名簿/507834
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- 第三の演算「《常泣虫》」
――空中学園都市 ――庭園上空
ついに時が訪れた。 その時が訪れた。大いなる実験と観測のときが訪れた。 人類が築きあげてきた英知の結晶が此処に訪れる。 驚嘆すべき機関の末裔が此処に訪れる。 人よ見よ、空を見よ。 ついぞ《大階差機関》が駆動を始める。偉大なりし《解析機関》を求めて。 観測史上三度目の、《精霊奇械》が現れる。 これまで観測されたものとは違う。それは巨体。大いなる破壊の力を備えている。 《大精霊奇械》が空を排煙に染めながら、学園都市に顕現ずる。だれも望んではいないのに。
――空中学園都市、《王立協会》 ――《大階差機関》制御室
40フィート、否、それ以上はあろうかと思われる巨大な《大階差機関》が駆動していた。 真鍮のカラムは回りつづけ、吐き出される蒸気が制御室に満ちはじめていた。機械の無機質な駆動音が響く。 その《大階差機関》の前で、嬉しそうに佇んでいる男がいた。演劇めいたオーバーな仕草を伴って。 彼は見上げていた。機関制御室の巨大な壁に備え付けられた機関スクリーンを。 そこに映るのは《大精霊奇械》、空を染め上げる邪悪なものである。 男は、王立協会の首領である教授の《助手》であった。
「それでは実験を始めよう。計算を始めよう。我らが《大精霊奇械》の力を以て」 《助手》は嘲笑う。何を嗤うのか。全てを嗤うのである。 この世は数と理。全ての事象は計算でき、作り変えることが出来る――未来さえも。 この男はそう信奉していた。それ故に嗤うのだ。それを知らずに生きるものどもを。
「彼の機関の王、《蒸気王》は既にこの世に無く、未だ空は青く、光に満ちている」 機関スクリーンに染まる空は青い。《大精霊奇械》の黒き排煙に汚されながらも、青い。 「空が闇に染まることを恐れ、我らと袂を分かった《蒸気王》よ、進歩を止めた哀れな王よ」 《助手》は両手を胸の前で掲げ、《大階差機関》がまるでその蒸気王であるかのように呼びかける。 「人類の未来を築くことが出来るのは我々の理論。世界を変革しうる才能を持ちながら、我々と同じ道を歩まなかったお前の罪は重い。 人類は進み、発展する! 空を穢すことを恐れ、偉大なる発展を妨げた我らが《蒸気王》よ、後悔するがいい! 今こそ我々の理論は証明される。お前の忘れ形見たる《解析機関》を用いてそれは行われる!」 《大階差機関》が計算を続ける。演算を続ける。休みなく、絶え間なく。それは導き出すのだ。人類の偉大なル発展を、《王立協会》の勝利を。
「――我らが最大の友にして最大の仇敵たるチャールズ・バベッジよ! お前の機関の力を見せるがいい。この《常泣虫》アッハライを砕けると言うのならば!」 男の哄笑が響く―― -- 助手
――空中学園都市 ――庭園上空
- 「何なんだ、あれは……!」
エイダはキング・スチームの機関モニターに映る“それ”の異様を見て絶句した。 機関モニターに映る巨大な“それ”は、空を黒々と排煙で染めていた。機関と機械の融合体、エイダはそれを知っている。 これまで何度か戦った機械の魔物たち、その一つであることは理解できた。しかし、これまでのものとは、“それ”はあまりにも違っていた。
「機械の……虫?」 -- エイダ
- 第二の演算「《教授》」
――空中学園都市、大学部機関学科研究棟 ――《教授》の研究室
- 「――失礼いたします」
空中学園都市の大学部機関学科研究室棟の、《教授》の研究室の扉が叩かれ、ガチャリと扉が開かれる。 現れたのは金の髪を持つ少女であった。名は、エイダ・バベッジ・ゴードン。彼の《蒸気王》の孫娘である。 「こんにちは、教授。今、よろしいですか?」 エイダはおずおずと室内を伺う。 -- エイダ
「構わんよ、入りたまえ」 部屋の中からは老人の優しげな声がエイダを迎えた。 「ようこそエイダ。我が友バベッジの孫娘よ。今日は何の用件かな?」 部屋の中には小型の機関が所狭しと並べられており、それと同じく、様々な種類の本が高く本棚に積み上げられていた。 ここは機関学を専門とする《教授》の研究室であった。 部屋の奥の椅子に腰かけているのはこの部屋の主である《教授》である。丁寧に撫でつけてある白い髪が輝いている。 -- 教授
