話をしよう †
キメラ、という単語を頭に思い浮かべてみてほしい
単語と一緒に頭の中に何か姿が一緒に連想される?
羽を空に投げると行った事がある街に飛べるあれ?
それともヘビの尻尾にライオンの頭を持つ、あの合成生物?
確かにそのどちらもキメラではあるけれど…じゃあ人間のキメラって言ったら思い浮かぶかな
少し難しかったかも知れないね
でも、キメラっていう言葉はとても大事なものなんだ
アウラ・デューミン
その名前の女性は正真正銘、キメラと呼ばれる存在なんだからね
生まれは寒村、育ちは路地裏、思い出は鉄格子 †
深い雪が積もり少し歩けば腰まで埋まる、地面を見れば緑の色など存在もしない
辺り一面の白、運が良ければ雪化粧の施されていない岩肌の色がちらりと見える
作物など育つ筈もなく、雪が溶ける僅かな夏の間に獲った狩りの成果と木材でひたすら冬を凌ぐ生活
そんな厳しい環境で産まれたアウラは物心つかぬ6歳の頃に両親に、村に、自分の世界の全てに、望んで売り払われた
珍しい事ではない
子供を産み労働力として育つ頃になれば売り払う
大小の差はあれどんな寒村でも当たり前のようにしている事であり、アウラの育った村でも子を孕む事はむしろ推奨されていた
全体が生き延びる為には出来るだけ、食べる・着る・住む、その三つは少ない方が良い
冬の間は両親と身を寄せ合うように毛布に包まり、寒さに震えていたアウラだが夏になれば外で遊ぶ友人は山ほどいた
その束の間の幸せを夢想し、雪が溶け舗装もされていないむき出しの地面を見下ろしながら家の前に座り込み今日は何をして遊ぼうかと考えているアウラ
影が差す、雲でも日の下を通り過ぎたのかと空を見上げる
恰幅のよい人の良さそうな紳士が笑みを浮かべていた
「お嬢ちゃん、暖炉の薪が山のようにある場所に一緒に行こうか、大丈夫…お父さんやお母さんも後から来てくれるから、心配する事はないよ」
初老に差しかかろうか、という紳士の手が差し出される
あぁ…神様の使いなのかも知れないな、と思ったアウラは迷う事なくその手を掴んだ
与えられた新しい名前は †
「被検体247番、出ろ」
硬質的な感情を押し殺した声が響き渡ると247番と呼ばれた少女が立ち上がった
生命科学研究所へと連れてこられ、5年を生き抜いている彼女は古巣の存在である
1年から2年、その間を生き抜けば長持ちした、その評価が与えられるこの場所では、破格な存在だ
それ故に他の番号を与えられた存在の心を維持する為の相談や案内、その他諸々を請け負っている少女は笑顔を何処かに捨てられた、といった表情で自らを呼んだ白衣の男の後をついていく
「よくきたね、247番…左目の調子はどうだい?」
「………そうそう、私の娘が成人してね、彼氏なんてものを作り出したんだ」
「そうそう、私の娘が成人してね……っと、どうやら目の調子は良いみたいだね」
「…………」
「…………」
「……どこか異常はないか…相変わらず数秒先までか?」
「どこか異常はないか?相変わらず数秒先まで……みたいだ」
「じゃあ、帰って良いぞ……失礼します」
「じゃあ、帰って良いぞ……あぁ、お大事に…その目は唯一の成功例になるかも知れないんだからね」
それからのアウラ †
20歳の時に逃げ出した
所属していた研究所が、これ以上の価値は無しと判断をしたのかアウラを処分しにかかった
何十人もが転がるだけの真っ白い壁の部屋、いつものように連れ出しに来る白衣の研究員
一体この数年間で研究員は何人代わったのだろう、ようやく顔を覚えたと思ったときには人が変わっているのでアウラも、覚えるのをやめていた
「処分が決まった」
ぼそり、本当に小さな声でアウラが呟いた声に粗末な服を着ていて、床に死んだように寝転がっていた少年少女の目が見開かれた
「処分が決まった……来い」
「………はい」
逃げて!アウラ、逃げて!!逃げて、お願い処分されないで!!
悲痛な叫びが木霊する
アウラが何事か、と思った瞬間には寝転がり自分よりずっと後の番号を与えられた子供たち、が一斉に白衣の男に飛び掛っていた
逃げて!逃げて!逃げて!アウラ、逃げて!処分されないで!お願いだから!!逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて!
何重にも重なる叫び声、アウラに向けられる悲痛な懇願の視線
アウラは考える事もやめてそのまま、白衣の男の隣をすり抜けて駆け出した
生命科学研究所で植えつけられた左目には、駆けつけた警備員が抜き放った装備が、自分を逃がしてくれた存在たちを無造作に殺して回る姿が、視えていた
どうやって生きてきたか? †
戸籍も、友人も、名前すら、生きていた証の全てが失われたアウラは街を歩いていた
空腹、絶望、自己嫌悪、あらゆる負の感情に捕らわれながら、夢中で研究所から続く道を走ったアウラは、とうとう力尽きて倒れてしまう
感謝すべきは非合法、な研究を行っていた生命科学研究所か
山を越え森を越えても追手は姿を見せず、人の目がある場所へと逃れる事ができた
…そしてアウラは気がついた
どうやって生きていくのか、あの冷たい白い壁の中で大事な時を過ごしてきた自分はどうするべきか
ふと左目へと手を触れさせる
本来あるべきものを見せず、未来の姿を見せる眼は自分の傍にあった
同時に、自分を逃す為に警備兵に撃たれ、身体中に穴を開けた、あの光景を思い出す
…汚くても生きる、生きる、生き残る
ずっと昔、もう何年も前に忘れた筈の名前、を記憶の中から引きずり出し、デューミンと名乗る事を決めた女性が立ち上がった
冒険者になったのは何故? †
あの日から8年、とうとう仕事がなくなった
仕事を斡旋する場所ができ、個人が契約を結ぶ場所がなくなったのが一番の理由だ
次いで、売られて研究所で過ごした自分の人権のようなのがあるのか、と悩んでいたのもある
しかし背に腹は変えられない
もし、身分がバレたとしても、アウラという名前に眼をつけた何者かが襲ってきたとしても、生き延びる
ただ明日を生きる為のお金はなくては死ぬ、ならば……そう思ってアウラは冒険者の集まる酒場の戸を叩いた
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