女は周囲から孤立していた) (そんな中魔法の研究にのめりこむことは当然だったし、言葉の裏付けとなる程度には実際彼女は能力に恵まれていた) (在学中に独学で『時を止める魔法』についての研究を重ね、首席での卒業を果たしたキャスターだったが) (彼女には理解者も、ただの一人の友人もいなかった) (キャスターはそれで構わないと思っていた) (結局人間は一人なのだと、キャスターは世界の理を理解し始めていた) (大学に進学した彼女も、やはり孤独だった) (才能だけは認められるも、人との関わりを拒絶する孤独な天才という穿ったイメージが、常に影を落としていた) (4年が経ちを卒業した後、キャスターの優秀者を認めたとある研究機関は彼女を迎え入れたが、そこで待っていたものは恨み・妬み・嫉み、人間の負の感情の坩堝だった) (「あいつだけが特別扱いされる」) (「本当は大した実力もないくせに、体を使って取り入ったのではないか」) (「あいつがいるだけでチームの空気が悪くなる」) (「研究結果の盗用もしているらしい」) (「そもそも時を止める魔法なんてものが存在するはずがない」) (彼女は機関を去った。キャスターは、人間という生き物に、毛ほどの興味も抱かなくなっていた) (同時に、生き続ける意味を見失ってしまい、自分に呪いをかけた) (自らがこの世界に希望を取り戻した時、再び身体の時間が進むように) (それまでは烈しい怒りも深い悲しみも必要としない、植物のような人生) (代謝機能を失った息をして魔法の研究を続けるだけの肉人形を置いて、世界の時間は進む) (いつしか彼女には、時を止める魔女という風評がついて回り) (時守の魔女と呼ばれるようになった) (それから幾つの昼を数えて、夜を超えて) (少しだけ、キャスターは人との交流を再会することとなった) (辺境の森に住むキャスターを生神として拝む修験者や) (彼女の持つ知識を外界へ伝えようとする若き学者や) (度胸試しとして先輩から送り出されてくるそばかすの残る騎士団新入りの若者は) (誰もがキャスターを崇め奉り、彼女の凍てついた心を傷つけることはしなかった) (しかし、安寧の日々は終わる) (人間の心は、どれだけの時間を費やしても、弱さを拭えないままだったのだ) (キャスターは世界政府転覆を企む危険思想の持ち主として冤罪をかけられ、処刑されるに至った) (人々は強大すぎる力を持ったキャスターを恐れてしまったのだ) (「やがて敵対するかもしれない。災いの目は早めに詰むべきだ」) (処刑台へ送られる時、自分を見る人々の視線を集めたキャスターは、死の間際に悟る) (『ああ、私が生きてきた世界は、こんなにも憎悪と欺瞞に満ちていて) ( 今更透明に戻せないほど、泥水のように濁りきってしまっていたのだ』) (そして時守の魔女、イザヴェル・ヴィオレの生涯は閉じられ) (聖杯戦争のキャスターとして、再びページが綴られるに至る) 下らない。 (打雲紙の感傷を一笑に付す。冷たい視線に浮かぶのは明らかな嘲笑) 過去は埋葬するべき。満たされなかった想い、叶わなかった願いは、眠らせてやるべき。 諦めを受け入れて自分の弱さを処理できないから、こんな蠱毒が産まれてしまう。 キャスター、あなたも他の凡夫に同じ。 あなたの戦いに意味はない。私がここで終わらせる。 絶望の嘆きにその身を浸して、私の糧になりなさい。キャスター。 (それ以上の言葉は必要なかった。どちらが上か、魔術師として優れているのか競い合う) (どんな言葉で飾っても、理屈をつけても、結局はそこに落ちつくのだ) (既に勝利は手中に収めている) (未だに他人を引き合いに出しての綺麗事に終始する打雲紙のキャスター相手に敗北する未来は、ない) (従えた宝具《震える夜》が相殺し、迎撃される) (同程度の破壊力を持つ編隊は、一つ一つは小ぶりながら、どうして威力は高い。おそらくはあれも宝具) (纏うスタイルの固有結界を着込み、紙の魔神と化した打雲紙の打突を前に、今一度時守のキャスターの絶対の宝具が、瞬いた) 天地玄黄 光陰 明暗 雌雄 愛憎 悲喜 表裏 虚実 栄枯盛衰 黒白 清濁 浄穢 興廃 生死 出口も夜明けも無い孤独の旅路で、常に世界は対峙する。 (空気の壁を破り拳が放たれた先に、キャスターの姿はない) (標的を見失い焦る打雲紙の背後、湾曲し亀裂の入った境界線の物陰に身を隠したキャスターは、無慈悲に宝具である銀色の円盤を射出する) (音もなく宙を舞う暗殺者は、打雲紙のキャスターの命を絶つため一直線に飛翔した) -- 時守のキャスター
- (打雲紙の決意に満ちた面持ちは、生前に関わった有象無象の人間がかつて抱いていた輝きに似ていた)