「はい、失礼します」 教授から入室の許可を得ると、エイダはいそいそと研究室の中へと入る。 この目の前の《教授》はエイダの祖父であるチャールズ・バベッジの同級生であり、研究仲間であった。それを教授から聞かせられ、エイダはとても教授に親しみを感じたのだった。 それだけではない。彼の機関学に関する造詣は深く、教授と知り合ってからというものの、エイダは彼の下で教えを乞うていた。まるで、今は亡き祖父にするかのように。 「えっと、今日は教授にご質問があって伺わせていただきました。……あ、教授の論文、拝読させていただきました。「精霊エンジンと階差機関の類似性」、とても面白かったです!」 エイダが興奮した面持ちで、尊敬の面持ちで教授に言う。だがそれは、今回の本題ではない。 「あ、えと……すみません、話がそれました」 恥ずかしげにエイダは頬を掻く。教授からもらった論文については、また後日話すことだ。 「教授は機関学を専攻とされています。精霊機関についても同じくと聞いています……それで、例えば、なのですけれど」 エイダは慎重に言葉を選ぶ。相談するのは、先日の《色ある死》グラオーグラマーンについてである。あの機械の化物が起こした現象、精霊機関を狂わせるということ。それについて、エイダは聞こうとしていた。 教授を巻き込むわけにはいかないし、まだはっきりと確証も得ていない事案である。全てを明かすわけにはいかなかった。故に言葉を選ぶのだ。 「たとえばの話なのですが……何らかの波動・電波によって、精霊機関を狂わせ、故障、停止に導くことは、可能なのでしょうか?」 -- エイダ
教授は咥えていたパイプを台におくと、エイダの話に耳を傾ける。 「やあ、読んでくれたようで何よりだ。あの論文は私としても力作でね。精霊エンジンと階差機関の類似性について述べたものだ。中々良い考察が出来たのではと思っているよ がしかし、それは今回の本題ではないという。恥ずかしそうにするエイダを教授は穏やかな瞳で見つめている。 「ほう……」 エイダの疑問に対して、興味深そうに教授は頷く。 「なるほど、面白い疑問だ。ではまず答えから述べるとしよう……結論としては、おそらく可能だろう。君の知っての通り、精霊機関は精霊の加護を受けて駆動する機関だ」 教授は研究室の中にある精霊機関の一例を指していう。 「我々になじみ深いのは蒸気機関だが、精霊機関・魔導機関はこれらとは違い、魔力を以て動力としている。普通の蒸気機関よりもはるかに長く駆動することが可能だ。だが同時に、それが弱点ともなりうるだろう。 魔力の供給に影響を与える、ないしは魔力そのものを奪ってしまえば、精霊機関は機能できなくなる。何かしらの魔術で、精霊機関を動かす魔力に影響を与えれば、機関を止めることも可能だろう。 君の言う波動・電波がそれにあたるだろうか……しかし、急にどうしたのだね、こんな質問をして。何かあったのかな?」 -- 教授
「……はい。なるほど……精霊機関の魔力供給構造自体に影響を及ぼせば、機関停止というのも可能なわけですね」 エイダは熱心にノートを取っている。重要な情報である。あの機械の化物に対抗するための。 「え、えっと、それは……ええ、もしそのようなことがあったらと、先日考えましたの。この学園都市のほとんどの飛空艇は精霊機関で動いています。急にそれが止められる……そんなことがあったらと、思いまして。 先日も、連続で精霊機関が停止するという奇妙な事故がありましたから……」 あの獅子の姿の化物の事は言わない。連続精霊機関停止事故については既に周知の事実である。教授も知っているだろうことだ。 「もしかすると、何か外的要因によって引き起こされたことではないかと考えましたから。それで私の推理が正しいかどうか確かめてみようと思って、教授をお尋ねしたのです。……教授を利用するような形になってしまいまして、申し訳ございません。でも、これで確証が持てました。 飛行衛兵などに連絡を取ってみます。対策を立てられるかもしれませんから」 ぺこりと小さくお辞儀をして、ありがとうございます、と教授に告げる。そして次には笑顔になって。 「では次は……お爺様のお話を聞かせていただいても、よろしいでしょうか?」 今度は少女らしい、お願いするような笑みで、教授に言った。 -- エイダ
