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ローディア連合王国の中部より国境に寄って、大きな湖の近く街からは少し離れる。
立地は郊外に近い立地で都の中心からは当然外れているので少し垢抜けない。周囲の牧羊的な光景にあって一際に大きく構えら
れた屋敷は、この一族が多くの土地を所有する貴族の地位である事を示しているものだ。
イオニカは12の時に、この屋敷に引き取られている。
ウラスエダールの劣悪な環境の中、イオニカは渇きと飢えの中「今日もやっと生きている」と言った境地にあった。
それが一変して、この豊かさの何もかもを抱合したような場所に迎えられた。一つはイオニカの麗しい見た目が起因しているだろう。
そして何より幸いであって不幸でもあったのが、このフルーリエの家の長男、ミゼル・パルミジャーミが20代の後半を過ぎても伴侶も持
たなければ、社交界にも顔を出さないでいるような変わりダネの男であったことだ。そして彼は将来の有望な軍人将校でもあった。
この若い将校がいなければ、屋敷には迎えられず、せいぜいが見目麗しい所を見られても良くて若君のお世話係りといった所であっ
ただろう。
もしくは既にこの世には無い。
そして、それからしばらくもパルミジャーニのフルーリエが西ローディアに置いて、その繁栄を長年に渡って保つような事もなかったで
あろう。
その日、伝統的な騎士の甲冑を身にまとい、ミゼル・パルミジャーミは副将として一軍を率いてウラスエダールの荒れ野に騎兵を闊歩
させていた。フルーリエの家に正しく、美しい蒼に彩られる甲冑を着込んでおり、同じように騎士剣を携えていた。
先導するはフルーリエ家の老将ラショードフォン。
彼はフルーリエ家の良きパートナーであり、ミゼルの祖父の代から出兵に供す歴戦の将でもある。彼らの目的地はウラスエダールの
国境近く、山脈にある村である。村は竜害によって壊滅状態にあるらしい。
付近に点在する申し訳ない程度の砦も瓦礫の山を成す体となっており、国力の乏しい、ウラスエダールを頼れない村の人々が西ロー
ディアに泣き付く様な形での出兵を求めている。
当然、竜を討伐を頼むものではなく、竜害に乗じる山賊どもの略奪を危惧しての事であった。当の竜はといえば、破壊の限りを示せば
それで満足をしたようで、姿をすっかり隠してしまっている。
まだ戦慣れを仕切れていない若者の同伴を、その父より任された歴戦足るラショードフォンにしても、ウラエスダールの竜を恐れぬ訳
ではなく、その恐ろしさを知るが故に慎重な行軍を、彼の見る限りにまだ未熟さの余るフルーリエの若将校に教え、竜と出くわす事の不
幸をしつこく口にもした。
しかし、その事が逆効果になってしまったのか、ミゼル・パルミジャーミに竜を恐れるように口にすれば、この若者は行軍を早めるべき
であると言うのである。
「竜が恐ろしいものであるのならば、その害に晒される者達はさぞ恐怖に震えているだろう」
とは、老将に背中を向けたまま口にした言葉だ。
彼が早馬で先駆けてしまったので、どうしてもラショードフォンはそれに従うしか無くなってしまった。
率いる兵士達も彼のその様な行動には慣れては来ているのだが、どうにも将来に面倒な将校であると言う認識で居る。馬の扱いや、
剣の捌きはフルーリエ家にあっては父、祖父をも上回る才があり、それでいて戦術に関する理解も眼があった。兵士を戦いに惹きつけ
る魅力も備えており、これは普段の成りからする人徳がなせる分がある。
戦いに関しては随一であると考えてもよい程である。
(これで、落ち着いてくれれば貴族の将校としては満点だが……)
ラショードフォンは若君の将来に不安と希望を覚えてならない。どうにも突発的な所があって、しかしそれが結果的には間違いではな
いので誰も叱咤することもできない。幾たびもその直感的な行動力で、危機を回避してみせた。老人の見る所、それが彼の小さい頃か
