磯城嶋金刺宮で国を治められた、天国押開広庭命が御代の話しで御座います。
美濃の国にすむある男が、自分の妻とするにふさわしい女を探しに馬に跨り路を流し歩んでおりました。
そして、ある廣野に差し掛かったところ、なんとも美しく、艶かしいおんなに出会いました。
おとこは思わず視線をなげかけ、おんなはそれに親しげに答えたのです。
「お嬢さん、どこへ行かれるのですか。」
「良き人を探し歩いております。」
おとこは答えて
「ならば私の元へ来ませんか。」
と尋ねたところおんなは
「はい。」と答えました。
そのまま男は家に帰りそして祝言をあげました。
やがて年の末には二人の間にひとりの男の子が授かりました。
そのころ時同じくして、男の家で飼っていた犬も子犬を産みました。
ところが、この子犬は全くおんなに懐かず、牙を向いて吠え立てました。
「恐ろしい、恐ろしい、あなた、この犬を打ち殺して!」
女はそう叫びましたが、懐かぬとはいえまだ子犬。
おとこは犬がかわいそうで殺すことはできませんでした。
年も開けて、ニ月か三月のころ、おんなは蓄えておいたもち米を
いなつき女たちとついていた時、とうとう女が子犬を恐れる訳が知れたのです。
「さあさ、みな、疲れたでしょう。納屋に入って一休みしましょうね。」
そういって、おんなといなつき女たちが納屋に入ると唸りを上げて子犬がおんなに飛び掛っていったのです。
「きゃぁああ!!」
たまらず、おんなは人の姿から獣の姿へと戻り、大慌てで垣根に逃げ出したのです。
人と獣は交わることがないのが本来の道理、しかしそれでもおとこは、おんなにこう言ったのでした。
「子どもまで成したというのに、どうしておまえとわかれることができようか。どうか、夜だけでも一緒に過しておくれ。」
おんなもまた、おとこと別れることがしのびなく、それからは毎夜おとこの元へと通うことしました。
以来、この獣の名を「来つ寝」、キツネと呼ぶようになったのです。
後に、ほんとうの別れがふたりの間に訪れたその日、おんなはたいそう上品な裾を桃色にそめた裳を身につけ、裾を引きずりながら何
処となく去ったと聞きます。
おとこはおんなを偲び、歌を残しました。
恋は皆我が上へに落ちぬ珠輝るはろかに見えて去にし子ゆえに
(この世の恋というものの切なさがすべて我が身に降り掛かってたような心地だ ほのかに輝く珠の光ような微かな逢瀬で去っていっ
たあの人がために)
ふたりの間に生まれた子の名もまた岐都禰(きつね)といい、姓は狐直とし、力は強く、足も鳥のように素早い人へと育ちました。
この方が、いまの美濃の国の狐直氏の先祖だということです。
また、唐土には次のようなお話も伝わっております。
夏という国の禹という方のお話で御座います。
舜帝の命により禹は司空となり黄河の治水に当たることとなりました。
禹の父君、鯀もまた黄河の治水に当たっていましたが、9年間、成果を挙げることなく、その罰として東方の羽山に流されそこで
死んでしまいました。
禹は、父の恥をすすぐべくそれはもう大変な思いで黄河の治水に打ち込みました。
衣服は簡素に、鬼神への捧げ物は豪華にし、自分の屋敷を侘しくする代わりに、田畑の灌漑へ力を注ぎました。
自分の家をでて13年間休むこと無く、海へ山へと駆けまわり、冀州・広州・青州・徐州・揚州・荊州・豫州・梁州・雍州の九つの州、
、九山を治め、九川の水路をつくり、ついに全土をひとしく治めることに成功したのです。
そのため、手足はあかぎれが耐えること無く、歩みはおもく引きずるようになりました。
いま、陰陽師が帝の御幸の無事を祈る際の奇妙な足取りは、この禹の足取りを形どったものだと伝えられております。
さて、そんな禹でありましたから、齢三十になっても妻を娶ることを忘れておりました。
ですがある時、通りかかった塗山の地で「九尾の白狐」に出会います。
この頃の九尾の狐は大変めでたい「瑞兆」であるされておりましたので、是非も無しに狐を妻に迎えました。
妻は娶ったものの、治水のために仕事をしておりましたので、禹は妻にこう言いつけておりました。
「食事の時には太鼓をうつ。それ以外のときは我が姿を見てはならない。」
といいますのも、禹は治水の仕事をする時は人の姿ではなく熊の姿へと変わっていたからです。
結婚をして4日目にはもう禹は土を掘り、岩を運んでおりました。
と、その時です。
蹴り飛ばした石が偶然、太鼓にぶつかり、どォんと大きな音を響かせました。
それを聞いた九尾の狐は、夫が食事を持ってきて欲しいと頼んでいるのだと思い違いをし、熊の姿の禹を見てしまったのです。
見てはならぬと言いつけられた約束を果たせなかった狐は、その身をはじ、崇高山の麓へ去り、そこで石に変わってしまいました。
この時すでに、お腹には子を宿しておりましたので十月が過ぎた頃、禹は
「わが子を返せ。」
と叫んだところ、岩が割れて赤子が生まれた、ということ、です。