光にあふれ、木々は土の強さをいただき、生命の喜びに満ちていた森
木霊達が去ったこの森に、そのころの面影はもうない
かつてこの地にいたもの †
アンナ
DATA:::> name:アンナ sex:女 species:木霊 theme_song:♪ ■■/ステータス/戦歴
キャラクターの詳細情報はページ下部
figure
・普段は和洋折衷の姿
・正装
・アリスの帽子屋コスプレ
・梅雨時
・ニーナと水浴び(全裸)
光のエレメントを持つ木霊。礼儀正しく、物腰穏やかな女性。しかし人に注意するときにはぴしゃりとする。
(二重敬語・三重敬語ぶっこむけど古くは尊敬度が上がるだけだったらしい。おかしいとこで使ってたらごめん。)
未熟なニーナを教え導く。樹齢約2500年。
人間と交流する方法を持つのに長い時間が必要だっただけで、長生きでもいろんな経験を積んでいるわけじゃない。
徒手空拳で戦う。光の魔術も使う。定石ばかり踏み誘い水に弱い。
+
| | 攻略
|
光の側面が強いので心底ド外道は人はNG。逆にちょっと思いやりを見せればそれだけで好感を持たれる。
返事に、それまでの会話に出てきた言葉を使う当意即妙なやり取りは得意だが、それは言葉の上のことだし、真似の部分が大きい。
出くわしたことがないとっさの出来事に臨機応変に対応するのが苦手なので、落ち着き払ったアンナのペースを崩すなら意外性を狙うといい。
|
ニーナ
DATA:::> name:ニーナ sex:女 species:木霊 theme_song:♪ ステータス/戦歴
キャラクターの詳細情報はページ下部
figure
・普段は和洋折衷の姿
・正装
・アリスのうさぎコスプレ
・狐徹のコスプレ
・マイ様とアンナ様と
土のエレメントを持つ木霊。わがままな女の子。いたずらが好きだが、嘘をつくことを何より嫌う。
アンナを姉のように慕っている。樹齢約1300年。
ハンマーを振り回して戦う。怪力。隙が大きく後先考えない。
+
| | 攻略
|
怒りやすいが、謝られるとすぐ折れる。癇癪を起こして会話が終わってもあとでアンナがフォローするので、喧嘩するのもいい。
立派な行いには敬意を払い、態度が良くなる。敬意を持った人が言うことには簡単に従うようになる。
贈り物をもらったり気を配ってもらったり、お姫様扱いされるといい気分になるのでご機嫌取りに使える。
|
いろいろ †
- 外見は人間そのもの。触れば温かくもなく冷たくもない。
- 食事は水と光。土の栄養の染みた水が好き。
- 本体の木は別の場所にあるので、ここに来ている分体がやられても死なない。しばらく休んだら戻ってくる。(魂を消すような攻撃を受けると死ぬ。)
- 消えてもいい分体だということもあって、ふるさとでは武道があまり発達しなかった。武道の腕は荒削り。
- 特別な機構を持った個体。
- 詳細は伏せている。記憶・処理系統の機械を体に導入したイメージ。持つに至った経緯も伏せられている。(設定はある。)
- 記憶領域を獲得している。もともと魂に光景を残すことはできるが、木なので脳みそがなく記憶力が低い。
獲得した記憶領域は記憶というよりただの記録だが、精確で大量の記憶を可能にする。容量は十分大きいが限界はある。
- 複雑な物質的身体の制御ができる。音声で会話できるのも制御方法を覚えたから。人間の形を保つのも人間の体の造りを覚えたから。