らの性分であったらしい。運が良ければ英雄、悪ければ若く無駄死にをするだろう、というのが彼なりの見分だった。
その事には彼の父も同意を示していた。自然と、追いかける方も早馬になる。
先を行っていたミゼルが騎馬から降りて、剣に手をかけている。老将にはそう見えた。
鋼鉄の鎧で身を飾っている筈の騎馬が横倒れに、首元から骨をへし折られて道の脇に転がっていた。獰猛そうな唸りと、息遣いが周
囲をこだまする。そこに竜が居た。それもどうしたことか手負いである。瓦礫からのそりと上体を持ち上げて、四肢から無類の血を流し
ている。
周囲の木が薙ぎ倒され、建物が建っていたのであろう場所は焦土となっていた。
竜の巨躯は人間の何人分にも匹敵する。雄々しく開けた口から覗く牙は、騎兵の鉄槍よりも一回りも大きく、獰猛に赤黒く塗られて、
その上、瞳は赤く異常に血走っている。
ラショードフォンは若君の危険をすぐに察知して、馬を駆けて歴戦練磨の槍を投げた。若き時分には石壁を貫通する程の豪槍を使うと
謳われた腕前であったが、これまで竜の鱗を貫く事を試みた事はなかった。
注意を引き、あわよくば身を挺して若君を逃がそうとするものだ。
勢いよく飛ぶ豪槍が竜の爪にひと薙ぎにされ、宙を舞って真っ二つにされる。武を重んじる人間にあっては残念ではあるが、想像通り
の事でもある。
しかしそこでラショードフォンは駆け寄ったミゼルが驚くべき行為に及ぶのをみた。
若君が竜に向かってすっとんで行くのだ。
その行為は勇敢であるというよりは馬鹿者である。鋼鉄をも容易に裂く竜の前に、正面から単身飛び込んで行くのだ。手負いであると
はいっても、先の投槍をした光景を見なかったわけではないだろう。
馬が巨躯の竜に怯み転げてしまった。
老将の視線の先、転がるように竜の爪を避けて、牙に掬われる様に宙に打ち上げられるミゼルの姿。剣を楯にしがみ付いているが、
喰らわれるのは時間の問題の様にみえた。これまでかと思われた。
それが、突然に。
どういうわけか竜の首がへし折れてしまった。腐るように肉を溶かし、骨を露わにして重さに耐えられず折れた。ミゼルが剣を竜の眼に
突き刺した直後のことである。
それらを目の当たりにした者達にはどうして奇跡的な光景であった。
ミゼルは叩きつけられるように地面に落とされたが、上手く受身をとって着地出来たらしく、すぐに起き上がった。何かを守るように、竜
の懐に走って、肉を溶かして降ってくる巨躯の死骸から外套で身を覆った。竜はそのままふつふつと肉を溶かして骨を残して死んでしまっ
た。
ラショードフォンとそれまで騒然としるばかりであった騎兵が彼の元に駆け寄ると、ミゼル・パルミジャーミは何かに話しをかけている。
それからそっと外套を外した。守られていたのは少女で、身を震わせて、それにとても衰弱していた。
少女はそのまま気を失ってしまったが、後日、「イオニカ」と名乗った。
その時になってラショードフォンはパルミジャーミの若君に訊ねた。
「何故、ドラゴンに立ち向かいになられたのか」
「彼女が倒れているのを見た」彼はそれだけだ、と答えた。
平時と変わらぬ物言いに老人はすっかり毒気が抜かれて閉口してしまった。
その後、この助け出した少女を屋敷に連れて帰ると言い出した若君に、ラショードフォンはそれ以上は言葉にしなかった。
(英雄であるならば……)
と、言う気持ちが勝ったのもあるが、この勇敢的行為の一部始終を見た兵士達が、その日から彼に篤い信頼を持つようになったからで
もある。少なからず英雄の若君に率いられる兵達の士気は高く、烏合の衆である賊に引けを取る事はなくなった。
もしくは、このミゼルの将来は彼の与り知れぬ歯車に乗せられているのかもしれなかった。
少女を屋敷に連れて帰ってから、若きミゼル・パルミジャーニの勇敢な行動は兵士達の口から噂話となり、屋敷に住まう達にとってして
周知のものとなった。その話も大分に尾鰭も付くものとなっており、どうやら話を聞くに若きフルーリエの若君は竜の首を鋼鉄の剣、その
一振りにしてぱっくりと断面に割って両断をする程のものらしい。