「そうか、あの事故について調べていたのだね、君は。いや、構わないよ。学生からそのような対処についての考えが出るとは喜ばしいことだ。 確かに君の言うような原因も考えらえる。同時期にあれだけの事故は奇妙だからね。何者かが引き起こしているとなるとやや陰謀論めいてくるが、何にせよ原因解明、対策は急務だ。私からも、都市運営部に進言しておくとしよう」 教授はそういうと、笑顔でエイダを褒めた。そしてメモに今回の件について記す。後で都市運営の方に回すのだという。 すると、エイダからの話題の転換があった。彼女の祖父、《蒸気王》チャールズ・バベッジの昔話を聞かせてほしいとのことだった。 祖父はエイダが幼いころに無くなっている。ろくに話は聞けなかったのだ。 「……わかった。君はチャールズの話が本当に好きだね、エイダ。ではまず、コーヒーを入れて一服してからにしようか……」 教授は立ち上がり、機関コーヒーメーカーへと向かう。エイダが慌てて、「私がやります」と飛んでいく――
チャールズ・バベッジについての談笑が続いていた。祖父が空中学園都市で学生で会った頃の話を、教授は楽しげに語る。 エイダと同じように、好奇心の塊のような男だったこと、在学中に《階差機関》の理論をほとんど完成させていたこと、さらに《解析機関》の構想にも着手していたこと。 学内の機関を整備したり、発明を行ったり、時には機関街に籠ったり、彼の《撥条王》と対峙したり……そんな、祖父のエピソードを語っていく。 エイダは目を輝かせて、それを聞いていた。自分の知らない祖父が浮かび上がってくるような気がして。
「――とまあ、チャールズは本当に天才で、そして面白い奴だったよ。私も彼とは学術論争が耐えなくてね」 と、教授は懐かしげに語る。 「……ああ、そうだ。君に少し、尋ねたいことがあってね」 教授はふいに、そう切り出した。思い出したかのように。 「――《大解析機関》というものについて、何か、チャールズからは聞いていないかな。彼が、作っているという話を生前、聞いてね、どうなったのかなと」 一瞬、教授の目に妖しげな光が宿る。しかし、エイダはそれに気づかない。教授には全幅の信頼を寄せている。 -- 教授
祖父に関しての楽しい談笑。エイダにとってはとても貴重な時間だった。祖父の過去もほとんど知らぬ間に、祖父は帰らぬ人となった。 教授を祖父の代わりとしてみているような、そんな節さえあった。エイダはひどく寂しがっている。今となっても。故に、祖父の話を求めるのだ。
その途中、奇妙な質問があった。《大解析機関》なるものについて、何か聞いていないかという質問。 それに対して、エイダは不思議そうな、少し困惑したような表情を浮かべる。 「いえ……お爺様からそのような話を聞いたことはありません。教授もご存じのはずです、お爺様は《解析機関》を完成させられないまま、天へと召されました……ですから、その《大解析機関》というのも、あろうはずがないと思うのです。《解析機関》は、私がお爺様の図面から造りだしたのが最初のはずです」 申し訳なさそうにエイダは言う。祖父が《解析機関》を完成させないまま死んだのは周知の事実である。それを、教授が知らないわけはない。 故にエイダは困惑していた。 「作っているという話も聞いたことはありませんし、実家で見たこともありません……すみません」 小さくエイダはまた会釈をした。今回ばかりは、教授の何かの間違いであろうと。 -- エイダ
「――いや、確かにそうだったね。すまない、忘れてくれたまえ。私の何か記憶違いだったのだろう」 暫く間があったが、教授はそう告げた。エイダは伺う事ができないが、その表情には訝しんだ色が浮かんでいた。 「《解析機関》……彼の理論通りに作られているのならば、まさに世紀の大発明だ。それが正しく認められていないことは私も残念に思っている。 エイダ、君の力でチャールズの業績を、正しく伝えてくれたまえよ」 友の遺蹟を広めてほしい。教授はそうエイダに言うのだった。 -- 教授