(どんな辛苦や困難が待ち受けているとも知らず、向かい風の中をただ進み) (前に進むことで運命が切り開かれると信じている愚者の瞳だ) (荒波の中で道を見失い、理想と現実の狭間に落ち窪んだ末に挫折するしかなかった凡庸な戯者たちは、例外なく眼を曇らせた) (所詮はその程度の薄さしか持たない癖に。ただ絶望し果てる運命しかないというのに) (人間は、どこまでも浅短で矮小だと、再確認せざるを得なかった) (希望を是とするカー・ファインと、絶望に身を窶したイザヴェル・ヴィオレ) (全く異なる人生を歩むも、共に魔道を極めキャスターの英霊にまで昇りつめたものたち) (どこまでも平行線のままの二人の終着駅は、近い) 救えない男。 (次々と姿を変え乗り換えてゆく打雲紙の目はまだ死んではいない) (不屈の闘志を無二の燃料に、我武者羅に見える攻めを続けてくる) (仕掛けたペテンの本質を模索し、見極めているのだろう) (どれだけ全身の毛穴を開き、感知能力を上げたところで、全ては徒労に終わる) (理解したところで、時間の壁を超えるなど、不可能なのだ) (魔法とは心の強さに由来する) (不変不動の信念を保っていた"キャスター"の魔術は完璧だった) (世を儚み、全てを無意味だと諦観した結果、サーヴァントとなった彼女は時間という悠久の流れに存在を同化させた) (皮肉なことに、生前に研究していた命題の一つは、聖杯戦争の箱庭に駒として置かれたことで、回答を得てしまったのだ) (彼女の宝具は、世界に満ちた時間の概念そのもの) (故に触れることも、ましてや破壊することはできない) (誰も、誰も、けして) (時間は時守のキャスターを裏切らない。時守のキャスターも、時間に背を向けてはならない) (それが盟約。時守のキャスターの楔の十字架) (多重の紙分身と化した敵の姿を目しても、あえて時は止めない) (これから展開される打雲紙の希望全てを正面から打ち砕いてやろう、と思った) (聖杯戦争に巻き込まれる中で、今初めて"キャスター"は、自らの望みのために戦おうとしていた) (打雲紙のキャスターとマスターの悔しがる顔は見応えがありそうだ、との仄暗い喜びを) (招待された鏡の国で、心静かに待つ) (希望が幻想だったと知らしめる、終焉の時を) (鏡面の狭間で、完全な光と化した一撃発射がされる) (光速は宇宙における最大速度である) (実に30万キロメートル毎秒で行進する最強のランナーは、地上に存在する炎や氷の力を超越し、最"光"速度を叩きだす) (人為的に造られた魔法現象においてもおいてもそれは同じ) (もし光を本当の意味で、隷属させられるのならば) (未来永劫魔法史へ名を刻まれるひとかどの人物となるはずだった) (かつて時間を従えたと畏怖されたイザヴェル・ヴィオレと並び讃えられて) (瓦礫城が周囲の場との連結を解かれることで、次元の境界線も曖昧になっている) (人智を超越する二人のキャスターの戦いが転移の終期を早めたのか、既に次の行き先を模索しているようだった) (白紙の下の、空間に無数に生まれた傷跡に似た亀裂の中は、転移先の風景を映している) (大海の渦が、機械の立ち並ぶ工業地帯が、地面を見下ろす霧に覆われた山岳が、永久凍土が敷き詰められた積雪地帯が) (星の全てを曝け出す、高次のパノラマを映し出している) (そのうちの一つ。銀幕に覆われた綻びの内、一箇所だけが結合の切れ間として露出していた) (打雲紙の最光の魔術の発動を見届け、《出口も夜明けも無い孤独の旅路》を起動させ、未来への希望を握り潰そうと画策する刹那) ("キャスター"は瓦礫城を覆う軋みの穴に、目を奪われてしまった) (この時代に生きる、『己』の姿を) (空と雲が交錯する場所を、一隻の船が飛んでいた) (フォルムは魚に似ている。胸鰭に相当する部分には主翼が存在し、浮力を発生させると同時にレーダーの役割も兼ねているようだった) (背中は開けており、立ち並ぶ建築物や人が生活していることから街にも、国のようにも見えた) (焦点はより詳細に鮮明に視点を変えてゆく) (古ぼけた小料理店に座っている女は、見間違う暇もない、紛れもない自分) (自分は、黒髪の長髪の男と食事をしていた) (忙しなく喋りかけてくる男に対しても、余り相槌を打とうともせず) (むしろ露骨に辟易した様子を見せている) (ここだけを切り取れば単なる男女の感情の齟齬に過ぎない) (が、自分の最大の理解者は自分自身) (表情を見るだけで何を考えているか、思考をトレースできる) (傍らに座る男を信頼している。愛しているとさえ感じられた) (この世界の自分がどんな変遷を経て、かの状況に至ったのか) (分かるはずもないし、答えを得ようにも) (全ては遅すぎた) (もしも、時守のキャスターの宝具が完璧に発動されていたら) (もしも、打雲紙のキャスターの白銀のベールが次元の亀裂最後の一箇所までを塞ぎ止めていたら) (戦いにもしもはない) (こぼれ落ちる時の砂は、色を失くした想いごと攫ってゆく) (『光を落とす魔法』の直撃を受けて崩れ去る魔術師の身体が、勝者と敗者を明確に分けていた) わた、し、は― どう、して― -- 時守のキャスター