ラショードフォンはその逸話を敷地内で働く農夫達の口から聞いた。
当のミゼル・パルミジャーミは事実を問われれば苦笑をして、「俺は竜の頭にぶら下がっていただけだ」と言う。
その憮然とした物言いはこの噂話を大げさなものにするのに十分過ぎた。ただ、それを目の当たりにした当人達をも首を傾げさせていたの
だから、これは仕方がない。特に西ローディアにあっても竜の知識は乏しく、現象を説明しようにも口にするにも難しい。
そうすれば、その曖昧な部分の矛先が拾われた少女の方に向かう。誰もが納得のいく説明を求めていた。
誰よりもミゼル・パルミジャーミ、若君本人がそうだった。竜が肉から腐ったのは、もしくは神の奇跡の所業であるか。それともこの救い
だした少女こそが、祝福された存在であるのかどうか。決して、耳心地の良い話を求めているのではない。
もしくは、もしくはもっと深刻な問題かもしれなかった。だがただの竜の話であればウラスエダールの心底の方へと問題する。フルーリ
エ家の屋敷はともかく、所有している領地は比較的に、国境に置いてウラスエダールの高い山脈にも近い。政治的な問題があるような
事柄であれば、こそ事実を確認しなくてはならないと考えられる。
老将ラショードフォンもその事を杞憂して、事実をこのフルーリエ家の良き領主であり、ミゼルの父でもある、侯爵ルロックル・パルミジ
ャーミにも相談を持ちかけていた。武門の家にしては落ち着きのある、もの優しげな男で、農民を良く気遣う。何より争いごとを嫌う性分
でもあった。
そのフルーリエの領主が珍しく、政治的な立場を置いて、
「まあ、起こった事はいい。してしまった事も武門の家にあっては正しく誉れではある。今は様子を見て事を計ろう。何も問題がなければ、
拾った娘も息子の言うとおり屋敷に迎えてやればいい。」
と、懐を深くして言ったのだから、杞憂な老人も納得を示す他なかった。
その間に、ミゼル・パルミジャーニは所在のなさげに俯く少女に事の事実を尋ねている。
着ていたぼろ布はとうに、相応の衣装に変えられていて、べたついたような薄黒い髪は艶と色彩を取り戻している。まだ少しやつれても
いて、まだ子供でもあったが、それをさし置いても、イオニカはどうやら将来的には美しいと賞される分類の娘であることが分かった。
イオニカは竜の事は何も知らないと首を振った。ただ突然に村が襲われていたのだという。
「私は、何故あの村にいたのか思い出せませんが………」
とにかく襲われたのだという。それも一度ではなく、二度だ。
とぼしくも比較的に竜害の少ない地域でもあり、このようなことは初めてのことであった。村はものの数分の間に壊滅させられている。
住家を破壊され、僅かに蓄えた実りも焼き尽くされ、家族を運悪く殺され残された者達が悲しみも消費し切らぬ間に、再び別の竜が村を
襲ったというのだ。それも今度は生き残った者達の虐殺をした。凄惨な虐殺にあって、生き残りは居ないであろう。
イオニカの話は、一部錯乱しているとも取れる部分もあったが、後にその土地に詳しい者に尋ねた事とほぼ合致するものであった。
ミゼルは目の前で細々と語る少女を憐れに思った。それだけの事を竜によってもたらされても、誰も抗い様すらないのである。
国は彼女に何もしてはくれないだろうが、だが何よりもウラスエダール連邦に貧困をもたらしているのが、現ローディア連合王国の政治で
ある。
その国の領主のたかだか息子が責任を感じるのは可笑しいことではあったが、彼には彼女の事がとても他人事に思えなかったのだ。
偽善であるとすら言われてしまうような事ではあったが、憐れなこの少女を幸せにしてやりたいと、彼は心から思った。
何時も政治を気にかける父が何を言うかと考えたが、
（その時は、どうにだってしてみせる）
ミゼル・パルミジャーニは少女に向かってその事を言うと騎士である自らに誓い、掲げて持つ剣にも誓った。
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