「完全に、お爺様の設計通り、構想通りにとはいっていません。まだまだ私の技術不足のところもあります。ですから、この学園都市で教授に教えいただいて、勉強しているのです。 《解析機関》を完全なものとして、発表すれば……きっと、お爺様も本当の意味で、認められると思うのです……それが、私の夢です、教授」 そうしてにっこりと笑みを浮かべ、ちらと、研究室にかけられている機関時計を見る。すると、エイダはあっと声をあげた。 「いけない……! 授業が始まっちゃう時間だわ! あ、あの、教授、すみません、とても楽しかったのですけれど、その、授業の時間が……」 既に授業開始まで時間がなかった。エイダは慌てて身支度を始める。教授は穏やかに笑んで、「遅れるといけない。早くいきなさい」と告げた。 「あ、ありがとうございます、今日は本当に! で、ではすみません、片付けもせずに……またお伺いしますから!」 そういうとエイダは荷物をまとめ、研究室を出ると、急いで授業棟へと向かって行ったのだった。 -- エイダ
少女が去ってから数分後、いつの間にか一つの人影が研究室に現れていた。 スーツを着た若い男である。男は教授の机へと静かに近寄っていく。この男は教授の《助手》である。 「……なるほど、全幅の信頼を置かれていますね、《教授》。これならば《大解析機関》のありかを聞きだすことも容易かと思われましたが……」 訝しげな表情に助手はなって。 「まるで、知らないような言動でしたね」 《大解析機関》、それをバベッジが作ったことは間違いない。そして、そのありかはエイダが知っているはずなのである。その起動の鍵もエイダのはずである。 しかし、彼女はまるきり知らないような態度を取っていた。 「……それと、教えてよろしかったのですか? 精霊機関を狂わせる《色ある死》の力を」 助手の言っているのは、精霊機関を狂わせる技術の理論を教授がエイダに説明したことであった。 -- 助手
「ああ……その点に関しては奇妙だ」 エイダは《大解析機関》について、それどころか《解析機関》をバベッジが作っていたことさえも知らない様子であった。 「だが、隠しているということも考えらえる。バベッジが《大解析機関》について口止めしている可能性は大いにあろう。 私達を警戒していたあの男だ。それくらいのことは考えられる。よもや……教えていないなどということはあるまい。そんなことになれば、《大解析機関》を守ることができなくなる」 教授の今の表情は氷のように冷たい。先ほどエイダに向けたような優しさのかけらもその顔には存在していない。 「それに関しては問題はない。もともと《精霊奇械》は実験機械、エサにすぎん。たとえ精霊機関を護る手立てを講じてきたとて同じことだ。 要はエイダと《解析機関》をおびき寄せられればいい。二つ目の《精霊奇械》の準備を急ぎたまえよ、《助手》」 助手に向かって教授はいう。助手は承ったという風に礼をする。 「《大解析機関》について吐かぬというのならば、《大解析機関》を使わざるを得ない状況まで追いつめれば良い。使わせればこちらのものだ。後は回収するだけでいい」 再び教授はパイプを咥え、紫煙を口から吐き出す。 「我々の計画には《大解析機関》が必要だ。なんとしてもな。……チャールズ。私の理論がただしいということを、お前に教えてやろう――」
「我らが未来を、造るために」 -- 教授
――第二の演算、終
- 第一の演算「《色ある死》」
――空中学園都市、《王立協会》 ――《大階差機関》制御室
《大階差機関》が駆動している。 機関、異常なし。機関、異常なし。 それは計算し続ける。何を計算し続けているのか、不明。ただ、巨大な機関は、計算を続ける。 《蒸気王》チャールズ・バベッジが残した《階差機関》、その理論に基づいて作られた、恐るべき《大計算機》、それがこれであった。 学園都市のどこかで、それは動き続けている。
「《色ある死》……グラオーグラマーンが砕かれたようだな」
機関の駆動音のみが響く一室にて、老人の声が機関の駆動音に混ざる。
「そのようです。しかしあれは試作機、実験は成功と言えましょう。精霊エンジンを狂わせられるというのは証明しました」
もう一つの声が混ざる。若い男の声である。
「精霊を《機関》に組み込んで機械生命体を生み出す実験――十二分に成功いたしました。《教授》」
教授と呼ばれた老人は静かに頷く。
「……これで、チャールズの孫娘はおびき寄せる事ができるはずだ。後は……」
「あの娘に、オリジナルの《解析機関》を持ち出させるのみだ。あれさえそろえば、我々の目的は完遂できる」
