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百輝衆筆頭御三家のひとつ弓月家の長老。 黄昏以降の生まれ、ゆえに齢数百と長老と呼ばれるわりに若く、隠居どころかバリバリ現役である。 百輝衆の目的はイマージュの排除、ヒノモトの管理運営、当主宗家『哮鬼のイズルビ』の血の継承。 中でも当主宗家の血を繋ぐことは最優先である。…少なくとも御三家の長老にとっては。 分家の順位はそのまま哮鬼の血の継承、発現の実績そのものであるがぶっちぎりの一位はこの弓月家。 当主宗家を除けば。というケチがつくので『万年二位』は禁句である。
その正体は血統書付きの雑種という表現をするほかない、『鬼』以外にも多種多様な種族の血が混ざり合った亜人である。 特定の種族ではない、強いて言えばガラシャという単体の種族で生命体。 しかし間違いなく『女』であり鬼になれない存在、だが同じく鬼になれない角無き鬼『ツナキ』と異なり 節操のない交配により作られた、ひとり濃縮遺伝子プールめいた単体であるので強力な『鬼』を生み出す母胎としての実績で今の地位を得ているのだ。 その血統の内訳は鬼角、牙と爪と膂力、龍鱗と法力、蛇髪と魔眼による邪視、金属質の骨格による防御力と圧倒的ウェイト、MMIを用いない電子機器へのダイレクト感応制御、等々… ここでは紹介しきれない節操のない種族のミックス、ひとりナマモノのサラダボウルである。
鬼の力がその血統の遺伝による発現であることが判明しているのなら、『クローニングで量産することはできないのか?』という発想は自然な事。 しかし結論から言えばその考えは早々に暗礁に乗り上げた。 たとえ当代の当主『哮鬼』から生体サンプルを得てクローニングをしたとしても、技術の限界か、それとも連綿と続く血の神秘ゆえか。 破壊衝動のみが高められた知性のかけらもない『鬼モドキ』が誕生することはあっても、『鬼』ましてや『哮鬼』を量産することは夢のまた夢だった。 そのことから他の百輝衆からはとうに見切りを付けられ、廃れたバイオ工学分野にひときわ強い関心を寄せているのが弓月家、長老のガラシャである。 『実用性?そんなもの知るか!遺伝子細工はわちきの趣味ゾヨ!』と言い切るほどの悪趣味さは一族の恐怖と嫌悪の対象である。 悪趣味と言われるのはこの恵まれた自身の遺伝子と言う『最高の素材』に手を加えた『遺伝子細工』に没頭しているからである。 最近のお気に入り、生体兵器『伽藍』シリーズの遺伝子の大本、遺伝的生物学的な『母親』である ラミアことD.D.は伽藍シリーズのうちの一体、『17th』と呼ばれる17番目の作品だったが… オリジナルの生物的特徴がほとんど受け継がれていない『遺伝異常』と オリジナルに比べて『発育不良』であることと 本来芽生えないはずの余計な『自我』の兆しが培養層での生成中に検知された そのため特性と個体値、性格の厳選作業中だったガラシャにどこぞの山中に培養層ごと廃棄されたのだ。 本当なら産声を上げる権利すら17thには無かった 『大自然に放流してあげればきっと自然に還ってエコロジーゾヨ?』 くらいの…ほんとこう、どうでもいい存在だったはずなのだが…
失敗作に過ぎなかった17thは生きていた、捨てた山に住まう山猿こと『御山』の座主、『高野山 伐折羅』に法師としてのイロハを叩きこまれた。 猿回しを仕込まれたようなものだ、ここまではまあいい。 同じくツナキで出来損ないだったはずの『コウ』こと出日陽牙と知り合い親友になった。 出来損ない同士の傷の舐め合いくらい、赦してやらんでもない。 そう思っていたらその陽牙は『哮鬼』として成長し、17thは哮鬼から分け与えられた血から炎を発現させた。 どうなっている…? そしてとうとう、御山の倉に封印しておいた『R.E.D.S.』の封印を解除、五体の護法神との同時契約を為し。 さらには黄金の時代からどこからともなく現れツナキを守護するという『黄金の獣の衣と仮面』までも手に入れ。 かの邪神の『予言』の力をも行使するようになった、イマージュを狩る鬼の一族から、邪神の眷属、しかも司祭級のそれを生み出してしまった。 こうしてガラシャのメンツは丸つぶれとなった。 だがそれすらもかまわない…すでに得た地位がいまさら揺らぐでもなければ、自分が裏切ったわけでもない。 誰も止められないほどの性能を17thが発揮することはそれを作り出した自分の遺伝子と、生成技術の優秀さの証明に他ならない。愉快だ。 ではなぜ?なぜ17thに執着し、それを破壊することに拘るのか? 失敗作が最高傑作という矛盾。それが我慢ならない。 自ら最高と認め、愛し、全てを注ぎ込んだ芸術品が最高傑作であるべき…であれば取るに足らない失敗作だった17thの存在は到底認められない 失敗作が最高傑作など、断じてあってはならない。ましてや…造物主を超えるなどと! 17thは自分にとっての『ラーフ』、すなわち蛇の頭(望まぬ最高傑作)か、障碍(乗り越えるべき失敗作)か という感情を抱えている、母親としての愛情ではない、自分の産み出した可能性に凌駕される事を恐れる自己愛である。 だがそんな感情は17th…いや、ラミア、D.D,…『カイ』にとっては知ったことではないので、ガラシャの送り込む作品とやらをガラシャもろともに片っ端から叩き潰している。 この腐れ縁はどちらかが死ぬか諦めるかするまで終わることはないだろう。
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