- (処刑台に向かう黄泉路の途中で)
「恐ろしい魔女だ、地獄に墜ちろ」 (名も知らぬ誰かが石を投げる) 「これまで目溢ししてやったがもう我慢ならない」 (名も知らぬ誰かが石を投げる) 「どうせ悪魔と契りでもしたのだろう」 (名も知らぬ誰かが石を投げる) 「何とか言ったらどうだ、それとも下等な人間とは口もききたくないか」 (名も知らぬ誰かが石を投げる) (ああそうか。お前たちは知らないのだ) (私がどれだけ、人が平穏に暮らすために尽力してきたか) (薬草を元にした良薬を作っては製法を伝え) (魔物除けのお守りを渡し) (魔力の低い子供でも魔法が伝えるよう、簡易の術式を説き) (警備兵では太刀打ちできない強大な魔物が現れては討伐に赴き) (その全てを、お前たちは忘れてしまったのか) (逃げようと思えば、その場にいる人間全てを皆殺しにしてでも逃げられただろう) (そうしなかったのは、下らなくなったからだ) (ああ、私が生きてきた世界は、こんなにも憎悪と欺瞞に満ちていて) (今更透明に戻せないほど、泥水のように濁りきってしまっていたのだ) (死の間際、私の胸中には) (命を奪うために手薬煉引いて待っている鋼の刃より冷めきった) (空虚な絶望の感情だけがあった) --
- (灰色の壁の部屋で目が覚めて、自分の立場を思い出す。聖杯戦争のキャスターとして招致されたことを)
……ああそうか、こんな体でも夢は見るのか。
眩暈がする。 --
- (創り上げたゴーレムのうち、9体の派遣が完了した)
(偵察業務だけならば、あの単純行動しかできない単細胞たちで事足りるはずだ) (もしもの場合は自爆してしまえば、魔力の逆探知もしようがない) (目下の問題としては) (いくら精巧に魔術回路を書き入れようが、その他大勢の大量生産では、以上を望めば限度があった) --
- (「敵対」よりは「協力」を)
(マスターの言葉に素直に従う、というわけではないが、何かしらの布石は打つべきだろう) (キキと自分の存在を覆い隠すための隠れ蓑は、徘徊するゴーレムだけでは不完全だ) (ならばどうするか) (隠れ蓑をより深くすればいい) さて。 (物言わぬ静かなゴーレムの全身を睨め付ける。人間からは程遠い、石像めいた肢体) (ざらりと表面を撫で、薄い笑みを張りつけた) また忙しくなるな。 --
- (雑多な瓦礫城の中でも更に雑多な場所が蟲々ラボ)
(生体と機械がごった煮となった奇妙な空間は、訪問者の意識をその奥にある一室から背けさせる) (キキに召喚されたキャスターは、ラボの一室に陣取り、とある作業に没入していた) (勝者としての名誉。過去の過ちの清算。多くの英霊が願うありふれた希望に興味はない) (万能の希望を叶える聖杯に縋ろうとする弱さが聖杯戦争のシステムを産んだとするなら、非常に滑稽だった) --
- (聖杯戦争という枠組みの中で勝利を得るプロセスとは何か)
(聖杯戦争は撃墜数を競う点取りのゲームと異なる) (最期に一組のマスターとサーヴァントが立っていることが勝利の条件だ) (マスターすなわちキングをいかに守り、クイーンであるサーヴァントが上手に立ち回るか) (荒涼とした駒の少ない盤面には、ナイトもビショップもルークもポーンもない) (ならば、作ればいい) --
- (部屋の中には数多の氷像が立ち並んでいる)
(氷像はどれも個性なく無貌で、一目で作り物であると分かる) (情報収集に、捨て石に、キキの護身用に。あらゆる用途に耐え得る魂なきエージェントたち) (完成度に満足すると、おもむろにキャスターはナイフで自分の指を傷つけた) (傷口からは朱色の血液が滴る。唇を軽く歪めると、血液を次々と氷像へと滴らせていった) (沈黙した氷像に命が吹きこまれてゆく) --
- (およそ10体に儀式の施しを終えると、全身が一気に弛緩する)
(気に留めないうちに、体の魔力が随分消費されたようだった) (あまり大量生産はできないか。英霊の身といえども過信は禁物だと思い知らされた) --
- (必要なものは情報)
(ここの玩具箱を引っ繰り返した都市は何処で、いかなる時代で、聖杯戦争なる寓話染みた戦いが本当に行われているのか) (あのマスターであると強調する娘の下にいたところで、求める回答が得られる可能性は低かった) (通行人の数名から恫喝という実に平和的な手段で聞き取りを行い、少なくとも元号が黄金歴であるらしいと分かると、血の通わない身体でも多少の安堵があった) --
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