- 形成した身体にセンシング方法を獲得している。本来木にはない視覚、聴覚、触覚、痛覚などを備える。日常では皮膚表面に痛覚は配置していない。
+
| | 体についてとか
|
木霊が実体化するときには、分体はどこかから体を借りて使っているわけじゃなくて、自力で、自分のつかさどる植物の成分から構成している。余力と使える成分があればその場で分体の再生もできる。
分体は見た目がほぼ人間でも、中の構造は大きく異なる。例えば、動作は筋肉ではなく骨から動かしている。正確には骨と同じ場所に入っている別の器官を動かしている。説明のためにここでは偽骨と呼ぶ。筋肉は偽骨に連動させて動かしているが、これは偽骨への負担を軽くする補強の役割と、人間らしい見た目を出す働きのためだ。
偽骨は、命令の伝達と自己収縮をする、位置としては骨質の海綿質にあたる部分(実際は海綿質のように骨の中に収まらずに体中途切れないで続いている神経だが。)と、その中核を守るために硬い細胞壁を持った、位置としては骨質の緻密質にあたる部分から成る。あるいは、その構造は軸索と神経鞘にも似ている。体の中心にある、記憶と処理をつかさどる部分から直接伸び、直接命令を受け取る。
骨を筋肉で引っ張る構造に比べて偽骨は動きがぶれにくく、緻密に計算された情報をより正確に体に反映させられるのが特徴。逆に、ただでさえ植物は動物ではないのだから動くのに適していないのに、筋肉に命令を伝達する方式では無駄が多いのでこのような構造を取っている。構造が違うので学習によって人間らしい動きを覚え込んでいるが、偽骨の表面の細胞壁組織によっても、物理的に人間の可動域での動きへと制限を受けている。
通常は痛覚は偽骨に配置されていて、腕を切り落とされるなどするとようやく痛がる。肉を切らせて骨を断つ戦法を取ることがあるが、それは筋肉が切断されても動けるからだ。もっとも、純粋に力が必要なときには筋肉の動きも利用して力を出しているので、筋肉が切断されれば力も落ちる。
活動のために酸素を全身に運ぶ必要があるが、維管束の構造では供給量が足りない。光合成(ニーナは地合成)でエネルギーを作り出すためには熱が大敵で、常に冷却のために水分を体に回していなければならない。これらのことから、葉脈を発達させて血管のような組織を作り上げ、ポンプの役割も偽骨に持たせて循環器系を形成している。酸素を多く運べるよう、人間と同じく鉄を利用しているため血液は赤い。体を冷やすのに冷却水方式を取っているため、蒸散の量は普通の植物に比べて少ないが、外気温が高いと活発に蒸散をおこなう必要がある。湯気が出ているように見えることもあるだろう。
水も体の構成成分もエネルギーも、必要とする以上に余分にため込む器官があり、水や光が絶たれても長時間実体化したまま活動できるようにしている。
|
- 同じ木霊である黒髪の女を探している。女は冒険者だったらしいので、情報収集するために冒険者登録した。
- 50年以内に見つかるといいなーと思ってる。気が長い。
- 名前はセーラ(星羅)。今はアンナとニーナでぐだぐだ遊ぶつもりなのでセーラは冒険に出してない。
- みんなが気になるえろいはなし
- 痛覚以外の感覚器官の配置はほとんど人間と同じ。セックスもできる。できるのだ。
- でも子供は作れない。木だからね。
- セックスが何かっていうのは知ってるだけ知ってる。ほかの生き物にとって繁栄のために必要なんだろうと思いつつ、はしたないと思っている。
- 薬は、人間に似せた体なので効くこともあるが、人間にあるはずのものが全部そろってないので効かないこともある。
