名簿/498191
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- 黄金暦248年某月 --
- 「それで、何でまたこんな薄暗い場所で日陰者をやってるんだ。宗太」
「いやだな、そんなんじゃあないよ」 宗太と呼ばれた青年は「君が考えてるような事じゃない」と弁明するような口調で言った。 二人の青年がこじんまりとしたカフェのバーカウンターで向かい合うようにしている。 宗太と呼ばれた青年の方がカウンターの内側でカップを磨いていて、これが理想的に”そうあるべき”な喫茶店の主人の姿であるのだろう と言われれば万人が頷かざるを得ないのだろう。 他に客の姿は見えないが、その向かい側で、宗太を日陰者扱いした口先をグラスの水で潤している青年が客であると言えばそうなる。 青年の方はシックな上下の服装であったものの、白銀のネームプレートからは彼が在学している研究生である事は明らかである。 それもエリートとして育成され、特定の委員会に地位を持つ家庭の生まれであろう。手入れの行き届いた金色の髪が優雅そうにウィンクしている 「若干自分に言い聞かせている様にも聞こえるな。」 中央区に住まう裕福層特有の上品な滑舌。責めるような口ぶりではなかったが、もったいぶった表情でなめすように言う。 宗太はその様に苦笑して、だんまりを決め込むつもりで新品のカップを磨き続けた。それでも青年は話を続ける。 「宗太、君が何時までも過去に生き続けるのを見ていると、こちらまで胸が詰まりそうになるよ。 まるで家のお婆ちゃんのお葬式みたいだ。誰しもが死よりも財産が目当てで居るのに、どうにかして気分良く弔いを済ませようとしている。 とても痛々しい。何年も時間が過ぎているのにまだ遺産分配とかで笑顔で睨み合っている」 さすがに聞き流せず、宗太は言葉を返す。 「俺が遺産が欲しくて意地を張ってる様に見えるのかい。実家に帰れってうるさく言うのはもう君ぐらいなものなのにな」 「そう、僕だけが君に忠告してやれる。 僕がくるまでこの店は人っ子一人の客も来なかったんだろう」 「そんなことはない」 「朝晩ずっと表扉がClosedってなってる喫茶店、何処にあるっていうんだい」 「君が初めてのお客さんだ。ありがとう、またのご来店をお待ちしているよ」 満面の笑みに青年は首を横に振って、それからメニューを指差して言った。 「まだ用事は済んでないからね。……ところでこの"五番目の季節で出来た野菜で彩った海洋風仕立てスパゲッティ"ってなんだい?」 「君はねちっこいやつだ」 「とてもお腹がすいているんだ。ずっと研究室で缶詰になっていたからね」 わりと君と同じだな。と青年が笑っていうので、宗太は肩を竦めて苦笑した。 --
- ふと、喫茶店の入り口から小さく木の軋む音がする。
誰かがしのび足で扉を開けたのだろうかとも考えられたが、足音の重みがやけに小さい。 「妹でも連れて来て居たのか?」 季節感のない湯で野菜ステックが添えられたコンソメ風味のホワイトソースを絡めてあるスパゲッティを口にした青年が頷いて見せて、 それから香りが広がる花をイメージさせるような優雅なジェスチャーを指先で表現するように動作させた。 本当に腹を空かせていたらしい。 ただその頷いた様がどちらに対してなのかが曖昧で、仕方がないので宗太は銀のフォークを裏手で隠し持ち、万が一に備える事にした。 足音は躊躇いがちに入り口の階段を降りてくる。長い髪とひらひらとしたドレスを揺らすその背格好は階段の壁面に隠れてしまう程だった。 小さな、女の子だ。 歳は6から8ぐらいだろうか、宗太と目が合うとじっと見返して瞬き一つせず、言葉も無くそのまま立ち尽くしてしまった。 「妹だって?」 宗太は思わず身を乗り出して尋ねた。 青年がナプキンで口元を拭って、グラスの水を空にした。それから「紹介するよ」と席から立ち上がって、女の子の頭を撫でやった。 「彼女はシエル。この子は最近の研究課題でね。その異能能力を使って協力をして貰っているんだけど……。 ……いや、宗太は研究とかその手の話が嫌いだったね。だから外で待たせていたのに」 「妹じゃあないじゃないか」 「僕の妹はもう一人で立派に学園都市で寮暮らしをしているよ。そもそもお転婆娘で、こんなに可愛らしくはなかったよ」 もう、そんなどうでもいいことは記憶に無かったかな、と青年は言う。 宗太は訝しげに裏手に握っていたフォークをカウンターに投げ出した。 「可愛らしいのは認めるが、それを君が言うと最高に変態だな。 俺の仕事が風紀に関係してなくてよかったよ。数少ない古い友人をどうにかしてしまうところだった」 「彼らに異能の研究を邪魔する権限はないさ」 そうかもしれないな。と宗太は頷いて、シエルと呼ばれる女の子に笑みを向けた。 「こんにちは、変なお兄さんと一緒で怖いことはなかったかい」 「……」 緊張をしているのか瞬きもせず、じっと身をこわばらせて反応が無い。 間の空中を見据えたまま身動ぎひとつしない。生きた人形を彷彿とさせた。金色の瞳を持つとても精巧な少女人形。 青年の方がやれやれ、といった様子で肩を竦めた。懐から時計を取り出して溜息を一つ吐いた。 「彼女がやってきたってことは上からお呼び出しがあったらしい。全く最近はうるさくってかなわないよ。 用事はまた今度にしよう。……時間は有限だから仕方がないね。もう帰るよ」 「分からないな、何時もの説教だけをしに来たんじゃなければ」 「これは忠告だよ」 テーブルに置かれた調度品の一つを持って、青年はそれを裏返して眺めた。 「何を見ているんだ?」 「……未来」 呟いて、言葉を続ける。 「過去ばかりを見ていると、周囲の些細な変化にすらも気付けないんだ。 それが君の役割だというのなら、宗太。君は初めから不具なだけの存在でしかなかったんだ」 「俺は━━」 「君は淘汰されるべき存在だった。野心も無く、欲望もない。偽りと見せ掛けだけの虚空の器。 そうであるにも関わらず、悠々と気侭に暮らす事を赦されて居るんだ。……僕は君が羨ましいよ……。もう何も失わないで過ごして居られる」 虚空を見つめている金色の瞳の少女の背に手を添えて、青年は振り返りもせずにその場を後にした。 --
- 誰も居なくなった、薄暗い店内にグラスの割れる音が響き渡る。
「━━俺が赦されて、気侭に暮らしているだと!」 手は出血し、歯軋りに血が混じり、唸るような苦しげな声が静寂にむなしく木霊する。 この場所は彼が何年間も費やして、どうしようもない煮えたぎる様な感情から逃げ出すために作り出した空間だった。 破壊されたグラスは既に何事もなかったかの様に元通りの姿になっている。 「ふざけている。弄び、全てを奪ったのはお前たちだ!これ以上、俺からくれてやるものがあるっていうのか……」 --
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