「……ええ、《蒸気王》の遺せし偉大なる《解析機関》……そのオリジナルが手に入れば、あらゆるものに“解”を出すことができるでしょう」
「今回はセルティスなるものと、チャールズの孫娘が《色ある死》を砕いた。だが、チャールズの機関の力はあの程度ではないはずだ」
「……次を急いで建造せよ。――次は、《常泣虫》アッハライを」
「……御意に」
機関、異常なし。機関、異常なし。 第一の機械は砕かれた。 第二の機械が現れる。 偉大なる《解析機関》を求めて。
- 第一の反復「機関と鋼鉄の夢」
- 幼きエイダと、かつての《蒸気王》と。
「いいかい、エイダ」
「いつか、もし、私の夢が叶って、“それ”が空を飛んだならば」
「それは、君のものだ。君がそれで、空を飛ぶんだ」
「青空を。果て無い青空を。君が」
「だけど」
「だけど、もし、私の夢が叶って、“それ”が、世界を闇に染めるのならば」
「君が止めてほしい。エイダ、君が」
「私の夢が、数と理が、世界を壊すのなら」
「そのときは、君が、私の」
「私の夢を、壊しておくれ」
「良き青空を、守るために――」
(黄金歴257年 C・Bの研究室にて)
- 序「《王立協会》」
- 空中学園都市 《王立協会》にて
- 時が来た。
時が来たのだ。彼の偉大なる《蒸気王》の孫娘が、この空中学園都市に到来したことによって。 機関、異常なし。機関、異常なし。時は来た。《解析機関》が到来した。
- 空中学園都市の何処か。知識と智慧が集うこの場所にて。《王立協会》が再び動き出そうとしていた。
闇の中に、二つの影がある。顔は、見えない。姿も鮮明には、見えない。
「……チャールズの孫娘が此処にやってきたようだな」
声が一つ。年老いた老人の声。がしかし、萎えたような響きはない。知性溢れる声だ。
「そのようですね。わざわざ我らの居るこの場所へ行くことを許すとは、ハーシェルもついに耄碌しましたか」
もう一つは、若い男の声。 二つの声のみが、この暗室に広がる。
- 「いいや、そうではあるまいよ。あのチャールズの友だ……我々が今だこの場所にいることなど、知っているはずだ」
「では、尚更不可解になりますな……ハーシェルは何故、チャールズの孫娘をここへとやったのか」
芝居がかった口調で、若い男が老人の言ったことに大して疑問をはさむ。
「……こうすることが、チャールズの孫娘と、《解析機関》にとって、一番最良だと考えたのだろう」
老人は個々で言葉を切り、しばらく後に再び口を開く。
「解析機関にとって、そしてチャールズの孫娘にとって、二つがともにいることが、一番安全なのだろう」
「……成程。そういうことですか。あのチャールズのことだ。我々が孫娘と《解析機関》を狙うことはわかっていたということでしょうな」
「そうだ。あの《解析機関》――孫娘が作ったものは不完全なようだが……あれが、我らの計画にはなんとしても必要なものだ」
すると、若い男がまたもや芝居がかった口調で。
「おお、偉大なりしは《蒸気王》が構想せし《解析機関》……遍くすべてに“解”を出す可能性を秘めた機関……」
《王立協会》は求めていた。かつての同胞が開発した偉大なる機関の事を。《王立協会》を抜け、《解析協会》を作り上げた彼のことを。
「そうだ……次の実験の為に。次の演算の為に。あれは何としても必要だ。今は亡き《数式卿》の《黄金の数式》に匹敵する可能性を秘めた機関なれば」
再び、静寂が満ちる。
- 「……では、《教授》」
その静寂を破ったのは若い男の声だった。
「あの孫娘の元へと向かい、《解析機関》の図面をいただいてくるとしましょう」
男の提案。しかしそれを老人は遮る。
「まだだ。まだ、そのときではない。その前に、観察をせねばならない。その前に、実験を行わねばなるまい……精霊と飛行石の確保は?」
「問題ありません。難なく入手は可能ですとも、《教授》」
「よろしい……では、まずはそれからだ。《解析機関》の力を、能力を。確かめてからでも遅くはない……良いな」
「仰せのままに」
「では、再開しよう。我々の偉大なる実験を。君に、捧げよう……我がかつての友」
「――チャールズ・バベッジ」
続く
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