逆に消化器官で壊れない分効きすぎることもある。お酒は効きすぎる。(米や芋の酒は飲むのを拒否。果実の酒なら勧められれば。)
- 日本の古い時代の文化に似ている文化圏にいた。アンナもニーナも貴族で位が同じ。(でも人間じゃないので平安時代にそっくり同じじゃない。)
こちらの言葉づかいや考え方は学び取ろうとしてるけど、まだまだ。
+
| | ふるさとについてとか
|
貴族以外は入ることが許されない宮廷。専制君主制。
ここには木霊だけが集まっていて、木霊の本体の木は各地にある。本体がバラバラの地にあるのだから、女御や更衣は無意味なので存在しない。
もともと動けない木が、木霊として動く性質を獲得するには選んだ体の男女に優劣がなく、役職(位)についている男女の割合は半々。役職には文官と武官がある。植物を円滑に管理する仕事を持つ文官のほうが圧倒的に多いが、植物以外に接触する武官は重要視されているので、文官とは別枠で序列があり、君主直属の組織と位置づけられている。
もともと植物同士の会話は声なき心の声でおこない、多くの植物はそれ以外の手段は持っていない。しかし貴族は音声会話を獲得していなければならない。宮中の会話はすべて音声でおこなう。心の声での会話は、宮廷の中で使うと卑しいものだとされる。音声会話が使えない植物に心の声を使うのは問題ない。武官が植物以外と接するうえで、必要に応じて使うのも問題ない。
アンナ(安和)とニーナ(新菜)は、武力行使も含めた対外交渉にあたる武官。宮中で使う言葉は古い発音なので、現代人に通じる発音を両人ともマスターしている。両人とも位が高い。同じ位についている武官が咎人となったが、位が高いので下の役人が出張るわけにもいかず、同じ位であり武官であるアンナとニーナが確保にあたっている。
宮中では役職で呼び合うものだが、アンナとニーナは親しく、宮廷の外では名前で呼び合っている。
人間と接しない文官の中には、人間の形をした体を持たない者もいる。文官の最高位は全員球体だ。しかし武官は必ず人間と接するため人間の形をした体が必要で、さらに人間の体以外の戦闘向きの体を獲得している必要がある。アンナとニーナは位が高いため、完全に人間と見まごう体と、竜の体を覚え込んでいる。竜の体を作るにはエネルギーと材料の激しい消費が必要。
管弦、和歌などのたしなみは貴族に必須。アンナとニーナは和琴を修めている。しかしすごろくなどの遊びは、宮中でおこなうには卑しいものとされる。宮外では遊びもおこなう。宮廷はあくまでも、責任ある貴族達が植物を守るために職務をおこなう場所だ。
この地の木霊は、他の生き物が力を求めてきた場合は相手の力を試し、合格とみなせば従い協力する文化がある。貴族の位が高いほど求められる力が上がる。さらに貴族であれば、他の生き物に従うことはあるにしても宮廷の意向を優先させる。従う相手は「主様」と呼ばれるが、宮廷の君主は「主上」と呼ばれて区別される。
|
わたくし共にも、この地で使われる言葉で、「気持ち」…とされるものはございますわ
わたくし共はそれを、心と言い、心は折につけて色めくように立ち現れ、また外から入り込み、内から出ていき、野に彷徨い、
別のものどもは合わさり、一つのものは二つ、三つと千切れ、生まれ出づれば消えゆくもの…と考えております
ニーナも帰ったら、アンナ様のお手を写させていただくのよ アンナ様みたいな手が書けるようになりたいわ!
ォアファレ…(ほっと溜息つきつつ。「あはれ」のことだが、現代語とは発音が違う。) …いえ(扇子で口を覆う。)
友人達 †
手習い †
手習い。心に浮かぶままに古歌などを書き記すこと。
- 詠み人
+
| | 詳しく
|
名前 | 役職 | 特徴 | 安和(アンナ)。 | 照木姫(照木淤加美姫/てるこおかみのひめ)。 | 情景、感情、季節感、音など…いろいろ気を配る。そのせいで一首に情報を盛り込みすぎる。手を抜くことを覚えればもっといい歌になるだろう。 季語を好んでよく使う。感情は丸のままぶつけずに、じわりと感じられるようなお上品な詠み方をする。 | 星蘿(セーラ) | 闇木姫(闇木淤加美姫/くらこおかみのひめ) | 悪意のある言葉をぶつけたり、皮肉を込めたり、凄惨な情景を詠んだりと、ただただ悪意に満ちている。詠み方は千変万化。 細やかな情景にひそかに皮肉を隠したかと思えば、辛くなる情景を力強く重ねたり、物語調で悲惨な落ちをつけたりする。 | 新菜(ニーナ) | 土木姫(土木淤加美姫/つちこおかみのひめ) | 夜明けの君に「季語がなくて音が悪いのは子供っぽい詠み方」と言っていたが、それがニーナ本来の詠み方。(古歌に季語は必要ない。) アンナに影響されて、季語を入れたり技巧に気をつけるようになった。率直で力強い言葉選びと、素直な着眼点が持ち味。 | 風雅(フーガ) | 風木君(風木淤加美君/かざこおかみのきみ) | 流れるようなリズムが特徴的。ぶつぶつ切ることが苦手で切れ字を好んでよく使う。 音の聞こえてくる情景、日常のひっそりした小さな情景、風や水や時が流れていく情景を題材にすることが多い。 | 大納(ダイナ) | 火木君(火木淤加美君/ほこおかみのきみ) | 激情家なのだが、それを歌に詠むことはない。燃え上がったら即行動、むかっときたら歌なんて詠んでいられずに殴りに行く。 詠めと言われれば詠む。面倒なのが歌に表れて、優等生的な歌になる。 | 霞院(カイン) | 氷木君(氷木淤加美君/ひこおかみのきみ) | 美しい景色を静物画のように描写する歌を多く詠む。歌に動きが感じられない。日常で感じられる細やかな感情も詠みこまれない。 本人はいつも目を閉じている。詠む景色は、自分が過去に見たものを思い出したり、人から聞いたもの。視覚への憧れが根底にある。 |
|
- ひさかたの 遠つ群雲 にぎはしく 市道や空し 春北風かな
+
| | 詳しく
|
仮名書き | ひさかたの とほつむらくも にぎはしく いちぢやむなし はるならひかな | 概訳 | (強い風が吹いているので)遠い雲の群れはにぎやかで繁盛している (くらべて、近くの地上に目をやる。寒い風なので)市場への道には誰もいなくて繁盛していない 春北風が吹いているなあ | 単語の意味 | 「ひさかたの」は雲にかかる枕詞。春北風は3月の季語。春に吹く強くて寒い風。にぎはし(賑わし)は富み栄え繁盛している様子。 | 中の人所感 | この歌を詠んだのは空学が始まる直前の3月。風が…ざわついてるな…。企画前で一時人がいないのは已む無し。しかし空に馳せる思いは賑やかだなと。 | 言葉選び | 春北風(はるならひ)と同じ意味の言葉に春疾風(はるはやて)がある。学園をひっかけたかったので「ならひ」にした。 |
|
- 巣は空 かまびすしける 鳥の子の 今はいづくに すみ渡るそら
+
| | 詳しく
|
仮名書き | すはうつほ かまびすしける とりのこの いまはいづくに すみわたるそら | 概訳 | 巣は空っぽだ やかましかった鳥の子供は今どこに住んでいるのだろう 空が一面に澄み渡っている | 単語の意味 | (巣立ちとは明言してないが全体で巣立ちを表している。)巣立ちは4月の季語。空をうつほと読むと空っぽの意味。 「かまびすし」はうるさい、やかましい。「今はいづくに住み渡る」と「澄み渡る空」が掛詞。「住み渡る」は住み続けること。 | 中の人所感 | 空学が始まった4月、大空に飛び立ったキャラ達を思って。澄み渡る空のような希望に満ちた学園生活があらんことを。 | 言葉選び | 歌の中の、今はいづくに、の答えは初句にある。「巣は空」、つまり空(そら)。 「住み渡る」には恋人の所へ通うという意味もあると知ったのでチョイス。恋愛いいよね。みんながんばーれー。 |
|
- 木垂るつゆ かかるままにぞ あれまされ 流石雨こそ きも生はすべし
+
| | 詳しく
|
仮名書き | こだるつゆ かかるままにぞ あれまされ さすがあめこそ きもおはすべし | 概訳 | 木が生い茂ったところに梅雨で枝が垂れ下がり露も垂れているが、このようなままで荒れるに任せておけばいい (人が泣いているのなら)涙が(頬や服に)かかるままにして、いよいよ心が荒れていけばいい そうはいってもやはり、雨こそが木を育てるものだし、涙こそが心を育てるものなのだ | 単語の意味 | 「木垂る」は木が茂って枝が垂れ下がる様子。露にも雨にも涙を喩える意味がある。 「荒れ増さる」は物の荒れ方がひどくなる意味と、心がますます荒れていく意味がある。 「流石」は逆説の副詞で、そうはいってもやはりという意味。「生ふ」は伸び育つこと。 「木垂る梅雨」と「垂る露」、「露かかる」と「かかるまま」、「木も」と「肝」が掛詞。 | 中の人所感 | 土と水があれば光はいらないニーナに比べて、光がないのはアンナにとって死活問題。 日照りの少ない梅雨は苦しいが植物にとっては必要だというアンナの相反する思いを形にしたかった。 心中複雑な気持ちを詠む歌ということで掛詞だらけの面倒な歌にしたよ。 | 言葉選び | 掛詞のための言葉選びをした。特別な意味を乗せた言葉はない。 |
|
- 紅の 傷あるべくも あらざるに 流る血の色 ああ涙川
+
| | 詳しく
|
仮名書き | くれないの きずあるべくも あらざるに ながるちのいろ ああなみだがわ | 概訳 | 赤い色の傷があるはずもないのに、川に流れているのは血の色のよう(な紅葉)だ ああ川のような悲しみの涙よ | 単語の意味 | 「涙川」は涙があふれ流れるのを川にたとえたもの。 「血の涙」という表現は今でもあるが、昔は悲しみが強いと涙が赤くなると言われていた。 | 中の人所感 | アンナがいなくなった痛みを、ニーナ独特の強い言葉で表したかった。 | 言葉選び | 特になし。 |
|
- めぐりあひて 互ひに見しや 同じ花 葉なく言なく いや年さかる
+
| | 詳しく
|
仮名書き | めぐりあひて たがひにみしや おなじはな はなくことなく いやとしさかる | 概訳 | 季節が巡って互いに同じ花が互いを見ていた 葉もなく言葉もなく、年だけがただ遠ざかっていく | 単語の意味 | 花は春の季語。葉がないと詠んでいるし、花といえば桜という風潮があるので 桜のことかもしれない。「いや」はますます。「さかる」は遠ざかる、隔たる。 | 中の人所感 | 本歌取りがしてみたくて詠んだ歌。本歌取りは古い歌を一部パクって雰囲気を取り込む技法。 本歌は両方とも月に関係した歌を取ってこれて、本歌同士に関連を持たせられた。 今はアンナに後悔の気持ちがあるので、ごちゃごちゃと言葉を掛けるよりも、 古い時に思いを馳せる詠み方が気持ちに沿ってると思う。 | 言葉選び | 古くは花にあまりよくないイメージもついていたようで、喩えに花を使いたかった。 歌の半分くらいの言葉は二本の歌を本歌にした本歌取り。 「めぐりあひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな(紫式部)」 =せっかく出会えた友人がすぐにいなくなってしまった 「去年(こぞ)見てし秋の月夜(つくよ)照らせどもあひ見し妹はいや年さかる(柿本人麻呂)」 =繰り返す月は変わらないが、妻がいないことが大きな変化で、年月ばかりが過ぎ行く |
|
- 言ひ知らず 顔うら細き 望月よ 見せまうさじと こともかけたる
+
| | 詳しく
|
仮名書き | いひしらず かおうらぐはき もちづきよ みせまうさじと こともかけたる | 概訳 | 言いようもなく美しい満月よ 道長が詠んだ歌のように何も足りないものはない様子だ 人には「お見せしたくない」などと言ってしまったが、どう言っていいかわからなかったのだ | 単語の意味 | 望月は9月の季語。「言い知らず」は言いようもなく、喩えようもなく。 「うら細し」は「うらぐはし」と読んで、心に染みてすばらしく美しい。 「まうさじ」は掛詞で、「申す」+否定の意思「じ」と、「ま憂し」+否定の推量「じ」。 「申す」がして差し上げるという意味なので、「見せ申さじ」は「お見せするつもりはない」。 「○○ま憂し」が○○するのは辛くて嫌だという意味なので、「見せま憂さじ」は 「見せるのが辛くて嫌なのではなかろう」という意味になる。「言(こと)」は言葉。 「かけたる」は、言葉をかけるという意味と、言葉が欠けているという意味の掛詞。 言った言葉と本心が違うことを示している。 | 中の人所感 | 中秋の名月を見て詠んだ歌。ゴージャスな歌を本歌取りをしてゴージャスさを出した。 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば(藤原道長)」 =この世は自分のためにあるようなものだ。望月のように何も足りないものはない | 言葉選び | 本歌を真似て「望月の」とすると主語がおかしくなるため、 「の」を月に対する呼びかけの助詞に変えたが、 「望月や」ではなく「望月よ」としたのは「月夜」をイメージしての言葉選び。 「月夜」は、現代では月のある夜という意味しかないが、古くは「月の光」の意味もあった。 |
仮名書き | いひしらず かおうらほそき もちづきよ みせまうさじと こともかけたる | 概訳 | 裏の面があるようには言わず、あってもないような顔をしている月よ 今宵は満月だが、その裏では言いようもなく心細いのではないか? 「見せるのに辛くて嫌なことなどない」とでも人々に語りかけるように、欠けたところのない様子だが、 内心では「裏をお見せすることなどできない」と思っているのだろう | 単語の意味 | 「言い知る」とは適切な言い方を知ること。「知らず顔」は知らないふりをする顔。 「うら」は裏と心(「うら」と読む)の掛詞。月の顔という表現は「月の表面」を意味し、 その裏といえば月の裏側を意味する。また心を「うら」と読んだときには特に「内心」という意味になる。 「細し」は弱々しい。 | 中の人所感 | ゴージャスで驕り高ぶる雰囲気の本歌だが、詠まれた状況まで考えるとそうとばかりも言えないようだ。 藤原道長はこの歌を詠んだ年には太政大臣を、その前年には摂政を辞したばかりであった。病気がちな彼の不治の病が原因だ。 この歌は人が多く集まる宴の席で、即興で詠んだ歌であり、虚勢もおおいに混じったものであると思われる。 歌の表の意味では本歌の表の面を、歌の裏の意味では本歌の裏の面を取り込んでいる。 | 言葉選び | 月を評価する言葉には、実質「細し」しか使われていない。 ほかは「この月は言いようもない」「見せたくない」などと曖昧だ。 この「細し」を「ぐはし(=美しい)」と読むか、「ほそし」と読むかで歌全体の意味が逆転する。 歌の後半には、 「お見せするつもりはない」「見せるのが辛くて嫌というわけではない」と互いに逆となる思惑があって、 人に対してかけた言葉は本心に取ってみたら「欠けた言葉」であって本心ではない… としか詠み込まれないように言葉を選んだ。 つまり、どちらが本心で、どちらが偽りで口に出した言葉かは定まっていない。 歌全体の意味が逆転すれば、自然とどちらがどちらなのかも逆転する。 |
|
- 秋たけて 実りも咲ひ 顔咲ふ 神無月に われら世にあり
+
| | 詳しく
|
仮名書き | あきたけて みのりもわらひ かおわらふ かみなしづきに われらよにあり | 概訳 | 秋まっさかり 豊かに実った果実たちは笑いが弾けるように表面が裂け、人びとの顔も笑っている 神のいない月と言うが、私たちはこの世に生きている | 単語の意味 | 「秋闌く(あきたく)」は秋まっさかりになる。「咲ふ」は笑うと同じ意味で、果実が弾ける様子も表す。 「世にある」はこの世にいる、生きているという意味。 | 中の人所感 | ニーナに力強く歌ってもらいたかった。以上! | 言葉選び | 特になし。 |
|
- お火焚に いつ葉の松も 色付きぬ とかくせずとも 今は時なり
+
| | 詳しく
|
仮名書き | おひたきに いつはのまつも いろづきぬ とかくせずとも いまはときなり | 概訳 | お火焚の行事で、年中緑色をしている松が赤く燃やされている あれこれせずとも、今は山の木々が赤く染まる季節なのに | 単語の意味 | お火焚は、火を焚いて心身を浄める11月の行事。松のまきを井げたの形に組んだものなどが使われる。 「とかくす」はあれこれする。「時」は時節、よい時期。 | 中の人所感 | 贈答歌がしてみたかった。 ニーナは本歌取りもしている。アンナはこれ以上の歌を返さなければならない。 「時わかぬいつ葉はの松のいつはあれど春ひとしほの緑をぞ見む(雪玉集より)」 =時を区別しない常緑の玉葉松の、いつもそうだがとりわけ春にひときわ美しい緑を見よう ニーナは木霊であり、松を燃やさなくてもいいのに!とアンナに訴えている形だ。 | 言葉選び | 特になし。 |
|
- 付けもなく ただまついほち 干割れども けふ帰り花 誄歌に変じ
+
| | 詳しく
|
仮名書き | つけもなく ただまついほち ひわれども けふかへりばな るいかにへんじ | 概訳 | 手紙もなく、ただ待つばかりの数えきれない日々は干からびて割れるような心地であったが、 今日になって季節外れの帰り花が咲くように帰ってきた 死者を悼む歌に姿を変えて (=待つ人が死んだと知らせる歌だけが帰ってきた) | 単語の意味 | 帰り花は11月ごろの季語。小春日和を春と間違えて、季節外れに咲く花のこと。 「付け」は手紙という意味。また、運の意味もある。「いほち」は五百箇と書き、500個、たくさんのこと。 「干割る」は乾燥して割れること。「けふ」は今日。「けふ帰り」と「帰り花」は掛詞。 「誄歌」は死者を悼む歌のこと。 | 中の人所感 | 折句をしてみたくて詠んだ歌。折句は、いわゆる縦読みのこと。 句の頭文字を続けて読ませるものが多いが、句の末が使われることもある。 今回は句の頭と句の末尾の両方。濁音は無視されるので、「つたひける」「くちもなし」 伝える口などなかった、と読むことができる。 ニーナの歌に対する答えでもあり、アンナの歌の中で「待たれていた人」の事情も表している。 | 言葉選び | ニーナの言う、燃やされる松の命運にかかわる言葉を盛り込んだ。和歌の技巧でいう縁語。 「付け」には運という意味もあり、「付けもなく」は運が悪いという意味。 「松いほち」は松がたくさんという意味。 「干割れ」は、松が火にあぶられて乾燥し、ひび割れる様子も表している。 花は燃え盛る様子、その結果、誄歌に変じるのは松だ。 燃やされる松には、言葉を伝える口がないのだ、と返した形だ。 二つの縦読み、松に着目した別の読み方、季語の帰り花には掛詞を係らせて、 即答で作るには無理がある感を出したかった。アンナの情報処理能力は廃スペック。 |
|
草木のささやき †
独り言&相談すぺヰす